新宿サニーサイドシアター 11/1〜11/4
「エアジャンク」
11/2(土)観劇。座席 自由(4列目右端)
作・演出・出演 福田将就【演目1:犬オレ犬】
首吊り自殺をした主人(娘)を見上げながら、家族愛の希薄さを嘆き悲しむ犬。
【演目2:ウィンナー・ウィンナー】
でかずぎて袋にも入らない不良品のウィンナーが、工場を出て独り立ちし、何故か教師になっている。その日は、登校拒否児童(自殺した娘)の家庭訪問に来たが、父親に拒否される。
【演目3:インディアン・デス・クロック】
3年前に日本にやって来たインディアン。生活に困り先祖の秘宝を質屋に入れ、箱だけを商売道具に錆び取りの販売員なっていた。しかし、不況下の今の日本では、関心さえ示す人もいず通り過ぎていくばかりである。しかし一人の中年男性だけは、ずーと興味を示し遠目で様子を見ていた。インディアンが呼び止め話を聞いたところ、欲しいのは商品ではなく、インディアンが持っている大きな箱であった。交渉の末、インディアンは、男に30万円でその箱を売るのであった・・・。
【演目4:小林の場合 ジキル・ハイド・ハイジ】
ジキルとハイドとハイジの三重人格を持つ男の物語。
【演目5:空手バカ神父】
こっそり自宅で密葬ができる“大山内葬”からやって来た空手バカの神父。“大山内葬”は、死んだ事すら誰にも知られずに葬儀をし、死亡した人の存在自体も消し去る葬儀屋。家主が用意した棺おけ代わりの物はインディアンから買った箱であった・・・。
【演目6:アーア・アー】
芸能一家の家主ヤマトタケルは元アイドル歌手だったみたいだが、今は落ちぶれて水野晴朗の映画に出演中。そんなある日の撮影風景。
※・・・1丁目に住む芸能人一家。近所の人達からは“美し御殿”と呼ばれ、羨望の眼差しを受けていた。芸能人の父親と母親、3姉妹の長女・次女も芸能人という芸能人一家ではあるが、末娘だけは一般人であった。しかし、その末娘には、「愛のない見せかけだけの家庭」が窮屈でしかたがなく、登校拒否になり、ついには自宅で首吊り自殺をしてしまうまで追い込まれてしまった。そんな娘の死は、家族に悲しみすら落とさず、芸能人として家族の自殺は致命傷になるというメンツのみを残した。そして家族同意の元、人知れず遺体を処理してくれる“大山内葬”に処理を頼むのであった。そんな美しくも醜い芸能人一家の物語。そんな物語を福田将就が一人芝居で見せる。一人芝居と言うとイッセー尾形のように、様々な人物のある風景を切り取って演じるというイメージが強かったのだが、一人芝居で一つの物語を影に潜めて、様々な人物を演じ分けているのがちょっと新鮮であった。ほぼ物語の主人物ではなく、脇の人物を登場させ、徐々にメインの物語を浮かび上がらせる手法も素晴らしい。物語のダークさもなかなか自分の好みであった。
ただ、役者としての福田将就に魅力を感じなかったのがマイナス要因。様々な人物を演じているのだが全て福田将就であり、演じ分けが出来ていない。演技が下手という事では決してないが、一人芝居ならではの演じ分けの面白さが全然味わえなかったのである。残念ではあるが、役者に魅力を感じない一人芝居は観ていて辛い。脚本・演出はとてもいいし、一人芝居で見せるという方法も素晴しいと思う。それだけに勿体無い公演であった。
作・演出 長谷基弘申し訳ありません。まだ書けていません。
作・演出 三浦大輔○11月15日 PM8:00
北海道のとあるカラオケ店の9号ルームの一室。浅野(小林康浩)、宮本(米村亮太郎)、山崎(仁志園泰博)、和田(宮崎吐夢)、西村(高多康一郎)、石井(山本雅幸)の室蘭工業大学に通う6人が、まったりとした時間を過ごしている。歌っているのは山崎だけで、誰一人として歌など聞いていないイタイ空気が流れている。そんな空気を打破する為に石井から女友達を呼ぼうという提案が出される。即実行、電話を掛ける事に。しかし、はしゃぐ男達の心を他所に相手は圏外で繋がらず。企画は次ぎの日に持ち越しになってしまう。
○11月16日 PM8:00
期待を胸に着飾って集まって来た男達。しかし、石井が電話を掛け忘れていた為に再び企画倒れ。又しても次の日に持ち越しになってしまう。カラオケルームには、相変わらずまったりとした空気が流れている。
○11月17日 PM8:00
結局女性は来られなくなってしまい、取り残された感の強い男達。相変わらずのまったり感が漂う。そんな空気を追い払う為、前の部屋に入った女性4人組をナンパに向かう石井。話はまとまり野口(安藤玉恵)、田村(井上記恵)、武田(松浦絵里子)、横山(加藤芙美子)を部屋に招き入れる事に。ギクシャクした空気の中、店員(脇坂圭一郎)と石井の間でちょっとしたトラブルも起こったが、至って平穏な空気のまま時間は過ぎていく・・・。
○PM9:00
合コンもそれなりに和み、いい空気になってきた。しかし、その空気を壊したのが、全員歌ったのに一人だけ歌わない西村の行動であった。他人が入れた曲だが、その歌を歌わそうと盛り上げてみたが、それが返って逆効果になり怒りだしてしまう。凍てつく空気。気まずい空気を察した石井は、王様ゲームを強行する。しかし、又しても空気を凍らせたのは西村であった。西村と田村がキスをするという王様の命令に、強く拒んだのは西村の方であった。「他の3人ならいいが田村とは嫌だ、自分にも選ぶ権利がある」と、ゲームなのに自己中心的な主張を言い出す始末。そんな侮辱に泣き出してしまう田村。気まずい空気は一向に好転しない。そんな空気のまま、女性達は帰る時間になってしまう・・・。女性達が帰ってしまったそのいたたまれない空気の中、タイミング悪く部屋にホットケーキを届けにやって来た厳つい顔の店員。しかし、石井が喧嘩腰になってしまった事への謝罪を入れた途端、すっかり気を取り直して居座ってしまう。厳つい顔に反して、むちゃくちゃ話し好きな店員は、帰りたい男達の心情をまったく気付かずに、ハイテンションで話し続けるのであった・・・。まずは、「素晴らしい!!」と大絶賛したい。何が素晴しいって、まったりとした重苦しく嫌〜な空気の作り方のうまさ。匙加減が絶品なのである。いや、匙加減って言葉だと丁度良いって感じなので、若干ニュアンスは違うと思うが、匙からこぼれ落ち加減が絶品なのである。普通の演出家だとそのイタイ空気に耐えきれずに、早めに笑いとかで空気を変えてしまうものだが、三浦大輔は限界を超える。これでもかとまったりとした空気を続ける。もーいいよって思えるくらいに追い込み、観客の心をかき乱す。これこそが、ポツドールの持ち味ではないだろうか。ラストでちょっと厳つい店員が話し込んでしまうとこなんか、帰りたいのに帰れないという空気が客席にも伝わり、非常に重苦しい空気が劇場全体を包む。ハタと気が付いたのだが、その空気がセミドキュメントで流れる空気と酷似していたのである。今回は脱セミドキュメント作品であるが、三浦大輔の描きたい物、描き方は、全ての作品に於いて不変であると強く感じた。駄目人間を描きたいのではなく、人間の持っている駄目な部分に着目しているのだと痛感した。その究極の方法がセミドキュメントであり、役者を追い込む事によって真の姿(往々にして駄目な部分が明るみに出てしまう)を描いていたのだと、いまさらながらに理解した次第である。今回の作品を観て、セミドキュメントの凄さを知るってほんと恥ずかしいなぁ〜と、自分の鈍感さに深く反省しているのだが、自分的には今回の作品は、三浦大輔の描く世界を理解する上でとても重要な作品であったと思う。まぁ、そんな反省を踏まえて感じた事は、人間の駄目な部分を描かせたら三浦大輔の右に出る者はいないと言う事である。今回もちっぽけな『男の夢』に翻弄する姿が、まったりとした空気に乗ってピリピリと伝わってきた。傑作である。ただ過去に『騎士クラブ』という素晴らしい作品を世に出してしまっているので、どうしても比較してしまう。『男の夢』もむちゃくちゃ良かったのだが、まだまだ『騎士クラブ』を追い越せる作品ではなかった。素晴らしい作品を作ってしまった事が仇になってしまっているとは思うが、超える作品を是非とも観たいものである。
芝居も良かったが、芝居を生かす舞台美術の素晴らしさも特筆しておきたい。カラオケルームをそのまま切り取って舞台に設置したと思えるくらいのリアルさ。ただ微妙な点だが北海道色が見えなかった事が指摘を受けたらしい。そう言われればって感じ。自分も、室蘭工業大学ってのを聞いて舞台は北海道なのかぁ〜と初めてわかった始末。でも、カラオケルームの雰囲気は北海道出身の三浦大輔のイメージで作ったとの話しなので、壁の色とかはリアルに再現されているらしい。カラオケの絶妙な選曲にも三浦大輔の才能が発揮されていた。例えば、ウルフルズの「ばんざい」を熱唱する山崎の姿で、空気の微妙なズレみたいなものを絶妙なタッチで見せていたと思う。
役者で良かったのが、客演の宮崎吐夢。大人計画の公演では、物語をかき回す道化的おかま役で、いい印象はなかったが、今回の役は最高であった。今まで観た中で一番かも。抑えた演技が素晴らしいのである。暴走していないのに、その存在感がもの凄いのである。逆に存在感が希薄だったのが、小林康浩。あえてそういうポジションの役ではあったが、いつもの切れがなかったように感じた。
“ポツドール”自分が観た公演ベスト
1.騎士(ないと)クラブ〈再演〉 2.騎士(ないと)クラブ〈初演〉 3.男の夢 4.メイク・ラブ〜それぞれの愛のカタチ〜 5.身体検査〜恥ずかしいけど知ってほしい〜 6.熱帯ビデオ
作 月輪戌之丞
演出 夢野臍男古雑誌を回収し、それを売る事によって生計を立てているかおる(大石丈太郎)が質屋から盗んだ日記は、幼なじみのユヅキ(小桃)のものであった。ただし、その日記が本当にユヅキの物なのか、かおるの思い込みだけなのかは、不確かであるが・・・。その日記を読みふけっていたかおるは、町で奇妙な老婆(尻子タマ恵)に出会う。それをきっかけに摩訶不思議な世界へと導かれて行く。
豚の棲む森に隣接する繁華街。かおるは“ガラパン”という名のキャバクラで働くケティと出逢う。そして、話していくうちに、ケティが幼なじみのユヅキである事が判明する。心を許したユヅキはかおるに、戦場カメラマンだった亭主が突然中東へと旅立ってしまい行方不明だという事、泥棒に入られ一文無しになり今の仕事に就いた事など、今まで歩んで来た生々しい過去を語り始めた。しかし、ユヅキの不幸はそれだけでは終わらず、町内会の連中が押し寄せ、あらぬ罪を被せるのであった。そんなある日、ユヅキの前に中東に行っているはずの亭主・桜林文麿(股部漣蛇)が突然現われ、それは全て、かつての敵にして友である牟田口六郎(小林令門)の罠に違いないと告げる。牟田口は低俗部長としてデイリタイムズの記者をやりながら、ユヅキを狙っていたのであった。・・・慾望の町に生きる無垢な娘ユヅキを巡る男達の妄想の物語。久しぶりに観るアングラ芝居である。“アングラ芝居”と勝手に断定してしまうが、自分の中でのアングラと非アングラの境界線は曖昧である。御勘弁を。劇場となった白萩ホールも、新宿百人町職安通りの近く、ホテル街の入り口にある廃校になった専門学校という好条件で、自分の中のアングラ度に拍車がかかる。今でこそいなくなったが(そう見えるだけ?そう言えば、おかまっぽい女性と客引きらしい外国人はいたなぁ〜)以前は“たちんぼ”と呼ばれる外人の娼婦が立っていて、道行く男に声を掛けていた場所。そんなイカガワシサがアングラっぽさに磨きをかける。ただ、芝居は自分の好みにマッチして面白かったのだが、プチ唐組という感じが拭えず、目新しさがなかったのが残念であった。作の月輪戌之丞(本名大垣高洋)が、作家志望として唐組の演出助手を3年間やっていたらしいので、唐十郎色が強いのはしょうがないのかもしれない。しかし、新たに旗揚げしたのだから、唐組とは違う何かが欲しかった。唐組同様に2幕に別れているのだが、その必然性も見えなかった。でも、芝居自体はマジ楽しんだ。かおるの見る幻影と、薬物中毒の牟田口の見る幻影が交差して、ジグダラクの死者を呼び、混沌としていくラストなんかは、豚骨の悪臭(保管状態が悪かったのか腐敗してしまったらしい・・・)も加わりまさに悪夢。“仄か”どころか強烈な悪臭に自分自身も悪夢の中にいるようであった。自分が観た日以降あと2日あったが、千秋楽の腐敗状態を想像すると胸にすっぱいものがこみ上がってくる。・・・まぁそんな意図してなかった効果はさておき、次回公演は脱唐組で新しいアングラ芝居を見せて欲しいと願う。
役者では大石丈太郎の存在が面白かった。狂った世界に一人常識人がいるようなコントラストが物語に面白さを加えていた。でも、もっと翻弄して存在感を出して欲しかったと思う。必死に常識な所を見せれば見せる程、その世界の不条理さが見えてくるような。あと小桃が目を引いた。SOAPで観た事があるかもしれないが、今回の存在感というか魅力はなかなかのもの。役者が固定なのかわからないのだが、ポルノクラートの今後の行方は、小桃の成長が左右するのではないだろうかとも感じた。脚本の面白さ以上に、小桃がどう脚本を生かすかで芝居が良くなりそうな予感がするのだが、どうでしょ。あと余談だが、室内じゃなくてホテルのネオンが見える野外で観たかった芝居であった。
作・演出 吉田衣里申し訳ありません。まだ書けていません。