のんびりと・・・
本日は、のんびり出発なのだ
8:30にホテルを出発!
まずは、スラ・スラン
何度も目の前を通過している遺跡である
遺跡と言うより、巨大なプールなのだ。
王様の沐浴場だったとのこと、700m×300mの巨大な人工池である。
ここでも物売りの子供たちが近寄ってくる
今では、全く目にしなくなったが、
昔(30年ほど前)は、日本でも良く見かけた遊びに興じる子供たち。
「ゴムとび」 である。
日本では、主に女の子が遊んでいたと思うが、こちらカンボジアでは
男女仲良く遊んでいる。
長さ数メートルのゴムひもを使い、楽しそうに飛び越えている。
さっと
へぇ、懐かしいなぁ・・・
近寄っていく
我々観光客に気づくと、いっせいに 「物売り」 に変身する。
いや逆?
本職(?)が、物売りで、客が居ない間に遊んでいる感覚かもしれない。
さりげなく無視をし、やり過ごす。
その後、アンコール・トムのバイヨンに似た、バンテアイ・クディを見た後
本日のメイン、「タ・プロム」 へGO!
おおっ
・・・!
圧巻・・・
息を呑む、
映画 「トゥームレイダー」 だったかな?
で、ロケ地になった場所なのだ。
映画を見たときは、CGだと思っていたんだけど、
本当にこんなところが存在するんだ、
自然の力と言うか、時のすごさと言うものが、言葉を失わせる。
・・・・(言葉がでない)
へ? 説明してくれなきゃ分からない?
そうですね。
それでは、説明しよう!
(ヤッターマン風に)
1.クメール人が建造物を造る
2.なぜかクメール人が建造物を見捨て、旅立つ
3.あるとき、タネが建物の屋根の上に落ちる
4.芽が出る
5.屋根の上で木が伸びる
6.根も伸びる
7.根っこが屋根を突き抜け地面に到達
8.木と一心同体になった遺跡の完成で〜す!
(『ちゅーぼーですよ』 の堺正章風に)
へ? まだ分からない?
写真でどうぞ!
自然に飲み込まれていく、人工建築物
ここは、復興せずあえて現状のまま見せているとのこと、
と言うより、巨木を取り除こうにも建物に食い込んでいるため
建築物まで壊れてしまう、また根が腐ることで地盤沈下が起きるらしい。
タ・プロム遺跡自身が
「えぇい! こうなったら煮るなり焼くなり好きにしろ!!」
なのか
「いや〜んも〜ぅ、どうにでもして・・・」
てなことを、思っているかどうかは知らないが
見た目にはそんな状態なのだ。
そんなアホな事を考えているオイラの横では
足の無い、地雷の被害者たちが募金を募るため、演奏会を開いていた
痛々しい、少々の募金をすることはたやすいが
本当にそれで解決するのだろうか、などと逃げ口ばかりを考え
横を足早に過ぎてしまう。
う〜ん、島田紳介のようにカッコよく振舞うことはできないですね。
なぁ〜にぃ〜
さぁ、気分を切り替えて次に行こう!
今度は、タ・ケウ
昨日のバコンとアンコールワットを足したような造りである。
見上げるだけで、気が滅入るほどの急階段が続く遺跡である
上方にそびえる祠(?)に行くまでの道のりも定かでない。
登る前から躊躇している数人をよそに、我々2号車の面々は
果敢に頂上(?)を目指す。
そこへ1号車が到着
ほどなくドアも開けず、1号車が走り去っていく・・・
???
2号車の面々は、例のごとく大きな段差が続く遺跡の階段に苦労しながら
上を目指す。
誰だぃ、こんなでっかいものを造ったやつは
意味の分からない愚痴をつぶやきながら登る
そこへ現地の少年が数人現れ、
親切に、こちらから登ると階段が緩やかだよ、
とでも言うように道を先導し始めた。
我々「なぐなぐいちみ」は、直登あるのみ
(※直登:まっすぐに頂上を目指す事)
少年らには目もくれず黙々と登る。
数名の2号車メンバーがやさしい少年の後に続き、緩やかなルートをとる。
やったぁ、頂上だ!
と、山登りのような達成感を味わい、そこから見る雄大な景色を眺めると、
すぐさま、その裏側へ降りはじめる。
とそこには、僧侶が居て、火のついた線香を差し出した、反射的に受け取り
何となく、お祈りを捧げ線香を供える。(無神論者なのにここまで来て祈るとは・・・)
祈り終え、顔をあげると、その僧侶が手を延ばしてきた。
線香代をよこせと謂うのだ。
内心 「やられた」
と思いながら、1000リエル紙幣を差し出す。
4000リエルで1ドルなので、1000リエル=約25円
3人分の線香代だ。
ぼったくられた感を抱きながらも
何となく、『宗教』 の看板の前に屈する我々であった。
やられちまったなぁ
いやいや、我々はマシであった。
やさしい少年に先導された、オバサン3人組は
道案内代として1$×3人分要求されていたのだ!!
1$=100円と思ってはいけない
公務員の月給が60$のこの国において
15分の道案内で3$は、ぼったくり以外の何者でもない。
3$を月給の20分の1と考えれば、
月給20万の日本人であれば、1万円相当だ。
新橋あたりならタラフク飲み食いできる。
気を取り直して次へ
本日最後は(と言うより旅程最後は)、トマノン
珍しく、左右が非対称の遺跡である。
正面から見ると微妙に左に傾斜している
昨日のロレイのように半壊状態と言うわけではないが
こちらも近いうちに修復をしないとまずい状態になりそうである。
ただ、昨日も書いたが1800もの遺跡があるカンボジア
自分たちが食べていくだけで必死な人々に
修復しないとやばいよ、というのは酷な話である。
ゆったりと
何度もカンボジアを訪れている添乗員さんも
この遺跡は、初めてとの事で、かなりマイナーな遺跡のようだ。
人影もまばらでのんびりと散策できて
意外にこういった遺跡のほうがカンボジアを満喫できるのでは?
と思ったおいらであった。
近距離で複数の遺跡をめまぐるしく回り
これで遺跡めぐりはすべて終了! である
本日は、宿泊しているホテルの日本食レストランで天ぷらそば定食
私は、わざわざ海外まで来て日本食を食べなくてもよいのに
と思う派なのだが、みなさんはどうでしょう?
ローカル料理(口に合わなくとも)がもっと食べたかったのだ。
中途半端な日本食
コロッケは、こちらで良く口にした香草の味がした。
これでは、日本食を望んでいる人たちも満足はしまい。
イライラする人たち
ここでは、珍しく1号車の面々と遭遇した。
(空港以来、ほぼ初顔合わせである)
先に到着していた1号車のメンバーは、
食べるのが早い人から席を立とうか、というところであった。
「ビール代どうすればいいんだ!」
50代後半とおぼしき男性が
高圧的な口調で1号車のガイド(添乗員)に詰問している。
金を払うとすぐに男性は、立ち去ってしまった。
我々2号車の雰囲気とは、全く異なる
1号車のテーブルの周りから漂う冷たい空気
後で、我々2号車のガイド、K嬢から聞いた所によると
先ほどの「タ・ケウ」で、1号車が一瞬立ち止まっただけで
走り去ったのは、誰も外に出たがらなかったのだと言う。
声の大きい人の 「もう歩くのはいいからホテルへ!」
にみな従ったようだ。
つまらん
何のために高いお金と貴重な時間を使って
ココへ来ているんだ
「こちら(2号車)の担当でよかったです・・・」
ボソリとつぶやいたKさんの言葉が印象的であった。
我々も同感である。
旅行から帰ってきて思い返してみると
2号車は和やかな雰囲気とせっかく旅行に来ているのだから
楽しくいきましょうという気配りを皆がしていたのだが、
1号車は、個人主義というか、金出して来てんだから
私がなぜ気を使わないといけないの?
みたいな雰囲気だったのだ。
実は、今回1号車と2号車の大きな違いは
泊まっているホテルのグレードであった。
2号車は、どうせ旅行に行くのなら贅沢にいきましょう派の人々
1号車は、ほとんど外出しているのにホテルに金かけるのはどうなのよ派の人々
だと思われる。これがこの雰囲気の原因なのかどうかは分からない。
が、オイラは少なからず影響があったと思っている。
話を戻そう。
今日もその後は、恒例のお昼休み
3時まで休憩、また昼寝なのだ。
(ホテルと目的地が近く便利なのだ)
・・・な人々
その後、東南アジア最大の湖トンレサップ湖へ出発!
乾季でも琵琶湖の6倍、雨季になるとなんと10倍にもなる。
想像のつかない大きさである。
ここでは、いままでにない衝撃的な光景を目にするのであった・・・
(CMは流れないよ)
ツアー行程表の文言は 「遊覧船に乗り、トンレサップ湖を遊覧」
ところが、湖に近づくにつれなんだか怪しい気配が漂ってきた
湖の土手に並ぶ家屋は、
今までの遺跡近くの陸地に建っていた 高床式の簡素な家屋とは
比べ物にならないくらい貧粗であった。
我々の乗るバスが跳ね上げる土煙で
赤土をかぶり、泥だらけの家屋
桜島が噴火した後の鹿児島の様子に似ている。
違いは、白灰か、赤土かだけである。
(家は比べ物にならないくらい みすぼらしいが)
雨季の増水にも耐えられるように
超高床式になっていて
木の代わりに竹を組み合わせただけの家に
家族が住まう風景は、なんともやるせない。
赤土に関して言えば、我々観光客のせいなので
申し訳ない気持ちでいっぱいである
売人(うりびと)
打ち揚げられた、たくさんのゴミと共に遊覧船は
桟橋に結わえられていた。
バスから降りた途端に鼻を突くドブ川の匂い
遊覧船というより、川魚の釣り船に屋根とイスをつけただけの代物で
実際、エンジンはどうみても自動車のそれであった
エンジンから伸びるドライブシャフト、
タイヤの代わりにプロペラがついている。
激しい振動と、音を立てて出航!
湖面の水しぶきと心地よい風が通り過ぎてゆく
とはお世辞にもいえないが、
やっとこの濁った湖水の匂いに慣れてきた時
後ろからちっちゃな木製ボートが水しぶきを立て現われた。子供たちが数人乗っている。
すると、スルスルと近づき併走し始めた
「あっ・・」
ボートに乗っていた子供がひょいと
我々の遊覧船に飛び乗ってきた。
物売りだ・・・
薄汚れた小学生低学年くらいの女児が
フルーツとジュースを手に持って、ヒタヒタと歩き回る。
なんだかかわいそうだが、少し嫌悪感も感じる。
目を合わせないように乗客はいっせいに目を伏せる。
すると、すぐに仲間のボートが再び近づいてきて
少女がぴょんと飛び戻ると、あっという間にどこかへ行ってしまった。
別の獲物(売り場)を探すのだ。
下を向いた時、ボートの底からは、じんわりと水が漏れてきていた。
あの汚い水だ。
水上人(すいじょうびと)
今までの経験してきた世界とあまりにも
かけ離れた世界で、まるで現実感が無い。
映画 「ウォーターワールド」 をご存知だろうか?
映画で描かれたような、荘厳な青い海ではないが
ここは、おうど色に少し緑を混ぜたような湖面で生活する
路上生活者ならぬ 「水上生活者」 が集うコミュニティであった。
彼ら彼女らは、
ず〜っと24時間水上で生活している(生活せざるを得ない)のだ
そのため水上にすべてが揃っている
家も下半分が船になっている(引越しは超簡単!)
同じように、学校、スクールバス(ボート)などもあった。
教室はおろか、体育館まで浮かんでいる(水上バスケットコートなのだ!)
吉幾三の歌とは逆で、
「バーもある、レストランもある、お土産やもガソリンスタンドもある」 のだ
さすがに牛はいなかったが、豚を飼っている家(?)もあった。
お土産やには、見世物の水槽があり
ワニや湖で捕れる(と思われる)魚が泳いでいた。
桶上人
舟が手に入らない子供は、なんと 「たらい」 に乗って移動している。
お笑い番組で上から落ちてくるあの 「かなだらい」 である。
その中に座り、オール一本で器用に漕いでいる。
小さな点にしか見えなかった大海原に浮かぶ物体が
たらいに乗った 「一寸法師」 だと分かった瞬間
遊覧船に乗った我々は、おおはしゃぎである。
「すげ〜」
どこから漕いで来たんだ、こんな距離・・・
カメラを構える
望遠レンズから見えるその子供
片腕が無かった・・・
見世物のように笑っていた顔が、そのままひきつり凍りつく
彼は遊んでいるわけではない、必死なのだ。
途中の売店(ドライブイン?)でトイレ休憩をしたあと
帰路につく
その脇では、小さな舟に子供が4人乗っている、物乞いだ
リーダー格は、7〜8歳のお姉さん
腕には1歳にも満たない弟を抱える。
お姉さんの横に、2〜3歳の妹・弟が起用にバランスを取って立っている。
停泊していた別の大型遊覧船が始動する。
船体の横から水を吐き出しながら向きを変える。
無常にも子供の乗った舟にまともに水がかかる
バランスを崩すまいと真一文字に口をつむる幼児たち。
う〜ん見ていてつらいなぁ
帰り道は、誰もが無言だ。
観光と称してこんな生活の場に入り込んでよいのかなぁ
魚とりをして自給自足をしていたはずなのに
物乞いのようなことを覚えてしまっている子供たち
かわいそうにと思ってお金を上げてしまう
これが逆効果、悪循環になっている。
重い問題だなぁ
すれ違い様、別のボートの水しぶきが飛んでくる
臭い匂いで現実に戻される
観光人
陸に上がると道路は大渋滞
交通ルールの無い無秩序ワールドである。
我先に少しでもスペースが空くと割り込んでくる車たち
さらにそんな中方向転換をしないといけない我らがバス。
乗っている我々もハラハラドキドキである。
格闘すること数十分、やっとバラック街から抜け出したバス
これで本日の旅程は終了である。
あっ!
そういえば、最後にお土産やに寄るのであった。
本日寄ったのは、「アンコールクッキー」 のお店である。
そこは、日本人観光客でごった返していた。
さすが日本人経営者、日本人好みの商品が満載であった。
お土産文化の無い海外で、この手の商品を買うと
かなりの確立で日本人が経営している店に遭遇する。
商魂たくましいと言うか、地元の経済発展に貢献していると言うか
我々もカンボジアの経済発展にたっぷりと協力してしまった(笑)
クッキー5種、胡椒、ハス茶をゲット、おまけでヤシ砂糖もゲット
早めに買い物を切り上げ、隣のカフェでマンゴーシャーベット(マンゴーかき氷)を購入。
「うま〜い!!」
これは、超オススメ!!
今まで、露店で氷をそのまま食べることに少し遠慮をしていたが
ここなら大丈夫かと思いゲット。うまいうまい、大正解であった。
最終日だし、腹壊してもなんとかなるだろう・・・
(最後は、気合なのだ)
最後の料理は、カンボジア料理
昨日と同じ匂いがした(中国でもこの匂いを嗅いだ、米の匂い?)
今日の料理の味付けは、前回よりも甘めだ
カンボジア料理は、砂糖が良く使われているとのことなので
こちらがより近い味なのかな?
確かにすぐ満腹になりあまりたくさん食べられなかったのだ。
(つづく・・・)
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