2002年5月はこの4公演

 


サイマル演劇団「7−2−0−K?」

パンプルムス 5/10〜5/12
5/11(土)観劇。座席 自由(4列目中央:招待)

作・演出 赤井康弘

 電車のホームで独り言をつぶやいている女性・カオル(佐武令子)。彼女は孤独に打ちひしがれ、ホームで佇み自問自答を繰り返していた・・・。
 場面は変わりカオルの部屋。時代は100年後の22世紀初頭。自分の国は依然平和であり、100年経っても庶民の課題はダイエットと健康。しかし、医学は進歩しており、遺伝子検査で自分のレベル(死に至るまでのレベルまでも)知る事ができる“リスクテスト”が行われている、そんな世の中。そんな平和な自国とは逆に、海峡の向こうの「あの国」では内戦が繰り広げられていた。こちらの国で暮らすカオルの元に、いつも送られてくる手紙があった。それは、戦地に向かい行方不明になっている父・八千草から戦地の模様を綴った手紙であった。父に会いたいと願うカオルを見て、父のツテで居候している桜田(笠原直樹)と手伝いの手塚(藤岡成子)は、父の元秘書で今では戦場にいる金田(村上勇斗)を呼び寄せる事にした。最初で最後になるかもしれない航海を経てやって来た金田。金田は、カオルに一つの決断を迫る。そして、金田と共に航海に出る決意を固めたカオルであったが・・・。

 ぼんやりと見えてくる未来。しかし、これはストレートに物語を受け取っていい芝居なのだろうか?とても疑問が残った。ならばと、自分勝手に解釈をすると、こちらの世界はカオルの精神世界であり、あの国こそが現実なのではないかと思う。いや、本当の現実は電車のホームで佇んでいるカオルの世界であり、「あの国」は、そんなカオルが現実を直視できないが為に架空の国に置き換えて見ている世界ではないかと思う。なので、実際に戦争が起きている訳ではなく、戦争は何かの例えであると捕らえたのだが・・・。ゆえに、この物語は、自分の世界に閉じ籠っているカオルの自分探しの物語なのではないかと受け取った。父が出て行ったのは戦場ではなく、娘と一緒に暮らす事のできない家庭の事情を回避困難な戦場という形で具象化させたもので、金田は精神科医か何か自分を救ってくれる存在なのだろう。でもひっかかる点もある。ならば、内面である「こちらの国」にいる手塚と桜田の存在は一体何なんだろうか・・・。結局出発しなかったカオルは、引き籠ったまま何も得られないマイナスな結末なのか・・・自分勝手に解釈してみても物語の結論はでない。読みが足らないのだろうか・・・。

 逆説的に、内面の物語ではない、単なるSFならどうだろうか。しかし、それでは余計に不満が残る。時代性を織り込んだ物語づくりを目指しているとの事なのだから、そんな単純な芝居は作らないだろう。が、もしそうならば、ぼんやりと見えてくるのではなく、未来を描きつつも実は現代を強烈に、そして明確に批判して欲しかった。「あの国」の内戦はアメリカを仮想敵国に据えた戦争であり、武力行使を強烈に批判しているとか。それなら、又別の面白さを味わえたのではないだろうか。おいそこまで批判して大丈夫なのかよ、って驚くくらいに危険な思想が裏に隠れている芝居、そんな芝居でも面白かったと思うが、そこまで危険な空気は伝わって来なかった。

 仙台から芝居の拠点を東京に置いての第1回目の公演らしい。しかし、残念ながらインパクトに欠けていた。他の劇団にはない何か強烈なものが欲しいと感じた。社会派の芝居なら、もっと心底恐怖を感じるくらいの批判という毒を振り撒くとか、ふつふつと湧き上がる様な何か熱いものを投げかけるとか。小劇団が飽和状態の今の東京で生き抜くには、それなりの何かが欲しいものである。具体性がない発言で申し訳ないが・・・

 今回の芝居とは関係ないのだが、佐武令子には精神的に狂ってしまった役を演じて欲しいと思った。声域があるので、声で狂気を表現できるのではないかと思うのだが、どうでしょ?

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毛皮族「エロを乞う人」

ウエストエンドスタジオ 5/8〜5/12
5/12(日)ソワレ観劇。座席 自由(5列目中央:招待)

作・演出 江本純子

 SPEEDルズの前座→江本純子の前説→公演開始。
【一幕】
 物語は月曜日のユカ(町田マリー)を探すペンフレンドの小山田春彦(和倉義樹)を中心に、中国の郵便屋・顕蝶(原口洋平)、恋人の美淡(染谷景子<シベリア少女鉄道>)、謎の水兵さん(山崎和如<ベターポーズ>)、水兵さんが恋するウエイトレス・レモンちゃん(飯野美穂子)、手紙の神様・ロバ女(佐々木幸子)らがからみ、混沌とした恋愛が展開される・・・。
【二幕】
 死亡したユカの双子の妹を探す小山田春彦。探す妹は女囚777(町田マリー)として刑務所暮らしをしていた。その女囚刑務所には女囚ミサ(染谷景子)、女囚レモン(飯野美穂子)、女囚ロバ(佐々木幸子)、女囚801(柿丸美智恵)、女囚901(市木裕子<B-amiru>)らがいた。彼女らは、鬼看守・亀頭(和倉義樹)、女看守・羅針盤(江本純子)の目を盗み脱獄を図る・・・。
 まぁそんな物語がエロミュージカルとして華麗に展開される。

 とても素晴らしい。物語の未熟さは残るが、その表現方法の素晴らしさ、エロパワーに目が釘付けである。前回観た本公演『ハンバーガーマシーンガーンホテールボヨーン』を上回る楽しさで、終始にこやかになってしまった。キャバレーのレビューショーを見るが如くイカガワシイ雰囲気も健在である。最終日までいろいろなものを付加していく(初日に観た人に聞いたところ、初日になかったものが多々あるらしい)心意気も良い。おもしろい事への探求心の表れなのだろう。傷だらけで必死に演じる彼女達の姿も素晴らしく、エンドレスのカーテンコール(毛皮族のテーマ)で見せる笑顔がとても清清しく且つ凛々しく、とても輝いていた。

 役者では、染谷景子に惹かれた。幼い顔にエロっぽさが、なんかドキドキ。所属劇団の主宰土屋亮一氏は「気持ち悪い・・・」って謙遜していたが、自分にはとても魅力的であった。

 今回の芝居のネタにもなっていた“えんぺの一行レビュー”では無星が並んでいたが、こんなおもしろい芝居なのに不思議でならない。自分としては★4つ(4つで最高)どころか何個でも付けたい思いだ。芝居の内容の出来・不出来じゃなく、いかに楽しめたかって事で評価すれば、今年一番の大絶賛である。大きなエールを送りたい。変な中傷など気にせず、このままの勢いを貫いて欲しい。

 余談だが、チラシのタイトルに「THE EROPHANT MAN」と書かれてある、ちょっとした小ネタも非常に好きである。


“毛皮族”自分が観た公演ベスト
1.エロを乞う人
2.ハンバーガーマシーンガーンホテールボヨーン
3.踊り狂いて死にゆかん

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大人計画「春子ブックセンター」

本多劇場 5/15〜6/2
5/22(水)観劇。座席 N-5

作・演出 宮藤官九郎

 舞台は、ひなびた温泉街のストリップ劇場、その本番中の楽屋。踊り子達は、どうにも役立たずで厄介者の従業員・杉村(松尾スズキ)に怒り心頭であった。杉村の行動一つ一つが“怒り”という炎に油を注ぐ。まるでわざと怒りを引き出すかのように・・・そんな所に、お笑い界のアイドル、ブック(阿部サダヲ)がマネージャーのセンター(河原雅彦[HIGHLEG JESUS])と共にやってくる。なんでも、踊り子の世話係に成り下がってしまった杉村は、春子と言う名で、ブックとセンターと共に“春子ブックセンタ−”という一部マニアの間で伝説になっている漫才トリオを組んでいたらしい・・・そして、その伝説の漫才トリオを10年ぶりに復活したいと言う事で、この地を訪れていた。その行動には、人気が落ち目になってきたブックの起死回生の為という目論見が隠されていた。
 そんな問題を横目で見ながら舞台に立つ踊り子達。デミむーやん(池津祥子)、ジュラク金城(伊勢志摩)、大田下丸子(宍戸美和公)、馬場麗子(猫背椿)、万座莉奈(田村たがめ)、本宮桜(平岩紙)。彼女達も、ひなびた温泉街で踊り続けている事を良しとは思ってはいなかった。しかし、不況のあおりを食って東京のストリップ劇場がバタバタと潰れ、東京に戻る事ができない、行き場のない踊り子達であった。混乱しながらも舞台を進行しようとする支配人(皆川猿時)。しかし、この劇場も経営難であった。そこで、従業員のお金を横領し逃げ出してしまおうと策略中だったりもする。踊りのマイキー先生(宮崎吐夢)、万座莉奈のストーカー的ファンの上杉(荒川良々)と勅使河原(三宅弘城[ナイロン100℃])、取材に来たフジロック(村杉蝉之介)と島村(宮藤官九郎)、売れないお笑い芸人アキラ(顔田顔彦)達が入り乱れて、さらに物語は混沌としていく・・・。

 某誌のインタビューで書くにあたっての言葉が載っていたので引用させてもらうと「小林信彦さんが書いた本がすごくおもしろくて。ひとりで盛り上がってりところに『どつかれてアンダルシア(仮)』という映画を観てさらに盛り上がって。やっぱり芸人だ、芸人の話を書こうと思ったんです」との事。映画は観てないが、人気絶頂の漫才コンビが、実は舞台裏では激しく憎み合い、やがては殺しに至る物語らしい。そこまでのダークさは今回の作品にはなかったが、それなりに面白い作品になっていた。“それなりに”と失礼な書き方をしてしまったが、本公演としては物足りない作品だったので、あえて書かせてもらった。笑いは確かに多い。しかし、人間の描き方が深くはなく、この程度の作品なら“ウーマンリブ”の公演と変わりがない。境界線があるわけではないが、やはり本公演では、人間の暗部を深く切り刻む作品を期待していた。それがほぼ皆無であった。面白く観れて小言を書くのは偲びないのだが・・・。

 制作的には、大成功だったと思う。今回、部分公演とか“ウーマンリブ”ではなく、“大人計画”の本公演として、旬の宮藤官九郎に作・演出を完全に託し前面に出したのは、主宰松尾スズキの時代の読みの鋭さではないだろうか。その戦略が成功したのか、客席は大人計画を見た事がなさそうな若い女性で通路まで一杯の状態であった。チケットだってなかなか取れない始末。それで松尾スズキ自身は役者に専念し、出ずっぱりで怪演を見せる。自分の作・演出では出来ないだろうってほどの大暴走。そんな点を見ると、松尾スズキの時代を読む嗅覚の素晴らしさを実感する。才覚の一端を見た思いだ。


“大人計画”自分が観た公演ベスト
1.Heaven's Sign
2.冬の皮
3.ファンキー
4.ふくすけ(日本総合悲劇協会)
5.愛の罰(初演)
6.カウントダウン
7.ちょん切りたい
8.エロスの果て
9.春子ブックセンター
10.なついたるねん!(松尾スズキプレゼンツ)
11.母を逃がす
12.ドライブイン・カリフォルニア(日本総合悲劇協会)
13.生きてるし死んでるし
14.インスタントジャパニーズ
15.紅い給食(大人計画・俺隊)
16.イツワ夫人(部分公演)
17.猿ヲ放ツ
18.愛の罰(再演)
19.SEX KINGDOM
20.ゲームの達人
21.熊沢パンキース(部分公演)

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ポツドール「熱帯ビデオ」

下北沢駅前劇場 5/22〜5/27
5/27(月)観劇。座席 自由(7列目中央:招待)

作・演出 三浦大輔

 加藤直美の自慰行為を盗撮しているような、怪しげなAVの撮影シーンが冒頭に若干あるものの、後は面白いビデオを90分以内に作るという目的以外は、ストーリーらしきものはない。演技をせず、プライベートを背負ったまま舞台に上がるセミ・ドキュメントの第4弾。本当に台本はないらしい・・・

 楽日の公演を観てまず感じたのは、リアルさは感じるが、全体的にまったりとした空気が充満しすぎてしまったかなぁ、と。何度かポツドールの公演を観ている自分には、そのまったりとした感覚も微妙な緊張感として受け取れたのだが、初めて観た人にはどう映ったのか心配なところである。自分としては、まったりとした空気をどうにかしようとする役者の目の動きとかが、非常に緊迫してて面白かったのだが、いろいろな人に感想を聞いても、「正直目は離せなかったけど」という感想だけで、「面白かった」という感想は聞けなかった。

 この日のテーマ選定(毎回違うらしい)は、リアルな現実・人間の本質を表現するのは、何もネガティブな方向でなく、ポジティブでいいのではないか?
 一度は「ポジティブ」がテーマにあがったが、仁志園泰博が歌を披露した事により(あまりのしょーもなさに)、結局は「ネガティブ」に追い込む方向に行ってしまう。それは、仕方がない事なのか・・・。そして、その先にあったのが“暴力”。自分としてはリアルさの表現方法として“暴力”に結び付けてしまうのは、あまりにも容易すぎると感じてしまうのだが、どうだろう。ただ、その暴力を振るう役者の目の動きには動揺が見え、別の意味のリアルさを感じたのは事実。普段の生活で暴力を振るう時って“怒り”がピークに達した時だと思うのだが、そこまで自分を追い込んでおきながら「本当に殴っていいのか」「どのくらい力の加減をするべきか」みたいな葛藤が瞬時に脳裏に浮かんでいる(だろう)様子は、やはりリアルである。ただ、その状況を無理に作っているのは、三浦大輔の意図とは違うかもしれないのだが・・・。頭の中が真っ白になるくらい怒りを感じてしまっては芝居にならないが、その前段階の“心の葛藤”の過程が見えたのは貴重であった。
 しかし、暴力を受ける側には問題があった。ビデオで流れる加藤直美が三浦大輔に平手打ちを不意に受けた時の“驚愕”の表情が見えなかったのである。なんて言うか、受けて側の反応が希薄すぎてリアルさに欠けていたのである。暴力を受ける事を突発的なものとせず、身構えてしまった結果だと思うのだが、悪く言えば予定調和なのである。そこにリアルは見い出せなかった。

 舞台と私生活を区別しないという方向に反して、本音がこぼれてしまっていたのは、逆にリアル(人間臭さ)であった。小林康浩がヤラセを仕掛けた事に批判が集中した場面があったが、舞台を面白くする為にヤラセを仕掛けるという心だって、その人も持つ自然体(本心)であると思う。一概に罵倒されるものではないなぁと。安藤玉恵が暴力を振るわれたら別れると発言し、現に暴力を受けてしまうシーンで、「舞台上でやられてもなぁ〜」とこぼしてしまったのも意図と反する所だと思うのだが、やはり本音だなぁと。舞台上で処女を失おうとする福本朝子も「舞台じゃなかったらこんな事しません」と漏らす。それら全てが本音だなぁと。ただ本音が見えたからと言って舞台が面白い方向に向かったかというと違うかなぁと。難しいところだと思うのだが・・・。

 期待に反し一番の失敗は、加藤直美の使い方。存在感がゼロに近い。ポツドールの役者と同じポジションに置いた事により、いなくてもいい存在になってしまっていたのである。唯一存在感があったのは冒頭のシーンのみ。残念ながら。加藤直美は、あくまでも女優であり、与えられた役柄に狂気と卑猥さを加味できるすばらしい才能はあるが、本当のところは普通のつまらない人だった・・・と、そんな感じになってしまっていた。加藤直美には役を与えるべきだったのではないだろうか・・・あくまで楽日を見た限りでは、なんだけど。

 また、目的がおもしろいビデオを90分間で作るという事だけだったのも、物足りなさを感じた。勝手に今回の芝居を改変してしまうと(三浦さん、ごめんなさい)、オープニンのAV撮影を活かし、加藤直美は人気AV女優と設定する。でも年齢から言って、そろそろ人気が傾いている。でも本人は人気の陰りに気付いておらず、女王様気取り。態度も横暴。それをとことん加藤直美には演じてもらい(物語を進める上での台本はあるが、感情面ではその日の気分で好き勝手に振る舞う)、彼女を取り巻くスタッフ(ポツの役者)は、ADとか絡みの男優だとかの役の設定だけで、台本はなし。横暴な態度に反感を持つ者あり、気に入られようとする者あり、スタッフ同士で結託したり反発しあったり、裏切ったり・・・ある程度の物語性を持たせた上で、ドキュメントではない、“セミ・ドキュメント”の面白さ(『騎士クラブ』的面白さ)を発揮してくれたら・・・と思ったのだが、どうでしょ。


“ポツドール”自分が観た公演ベスト
1.騎士(ないと)クラブ〈再演〉
2.騎士(ないと)クラブ〈初演〉
3.メイク・ラブ〜それぞれの愛のカタチ〜
4.身体検査〜恥ずかしいけど知ってほしい〜
5.熱帯ビデオ
 

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