書名:親鸞 他2作品合本版
著者:吉川 英治
発行所:新潮社
頁数:882ページ
定価:99円 Kindle版
久々(45年ぶり)に吉川英治の親鸞を読んだ。この本は親鸞と親鸞の水脈と親鸞聖人についての3作品が収録されている。吉川英治が初めて新聞連載の小説を書いた題材が「親鸞」社命で毎日朝2,3時間早く出社して一夜漬けの知識などで書いた。だからいつかまともなものを書こうと考えていたが、なかなか手をつけられず10年後書いたのがこの作品。そしてこの作品もまだ満足できなくて、次を書くつもりでいたらしいが、遂に3回目の作品は書けなかったとのこと。
吉川英治の家は仏壇と神棚があって、何でも仏壇に供えてからいただくという習慣が当たり前、そして母親は仏壇の前に座って良く拝んでいた。また菩提寺は浄土真宗だったこともあって、親鸞は身近にあった人だったようです。
最近では五木寛之、吉川英治の時代では丹羽文雄(実家浄土真宗専修寺高田派の崇顕寺)の親鸞、出家とその弟子など親鸞を取り上げた作品は多々あるけれど、物語として面白いのはやっぱり吉川英治、吉川英治は語り手として凄く優れているから物語の構成から流れイベントの発生するリズム、人と人の泳がせ方、必ず子供の頃から晩年までひとりのライバル(仇敵)を置いて対立軸があり、ドラマに心動かされる。
吉川英治は「新・平家物語」を書き、今また「私本太平記」を書きながら思うことは、要するに親鸞をつかんで書こうと、平家物語の人間像を書こうと、南北朝時代の群像を書こうと、結局歴史小説でも現代小説でも、自分の表現以外ではない。
つまり題材の如何にかかわらず自己を書いていることに帰着するのです。そうしてまた読者側からいえば小説とは、小説中の筋や人物を読むものと思っているが、実は読者は小説をかりて、自分自身を読んでいるものなんです。「──小説は自分を読むもの」そう思い当りませんでしょうか。ですから小説というものは作家も読者もお互いに自己の掘り下げみたいなもんです。」という、そして読者は本を通じて自分を読む。だから波長の合った作家との出会いは楽しく面白く愉快に読める。この親鸞も宗教の教義がどうのこうのではなく、普通の人としての生活がある。そんな生活をどう楽しんでいくか?ということを盛んにいっている。女犯の問題も凄く当たり前の僧というだけで禁じられた女犯、に自ら立ち向かっていった1人の人が親鸞。でも聖徳太子の頃から結婚する僧はそれなりにいた。でも鎌倉時代ではやっぱり凄い破壊僧だったんでしょうね。
この本も舞台が京都で、出てくるところも京都のいろいろなお寺とか、現在でも存在しているところが多いので読んでいて土地勘が判って読みやすい。青蓮院(門跡寺院主慈円)、六角堂とかにこもって修行をしたか?高雄の明恵上人とか?
本書より
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「この頃、陸奥の方から、人買いとやら、人攫いとやらが、たくさん、京都へ来て徘徊いているそうな、もしもの事があっては、良人の病にもさわりますし、私とても、生きたそらはありません」
「稚子攫いを職業にする悪者は、男の子ならば室の津の唐船へ売りわたし、眉目よい女子だと京の人々が、千里もあるように考えている東の国から那須野の原をさらに越えて、陸奥のあらえびす共が、京都の風をまねて文化を創っている奥州平泉の城下へ遠く売りとばされてゆくのだという。」
都では「みちのく」は悪い人がいるところ。こんな差別感をもっていたのですね。今でも残っていませんか?田舎は?
「あすありとおもうこころのあだざくら夜半にあらしのふかぬものかは……」
「天下をとる迄は、人民へも、僧侶にも、いかにも、善政を布くようなことをいうが、おのれの望みを達して、司権者の位置に就くと、英雄共は、自分の栄華に忙しくなって、旗を挙げた時の意気や良心は、忘れて」
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「人間の社会というものは、ちょうど春先の野火焼とおなじようなものでございますな。──焼けば焼くほど、後から草が伸びてくる……」
天地の創造された始めから、水は、天地の終るまで、無窮の相をもって流れています。われわれ人間とてもその通り、人類生じて以来何万年、またこの後人類の終るまで何億万年かわからぬ。その、無窮にして無限の時の流れから見ると、人の一生などは、電光のような瞬間です。その瞬間に、こうして、同じ時代に生れ合ったというだけでも、実に奇しき縁と申さねばならぬ。いわんや、同じ国土に生れ、同じ日の本に、知る辺となり、友となり、親となり、子となり、また、夫婦となるという事は、よくよくふかい宿命です。……だのに、そのまたと、去っては会い難い機縁の者同士が、憎みあい、呪いあい、罵りあうなどということは、あまりにも、口惜しいことではないか。──見るがよい、こう話している間も、水は無窮に流れて、流れた水は、ふたたびこの宇治の山河に、会いはしない……」
学問に没しすぎて来たため、学的にばかり物を解得しようとし、どんな教義も、自分の学問の小智に得心がゆかなければうけ取ることができない固執をもっていた。理論に偏しすぎて、実は、理論を遊戯していることになったり、真理を目がけて突きすすんでいると思っていたのが、実は、真理の外を駈けているのであったりして来たように思われていたのであった。──でこの期にこそ、まず自分の小智や小学やよけいな知識ぶったものを一切かなぐり捨てて、自分も世間の一凡下でしかないと自ら謙虚な心に返って、この説教の席に交じって、耳をすましているのであった。
いつかは会う約束の人に会ったのである。
「社会の害毒に?──」と天城四郎は、弁円の思想の浅薄さをあざ笑うように反問して、「そういうと、いかにも、この社会というものが清浄に聞えるが、どこにそんな清い社会があったか。藤原、平家、源氏、いつの治世でも、俗吏は醜悪の歴史を繰り返し、人民は、狡く、悪どく、自己のことばかりで生きている。それが社会だ」
往生。それは、往きて生きん、と云うことであるとここでは説くのだ。安楽に眼をねむったり、寂滅の終りを意味する言葉ではない。──往きて生きん──往きて生きん──人生へのあくまで高い希望とつよい向上の欲求。それを往生とは云うのである。
「む……書を読んでいるうちのたのしさはかくべつ。没我、無我、身なく、古今なく、思わず長い夜も忘れる」
善根にいそぐお心はうれしゅうござらぬ。幾つの悔をなした故、幾つの善をなして埋めようなどという心は仏心でありませぬ。左様な形に囚われた振舞いは自分で蔑んだがよい。──悪を浅ましいというが、善根のための善をしようとする人間の心根はなお浅ましゅうはお座らぬか」「はっ……はい……」
残水の小魚食を貪って時に渇くを知らず糞中の穢虫
居を争って外の清きを知らず
心の悩みは形こそちがえ、誰の胸にも巣をつくるものだ。──心に病のない者でも、肉体に病魔があるとか、骨肉のうちに生活力のない者があるとか、また、嫁と舅の仲、親と子の仲、あによめと兄弟の仲、近所隣り同志の争い、およそ人間とはそうした煩いばかりに罹って喘ぎ悩むのが持ち前なのである。──それがために、あなた方は、よく働き、よく肥えて、いかにも逞しくは見えるが、心のうちというものは皆さびしくて暗い。衣食に貧しい上に、心までが貧乏人である。──心の富むすべを──心はいつも幸福で無碍自由にこの世を楽しむことができるのが常であるのを──それを知らないあなた方は、それを宿命のように、鈍々と、牛か馬のようにただ喰って働いている。まことにあわれな生活といわなければならない。食物は鳥獣でさえ天禄というものがあるのに、万物の霊長といわれる人間が、ただ喰うためにのみ働いて、この世を楽しむすべも知らないというのは、情けない事ではないか。楽しまずして何の人生ぞや──である。
フランスのリシェ(シャルル・リシェ。生理学者、ノーベル医学賞受賞)という人が、第一次大戦後に出しました「人間愚かなるもの」という本がありますが、この本の中でリシェが、人間はどうして果てしもなく、にくみ合い、殺し合うことをやってきたか。いまや人間は、にくまないものをもにくめないものをも、あえて殺すような戦争をやるまでに堕落してきた。おそらくは、文明は、科学は、もっと進歩するだろうが、人間の堕落は、にくまないものをも大量殺戮するその残虐さと、おろかしさを、もっとやるのではないか、というふうなことを書いています。
この点、キリストは、きたり信仰せよ、禅宗では声なき声をきけ、というような偈棒をくらわす。日蓮は、〝われ日本の眼目となる〟との自信を示す。 そういうなかで、親鸞聖人から、自分は人を助けるようなものは、なにももっていないんだといわれたら、人々は非常にガッカリもするでしょうし、冷たくも聞こえるでしょうが、これはそうではないんです。キリストの言葉より、日蓮のその言葉より、私はそういわれた人は、ハッと途方にはくれるでしょうが、つぎの瞬間からは、まったく別な力強さを感じたんじゃない
それは明治の初年の人でしょうか。三河の人で峨山和尚、この人は禅宗の人です。峨山和尚さんが、もうだめだ、命旦夕に迫ってだめらしいというときに『みな弟子ども、ここへ集めてくれ』といった。峨山和尚は古木のような身体を起きなおして、さて弟子どもにいったのはですね。『わしも、この年までに難行道禅をやってきた』というんです。『さとったつもりだ。ところがな、さて、そこまでお迎えがきてみるとな、なかなか死ぬっというのはつらいもんじゃぞよ』といったそうです。『なかなか死ぬちゅうんは、つらいもんじゃぞ、たいへんじゃぞよ。お前ら若い者は、勉強せーや』そういって、なくなったというんです。