二十一世紀への実践的展望をもさし示す大著

 

いいだもも著『レーニン、毛、終わった』書評

副題「−党組織論の歴史の検証−」

 

田口富久治

 

 ()、これは、いいだもも著書(論創社、2005年1月、1275頁)にたいする田口富久治名古屋大学名誉教授の書評である。それは、『情況』(2005年5月号、P.166〜180)に掲載された。その全文をこのHPに転載することについては、田口氏といいだ氏両者からの了解をいただいてある。田口氏のHP掲載論文リンクも載せた。

 

 〔目次〕          

      いいだもも略歴と主要著書

      田口富久治のHP掲載論文5編と加藤哲郎による田口著書書評

 

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    『見直し「レーニンのしたこと」−レーニン神話と真実』健一MENUファイル多数

    いいだもも著作注文『amazonでの注文』45件の著作リスト

 

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 このいいださんの論創社刊の三冊目の枕頭本を、ももさんの七十九才の誕生日の翌日(一月十一日、私の七十四才のバースデイ)に読み出し、一月二十日に、十日間かかってなんとか読了した。この種の大冊もこれで三冊目だ。

 

 一冊目は『二〇世紀の〈社会主義〉とは何であったか』九七年一二月刊だ(これには「朝日」九八・三・八に栗原彬の書評がのった)。これとほぼ同時期に、はる書房から、『サよナラだけが人生、か』(六四五頁)もでた。これも本の帯の文章を引けば、「墓ひとつづつ賜はれと言へ。先輩、知友の死を悼む愛惜きわまりない長短五七篇の文章をもって、二〇世紀の挽歌とし、かつ目前の二一世紀へ希望をつなぐ、そういう文集である」。

 

 二冊目は『日本共産党はどこへ行く?』。〇四年一月刊(この本の内容も、本の帯によって紹介しておけば、不破「新綱領」と『ゴータ綱領批判』の地平、日本共産党の宮本「綱領」(一九六一年)を自ら〔いいだ〕の戦後体験と新資料を踏まえて総括し、四十余年ぶりの不破「新綱領」(二〇〇四年)を実践的マルクス主義に基づき批判・検証する!)というもの。この本について私は、歴史的総括と不破「新綱領」批判については大筋のところで賛成するが、さし迫った改憲反対、九条を中心とする憲法擁護のたたかいの展開における日本共産党の役割をどう考えるかと、もも氏に問題提起をしておいた。

 

 ここでとりあげる本書はこれらのさらなる展開として、同様に浩澣で、たいへんな力作である。「マルクス死後の極東の門人」を自称するももさんの最高の仕事の一つと私は考える。そして自分の読後感を少し長い書評のかたちでまとめておきたいと思い、書評誌として『情況』も著者に紹介してもらったのである。

 

 さて書評を書く準備として、ももさんから恵投された八〇年代末から最近までの二〇冊ほどの労作を書棚から取り出して並べてみた。それらは『世紀末危機の大きな物語』(八九・三)からはじまって、ここでとりあげる『レーニン、毛、終わった』にいたる(これらの書名、内容等を紹介していくと紙幅を食うのでやめる)。それらを見ていると、ももさんの知的関心の広大さ、同じようなことになるが、古今東西に及び、政治・経済、哲学、歴史をカバーする守備範囲のユニバーサリズムには驚嘆する。私は社会主義論、共産主義運動の歴史と理論などの面で、ももさんに教えられてきたが、私の専門に近いところ、知的に比較的最近関心を抱いてきた諸問題についても、ももさんから啓発を受けてきたと考える。

 

 年代順にそれらの書名だけでも列記すれば、『アプレ・フォーデイスムの時代とグラムシ』(御茶の水書房、九一・一二)、山田鋭夫との共編『アフター・フォーディズムと日本』(御茶の水、九二・七。第一部には友人の戸塚秀夫も書いている)。『探偵実話 黒岩涙香』(リブロポート、九二・三。こういう仕事は、私には逆立ちしても書けない)。『政治改革と九条改憲』(論創社、九三・十一。四 民衆の憲章づくりと憲法第九条。この文章・今日こそ読む価値あり)。『「日本」の原型−鬼界ケ嶋から外ケ濱まで』(平凡社、九四・八。渡部義道・廣松渉両氏の俤に献げられているが、もも流日本古代・中世史。三三九〜三四一頁の参考文献一覧のひろがりを見よ。晩年の網野善彦と対談してほしかった)。『猪・鉄砲・安藤昌益』(農文協、九六・三。その副題「「百姓極楽」江戸時代再考に注目)。『大世紀末』(情況出版、九九・五)。

 

 二一世紀に入ってからでも、すでに挙げた大著四冊の他に、『自民党大熔解の次は何か?』(社会批評社、○一・六)。共著『検証内ゲバ、日本社会運動史の負の教訓』(社会批評社、〇一・二)。『二一世紀の(いま・ここ)』(こぶし書房、〇三・六。これは、梅本克己を中心として、和辻哲郎、田辺元、三木清、戸坂潤、梯明秀、船山信一、宇野弘蔵、黒田寛一らが織りなす「昭和」思想史(主体)ドラマトゥルギーと銘打たれている)がある。

 

 私がこの機会に、簡単にしろページをくり直したのは『二〇世紀の〈社会主義〉とは何であったか』と『サよナラだけが人生か』の二冊であるが、この二冊の「新著」を祝う会(一九九八・十二・六、ロイヤル・パーク・ホテル)の記録集にも再度目を通した(私はこの祝う会には出席していない)。「サよナラ」の方には、明治大学時代の同僚大井正さんの思い出、江口朴郎先生論(私は東大法学部学生時代に江口先生の外交史の講義を聴き、原水禁運動でも御一緒する機会が多かった)、信夫清三郎論などが出ていて、これらを再読したし、記録集に登場した人々の中で私の知人は、後藤昌次郎弁護士と鈴木正氏くらいであったが、この記録も興味深く読んだ。

 

 さてこの十数年のおつき合いを通じて、いいだももさんは、私にとってどんな先輩・先達だったのか? 私は、先生という敬称をかなり厳密に使っているが、学生時代と大学助手時代に、直接指導を受け、授業を聞いたのは、東大法学部関係では、堀豊彦先生、岡義武先生、丸山眞男先生、辻清明先生、それに助手時代にアメリカ政治外交史と政治学史の初講義を聴講させていただいた斎藤眞先生、福田歓一教授までである。いいださんは、斎藤教授、福田教授より数年年下だが、社会主義論、共産主義論、もう少しふくらまして現代政治・経済論・思想論のような分野で、私に刺激を与え、主として書物を通じてであるが、私の蒙をひらいてくれた貴重な先輩・先達の一人だったことを、いまさらながら強く感じる。

 

   

 

 前おきが長くなってしまったが本題に入ることにしよう。

 この四百字二五〇〇枚の大著の副題は「党組織論の歴史的経験の検証」である。全体は四部二十二章から構成されているが、その部名、各部に属する章数は、以下のとおりである。一部 一九世紀マルクスの党組織論の歴史的経験(全三章)、二部 現代革命の主体的組織論への接近の諸問題(全四章)、三部 前近代の人間結合原理と近代の人間結合原理との複合・重層(全七章)、四部 レーニン型党組織論の脱神話化(全八章)である。

 

 以上の全四部二十二章を全部紹介し、コメントすることは、紙幅的にもちろん不可能である。そこで、いいださんの新しい問題提起ないし重要な主張の何点かに絞って、紹介・コメントをおこなう。著者は、本書一部のはじめで(四〜五頁)、「短い二〇世紀」=〈戦争と革命の時代〉、の二つの革命イデオロギー、「レーニン主義」、「毛沢東思想」とそれらの革命的成果は、八九〜九一年の劇的大転回によって土崩瓦解したと断じる。二一世紀初頭の今日の時代は、「アメリカニズムの金融・独占資本とドル・核帝国のグローバリゼーションの異常進展と、それに全球的に対抗しようとするマルチチュード(多衆)の根茎状のフォーラム型社会運動の胎動とが拮抗しはじめた時代である」という時代認識が示されている。注目したい。

 

 第二部に移る。第一章でレーニン創始の「民主集中制」―全世界共産党の支配的組織原則・概念とされたもの(現時点で、先進国では日本共産党とポルトガル共産党の残存二共産党のみが断乎死守している原則)―が、レーニンの兄ウリヤーノフが属した「土地と意志」党のナロードニズムに基づく秘密陰謀結社思想に由来するものであるとともに、西欧社民の目的意識の外部、上部からの注入論に由来するものであることが指摘される。このレーニン組織論に対する最も鋭い的確な批判は、若き日のトロツキーとローザによってなされていたことも言及される。(この問題は四部の第一章〜第四章で詳細に論じられるのでそこで本格的に論じよう。)

 

 二部第二章―人類社会史の「理想型」的把握と「唯物論的歴史把握」では、F・テンニエス(一八五五〜一九三六)のゲマインシャフト(共同体)からゲゼルシャフト(契約社会)へのテーゼを冒頭に置きながら、彼とともにドイツ社会学会を結成した碩学マクス・ウェーバー(一八六四〜一九二〇)の「理想(念)型」的把握の理解社会学・宗教社会学(とくに古代ユダヤ教)、そしてフロイト(一八五六〜一九三九)とくにその『モーセと一神教』(三九)とマルクスの唯物論的歴史把握(『資本−経済学批判』)を対照させる。そして後者を、ウェーバーの、古代ユダヤ教共同体(誓約同志的共同態)の天地をひっくりかえす、「普遍=特殊」の発見方法(資本制の特異性の普遍性強制による擬似普遍性・似非共同体を根源的に告発し批判する革命的方法)と評価する(二三〇頁)。とはいっても、ももさんは、マルクスも第一にポリス国家の興亡の歴史を明らかにすることなく、第二に、古代ローマ帝国の崩壊が、奴隷反乱によってもたらされたものではなく、イコンをかかげて内陸辺境に現れた「蛮族」と、地中海に現れた「海の民」の襲来によるものであることを、突き詰めることなく終わった、と批判する(二三四頁)。いかにもももさんらしいマルクス批判である。

 

 第二部第三章は、主体と客体の弁証法から党組織論の歴史的経験の総括を、と題され、加藤哲郎の「党組織論的考察」の六タイプ・プラス・ローザの「連合的分権型」を追加した七タイプ分類論を紹介し、「ゲノッセンシャフト」(テンニエス)、「ゲマインヴェーゼン」(マルクス)、「コミューン」「アソシエーション社会」などの問題構制(独語はFragestellung私は問題設定と訳している。)が未決のそれであること(それはそうだが、私は『帝国主義論』に裏付けられたレーニン『国家と革命』において、マルクスの組織論的遺訓が、全面的に復権され、現代的に活用されるにいたるというももさんの評価(二四八頁)には、まったく賛成できない。レーニンの『唯物論と経験批判論』が哲学上の愚書であるという点では、いいだとまったく同意見であるが(本書、コルシュを引用して。三四五頁以下)、私の評価では、『国家と革命』は、エンゲルス『起源』の歴史的起源論から国家機能を導く誤りを踏襲し、また国家をそのゲヴァルト装置に還元している愚書である。グラムシ国家論の質の高さとはくらべものにならない。)第四節の「アソシエーション」の日本の『宣言』諸訳のデタラメさには一驚する(まともなのは、水田洋訳のみ)。

 

 第二部第四章「意識と実践、主体と客体の弁証法の根底から」、の第一節―意識革命の「三つの源泉」とライプニッツ=スピノザ哲学については、私がライプニッツ(一六四六〜一七一六)、スピノザ(一六三二〜七七)についてはほとんど無知に近いため(そのうち遅ればせながら勉強はするつもり)、コメントできないのが残念だ。ただ〈マルチテュード〉概念がスピノザのものであり、それがネグリ/ハートの『マルチテュード』やネグリの『〈帝国〉をめぐる五つの講義』などに継承されていること、二一世紀のわたしたちの新たな組織基準が、両著の哲学が提示した「いたるところが中心であるような多衆の全世界的励起・胎動」の大方向にあること、この多衆の全世界的励起の観点からする、日本の旧・新左翼(日本共産党と黒田寛一「革マル派」)のスターリン主義的ミイラ化が論じられている。(二九六頁五行目のゴルバチョフをグロムイコとする誤植はチトひどい。)この章最後(八・九節)のカール・コルシュの再評価には、私もまったく同感である。

 

   

 

 第三部―前近代の人間結合原理と近代の人間結合原理との複合・重層―に移ろう(この部だけで三五六頁、つまり普通の本の一冊分は優にある)。第一章 今日のクリティカル・ポイントでの結社原理の組織論的再検討のために、においては、前近代とアジアにおける結社原理の特質(第一節)において、広く深く古今東西にわたる自発的ないし非自然的な結社=集団の典型把握をおこなわねばならないという問題提起のもとに、日本列島弧(沖縄を含む)、大陸中国での農業共同体社会の改造運動−大平天国の大同主義と毛沢東中国の人民公社、辛亥革命後の中国国民党と中国共産党の組織規約、前近代アジアの聖なる自給自足共同体の人倫的自己維持と、まさに百科全書的に、それぞれの節で最新の研究成果に依拠しながら、論が展開されていく。

 

 ただ、ここでいいだが何を強調したかったのか。私にはよくわからなかった(アジアの組織論的特性の把握は、近代ヨーロッパの基本的にデカルト的理性の心−身二元論に立脚する組織論的特性に収斂・回収させることはできないことを強調するためだったのか〔三八八頁〕、そして日本人の宗教生活は組織論的基準をもってすれば「宗教心の欠落」とみられるまでに無規律であったことをいいたかったのか〔四〇六頁〕。それとも第三部第二章以下のイントロダクションとして書いたのか? 多分最後の読み方が正しいのだろう)。

 

 三部第二章−毛沢東思想による無産階級文化大革命の顛末と総括、の主題は明確である。この主題について、いいだは、文革イデオロギーへの批判者の言動の詳細な紹介を通じて明らかにしていく。遇羅克(ユイセオユオ)の「血統主義批判」、李一哲の大字報「民主と法制」の出現、王希哲の「プロレタリア独裁論」、李一哲グループの大字報出現の意味(李一哲『大字報』は、楊曦光『中国はどこへ行く』とともに、中国革命史上不滅のマルクス主義的文献であると評価される(四三〇頁))。陳里寧の「新狂人日記」(劉少奇批判)から魏京生の「第五の近代化」へ(魏は周・体制推進の「四つの近代化」路線に対して、「五番目の近代化」=「政治の民主化」路線を提起、「壁新聞」『探索』発行、懲役一五年等を課せられたが、現在はUSAへ亡命して〈民主化運動〉を続行している。)

 

 第二章七節では、一九六八年世界反乱が、二一世紀初頭の現在では、他国籍=超国籍の金融独占資本とドル・核アメリカ帝国を基軸とするグローバル化に抗し、IMFWTOの「第三世界」債務奴隷化に反対し、米ブッシュ「ネオ・コン」権力によるアフガン=イラク戦争の先制ハイテク大規模攻撃に反対する、一千万人単位のマルチチュード(多衆)の大運動として胎動しはじめ、世界社会運動フォーラムへと多元的・重層的に組織的にも結集しつつあるとされる(前出)。中国においても「生き残った」紅衛兵の運動は、西単の「民主の壁」を埋めつくして再生して以来、「人権と民主化」運動の形態をとって持続しながら、今日、WTO加盟の共産党独裁国家中国の現代資本主義化[傍点−現代資本主義化]のもたらす諸矛盾の初歩的な蔟生(詳細は省略)に抗議する諸大衆運動との、合流の方向を模索しつつあると言える。(四六三頁)

 

 なお、毛沢東の評価については、いいだは、哲学者家馮友蘭の遺著『中国哲学史新編』(一九九二年)の概括を引いているが、「毛沢東は中国現代の革命において余人の立てえなかった功績を立てたし、また余人の犯しえなかった過ちを犯したのである。」(四六九頁)なおいいだの毛沢東評価については、それ以下四七八頁まで、また湖南省黒聯の『中国はどこへ行くのか』(六八二)の評価については、四七八〜八九頁、「五・一六兵国」の評価については、四九〇〜八頁、上海人民公社と革命委員会の評価、毛沢東の結論的評価、彼の組織論的総括については四九八〜五一〇頁、参照。

 

 三部第三章―ロシア結社原理の遡源的再検討。この章は第二章の中国における結社原理の複合的性格の歴史的考察に引き続いて、ロシア結社の複合的性格を〈土地と自由〉というナロードニキの暗殺テロル秘密結社から〈労働解放団〉)へ、さらにレーニンの〈ボリシェヴィキ〉へと遡源的再検討を試みるものであり、結合原理のスターリン主義的変質の源を、初期レーニンが挑んだ党組織論のメタ複合性の再切開にまで遡源する理論的・歴史的試みである。その試みを逐一フォローすることは紙幅が許さないので、とくに四節レーニン主義党組織論の再検討の注意点二つの第一点として指摘されている、十月革命において、レーニンのボリシェヴィキ党とともに連立政権の与党としての実績をもった「社会革命党」(エス・エル、その左派)の重要性の指摘についてだけ言及しておく(五二九〜三三頁)

 

 第二点は? それはどうやら次節第五節のゲルツェンがボリシェヴィキ=エス・エル農民運動の前史を形作ったことを指しているらしい。そして第三章は、第四章現代史としてのソ連邦の興亡史からレーニン主義党組織論の位置を問う、以下(第五章「民主集中制」の組織原則は不合理な根本的倒錯である。第六章−資本制ブルジョア世界における土地問題をめぐって、第七章不均等的・複合的発展下のロシア党組織問題まで)の、イントロダクションの性格をもたされているようである(文章の悪口をいってわるいが、これらの各章は便宜的に区切られているだけで、ダラダラと続いていく。したがって章ごとの短い要約は、もともと不可能なのだ)。そこで四・七章については評者が重要と考える論点だけを拾っていく。

 

 第四章。レーニン型党組織論は、最終的にはレーニン型党の解体にまでいきついた端初が、彼の一九〇二年の『なにをなすべきか』の党組織論的弱点に由来することが確認される(五九一〜六〇五頁)―弱点二点の指摘は妥当と考える。

 

 第五章。冒頭に中国社会科学院教授の李延明のレーニン「民主集中制」論批判がとりあげられている。彼はそれは要するに「服従」の組織基準であり、そこには黙示的に「中央は誰にも服従しない」が含まれており、党国家独裁におけるスターリン・毛の「個人崇拝」に帰結した超中央集権主義が生じる組織論的根源がある、と指摘している。その他、二、三の興味ある紹介(仙波輝之『レーニン一九〇二〜一二 前衛党組織論』論創社刊、一九八二年。いいだはこの研究を極めて高く評価している。第四章一、九〇二〜二一頁参照)もある。

 

 第六章は、第四部のみならず、本書全体から見ても、もっとも難解な章であるように、私には思われたが(私自身この章を完全に理解しえたなどとはいえない)、マルクスのザスーリッチへの書簡の意義、マルクス「地代論」の理論的位置とグラムシの『獄中ノート』における「南部問題のいくつかのテーマ」(いわゆるザバルタン問題。いいだは、グラムシのへゲモニー概念の再々定義の必要を説く)、さらにそれとのかかわりで、ラクラウおよびラクラウ=ムフ夫妻の諸労作をとりあげ(六七〇頁。この辺は私も読んでいる)、さらに花田清輝の『近代の超克』の柳田国男論や、彼の深沢七郎の「楢山節考」への高い評価に触れ、近刊の鶴見太郎『民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち』(中公新書、〇四年、第六章一二四〜五頁。この本の拙評は、『もくの会・通信』第四二号、一〜三頁、参照)の文章に賛成している。花田の「前近代を否定的媒介とする近代の超克」テーゼの解釈(近代の否定を支配的要素とし、前近代の否定を媒介的要素として一元的に結合する重層的決定である)には、私も賛成する。

 

 第七章について。ここでは、ツァーリズム下の農民共同体とスターリニズム下の集団化農場の関係、ザスーリッチにはじまりクルプスカヤ、コロンタイにいたるロシア革命の女性群像、レーニン生前時代とスターリン時代の党規約の比較などの興味深い論点が検討され、最後にロシア党組織の形成過程についての組織論的小括が与えられている(七一四〜七頁)。この小括は、全文が紹介されるべきであるが、紙幅がそれを許さない。そこで最後の一節のみ、そのまま引用する。

 

 初期レーニンの『なにをなすべきか?』『一歩前進二歩退却』以来の「宿痾」ともいうべき、外部(上部)注入的な社会民主主義的意識の観念的形式化、ウルトラ中央集権主義的な党国家独裁化の傾向は、ソヴェト・ロシア革命の全経験で鍛え直された党とソビエトとの有機的関係性の一形成の「隙間」にも残存して、潜在的に温存されながら、かれ自身の「在世」権力期においても、国内外の現実的諸困難と対処する上でのボリシェヴィキ単独権力の事実上の形成とそれへの固執という形をとって再び呪縛的な鎌首を持ち上げ、レーニン死後のソヴェト社会主義諸共和国連邦=労農・多民族的国家の「官僚主義的堕落」の是正の方策の混迷・分岐・確執を避けがたくし、その組織的結果は一路、スターリン時代における労農・多民族国家の分解・分裂・解体、「プロレタリアート独裁」の「プロレタリアートに対する独裁」(マルトフ)への変質、スターリン「超個人独裁」下のソ連邦の「囚人=収容所群島」への転化に向かって突き進んで、ついには一九九一年におけるソ連邦共産党・ソ連邦自体の全面崩壊にまで帰結して、二〇世紀的現代史の幕を下ろさせるにいたった、と総括的に看ることができる。(七一六〜七頁)

 

 私はこのいいだの総括に基本的には賛成である。また四部第一章ともかかわる論点であるが、私はももさんと、レーニンによる憲法制定議会そのものの実力解散(二月六日)が「最初のボタンのかけちがい」であり、その結果としてソヴェト国家はついに「憲法制定会議のソヴェト独裁への順応」という「統一的タイプ」の国家の創発・創生に行き着けないままに、その崩壊、多民族協和の崩壊といった基盤そのものの崩壊を介して、二〇世紀的現代史の巨大で悲劇的な運命的存在ではあったが一エピソードとして消え去ってゆく運命となった」(七七頁)という評価では一致している。

 

 意見が食い違うのは、クロンシュタット反乱水兵の基本要求は何であったか、その要求の受け留められ方にかかわる。いいだの解釈によれば、戦時共産主義政策から新経済政策(NEP)への転機となった、一九二一年のクロンシュタット反乱(ならびにマフノ農民一揆、ペトログラード労働者ストライキ)は、まさにレーニン、トロツキーにとっても、労農同盟の「統合」「合意」の崩壊も告知した執政党=ボリシェヴィキ党の「不安定」「分裂的危機」(「第三革命」を呼号したクロンシュタット反乱水兵は「ボリシェヴィキ政党ぬきのソヴェト権力」という“党の没落”スローガンをかかげていた)として受け留められた。(後略)」(五六七〜八頁)とする。また同様な表現は、七一〇〜一頁に見られる。「クロンシュタット軍港叛乱に直面して「ボリシェヴィキぬきの第三革命の貫徹」を檄した水兵(労農兵ソヴェトの化身)を容赦することなく軍事的に鎮圧しながら、いわばその血の滴っている刃を返して、開催した第十回党大会において戦時共産主義政策から新経済政策への戦略的転換を決行する、という離れ業を演じつつあったレーニンにとっては、その転換的危機とは生やさしいものではありえないものとして深刻に受け留められていたのである。」(その次の節も参照、七一一頁)。

 

 さて、私がいいだの以上の説に疑問を抱くのは、クロンシュタットの水兵たちが、「ボリシェヴィキぬきのソヴェト権力の復権を目指す第三革命の貫徹」を檄した、という史・資料的根拠が確実なのか、という点である(いいだとの電話でのやりとりでは、この要求は、水兵たちの綱領的要求の第一条にある、ということであった)。しかし私が別のルートで確かめたところによれば(これは愛知県岩倉市在住の宮地健一氏の研究〔『象』四九号五〇号および五一号、『ザミヤーチン「われら」と一九二〇、二一年のレーニン』上・中・下および同氏のホームページにおけるクロンシュタット叛乱の文献的研究による〕)、クロンシュタット臨時革命委員会の正式なスローガン第一条は、「全ての権力をソヴィエトヘ、だが政党ではなく」であって、この委員会は、第三革命ともいってはいる。しかし「ボリシェヴィキ抜きの第三革命」とか「ボリシェヴィキ抜きのソヴェト」というスローガンは掲げていないとのことである。

 

 大薮龍介教授はこれらはヨーロッパ亡命カデット指導者ミリューコフがふりまいたスローガンであり、レーニンはそれをあたかも臨時革命委員会が掲げたとして利用した、という説である。この論点は、専門家の今後の鑑定を待つべきものではあるが、もし臨時革命委員会の正式スローガンが、上記のようなものであったとすれば、レーニン・トロッキーは、埴谷雄高流にいえば、「奴は敵だ、奴を殺せ」という(権力)政治の論理によって、大量のソビエト擁護・支持の大衆を溺殺・銃殺したという結論は避けえないであろう。この点については、いいだ氏の見解を聞きたいと思う。

 

   

 

 四部―レーニン型党組織論の脱神話論化、に移ろう。これも総ページ五五〇頁の大論文である。

 第一章―ボリシェヴィキ党単独権力の自己維持からその政治的フィクションの最終崩壊へ、では、一、移行過程のさまざまな道の具体的多様性 二、複合的全体の重層的決定の問題 三、農民問題・民族問題に絞っての不均等的・複合的・重層的発展の傾向性(その結論部分は、「資本家社会によっては解決不可能の問題構成として、二〇世紀に提示された構造問題としての『農民問題』『民族問題』は、『社会主義』もまたその『解決能力』を持ちえないことを自己暴露して世界舞台から退場した今日においても、二一世紀に課せられた最大の問題として、事情と形態を変えながらいぜんとして第一級の『世界文明』問題として、おそらくは地球生態系の『環境問題』と不可分に関係した難問として、提示されつづけている」というものである。七四五〜六頁)

 

 ついで、四、最終的総括として〈党規約第一条〉論争(これはロシア社会民主党労働党第二回大会、〇三・七・一七〜八・一〇、ブリュッセルならびにロンドンで秘密裡に開催されたもの)=端緒の総括の確定、がおこなわれている(七四六〜六六頁。レーニンの行動の権力主義的でたらめさが暴露されている)が扱われ、五で憲法制定会議実力解散という最初のボタンの掛け違え(七六六〜七七頁)が論じられるが、その結論は、先に紹介した。六節では、ボリシェヴィキ党単独権力の自己維持とその政治的フィクションの最終崩壊が論じられる(七七八〜九五頁)。

 

 この節のおわりで、いいだは、今日の時点での心情告白を行っている(文章は部分的に省略している)。彼は、第三インターを創設したレーニン、トロツキー、ローザが、プレハーノフ、マルトフ、カウツキー、ベルンシュタインの旧社民の領袖たちから理論的・実践的に訣別したことを、歴史上一回限りの、そのかぎり歴史的判決が確定した取り消し不可能・後戻り不可能の義挙として、全面的に肯定する立場に立つ。しかしその歴史的選択が、一〇月革命以前に、トロツキー、ローザが初期レーニンの「民主集中制」組織観・組織論に加えた批判の正当性の再確認、歴史的忘却からの救出と十二分に両立しうるし、両立させねばならない、とする。

 

 第二章 「改めてレーニン=ボリシェヴィキの分派闘争の閲歴の精査」、七九八〜八六七頁。興味深い点だけをひろっておく。レーニン『唯物論と経験批判論』(一九〇九)が策謀的な組織戦術の哲学的扮装であり、哲学的・政治的愚著にすぎないというももさんの断定に私は全面的に賛成する。『プラウダ』創刊にかかわるレーニンの軍資金の専有を目標とする詐欺まがい行為の指摘(八三五〜六頁)も重要。ただ、いいだの『帝国主義論』評価は高い。一九〇五年の「労働者代表ソヴェト」が大衆的創意の産物たることの確認。他方、レーニンの歴史的構想力、歴史的適応力は高く評価されている(八六七頁)。

 

 第三章 「パラダイム・チェンジの相のもとでの党組織論の布置変化―「帝国主義論」論」。全文三〇頁で短い。ここでいいだの主張したいことは、本章末尾の二つの節に要約されている。つまり、レーニンが第一次大戦の勃発を「天佑神助」として「内戦」の道、十月革命の勝利に導いたことは、永世不朽の歴史的功績だ。しかしこの勝利に籍口し、ソヴェト権力の後光を背景にして、「過去の社会民主労働者党の分裂・退潮状況における自己=ボリシェヴィキ党の分派闘争の在り方を合理化し、……レーニン在世期のソヴェト国家におけるボリシェヴィキ「単独」権力へといたった惨憺たる歴史的経過を合理化するようなことは」許しえざる思想的・理論的政治的誤り、政治的頽廃だ。これがもも氏のいいたいことだ(八九八・九頁)。

 

 第四章―「レーニン型党組織論の原点の洗い直しによる最終総括」(全頁九五)。この七節から成る九五頁を、千字程度に要約することは不可能だ。この章の後半では、官僚制的合理化の現代的運命が、ウェーバーの国家論・合理的官僚支配論を援用して論じられ(第四節)、神は死に、人間も死んだ物象化社会の到来がマルクーゼ等の諸説を援用して論じられ(第五節)、最後に今日的ジレンマをヨーロッパ文明の古典古代ギリシャ的初源にまでさかのぼって論じる。より具体的にはプラトン『国家』がなぜ「哲人王」個人独裁の「共産主義政治」を提示したのか、の原因追求にまで遡及されて論じられるという、ももさん一流の大議論にまで展開されているのであるが、ここではこれらには物理的紙幅的につき合いきれない。

 

 そこで、前半の一〜三節だけに限定して興味ある論点を紹介・指摘する。第一節では仙波輝之の提示した(シクロフスキー問題)(これについて専門家は知っているが、説明は省略)が論じられているが、要するに晩年に近いレーニンは、彼自らが党書記長に実質的に抜擢したスターリンとその一味に(しかも彼の組織観と幹部政策の忠実な継承者としてのスターリンに)、その意向は無視されがちとなり、その古くからの人脈は切断され、中枢から実質的に排除された「レームダック」(これは田口の表現)に化していたということである(九三頁)。

 

 第二節―レーニン型党組織論的基準についての三点要約は、()「陰謀組織」と、革命意識の外部(上部)注入=「職革組織」との結合によるボリシェヴィキ党において、その陰謀組織は党内部に対しても作動力をもたらし、()党権力を内部のどのグループ・分派が握るかで「醜悪な暗闘」をくりひろげることになる(とくに第十一回党大会での「分派禁止令」が布かれて以降強くなる)。()レーニンとスターリンとを、一方が絶対的善で、他方が絶対的悪として対極に置き、「歴史的切断」を主張する立場は、御都合主義的政治主義か、空論主義にすぎない。いいだは、彼のこの大冊を、ソ党史、中共党史を規範として国際的に共有化・普遍化された党組織論の歴史的特質―唯一前衛党、民主集中制、一枚岩の党、大衆運動に対する指導・統制・操作・異論の禁圧と粛清などの「一体系」をなしていたもの―をその歴史的経験に即して全面的に批判的な再検討を行うことを主願として書いた、と述懐している(九二四〜五頁)。

 

 第三節―ソヴェト権力の革命勝利の眩惑、勝利の悲哀(九三〇〜九四八頁)で、私がもっとも注目したのは、次の一文である。「そうした、DIAMAT体系の普遍性強制の亢進の極、スターリン主義体制の一党独裁国家は、ヒトラー主義ナチス体制の一党独裁国家と、超個人崇拝・独裁の自己絶対性ならびに自己不可謬性に立脚する、あるいは君臨するその「全体主義的性格」において相依の党国家に化した」という文章である。そのような依而非共同性と擬似普遍性からの根底からの脱却の歴史的必要性―その脱却の方向としていいだが示唆するのは、マルチテュードの根茎状のフォーラム型社会運動(五頁)―である(九四七頁)。若い頃の私(田口)自身は、この二つの体制の異質性を立証しようとして努力したこともあったが(篠原・永井編『現代政治学入門』有斐閣一九六五年三月、一二八〜三○頁。そのさい私はデゥヴェルジェの「政党論」を援用している)。いまはももさんと同意見である。

 

 さて、第四部では、なお後半、第五章から第八章までが残っている。章名と各章の頁数だけをあげておこう。第五章 党組織論の歴史的経験の世界遍歴物語(オデュッセイア)をおわるに当って(九九頁)、第六章 神と人間の終焉以後にいかなる主体か(四九頁)、第七章、章名、略(一〇七頁)、第八章 二一世紀的未来へと遺贈されている理論的核心問題(二一頁)。

 

 各章でなにが論じられ、評者の観点から興味があった論点のみをとりあげていく。

 

 第五章では、一節で、近代社会における人間関係の組織的結合原理との比較考証の一対象として、鎌倉時代の親鸞の「同行・同朋衆」という組織的結合のあり方がとりあげられている。(二節はマルクス主義組織論の歴史的検証のくり返し)三節で「世界社会フォーラム原則憲章」が木畑壽信の研究を通して紹介され、四節でレーニン主義党組織論の総過程の光と影がくり返して検討される(レーニン在世期とスターリン制覇期の連続面が再度強調されている)。五節で憲法制定議会実力解散問題が、再度批判的に再審される(ローザの批判の正当性が再確認される)。六で西欧革命の退潮とソヴェト権力の変質に直面しての「総退却戦術」への転換が論じられ(フランス共産党のボリス・スヴァーリンの見識と先見の明の再評価がなされている)。

 

 七節〜九節は、これまでの議論の再論である(七は歴史的方法論整理の注意点、八、九はロシアの土地、農村共同体問題について、またソヴェト・ロシア革命の死命を制した農業・食糧問題について(宇野弘蔵の農業問題の初期労作の評価、あるいはメドヴェーヂェフの『ソヴェト農業』の肯定的価値を通して))。一〇九四〜五頁には、クロンシュタット反乱が、ソ連邦史にとって消えざるトラウマとして残りつづけただけではなく、十回党大会における「分派禁止令」への転轍、レーニン発意によるスターリンの党書記長への任命をも介して、その後の悲劇的事態への出発点になったことが、シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』の皮肉なコメントを引用して確認されている。

 

 第六章では、一九九一年のソ連共産党とソヴェト崩壊の原因となった、ソ連の十年間に及んだアフガン侵攻が、ボケ症状の老ブレジネフと彼を支えたスースロフが、当時のUSACIAの罠にまんまとはまったものである公算が大きいといういいだの判断が示される。また九・一一事件以後の現代世界の今日的位相が詳細に分析されている(一一一八〜三二頁)。今後の見透しとしては、「人類は近未来において、アフガン・イラク戦争の最終的大破産とともに、ドル本位制変動相場制=国際通貨体制の世界史的崩壊に見舞われることになるにちがいない。」(一一二五頁)という。この予言当るか?

 

 第七章で、いいだが、未来への理論的問題構成として提示しているのは、彼の超博識、博引旁証をあえて平板化していえば、()「いわゆる資本の本源的蓄積」の問題を歴史と理論史をふまえて、今日どうとらえるか。()マルクスにおける「循環の弁証法」と「移行の弁証法」との関係性の問題(宇野弘蔵・梅本克己の対論『社会科学の弁証法』で論じられた)―この点のもも氏による解説は、一六一五頁に一頁を使ってなされているが、残念ながら全文引用する紙幅はない―。

 

 ()インド開発の「資本の文明開花作用」とインド文化破壊の「帝国の」との両義性! この点について、いいだは、小谷汪之『共同体と近代』、『エヨーディアで何が起きているか』の二労作が、マルクス所説の訂正、マルクスの時代的限界の踏み越えを、マルクスの理論的方法によってなされたものとして高く評価している。さらに、人類社会史のそもそもの初源を「原始共産制」「本源的共同体」として設定するマルクス「発展段階」論の起動力自体に再考を促す、中村善治の『日本の村落共同体』『日本社会史』等において、自然生的共同体は、「無階級社会」ではあったが、同時に「身分的支配社会」でもあったとして「原始共産制」という概念に反対する中村の所説を紹介している。

 

 ()共同体と共同体の関係−戦争・贈与・互酬・再分配・商品交換・女性婚姻・文化交流。もし問題構成(設定)が、近代資本制社会への西欧的移行・転化の歴史的次元を越えて、無階級社会から貢納制社会ないし身分制的階級社会への移行・転化の原古にまで遡源されて全面的に再考査されることになれば、将来社会についてのマルクスの抽象的イメージの再考に向かわざるをえないであろうという。

 

 六節で、いいだは、共同体間のフェアケール関係として、ポランニーの非市場社会における「互酬」と「再分配」、市場社会における「市場交換」、戦争・征服・掠奪、さらに宗教概念を加えれば、大略、マルクスの社会統合編成概念になるだろうという。七節で、もも氏は、アルチュセール、ブルデュー、モース、サーリンズ、伊藤幹治(『贈与交換の人類学』一九九五年)、アンドレ・ゴルツなどを参照にしつつ資本主義原理論を原理論たらしめる(内面化)の論理と機構を問題とする。この(内面化)の論理というのは、いいだの説明によれば、位相学的な理論生物学のロジックと相依的・相同的なのだそうであって、(知)の「言語論的転換」の学問的標語を、経済学としてもキャッチ・アップ的に消化して、内側からの自己言及的な「認知」システムを内蔵しなければならなくなっているというのである。この難解な命題を自信を持って解説することは、いまのところ残念ながら私にはできない。いいだの原文およびそこで言及されている、「生態学的弁証法」(庄司興吉)、「前進=背進の円環法」(植木豊)、佐藤良一編『市場経済の神話とその変革』(〇三年)および著者の原文(一二三一〜三頁)に、読者が直接にあたられることを希望したい。

 

 第五に(八節)、フッサールの『幾何学の起源』にデリダがつけた原文(一九八九年)に言及しつつ、いいだは、「初回性」の起源神話と「くりかえし性」の脱神話化=浄化(カタルシス)という表題で、マルクス経済学(批判)の方法的自覚における分析法と叙述法、それらによる内部=外部の円環化的弁証法体系化についての、デリダ的言い廻しを踏まえた長原豊論文(『市場経済の神話とその変革―〈社会的なこと〉の復権』法政大学出版局、〇三年)から、六頁にわたる引用をおこなう(一二三四〜八頁)。

 

 第六に(九節)、『サヴァルタンは語れるか』で有名になった、ガヤトリ・スピヴァクの『ハーヴァーストック・ヒル平原からUSAの階級空間(クラス ルーム)へ、理論の左とは何かのなかの理論に何が残されているか』(二〇〇年、評者未読)から、いいだはこれまた長文の引用およびその解説をおこない、またグラムシとスピヴァク(インドの低カースト出身で、アメリカでマルクス主義理論家として活躍している)の「サバルタン=従属諸階級」論の対比をおこないつつ、後者の「コーダ」十箇条をとりあげてこれに批判的に対峙している。いいだのスピヴァク女史の言説に対する批判は、一二五〇〜三頁において展開されており、この批判をふまえて、本書の結論が、四部第八章「二一世紀的未来へと遺贈されている理論的核心問題」において示されている。

 

 第一は資本主義のについて。沖公祐の「資本主義の物質性」論文等を援用しての、価値形態論では使用価値が商品身体の意味で使われていることの確認。

 第二にこれも沖の議論に依拠した、蓄蔵貨幣と過剰な資金についての言明。

 第三は、価値形態論の四形態論(第一形態「物々交易」「贈与交易」、第二形態=ローカル・マーケット(局地的市場)、第三形態=一般的等価形態、第四形態=貨幣形態)。

 この議論においては、今村仁司「マルクスにおける歴史的時間の概念」(〇四・四)および、長原豊「われら瑕疵ある者たち」が引証されている。

 

 本書の結論を、最後に引用しておこう。

 「以上、世界いたるところでの重層的・多様的な状の結集による主体的再生の胎動が開始された二一世紀初頭における、それらの一千万人規模の行動的胎動と深い理論的深層において連動している理論的核心問題を提示して、マルクスVSマルクスというマルクス主義的立場・方法に立脚しての本書の組織論的歴史概括と歴史構想をおえる。現在、ノーム・チョムスキーが提示しているように、(覇権か、生存か)が、それぞれの人びとの胸に活殺の刃を突きつけるように鋭く問われている。資本と帝国の全球的な覇権のグローバリゼイションか、それとも地球と人間の生存か―今日のわたしたちは、この人類文明史のクリティカル・ポイントに立って、心深く期するところがなければならない」

 (二〇〇四年三月二〇日擱筆、二〇〇四年八月三一日校正時補筆)

 

 最後に評者の総評を一言。

 本書は、日本のマルクス主義者によるマルクス主義の歴史と理論、特に党組織論の歴史的経験についての、国際的にも類例を見ない全面的・普遍的な、かつ二十一世紀への実践的展望をもさし示す大著であり、われわれがそこから学びうるものは、甚大である。著者の一層の健筆を祈る。

(二〇〇五年二月一二日)

 

 

 いいだもも(飯田桃)略歴と主要著書

 

 1926年東京生まれ。東大法学部卒。

 主要著書―『20世紀にとって(社会主義)とは何であったか』 『日本共産党はどこへ行く?』論創社、『新コミュニスト宣言』(共著)社会批評社、『日本共産党を問う』三一書房、『現代社会主義再考』(上下)社会評論社、『コミンテルンと民族・植民地問題』社会評論社、『転向再論』(共著)平凡社、『検証内ゲバ』(共著)(上下)社会批評社、『斥候よ夜はなお長きや』角川書店、『核を創る思想』講談社、『エコロジーとマルクス主義』緑風出版、『21世紀の(いま・ここ)−梅本克己の生涯と思想』こぶし書房、『検証党組織論』社会批評社。

 

 

 田口富久治のHP掲載論文5編と加藤哲郎による書評

 

    『どこへ行く日本共産党』

    『21世紀における資本主義と社会主義』

    『マルクス主義とは何であったか?』

    『丸山先生から教えられたこと』。丸山批判問題

    『丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」』

 

    加藤哲郎『田口富久治「戦後日本政治史」書評、および私的断想』

 

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 (関連ファイル)

    『見直し「レーニンのしたこと」−レーニン神話と真実』健一MENUファイル多数

    いいだもも著作注文『amazonでの注文』45件の著作リスト