渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022127日(木)

 

 

<その11>
◆私の義父は結局介護施設などに3ヶ所入居したが、よい所にはたどり着けなかった。家は3回建てないとよい家づくりはできないと言われるが、介護施設の場合はもっと難しいということだ。

◆私が考えるよい施設の定義とは、以下の3点をクリアしていることだ。
@優しく寄り添う介護と自立支援の意味が理解できているスタッフが約7割占めること。
A施設長(現場責任者)に人柄のよさと責任感があること。
B看取りができること。つまり最期まで責任を持って預かる意気込みがあること。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022126日(水)

 

 

<その10>
◆とにかくいまの介護ヘルパーはすぐに辞める。新しい施設がドンドン増えているので、転職が延々と続いている。介護業界の求人数は一般業種の3倍多く、気に入らないことがあったらすぐに辞めてしまえる就業環境なのだ。

◆介護スタッフは給料が安いとよく言われているが、私がいる住宅業界のほうがいまでこそ改善傾向であるが長時間残業や見込み残業はあたり前であり、時給にすると介護業界のほうが圧倒的に高給となる。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022125日( 火)

 

 

<その9>
◆特に認知症の人は、快・不快に敏感と言われる。これは右脳が優位になっている人が多いことが理由らしいが、いま楽しいかどうか、目の前にいる人がいい人かどうかも一瞬で見抜く直感力が鋭い。
認知症の人の徘徊はあてもなくウロウロしているのではなく、自分らしく居心地のよいところを探しているのだ。

◆女性が多い職場では必ず派閥があると思うが、この介護に対するこだわりの流派も必ず存在する。そして、その流派の違うもの同士が介護現場では必ずと言っていいほど対立してしまうのだ。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022124日(月)

 

 

<その8>
◆わかりやすいメリットのひとつはお金の面だ。以下のルールの範囲内であれば、介護施設に入らないことがメリットとして大きくなる。
そのルールは2つ。

(1)介護のために家族が仕事を辞めることは絶対に避ける。あくまでも仕事を続けながら、できる範囲での介護を行う。足りない部分は介護保険サービス等を受ければよいのだ。

(2)介護のための同居は避ける。単身かつ要介護5の寝たきりになっても、介護保険サービスを受けながら自宅での生活を継続させることは簡単ではないができるのだ。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022121日(金)

 

 

<その7>
◆施設への入居を希望するのであれば、選り好みをしなければ簡単に入れるだろう。基本的には供給過剰気味であるため、近くの施設が満室でも少し広範囲に探せば入居できるところはすぐ見つかる。
ただし、よい施設はどこも満室になっているため、すぐには入れないだろう。オープンして5年以上たつのに空室がある施設はどこも大小の差があれ、何らかの問題があると考えていい施設だ。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022120日(木)

 

 

<その6>
◆しかし現実に自宅とホスピス以外では少なくとも居住空間としては、穏やかでゆったりとした時間のなかでの最期を迎えることは不可能である。これが建築士であり、かつ介護施設長を務め、いくつかの看取り経験をしてきた私の結論である。

◆しかし、一度考えてほしい。介護施設や老人ホームに入るのは簡単だが出るのは難しいということをまず知ってほしい。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022119日(水)

 

 

<その5>
◆全国的に乱立しているサ高住は常時満室のところと常時空室ありのところに二極化している。
常時満室のところは2タイプあり、地域最安値かいろいろと入居者のためのサービスを充実させているサ高住のどちらかだ。

◆いままで見学したなかで、日本一のサ高住で私自身も住みたいと思ったのが「シェア金沢」だ。金沢市郊外の刑務所横の約1万坪の広大な敷地に障がい者施設、アトリエ付き学生向け賃貸住宅、地域の人も利用できる天然温泉や店舗、アルパカ牧場までが「ごちゃまぜ」に点在している小さな街だ。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022118日(火)

 

 

<その4>
◆サ高住は自立度の高い人を想定した制度であり、あくまでも「介護施設」ではなく「住まい」であるので介護サービスは外付け(標準ではつけない)でよいとされている。その理由からサービス付き高齢者向け住宅のサービスとは、介護サービスではなく、介護をせずに見守るだけの安否確認サービスであるという。これは一般通念では理解に苦しむ定義であるため、現場ではさまざまな混乱を起こしており、中途半端な過渡期的な制度であるといえる。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022117日(月)

 

 

<その3>
◆ある医師は「死とは何か」ということを勉強しないまま、人間を死に至らないようにするためにはどうしたらいいかという技術的なことだけを学んだと言っている。

◆一般的に入居者の平均要介護度が高い順(自立度が低い順)に主な介護施設を並べると、特養、老健、グループホーム、介護付有老、サ高住、住宅型有料老人ホーム、ケアハウスとなる。

◆基本的には株式会社は特養をつくれず、社会福祉法人が運営主体であり補助金も民間老人ホームに比べると潤沢なので、いろいろと充実しているのはあたり前といえる。民間介護施設ではあり得ないが内部留保が数億円の特養が多いことが一時話題になり、多少の締めつけはあったがそれでも、介護施設のガリバーであるこは変わらない。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022114日(金)

 

 

<その2>
◆つまり、本人や家族が自宅で最期を迎えることを強く希望することが自宅で死ぬためには重要なのだ。一方、自宅で最期を迎えることが困難と考える理由の大きなものは「介護してくれる家族に負担がかかる」と「病状が急変したときの対応に不安がある」だ。つまり、自宅で最期を迎えるためには「信念」と「覚悟」は必要となる。

◆病院で働いている9割の医師や看護師は、人が自然に穏やかになくなる過程を一度も見たことがないと言われている。つまり、最期の最期まで医療の手が加えられているということだ。近代医学では死の間際まで治療を行うことが原則になっているから仕方がない。


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  田中聡「施設に入らず自宅を終の住処にする方法」(詩想社)
2022113日(木)

 

 

一級建築士でありながら介護施設長も務めた著者は、自身の経験から尊厳ある最期を迎えることができるのは「自宅」しかないと考えている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していく。

<その1>
◆自宅で最期を迎えることはさまざまな困難も生じるし、家族のストレスが増大することも、ある面では事実である。しかし、亡き人を思い出す際には、関わった人たちの充実感と、身内の幸福度の高さは病院死では得られないものだと確信している。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211223日(木)

 

 

<その11>
◆在宅看取りは一般的にガンのように死期がわかっている病気において、最期くらいは病人の好きなようにさせようと慣れ親しんだ自宅で最期を看るというものです。一方、在宅介護は死期はわかりませんが身体が不自由なので自宅で介護するというものです。

◆最近の研究では男性ホルモンが多いと、「人にやさしくなる」ということもわかってきました。男性ホルモンというと攻撃性をイメージしますが、どうやら他者に対してやさしくなる傾向があるのです。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211222日(水)

 

 

<その10>
◆認知症は長生きをすれば誰もがなる老化現象です。私がこれまで診てきた経験では発症しても日ごろから頭を使っている人のほうがその後の病気の進行も遅くなるように感じています。

◆そして介護を生きがいにしてはいけないもっとも大きな理由は、介護していた家族が亡くなったあと、その介護者が一気に衰えてしまうという点です。見送ったあと、今度、自分が何もすることがなくなってしまうのです。

◆70歳前後の人が家族の介護に直面したら介護保険制度なども駆使して、いかに楽をするかという視点でヘルパーさんの手を借りて下さい。場合によっては施設などに入所してもらうことも考えましょう。そのほうが介護する人、される人のお互いのためでもあります。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211221日(火)

 

 

<その9>
◆もし心筋梗塞や脳梗塞を本当に予防したいと考えるなら、心臓ドックや脳ドックをお勧めします。私は健康診断は無意味だと思いますが、心臓ドック、脳ドックはとても有効だと考えています。

◆医師の言うことに従っていれば、長生きできるといった考え方はそろそろ捨てたほうがいいでしょう。70才ともなると、医師の発言に対して気をつけておくべきポイントが1つあります。
それは、日本の医師は長生きの専門家ではなく、自分の担当する臓器のスペシャリストにしかすぎないということです。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211220日(月)

 

 

<その8>
◆日本の健診では50〜60項目くらいの項目を検査しますがこのなかで病気との因果関係がはっきりしているのは血圧や血糖値、赤血球数などの5〜6項目くらいです。
それも血圧や血糖値が非常に高いと、今後健康状態を害する可能性が確率論的に高いと言えるだけの話です。それ以外の検査項目はよほどの異常値でないかぎり、その人の寿命と関係しているエビデンスはないのです。それなのに多くの人は健診で異常値と判定されると、医師の指導を受けて、一生懸命正常値に戻そうと薬を飲みます。
このことがこれまで述べてきたように、その人を健康にするどころか老化を加速させる結果を生んでいると私は考えています。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211217日(金)

 

 

<その7>
◆薬の副作用について、患者が訴えても「がまんしてください」などと言って、取り合ってくれないような医師は基本的に高齢者のことがよくわかっていませんので、別の病院に行くことをお勧めします。

◆食べたいものを我慢するという生活は、動脈硬化は防ぐかもしれませんが免疫機能を低下させてしまうのです。そうなるとガンにかかるリスクは高まりますから、日本においては結果的に寿命を短くすることになるかもしれません。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211216日(木)

 

 

<その6>
◆高齢者の意欲の低下は、前頭葉の老化によっても引き起こされます。これを防ぐには「変化のある生活」をすることがいちばんです。前頭葉とは想定外のことに対処するとき、活性化する部位だからです。

◆本を読んでインプットする行為よりも会話などのアウトプットの行為のほうが前頭葉は活性化され、老化の防止になるのです。何かを発信する場合には「物知りな人」より「話の面白い人」を目指すことが前頭葉の老化防止には効果的です。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211215日(水)

 

 

<その5>
◆歳をとると意欲レベルが低下してくる理由にはいくつかありますが、そのひとつが脳内の神経伝達物質であるセロトニンの減少です。ただこれは生活習慣を改善することで対抗できます。
その最たるものが肉を食べることです。セロトニンの材料となるのがトリプトファンというアミノ酸ですが、これが多く含まれているのが肉なのです。

◆適度な日光浴をする習慣も意識の低下を防ぐには効果的です。人の意欲と密接な関係のあるセロトニンは光を浴びるとたくさんつくられるからです。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211214日(火)

 

 

<その4>
◆こういった「意欲の低下」は脳の前頭葉の老化と男性ホルモンの減少が主な原因となって引き起こされます。(前頭葉とは、創造性や他者への共感、想定外のことに対処するといった機能をもつ部分である。)

◆70代になったら、ことさら「引退」などということは考えず、現役の意識を維持することが大切です。それが一気に老け込むことを防いでいます。

◆どんなことでもいいから、ほんの少しでも社会にかかわったり何かの役に立つことは、誰にでもできるはずです。そのことに価値を見い出し、高齢になっても働き続けることが老化防止の最良の薬になるのではないかと私は考えています。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211213日(月)

 

 

<その3>
◆戦後の結核の撲滅について、ストレプトマイシンという抗生物質のおかげだと考えている人も多くいますが、実際はタンパク質を多くとるような栄養状態の改善が免疫力の向上をもたらしたことによって可能になったのが真相です。

◆なぜなら頭では理解していても、70代になってくると意欲の低下が進み、活動のレベルが低下してくるからです。何事にもやる気がわかず、興味がもてなくなって人に会うこともおっくうになり、出不精になる傾向も出てきます。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
20211210日(金)

 

 

<その2>
◆たとえば、コレステロールというものは長生きの敵のように言われていますが、コレステロールの高い人ほどうつ病になりにくいし、それが男性ホルモンの材料なので、男性ではコレステロールが高い人ほど元気で頭がしっかりしています。

◆血圧や血糖値にしても高めのほうが頭がはっきりするので、薬でそれを下げると頭がぼんやりしがちです。高血圧や高血糖に対して、塩分制限や食事制限が課されることが多いわけですが、生きる楽しみを奪われたり味気ないものを食べることになるので、元気のないお年寄りになりがちです。


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  和田秀樹「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)
2021129日(木)

 

 

要介護を遠ざけ、自立した晩年をもたらす70代の健康術が書かれている。会社も70代での事業承継がふえてきているので世の社長族にとっても重要なテーマである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していく。

<その1>
◆気持ちが若くいろいろなことを続けている人は、長い間若くいられる。栄養状態のよしあしが健康長寿でいられるかどうかを決める。
そして、それ以上に重要なのは人々を長生きさせる医療と、健康でいさせてくれる医療は違うということです。


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  立花隆「最後に語り伝えたいこと」(中央公論新社)
2021118日(月)

 

 

<その5>
◆現在の日本社会の分析などで「出版社が作家を使う」のではなく、「作家が出版社を使う」という形に変えたのは、実は立花隆だったのである。

◆この講演には立花が思考を深めることになる歴史のキーワードがさりげなくある。少々引用すると「僕は100%戦後民主主義世代なんです。」 「僕たちは戦前と戦後の時代の断絶を感じながら生きてきました」 「あの戦争のあの原爆体験というものは、本当にすべての人が記憶すべき対象です」 「戦争が終わったときにどん底で、僕はそのときに5歳ですから毎日食うものもなくて、本当に大変だったんです」などから立花の知性は放射線状に広がっていった。


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  立花隆「最後に語り伝えたいこと」(中央公論新社)
2021115日(金)

 

 

<その4>
◆だから、もともと国連憲章の中にある国連が自分の軍隊を持って平和の破壊者を制裁するという、最初の発想の原点に戻るべきです。米ソ二大陣営の冷戦構造が壊れ、今こそ本来の国連システムをつくって、安全保障に国際的に取り組むべきだと思います。国連内部でもそういう声が出ているという。そのほかいろんなところから同様の意見が出ていますよね。

◆僕は日本の政治というのは伝統的に利害の調整であるという、そういうことしか考えてなかったような気がするんです。つまり「正義」というものの考え方がない。そこはほんとうに外国の政治家と日本の政治家の圧倒的に違うところです。


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  立花隆「最後に語り伝えたいこと」(中央公論新社)
2021114日(木)

 

 

<その3>
◆ちなみにこうした高い理想が特定のイデオロギーと結び付いてしまって、このイデオロギーが正しくて、こちらが間違いであるといったような考え方の上に作りあげられた運動というのは、破綻しやすい傾向にあります。

◆けれど、同時にこの10年ほどの思想の動きを見ていると、今おっしゃったように大きい展望でもって世界を一手に把握するというような思想、あるいはイデオロギーはあり得ないということを、そもそも予兆のように示している流れがあったんじゃないかと思うんですよね。


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  立花隆「最後に語り伝えたいこと」(中央公論新社)
2021112日(火)

 

 

<その2>
◆今でも憲法9条を非難する人は、あれはただの夢物語を成文化して、後日、大事に守っているだけだみたいなことをいいますけれども、現実として、70年間日本は戦争をしなかった。日本の近代の歴史において70年間戦争をしなかった期間はありません。それはあの原爆とその直後の敗戦。あれがどれだけ日本人にショックを与えたかというその証左でもあります。

◆戦力不所持は基本的に相手に対し我々はこれをするから、その代わりこうしてもらう・・・といった互酬関係の上に何かを実現するのじゃなくて、まず、自分から既に持っているものを要りませんと捨てる。これは1950年代に初めて出てきたアイデアです。


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  立花隆「最後に語り伝えたいこと」(中央公論新社)
2021111日(月)

 

 

2021年4月30日に亡くなった立花隆が現代を担う人々にどうしても伝えたいと切望したラストメッセージが本書の内容である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介したい。

<その1>
◆原水爆禁止運動のような社会運動などは特にそうですね。世界の人びとの気持ちをひとつにしたいと思い挑んだとしても大体失敗するんです。人間の気持ちは1人1人みんな違いますから、何か社会にムーブメントを起こそうという運動は99.9%は失敗して負け戦になるんです。そういうふうに覚悟したほうがいいんです。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021726日(月)

 

 

<その9>
◆新潮社から出ている「マイブック」という文庫サイズの日記帳に「文ちゃんに出ていけと言われた」 「文ちゃんに叱られた」と書かれていてせつない。この1、2年間の日記は、私に怒られてばかりだ。

◆まじめな新聞記者だったはずの私が突然離婚してツボちゃんと暮らしはじめたことは、私の周りの人をひどく驚かせ、どうしてなのか、彼のどこが良かったのか、当時いろいろな人から聞かれた。

◆自分の気持ちが自分でもよくつかめず、口ごもってうまく答えられなかったけど、一度はかない感じがするひとなんですと、取材を通して親しくしていたノンフィクション作家の女性に言ったことを覚えている。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021721日(水)

 

 

<その8>
◆彼の医者嫌いは母親譲りでほとんど信仰に近いかたくなさだった。義母は脳出血で倒れても医者にかからなかったという。
ここまで医者に行こうとしない人を、この2人以外に私は知らない。

◆一緒に暮らし始めて、自分が爆発しても負けずに言い返してくる私が思っていた以上に気が強いことに彼は気づいて、「ぼくはいつもあなたに気をつかっているんだ」とぼやいていた。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021720日(火)

 

 

<その7>
◆かんしゃく持ちでひと見知りな割に、ツボちゃんには友だちが多かった。編集者時代に知りあった書き手とも彼自身が書き手になって知り合った編集者とも、気の合う相手とは担当が終わったあともずっと親しくしていた。

◆1月22日の通夜も、翌日の葬儀もとても寒い日になったがほんとうに大勢参列してくださった。
声を上げて泣いて悼んでくださるひともいて、「大人の男があんなに泣いている葬儀は初めてでした」と私の知人がメールをくれた。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021719日(月)

 

 

<その6>
◆自動車会社の宣伝部長がコースターの裏に住所と名前を走り書きして「書いた本を今度送って下さい。」とバーのカウンターですべらせてきた。・・・・・・・
ツボちゃんが猛烈に怒り出した。最後に、「じゃあアンタは俺の住所を今から言うから、自分のところの車を送ってこいよ!」と叫んだ。

◆彼は記憶にすぐれ、両親ともに記憶力のいいひとたちだった。義父にいたっては記憶を捨てるのがたいへんだったと聞いたことがある。ツボちゃんの場合は、酒の力を借りて毎日リセットしているのでは、と感じられた。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021716日(金)

 

 

<その5>
◆ツボちゃんはなんであんなに怒ったのだろう。彼が亡くなってそれは永遠にとけない謎になった。
いろいろな人が追悼文で彼に怒られたことや、怒るのを目撃したことを書いたり話したりしている。

◆神経のふれかたが独特で、一緒にいる全員が楽しくなるように、いつも気をつかっていた。周りの状況を見ずに、自分勝手に動く人がいると過剰な気づかいが逆向きにふれ、怒りが爆発することがあった。身うちのひいき目にすぎると言われるかもしれないけど、そんなふうに思える。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021715日(木)

 

 

<その4>
◆前もって聞いてはいたけど、古い週刊誌が十箱ぐらい段ボールで送られてきたときにはめまいがした。

◆本好きの人は身に覚えがあると思うが、本や雑誌を床に直置きするようになると、無尽蔵に収納スペースが広がったかのような錯覚が起きてきわめて危険である。

◆街角から公衆電話が消えてからはあきらめて彼も携帯電話を持つようになったけど、おもに電話をかけるがショートメッセージの送受信しか使わず、いくらスマホが便利だとすすめても最後までガラケーで通した。道に迷うと何度も行先に電話して道を尋ねた。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021714日(水)

 

 

<その3>
◆夜、飲みに出る回数がめだって多くなり、酒量も増えて悪酔いして帰ってくる。家に戻ってもちょっとしたことで怒り出すので警戒が必要だった。
いつだったか「文ちゃんはぼくが怒りだすまでからんでくる」と言われ、それはいつも自分がしていることじゃないかと思った。もしかしたらお互いさまで、彼には彼の言いたいことがあったと思うけど、月末になると同じことがくり返されるのが憂うつだった。

◆相当ひどい状態になっているのに、悲壮感がなく言い訳もせず、あれはカッコよかったねと家に戻ってふたりで語った。ツボちゃんが好きな散文精神というのはこの時のお父さんみたいな態度を言うのかもしれない。(父はダイヤモンド社の元社長)


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021713日(火)

 

 

<その2>
◆彼が酒を飲まない日は1年のうちで1日か2日あるかないかで、外でも家でもあまりにも毎日飲むので週に1度ぐらい休肝日をつくったほうがいいと頼んだことがある。

◆「どんな事があってもめげずに忍耐強く執念深くみだりに悲観せず、楽観せず、生き通して行く精神」を広津和郎は、「散文精神」と名づけた。その感覚は書き手としてのツボちゃんにとてもしっくりくるようだった。

◆2001年に文庫版が出たあとで、評論家の浅田彰が「批評空間」のウェブで『靖国』について書いているのを見つけた。『靖国』の面白さを読み取ったうえで、思いきりよく批判しているのをプリントアウトして持ち帰ると、「こういう書評が単行本のときにあまり出なかったよな」と少し残念そうだった。


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  佐久間文子「ツボちゃんの話 夫・坪内祐三」(新潮社)
2021712日(月)

 

 

すこぶる面白い本である。これは50年前に高橋和巳が亡くなった後に和巳について妻和子が書いた本に匹敵するほどである。
以下本書よりインパクトのあるくだりを御紹介することとしたい。

<その1>
◆原稿は手書きで書くのはとても早かった。本を書評するとき、彼は大事なポイントに市販の一番小さな付箋を貼っていく。ポイントを見極めるのも早いようで数か所、多くても十か所ぐらいしか付箋を貼らない。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021630日(水)

 

 

<その16>
◆21世紀の成長産業はバイオテクノロジー以外考えられません。(環境ビジネスもありえなくはないですが、日本経済をある程度支えるまでの規模にはならないと私は思っています。) 現在アメリカが先頭を走っていますが、いずれ先進国のすべてで医療費はGDPの2割に達すると言われています。

◆製造業が新興国に移って先進国は軒並み低成長もしくはマイナス成長と厳しい経済状況にあるなか、期待されたIT産業は残念ながら先進国の国民に行き渡る雇用の創出には寄与していません。その結果、中間層が没落し、それにともない中流向けの産業が崩壊しつつあります。中間層が貧乏になっていく過程で、20世紀の先進国の経済を支えた自動車産業と家電産業が競争力を失っているのです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021629日(火)

 

 

<その15>
◆日本というのは世界でも希有の保険診療の比率の高い国です。美容整形など自費診療もありますがその総額はわずか4000億円。国民医療費約34兆円のわずか1%強です。

◆アメリカでは年に億単位で医療費を払う富豪がたくさんいる。でもそのおかげで、アメリカは製薬会社の開発力も医療機器のレベルも世界一を保っているのです。高くてもいいものが売れればその製品が国際競争力をもつというのは国際競争力をやっていたころの昔の日本の家電製品や自動車と同じです。国際競争力とは安売り競争だと信じる日本人にはぜひ思い出してほしいものです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021628日(月)

 

 

<その14>
◆日本医師会が獲得してきた開業医の権利の中でもっとまずいのは保険の点数、診療報酬の点数の基準です。これが勤務医と比べて開業医のほうが非常に有利に決められているのです。

◆お金にうるさい日本医師会も自らの権威向上には努めない。だから、日本では大学教授が偉くて、開業医が2等みたいな扱いになったままでいるのでしょう。

◆開業医と勤務医の収入格差、労働環境の格差から大学病院を辞めて開業する人が増えてきています。これには「ビル診」の普及が影響しています。
じつは、最近の医療崩壊、地方の病院の医師不足と破綻の最大の原因はこのビル診を中心とした開業ラッシュにあると思っています。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021625日(金)

 

 

<その13>
◆東大闘争が東大医学部から始まったことからもわかるように、医学部は反骨精神の高い学生たちが一番多いところだったのにいまはむしろ真逆。

◆日本医師会の会員数は約16万人。これに対して日本看護協会の会員数は約70万人。その組織票を背景に圧倒的な政治力をもち始めています。

◆日本医師会とは別のもう一つの団体、保険医協会が最近では力をつけています。加入率も医師会よりも高い県がたくさんあります。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021624日(木)

 

 

<その12>
◆トップが患者にサービスするのが当たり前だと思っていたから、それが全員に徹底されたのです。それまで威張っていたような人でも、自分より偉いトップの腰が低かったら自分だけ威張っているわけにはいきませんから。

◆教授たちにとっての上司と言えば学部長であり学長です。ところが一般に医学部というのは、教授の数がやたら多い。たとえば、文学部の教授が10人〜20人ぐらいしかいないところ、医学部の教授は5、60人いたりします。ですので教授の互選で学長を選ぶことが多い現状の方法では、数の論理で医学部の教授が学長になりやすい、つまり学内でも医学部の教授の暴走を食い止める人がいないのです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021623日(水)

 

 

<その11>
◆今までの小説やドラマはその大前提として大学病院はモラルは低くても一応、臨床レベルは高品質として描かれていた。それが「ブラック・ジャックによろしく」では、大学病院がいかに優秀ではないかが描かれていたのです。

◆臨床をちゃんとやっている病院には研修医はちゃんと集まるのです。いずれ患者の集まり具合もそのように変わっていくかもしれません。

◆臨床や教育をしっかりする人より、論文を書いている人のほうが教授になれる。

◆医師国家試験の出題委員のほとんどが臨床をろくに知らない大学教授なのですから、臨床レベルはあまり関係のない、これもまた重箱の隅をつつくような問題ばかりになるわけです。あんなひどい国家試験問題がつくられて許される国は、世界中を探しても日本しかいないでしょう。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021622日(火)

 

 

<その10>
◆医学部の研究室で研究して薬になったものは、ほとんどと言っていいくらいない。みんな製薬会社の研究室から生まれています。

◆工学部の研究室だったら、たとえば鹿島建設とか日立製作所との共同研究というのは現にたくさんあります。その場合、企業は研究者の研究そのものに期待してお金を払います。でも医学部の場合、製薬会社が研究室に支払うのは、言ってみれば治験を通してもらうための謝礼、ただの口利き料としか思えません。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021621日(月)

 

 

<その9>
◆決して表面には表れないけれど、じつは製薬会社よりももっと既得権のなかで大きな利益を出している業種があります。それが薬の卸です。他の業界とは異なり、卸が異常に強いんです。かれらは大物すぎて(?)医者なんかとは組んでいません。かれらが結びつくのは政治家です。

◆医薬品卸会社の規模は大きく、12兆円〜13兆円と言われる日本の薬剤量の流通をほとんどが、かつては事実上、大手2社による寡占状態でした。
ただし、2003年クラヤ三星堂(現メディセオ)が誕生すると、その勢力図も変わり現在は大手4社でシェアを分け合っているようです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021618日(金)

 

 

<その8>
◆大学病院で臨床の教育、研究、試験を行なっているのは「医局」と呼ばれる同一診療科の医者たちのグループです。10年ほど前までは研修医の教育機関でもありました。本来は同じ専門をもつ医師同士の研究グループということになっていますが、実際は頂点に立つ教授が絶大な権力をふるうヒエラルキー組織。本書でわたしが挙げていく問題の多くがこの医局のあり方、さらにはそうした各大学の医局の医者たちが集まる学会のあり方によります。

◆血圧の薬を飲んだら脳卒中にならないのはウソだし、飲まなければ脳卒中になるというのはもっと大ウソ。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021617日(木)

 

 

<その7>
◆1970年代、アメリカ人の1日の肉類の摂取量は平均300グラム、ヨーロッパでは220グラムでした。ところが当時の日本人の肉類の摂取量は70グラム程度でした。

◆日本で脳卒中と結核が減ったのは明らかに肉を食べるようになってからです。それが日本人の寿命を飛躍的に伸ばしました。残念ながら医学の進歩ではありません。

◆医局なるものが日本にある限り、日本の医学は発展しません。現実に山中伸弥教授にしろ、医局でipsを研究していたわけではありません。これが医局にいたら潰されていたと思います。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021616日(水)

 

 

<その6>
◆人間の寿命というのはかなりの部分、栄養に規定されているのです。日本人が長寿になった最大の理由は、やっぱり肉を食べるようになったからです。戦前の日本人は本当に肉を食べませんでした。1950年代でも平均すると1日10グラムぐらいしか食べていません。

◆寿命は栄養にかなり規定されているのに、いまの医者たちはそれを認めません。というか、そもそも知らないのです。医学部教育の中で習いませんから。

◆フランスでは医学部でもみっちり栄養学を教えているらしいことがわかります。ところが日本の医学部ではほとんど無視されています。医学部内に栄養学科を設けている大学や医学部内に栄養学の教授を雇っている大学はおそらくないでしょう。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021615日(火)

 

 

<その5>
◆大学の医学部では心の問題はまったくもって軽視されています。それでいて研修医の患者さんに対する態度が悪いということになると、大学入試の際の面接でコミュニケーション能力を見ようとするわけです。そもそもコミュニケーション能力が低いのは自分たちのほうです。

◆現在の東大の精神科の教授のように患者の話なんか聞くから誤診するんだ。画像だけ見ていればいいんだなどと医局員に教えていたりする研究者であるわけです。
内科や外科だけでなく精神科までそうなってしまったとは背筋が寒くなる思いです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021614日(月)

 

 

<その4>
◆アメリカではガンの治療は放射線治療と外科治療が半々ぐらいの割合になっているのに対し、日本では外科医が2万数千人いるのに対し、放射線治療医は500人強しかいないのです。それ由に手術が減らないのです。

◆不思議なことに基本的にガン検診をすればするほど、ガンは増え、しかもガンによる死亡者も増えています。見つけなくていいガンをどんどんつかまえていった結果、ガンの死亡者が増えているというパラドックスがあるわけです。

◆近藤先生によれば心ある医者は余命宣告はしない。「それはね、本人の免疫機能次第ですから」とか、そういう言い方をするはずです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021611日(金)

 

 

<その3>
◆超高齢社会になればなるほど医療の現場では医者の力より看護師のほうが重要になってきます。医者はせいぜい熱が出たときにどうするとか、肺炎になったときにどうするといった程度のことしかできないのに対して、患者さんの普段の入院生活を支えているのは介護や看護なのですから。それ由に医療をよくするためには大学の医学部の付属病院ではなく、看護学部の付属病院を作るべきだと思っています。

◆医者、とくに大学医学部の教授たちのプライドや特権意識たるや、すさまじいものがあり、外の世界の人から見たらあきれるほどだと思います。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
2021610日(木)

 

 

<その2> ◆銀座に連れて行ってもらうようなことをしない大学の医者にしても、製薬会社からのお金がなくなると研究ができなくなるという強迫観念をもっている人がいっぱいいることもたしかです。

◆長野で予防医学が盛んなのは国保運営つまりお金を支払う側の機関が病院を経営しているところが多いということがあります。患者さんが減って病院が赤字でも、支払う保険医療費が減るので保険機関としては、黒字になるという側面があるのです。

◆日本の医療費は年間40兆円ぐらいでそのうちの4割が薬剤費です。日本は薬剤費の占める割合が高い国です。とくに老人医療においてはそうです。
欧米だったらだいたい入院患者一人に看護師一人がつくのに、日本ではもっとも看護師が多く配置される病院でも医師は夜勤帯になると7人に1人ということになっています。人件費割合が少なくて、その代わり薬剤費割合が異常に高いのです。


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  和田秀樹「医学部の大罪」(ディスカバー携書)
202169日(水)

 

 

日本の医学と医療の進歩の最大の抵抗勢力、それが医学部。と本の帯には書かれているが、それにしても日本という国は医師の能力を最大評価しすぎていると思う。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆長野県は総合診療が盛んで予防医学に力を入れている。その結果、老人医療費がいちばん少なくかつ寿命がいちばん長い県となっている。
これは専門分化型の医療より総合医療のほうが、ふんぞり返って患者が来るのを待つ医療より、患者の家に出向いて行ったり患者相手に啓蒙活動を含めた予防医療をしっかりやる医療のほうが、つまり大学病院より長野県型の医療のほうが、超高齢社会の医療のモデルとなり得ることを如実に示しています。


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  副島隆彦「生命保険はヒドい、騙しだ」(幻冬舎新書)
2021318日(木)

 

 

<その3>
◆日本の場合、大きく全体で生命保険の掛け金の4割ぐらいしか客に戻っていない。
(コメント)これは事実である。また損害保険会社でも5割程度しか保険金の支払いをしていない。欧米諸外国では、7割程度は支払いが行なわれている事実を考えると、日本の生命保険は保険料が高すぎるということになる。つまり、儲けすぎなのである。


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  副島隆彦「生命保険はヒドい、騙しだ」(幻冬舎新書)
2021317日(水)

 

 

<その2>
◆県民共済、都民共済はえらい。ものすごく良心的だ。毎月の保険支払い料が安い。埼玉県の掛け金の客への還元率は97%だ。
(コメント)県民共済等は少額の保険しか扱っていない。本当に必要なのは5000万円なり6000万円なりの保険である。もちろん県民共済等に入ってもかまわないが、それだけではダメなのである。

◆10年見通しで保険料が勝手に上がる。払えなくなったら保険金の受取り額をグンと下げなければならない。
(コメント)10年満期の定期保険は10年ごとに50%以上上がっていくのは確かである。それ故に通常は生命保険とは別に貯蓄をしていくのである。
夫婦二人で年収が1000万だとすればその20%を貯蓄すると1年で200万、10年で2000万円たまってくる。そうなると10年後に更新時に保険金額を下げて、保険料を調整していくのである。これが正しいお金のため方なのである。


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  副島隆彦「生命保険はヒドい、騙しだ」(幻冬舎新書)
2021316日(火)

 

 

マクロの経済や金融についてはプロ中のプロと思われる副島氏もミクロの問題についてはここまでわかっていないものかとビックリした。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介するとともに私のコメントを付したい。

<その1>
◆私の5000万円の保険金のうちほとんどすべて即ち、4800万円は掛け捨てだった。
(コメント)生命保険というのは期間を限定して掛捨てで入るのが正しいのである。(期間限定は子供が成人するまでという意味) 老後の生活や葬式代などに使うという考え方は間違いである。つまり、日本の生命保険会社が売っている終身保険などは保険料が高すぎて割に合わないのである。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
2020121日(火)

 

 

<その12>
◆[16]ホイチョイ・プロダクション「見栄講座―ミーハーのためのその戦略と展開」(1983年)
知らない人もいると思うが、これが80年代を代表する本だと思っている。空前のバブル景気に日本中が浮かれるのは80年代の後半だが、前半のプレ・バブル期でも世間はすでに浮かれていた。若者たちは夜な夜な「カフェバー」や「ディスコ」に集い、夏はテニスやサーフィン、冬はスキーと遊び回り、「ギョーカイ人」が幅を利かせ、「ネクラ」なやつが排除され、みんながシティボーイやシティガールを気取っていた。
80年代の中頃までおもしろいことは常に「家の外」にしかなく、刺激は人々との出会いの中にしかなかったのである。見栄を張るというコンセプト自体、ギャラリー(観客)がいなければ成立しない。だから若者たちは概してみんなアクティブだった。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201130日(月)

 

 

<その11>
◆[15]黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」(1981年)
世にベストセラー、ロングセラーは多々あれど、この本はちょっと別格だろう
出版された年に450万部を売り、現状では800万部を軽く超える「戦後最大のベストセラー」である。35カ国以上の言語に翻訳され、世界中でも大人気。もはや中古典ではなく、古典と呼ぶべきだろう。
本書は、大人になった著者が子どものころの自分と自分を肯定してくれた環境を最大限の愛情をもって描き出した本である。小林校長がトットちゃんを肯定し、受け入れたのと同じように著者も過去の自分を肯定し受け入れる。だからこの本には一切の反省がない。校内暴力などで学校が荒れた時代に生まれた、楽園のような学校の物語。すべてを肯定する物語は、すべての人を勇気づける。だから本書は世界中で受け入れたのだ。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201127日(金)

 

 

<その10>
◆[14]森村誠一『悪魔の飽食―「関東軍細菌戦部隊」恐怖の全貌!』(1981年)
本書は戦時中満州のハルビンに実在した日本陸軍の細菌部隊「731部隊」 (通称、石井部隊と呼ばれる)のはなしである。
この部隊は、生物兵器の開発と治療法の研究と称する人体実験を日常業務とするきわめて特殊な部隊だ。このことは戦史の中の空白となっていたが731部隊の生き残り30数名の証言をもとに執筆されたのである。
捕虜の待遇を定めたジュネーブ条約違反どころか規模はちがえど、これはナチのホロコーストには匹敵する戦争犯罪であろう。その事実をカッパ・ノベルスという大衆的なメディアで放った本書の意義は大きかった。
旧日本軍の悪行を大胆に書いたノンフィクションがシリーズ累計300万部を記録するベストセラーになったことは、負の歴史に目を向ける人がそれだけいたことを意味している。
731部隊の研究はその後さらに進み、NHKスペシャルなどにその一部が反映されている。2018年には国立公文書館に保管されていた731部隊の隊員の3600人余の氏名と階級が公表された。唯一残る最大の問題は、今日にいたるまでこの事実を日本政府が公式に認めていないことである。その意味でも、「悪魔の飽食」の歴史的役割はまだ終わっていないのである。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201126日(木)

 

 

<その9>
◆[13]鎌田慧「自動車絶望工場 ―ある季節工の日記」(1973年)
サブタイトルは大企業を敵に回した果敢なルポとなっている。
実際に組立工として働いた人の「日記」は臨場感と徒労感に満ち満ちている。とりわけ多くの言葉が割かれるのは、ベルトコンベア労働の過酷さだ。
「サンダカン八番館」の方法論を批判した本多勝一も、「自動車絶望工場」の方法論は高く評価し、<ルポを目的とする工場潜入とわかってみれば少なからず興ざめする>という大宅賞の選評に次のような痛烈な批判を加えている。
<ルポが目的で工場に潜入して働くことがどうして「フェア」ではなくて「少なからず興ざめする」のでしょうか>
それを突き詰めれば<大企業がかくしている、公害なども裏から証拠をつかんで暴露しては「フェアではない」のです。なんとか王国論といった類の大企業がむしろ喜ぶ報告が「フェア」なのであります。>


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201125日(水)

 

 

<その8>
◆[11]山崎朋子「サンダカン八番娼館 ―底辺女性史序章」(1972年)
70年代はオーラルヒストリーの重要性が見直された時代だった。紙に書かれた歴史ではなく、市井の人々から「聞き取り」「聞き書き」によって、埋もれた歴史を発掘する。この本もそこに分類できるだろう。本書での一番の問題は、取材の方法論である。
著者は取材者という自らの素性を最後まで隠し、相手の好意に甘える形で、話を聞き出している。
極貧の生活に寄り添わなければ過去を語ってはくれないとの判断からだ。

◆[12]有吉佐和子「恍惚の人」(1972年)
「恍惚の人」とは今日でいう認知症のこと。
「恍惚」は爆発的な流行語となり、本書も爆発的に売れてこの年の年間ベストセラー第一位に輝いた。
国連が定義する「高齢化社会」は65歳以上で人口の7%を超えた社会だ。日本が7%を超えたのは1970年。「恍惚の人」はつまり高齢化社会の人口で、未来への不安を先駆的に示した小説だったわけである。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201120日(金)

 

 

<その7>
◆[9]イザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」(1970年)
「菊と刀」とは異なり出自がはっきりした正統派の文化論とはいいがたい。イザヤ・ベンダサンの正体が本書の「訳者」であり、また版元(山本書店)の店主である山本七平だということはほぼ既定の事実である。偽作というか戯作というか「あ−あ、バカバカしかった」という感想とともに読み終えるのが順当な与太話、好意的に見てもパロディないしはフィクションに近い。

◆[10]高野悦子「二十歳の原点」(1971年)
サブタイトルは死を選んだ女学生の「いちご白書」となっている。
「二十歳の原点」は「人に読まれること」を想定しないで書かれた日記だ。形式だけに限って近いものを探すとしたら林芙美子の「放浪記」(1930年)だろう。林芙美子はこの日記を武器にのしあがり作家としての地位を築いた。高野悦子は命を絶ったために有名になった。あまりにもナイーブな内面の告白と、「若気の至り」の極致みたいな革命思想への傾倒と痛々しい自己否定。彼女はこの本の出版を望んだだろうか。私にはとてもそうは思えないんだよね。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201119日(木)

 

 

<その6>
◆[8]庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969年)
知識人予備軍を主役にした近代の青春小説は、「三四郎」ではじまり「赤頭巾ちゃん気をつけて」で終ったのではあるまいか。この2冊は事実によく似ている。女子短大に進んでぼくを翻弄する由美なんて「三四郎」の美禰子にそっくりだもんね。
入試制度がさらに二転三転した現在、学校群も過去の話となった。
そして、庄司薫はこの後同じ語り手を起用した「薫四部作」を発表するも完結編の「ぼくの大好きな青髭」(1977年)を最後に小説の筆を断ってしまう。文学の主流はこうして、本物の「薫くん世代」に移り、まったく別の展開を見せることになるのである。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201118日(水)

 

 

<その5>
◆[6]柴田翔「されどわれらが日々―」(1964年)
1970年代の村上龍や村上春樹のデビュー前、柴田翔は若い世代のアイドル的作家だった。柴田翔が好きと公言する友人は男女を問わず何人もいたし、お世辞にも文学少女とはいえなかった私でさえ、彼の小説はだいたい読んだ覚えがある。74年に発行された文庫版を含めるとこの小説は190万部にも迫るベストセラー。たしかにこれは60〜70年代の「青春の書」でもあった。

◆[7]中根千枝「タテ社会の人間関係 単一社会の理論」(1967年)
1920年生まれの中根千枝は東大ではじめて教授になった女性である。東大あるいはアカデミズムの人間関係で、相当苦労したのではなかろうか。インドなどではなく、自身の体験に取材した「タテ社会の人間関係」を分析すればよかったのだ。
もっとも、それは不可能な相談だったろう。なぜって彼女自身もまた一人の学者という「資格」以上に東大という「場」の人だからである。それでも読者はこのタイトルにやられた。「タテ社会の人間関係」に悩んでいる人が、それほどいるという根拠かもしれない。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201117日(火)

 

 

<その4>
◆[4]山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)
私小説ではないものの主人公の江分利満は作者の姿ともかぶる。しがないサラリーマンである江分利満は職場で酒場で通勤電車で人生を観察し、ときに批評し同僚を含めた自分たちの境遇を語る。読み心地はエッセイやコラム集である。そんな小説のどこがおもしろいと問われても困るのだがおもしろいのだから仕方ない。

◆[5]田辺聖子「感傷旅行」(1964年)
大阪弁を駆使した恋愛小説。抱腹絶倒のエッセイの数々。驚異的にわかりやすい古典文学案内。田辺聖子は日本の文学者で独特な地位を占めた作家だった。今日活躍する女性作家で田辺聖子の影響を受けていない人はいないとすら思われるほどだ。東京に対置される大阪、深刻に対置される笑い、男に対置される女。彼女は常にマイナーな側にいた。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201116日(月)

 

 

<その3>
◆[2]丸山眞男「日本の思想」(1961年)
生誕100年に当たる2014年には、雑誌で特集が組まれたり、NHKの番組(日本人は何をめざしてきたのか、知の巨人たち)で取り上げられた丸山眞男。1996年没。死後20年が経過しても、彼は21世紀のいまもオジサンたちのアイドルだ。

◆[3]は早船ちよ「キューポラのある街」(1961年)
キューポラとは鉄を溶かす溶解炉のことである。
舞台は1950年代末の埼玉県川口市。川口市は鋳物の街である。
当時17歳だった吉永小百合主演の映画も大ヒットしたが、これは一家4人の動向を追った家族のドラマである。と同時に貧困の物語である。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201113日(金)

 

 

<その2>
◆青春小説の主人公は悩むのが仕事である。「浮雲」の内海文三も「舞姫」の太田豊太郎も悩める青年であった。しかし、より今日の感覚に近い青年小説の原点は夏目漱石「三四郎」(1908年)だろう。

  ◆[1]住井すゑ「橋のない川」(1961年)
書名は知っていても必読書のような気はしてもこのボリュームを見て尻込みする人もいるんじゃないか。文庫本で全7冊の大長編小説だ。合計で400万部というロングセラーである。
内容は水平社運動に向かった被差別部落で育った少年たちの物語である。
特に中高生はみんな読んだほうがいいと私は思う。2016年障害者差別解消法やヘイトスピーチ対策法とともに、部落差別解消推進法が施行されたのはなぜか。今日も差別が解消されていないからである。差別への感受性が鈍っている時代にこそストレートパンチ。そういう小説である。


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  斎藤美奈子「中古典のすすめ」(紀伊國屋書店)
20201112日(木)

 

 

中古典とは著者の造語で古典未満の中途半端に古いベストセラーを指すそうである。
以下、本書からインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。
<その1>
◆明治以降の文学史に登場する作品は発売直後からベストセラーだったり話題作だったりしたものが、じつは多い。ベストセラーなど意味はない、という説も一面では事実だが、初手から話題にならずに消えた本が古典になる可能性は低いのだ。

◆日本の近代小説は二葉亭四迷「浮雲」(1887〜89年)と森鴎外「舞姫」(1890年)からスタートしたといわれている。どちらも主人公は若い男だ。その伝統のせいなのか、日本の名作文学やベストセラーには10代、20代の若者を主人公にした青春小説が多い。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
20201111日(水)

 

 

<その9>
◆早大闘争のリーダーたちの中で強烈な印象だったのが、文学部革マル派だった高島さん。180センチ以上ありそうな長身でユニークな顔だち。フランケンシュタインを連想させるところからフランケン高島と言われていた。のちに革マル派内での論争のあげく自殺してしまったという。容貌怪異な大男だっただけにその繊細さに胸が痛む。

◆とまあ、そういうわけで@喫茶店とA書店および古書店(私の二大好物)の激しい減少ぶりにはガックリとなった(それから雀荘もね・・・)。何だか「学生街」ならではの雰囲気がなくなったかのようで淋しい。

◆大学時代は毎日、早大近辺には通っていたものの足を踏み入れるのは、「教室1、部室5、喫茶店4」といった割合だった。ハッキリと不良学生。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
20201110日(火)

 

 

<その8>
◆あらためて、1968年って派手な年だったなあと思うのは全国的な大学闘争の展開もさることながら、2月には金嬉老事件が、12月には3億円事件が起きたという事実―。

◆ある時、私が何気なく「大口さん(早大全共闘議長、社青同解放派)とか今どうしてるんだろう?」と言ったら丹野さんは「それがねえ」と笑って「大口さんは早稲田を除籍になったあと、京大に入り直して弁護士になったんだよ。ある裁判の弁護でナポレオン法典から説き起こして、とうとうと論じたので、裁判長も検事もほおっと聞き入ってしまった・・・という話だよ」と言うので、私は何だかとても嬉しくなって「やっぱり大口さん、いいねえ」と笑った。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
2020119日(月)

 

 

<その7>
◆ダメなんだよ、それじゃあ、深い井戸の中をのぞき込むように自分という存在の奥をみつめなければ・・・と言われたことだけはハッキリとおぼえている。(そうか、宮原君は実存主義者ってやつになったのか・・・)と感じた。

◆私は今の若者の就職活動における陰険さ、せせこましさ、世知辛さ、自己防衛意識の頑なさに耐えられなかった。就職が人生の大きな転機になることは、私自身思い知らされたことだけれど、やりたいことさえハッキリしていれば、回り道はそんなに苦痛ではなく、すべてが修業と割り切ることができる。手がたい会社にスンナリ入ることだけがすべてでは無い。もっと大らかに乱暴に自分をこわしていってもいいじゃないか!?それが若さの特権というものなんじゃないか!?―とジレったく思うのだった。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
2020116日(金)

 

 

<その6>
◆多摩美大の学長の石田英一郎は全共闘学生の学長要求に雲隠れするどころか学長室を自ら開放し、学生と議論を闘わした。そして自分の大学の改革案を提示して学生を次々と論破した。君たちの要求も熱意も分かる。私にもこのような改革案がある。一緒に手を携えて大学改革に邁進しようではないか、と。この石田学長の知性と誠意に全共闘の学生たちは感動し、自らバリケード封鎖を解いたのである。

◆口惜しいなあ、石井君、早く死んじゃって。いや早世したからこそ石井君の人物像がくっきりと鮮やかになっているかもしれないが。死者は生者より確固とした存在感があるものだから。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
2020115日(木)

 

 

<その5>
◆闘争のまんなかに飛び込んで真剣な活動家になれず、かと言って彼らを冷ややかに理性的に批判することもできない自分を持てあましていたから、闘争終結になって、そんなジレンマからとりあえず解放されたわけで、少しばかりホッとしたのは事実だった。私の心に残ったのは、「されどわれらが日々―」や「青春の墓標」に描かれたような深い挫折感なんていうものではなかった。ぼんやりとした妙な気分、そしてハンパな不燃焼感が残った。

◆立命館大学の漢文学者、白川静先生はバリケードを見ても平然。学生たちを「どけぇー」と一喝。学生たちも白川静先生の凄さを知っていたから、道を開けて先生を校舎に入れたんだって。そうして毎晩毎晩研究室にこうこうと明かりがついているのを見ていたんだって―。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
2020114日(水)

 

 

<その4>
◆セクトに属した学生活動家の苦悩はノン・セクトの私にはよくわからなかったのだけれど、彼の文章(感心するほど筆まめなのだ)から発散される、何と言ったらいいんだろう。そうですね「暗い熱気」みたいなもの。「真摯」そのものなのだった。圧倒されずにはいられなかった。今、読み返してみても圧倒されるよ。その苦悩の内容よりも苦悩の熱量に。

◆早大闘争が終わりを迎えた時に、私はこう感じたのだろうか?ホットした?それともガッカリした?思い出せないところをみると、これという強い感情はなく、「まあ、こんなところかなあ」という気分だったのかもしれない。「何しろ150日間に及んだ闘争」だったから。少しばかりだが妙な解放感もあったような気もする。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
2020112日(月)

 

 

<その3>
◆革マル派トップの蓮見清一さんは、74年に我が敬愛の植草甚一が創刊した雑誌「宝島」の版権を取得して、2年後に「別冊宝島」を創刊。宝島社の社長になったという。子会社には洋泉社がある。
いずれもサブカルチャー色の強い出版社だ。

◆不思議なものだ。歳をとると、多くのことは記憶の中でボヤケたり、消え去ったりしてゆくのだけれど、逆に若い頃はそれほどのことではないと思っていたことが毎日、鮮明に思い出され、そして罪なこととして感じられる。そういうこともある。

◆いつ頃からか、活動家諸君はスクリーンに向かって、「異議なし!」 「ナンセンス!」などと掛け声をかけるようになっていたという。まるで歌舞伎だ。映画をそういう形で観るなんて空前絶後のことだろう。2016年「シン・ゴジラ」では掛け声をかける上映会があって話題になったようだ。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
20201030日(金)

 

 

<その2>
◆社研に入る決定打となったのは、高三の時に読んだ柴田翔の小説「されどわれらが日々―」。
これは、55年の日共の六全協における重大な方針転換によって挫折した左翼学生たち(おもに東大の歴研)の話なんですね。

◆50年代前半には共産党の指導部によって、山村工作隊という武装闘争も辞さないという非公然組織が結成された。エリート学生たちは革命を夢みて、身分や日常生活や恋人などを捨て、農村部に活動拠点を置くようになった。
それがいきなり、「六全協」で「極左冒険主義」として批判され、平和路線へと急激に転換させられたのだ。


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  中野翠「あのころ、早稲田で」(文藝春秋)
20201029日(木)

 

 

著者は1946年(昭和21年)生まれなので、1960年代の半ばから後半にかけて、早稲田大学に行ったことになる。
以下、本書からインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆そう言えば早慶戦になると気を利かせて休講する先生が多かったが、私が敬愛していた平野謙先生(文学論)は、ふだん時でも休講にしていたくせに、早慶戦の日には休講にしないで出てきて何かヒトコト、早慶戦騒ぎにケチをつけることを言っていたなあ。私はそういうところも好きだったのだ。平野先生は、天下の東大卒で早稲田、慶応なんて大学のうちに入らないと思っていたのかもしれないが。

◆入学してすぐに左翼サークル「社研」 (社会科学研究会)に入部した。高三の後半頃から大学に入ったら「社研」に入ろうと決めていたのだ。
当時、「社研」と言ったら「歴研」 (歴史学研究会)と共に左翼学生の巣密というイメージだった。それは早稲田に限らず、他の大学でも同様だったはずだ。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020710日(金)

 

 

<その15>
◆石坂が誠実なのは、女性が解放されるのには、何よりもまず「自分も働いて夫と同額ぐらいの給料をもらっている自負心」がなければならないと繰り返し書いていることからもわかる。秋子の奔放は経済的自立に負っているのである。初期から後期までこの見解は一貫している。
◆石坂と太宰の差は、時代感覚の差にある。時代を測る目盛りが石坂の方が大きい。太宰のそれが明治、大正、昭和といった目盛りならば、石坂のそれは狩猟採集、農耕、工業、脱工業といった目盛りなのだ。
◆表題を「石坂洋次郎の逆襲」としたのは、石坂は少しも終わっていない、むしろいまこそ話題にされなければならないと考えたからである。
1972年、石坂はその絶頂で、小説執筆を未練気なく終えたと私は思っているが、それからほぼ半世紀、その石坂が昔のままの姿で21世紀の日本にフッと現われたと思っていただければ嬉しい。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202079日(木)

 

 

<その14>
◆簡単に言えば石坂は石坂自身の主体つまり、自分の奥行きを知らなかったのだ。私は、それは同時代の編集者と批評家のせいだと思うがむろん最終的には石坂自身の責任である。石坂には語り合う知己がいなかったのだ。妻のみで十分と思っていたのかもしれない。
◆石坂は天皇主義者も共産主義者も父系制の信奉者であることに変わりはないと思う。
そう考えたのは、日本社会の奥底に潜む母系制の論理を探究しようとする本能的な情熱を持っていたからである。
◆問題は欠損家族――欠陥家族ではない――のほうであって江波には母子家庭、寺沢は離婚家庭である。石坂は明らかに主体的な女性に新しい家庭像を提示させようとしているのである。欠損家族ならばそれを肯定するか否定するか、否定するとすればどう変えるべきかという問題が具体的に出てくるからである。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202078日(水)

 

 

<その13>
◆江波親子の特異性は、芸者とその「私生児」という境遇に関して、優越感はあっても劣等感はないところが端的に示されている。永井荷風から吉行淳之介にいたるまで日本近代文学では一貫して日陰の花として描かれてきた芸者で「若い人」にあっては、まるでひまわりの花のように凛々としているのである。これは父系制の論理においてはおよそ考えられないこと、あってはならないことなのだ。
◆雪国だけではない。谷崎潤一郎の「細雪」にしても同じことだ。「若い人」では女が主体的に生きているが「雪国」や「細雪」ではそうではない。むしろ主体的には生きていけない女が描かれているのである。それが魅力とされているのだ。
◆谷崎や川端が国際的に評価されたのは、そこにジャポニズムが色濃く漂っていたからである。外国人がこうあってほしいと思う女も、外国人がこうあって欲しいと思う日本も同じようなものだ。谷崎や川端にはいわば良くも悪くも外国人の眼――日本とは何かを問う眼――があったのである。この圧力が理想を描かせたのだ。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202077日(火)

 

 

<その12>
◆石坂洋次郎にしても獅子文六にしても、今日では忘れられた存在に近いだろうが驚くべきことに、獅子については「レトロモダン」として再評価の機運があるという。
◆石坂が描くのは貧富の差であって身分の差ではないことを思い知らされる。
◆石坂も獅子もその文壇から食み出して社会風俗になってしまうところが似ていた。
だが違いは大きい。獅子には伝統的価値観に対する配慮があるが、石坂にはない。本人にその自覚があったかどうかはおいて、石坂には本質的に革新的なところ、社会制度を根底から突き崩しかねないところがあった。
◆この「馬鹿くせくて、馬鹿くせくて」というのは、たんに「アホらしい」というのではない。実存主義に言う「不条理だ、不条理だ」ということなのです、と長部日出雄さんは叫んだ。そしてこれが津軽の文学なのであると結んだ。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202076日(月)

 

 

<その11>
◆30年前、歌舞伎を熱心に見ていたことがある。諸芸術の始まりに舞踊があることに気づき、日本舞踊も見なければならないと考えたのだ。その結果、日本舞踊の軸をなすのはいわゆる歌舞伎舞踊などではなく、能の系譜に根ざす上方舞、いわゆる地唄舞であること、さらにその起源は東アジアにあることに――日本舞踊であれ地唄舞であれ、相対化されなければならないことに――気づいたのだが、そのことはいまは措く。
◆歌舞伎を見なくなったのは、歌舞伎の筋そのものにほとんど生理的な嫌悪を覚えるようになったからである。主家のためには我が子を殺すといった歌舞伎特有の美学、江戸の美学は根本的に不健康である。役者がいかに巧かろうと私には到底ついていけないと思った。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202073日(金)

 

 

<その10>
◆戸籍制度はいまや世界のなかでも日本にのみ残る父権制の残滓 ――台湾では形骸化し、韓国では廃止されている。
◆石坂の文学は最初から最後まで男が女を選ぶのではなく、女が男を選ぶ物語なのだ。母系制への潜在的な志向性は最後まで変わらなかった。
◆山本周五郎は、忍従を女性の美徳として描く。女性が男性に忍従するのは、男性に大義があるからである。必ずしも男性を至上とするからではない。だが、心では大義に忍従するという流儀そのものが父系制体現しているのだ。しかも、ひとたび思従が美徳になれば思従そのものが目的になって、それは何に対する思従なのかは、いわばどうでもよくなってしまうのである。
石坂は違う。大義そのものを疑い、大義そのものを撃つのである。女性の視点に立つことによって、大義の欺瞞を暴き出してしまうのである。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202072日(木)

 

 

<その9>
◆30年近い昔になるがモンゴル史家して有名な岡田英弘が20世紀において共産主義がまがりなりにも根付いたと見られる国はロシアと中国であって、その二つに共通するのはいずれもモンゴル帝国すなわちチンギス・ハーンに服属した国家であるといったと聞いて驚愕したことがある。
◆翻って考えてみれば、小説はすべて家族論にほかならない。
小説だけではない。家族論と言えば社会学の一分野しか思えないがトッドの説くところでは逆である。
たとえば、「世界の多様性」などにももっとも尖鋭に現れているのは、トッドの家族論がマルクス批判、マルクス主義批判にほかならないということだ。つづめていえば、それは、イデオロギーを決定するのは下部構造すなわち経済ではない、家族形態だということだからである。父系制には父系制の、母系制には母系制の、核家族には核家族の、共同体家族には共同体家族のイデオロギーすなわち思想がある。社会に対して力を発揮するのは、階級構造ではなくむしろ家族形態がもたらす、そういうイデオロギーなのだ。乱暴だがトッドの考え方の革命性を理解するにはこうまとめると話が早い。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
202071日(水)

 

 

<その8>
◆軍部が女性的であったというのは、細部に固執して ――あるいは外聞や面子に固執して――大局を見失ったことを指す。大局を見失う弊を女性的というのは封建制つまり父権制が女性にそれを強いてきたからである。
◆縄文社会が1万年も続いたのは縄文人の狩猟採集のほうが、弥生人の農耕よりもはるかに豊かだったからだとダイヤモンドはいう。それが鉄器(武器、農機具)の登場によって、逆転したと考えているのだ。
◆江波恵子の特徴を一言でいえば、私生児であることにまったく引け目を感じない私生児なのだ。暗くじめじめしたところなどまったくない。常識に反するほどだ。翳りがあるにしても、いわば哲学的な翳り、存在論的な翳りであって、社会的、生活的な屈折などではない。江波恵子にあっては、私生児であることは自由であることの名であるとさえ見える。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020630日(火)

 

 

<その7>
◆にもかかわらず、管見では、フェミニズムの側、あるいは女性の論客、批評家から石坂はほとんど一顧だにされなかった。石坂は存在にないも同然だったのである。なぜか。
第一に 中間小説作家として軽蔑されていたからだろうと私は思う。
第二に それとともに、石坂が左翼つまりマルクス主義に関しても、右翼に対すると同様に痛烈な批判を繰り返していたからだろうと思う。
◆人は徒党を組んで組織を作るが、組織はその成員を必ず裏切る。後年、吉本隆明が共同幻想という概念を手がかりに真正面から取り組んだ問題だ。石坂は同じ問題に取り組んでいたのである。
◆「麦死なず」は「若い人」と並んで石坂の骨格を形成する作品である。男性を主人公として珍しく成功しているのは、作者を無意識まで含めて完璧なまでに反映しているからである。石坂という作者の仕組みを知るためにも貴重な作品と言っていい。石坂は後年繰り返し自分の作品で残すのは「麦死なず」くらいだろう述べているが、自身の苦渋を込めた作品であるとの自覚がそう言わせているのだ。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020629日(月)

 

 

<その6>
◆戦後、文学者の戦争責任論が喧しかった頃である。戦時中、従軍記を書き、戦争詩や戦歌を書いた文学者が次々と糾弾されてゆくなかで、ひとり金子光晴だけが権力にいっさい加担しなかったその一貫性を高く評価され、いわば持て囃されたことである。
むろん金子光晴の詩はさまざまな点ですぐれている。だが、文学作品の一貫性ということでは、石坂もまた称揚に値する作家だったと考える。少しのブレも感じさせないのは驚異的というほかない。
◆「若い人」も「妻死なず」も軍国主義に傾斜してゆく当時の体制への批判であり、同時にそれをひたすら過激に批判することにのみ生き甲斐を求める観念的な左翼運動への批判である。
◆石坂の小説が次々に映画化された1950年代、60年代、フェミニズムはまだ一般的な言葉ではなかった。とはいえ、ボーヴォワールの「第2の性」は世界的ベストセラーになり、戦前からの女性解放運動は力を増していたのである。石坂の思想の内実はそういう女性解放運動によって評価されてしかるべきであったと私は思う。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020626日(金)

 

 

<その5>
◆要するに石坂は、出発の当初からあるいは少なくとも「妻死なず」執筆の頃から、こういう視点 ―とりわけ女の視点― に立って左翼活動を見ていたのである。だが同時にミッション・スクールを舞台とするという「若い人」の設定そのものに示されているように、戦前の天皇制と軍部の動きには、それ以上の批判精神を持っていたのだ。
◆社会主義とは言わないまでも、自由主義とは確実に言える。若い女性特有の自由で明朗闊達な作風のもとに執筆されていたというのである。
石坂は、戦前から戦後民主主義だったのである。
◆石坂は戦前も戦後も本質的にまったく変わっていない。谷崎や川端のように美学において変わっていないのではない。男女関係をめぐる自由主義的な思想、社会を女の視点から見るその思想において変わっていないのだ。その驚くべき一貫性はマルクス主義の見地から評価した批評を私は知らない。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020625日(木)

 

 

<その4>
◆石坂洋次郎は良く言えば謙虚、悪く言えば弱気で、それが作家の優れた美質を覆い隠している。
例を挙げる。
石坂には、驚くべきことに個人全集がない。1930年代から60年代にかけて、きわめて多くの読者を獲得し、刊行される長篇小説が次々に映画化されるなどして、ほとんど一時代を作ったに等しい作家であるにもかかわらず、個人全集がないのである。
◆石坂はある段階からいわば弱気を生き方にしてしまっている。
石坂は「ある詩集」という文章に、「私の作品は、いわゆる中間小説とよばれる真実性よりか娯楽性の要素の多い作品なので、私が死ねば、死なないまでも老衰して書けなくなれば、あっという間に作者や作品や色があせて、世間から忘れられてしまう性質のものだ」と書いている


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020624日(水)

 

 

<その3>
◆小説としては無類に面白いにもかかわらず、読者は問題の奥行きの深みに恐れをなしたのだと思う。問われているのは近親相姦というよりは、戸籍制度そのものなのだ。戸籍など税金と徴兵のために考案された制度にすぎないが、だからこそそれに楯突くことは国家に楯突くことなのである。石坂は国家に楯突いているに等しいが体制派とは限らないはずの映画界の人間でさえ恐れをなしたのではないか。
◆石坂は主体的な女性を追求したと果てに戸籍問題、家族とは何かという根本的な問題にまで行き着いたのである。石坂はひとつの必然性にしたがってこの地点にまで達したのであって、その必然性の背後には起きるべき多くの問題、しかも、きわめて豊かな問題が潜んでいる。
◆石坂洋次郎は忘れるには惜しい作家、いや忘れてはならない作家である。
陸軍道班員として徴用されフィリピンに回された石坂は戦闘の様子などどこ吹く風、ひたすら現地女性の強さと逞しさのみを描いて日本に書き送っているがこういう文学者を私は他に知らない。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020623日(火)

 

 

<その2>
◆[青い山脈]を明朗健全のように評価し、その評価を石坂の全作品に広げ、暗くなりがちな戦後にさわやかな風を送ったとして称賛するのは、かつて石坂を語るときの定番であった。当時は実存主義風の深刻な文章が多かったから、石坂は脳天気にとらえていたと言っていい。
◆石坂には事実、明朗健全以上に重要な特徴があるのだ。それは、[女を主体として描く]という特徴である。
主人公といわずに主体と言うのは、女は主人公であるのみならず、必ず主体的に男を選び主体的に行動する存在として描かれているからである。
◆石坂が70年代において急激に語られなくなったのは、その作品の本質を知ることなく、たんに明朗健全なだけの深みのない作品として退ける風が文壇に広まっていたからだろうと私は思う。だがそれはいかに浅薄な見方であったか、いまや思い知るべき時が来たのだと私は考えている。


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  三浦雅士 「石坂洋次郎の逆襲」(講談社)
2020622日(月)

 

 

私の大好きな作家である石坂洋次郎について書かれた本である。
以下、本書からインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆石坂洋次郎ほど時代とともに忘れられたと思われる作家は少ない。
映画「青い山脈」は1949年(昭和24年)に封切られ大ヒットし、その主題歌とともにほとんど戦後民主主義の代名詞と見なされた。以後石坂原作の映画が封切られない年は1960年代末にいたるまでなかった。1950年代から1960年代にかけて石坂ほど映画化された小説家はいなかっただろう。小説が刊行されると同時に映画が封切られるといった状態にまでなっていた。
◆だが70年代に入るやいなや、その流行はあっという間に衰えた。これほど急激に語られなくなった作家はいなかったのではないかと思われるほどだ。


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  許永中 「悪漢の流儀」(宝島社)
2020414日(火)

 

 

<その4>
◆事件は小嶌の筋立てどおりに私とイトマンとの間の絵画を担保とした取引が特別背任にあたるとされた。私はイトマンの役員でもなんでもない。ただの部外者にすぎないのに・・・・。
なぜ小嶌がそうまでしたのか。
私の考えるところでは住友銀行本体まで事件が及ぶのを避けること。そして住友銀行に食らいついた山口組を排除すること。それこそが住友グループの守護神であった小嶌の目的であり、そのために事件を矮小化し、イトマンと私を切り捨てようとしたのではないか。

◆1959年に始まった北朝鮮への帰国事業というものがある。ついに9万人あまりの在日が北朝鮮へと渡って行った。この帰国事業を推進することで朝鮮総連は在日社会における影響力を高め、民団はそれを阻止しようと新潟行の列車の往来を妨害する活動までした。
朝鮮半島の現代史は分断の歴史であるが、日本での在日社会もまた2つに分かれ、民団と朝鮮総連は激しく互いを非難し続けたのである。


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  許永中 「悪漢の流儀」(宝島社)
2020413日(月)

 

 

<その3>
◆小渕内閣の官房長官となった野中広務につては、意外に評価が低い。野中は同和関係者や在日など差別を受けた人々に寄り添う姿勢で知られたが、一方で、政敵を徹底的に追い込む政治手法が許永中には陰湿なタイプと映った。陽性な人間を好む許永中には合わない。

◆小沢一郎には「幅」がない。原理主義的な厳しさだけでなく「幅」がなくてはならない。それが政治というものでないか。多くの政治家と交わった許永中ならではの逸話である。

◆その強心臓ぶりはどこから来るのか。
―― そう聞かれることもあるが、そのたびに死ぬようなことはないと信じているからだと答えている。「あいつは運がいい」などという言い方をするがそれは違う。生きようという意志を持っている者にこそ運がめぐってくるのだ。

◆イトマン事件では捜査側に黒幕がいた。私はそう信じている。
その黒幕とは住友グループのオーナー家の顧問弁護士であった小嶌信勝である。小嶌はいわゆるヤメ検。大阪地検特捜部長や広島高検検事長を歴任し、関西検察のドンと言われた人物だ。


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  許永中 「悪漢の流儀」(宝島社)
2020410日(金)

 

 

<その2>
◆日本では刑務所から仮釈放される際に「もう二度とこのようなことをしません」と罪を悔い改める身上書を書かせなくてはならないが、イトマン事件や石橋産業事件は冤罪であることの信念を持つ私には決してできないことだ。

◆己を貶めた連中のことは決してわすれはしない。いやいまに見てろと胸に刻んだっていい。ただし、絶望のなかに身を置くことだけは決してしまい。そう考え直すことにしたのである。

◆だが、金もうけの仕掛け人のように言われたり、ましてや詐欺師のように言われたりすることは我慢がならない。
イトマン事件や石橋産業事件などはいずれも私のもとにトラブル処理を依頼する形で持ち込まれたものばかり。自ら仕掛けたり、乗っ取りをかけたりしたわけではない。


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  許永中 「悪漢の流儀」(宝島社)
202049日(木)

 

 

本の帯には戦後裏面史を駆け抜けた勝負師の人生哲学と書かれている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。
<その1>
◆亀井静香さんには目的のために手段を選ばないところがあった。そしてその非情さは亀井さんが警察キャリアとして警備公安畑を歩んだことと無関係ではなかったように思う。その政治姿勢は「王道」ではなく、「覇道」そのものであった。だが、覇道を往く人は王にはなれない。

◆日本社会が突きつける差別という不条理に対して、暴力という実力行使によって抗おうとしたのが柳川組である。そして柳川組に対して在日たちは密やかな喝采を送っていた。そのさまは、中世の英国において領主の圧政に抗した義賊ロビン・フッドとそれを支援した庶民たちにも似た関係である。


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  立花隆 「知の旅は終わらない」(文藝春秋)
2020311日(水)

 

 

<その6>
◆死んだ後については葬式にも墓にもまったく関心がありません。どちらも無いならないでも構いません。昔、伊藤栄樹という検事総長が「人は死ねばゴミになる」という本を書きましたが、その通りだと思います。
もっともいいのは「コンポスト葬」です。遺体をほかの材料と混ぜ、発酵させるなどしてコンポスト(堆肥)にして畑に撒くのです。そうすれば、微生物に分解されるかして自然の物質循環の大きな環の中に入っていきます。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        


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  立花隆 「知の旅は終わらない」(文藝春秋)
2020310日(火)

 

 

<その5>
◆たとえば実験科学の現場で、どうすれば間違った方向に行かずに正しい方向を見つけられるかという僕の質問に対するやり取りです。
利根川進さんはこう答えます。
「それはむずかしい。注意深い思考はもちろん必要だけど、よく考えればわかるというもんじゃない。頭がよければわかるというもんじゃない。結局、運とセンスだろうね。」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆この国の人々は言論表現の自由が時に行きすぎや悪用乱用があっても長い目で見れば民主主義社会に住む人々の考えと行いをよりよい方向へ導いていくのに不可欠であったし、これからも不可欠であるということを知っている。

◆いま日本人が忘れているのは、もしも日本があの戦争をああいう形ではじめず第一次大戦と同じように戦勝国の側に身を寄せていたらどうなっていただろうと考えてみることです。
アメリカどころじゃない、アジアの広大な領域にまたがるとてつもない国になっていたでしょう。しかし、陸軍だの右翼だの大バカ集団が支配するとんでもないたわけた国になっていたかもしれない。


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  立花隆 「知の旅は終わらない」(文藝春秋)
202039日(月)

 

 

<その4>
◆「実は私は日本共産党のスパイでした。スパイとして立花さんの取材班に送り込まれた人間だったのです。」という文面でした。彼はひと言お詫びをいいたかったようで、この間の心の葛藤を淡々と綴ったあと、「何年ぶりかでほうんとうに心安らかな気持ちでおります」と書いていたそうです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆どこかおかしい、何か間違っているということは、すぐに感じるのだが、相手の誤りの核心部分を取り出して、それがなぜ間違いであるのかを一般読者にわかりやすく解説するということは、そうたやすい仕事ではない。

◆何が何んでも角栄について書かなければならないのではなくて、同時にいくつもやっていたからこそ、あんなに長くやれたわけです。もちろん角栄だけでは食べていけないという根本的に経済的な理由もあります。別のいいかたをするといろんな仕事をする間口の広さが人間的にも心のゆとりとしても一貫してあったから角栄と長く闘えたんですね。


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  立花隆 「知の旅は終わらない」(文藝春秋)
202036日(金)

 

 

<その3>
◆僕の母は熱心なクリスチャンでしたから、いつも「肉体を殺すことはできても、魂を殺すことができない者を恐れるな」と子供に教えていた。ローマの権力を恐れる弟子たちにイエスがいった言葉です。
世俗権力を恐れるな、神のみを恐れよということです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

◆中核派のある集会で女性活動家はこう叫んでいる。「頭をカチワレ・肋骨をヘシオレ、内臓をエグリダセ。あくまで残酷に、徹底して残虐に!」。そしてその言葉はすぐに現実のものになります。
このように、新左翼の二大組織である中核派と革マル派はお互いに組織の総力をあげて、組織の全存在を賭けて抗争を繰り広げていたんです。それは内ゲバという概念をはるかに越えて、中核派の側は、それを戦争とさえ呼んでいました。

◆人間が生得の殺害抑制をのりこえて他人を殺すにいたるモメントとして、何が有効に働くかという問題である。大別して4つある。恐怖、怨恨、功利、正義感である。


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  立花隆 「知の旅は終わらない」(文藝春秋)
202035日(木)

 

 

<その2>
◆一流の学者たちに直接話を聞きに行くことの面白さを「諸君」の仕事で知りました。そして、事前の準備をどれだけするかで、引き出せる話の質も量もぜんぜん違うということも学びました。学べば学ぶほど知の世界の広がりと深さが見えてくる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆あらゆる科学の世界のおいて、実はわかっていることよりわからないことのほうがはるかに多いんです。ハイレベルの学者になると、自分個人の研究だけでなく、その領域の研究全体がまだどれほど遅れていて、どんなにわからないことばかりなのかをきちんと語ってくれます。

◆キリスト教は紙の上に書かれた教義を抽象的に理解するだけではまったくわからない世界だということなのです。つまり、その土地の人々の日常生活と密着した 地域のすべての文化的伝統ならびに日常的行動と切り離せないものなんですね。

◆日本の仏教を研究していくと、もっともわかりにくいのが真言宗です。なぜわかりにくいかといえば、真言宗もキリスト教と同じく、土着宗教の要素が大きいからです。


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  立花隆 「知の旅は終わらない」(文藝春秋)
202034日(水)

 

 

「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」というサブタイトルがついている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
立花の興味というのは例えばガンであればそれがどういう構造でできているかとか、どうして増殖していくのかとかに興味があり、自分がガンなった時にどうしたらガンを治せるかについてはあまり興味を持たない。それ由、立花自身がガンになっても医者のいいなりである。学問体系がどうなっているのかについての学者的な興味はあっても、実務的な興味はないのである。要するに、主体はいつも相手側にある。
そのことがこの本を読んで一番強く感じたことである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して紹介していきたい。
<その1>
◆日本の政治活動というのは、口では民主主義を唱えながら全然民主的じゃないんですよ。共産党にしろ中核、革マルにしろ、その組織の内部はほとんど戦前の天皇制に近いものになっていくようなところがある。


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  森昭 「歯はみがいてはいけない」(講談社)
2020130日(木)

 

 

<その6>
◆スウェーデンにも認知症の高齢者がたくさんいます。日本との大きな違いは介護士の権限です。日本の場合、病状管理は医師に主導権があり、ガイドラインに沿って薬が処方されます。ところが、スウェーデンでは介護士に大きな権限が与えられており、その高齢者に本当に必要な助けだけが汲み取られます。ちなみに介護士は公務員で安定して生活できる職業だということです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

◆アメリカの歯科衛生士は、1日に約10万円を上回る収益を歯科医院にもたらします。日本の保険点数で保険制度で決められている手順で行うと、歯科医院にとっては赤字になります。その結果、歯科衛生士が歯科医師の駒のように扱われ、時間も十分に与えられずに待遇もよくなりません。

◆自信をもって1時間に2万円のフィー(報酬)を請求できる歯科衛生士を目指してください。世界レベルでは、このフィーが標準的です。

◆歯科医院過剰時代になり、廃業に追い込まれる歯科医院も増えています。日本には「石の上にも3年」ということわざがありますが、実際、3年を目途に廃業を考える歯科医師も多いのです。


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  森昭 「歯はみがいてはいけない」(講談社)
2020129日(水)

 

 

<その5>
◆その低い検診単価の中で、初診の患者さんは加算点数があり、比較的単価が高くなります。つまり歯科医院側からすると「初診の患者さんはありがたい」のです。
あなたは保険で十分な治療が受けられると思っている。ところが歯科医師は保険の診療単価では薄利多売、体力勝負だと思っているのです。
日本を寝たきり大国から救うのは「歯科衛生士」です。「歯科衛生士」が活躍する世界をつくることが日本を幸せな長寿国にいざなってくれます。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

◆世界の人口の約2%の日本人が世界で流通している薬の10%を消費しています。

◆生活習慣病を患った人が生活を改善することなく、薬を飲み続ければ、また違う病気を引き起こします。薬には副作用というものがあるからです。そうしてまたまた患者が増えてしまいます。


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  森昭 「歯はみがいてはいけない」(講談社)
2020128日(火)

 

 

<その4>
◆「食後すぐの歯みがき」は、日本と韓国だけの習慣といわれています。ほかの国では、寝る前と起きた後に歯みがきをします。韓国の習慣ももともとの文化や伝統ではなく、どうやら1970年代に日本から入ったようです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

◆スウェーデンの歯科医療制度は、日本と同じ国民皆保険です。ただし日本と違って「予防にも給付する」制度です。

◆スウェーデンは、19才まで予防歯科を無料で受けられる。
アメリカは、医療費が高額だから歯を大切にする。

◆日本では、腕のいいトタン職人のような技術を持った人が名医といわれ、スウェーデンでは、雨漏りする前にその危険性を発見し、刺激を少なくする人を名医といいます。

◆多くの先進国は、スウェーデンの成功を知って予防歯科に舵を切りました。日本の歯科が予防の考え方を取り入れ始めたのが2000年ごろ。実に30年もの遅れです。この間、学校検診の場で虫歯を増産してきたのです。


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  森昭 「歯はみがいてはいけない」(講談社)
2020127日(月)

 

 

<その3>
◆歯を守っているのは唾液。歯周病も虫歯も原因は歯垢(プラーク)。寝たきりの多くは、プラーク感染症。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

◆日本人であるあなたは、外国人の体臭はきつくて、香水でごまかしているというイメージをもっていないでしょうか。体臭と同じように口臭もきついと思っていませんか。しかし実際には、違うのです。ブレスケア先進国アメリカでは、日本人の口臭が最も強烈だと思われています。

◆なぜ、日本人の口臭がきついかというと、いちばんの理由は歯周病です。そして私は食後の歯みがき習慣にあると思っています。口臭を予防するのは唾液です。その唾液の能力が最も高まっているときに、歯磨剤といっしょに口の外に吐き出しています。

◆・プラークができるのは飲食後(糖質を含んだ
  もの)24時間。
 ・プラークは夜寝ているときにできる。
 ・唾液がプラークをコントロールしてくれ、その
  能力は飲食後に最も高まっている。

この3点を考えると「プラークコントロール」は、
@夜寝る前
A朝起きたとき
この2つの時間帯が最も効果的ということになります。


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  森昭 「歯はみがいてはいけない」(講談社)
2020124日(金)

 

 

<その2>
◆日本以外の先進国で歯科医院の仕事とは虫歯を治すよりも、なぜ、そのような状態になったのかを考えて、再び同じ状態にならないようにすることです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

◆歯みがきの本来の目的は食べかすをとるのではなく、歯垢をとることです。

◆みがくもの----- 食べかすではなく、歯垢(細菌のかたまりのこと)
 みがくところ----- 歯と歯の間が重要
 みがく道具----- デンタルフロスをメインに、歯間ブラシも併用
 みがく時間----- 就寝前と起床直後

◆口の清掃状態がすべてとは思いませんが、口の清掃状態が悪いと必ず全身病を引き起こす。

◆糖尿病は血管がボロボロになる病気です。ボロボロになった歯ぐきの血管が炎症を起こし、歯周病を引き起こします。もしくは歯周病菌が毛細血管から侵入して全身の血管をボロボロにします。


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  森昭 「歯はみがいてはいけない」(講談社)
2020123日(木)

 

 

大変説得力のある内容である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介してみたい。
<その1>
◆現在日本では100万人以上が寝たきりになり、スウェーデンでは寝たきりの人はほとんどいません。(両国の平均寿命はほぼ同じ)
日本は80才で残っている歯が10本以下なのに対し、スウェーデン人は80才で歯が21本以上残っています。 
日本人の大量の寝たきりを生み出しているの原因は「歯」です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

◆日本式の一日3回の歯みがきが歯周病を引き起こし、口臭や全身病の原因になっています。食後すぐに歯みがきをし、歯みがき剤を大量に使い かつ、デンタルフロスを使用しないという日本人の間違った歯みがき習慣があなたの自己免疫力を奪っています。

◆歯ブラシは1ヶ月以上同じものを使っていたら、バイ菌でみがいているのも同然です。


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
2019111日(金)

 

 

<その8>
◆日本の裁判では、故意を争うだけでは特捜検察に勝てないからである。本書において詳細に検討したように日本の経済事件で被告人が無罪判決を得ることができるのは、犯罪事実そのものを争う場合に限られている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

◆現行刑事訴訟法は、証拠理由に代えて、証拠の標目でよいことにしている。このため、日本の判決文は誠に説得力がなく、(主文を聞かずに)判決理由を聞いただけでは、被告人が有罪か無罪かが分からないという不可思議な現象が起きるのである。


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191031日(木)

 

 

<その7>
◆看守は「僕らは難しいことは分からないけどな、お前が否認して頑張るって言うんなら、俺たちはあれだ・・・・。まぁ、応援しているから・・・・。ここには総理大臣も来たことがある。たくさん偉い人が来てみんな頑張って否認を貫いていったぞ。お前もずいぶん偉かったそうだけど、ここではそれは関係ない。辛い時はここで泣け。接見で出る時とか外では絶対に泣くな。お前は辛いだろうけど、外で待っている人はもっと辛いんだ。外の人に涙を見せるな。泣くんだったら、ここで泣け。」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆欧米では財務諸表危険度分析を多くの民間団体が行なっていて、監査法人を含む多元的な上場会社の財務諸表適正監視体制が社会全体として機能している。公認会計士監査が機能しないので、社会はだからと言って、官に頼ることはせずに、民間の力で財務諸表危険度分析を行って、財務情報の自己防衛を行うのである。


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191030日(水)

 

 

<その6>
◆被疑者が精神力の強い人で特捜検察の取り調べに見事耐え切って自白調書の署名を拒みきった場合でも状況は変わらない。検察官は本人が自白しなくとも事件の関係者に自白をさせればよい。厚生労働省村木事件における塩田部長と村木課長の関係はまさに塩田部長が自分の罪責の忌避あるいは軽減のために虚偽の供述をして無実の村木課長を冤罪に引き込んだものに他ならない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆捜査権と起訴権を保有する特捜検察のような組織体は西側先進諸国において日本と韓国以外に聞いたことがない。FBIは強力な捜査権はあるものの起訴権は持たない。

◆障害者福祉を食い物にしたとして立件した郵便不正事件では大量13名の逮捕者のほとんどに対して罰金刑しか取れず、高級官僚の犯罪として立件した虚偽公文書事件では高級官僚の惰性的怠慢による単独犯行で終わってしまった。厚労省の村木課長を逮捕したところ、無罪判決を食らって、その裏で証拠の虚偽までやっていたというのでは目も当てられない。特捜検察の冤罪構造は一部不良検事の暴走によるものではなく、特捜検察の文化と思想そのものが起因している。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191029日(火)

 

 

<その5>
◆我々は店舗を構えて一般消費者を相手に商売をしており、顧客を選ぶことができない。しかし、我々は一般顧客を優良顧客にすろことはできる。 
名門ホテルや一流デパートでは容姿端麗な女性社員が接客している。彼女たちの制服、姿勢、態度、物腰、言葉遣いが顧客の悪性を防止しているのである。毅然として誇りある態度は、潜在的な顧客への悪性を顕現させることがない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

◆クレームの基本は、とにかくお客様の言葉を真摯な姿勢でお聞きすることに尽きる。どちらが悪いかなどは二の次である。

◆このようなクレームが頻繁にあるのは、営業が無理な売上を立てているからに他ならない。予算達成のノルマがきつく、そのため未だ購入に踏み切れない顧客に出来もしない特典を匂わせて強引に契約させているのである。特典がつかないと分かった時には必ずクレームになる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191028日(月)

 

 

<その4>
◆多くの経営者が誤解しているが、価格競争の勝者が過当競争のマーケットの勝者となるわけではない。品質競争の勝者こそが過当競争マーケットの勝者となることを私は知っている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆1ドル80円が110円、つまり4割近い円安になるが、ということは留学生の円建て留学コストは4割安になったということを意味する。東日本大震災後ただでさえ外国人学生が戻り始めいた上で4割の円安が重なったのだから、九段日本語学院の生徒数は月を追うごとに増えていったのである。

◆ただし、従業員が常に忙しい本当の理由はこれではない。(これとは不必要な書類をたくさん作っていること)この会社の顧客のクレームが多すぎるのである。従業員はクレームを出すと上司からひどく怒られるので、クレーム報告書を書かずに自分で処理しようとする。すると、顧客は会社がまともに取り上げていないと思いこのクレームに怒りが籠る。・・・・従業員は四六時中その対応に追われることになる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191025日(金)

 

 

<その3>
◆多くの日本語学校の出身国が韓国・中国・ベトナム・ネパールのアジア4ヵ国に極端に偏重しているのに対し、九段日本語学院の学生の出身国はイギリス・ドイツ・イタリア・ロシア・アメリカ・カナダ・オーストラリアが多くアジアからの学生と合わせて理想的なナショナリティ・ミックスとなっている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆日本語教師の希望者の圧倒的多くは高学歴の主婦であり、この人たちはご主人の収入で十分生活が成り立っているため、別に金が欲しくて働きたいと思っているわけではない。スーパーのレジ打ちのパートをするのと違い、ご近所に聞こえの良い知的な副業なのである。
だから、日本語教師養成学校に通って金と時間を投資したにもかかわらずパートよりもはるかに低賃金労働の日本語教師になりたがる。


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191024日(木)

 

 

<その2>
◆私は2004年3月の逮捕・起訴から2010年の最高裁上告棄却までの6年2ヵ月という長い期間を法廷闘争に費やしてきたことになります。この間私は4,000万円を超える弁護士報酬を支払い、3,000万円を超える納税を行ってまいりました。日本の司法の規定は金がなければ無罪を争うことなどできません。冤罪事件における自白調書の背景には、検察官による自白の強要といった時代錯誤的取調べ手法の問題以前に、自白しなければ、生活が成り立たないという刑事被告人の経済合理性があるのです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆日本に数多くある日本語学校の多くは学生ビザによる外国人労働者受け入れの隠れ蓑として機能している。学生ビザは労働ビザに比べてはるかに取りやすいのである。そんな中で「日本文化研究に基づく日本語教育」などと、教育理念を前面に持ち出した学校経営を行っている日本語学校などそうそうあるものではない。九段日本語学院は、日本語教育業界保守本流の名門校なのである。


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  細野祐二 「会計と犯罪」(岩波書店)
20191023日(水)

 

 

「伝説の会計士」が問う特捜検察の闇とサブタイトルに書かかれている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆私は東京電力の廃炉会計がいかに企業会計原則を無視した不当なものであるかを説明し、編集者は私の話を面白いと言ってくれた。しかし、私は自分の論稿が本当に「世界」に掲載されるとは信じられなかった。キャッツ粉飾決算事件で逮捕・起訴された刑事被告人としての前科があるからである。この懸念を編集者に伝えると編集者は「岩波に限ってはそのような御懸念は御無用です。」と力強く胸を叩き「それに細野さん、出版界にはお縄系セレブというジャンルがあるんですよ。」と言った。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

◆2010年の郵便不正事件・虚偽公文書事件・証拠改ざん事件の連発のおかげである。郵便・不正三事件のおかげで特捜検察の冤罪構造が満天下に明らかになりその結果、特捜事件の元刑事被告人に対する社会的差別が著しく緩和されたのである。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
2019822日(木)

 

 

<その9>
◆高層ビルは屋上もしくは、途中階に給水タンクを設置しなければなりません。また、窓が開けられないので、24時間空調が必要です。つまり高層ビルはエネルギーの大量消費と無駄遣いで存在しているのです。このように、東京一極集中は、エネルギー問題の象徴的な現象でもあります。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆働き手が増えれば、移民政策は必要ありません。また、人口が減るということは、人手不足になるのではなく、大量にモノを生産しなくてもいい社会になるということです。今はまだ20世紀型の大量生産・消費社会を踏襲しているので、食品ロスや空き家が増えたりしていますが、これからは、人口減少とともに生産消費を身の丈に合わせていき、均衡をはかるわけです。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
2019821日(水)

 

 

<その8>
◆40年後に人口が1億2,000万人から
8,000万人になるのも、実質GDPが534兆円から25%減少して400兆円になるのも受け入れるしかないのです。だからと言って悲観的になる必要はありません。それは、1人あたりの実質所得は8%増えることになるからです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

◆ゼロ金利で資本主義は終焉しても、それは希少だった資本が過剰になったことの証であり、財、サービス、資産が満ち足りている日本やドイツは全体としては困ることではない。21世紀の課題は、分配問題である。それは市場では解決できない。政治で解決していく以外の方法はない。そのためには、民主主義が機能していなければならない。

◆平成の始まりは、ソ連が崩壊して資本主義と社会主義の間で生産力増強競争に決着がついた時でした。それは資本主義が勝利したかに見えたのですが、21世紀の始まりとともに、戦後、もっとも成長した日本とドイツがゼロ金利となり、平成が終わります。近代以降続いてきた生産力増強の時代の終焉が平成の終わりになって、資本主義社会でも確認されたことになります。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
2019820日(火)

 

 

<その7>
◆小選挙区制を与党の政治家が変えることは、今後数十年ないでしょう。小選挙区制は選挙区が狭く、カネもかかりません。また、別な党の候補だけでなく同じ党の候補とも戦う中選挙区制では、候補者に独自性が求められましたが、小選挙区制での「敵」は別な党の対立候補者のみ、彼(彼女)を攻撃すればいいわけです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
安倍首相は、それほど国民的人気があるわけではありません。そこが小泉元首相と違います。それでも、安倍一強となるのは、小選挙区制だからなのです。

◆官僚機構の崩壊が止まりません。今の東大法学部を出るような優秀な人は世のためひとのために官僚になるのではなく、自分のカネのために外資系金融機関や大きな法律事務所に就職します。

◆痛感したのは経済学はもう一度「政治経済学」に原点回帰しなければならないこと、資本主義は終わっても民主主義を終わらせてはいけないということである。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
2019819日(月)

 

 

<その6>
◆アメリカのドル覇権を支えるのが、IMFと世界銀行です。その2つで経済成長する国に融資します。新自由主義を信奉するアメリカ資本は、危機に陥った時に出資や融資をする条件として、資本の自由化や民営化など構造改革を迫ります。アメリカに有利なルールに変えるわけです。この同じ道を中国もたどっています。すなわち、AIIBの投資先であるアジアやアフリカの国々で中国の影響が強まっているのです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

◆アメリカの対中国赤字が増えると、その分中国はドルを保有し、そのドルは国債になります。国債は債務です。アメリカが債務者で中国が債権者です。アメリカにとって債権者は同盟国であり、安全保障をアメリカに依存している日本やドイツであれば問題ではありません。しかし、中国はそれを戦略的武器として利用してくるでしょう。それを避けたいアメリカの思惑が米中貿易戦争の背景にあるのです。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
2019816日(金)

 

 

◆イギリスとアメリカはグローバル化を推進してきた2大勢力です。世界金融の中心であるロンドンのシティ、ニューヨークのウォール街が、その先兵でした。グローバル化の総元締めである両国が「グローバル化」をやめたと言い出したのは、グローバル化にはメリットがないと見切ったからです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
グローバル化は相互依存することでおたがいにメリットを享受する。というのが、もともとの触れ込みでした。しかし、日本の現状を見れば、真逆であることがわかります。

◆世界を見てもグローバル化は貧困と格差を生み出しています。グローバル化とは、相互依存でお互いに利益向上をはかるのではなく、資産を持つ者、すなわち富裕層の利益を最大化することが目的だったと言わざるえません。

◆驚いたことに、アメリカ人の平均寿命は2015年以来3年続けて短縮しています。薬物の過剰摂取や自殺による若い男性の死亡率上昇がその要因です。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
2019815日(木)

 

 

<その4>
◆安倍政権下で株価は2倍超になっています。また、消費者物価は上がりませんでしたが、土地など資産価格は上昇しています。大企業経営者や資本家からすれば、アベノミクスはウエルカムであることがわかります。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
しかし、6,530万人の就業者の多くはアベノミクスの恩恵を感じているようには見えません。日本では株を保有している人は一割程度しかいません。極端に言えば、労働者で、アベノミクスで成功している人と評価する人は一割にも満たず、ほとんどの人にとってはマイナスの評価だと思います。

◆さらには企業の内部留保や個人の金融資産に課税し、相続税の税率を引き上げます。ここまでしてはじめて消費税増税の論議をすべきです。ただ内部留保課税と個人金融資産課税は財政赤字の補填ではなく、格差是正に使います。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
201989日(金)

 

 

<その3>
◆明治維新以降の近代化とは、一言で言えば機械化のことです。機械を使っての大量生産・大量輸送が可能になって、日本は豊かになりました。機械産業が生産性を向上させ、日本人の生活水準を上げる土台を作ったのです。

◆もし、日本の自動車産業が国際競争力を失って輸出が低迷し、原油価格が高騰しようものなら、とたんに破綻の危機が迫ります。それほど、経済基盤が危うい構造になっているのです。

◆2010年、日本はGDPで中国に抜かれました。経済大国からの転落という状況の中で、安倍首相が「日本を取り戻す」と言った保守的・復古的スローガンを唱えたことは、国民的プライドを失いかけている日本人には魅力的に響いた側面もあるでしょう。

◆実は有効求人倍率が上がるのは、あたりまえなのです。単純計算ですが、各学年で200万もいる団塊の人たちが引退して、120万人しかいない新卒者が就職するのですから、どう考えても有効求人倍率は上がっていきます。言わば、数字のトリックです。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
201988日(木)

 

 

<その2>
◆私が企業は変わったと思ったのは、新日鉄が行なった戦後はじめてのホワイトカラーのリストラです。新日鉄は、1993年、急激な円高などによる業績悪化でホワイトカラーを含む7,000人の人員を削減したのです。それまで、リストラは、工場労働者対象でした。

◆2000年代に入ったとたん、トップ企業の経営者の発言に日本企業が本当に変わってしまったのだと衝撃を受けました。ひとつは、2001年の富士通の秋草社長のインタビューです。業績の下方修正に対する社長の責任を問われ、「くだらない質問だ。業績が悪いのは従業員が働かないからいけない」と答えたのです。 当然、経営に対する責任放棄と批判されました。
もうひとつはトヨタ自動車の奥田会長の「春闘(春季生活闘争)は死語」発言です。春闘なんかやっても賃上げは認めないという意志の表われで「連合潰し」の意味があったのでしょう。ここに連合は、決定的な敗北を喫するのです。


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  永野利夫・山口二郎 「資本主義と民主主義の終焉」(祥伝社)
201987日(水)

 

 

平成の政治と経済を読み解くとサブタイトルに書かれている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。
<その1>
◆ソニーやトヨタ自動車は、外国人株主比率が高い企業です。日本のメディアがおかしいのは、それを「優良企業」と称賛することです。外国人株主が多いということは、外国人の支配下にある企業という意味です。これを「優良企業」と呼ぶことに、私は違和感を覚えます。
その優良企業であるソニーは、1997年頃リストラを開始します。リストラは以後も行なわれ、2015年に「リストラ終了宣言」を出すまで続きました。トータルで7万人以上がやめていったわけです。

◆加藤紘一がここで挫折したことは、自民党のハト派勢力が消滅するきっかけになりました。宏池会は、自民党における穏健派・ハト派の牙城だったからです。今日の自民党の劣化の起点がここにあったとも言えます。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019514日(火)

 

 

<その10>
◆出版という世界で力さんほど、いろんな部署にいた人は珍しい。それもすべて編集現場。誰が見たって左遷という感じの異動もあったよね。
そこで普通は黙り込んでしまうものだけど、いつも「起きあがり小法師」をやっていた。それに考え方を最後まで変えなかったようにも見える。それ、書いたら面白いと思うんだ。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019513日(月)

 

 

<その9>
◆集英社は、私にとってはかなり住みよい会社でした。自分では別にとんがった考えの持ち主だとは思っていなかったのですが、周りからいつでも「青いヤツ」と見られていたようです。それでも雑誌で自分が好きな特集をやったり、気に入った著者と組んで本を作ったり、わりと自由に最後まで編集者生活を送ることができました。それに対して、会社からストップをかけられるということは殆どありませんでした。

◆しかし、これは長続きはしなかった。2012年12月に行われた衆院総選挙での安倍自民党の大勝という結果に愛川さんの心が折れた。安倍晋三という人物の危険性について、愛川さんは本気で危惧の念を抱いていたのである。
それにご自身の体調不良も重なった。「もう、ほんとうに終わりにする。やりたければ、きみたちで後を継いでくれ」
愛川さんはそう言って、この「愛川欣也のパックン・ニュース」は、2013年3月30日をもって、幕を閉じたのだ。たった1年間の愛川劇場の幕引きだった。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019510日(金)

 

 

<その8>
◆そのとき森達也さんは「オウム報道はほんとうにひどかった。中でも、まともな姿勢を取ったのが意外だが「週刊プレイボーイ」だけだった。」という話をしてくれた。ぼくがいたことには気づいていなかったようだから、本心で言ってくれたのだろう。ぼくはほんとうに嬉しかった。きちんと見てくれた人がいたのだなあ・・・と。

◆何度、ご馳走になっただろう。「ご飯」とは言いながらも大田さんはほとんど食事をせず、シーバスリーガル18年もののストレートをくいっくいっと飲むのが常だった。大田さんが知事だったとき、県議会で野党の自民党議員に批判されたことがあるという。
「大田知事は県産品奨励と言いながら、ご自身は泡盛ではなく、ウイスキーだけしかお飲みにならない。これはおかしいのではないのか。」と言われたそうだ。
「だけどねぇ、酒くらいは好き好きにさせてほしい」と大田さんは、苦笑していた。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
201959日(木)

 

 

<その7>
◆「オリジナル文庫」という発想である。
つまり既成の単行本の文庫化ではなく、まったく新しいものを最初から文庫で作るということだ。これは、ぼくの新発想だと思い込んでいたのだが、実はこういう例は随分前からあったようだ。

◆出版社の数は「出版ニュース」「2017年の6月中旬号」によれば、3,433社である。これらの社から刊行された書籍は、この1年間で7万8,113点に及ぶ。1日になんと200点もの単行本が発行されていることになる。書店の棚の取り合いが熾烈になるわけだ。

◆ベテランスタッフに連れられて著名作家のところへ挨拶回り。作家といっても、いろんなタイプがいるものだなあ、というのが偽らざる感想。正直に言えば、知り合わなければよかった・・・・、という人のほうが多かった気がしないでもない。

◆いまになって振り返ると、あの「オウム・バブル」がマスメディアの性格をかなり歪めてしまったのではないかと思う。情報のウラをとる。というジャーナリズムのイロハのイが疎かになっていた。それがなぜか許されてしまったのが「オウム・バブル」だったと言えよう。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
201958日(水)

 

 

<その6>
◆原発を少しでも調べていけば、その闇の深さに慄然とする。そして金の力がいかに人間の尊厳を傷つけるかが見えてくる。

◆月刊誌と週刊誌は違う。入稿・校了の次にまたすぐ入稿・校了が待っている。1週間が経つのが、アッという間だ。旅に出ている暇はない。

◆60年代の若者の3大雑誌といえば、まずは「少年マガジン」と「朝日ジャーナル」、そして「平凡パンチ」だったのである。

◆原発特集もかなり頻繁に掲載した。うるさい週刊誌だなと、電気事業連合会も思ったらしい。広告部に「週プレに大きな広告を掲載したい」との話があった。広告料金も破格の提示があったという。「いいですよ。その代わり、原発広告の載る週は、必ず「週プレ」なりの原発記事を載っけますから、それでもいいんなら・・・・。」
なぜか電事連からの広告は入ることはなかった・・・。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
201957日(火)

 

 

<その5>
◆ぼくが「堤さんは財界人として・・・」と問いかけたときだった。彼はこの5時間の中で、唯一厳しい口調で、「私は経済人ではあっても、財界人などではありません。」と、ぼくを遮ったのだ。財界という金のことしか頭にない老人どもと一緒にしてくれるな!ということだったのかもしれない。

◆村上春樹さんははっきりとした物言いをする方だった。
「70年代に馬鹿だったヤツは、80年代も馬鹿だし、90年代も馬鹿だ。変わるわけないんだ。」と言っていたね。

◆ぼくは原発への関心を持ち続けた。やがて、編集長になってからも、何度も原発特集を繰り返した。東京電力や電気事業連合会などには、妙にしつこい週刊誌だと思われたのだろう。
東京電力から「ぜひ一度お話をうかがいたい」と丁寧なお誘いがあり、新橋にある巨大な東電本店へ出かけたこともある。「お話」が終わって、帰りかけると、「ちょっとお席を用意してありますので、ぜひお時間を」と食事の誘いを受けた。なるほど、銀座も近いし、こうやって記者や編集者は「落とされる」のだな。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019426日(金)

 

 

<その4>
◆集英社にいまも少しは残っているような、ある種の反骨精神はこのころの名残りなのかもしれない。出版大手3社といわれる中で、小学館と講談社が「ヘイト本」としか思えない出版物にも手を出しているにもかかわらず、集英社はそれをしない、というところにも表れている。

◆しかしこのころになると、ぼくの中で熱はかなり醒め始めていた。体制への反抗、などという気分がすっかり消え失せた。「ニューミュージック」、フォークソングというよりは軽いポップスというような音楽に変容していくのに、ぼくはいささかウンザリしつつあったのだ。

◆以後、ぼくは多くの著名人の「PLAYBOY インタビュー」を重ねることになる。これは、インタビューに5時間ほどをかけるという長丁場の取材。5時間をもたせるためには相手のことを隅々まで知っておかなければならない。相手が飽きてしまったら、そこで失敗である。

◆「ところで、を多用するインタビュアーは、まずダメだね。相手との会話が成立していない証拠だからね。相手の言葉をきちんと捉えられれば、そこから新しい発展がある。それができないから「ところで」と話をずらしてしまうのだ。相手の話の腰を折ることにもなる。」


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019425日(木)

 

 

<その3>
◆ぼくは、相変わらず、フォークの取材に精を出していた。芸能界というところの居心地の悪さは感じていたぼくにとって、旧い体質をひっくり返すかもしれないフォークブームは、肩入れしやすい格好の対象だったのだ。
芸能界という旧体制への反抗というわけだ。しかも事務所に縛られた、幼いといっていいほどのアイドルたちとは違い台頭してきたシンガー&ソングライターたちや彼らのマネージャーなどは、ぼくとほぼ同世代。一緒に酒を飲みながら「ミュージック・シーンの未来」などを語ることもできた。いま考えれば、震えが来るほど甘ったるい感傷だけれど、それなりに真剣な議論もしていたのだ。

◆「月刊明星」と「月刊平凡」は、芸能誌メディアでは、鎬を削るライバル関係だった。ただ、このころから、月刊誌では「明星」は「平凡」に先んじるようになった。簡単に言えば、「明星」が新興勢力のフォーク&ロック系に力を入れ始めたのに対し、「平凡」がその分野でやや後れをとったため、というのも原因のひとつだったのではないかと思う。(「月刊平凡」は部数減を挽回できず、1987年12月号をもって休刊に至る。なお、「月刊明星」はロゴタイトルを「Myojo」と変えて、現在も健在である。)


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019424日(水)

 

 

<その2>
◆新入社員が雑巾を絞って丁寧に先輩諸氏の机の上を拭いていく。とにかく灰皿がすごい。スタッフの8割以上が喫煙者だったろう。みんなの机上の灰皿は盛り上がって富士山状態。いまでは考えられない。

◆彼らはよく「こちら側」と「あちら側」という表現をした。つまり、旧い体質の芸能界を「あちら側」、それに対抗して新しい音楽表現を試みる自分たちを「こちら側」と呼んだわけだ。
ただ、のちに拓郎さんがぼくに語ってくれたのは、逆にそういう区分への違和感だった。
「ほんとうは、おれは、「こちら側」じゃないと、ずっと思い続けていた。「こちら側」で一応地位を得たけれど、本来は、「あちら側」の方が自分には似合っていると思っていたよ。」結局、「こちら側」だったはずのフォークやロックが「ニューミュージック」といわれるような、牙をもがれたものへ変質していく過程に、やがて、ぼくも違和感を抱くようになっていく。


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  鈴木耕「私説集英社放浪記」(河出書房新社)
2019423日(火)

 

 

25才から61才までの36年間、集英社に在籍した編集者の物語である。非常に面白い。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆これからも分かるように集英社は典型的な雑誌出版社であり、しかも大衆雑誌が主体。文学の薫り高い老舗出版社の新潮社や文藝春秋のなどの編集者たちからは、やや見下されているような感じだったらしい。

◆ところで「月刊明星」とはいかなる雑誌だったか。1952年の創刊で、ライバル誌はもちろん「月刊平凡」だった。
「月刊平凡」は、なんと1945年、すなわち敗戦の年の11月に早々に創刊されている。娯楽に飢えていた人たちの大きな支持を受けて、それこそ右肩上がりの成長を続け、1955年には発行部数140万部を記録したという。映画スターの写真と記事を中心にした娯楽雑誌・映画が娯楽の帝王であった時代の象徴のような雑誌であった。


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  佐藤優「未来のエリートのための最強の学び方」(集英社)
2019416日(火)

 

 

<その6>
◆ヒトラーの再来を防ぐためにはヒトラーの研究は絶対に必要であり、したがって彼の著作「我が闘争」の研究も必要だと考えています。ヒトラーの著作を出さなければ、ヒトラーの再来を防げるという発想はむしろ非科学的です。

◆数学とは非言語的論理であって、我々が日常的に行っている言語による論理思考の誤りを正す力がある。
だからこそ、我々には数学を学ばなくてはならないわけですが、そこのところの基本ができていないものだから、妙な「論理」を構築してしまう。この典型的な例がネトウヨ的言説ですね。


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  佐藤優「未来のエリートのための最強の学び方」(集英社)
2019415日(月)

 

 

<その5>
◆人間がまともに認知できる人間の数は150人くらいが限界だと言うんだね。それ以上になるとただの記号になってしまって「友だち」とはとても呼べない。

◆知識人と言うのは己の専門科目を通じて自分が社会の中で、どのような場所にいるかを知ろうとしている人であり、それを自分の言葉で語ることのできる人のことだ。大学や大学院で研究していることの最終的目標というのはそこにある。

◆科学者がやるべきことは、その核兵器が使われた時にいったいどういうことが起きるかどうかを具体的に実証的に明らかにして、それを世の中に提供するのが役目であって物理学の研究を止めることで世間の人が真実を知ることを妨げようとするなんて、とんでもない話だ。これも大いなる思い上がりである、と。


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  佐藤優「未来のエリートのための最強の学び方」(集英社)
2019412日(金)

 

 

<その4>
◆今、独自の入試問題が作れなくなって、センター試験に依存する大学がどんどん増えてきている。これも1979年型の弊害。というのも、自前で大学入試の問題を作れるということは高校の学習指導要領をきちんと理解していること。つまり入学試験を作れる大学はそれだけ高校と大学の接続がちゃんとできているということになる。

◆で、1914年の第一次世界大戦はいったい誰が始めたのか。
1939年の第二次世界大戦の原因は、誰の目にも明らかだね。それはナチスだ。ヒトラーが、ポーランドに侵攻して、第二次大戦が始まった。ところが、第一次大戦は、誰が始めたのかいまだに確定していない。

◆東大や東工大クラスの大学ではスマホを触りながら歩いている学生はいない。それはいったいなぜか。答えは簡単で、歩きスマホが習慣化するほどスマホに依存しているような受験生は、東大や東工大には合格しない。


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  佐藤優「未来のエリートのための最強の学び方」(集英社)
2019411日(木)

 

 

<その3>
◆1979年のセンター入試の前身の共通一次試験というのが導入されたのがこの年だった。この入試改革によって、偏差値による大学の序列化が進んだ。その結果、文科系の質が低下していった。というのも、偏差値がモノを言うようになった結果、どこの大学も目標の偏差値を少しでも上げたいと考えるようになった。そうするのに、いちばん手っ取り早い方法は何かというと、入試科目から数学を外すということだった。

◆まず、公認会計士だが、これは試験に合格しても、資格が取れない。試験に合格したあと、監査法人に2年間勤めないといけない。でも、今、監査法人に就職できるのは、合格者の8割で残りの2割は就職できないため、正式には資格が取れない。

◆毎年、司法試験に合格した若手弁護士が全国で50人・60人と辞めているという現実がある。それはなぜかというと「貧困」。弁護士であるために、かならず弁護士会に所属しないといけないけれども、その会費が毎月5万。この会費が納められない弁護士がそれだけいるということ。


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  佐藤優「未来のエリートのための最強の学び方」(集英社)
2019410日(水)

 

 

<その2>
◆役に立たないことが、中長期的には役に立つ。「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる。」と言ったのは小泉信三である。

◆ちなみに韓国では8月15日は光が復活する「光復節」と、言う。だが、我々がタイムマシーンに乗って1945年8月15日のソウルに行ってみたとしたら、そこでは、玉音放送を聞きながら、朝鮮人は涙を流しているよ。大日本帝国の一部で朝鮮人は「外地市民」という扱いだったけれど、日本国籍をもっていた。だから、玉音放送を聞いて「自分たちは負けたんだ」と感じたんだね。ところが、その2日後の17日になって「連合国は朝鮮を独立させる方針である」というニュースが伝わったから、みんな万々歳だ。


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  佐藤優「未来のエリートのための最強の学び方」(集英社)
201949日(火)

 

 

文理融合の教養がこれからは求められているというのが、著者の主な主張である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆学閥は、企業でも官庁でもその中の劣位集団が作る。要するに、先頭を走っている人間は自分の仕事でいっぱいいっぱいで「どこの大学の出身かなんて考えている余裕がないわけ。真ん中より下にいて、グジグジしていると出身大学や学部が気になる。」
なぜ、数学的能力に着目するかというと、数学というのは論理的な思考の基盤になるからだ。学生の多くは、高校時代、数学を暗記物の一種として捉えていない。高校時代にそういう勉強しかしていないから、大学にいったら、あっという間に忘れてしまう。身についていない。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019329日(金)

 

 

<その22>
◆スクランブル回数や外国船の領海侵入回数が、「抑止力が効いていないこと」の指標なら、安保法制は抑止力の向上にまったく役立たなかった(むしろ損なった)ことが1年後明らかになった。
だが、誰もその責任を取る気配がない。

◆僕は、集団として生き延びるためにさまざまな社会的能力は開発されるべきであると信じています。ですから、集団的、内部的な格付けを容易にするために、成果を規格化することにはつよく反対します。集団が弱くなるからです。
でも、僕のように考える人は、今の日本では圧倒的な少数意見です。ほとんどの人は、「誰でもできることを他の人よりうまくできる」という相対的な優劣の競争で上位にランクされることに熱中している。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019328日(木)

 

 

<その21>
◆忘れている人が多いが、独裁と民主制は相性が良い。ヒトラーもムソリーニもペタンも立法府が「私たちにはもう国家の重大事を議するだけの能力がありません。」と自らの無能を宣言したせいで、民主的手続きを経て独裁者になった。
立法府が見識と威信を失えば、民主制は自動的に行政府独裁に移行する。議会が機能していないことを繰り返し誇示しているうちに、立憲民主主義は壊死するのだ。

◆首相の言うように、スクランブル(国籍不明航空機に対する自衛隊機の緊急発進)回数が抑止力不足の指標であるのなら、安保法制の整備後にはスクランブル回数は減少してよいはずである。だが、実際には、安保法成立後の16年度のスクランブル回数は1,168回、戦後最高を記録した。北朝鮮のミサイル発射数も中国艦船の領海侵入も、安保法成立後に増加した。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019327日(水)

 

 

<その20>
◆政権党の議員たちは、その風向きの変化を敏感に感じ取り、メディアはもう「権力の番犬」としては、機能しなくなったと思い込んだ。何をやっても官房長官が「まったく問題ではない」と言い放てば、問題ではなくなるということは、彼らは学習した。だから、官邸に対する忠誠心さえ明示しておけば、どんな暴言や逸税も許されると思い込んだのである。

◆権力とは、平たく言えば「いかなる理不尽を働いても罰されない立場にいること」である。

◆私の予測は、最終的に与党は憲法そのものの改定を断念し、内外に抵抗の少なそうな緊急事態条項の「加憲」だけで手を打つというものである。
これは、総理大臣の判断で憲法を停止し、人権を制約し、独裁体制を成り立たせることが出来る条件を定めたのもので、ヒトラーやペタン元帥の全権委任法と法理的には同一のものである。それをもって「改憲の実を取った」と首相は胸を張るつもりであろう。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019326日(火)

 

 

<その19>
◆法案審議は最初から最後まで異常であった。4月に首相は米議会で「夏までに成立させる」と誓言をなした。まだ法案が国会に提出される以前のことである。このことは、法律制定の権利は「国権の最高機関」たる国会ではなく、内閣にあるという首相自身の内面の思いをはしなくも露呈させたものだった。
カントは、「永遠平和のために」の中で、独裁を定義して、「法の制定者と法の執行者が同一である政権」と書いている。カントの定義に照らせば、この米議会での発言は首相が独裁制の開始を宣言したに等しい。

◆独裁制というのは、ある日、統治者が「今日から独裁制が始まる。反対するものは投獄」というような、わかりやすいかたちで始まるものではない。形式的には、あくまで民主的な手続きを経て、「圧倒的な民意の指示を得た」という口実の下に行わる。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019325日(月)

 

 

<その18>
◆むしろ非常識的な暴言を吐き散らすほうがメディア露出度が上がり、知名度が増し、次の選挙に有利に働くと思っている。「政治家に正しくないこと」を放言し、政敵を口汚く罵倒することで高い人気を得た「先達」の成功例に学んだのである。メディアがその「うまみ」を彼らに教えたのだとすれば、その罪は重い。

◆歴代政府の伝統的な憲法解釈は、「憲法9条は自衛のための最小限の個別的自衛権までは否定しない」というもので、日本国民の過半はこの解釈を受け容れてきた。
安倍政権はこの伝統的解釈を棄てて、「自国が攻撃されていない戦争にもコミットできる」集団的自衛権の行使の手続きを法的に整備しようとしている。なぜ解釈が覆されるのかについては、「安全保障環境が変化したから」という以上の説明はされていない。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019322日(金)

 

 

<その17>
◆国会は「全国民を代表する」議員たちが法案の当否について議する「国権の最高機関」である。内閣は「どれだけ時間をかけてもいいから法案に瑕疵があれば徹底的に精査して下さい」と国会に「お願いする」立場にある。
法案を精査している当の議員に向かって総理大臣が、「早く質問しろよ」というような暴言を口にするのは憲政上あってはならないことである。あってはならないことが起こるのは、政府が国会審議を「面倒な儀礼」とみなし「一刻も早く終わればいい」と思っているからである。

◆もちろん昔も腹黒い政治家や食えない政治家はたくさんいた。けれども、彼らは自分の「腹の内」はなかなか見せなかった。表面は「きれいごと」で飾っていた。
それは本音を知られてメディアに叩かれることを多少は恐れていたからである。今の政治家たちはメディアを恐れていない。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019320日(水)

 

 

<その16>
◆長期政権の没落を呼び込むのは為政者の無能や失政ではない。彼を喜ばせる以外に取り立てて能力のない人たちがいつの間にか統治機構の中枢ポストを占有することがもたらすのである。

◆政治家と言うのは、「正味のところどういう人物であるか」によってではなく、「どういう人物だと他人から思われているか」で勝負が決まる。

◆外交や憲法やエネルギーの問題は、すぐれて政治的な論件である。政治家たちが論理を積み上げ、情報を尽して国民的な合意形成を果たせば国としての姿勢は決まる。選び取られたその国策が仮に失敗したとしても、その責めは国民全体がわがものとして引き受けるしかない。それが民主主義というものだ。
だが経済は話が違う。
グローバル化した今日、一国の経済政策がどれだけ正しくても私たちには制御できない外部的な要素の介入で、しばしば破滅的自体が生じる。ニクソン・ショックもオイル・ショックも、リーマン・ショックも、どれも日本政府の一国経済政策の適否とは無関係に外部から到来した。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019319日(火)

 

 

<その15>
◆近年の政治的事件を見ていると、人々は「自己利益の追求」より「他社利益の毀損」を、「政治的理想の実現」よりは「政治的現実の破壊」を優先させているように、私には見えるのである。

◆「アメリカのデモクラシーにおいて、民衆はしばしば権力を託する人物の選択を誤る」
だから、不適切な権力者がもたらすリスクを軽減するために、アメリカでは統治者に権力が託される期間は限定的であり、かつ統治者が民衆の意向に反する政策を強行できないようにいくつもの抑制が設定されている。

◆なにより重大なのは、アメリカの有権者たちの多くが、そのファクト・チェックの結果を無視したということである。事実だろうが、嘘だろうが、とりあえず耳に心地のいい話を聞かされることを彼らは選んだ。
日本にはファクト・チェックそれ自体が存在しない。日本の政治かがウソや誇張を口にしないからではない。嘘と誇張がデフォルト(標準設計)なので、査定の意味がないからである。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019318日(月)

 

 

<その14>
◆「正義のアメリカと邪悪なテロリスト」の戦いで完全勝利をめざす国と、「邪悪なフランスと邪悪なテロリスト」の不毛な傷つけ合いの「おとしどころ」を探る国のいずれもが、これから先テロを効果的に抑制できるか、私たちは注意深く見つめてゆく必要がある。

◆政治における「潮目の変化」をもたらすのは必ずしも、政策の整合性や実現可能性ではない。それまでの政治プロセスに対する「酸欠感」である。
政府の政策が間違っていたというのではない。政治の方針にすらすら反論できるような知識や弁舌は、一般の有権者には期しがたい。
けれども、「こういう定型句や論法はもう聞き飽きた」という「うんざり感」は、一度肌身にしみると二度と拭い去ることができない。もっと違う言葉で現実を語るのを聞きたい、違う視座から世界の風景を眺めたいと望むことは誰にも止めることはできない。
そして、その「酸欠感」がいつ到来するかは、誰にも予測ができない。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019315日(金)

 

 

<その13>
◆米国はベトナムから後、アフガニスタンでもイラクでも泥沼にはまり込んだ。途方もない軍事費を流し込み、多くの人を殺し、都市を焼き払ったがそれによって地域に平和も自由も民主主義も根づかせることができなかった。
ただ、「米国を憎む人々」と「米国におもねり、利用しようとする人々」を大量に生み出しただけに終わった。米国の威信に敬意を払い、米国の大義に共感する人々を生み出すことはついにできなかった。

◆世界のメディアは、パリのテロの報道に忙しく、ベイルートの事件は簡単にしか報道されなかったし、レバノン国旗のデザインで、自国のモニュメントをライトアップした国もなかった。この非対称性そのもののうちにテロを生み出すイデオロギー的な土壌があるのではないかという指摘がなされた。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019314日(木)

 

 

<その12>
◆人口減については、誰も何も考えておらず誰が考えるべきなのかについての合意も存在しない。政府部内にその問題を統括する部署さえないということだけはわかった。日本は人口減だが、世界の総人口はこれからもアフリカを中心に増え続け、世紀末に112億に達する。今でも地上では9人に1人が飢えている。人口が増えれば、飢餓や環境破壊はさらに進行するだろう。だから、減らせるところから人口を減らすのは、人類的には合理的な解である。

◆仏教、道教、儒教と言う伝統宗教に対する締めつけの緩和は別に中国共産党が信教の自由について、人権的に配慮したからではあるまい。伝統宗教への宥和的な態度は、穏健な伝統宗教を広めることで、チベット仏教、キリスト教、イスラームといった「より危険な宗教」を牽制するための政策のように私には見える。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019313日(水)

 

 

<その11>
◆2015年に大阪府内の企業に対して行なったアンケートで、「「大阪で国際博覧会が開催されたら参加したいですか」との質問に対して、「参加したい」が12%、「どちらかといえば参加したい」が6%という寂しい結果になった。当然だと思う。

◆その「目先の嫌なこと」を回避するために嘘や手抜きを積み重ねることが将来どれほどのリスクを招来するかについて、予測が立たないというのは、感情の問題ではなくて、知性の問題である。そのくらいの頭が働かない人間は会社経営には向いていない。

◆「目先の、有形の予測可能な損害」と「最悪の事態がもたらす予測不能の損害」では前者を重く見る思考習慣が日本の企業文化を侵している。それが日本の企業を破滅させつつある。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019312日(火)

 

 

<その10>
◆築地市場の豊洲移転をめぐり都政の醜悪な暗部が露出してきた。なぜこれほど久しく瑕疵が看過されてきたのか。
理由の一つに東京に正しい意味での「地方紙」が存在しないことだと思う。地方紙の重要な仕事は自治体や議会で起きていることを市民に伝えることだ。東京には全国紙の東京版はあるが、東京地方紙がない。
アメリカでは近年地方紙が激減した。その結果何が起きたか数年前に連邦通信委員会が調査した。わかったのは、地方紙を持たない地域では、役所や議会や地裁に記者が取材に入らないので、市民が自分たちの土地で何が起きているかを知らないということだった。
カリフォルニアの小さな街ベルでは1998年ごろに地方紙が休刊になった。すると市の行政官は500万円だった年間給与を十数年間かけて12倍の6,000万円に引き上げた。住民はそれを知らなかった。十数年間、市議会にも市議選にも新聞記者が1人も行かなかったからである。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
2019311日(月)

 

 

<その9>
◆いずれヨーロッパの関連国の司法当局やメディアが、「東京五輪はどうやって買われたか」についての真相を明らかにするだろう。

◆私は東京への五輪招致が決まった時から、「経済効果と国威発揚しか頭にないような人々が主催する五輪なら、するだけ日本の恥になる」と言い続けてきた。そして実際にその通りになった。

◆IOC倫理規定は、五輪開催に関連して、いかなる性質のものであれ、「秘密の報酬、手数料、手当、サービス」の提供を禁じている。違反した場合には、開催取り消しもありうる。日本がこのまま真相・解明を怠ったなら、国際世論が五輪返上を迫ってくる可能性はゼロではない。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
201938日(金)

 

 

<その8>
◆だが、主権国家と言うのは、「そういうもの」なのである。まず国益。同盟国の事情はその次である。要ると思うから駐留してもらい、要らなくなったら追い出す。そういうものである。その中で日本だけが違う。まず、アメリカの国益を配慮する。自国益はその次である。アメリカの国益が最大化すれば、いずれは日本の国益も増大するだろうという軍事的「トリクルダウン」思想が日本の国防戦略を規定している。世界広しといえども、こんな話をまじめに信じている「ふりをしている」のは、日本だけであろう。

◆貧困化は急激に進行している。海外メディアは、日本国民の貧困度が危機的水域に入っていることを指摘しているが国内メディアの反応は鈍い。日本はOECDの相対的貧困率ランキング6位であり、貧困率は2007年に16%に達した。生活保護受給者も増え続けている。しかし、政府はこの問題を深刻なものと受け止めていない。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
201937日(木)

 

 

<その5>
◆自動翻訳の専門家である隅田英一郎氏はこう言う。「翻訳者、通訳者、外交官などは、英語を勉強しなきゃいけないと思います。そういう人たちって何%ぐらいでしょうか。1%ぐらい?だとすると99%の人は、中学校や高校で、英語を勉強しなくてもいいじゃないかと思うんです。今や小学校でも英語を勉強することになっていますが、自動翻訳機で代替できるという意味では、その必要はなのではないか」

◆私自身は、外国語の習得は教育のなくてなはならぬ柱の一つだと思っている。それは、私たちがおのれの民族法的偏見から自己解放するための有効な手がかりだからである。学校教育における外国語学習が、その「本義」に立ち戻ることを私は切に願っている。

◆韓国でリベラル主導の教育改革が進んでいることを日本のメディアはほとんど報じないから、日本の教員たちはその事実を知らないだろう。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
201936日(水)

 

 

<その4>
◆大学は何のためにあるのか?という問いは、誰も口にしない。しかし、これは大学人が決して問うことを止めてはならない問いである。それは、次世代を担う若者たちの知性的、感性的な成熟を支援するためである。次世代を担う若者たちが十分な市民的成熟に達しなければ、集団は滅びる。

◆植民地人に宗主国が求めるのは、「宗主国の命令は理解できるが反論はできない程度の知力」、「植民地内で出世する方法は知っているが、その不当性は認識できない程度の知力」である。会話能力開発を優先させるのは、この要請に応えるためである。会話能力こそが語学力だというルールを採用している限り、宗主国民の植民地人に対する知的アドバンテージは揺るがない。

◆文部科学省が次期学習指導要領案を発表した。今の日本の指導層が子どもたちをどういう日本人に育てようとしているのかがうかがえる文書である。際立つのは、英語教育の突出と領土の強調である。「グローバル化の最適化」と「排他的愛国心の涵養」という本来なら相容れない要求が併存している点が興味深かった。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
201935日(火)

 

 

<その3>
◆上位者が「こいつは敵だ、こいつを殺せ」と命じても、ルールはそれに従うことを命じても、つよい違和感があって体が動かないということがある。それが道徳的意識の芽生えである。
アルベール・カミュは、かつて「反抗的人間」の中で、そのような「いやな感じ」のことを「反抗」と呼んだ。法律が命じて真理が命じても、あるいは神が命じても「いやなものはいやだ」と抗命できる人間の直感のうちに、道徳性の最初の、そして最後の拠点を求めた。

◆今の教育行政は国の方針に、忠実かどうかを基準にして、交付金を配分するというルールを採用している。命じたことを実践する忠実な大学には手厚く、独自な研究教育方針を採る大学には懲罰的に助成金を減らすことで、文科省は大学を統制している。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
201934日(月)

 

 

<その2>
◆「師を持つ」とは、自分の知見や技量をはるかに超える境地が存在することを認め、そこから「無償の贈与」が豊かに流れ出てくることを感謝のうちに思い知る経験のことである。

◆私が知る限り、戦後初めてのことが起きている。それは若者たちの「地方回帰」である。毎日新聞の報道によると、2013年度に地方自治体の移住支援政策などを利用した人数は8,169人で、4年間で約3倍に増えた。

◆政府や財界が構想している「地方再生」というのは、端的に「地方の資源をどうやって金にするか」という話である。だが、いま地方に移り住む人々の脳裏を領しているのは、「金の話」ではなく、「どうすればもっと人間らしく生きられるか」という別のレベルの問題である。


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  内田樹「常識的で何か問題でも?」(朝日新書)
201931日(金)

 

 

本書は内田氏が執筆したAERAの巻頭コラムをまとめたものである。2014年以降分で2冊目になる。以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することとしたい。

<その1>
◆メディアがこの様子ですから、他の業種に適切な未来予測やそれに対する備えなど望むべくもありません。政治かは「次の選挙」しか考えていないし、官僚は「次の人事異動」しか考えていないし、ビジネスマンは「当期の利益」しか考えていない。
※ここで言う、メディアがこの様子という意味は新聞を読む習慣そのものがこの社会から消滅しつつあるということ。

◆僕は「リスクを過小評価し、最悪の事態に備えない」態度を日本社会の重篤な病だと診立てています。この病の原形は大日本帝国戦争指導部に遡ります。「もし失敗したら」という仮定で、対応策を考える態度を「敗北主義」と呼びました。そして、「敗北主義が敗北を呼び込む」と断定したのです。「最悪の場合に備えておきませんか」と冷静な提案は「最悪の場合に備えるから最悪の場合が出来するのだ」という奇妙に確信のこもった断定によって、一蹴されました。そうやって大日本帝国は歴史的敗北を喫して、国土を失い、国家主権を失った。


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  西岡壱成「東大読書」(東洋経済新報社)
201921日(金)

 

 

<その4>
◆そこで僕は、「教科書や参考書の読み方」から変えてみることにしました。きちんと、知識を得ることだけでなく、「考える力」を鍛えることも目標に読むようにしたのです。そのためにやったのは、「本と徹底的に議論する」ということでした。受動的に本を読むのではなく能動的に、自分の頭で考えながら、「どうしてこういう風になるのだろうか?」「これは本当にそうなんだろうか?」と本と会話するつもりで読むようにしたのです。

◆東大生の読書は、「へぇ、なるほど、そうなのか」で終わらせず、「えっ、それはなんだろう?」「それって本当かな?」「こういう意見に対しては、どういう反論をするのだろう?」と能動的に読書をします。

◆東大生は、受動的に本を読むのではなく、本と対話・議論しながら、能動的に本を読みます。だからこそ、「知識を自分のものにして、同時に地頭力も身につける」ことができるのです。


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  西岡壱成「東大読書」(東洋経済新報社)
2019131日(木)

 

 

<その3>
◆期間を区切って「マイテーマ」を決め、集中的に読んでいこう!東大は、いくらがんばって、「知識の量」を増やしても、合格できない大学だったのです。というのは、東大には知識問題がほとんどありません。知識の量はあまり必要ない代わりに、最低限の知識を「うまく活用」できないと解けない問題がたくさん出題されます。

◆東大は知識の量ではなく、「知識の運用能力」つまり、「自分で考える力」をとても重視する大学です。入試問題もそのように作られていますし、入学した後にも「自分で考える力」を鍛える授業がたくさん存在します。つまり、ただ教科書を読んで知識を自分のものにするだけでは合格できないようになっているのです。


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  西岡壱成「東大読書」(東洋経済新報社)
2019130日(水)

 

 

<その2>
◆本を読み終わるスピードは、人それぞれですがだいたい1〜7日はかかると思います。すると、次の本を読むころは、もう7割以上忘れてしまっている状態です。

◆「共通する部分が多い」「でもちょっと違う」本を2冊同時に読もう!

◆感想も立派なアウトプット!東大生はアウトプットが大好きだから、知識を得られる!

◆多くの支持を集める主張や意見が正しいと言う気はありません。しかし、多くの支持を集める主張や意見を知っておくことをは無駄にはなりません。自分がどういう「結論」を下すにしろ、「世の中の今の空気」を知ることで、その分野とその問題に対して理解し、自分で考える契機になるのです。

◆「古典」に外れなし!


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  西岡壱成「東大読書」(東洋経済新報社)
2019129日(火)

 

 

本書は現役東大生が考えた読書に関するノウハウをまとめたものである。「読む力」と「地頭力」が一気に身につくとサブタイトルに書かれている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆「質問しよう」と思えば、「情報」ではなく、「知識」が得られる。

◆「疑わしいこと」に疑問を持ち、自分で調べるのが「追求読み」。

◆質問を考えると疑問を考えると思考力が高まる。

◆短い言葉で言い表せなければ、理解していないのと同じ。

◆整理読みとは「著者の言いたいこと」と「それを補強する言説」を切り分けること。整理ができてはじめて、自分の意見が持つことができるようになる!

◆同時並行で複数の本を読むことで、「意見の偏り」を避け、「主体的な読書」が可能になる!


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  佐高信、佐藤優「喧嘩の勝ち方」(光文社)
20181017日(水)

 

 

<その5>
◆(佐高)新聞記者は、会見のデータをいち早く送る仕事はみんな得意なんだけど、長い文章書いたり、質問したり反対意見を言うとかいうのは、もう全くできない記者ばかりになっている。

◆(佐藤)それ以前の話で、もっと深刻なのは、メモが取れない。だから全文の起こしはできるんだけども、要約したメモが取れない。だからそれはワープロを使ってもメモ化できない。どこが重要かわかっていないから、捨てることができないんですよ。

◆(佐藤)永田町でね、政治家が官僚にクレームをつけるのに、すごく便利で効果的な言葉があるんですけど、ご存知ですか。単純に「挨拶が足りない」という言葉なんですが。

◆(佐藤)野田聖子さんが子どもを産んだことについて、やり玉に挙げているんですが、そのお子さんに障害があって、国費で治療に1億円以上もかかっているのに、申し訳なさとか感謝の念がないと糾弾している。あれは、優生主義者と取られても仕方ない言い分ですよ。


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  佐高信、佐藤優「喧嘩の勝ち方」(光文社)
20181016日(火)

 

 

<その4>
◆(佐藤)だいたい裁判官は、あの黒いマント着るでしょ。牧師もマント着ますが、マントを着ることで神様が乗り移ってくるわけですよね。それからどこの裁判所でも、裁判官席は高い場所で、被告人席は低いですしね。あれも神様に近いところにいるっていうことですから。

◆(佐藤)そういう意味でヨーロッパには知恵があったと思うのは、大学に神学部を残したことですね。ヨーロッパでは、神学部がない大学は、総合大学を名乗ることができないんですよ。

◆(佐高)宗教というのはある意味で、無駄の極致ですからね。

◆(佐藤)要するに啓蒙が発達して、科学技術が発達して、学術が発達するにもかかわらず、なんで人々は物事を自分の頭で考えないのか。それは情報が複雑になりすぎているからだと。


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  佐高信、佐藤優「喧嘩の勝ち方」(光文社)
20181015日(月)

 

 

<その3>
◆(佐藤)国家権力とのけんかで何が重要かといえば、まず第一に向こうの土俵で戦わないこと。どういうことかというと、有罪・無罪を勝敗の基準にしない。無罪を取れる方法があるとするならばまず完全黙秘する。それで向こうが作ってくる物語をじっくり分析して、その中のここだったら、推定無罪でいけるっていう間隙を弁護士と一緒に見つけて、大嘘の話を作るっていうことですよね。現実的には、これが無罪を勝ち取る唯一の可能性です。

◆(佐藤)創価学会タブーがいまや逆の意味になってしまっているんですね。だから、創価学会に対する肯定的なことはほとんど書けない。これは、週刊誌においても、創価学会系の媒体と毎日新聞社の「サンデー毎日」を除けば、創価学会に対して肯定的なことはどこも書かないし、創価学会を評価すると編集者のほうが逆に「ちょっとこれは」と嫌がる。


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  佐高信、佐藤優「喧嘩の勝ち方」(光文社)
20181012日(金)

 

 

<その2>
◆(佐高)喧嘩やってて楽しいことはないけども、喧嘩して何かを得たとか、何かが生まれたみたいな喧嘩もあまりないね。

◆(佐藤)反知性主義者は、論争じゃなくて喧嘩をしかけてくる。世の中で喧嘩が増えてきているんですよ。だから喧嘩に勝つ技法を身につけなくてはいけない。歴代政権が沖縄に対してやっているのは喧嘩。論争とかそういったものとは違うわけなんですよ。

◆(佐藤)東京大学で一番難しいのは、実は法学部じゃないんですよね。法学部法学政治研究科は人数が多すぎるんです。一番難しいのは、教養学部教養学科の国際関係論コースというところなんです。

◆(佐藤)橋下さんは事実認定というところにおいては、実はあまりはずれていないんです。物事って、事実関係と認識と評価によって構成されるけど、橋下さんの認識、評価はメチャクチャなんですよ。


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  佐高信、佐藤優「喧嘩の勝ち方」(光文社)
20181011日(木)

 

 

4年前に出た本であるが、この頃はこんなに仲が良かったが、その後決別している。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆(佐高)この国には「四海波静か」とか、とにかく穏やかなのがいいことだという空気がある。しかし、それは窮迫者に我慢を強いることになるだろう。喧嘩をする者は修養が足りないとかの言い方もある。しかし、そんな現状維持、現状肯定の相田みつをを的教えはクソクラエだ!

◆(佐藤)国際関係が非常に緊張している状況下で、様々な形での喧嘩が避けられない時代に来ているけれど、喧嘩を戦争に発展させてはいけない。暴力を使わない戦争の腕をみがく。これやっぱり1つの導きの糸というか、方向性という意味で重要だと思います。


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 島谷朝代「人前であがらない人とあがる人の習慣」(明日香出版社)
2018122日(月)

 

 

<その2>
◆緊張しやすい人は早口の人がほとんどです。「早く話し終わって席に戻りたい」という心理が働くからですが、実は早口は却ってあがりを増長させます。早口で息もつかず話すより、ゆっくりたっぷり間を取って話すほうが実はあがりません。

◆「発声を制する者はあがりを制す!」を提唱しています。逆に言うと声さえしっかり出れば、緊張したとしても、最期まで話しきることができます。

◆スピーチ、プレゼンをするときは「話す内容」も大切ですが、それ以上に、「どう伝えるか」が重要だと思います。どんなにいい内容のスピーチ、プレゼンを準備しても、声が小さいと自信がないように見えてしまします。

◆私も以前は緊張すると、「震える、うわずる、出なくなる」状態でとにかく人前で声を出すことに対する恐怖心は相当なものでした。そんな状態だったのが、基礎から発声練習を積むことで「声」を自由に扱えるようになると、緊張のコントロールが容易になったのです。

◆「これとこれをやってください」とアドバイスして、すぐに取り組む人は、元々のあがり症状の重度軽度に関係なく、すぐに克服します。


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 島谷朝代「人前であがらない人とあがる人の習慣」(明日香出版社)
2019119日(金)

 

 

あがり症克服協会の代表理事の方の著書である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆「よく知っている人の前で話すより、まったく知らない人の前で話す方が楽」という人が多いことからもわかるように、「人前が苦手だということを悟られたくない」と思う状況がより緊張感を増すわけです。

◆あがり症で悩んでいる方は、一般の方より症状がひどい人なのではない。世の中に人前で発信することを必要とされている人である。

◆自身がないからやらないのではなく、自信をつけるためにやるんです。

◆あがり症や人見知りで悩む人には、まず自分があいさつすることをお勧めしています。

◆人前で話すというのは、一方向のコミュニケーション。聞き手が無関心、ノーリアクションでも話し手は発信し続けなければならず、そういう意味で過酷で厳しい労働条件であり、いい意味での「免疫」が必要です。

◆スピーチやプレゼンをする際、最も大切なことは何だと思いますか?私は時間感覚だと思います。なぜなら時間は聞き手のものだからです。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171128日(火)

 

 

<その8>
◆孤立というと、どこかネガティブな響きがありますが、それは違います。欧米のレストランやバーに行くと、独りで料理やお酒を楽しむお年寄りをよく見かけます。きちんと、正装して悠然とステーキを食べているお姿には凛とした雰囲気があふれています。安易に群れず自分の時間を一人でしっかり楽しんでいれば、退屈しません。

◆人間の意義や愛情、自然の感情をすべて否定し、命令を実行しただけと繰り返すアイヒマンの姿に、アーレントは「考えを止めた人間こそが巨悪をなすのだ」という確信に至ります。それゆえ、「思考を停止した人間の恐ろしさ」「考えないことの罪」を説いています。

◆ノーベル生理医学賞を受賞したセント=ジェルジ・アルベルトは次のような発言を残しています。
「発見とは、皆が見てきたものを見て、皆が考えなかったことを考えることだ」
今、知識社会は終焉し、現場から学ぶ高度な知恵社会が到来したようです。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171127日(月)

 

 

<その7>
◆19世紀のドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900)は「孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる」と書き残しています。

◆私が医学生であった1960年代の全共闘運動で「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽さずして挫けることを拒否する」というスローガンがありました。もう少し仲間が連帯して柔軟に世の中がよりよく前進する方向へ行くべきだったのかなと思いますし、今はこの言葉に共感を覚えます。

◆孤立も孤独も楽しんでしまえばいいのです。なぜならそれらは、人生の大きな糧になるからです。孤独になるからこそ他人の大切さも知ることになるからです。

◆グローバルな考えは、とても大切です。グローバリズムは偏狭なナショナリズムより明らかに大切です。

◆フランスの哲学者アランの有名な言葉「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものです。僕は幸せだから、笑っているのではありません。逆です、笑うから幸せなのです。」そう、ポジティヴ・マインドを忘れずに!


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171124日(金)

 

 

<その6>
◆自分を赦すとは、自分を好きになること。自分を好きになることは、決してうぬぼれではありません。好きになって初めて、自分のいろいろなことに気づくからです。嫌いな自分と同居するとは本質的に健全ではありません。私は「強い人は人を赦す。弱い人は人を赦せない。」という言葉を胸に刻んでいます。

◆私は知らないことをできるだけ見ようとする姿勢が学問や医学の本質だと信じています。経験値から生じた仮説の下、「心の目で真実を見る」という発想が極めて重要なのです。

◆人間は働きすぎて駄目になるより休みすぎて錆びつき駄目になるほうがずっと多いもの。他の人に一生懸命サービスする人が最も利益を得る人である。(カーネル・サンダース)

◆海外の美術館を訪れて、びっくりするのは、ゴッホやピカソ、ゴーギャン、ムンクなどの有名な絵を、カメラで自由に撮影していいことです。絵を見にくる人たちのために、絵を楽しんでもらうさまざまな工夫を一生懸命しているのです。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171122日(水)

 

 

<その5>
◆フランスの作家マルセル・プルーストは「発見のカギとは新しい景色を探すことではない。新しい目を持つことだ。」と述べています。まさに新しい景色は、新しい目が獲得されたことによって現出するものです。

◆戦場心理学の専門家であるデーブ・グロスマン(米国)は、兵士の心情を次のように解説しています。
「兵士は殺される恐怖より、むしろ殺すことへの抵抗感のほうが強い」「第二次大戦中、日本兵やドイツ兵との接近戦を体験した米兵の多くがわざと当て損なったり敵のいない方角に撃ったりしていた。姿の見える敵に発砲していた兵士は15%〜20%にすぎない。」「同種殺しへの抵抗感。それが人間の本能。多くは至近距離で人を殺すようには生まれついていないのです。」

◆「わたしたちはみんなお互い、助け合いたいと望んでいます。・・・・わたしたちは、他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きたいのです」
すとんと胸に落ちる言葉ですが、戦争を目ざす支配者にとっては目障りなものだったに違いありません。それに抗するようにチャップリンは、「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せと言われたら私は遠慮なく、祖国から出てゆく」という発言もしています。本当に勇気ある言葉です。実際、チャップリンは1952年、米国政府から国外追放命令を受けてスイスに移住するのですが、まさに、腹の据わった偉大なヒューマニストだと言えるでしょう。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171121日(火)

 

 

<その4>
◆医師も本を読まなければなりません。なぜなら、患者さんの言葉から「この人はどんな治療を望んでいるか」はもちろん、「私はどう診断し、治療すべきか」を考える想像するかが必要になりますが、その力は経験とともに本を読むことで、養われるものだからです。

◆中国・戦国時代の思想家である荘子にこんな言葉があります。「人が歩く場合に足の踏み場はわずかでもあれば足る。しかしそのまわりの踏みつけていない大地、無駄ともいえる余地があるからこそ、人は歩くことができる」これは「無用の用」を端的に説いた名言と言えるでしょう。

◆米国の大学では「経済学」は教えても、「経営学」は教えないそうです。「経営学」はすぐに役立ちすぎる。世の中に出て全体を見渡せる教養の「経済学」のほうが大切だという理由からです。どんな仕事でも、世の中を見渡し将来を予測する能力を自分を育てていかないと、プロフェッショナルになれないどころか、置き去りにされてしまう恐れがあります。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171120日(月)

 

 

<その3>
◆あるとき長野県の病院関係者から面白いことを聞きました。高齢者が図書館を利用する割合が、全体の5割にも及ぶというのです。さすがに教育界として知られるだけのことはありますが、私のふるさとである秋田県は1割くらいですので、その比率の高さは驚異的と言っていいかもしれせん。

◆エビデンス(根拠)はありませんが、「本を読むと寿命が延びる」という推測は成り立ちそうです。本は好奇心を満たすと同時に、視野も広げてくれます。好奇心がどんどん別の分野にもつながっていき、毎日でも図書館に行きたくなる意欲が生まれ毎日が楽しくなるという好循環が生まれていると考えられます。

◆「書籍は新聞よりも、もちろんネットよりも比較にならないほどの情報を提供してくれます。しかも本は、私に問いかけてくるのです。そこで自問自答を繰り返しているうちに、これまで考えたこともないようなアイデアが浮かんできたりします。情報が片側通行でも両側通行でもなく思索を伴うことにより重層的になってくるんですね。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171117日(金)

 

 

<その2>
◆私について「神の目と手を持った医師」といった形容詞を冠されることもありますが、恐縮するばかりです。私はそんな大それた人間ではありません。私はただ「大胆にして繊細」「理想主義者であって現実主義者」「理にして情」と相反するものが同居している人間で、典型的な価値を見出すプラグマティスト(実用主義者)だと思っています。

◆南アフリカで政府のアパルトヘイト政策で闘い、27年の投獄生活にも屈しなかったネルソン・マンデラは言っています。「忘れることはできなくても、赦すことはできる」
「弱い心では赦すことができない。心が強くなってこそ、赦すことができる」

◆現実主義ほど、タチの悪いものはありません。それは終点であり、何も生み出さないからです。そして多くの場合、現実主義を盾にする人は、ビジョンや理想にあふれた提案をぶちこわす側にまわるからです。これ以上の進歩に対する妨害者はありません。空想や妄想は現実離れしていますが、現実を超えるパワーを持っている分だけ、ずっとマシだと思います。


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 工藤進英「逆光の中で咲く花は美しい」(幻冬舎)
20171116日(木)

 

 

サブタイトルが「ガン患者の救世主の生きる哲学」とうたわれている。以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することとしたい。

<その1>
◆私が医師になった最初の年、夏休みを利用して世界一の医療機関と言われる米国のメイヨー・クリニックの見学へ行きました。同クリニックでは、ミネソタ州ロチェスターにある病院で、100年以上の歴史があり、アメリカ国内でも優れた施設として認められており、これまでノーベル医学賞受賞者を6名輩出しています。

◆科学は先人の成果を活用しながら、進歩していくものです。私は自分の成果を評価してくれる医師には、惜しみなく情報を提供するようにしています。それに対し、後悔することはありません。先頭を走る人間は、後ろに続く人たちを導く義務があると思っているからです。するとたとえば、内視鏡という学問の広がりと深まりがどんどん強化されていま、一つの大きな流れとなります。


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 水野敬也「顔ニモマケズ」(文響社)
2017623日(金)

 

 

<その4>
◆あと、人生はダメでもやり直しがきくということです。世の中でやり直しがきかないことなんてありません。仕事を辞めたって新しい仕事を探せばいい。結婚してダメなら離婚すればいい。みんなが思っているよりも世の中はやり直しがきく。だからやっちゃえばいいと私は思います。

◆考えることより行動することを大事にしています。そうやって行動し続けていくことで、新しい何かに出会い、さらにエネルギーが大きくなっているように感じました。

◆悩みを乗り越える上で、大事なのは「明るさ」であることを再確認しました。

◆不採用になるのはつらいですが、そこは割り切るしかないというか。もし面接をした人が僕の外見に問題があるから不採用だと考えたとしても、それは「相手の問題」であって変えることはできません。それよりも「自分の問題は何か?」ということをいつも考えていました。自分で変えられる部分を見つけて変えていこうと。

◆目の前の悩みを「自分のこれからのためになるもの」だととらえたら、それは自分の成長や魅力につながると思います。だから、悩むこと自体が問題なのではなくて、悩んだときに「どこを向くのか」が大事なんだと思います。


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 水野敬也「顔ニモマケズ」(文響社)
2017622日(木)

 

 

<その3>
◆服に気を遣って全体が映えるような服装をすることで、周囲の人の視線が顔だけに向かない気がします。またマラソンをするようになってから、「脚の筋肉がすごい」とか「スタイルが良い」とほめられるようになったのですがそのとき、その人の意識は顔に向いていないことに気づきました。

◆狭い世界に閉じこもると、社会に対して偏った考えを持ってしまう。思い切って新しい場所に行き、違う価値観を持つ人たちと接することで、社会に対して希望が持てるようになる。

◆ただ、あのときはとにかくいろいろな人に話を聞いてもらいたかったんです。私は本当につらくなる前に、周囲の人に「助けて」と言えるタイプなんですよね。それがよかったのだと思います。

◆これは私がずっと思っていることなんですけど、人っていつ何が起きるか本当に分からないですよね。・・・だったらやりたいことがあるなら、やろうと思うんです。そしてその気持ちはこの症状になってからさらに強まったように思います。


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 水野敬也「顔ニモマケズ」(文響社)
2017621日(水)

 

 

<その2>
◆ホノルルマラソンというのは、来るもの拒まずというか、参加したい人は前日に行けば、誰でも参加できるんですね。足に障害があって松葉杖をつきながら参加している人もいますし、車いすに乗っている親子、子ども押してフルマラソンに挑戦していたりする人もいるんです。そしてこれが大きなポイントなのですが時間制限がない。

◆たとえば東京マラソンには7時間という制限があります。それでも長い方で一般的な市民大会は6時間くらいですね。ただホノルルマラソンは何時間かけて走ってもいいんです。最後にゴールする人は、だいたい12〜13時間くらいになります。

◆私は見た目に問題を抱える人や外見に自信のない人には、外に出て、自分を夢中にさせてくれる何かに出会ってほしいと思います。

◆悩みが深ければ深いほど、今の自分の状態を受け入れることは難しくなります。そして、そういった悩みの深い人たちにとってこそ、中島さんの「折り合っていく」という姿勢は大きな希望になると感じました。


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 水野敬也「顔ニモマケズ」(文響社)
2017620日(火)

 

 

本書は顔に障害を持った人たちのインタヴューで成り立っている。サブタイトルはどんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語となっている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約してご紹介していきたい。

<その1>
◆大手化粧品会社が10ヵ国で行った「現代女性が考える美しさに関する調査」で、「自分の美しさに満足している」と答えた日本人女性は14%。全体平均の38%を大きく下回りました。

◆彼は「顔のことを言われたときは、自分でフォローしてアピールしていかなければ君の良さは相手には伝わらないんだよ」と教えてくれました。

◆海外に行って日本と違う文化に触れると「こんな考え方もあるのか」と驚かされます。海外の人は見た目に関して日本人と違う考え方を持っていて、日本人がいかに周囲の視線を気にして生きているかということも気づかされました。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
2017619日(月)

 

 

<その10>
◆さらにいえば、丸山眞男は、不思議なことにまとまった著書を持っていないのです。岩波書店から発行されている「丸山眞男集」(全16巻、別巻1)がありますが、ここに収められているのは、丸山が書いた論文だけです。丸山は論文は書いてはいるが一つの主題による著書を一冊も著していないのです。要するに「丸山眞男集」は丸山があちこちに書いた論文を集めたものなのです。

◆作家の司馬遼太郎は、明治の日本を美化し、「明るい明治、暗い昭和」と言っていますが、日清戦争の始まりからたどっていけば、明るい明治ということはありえないことなのです。

◆外交問題で、日本に対して不利がある時に、福澤諭吉はどのように論じるのか、それは次のようになると思います。

A.日本にとって不利になる事実は否定する。
B.その事実を否定しがたい場合、その事実を正当化する。
C.自分たちが正しいと正当化できない場合、その事実の責任を相手に負わせる。
D.結局、自分たちは正しいと言い張る。
この順序が違っても、福澤の論法はいつも同じです。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
2017616日(金)

 

 

<その9>
◆でも、どうして丸山眞男の言うことが定説として認められているのでしょうか。
それは三つの理由が考えられます。一番大きいのは、丸山は戦後の日本社会が民主主義を受け入れるよう励ますのに心を砕き、そのために日本にも昔はこのような民主主義の先駆者がいたのだと、福澤を称揚したことです。

◆日本人は自分自身の考えと責任で自己を確立するということができないのである人間がいったん権威とされると、その権威の根本を確かめることなく、崇め隷従してしまい、人々はその権威とされた人間を批判することをためらってしまうのです。

◆丸山眞男の方法論をまとめると、
◎福澤自身の言質よりも、丸山がその行間を読み取ったことを重視し、
◎第3者に証明することが難しい福澤の無意識を丸山がさぐって、何か真実をつかんだと思い込み、
◎その2つをふまえて、福澤の論著をバラバラにして再構成する
となります。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
2017615日(木)

 

 

<その8>
◆今の時代の考えで昔の歴史を批判するな、と言われたら何のために歴史を勉強するの。我々は未来に生きるんだよ。未来に生きるための教訓として歴史を学ぶんだし、そのためには、現在、未来に通じる価値判断で過去の歴史を振り返って過ちがあったら、その過去を素直に認めて自分たちがこれから先に生きていく上に生かしたいんだ。

◆福澤は文明という言葉を頻繁に用いています。しかし、文化については語りません。欧米に3度も行っていながら、西洋文化について何も語らないのは不思議というしかありません。
文化は、その地域に住む人々の民族、人間性、地理的環境、歴史的環境によって異なり、必ずしも他者に容易に受け入れられる普遍性はありません。人間性の豊かさは、その人間の持つ文化によって語ることができます。一方、文明は知恵の文明であり、生活の技術の文明なので、地域に関係なく広がり、受け入れられる普遍性があります。

◆福澤諭吉は存命中、金もうけについて、よく論説を書き、自分自身も株の売買にも取り組んでいたため、世間では諭吉は金もうけ第1の人間として、お金を拝む宗教、拝金宗の教祖などと呼ばれていて偉人扱いはされていませんでした。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
2017614日(水)

 

 

<その7>
◆勉強しても遺伝で最初から能力はきまっているなんて言ったら、「学問のすすめ」はどうなるんだ。「学問のすすめ」は日本人全体に言ったのではなく、「士族」という特権階級のためだったのね。

◆クーデタとは、フランス語で非合法な武力行使で政権を奪うことです。クーデタで一番大事なのは武力です。既存政権の持つ武力を圧倒する武力を持たないクーデタが成功した試しはありません。今までにクーデタの成功した例は、軍部が主導したものが圧倒的に多いのです。

◆朝鮮人という奴は、1人として人間らしい者がいない、とはひどい言葉です。「朝鮮人という奴」という言葉だけで吐き気がします。福澤のこんな本心を金玉均は知っていたのでしょうか。

◆日清戦争は、朝鮮の支配権をめぐって日本と清国が戦った戦争です。もっと正確に言えば、朝鮮の支配権を獲得するために日本が清国に仕掛けた戦争です。

◆明治政府が挑戦を支配しようとしたのも、朝鮮の安価な米を手に入れること、過剰な人口を植民の形で朝鮮に送りだすこと、が目的の1つだったのです。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
201769日(金)

 

 

<その6>
◆徳川幕府が支配していた頃の人々は、近代的な「国」という意識を持っていなかった。その近代的な国を作り、人心をまとめるためのイデオロギーとして、「天皇制」を作ったのか。

◆1人の人間の思想・行動をそのたった1つの言葉で判断してはいけないとは思いますが、この「圧制は人間最上の愉快」という言葉は福澤の対外意識・国際認識について考える時に私は忘れることができないのです。

◆私は様々な人間の言葉を読んできましたが、このような言葉を堂々と書いて発表する人間が社会的に思想家としていまだに受け入れられているという例は、人類の歴史上、少なくとも近代以降、日本以外他にないと思います。

◆半藤一利は、第二次大戦時に陸軍海軍の指導者たちに、薩摩、長州出身者が多いことを記録してこう書いています。「大日本帝国は薩長が作り、薩長が滅ぼしたといえるのである。」

◆八紘一宇だって平たくいえば、天皇を中心とする一家を作り、その中に他の国も入れてやる、というものでしょう。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
201768日(木)

 

 

<その5>
◆確かに福澤は1901年に亡くなっているので、自分の死後の第二次大戦の原因を直接作れるわけがありませんが、日本軍を天皇の軍隊としたことが日本人の特に日本軍の中に深く影響を残し続けたと思います。

◆福澤にはそもそも学問の自由を守るという考えがなかったとしか思えません。

◆私は今まで天皇制についての本を色々読んできましたが、どうして皇室に尊厳があり神聖なのか、その理由をわかるように説明してくれた本に出会ったことがありません。

◆結局、皇室が神聖で尊厳があることの理由は、血筋が古い、というだけなのです。その他にはなんの理由もない。

◆福澤は、人々を天皇権力に従わせる「大日本帝国憲法」を大歓迎し、人々の心を支配する「教育勅語」に感泣しています。

◆「天皇制国家」を作りあげるのに、福澤の果たした役割は大きいものです。自分でも言う通り、福澤はまさに明治政府のお師匠様として、日本を「天皇制国家」に導いたのだと思います。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
201767日(水)

 

 

<その4>
◆まず確認していただきたいのは、日本という国が中世からは人口をその職業や生き方の違いで差別するようになっていたが、徳川幕府になって、その差別を強固にし、被差別民として、士農工商以下の人間としてきたことです。穢多非人などと様々ありますが、まとめて差別の対象とされ、それは明治以後、現代に至るまで完全には改善されていません。

◆「学問のすすめ」第二編の「人は同等なること」という、福澤諭吉の言葉は本心からの言葉ではなく、人を引きつけるための見栄えの良い飾り文句でしかないことが福澤が死ぬまで固く持っていた差別意識からもよくわかります。

◆この「強い日本」というのは福澤諭吉の「大本願」そのものだと思います。

◆福澤は終生「大本願」を変えたことはありません。確かに福澤は言うことをころころ変えますがそれは常にその「大本願」を達成するためにその場の状況に一番適したことを言うのであって、その意味で思想的転換などしたことがないと思います。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
201766日(火)

 

 

<その3>
◆学問といっても、物理、化学のような実際の生活の役に立つ実学を学ぶべきで、文学、和歌、儒学などのような実際の生活の役に立たないものは学ぶ必要がない。このような実学を学んでこそ、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立する(学問のすすめより)

◆「およそ世の中におよそ無知文盲の人々程憐れむべく、憎むべきものはない。知恵のない極みに至ると、恥知らずの極みに至る。・・・・みだりに富んだ人を恨み、甚だしい場合は集団を組んで実力をもって、政治の当事者や富んだ人に年貢の減免などを訴えて、乱暴に及ぶことがある。」ここで、福沢諭吉が無知文盲の人々と言っているのは、明らかに農民、漁民などの貧しい人々です。

◆「文明論之概略」の中で福沢諭吉が「鎌倉時代以後、人民は700年近く皇室のことを知らない」と言っているように、人民が常に自分を支配しているものとして、意識していたのは、天皇ではなく藩主でした。

◆日本人が「国民」という意識を植えつけられたのは、明治維新後、それまで人々の意識に上ることのなかった天皇が前面に現れて、全国を支配する形の「日本国」という「国家」が作られてからです。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
201765日(月)

 

 

<その2>
◆A.「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というのは福沢諭吉自身の言葉ではない。福沢諭吉自身の思想を表したものでもない。

B.福沢諭吉自身は、江戸時代からの封建的な身分差別意識を強く持っていた。福沢諭吉は「典型的な市民的自由主義者」ではないし、「民主主義者」でもない。

C.天皇は神聖であり、日本人はすべて天皇の臣子である。いったん戦争になったら天皇のために死ぬべきである;と主張する「教育勅語」を歓迎する福沢諭吉が「市民的自由主義者」や「民主主義者」のわけがない。
福澤諭吉は第二次大戦に日本を引きずり込んだ「天皇制絶対主義」「皇国思想」を日本人に広く浸透させた。また明治維新後、明治政府は朝鮮支配を推し進め、その朝鮮支配を巡って、清に日清戦争を仕掛けたが、福沢諭吉はそれを言論で煽り、それだけでなく、自分自身、日本の朝鮮支配を進めるために、朝鮮宮廷内でのクーデターを計画しその実行に加担した。


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 雁屋哲:作 シュガー佐藤:画「マンガまさかの福澤諭吉論」遊幻舎
201762日(金)

 

 

福澤諭吉の実像は、民主主義者などではなく、大日本帝国憲法や教育勅語を歓迎する国家主義者だったという著者の主張は非常に説得力がある。マンガ形式とは言え、上下2巻800ページにわたる大作である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することとしたい。

<その1>
◆明治維新を実現させたのは、薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)、備前(佐賀)のいわゆる「薩長土肥」四藩の下級武士と岩倉具視という下級公家です。彼らは、自分自身に何の権威もないので、天皇を担いで自らの権威をつけようとしました。

◆「学問のすすめ」も「福翁自伝」も福沢諭吉を美化し虚像を作るのに特別に選ばれて使われてきたものです。

◆本稿ではいかなる問題に対しても、
1.世間の常識や社会的通念などの先入観にとらわれない。
2.第三者にも確認できる事実のみを基にして、正確な論理を重ねていって、まず解答が得られる問題かどうかを検討する。
3.解答が得られるような問題だとわかったら、正解を求めるために、あらゆる努力をする。
というのが方針です。


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 船瀬俊介「ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿」(ビジネス社)
201761日(木)

 

 

<その6>
◆たとえば、熱病を治すには、同じ熱を出す微量の毒(レメディ)をつかいます。だから、ホメオパシーは、日本語では「同種療法」と呼ばれています。

◆ホメオパシーで用いる治療薬(レメディ)は次の3つの天然物から生成します。(1)植物、(2)動物、(3)鉱物、まさに漢方と同じ。漢方では、草根木皮から動物、昆虫から薬草まで自然界のあらゆる物を漢方薬として用います。

◆インドでは、代替医療省が去年設立され、ホメオパシーやアーユルベーダなどが国家公認の医療行為になっているでしょう。

◆――だって英国王室は全員、受けるのはホメオパシーだと聞きましたよ。そうです。各王族一人に、必ず一人ホメオパスが付いています。エリザベス女王とかチャールズさんとか、ウィリアム王子とか奥さんと、1人ずつ専属ホメオパスが付いています。


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 船瀬俊介「ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿」(ビジネス社)
2017531日(水)

 

 

<その5>
◆野口英世は、アフリカのガーナで病死するまで、医学界のスターとして、ロックフェラー財団の地位向上、ロックフェラー派の医療支配に貢献することになる。現在、野口英世の功績の大半は「ねつ造」だったとわかっている。野口を批判しているのではなく、ロックフェラーが医業界で実権を得るために徹底的に利用したのだ。

◆ホメオパシーを私は西洋の漢方と呼んでいます。それはまさに西洋の地に生まれた東洋医学といってよい。この「奇跡の医療」を理解するには、まず、生命とは何か?を知らねばなりません。その根本原理がホメオスタシス(生体恒常性維持機能)です。

◆病気を治すには2つの方法がある。「反対のもの」による処方と、「似たもの」による処方である。
つまり、病気と反対の症状を起こす薬でも、類似の症状を起こす薬でも、治療はできるという意味です。わかりやすくいえば、「熱」が出ている患者なら「熱」をさらに出させる。「病気」はより早く治る。自然治癒力が加速されるため早く治る。

◆―似たもので、似たものを治せ――
彼はこれを「同種の法則」と命名しました。これがまさにホメオパシーのことです。


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 船瀬俊介「ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿」(ビジネス社)
2017530日(火)

 

 

<その4>
◆彼は日本でも「たかが肺炎で年間12万人が死亡する、その訳」を追及している。厚労省発表では、「肺炎」を一くくりにして死亡原因の第4位としている。「これ自体がかなり意図的で、医原病隠しと考えてよい」。つまり、超猛毒の抗ガン剤などで衰弱させられた患者が亡くなるときに、肺炎で死んでいるにすぎない。つまり肺炎も重大な医療ミスの結果にすぎない。

◆コールタールは、いうまでもなく石油の一種である。その発ガン性を世界で最初に発見したのは日本の医学者・山極勝三郎である。コールタールから医薬品を作っていたロックフェラーにすれば、「よくも余計なことを発表しやがって」という気持ちだったのだろう。この山極の研究所は、ロックフェラーの政治力で徹底的に握りつぶされることになる。

◆ロックフェラー医学研究所からは、数多くの研究者がノーベル生理・医学賞を受賞している。これもノーベル賞の本体が「ロックフェラー賞」であることを示す。ロックフェラーはノーベル賞財団に大量の寄付をすることで、背後から完全に支配しているのだ。この事実からもノーベル賞の本来の役割は人類の洗脳の装置なのである。


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 船瀬俊介「ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿」(ビジネス社)
2017529日(月)

 

 

<その3>
◆「発熱」「咳」「下痢」などの「症状」は、病気を治すための治癒反応なのです。「治癒反応を止めてはいけない」安保徹教授の警告です。

◆カリフォルニア大学H・ジェームズ教授は、徹底調査で衝撃事実をつきとめている。ガン治療を受けた人の平均余命はわずか3年。受けなかった人の平均余命はなんと12年6か月。

◆岡山大学医学部でがんで死亡した患者のカルテを精査したらその80%は、がんではなく、抗がん剤、放射線、手術の三大治療法が原因で死亡していたことが判明。つまり現在日本では年約37万人がガンで亡くなっていると発表されているが、その80%の30万人弱は実はガン治療という名の「殺人医療」で殺されているのだ。

◆四つ「聖水」ならぬ毒水の正体は(1)ワクチン、(2)フッ素水道水、(3)輸血と点滴、(4)硫酸銀・・・。

◆これまで医療マフィア・ロックフェラー財閥の悪行を明らかにしてきた。そのロックフェラー一族が薬を飲まない!医者にかからない!あなたは耳を疑うだろう。さらに菜食主義で、食べるのは無農薬の有機野菜のみ。おまけに水道水も飲まない・・・!


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 船瀬俊介「ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿」(ビジネス社)
2017526日(金)

 

 

<その2>
◆過去約200年にわたって近代を闇から操ってきた勢力がいた・・・。それが、国際秘密結社フリーメイソンであったことは、もはや疑いの余地はありません。

◆政府の公的機関で中央銀行を実は民間人(秘密結社イルミナティという)が所有していた・・・。これは衝撃的事実です。おそらくアメリカ人の99%は、FRBは公的機関だと信じきってるでしょう。

◆1900年当時、医師の収入は腕の良い機械修理工と同じ程度。世界でも医者といえば、その程度の地位でした。現在のような高収入を得ている方が異常なのです。むろん、このときには、現在のような大学医学部制度も、医師免許制もない。これらはすべて後にロックフェラーが絶大な資金力と権力で国を動かして作られたものです。

◆ロックフェラー財閥は、世界の医療独占を狙った。それは秘密結社フリーメイソンを支配するユダヤ資本が世界医療利権独占することと同じです。その中核組織が悪魔的イルミナティです。


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 船瀬俊介「ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿」(ビジネス社)
2017525日(木)

 

 

資産総額2,400兆円を誇る世界最大の財閥であるロックフェラー一族はみんな長寿である。今年の3月に亡くなった3代目ジョン・ロックフェラーにしても100才を超えていたのである。
簡単に言えば、薬を飲まないし医者にかからないからこそ、健康なのであるというのが著者の主張である。 以下本書よりインパクトのあるくだりを要約してご紹介していきたい。

<その1>
◆ロックフェラーは自然治癒力に基づいて患者を治してきた、@自然療法、A整体療法、B心理療法、C同種療法を徹底弾圧し、D薬物療法中心のきわめて偏った医療を「近代医療」として推進した。それは「石油王」ならではの狙いがあった。
数十万トン単位で採掘した原油を、化学工業でミリグラム単位の薬剤に化けさせている。それは現代の「悪魔の錬金術」そのもの・・・。 その闇からの医療支配を貫徹するため、ロックフェラー一族は大学医学部制度を確立し、医師免許制を導入して、D薬物療法以外の医学を徹底排除、弾圧した。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017424日(月)

 

 

<その10>
◆このように真実についての名前は見方や観点によって、異なることを受け入れねばならない。人間の理解に「いい加減」な状態を受け入れることが大切なのだと思います。そしてそれは、外部とそれを捉える心の間に遊びのあることを受け入れることですし、間を認めて生きることなのだと思います。どっち1つに決めつけずに、2つあること、多面的であることを受け入れる。その状態は、頭や心が平和な状態でもあるように感じるのです。少なくとも私自身は、これまで見てきたように、こうした状態に憧れ、それを維持しようとしてきたのでしょう。1つに決められずに生きてきたんやなあ、と。

◆九州大学で講義を行ってみると、学生との関係がとても新鮮なものに感じられました。患者さんの場合、私が聞き役に徹するわけですが、逆に学生は、私の話の聞き役になってくれる。さらには、人生の一番美しい時期の人たちと、相互交流ができるのです。

◆約2万枚の浮世絵を調べたところ、約450組の母子像が描かれていました。そして私なりに分類していくうちに、その母子関係には、1つの型が繰り返されていることがわかりました。すなわち、母子がお互いを見つめ合っているのではなく、お互い何か1つのものを一緒に眺めている絵が多いということです。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017421日(金)

 

 

<その9>
◆私は1980年に東京の南青山に北山医院を開業し独立しました。精神分析にとっては臨床が研究であり、研究が臨床となります。実績を積み重ねること、すなわち様々な症例に出会うことこそが研究なのです。患者さんと出会い、面接を繰り返すことが、治療であり研究でもあるわけです。

◆私には、こうした感覚が生きることそのものなのではないか、と感じられるのです。きっと生きることにおいて、1つの確実な答えは、見つからないのだと思います。でも1つの答えを、人は求めがちです。にもかかわらず、見つからない。見つかったと思ってもすぐに別の問題が現れ、答えは消えてしまう。そして空しさが訪れる。

◆別の見方をすれば「ない」という気づきがなければ、空しさも生じないものなのでしょう。私は人にとって空しさをかみしめながら、それを埋める意味を言葉で探して歩み続けるのが人間が生きることではないかと。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017420日(木)

 

 

<その8>
◆時おり思うのは私たち精神科医にとっては、たとえば、新興宗教がライバルではないか、ということです。あるいは、現在問題となっている「IS」のようなテロ組織もライバルかもしれない。
つまり、悩みを抱えて送っている人たちが、「こうすれば救われる」とか「これが世界のために必要な正義だ」といった言説に惹きつけられて新興宗教やテロ集団に向かうのかそれとも精神科の門を叩くのか。

◆でも、この不完全であることの自覚が大切だとも思うのです。自分には限界があり、決して万能でないことを認める。自分にできることが限られていることを認める。私たちはついつい、何かをやり遂げた、100%やり尽くした、などと言いたがります。あるいは、そういう状態になることに憧れます。しかし、そんなことはありえないと思うのです。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017419日(水)

 

 

<その7>
◆私はそれまで、自分のことを「半体制派」などと自嘲気味に語ったりすることがありました。学生運動の極端な思想に共感を覚えながらも、ラディカルな流れにのることができない自分がいる。エスタブリッシュメントに闘いを挑みながら、いつの間にかマスコミュニケーションの人気者となってしまった自分。しかし、二重性を自嘲する必要などない。二股をかけて両方に足をつっこみ、どっちつかずでいることが人間なんだ。ウィニコットが私にそう語りかけているように感じられました。

◆不安を覚えている私に、上司だったパウエル先生がアドバイスをくれました。それは、「当日言う冗談を3つ考えろ」というものでした。これは、きわめてイギリス的なアドバイスです。政治家や王室などで、国民から評価されるポイントの1つに冗談がうまいかどうか、という要素があります。冗談がうまく言えるというのは、それだけ落ち着いており、どんな状況でもこなせる自我が柔軟なのだという見方があるのでしょう。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017418日(火)

 

 

<その6>
◆札幌医科大学では内科の実習を行っていましたが、自分の原点は精神医学にあると改めて感じました。それは私が作詞家だったことも影響しています。作詞というのは人間の心の中と交流し、その中にあるものを言葉として紡ぎ出していく行為です。そして精神医学もまた、本人や周囲が理解できない心の現象を言葉で分析・説明する仕事でもあります。

◆ウィニコットの考えでは、遊びも移行対象の発見も、現実を生きることに等しいぐらい重要な役割とされます。一方、フロイトのほうは、遊びは現実からの逃避でしかない、と考えるのです。

◆こうした私が悩み続けてきた問題に、ウィニコットは「あれか、これか」の選択ではなく、父や母のように「あれと、これと」の両方が意味のあることなのだ、と答えてくれたのだと思います。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017417日(月)

 

 

<その5>
◆私が1972年に「パック・イン・ミュージック」を辞める際、吉田拓郎さんのプロデュースを手がけていた後藤由多加さんにこんなことを言われました。「北山さん、いいときに辞めますね。これからは大変な時代になっていますよ。」と。それはこうした資本の力を使い、徹底的に管理されたショービジネスの世界へと、日本の音楽が転換していくことを予見しての言葉だったと思います。

◆本来、偉い先生が歌をつくって、プロの歌い手が歌うというスタイルの歌謡曲と、自らの私的なメッセージを歌に込めて、自らが歌うというフォークソングとは対立関係にあったはずです。フォークの時代は終わり、ニューミュージックの時代が始まろうとしていました。

◆人前で歌を歌ったり、歌をつくるということは、人に夢や幻想を与えることかもしれません。そして、大衆は次から次へと新しいもの、もっと刺激のあるものを求める。個人的な自分の思いや体験をもとに歌をつくって、それがヒットすることは、うれしい体験ですが、大衆からは「では、次のものを」「もっと面白いものを」と要求される。作品が次々と消費されていく。こうした経験は本当につらいものでした。とてつもない空しさに襲われはじめました。自分のやっていることに、はたして何の意味があるのだろうかと。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017414日(金)

 

 

<その4>
◆「戦争を知らない子供たち」は私がフォーク・クルセダーズ解散後の1970年に作詞を手がけた歌です。翌年、ジローズが歌いレコードがヒットすると、「戦争を知らないなんて想像力の欠如だ」などという批判も起こり、沖縄では「戦争を知っている子供たち」という替え歌までつくられました。

◆実は、レコード芸術のこの「繰り返し」という要素は、心理的に重要なところです。レコードに吹き込まれた1曲はだいたい3分経てば終わる。そして気に入るとレコードは、何度も繰り返し聴きたくなる。好きな映画でせいぜい4、5回。小説などは、ほとんど1度読んだらすぐに読み返すようなことはありません。ところが音楽は何度も聴くことができる。聴きたくなるのです。好きな曲なら、100回ぐらい聞いてもなお楽しめる。ここには、音楽ならではの魔法があるのではないでしょうか。

◆しかし演じる側からすると、たとえ大好きでも同じ歌を何度も歌っていると、気持ちが冷めてきますし、やがては飽きてくる。でも、聴く側からは何度も同じ曲を同じ歌を求められる。しかもライブでは、レコードと同じように演奏することが期待される。・・・・大抵、ポップスでは円熟は忌避され、年老いていくことに伴う変化も歓迎されない。つまり、時間経過と生身の自分が求められていないような気分に陥ってしまうのです。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017413日(木)

 

 

<その3>
◆結局、組織の論理の犠牲になったのではないか。私たちの大切にしてきた歌のために、会社は闘ってくれなかった。このことは、大きな壁の存在を私たちに知らしめることになりました。
出したい歌が出せない。歌いたい歌が歌えない。一方で歌いたくもない歌を歌えという。私たちは何のために活動しているのか。本当にやるせない気持ちでいっぱいでした。

◆朝鮮語で書かれた原詞と、松山のつくった訳詞を比べると、ほとんど彼の作詞というべき内容です。原詞が北を中心とした考え方を歌っているのに対して、松山の詞は、北から南へ飛んでいく鳥を自由な使者として、その相互交流を願って歌っています。ここでも松山のもつ独創性に改めて気づかされます。

◆パシフィック音楽出版の会長室に呼ばれて、「加藤君、3時間あげるから次の曲をつくってください。」と言われた。そして、最後の2、30分でギターを使って曲をつくり、それをテープに吹き込んだ。そして担当者は、曲も聴かずに、そのテープをもち加藤を連れて、四谷にあった詩人サトウハチローの自宅に行った。それから1週間くらいでできたのが「悲しくてやりきれない」でした。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017412日(水)

 

 

<その2>
◆日本がアジア諸国などに行った戦争行為について、「戦争に直接関わっていない世代が、いつまでも謝罪する必要はない」などということが言われます。
しかし、はたしてそうなのでしょうか。私は、人間の中の暴力性をコントロールするためにも、罪悪感をもち続けることは大切なのではないか、と思うのです。

◆私たちは、「イムジン河」を朝鮮民謡だと思い込んでいました。世界各国の民謡をアレンジして、現代の民謡にして歌うことは、コンテンポラリー・フォークの思想であり、フォーク・クルセダーズの目指したものでもありました。

◆しかし、冷静になって考えれば、朝鮮半島の分断を歌詞に盛り込んだ「イムジン河」が昔から歌い継がれている朝鮮民謡があるはずがないのです。その知らなかったことが、逆に松山の才能と独創性の開花を可能にしたのです。


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 きたやまおさむ「コブのない駱駝」(岩波書店)
2017411日(火)

 

 

本書は伝説の音楽グループ、フォーク・クルセダーズで活躍し、また作詞家として数々のヒット曲を手がけながらも、その後、マスコミの第一線から退き、精神科医となった著者の自伝である。こう言った本が、岩波から出版されたことにも興味を持った。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介していきたい。

<その1>
◆昼間忙しく働いて、家に帰ってくれば寝るだけ、というような人がいます。一方で、昼と夜の間に「遊び」の部分を確保している人もいます。仕事だけでもなく、食べる、寝る、といった生理的な部分だけでもなく、それらと関係のない時間を持てている人。内的にも外的にも道草できる領域をもっている人といってよいでしょう。そうした休息や趣味の領域を確保していることが実は人間の健康や創造性にとっても大切なのです。

◆部落差別だけでなく、民族差別なども根強く残っていました。在日コリアンたちが住む集落もありました。フォーク・クルセダーズの「イムジン河」も、そうした環境の中で生まれていった歌です。この日本語詞をつくった友人の松山猛も京都市の地元仲間で、子どものころから朝鮮系の子と仲よくなり、よく家にも行き来していたといいます。しかし、地域の中では、差別が厳然と立ちふさがっている。もともと北朝鮮の歌であった「イムジン河」は、そうした松山の体験の中で生み出されたものです。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
201744日(火)

 

 

<その14>
◆60年安保の意義は、左右の権威を失墜させ、イデオロギー闘争を無意味なものにしたことだろう。左の共産党と、右の岸信介は、戦前戦後の日本社会にとって特別な存在であり続けたが、安保で岸の政治的野望はついえたし、民衆を統制する「前衛党」という左翼の幻想も消えた。ブントの戦いは、既存の権威から市民を解き放った。

◆唐牛健太郎は、全学連仲間の島成郎や青木昌彦らがそれぞれの分野で目覚ましい業績をあげたのとは対照的に「長」と名の付く職につくことを拒み、無名の市井人として一生を終えた。だが、それこそが唐牛が生涯をかけて貫いた無言の矜持ではなかったか。庶子として生まれた唐牛は、安保闘争が終わったとき、常民として生き、常民として死のうと覚悟した。それは彼の47年の軌跡にくっきりと刻まれている。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
201743日(月)

 

 

<その13>
◆唐牛はなぜこれほど多くの人間から慕われたのか。
私が推察するところ、それは唐牛に嫉妬心というものがほとんどなかったからではないかと思っている。男の嫉妬心は女の嫉妬心よりも粘着質で厄介なものだが、唐牛には時に戦争を起こす男の嫉妬心とは無縁だった。
とりわけ学生運動という男の集団では、嫉妬心が権力闘争の導火線になる。その嫉妬心がゼロに近く希薄だったことが、唐牛が周囲に爽やかな印象を刻む最大の要因ではなかったか。

◆大島は裕次郎と唐牛は「共にあの時代のヒーローでありながら、その後の人生には決定的な差があった」と述べている。唐牛は醜く太っても社会に対する反抗:つまり「不良性」を持ち続けた。その「不良性」をなくしても、唐牛は映画やテレビに出演し続けた裕次郎の生き方とは対極の人生を歩んだ。60年安保闘争後、各界で活躍する仲間たちを尻目に無名の人生を生き、短い生涯を終えた。
唐牛は裕次郎のように、大衆の望むヒーローであり続けることを拒否した。そして、そのことによって、永遠のヒーローと成り得た。しかし、そのストイックな生き方は清々しくもあり、痛々しくもあった。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017331日(金)

 

 

<その12>
◆あの安保闘争は、単に左翼と政府が戦ったんじゃなくて、権力側同士−特に経営者たちですね−の戦いでもあったんです。戦後、財閥系はみんなパージされていますから、安保当時、日本の財界を形成していたのはその人たちじゃないんです。三井、三菱なんかじゃなく、新しく出てきた何の縛りもない若い経営者たちが、体を張って日本の経済成長を支えてきたという気概があった。
ところが、彼ら新興勢力には岸さんはどうも自分たちを評価していないという不満があった。どうやら岸という人間は、昔の財閥をもう1回復活させたいらしい。彼らは岸さんの登場に対して、危機感を持って迎えているんです。安保騒動はもっけの幸いで、この騒動で岸さんが滅んでくれればいい、という思いがどうやら彼らにはあったみたいですね。

◆――唐牛はよく「人たらし」と言われます。
「『人たらし』というか、自分を押し付けない人でした。自分を積極的に出さないから、自分がないように感じてしまうんだと思います。まず相手を受け入れて、それから自分の意見を言うから、誰でも話しやすかったんじゃないですかね」

◆47歳という年齢は、唐牛が愛読したカミュが安保闘争が始まった1960年1月に自動車事故により46歳の若さで他界した年齢と1歳違いだった。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017330日(木)

 

 

<その11>
――安保闘争が終わると、日本は高度経済成長まっしぐらの時代に入りますよね。これはどうしてだと思いますか。
「そういうことを聞かれれば『国民性』と答えるしかありませんね(笑)。300年間も徳川幕府にやられてきた『国民性』です」
――確かに300年間、日本人は隠忍自重してきたわけですからね。
「しかも徳川家というたった1つの家のためにみんなが一致協力して、動いたわけでしょ。徳川家という1つのホームドラマのためにね」
天皇制を持ち出さなかったのが、この話の1番のミソである。徳川300年に比べて、近代天皇制は、その半分の150年である。安保闘争の意味が日本国民全員に行き渡るにはまだ時間が足りなかったとも言える。。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017329日(水)

 

 

<その10>
◆今だから言えるが、左翼=インテリ、右翼=バカという「都市伝説」は、私たちの世代にも生きていた。私を含め女にモテたいために左翼運動に入ったという俗っぽい輩が大半だった。

◆青木昌彦の死から3ケ月後の15年10月、その研究を振り返る会が北京の精華大学で開かれ、著名な学者100人以上が参加した。中国経済が世界2位に発展するのに尽力した青木は「中国で最も尊敬される日本人経済学者」と呼ばれている。
全学連一の切れ者と言われた青木は、その後、キッパリと運動と手を切ったことで全学連関係者から顰蹙を買った。だが、青木はノーベル経済学賞最有力候補として、エスタブリッシュの頂点にいながら、学生時代に関わった社会主義の行方には終生強い関心を持っていたのである。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017328日(火)

 

 

<その9>
◆島は物凄く勘の鋭い男で、60年安保の立役者と言われた天性のアジテータである。その後の学会紛争の論争の間、彼に何度かしてやられて癇に障ったことがある。パーティーなどで彼が話し始めると、別に大きな声も出さないのに、がやがや話していた連中がすーっと静かになるのだから奇妙である。精神科医には惜しい男と言われる。

◆太平洋戦争で唯一の地上戦があった沖縄の死者は20万人にもおよんだ。その後遺症は根深く、戦後70年以上経った現在でも、戦争のPTSD(心的外傷性ストレス障害)に悩まされる患者は少なくない。

◆革共同分裂後、革マル派の最高指導者になる黒田寛一と接したことがある五島は、黒田についてこう語る。「あんな陰惨な男はいないよ。内ゲバは黒寛が始めたようなもので、それによって将来の日本を背負う優秀な人材が100人近く死んだ。連合赤軍事件で殺された奴らなんかの比じゃないんだ。日本にとって大変な損失さ。死んだ奴らに比べりゃ、松下政経塾出身者なんて下の下だよ。」


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017327日(月)

 

 

<その8>
◆その「非行者」を寄せ集めたブント全学連が岸政権を倒したからこそ、憲法は辛くも守られ、その後戦争を起こさない状態が半世紀以上続いた、という見方もできる。

◆ここから唐牛と一緒に60年安保闘争を闘った全学連の仲間たちの「その後」にふれるのは、彼らは運動をやめても「初心」だけは忘れなかったことを知ってもらいたかったからである。

◆そんな冷静な島成郎でも、安保闘争が終わって1年後のある朝、「あー怖かった。処刑される夢を見た。」と、言ったことがあった。それを聞いた博子夫人は、「そこまで島が精神的に追い詰められているのか、と背筋が寒くなった」と告白している。

◆ふつう精神科のカルテというものは、被害妄想があるとか、幻聴があるとかマイナス要素ばかり記載されているものですが、島先生のカルテには、この患者さんはこういうことができる、ああいうことができると、プラスの要素しか書かれていなかったそうです。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017324日(金)

 

 

<その7>
◆「全学連委員長であった自分は、闘争の血債を支払った者達のその後の人生水準よりも上の楽な生活を絶対しない」と心に決めていた。

◆ソ連でも東欧でも、あるシステムがダメになったから、いち早く昔のシステムと手を切るという人を見てきて、私はむしろ過去に囚われている人たちに心が寄せられるようになりました。

◆島成郎は前掲の手記「唐牛健太郎の壮烈な戦死」で、<言葉によって表現する詩人もいるが、彼の場合は行動や生活そのもの、その生き方で詩を表したように思えます>と述べている。

◆フィクサーの田中清玄から全学連がカンパされたとき、日共の機関紙の「アカハタ」は唐牛らにたいして 非難を浴びせた。しかし、唐牛はこの手記の中で、「田中清玄は何の付帯条件もつけてこなかった。カネは出すけど口は出さなかった。口は出すけどカネは出さない進歩派よりも、こちらの方がよほどありがたかった」と述べている。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017323日(木)

 

 

<その6>
◆この間隙をついて出てきたのが、ブント結成より丁度1年早い1957年12に結成された日本トロツキスト連盟を源流とする革共同だった。
革共同はブントの学生組織のブントの学生組織の社会同に対抗してマル学同(マルクス主義学生同盟)という活動家組織をつくり、勢力を伸長させていった。革共同はその後、中核派と革マル派に分裂し、血で血を洗う内ゲバ闘争を繰り返すことになる。

◆児玉誉士夫は戦時中、海軍上層部と結託し、巨万の富を得、それを自民党結成の資金とした。岸の自民党総裁就任の裏金を作ったのも、児玉だったといわれる。児玉は岸内閣の守護神となることを受け入れる。

◆逮捕歴13回と全学連中最多記録を持つ篠原は、やはり清玄の口利きで、田岡一雄が社長をしている甲陽運輸という港湾荷役会社に入った。
これに対し唐牛は田中の事務所に居着いた。篠原によれば「右翼の大物と言われた田中も唐牛にかかると借りてきた猫でした。唐牛が、生意気を言えば言うほど、田中は猫が喉をなでられるようにうれしがった」という。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017322日(水)

 

 

<その5>
◆新開純也は洋菓子業界の風雲児といわれた「タカラブネ」の社長だったこともある。
京都を本社とし、後に全国展開するダカラブネの経営がコンビニなどの競合で傾いたため、民事再生法を申請し、2004年、大手保険会社系のファンドに譲渡したのは新開だった。「タカラブネ」は全学連活動家の受け皿となり、同社の関係者は唐牛と接点のある人間が多数いる。

◆これは極端な例としても、60年安保を闘った全学連メンバーには、共通して戦前戦中体験があった。

◆安保闘争が革命情勢に至るなどとは私は少しも考えなかったが、状況いかんによっては政治危機寸前にはなりえたと思う。
もし野党に確固とした方針と行動があったらならば、史上初めて大衆参加のもとでの政変もあったかも知れない。
もちろん社会党にも共産党にもそんな姿勢はまるでなかったし、なかったことは日本にとって幸いであったが、それではもしブントに力があったならば、新しい政治はつくりえたであろうか?ノン、ノン、ノンである。(島成郎著「ブント私史」より)。


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 佐野真一「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(小学館)
2017321日(火)

 

 

<その4>
◆私が唐牛という男に惹かれるのは、誰からもカリスマと持てはやされた全学連委員長時代ではない。むしろ27歳で刑務所を出所したあと、47歳で鬼籍に入るまでの20年間どんな人間と交流し、どのような人生遍歴を歩んだかに関心が向かう。
強いて言うなら、なぜ彼だけがその後の高度成長の波に乗らず、1人だけ60年安保闘争の功罪を背負い込むようにして、短い生涯の幕を閉じたのかに興味がわく。

◆満州時代、岸は「阿片王」と呼ばれた里見甫と親交を結び、阿片からあがる膨大な利益を資金源にしたといわれる。千葉県市川市にある里見の墓の墓碑銘を書いたのは、岸である。また東条英機の政治資金をつくったのも岸だったという。


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