ザ・スズナリ 2/28〜3/3
3/3(土)観劇。座席自由(6列目中央)
作・演出 土田英生舞台は干し柿が主産業のタカハラ村。その地方自治体の空き地に建てられたサーカス団のテント。そのテントには“MACHIKO CIRCUS”と言う名が掲げられていた。観光課の神田章平(土田英生)が村の活性化の為に呼んだサーカス団だが、このサーカス団は元OLが5千万円の宝くじを当てて立ち上げた素人集団であった。その創設者であり団長でもある酒井真知子(増田記子)は、まるっきり経験のないド素人。前回の公演は、レンタルでプロの団員を集めて、それなりの成功を収めたが、今回は素人団長に愛想をつかしたのか、全然集まらない。そんな状況の中ダラダラと稽古をしている、十文字雄大(水沼健)、青山幸弘(奥村泰彦)、佐々木護(尾方宣久)の三人のピエロ達。レンタルではないオリジナルの団員ではあるが、経験も芸もないズブの素人達である。仲もぎくしゃくしている。音響・照明のスタッフ鍋島春美(西野千雅子)、今村隆(金替康博)も、どことなくぴしっとしない。口先ばかりで実力もない。サーカス団を呼んだ手前どうにか公演の形を作って欲しいと哀願する神田だが、その神田もいま一つ必死ではない。公演期日が目の前に迫っているが、愚痴をこぼすだけでだらだらと時だけが過ぎて行く・・・。そんな何もしない人々を淡々と描いた作品。
こう内容を書くとなんかつまらない芝居っぽいが、そこは土田英生、心に刺さる深みのある作品に仕上げていた。ぴあのインタビューで土田氏は「これまでは割と、淡々としながらも登場人物に感情移入させて、物語にお客さんを巻き込んでいくような作品が多かったんですけど、今回はその逆を行ってみようと。」と語っているが、その言葉通り誰かを中心に描くわけではなく、一歩引いた視線で全体を淡々と描いていたような感じがする。公演のさわりだけでもとオープニングの練習をしてみたり、鍋島が小屋を放火してしまおうとする放火未遂事件は起ったりするが(近所で放火が続いているという伏線、村八歩の話題が絶妙に絡む)特に大事件が起るわけではなく、ごくごくあたり前の日常がだらだらと続く。ただ、それがサーカス団という特殊な集団である事を考えれば、普通ではない日常が垣間見える。だからと言ってそこに感情を高ぶらせる特別なものはない。MONOの芝居を「フィクションとノンフィクションの狭間を行くストーリー」と表現している雑誌があったのだが、まさにその通りだと思った。実際ありそうな設定で実際にはありえない物語を描く、その微妙な隙間を絶妙な会話で繋いでいるのがMONOの芝居ではないだろうか。
ただ、ちょっと、前半眠くなってしまったのが残念でならない。良い作品だっただけにそんな自分に悔いが残る。感情を露にしない抑えた演出が、逆に行き場のない感情をより深く表現していたと思うのだが、その抑えた演出がちょっと眠気を誘ってしまったのである。しかし、それはそれで、土田氏の意図に、まんまとはまってしまった事なのかもしれない。感情を荒立てないでだらだらと生きる息苦しさ、苛立ち、そして退屈さが嫌というほど伝わってしまったのだから。土田英生恐るべしである。
脚本の素晴しさもさることながら、役者の上手さには、唸るものがあった。あれだけ上手けりゃ否応なく引き込まれるわ。人間としてダメな奴らだが、MONOの役者が演じる事によって愛すべき存在になる。そのくらい生きた人間味みたいなものを醸し出していた。今後の活躍がますます楽しみになった。
“MONO”自分が観た公演ベスト
1.錦鯉 2.なにもしない冬 3.―初恋
作・演出・出演 高山広とある厨房の朝。やってきたコックはネズミ取りに捕まっているネズミを発見する。彼は無表情のまま熱湯を沸かし、それをネズミの頭から浴びせ処理をする・・・そんな朝の風景。
場面は変わり、その厨房の奥の奥、人間の目の届かない別世界。その世界を支配しているのはゴキブリとネズミ。そこではゴキブリとネズミは天敵同志であり、日々戦いが続いていた。とある日。ゴキブリのソーシは空腹で厨房を彷徨っていた。そんな空腹感から罠とは知りつつもゴキブリホイホイに片手(と言うか片前足?)をついてしまう。必死に抵抗しても貼り付いてしまった手は剥がれない。仲間を呼び助けてもらうが、片手を失ってしまう・・・。ネズミのチュンパチとチューヤンは荒れまくっていた。ゴキブリとネズミの生活エリアは暗黙のうちに出来上がっているのだが、この日チュンパチ達は、ゴキブリの領域まで侵入していた。そこでばったり出会ってしまうソーシ。力ではかなわない片手のソーシはボロボロにされながらも逃げまわる。その途中チュンパチは、強力な粘着力のネズミ取りシートにかかってしまう。動きが取れなくなったチュンパチの前に立ちはだかるソーシ。ソーシは、抵抗ができないチュンパチに対し、暴力で仕返しをしようと試みる。しかし、両手でも刃が立たないのに、片手ではまったくの問題外である。そこで、言葉の暴力に訴えはじめる。これからチュンパチが歩むであろう未来の風景(ここで冒頭のシーンが生きてくる)を、事細かに説明しはじめる。死を覚悟し、亡き母に語りかけるチュンパチ。その姿を見て、ソーシは何かを感じはじめる・・・。1本の作品だけで終わる高山広の公演を初めて観た。今まで人情噺としてちょっと長目の作品は観たことはあるが、まるまる1本(上演時間1時間50分弱)というのは初めてである。1994年、横浜相鉄本多劇場で初演した時は2時間弱あったそうだが、1998年の弘前スタジオ・デネガでの再演を経て今回の公演へと繋がっている。今回は前半、ネズミの人格(ネズミの人格っていうのもなんだが)を表現せず、あくまで恐怖の対象として、感情をできるだけ排除して描いたそうだ。全体を通してゴキブリの感情を見せる事により、よりネズミの得体の知れなさが強調される。そして、ラストシーンでネズミの感情をいっきに噴出させる。その転換によりゴキブリのソーシが感じたと同様、観ている観客の心にもネズミの感情が突き刺さる。弱い立場の者から見る、弱者と強者の関係がとても悲しく突き刺さるのである。
そして、二人は解り合う。「・・・ひとつだけ、もしお互いにひとつだけいけないことがあったとしたら・・・それは、相手のことを知らなかった。いや、知ろうとしなかったというところかもしれない」と。同じ生き物としての感情・友情が生まれる。ソーシは、自分を踏台にして助かれと自らシートに貼り付くが、その行為は全く意味のない自殺行為であった・・・そして、そんな彼等二人を助ける為にゴキブリ1万匹が集結する(実際は一人しかいないのに1万匹のゴキブリが見えてくるから凄い)。強力シートにくっついた二匹を背に乗せ動き始める「ねずぶりだ、ねずぶりが通るぜぇー」と・・・。
1時間50分が、あっと言う間に過ぎた。嫌われ者ベスト2のネズミとゴキブリの共演ではあるが、高山広が演じる事によって、大嫌いなゴキブリでさえ、いとおしく感じた。同じ生き物なんだなって。でも嫌いだけど。ゴキブリの心理(って言ったってあくまで想像ではあるが)をも表現する高山広の力量を再認識した。その素晴しさは、職人芸と言ってもいいのではないか。いや、名人芸と言ってしまおう。一人芝居の概念を変えたと評される、豊かな物語性と生活感あふれる感情表現。それが人に限らず、ゴキブリ、ネズミ、生命のない物にまで命を吹き込む。その表現力は、さすがである。ただ、今回の公演は、KOKAMI@networkの公演から間がない強行公演という事もあってか、所どころセリフをかんでしまったのが残念でならない。体調が絶好調の時にもう一度観たい、素晴しい作品であった。
“NON GATE THEATRE”自分が観た公演ベスト
1.高山広のおキモチ大図鑑“一人で一杯” 2.高山広のおキモチ大図鑑“じゃんわり” 3.高山広のおキモチ大図鑑“ねずぶり” 4.高山広のおキモチ大図鑑“遠き休暇 WINTER VACATION” 5.高山広のおキモチ大図鑑・別巻“一人が一杯”
作 ジャン=クロード・カリエール
演出 山田和也風の強い秋の日。テラスのあるマンションの居間。昼食の後、エチエンヌ(西村雅彦)は新聞を読んでいた。エチエンヌにとって、その日も平凡ないつもと変わらない一日になるはずだった。が、突然、妻のマドレーヌ(手塚理美)が家を出ていくと言い出した。暗雲漂う一日の始まりである。マドレーヌの別居宣言は唐突だったが、準備は用意周到であった。エチエンヌの不安をよそに、段取りよく不動産屋の女(宮本裕子)がやって来た。マドレーヌは、重そうなスーツケースを持ち出し、男の迎えを待っている。そんな木曜日の昼下がり・・・。一人目の客はデュモン将軍夫人(真行寺君枝)。そして、次に来たのが、勝手気ままに振る舞う電話魔のアストリュック(近藤芳正)と電話で呼び出された友人モーリス(池田成志)。モーリスは初対面のマドレーヌに恋するがあっさりと振られる。それが元でテラスから投身自殺をするが、かすり傷一つ負わない。そんな最中、将軍夫人が夫(藤村俊二)を連れて再び訪れる。夫人は将軍を事故に見せかけてテラスから突き落とそうと密かな殺意を抱いていた。そして、それを実行に移す。しかし、将軍もかすり傷一つ負わず無事である。このテラスには何かあるらしい・・・。迎えの恋人がなかなか現われないでイライラするマドレーヌではあったが、夜8時、ついに迎えの男は現われてしまう。エチエンヌはテラスからの投身自殺をはかる・・・。
そんな内容であったと思うが、ラストがどうも思い出せない。エチエンヌが無事生還したのかどうか・・・。でも、そんな事はどうでもいいくらいにつまらない芝居であった。自分のことで頭が一杯で他人の事をあれこれ構っている余裕などまったくないのに、他人には自分の事をわかって欲しいと常に望んでいる、そんな人間の不条理性を持った主人公が、別居の危機に瀕している。大問題を抱えているのに、そんな事構わずに見ず知らずの他人がずけずけと生活空間に入り込んで来る・・・そんなアンラッキーな男を取り巻く、シチュエーション・コメディだと思うのだが、全然笑えなかった。作者の国フランスではこの物語で笑えるのだろうか?人間の愚かさを笑うのだろうか?私自信が翻訳劇が苦手と言うのも確かにある。日本人がカタカナの名前で呼ばれている事で一歩引いてしまうと言うのも避けられない事実だ。しかし、それを抜きにしても決して面白い物語ではなかったと思う。主人公に限らず、登場人物の誰一人として感情委移入出来る人物がいなかったのも物語に入り込めなかった原因でもある。かと言って傍観する面白さもない。翻訳劇の話に戻ってしまうが、今回特に原作をそのまま生かす事に疑問が残った。登場人物名を変えてはいけないとか制約があるのだろうか?シェイクスピアの『マクベス』が黒澤明監督の手によって『蜘蛛巣城』になったように、日本人に置き換えられていたら、もう少し面白いシチュエーション・コメディになっていたのではないだろうか。苦手意識からくる偏見かもしれないが・・・。
まぁ、ともかく、これだけいい役者を揃えたのに面白くなかったのは非常に残念であった。役者にあてがきした作品ではないので、役者のおもしろさが引き出されないのは仕方がない。でもそれを引き出すのも演出家の仕事ではないだろうか。もう少しどうにかして欲しかった。作のジャン=クロード・カリエールは、映画の『ブリキの太鼓』や『存在の耐えられない軽さ』の脚本も書いているらしい。この作品群を観て今回の芝居が笑えないのもなんとなく理解できるような気がする。
作・演出 政岡泰志ドラえもんの新作を考える前説的ショートコントに続き本編。日本海側の山中深くにある“あやにしき町”という名のとある田舎町。しかし、町というのは名ばかりで、過疎の村と言ってもいいくらいに老人ばっかの町。なので以下村と表記するが、その村での2001年のカウントダウンの風景から物語は始まる。そんな過疎化した村ではあるが、唯一出世した人物がいた。江戸川乱歩賞受賞者の「おおともかげたろう」こと、古川清太郎(辻脩人)であった。その古川が新作が書けないスランプを癒そうと村に戻ってきた。村では、あやにしき町となった10周年記念イベントの企画が進行していた。古川清太郎が帰郷している事を聞きつけ、その記念行事で行う芝居の台本を古川に書いてもらおうと案を練る村人達。これをきっかけに村おこしをしようと画策したわけである。そんな中、村に赤猪が出る。「赤猪が出た年は死人がでるんじゃ」と不吉な予言をする町長(政岡泰志)。で、言ったそばから町長急死。町長の遺言により新町長・剛田守(小林健一)が呼ばれる。新町長の元で記念イベントは成功するのだろうか・・・って感じの地方自治劇。
しっかり地方自治劇だったと思う。って言っても地方自治自体をよく理解しているわけではないので偉そうには言えない。ラストは町長が「自ら行う事が地方自治だ」みたいな事を言ってまとめていたので、きっといい具合に完結したのでしょう。すんません、未熟で・・・。ただ、今回は(いや今回も)脚本の面白さより個人技のオンパレード、役者の面白さが勝った芝居であったという印象が強い。って言うか途中までとても眠かった。困るくらいに。イベントに呼んだ松平健が途中の事故で来られないという事で、新町長の一人演劇フェスティバルが始まってやっと覚醒した次第。小林健一の暴走が目覚まし代わりとは・・・。でも、その小林健一の暴走がむちゃくちゃおかしかったので満足はしている。でも、それが芝居の中心になってしまうのはどうかと思う。脚本的にではなく印象的に。脚本自体も過疎化に関してもちょっと触れただけで、問題意識は皆無って感じがした。まぁそれでこそ動物電気的地方自治劇と言う気はするけど。
個人的に言うと、伊藤美穂が活躍した時の芝居がとても面白くて好きである。なので、今回は普通の先生役過ぎてつまらなかった。前作の時も物足りない様な事を書いたかもしれないが、そうなのである。もっと壊していじめられてこそ伊藤美穂の良さが引き出されると思うのだが、どうだろう。それって自分の好みだけだろうか?
“動物電気”自分が観た公演ベスト
1.NOは投げ飛ばす〜魂の鎖国よ開け〜 2.運べ 重い物を北へ 3.チョップが如く 4.キックで癒やす 5.人、人にパンチ
構成・作・演出 村上大樹男だけのチーム“拙者KINGS”(加藤啓+千代田信一+市川訓睦+村上大樹+小手伸也+小村裕次郎)と、女だけのチーム“ムニエルクィーンズ”(澤田育子+伊藤修子+成田さほ子+佐藤真弓+加藤直美)が、それぞれの笑いで激突するコント合戦。男女二本立て、日替わりゲスト付き(この日のゲストは、市川しんぺー+池田鉄洋from猫のホテル)って感じのお祭り的公演。
オープニングは、出演者全員で『天空の城ラピュタ』のパロディ。以下順を追って、書いていく。頭の【拙】は“拙者KINGS”【ム】は“ムニエルクィーンズ”の略。抜けているものもあるかも知れないが、その演目は忘れるくらい面白くなかったって事で忘れてください。
【拙】 警察学校の日常を描いたドキュメントというアナウンスで物語は始まる。警察学校に通う加藤(加藤啓)は、ダンスの道に進むか警察官の道に進むか迷っていた。で、教官が実は偽警官だったという事件をきっかけに、加藤は、体を使った交通整理の道に進み、自分の思いを叶えたって話。偽警察官の「警察官になりたかったんだよー」って熱い思いが加藤に伝わって“思いは必ず実るんだ”みたいな事を悟った話だったような、そうでなかったような・・・記憶曖昧。
【ム】 結婚式の当日、花婿が逃げてしまったという情況下での、女のどろどろとした感情がぶつかり合う物語。花婿の昔の女であり、花婿を奪った女役で加藤直美登場。嫌な女っぷり発揮である。女の怖さ、それも感情的ないやぁ〜な怖さを演じさせたら、加藤の右に出る者はいないと断言したい。個人的なつきあいは残念ながらないので(劇場で出会う率は一番高いのに・・・)、私生活を覗く事は出来ないが、私生活もこのままの性格だったら怖いだろうなぁ〜、って背筋が寒くなるくらいの迫真の演技。で、その加藤直美であるが、『急遽、出ることになりました。電撃です。電撃客演です。この波に乗って、電撃着床→電撃入籍→電撃出産となるか?!あ、順序はともかく』とベターポーヅのチラシの客演情報に書かれたコメントをそのまま載せてみたが、いやぁ〜ホント電撃でした。私も劇場でキャスティングを見るまでは加藤直美の出演を知らなかった。加藤直美好きな私としては、出演を知った途端顔がほころんだのは言うまでもありません。
【拙】 大学のテニスサークル「ラリーズ」の新入生に、頭の上に何かの神仏を乗せた人間国宝(小村裕次郎)が入部してきた。その人間国宝を取り巻き起こるゴタゴタを描いた作品。
【ム】 私の知らない世界・・・女優それぞれが考える「タモリ」「田中県知事」「麻雀」
【拙】 カニの海底警備隊の話。まぁお約束通りまっすぐ歩けなくて大混乱って感じ。無駄だらけの仰々しい舞台美術はGood。
【ム】 私の知らない世界PART2
【拙】 クイズ王選手権・・・そのままのクイズ王選手権。聞くところによると、クイズは全てアドリブだったとの事。アドリブが苦手な小村裕次郎、一歩出遅れ。
【ム】 澤田改め、われめちゃん脚本作品『女むし』・・・宮沢新部長昇格パーティーの余興の練習風景を描いた作品。ここでも、OL大河内役で性格の悪い女を絶妙な演技で見せる加藤直美が大爆発。
【拙】 演劇の限界への挑戦・・・床での演技を上空からのカメラで撮ることによってSFX的な演技に。『マトリックス』のパロディをやる劇団は多いが、これは目から鱗の大笑い。
【拙】 クイズ選手権で全員が優勝してしまい、全員でハワイへ。しかし予算がないので「ANAル」とか言う危ない航空会社を使う。案の定、墜落の危機。機長とスチュワーデス役で猫のホテルの二人登場。これが、むちゃくちゃおかしかった。
【拙】 部長の葬儀、未亡人の小手子さん(小手伸也)はちょっと淫乱。何故か馬のマスクを被った男達。ちょっと意味が掴めなかった・・・。
そして、全員でエンディングで公演終了。面白いところとつまらない所があるのはいつもの拙者ムニエルの公演だが、今回の公演は一体何をしたかったのか、イマイチ理解できなかった。面白い役者が集まり、芝居とコントの中間点みたいな感じで、わいわい楽しんでいるのはいいが、おもしろさがとてもヌルイ。完成度の高いコントを作れる拙者ムニエルだと思っていたが、今回は作り込み不足なのか、むちゃくちゃしょぼいし、方向性がまるで見えなかった。客席にもぽつぽつと空席。最近おもしろさのパワー不足なので今後が心配である、って余計なお世話だけど。料金が1,500円と安かったが、私としては三鷹までがむちゃくちゃ遠い(おまけに芸術文化センターは駅からも遠い・・・)のでプラマイゼロ。加藤直美の出演だけが、唯一の収穫。
“拙者ムニエル”自分が観た公演ベスト
1.DX寿姫 2.喰らわせたいの〜花椿花子Blowing UP〜 3.KING&QUEEN 4.ビバ!ヤング!(ヒップ) 5.新しきペンギンの世界
作・演出 故林広志親族代表(嶋村太一、竹井亮介、野間口徹)が、ゲスト(藤谷みき、高木珠里<ドーナツもぐもぐクラブ>、エディ・B・アッチャマン<ガバメント・オブ・ドッグス>)を迎えて贈るコント集。順に列挙するが、ネタバレがあるので内容を知りたくない人は飛ばしてください。注:オチまで書いてるところあり。
■喫茶店のワンシーン。客(竹井)が入って来るが誰もいない。呼べど叫べど誰も答えず。我慢しきれずに出て行ってしまう。入れ違いに店員(野間口)がトイレの故障を告げながら奥から出てくる。が、マスターを捜しに即座に外へ。又入れ違いに先程の客がやってくる。どうにもトイレが我慢できなかったらしくトイレに入ってしまう。入れ違いに店員がマスターを捜し当て店に戻ってくる。奥からは水浸しになった客が出てくる・・・が、二人はその姿を見て客のふりをする・・・って感じの不在者を巡るすれ違いが生んだ悲劇的笑い。
■当人以上に当人の気持ちになってしまう大学教授の家族(竹井、藤谷、高木、嶋村)に相談を持ち込んだヤマワキ(野間口)の戸惑いを描いた作品。
■不幸を背負い地道に生きる人間のドラマを見せるドキュメント番組。レポーターたじみきんじろう(野間口)が不幸な男・いしだかずよし(嶋村)の元を取材に訪れる。だが、その番組は人の不幸を賭けの対象にした番組であった。親身になって相談にのってくれていた叔父(竹井)までもが、熱心な番組の視聴者だったってオチ。
■原発警備隊。放射能漏れが発生し、出動命令が発動された。しかし、科学に基づいて行動する警備隊のはずなのに、風水やら暦の仏滅やら迷信に左右され縁起をかついで一向に行動しない。そんな3人の警備隊員(竹井、野間口、嶋村)を描いた作品。
■殺人事件の目撃者(嶋村)が警察署まで通報にやってくる。女性警察官(藤谷、高木)は、男の声がいいと事件そっちのけで聞き惚れる。しかし、だんだんと声の通りが悪くなってしまう。すると平行して、女性警察官は気乗りがしなくなっていき事件への関心も薄れていく。そんな折、絶世の美声でつまらない事件を通報しにやって来た声楽者フジサキ(エディ)がいた。その声を聞き、女子警察官は即座に行動に移す。“通報には美声が必須条件”って感じの不条理劇。登場は少ないが、エディ・B・アッチャマンが圧倒的な存在感を示す。
■とある会社のオフィス。なんでも屋のヤスダくん(嶋村)とノビザキ課長(竹井)の夕暮れ。ノビザキ課長の注文で、腰のポシェットからいろんな物を取り出すヤスダくん。この二人がドラえもんのモデルであったって設定。ラストシーンがもの悲しくて良い。
■クレバーマン。ちょっとしたアドバイスしかしないヒーロー、クレバーマン(嶋村)の活躍を描く。
■26号車。自動車教習所の26号車の後部座席にいる得体の知れぬ男(エディ)。エンジン音などの擬音を出すのが役目らしい。教官は見て見ぬフリをしているが、生徒は気になってしょうがない。
■1週間風邪で休んでいたアサノ(竹井)が久々に登校し、数学の授業に出てみると、訳のわからない“タンタン”とかいう単位(?)が平然と使われている。戸惑うアサノ。数学の教師からは放課後の居残りを命ぜられる。そこでアサノは衝撃の事実を告げられる。
■テレビ取材のお詫びに、いしだかずよしに会いにきた女性(藤谷)。しかし、何故かお詫びの品が商品のコマーシャルになっていく・・・。微妙なカメラ目線で商品を紹介する藤谷みきの悪意なき悪意が魅力的。
■喫茶店。噂に尾ヒレがついていく話。
■大型免許教習所。教習車の後部座席には4人が乗っている・・・って感じで26号を引きずったネタ。絶妙な暗転で全ての笑いは頭の中で。親族代表ライブは第一回目もおもしろかったが、今回もいい。作り込まれた良質で最高の笑いが、客席をしっかり包み込む。私は、数ある故林広志prd.の公演の中でも“親族代表ライブ”は好きである。“ガバメント・オブ・ドッグス”の公演は観た事がないのだが、一番近いのではないだろうか、と勝手に想像している。徐々にそのキャラクターが味わい深くなってきた親族代表の3人も魅力的であったが、今回はゲストもいい。中でも一番は、“ガバメント・オブ・ドッグス”のメンバー、エディ・B・アッチャマン。登場場面は少ないが、その存在感はピカイチ。最高のコメディアンである。一企業の社員にしておくのは勿体ない。藤谷みきに関しては個人的にファンなので言うことなし。出演してくれるだけで満足。って書くと、良くないようにも聞こえてしまうが、そんなこたぁない。あの持ち前の明るさはコントにはもってこいだと思う。本人と話してみて重ねてそう感じた。高木のうまさも目を見張るものがあった。隠れた逸材ではないだろうか。
良い役者、良い脚本(良いと言っても、文部省が認定するような良い本ではなく、狂気と悪意が渦巻く本ではあるが)で非の打ちどころがない公演だった、と言いたいところだが、旧作が何本かあり、それが前回見たときよりパワーダウンしていたのがマイナスポイント。まぁネタを知って見てるんだから、パワーダウンと感じてしまうインパクトの弱さは当たり前だと思う。初めて作品を観る人には新鮮な笑いがあるだろうが、故林作品が好きでリピートしている観客にとっては、物足りなさを感じてしまうのではないだろうか。でも、落語のネタを繰り返し聞いても面白い時がある。そんな域まで達せれば話しは別なのだろうが・・・まぁ、故林作品では一番笑える親族代表なので、満足度は高いんだけど。
“故林広志prd.”自分が観た公演ベスト
1.薄着知らずの女II 2.当時はポピュラー/奥本清美さん(23才、OL) 3.コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜 4.薄着知らずの女 5.親族代表ライブ『人間力学ショー#2〜荒野のまとめ役〜』 6.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Aプロ 7.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Bプロ 8.親族代表コントライブ『人間力学ショー』 9.漢字シティ『すりる』 10.コントサンプル/2-99,aG: 11.2(1),コントサンプル 12.真顔のわたしたち〜親族代表/漢字シティ・プレゼンライブ〜
作・演出 松尾スズキ舞台は2019年、近未来の東京。東京には原子力発電所が建設されている。1999年、ディスコのトイレで種づけされ、3人のイメクラ嬢に見守られながら、ローションプレイ用の浴槽に産み落された赤ん坊がいた。その子は20世紀の最後の年に生まれたので、サイゴ(阿部サダヲ)と名付けられた。出産後母親は行方不明となり、サイゴは3人のイメクラ嬢、峰子(伊勢志摩)、アズミ(猫背椿)、ハル(宍戸美和公)に育てられた。しかし、今から12年前、アズミとハルは、同時にAV監督の蝉丸(村杉蝉之介)に好意を抱き、譲り合う事ができないまま、三人で行方不明になってしまった。その後「愛の意味が知りたかったら私達を探して」という消印のない手紙がサイゴの元へ届く。大人に育ったサイゴは、友人の小山田(宮藤官九郎)、角川春樹(荒川良々)と共に就職の為の面接試験に行く事になった。
物語のもう一つの核となる角川春樹は、天才的な頭脳の持ち主である。しかし、頭の良さが災いしてか、変わった性格の人物でもあった。「イクことを忌み嫌う」と主張する角川は、サイゴと小山田にとってカリスマ的存在であった。角川の主張は極論に達し、「セックスは意味がない」と自分のチンポコを切り取ってしまう・・・。角川はその頭脳を生かし、新種の麻酔薬を開発していた。それは、痛みから出るアドレナリンをセロトニンに変えてしまう新薬であった。その薬は、痛みが増すほど麻酔の効果が上がり幸福感を得られるというものであったが、その薬がSMプレイに使われ死亡者約50人を出してしまう。角川は、その責任を取らされ逮捕、精神病院送りになる。そこで精神科医をしているナツコ(秋山菜津子)に出会う。ナツコは、サヤカ(池津祥子)とドーン・ダベンポート(ドロレス・ヘンダーソン)と共に優秀な精子を集める集団、スペルマドラゴンの一味でもあった。そして、彼女こそがサイゴの産みの親であった。天才だった角川は、精神鑑定のために派遣されたナツコを逆洗脳し、自分の虜にしてしまう。やがて釈放されたが、父親に無理心中を仕掛けられ、その最中に隕石が落ちてくるというアクシデントに見舞われ、知能に障害をきたしてしまう。
三つ目の核である小山田は、奴隷ゲームでサイゴの奴隷となっている。小山田は、どこかサイゴに対しコンプレックスを抱いていた。どうにかサイゴに勝ちたいと願っている小山田であったが、病院で、エイズよりも恐ろしい“プラダ”という病に感染してしまい、余命いくばくもない状態に陥ってしまう・・・。
そんな三人が向かった、とある印刷会社の面接会場。面接官の臼田(松尾スズキ)のもと、面接が開始された。しかし、サイゴは本気で面接を受けに来たわけではなかった。社長に会いたいが為の行為であった。意図的に騒ぎを起こした3人の前に現われた男は、行方不明の蝉丸であった。一緒に逃げたハルとアザミはというと一人の男を取り合う事が出来ずに合体し「ハザミ」と呼ばれる一人の化け物と化していた。その陰にはもぐりの人体改造医師臼田の姿があった・・・。
母と再会したサイゴは角川から受け取った2万円札に書かれたシナリオを読む。それは飛行機を爆破させて東京原発に突っ込ませるという計画であった。全ては角川が仕組んだ“世界の終り”のシナリオであった。小山田は、サイゴに角川の計画を遂行するように言う。ジュン(田村たがめ)は、そんな小山田に最高点つけた。最後の奴隷ゲームは小山田の勝ちで終わった。物語は、快楽絶頂の果て、この世のリセットへと集束していく・・・。そして、世界は滅亡した・・・。生き残ったのは、アズミとハルから生まれた男と女。その男女は、蝉丸により、一切の情報を遮断され育てられていた・・・。濃密な人間関係が、一つの結末に向かって突き進んで行き、その果てで起こる終焉と再生の物語。究極を言ってしまえば、エロスの果てにあったのは、本能的なSEXだったって話。そんな物語に、松尾スズキの母親に対するトラウマと言うかマザーコンプレックスがミックスされた作品だったように思う。でも、おもしろかった。いや、でもってのはおかしいか。しかし、受け手の感性が松尾スズキの毒気に慣れてしまったのか、衝撃が薄かったのは事実である。『母を逃がす』以来(昨年の『キレイ』は外部公演として除くとすると)約2年ぶりの公演なので期待も高かった。そんな所から“でも”なんて失言が出たのだろう。視覚的にはなかなかスケベであったが、精神的な卑猥さが伝わってこなかったのも失言の一因である。救いのない人々が、破滅に向けて暴走する感じは、昔からの大人計画を思い起こさせて素晴しかったが、人間の奥底にある本質的な人間臭さ(でもポップな感じ)が、今回はとても淡泊であったと思う。精神的などろどろとしたスケベさが大人計画の魅力の一つでもあるのに、その肝心なところがどうも心に迫ってこなかった。イクことを拒絶する角川の存在だって、もっと悪意たっぷりに表現できたと思うのだが、意外とさらっと描いていたように感じる。人間の本質を変な物で包まず、さらっと描くのが松尾スズキの魅力であるが、今回感じた“さらっと感”は、これとは違う。深く描けるのに描いていないさらっと感と言うか物足りなさを感じてしまった。初のハードSFエロス大作とのフレコミだったが、一番エロスを感じたのが、チラシの林葉直子だったのが悲しい。
オープニングで隕石が客席後方から飛んで来るのだが、この隕石が自分には精子が射精されたように写った。舞台美術の加藤ちかはどう考えてこの舞台美術を作ったのか、自分には知る由もないが、それはそれで(自分の解釈でも)面白いんじゃないかと思った。性の悪夢のオープニングにはピッタリではないかと。
“大人計画”自分が観た公演ベスト
1.Heaven's Sign 2.冬の皮 3.ファンキー 4.ふくすけ(日本総合悲劇協会) 5.愛の罰(初演) 6.カウントダウン 7.ちょん切りたい 8.エロスの果て 9.なついたるねん!(松尾スズキプレゼンツ) 10.母を逃がす 11.ドライブイン・カリフォルニア(日本総合悲劇協会) 12.生きてるし死んでるし 13.インスタントジャパニーズ 14.紅い給食(大人計画・俺隊) 15.イツワ夫人(部分公演) 16.猿ヲ放ツ 17.愛の罰(再演) 18.SEX KINGDOM 19.ゲームの達人 20.熊沢パンキース(部分公演)
作・演出 黒田圭地平線までただ砂ばかりが続く砂漠を、安部公房の小説をガイドに歩く男。男は、その砂漠でひとりの女と出会う。その女は、ヘビが人間となった女であった。男はそれを見破り女を捕まえる・・・。
砂漠は、下弦の月の晩になると逆巻きのたうつ「砂の海」に姿を変える。その「砂の海」の底に暮らす“砂の蛇”の世界では、禁を破って地上へ出て人間になりたがる蛇が後を絶えない。蛇の王(黒田圭)の娘オロ(高野梓)までも、地上に出ると言い出し実行に移してしまう。不滅の存在である蛇の姿を捨てて、人間になってしまったオロ(石井崇)。そんなオロを中心に展開される“異種交感劇(チラシの言葉を借用)”。劇団名から、もっとおバカな芝居って言うか、ナンセンスな笑いが味わえる芝居を勝手に想像してしまったのは、まったくもって自分のミスである。実際の芝居は、想像とは大違いの正統な芝居をかっちりとやる劇団であった。こういった裏切りと言うか予測はずれは、かえって刺激的で嫌いではない。しかし、この劇団に関しては、中身があまりにもお粗末過ぎて、刺激どころの話ではなかった。方向性、テーマなど全然見えて来ない。それどころか、つまらない言葉遊び、つまらない言葉の羅列、スローモーション、セリフまわし、音楽の使い方、それら全てが80年代全盛の芝居、名前を出して悪いが、まさに夢の遊眠社的芝居なのである。いや、夢の遊眠社みたいに面白ければいいが、演出方法を真似ているだけで中身に欠けている。小手先だけの演出なのである。野田秀樹の影響を受けるのはいいが、それをバネにし自分達の新しい何かを創造しなければ意味がないではないか。今のままの劇団のスタイルでは、今更って感じで斬新さもなければ、オリジナリティも感じない。きっぱり言って、21世紀の演劇シーンにはいらない劇団である。題名になっている“トロール”とは蛇の牙から抽出した麻薬との事だが、その題名だって、とって付けた感じで物語との関係性が読めない。
蛇のオロと人間になったオロを別の役者が演じるという演出にも疑問が残った。蛇のオロを演じた高野梓がマサゴという別の役を演じていて、ちんぷんかんぷんな物語が一層混乱し、全然意味のわからないものになっていた。物語を理解できなかったのは、自分の未熟さかもしれないが、自分ヨガリの物語を書いたって駄目じゃんとも言いたい。どんな方向性を持って劇団を維持していくのかわからないが、今のままでは、これ以上のものは生まれてこないと思う。時代に流されないスタイルを守る事も大切だと思うが、この劇団でしか味わえないものが見当たらないのだから問題外。観客が何を求めているのかを今一度考え、オリジナルな劇団のカラーを作って欲しいと願う。
作 中島かずき
演出 いのうえひでのりその昔、秘術を操り魔物達を闇の世界に閉じ込め、京の都を救った日本一の陰陽師がいた。名を安部晴明。その霊力を封じた五条河原の“晴明塚”は、彼が死して尚、もののけ達の魔力から京の都を護り続けていた・・・。
時は応仁の乱後、安部晴明の死後およそ250年。焼け野原となった京の都に突如魔物達が蘇った。戦乱に乗じて何者かが“晴明塚”を壊わしてしまったのだ。魔物の首領「道満王」も蘇り、京の都は、魑魅魍魎が闊歩する世界に変貌してしまった・・・。晴明の末裔であり陰陽頭として都の平安を司る安部家の総帥・西門(松井誠)は、「道満王」を倒したら金100枚という賞金を出した。その賞金を目当てに現われたのが、頭は単純、気性は短気、「男は切る女は犯す。金に汚く自分に甘く、傍若無人の」物怪(もののけ)野獣郎(堤真一)であった。一方、西門にも強力な部下がいた。言霊の術を操り、人と妖怪の共存を夢みる芥蛮獄(古田新太)と妻の美泥(高橋由美子)。美泥は過去に野獣郎と恋仲であったが、今は蛮獄の妻となっていた。西門の命を受け、野獣郎と蛮獄は道満王を倒しに羅生門へと向かう。二人の前に立ちふさがるのは、羅生門の妖怪・婆娑羅鬼(手塚とおる)と荊鬼(前田美波里)。暴れまくる野獣郎と蛮獄。そして、ついに鎧に身を包んだ道満王がその姿を現わす。果たしてその正体は・・・。って言うのが第1部。
安部晴明が遺した永遠の命を得る秘法“晴明蟲”。道満王が倒され、その体に宿っていた晴明蟲は、道満王の体を離れ、蛮獄の体に乗り移ってしまう。晴明蟲に体を奪われ、悪の化身となってしまった蛮獄。しかし、力を得たのは、晴明蟲ではなく、蛮獄本人であった。実は、蛮獄は、晴明蟲の力を得ればこの世を支配できると考え、西門に仕えていたのであった。晴明蟲の膨大な力を得た蛮獄。そんな蛮獄の前に立ち塞がったのは、両刃の剣を抜き放つ野獣郎であった。ついに二人は決戦の時を向かえた・・・ってのが第2部。1996年に初演した作品の再演。魔物が出て、傍若無人の主人公がいて、見るからに悪人がいてと単純明快で娯楽性がたっぷりで、面白くない訳がないって感じなのに、この作品は自分の肌には合わない。と、言うかおもしろくない。初演時の評価は、自分が観た新感線の公演中最低にランクしている。これはもしかしたら、観た時の自分の体調のせいで悪い評価なのだろうとか、自分を責めたりもした。しかし、再演を観てもやはりいつもの新感線の公演同様には楽しめない自分がいた。まぁ、言っちゃ悪いが、わーと出てきてチャンバラ、又、チャンバラって感じで、物語に重みがないのも加わり、終始チャンバラ、まったくもって唯のチャンバラ大会なのである。それじゃぁ面白くないのも納得が行くというものだ。
今回、主人公の野獣郎が、橋本さとしから堤真一に変わる事により、物語に深みが加わるかなぁと期待したが、それも叶わなかった。初演時は、橋本さとしの演技の下手さ加減も作品を駄目にしていたと思うのだが、その点に関しては今回は◎。しかし演技力不足は解消されたものの、キャラクターが違ってはないか?という不満がふつふつと沸いてしまった。堤真一が演じる事によって、野獣郎の印象は「言葉や身なりは汚いが、実は心が優しいんじゃん」みたいな感じになってしまった。「“男は切る女は犯す。金に汚く自分に甘く”は、口先だけなんじゃないかぁ〜」とか。もっと言えば「馬鹿にみえて本当は賢いじゃん」みたいな。それはそれで、もののけ野獣郎としての新しいキャラではあるが、ダークヒーローとしての野獣郎は影を潜めてしまった。これは非常に残念であった。なんて言うか、作品的には、頭が悪くてみんなの嫌われ者って感じをうまく出して欲しかったと思う。そんな嫌な奴が現世を救ってしまうんだけど、野獣郎にとってその行動は、全て自分の利益の為だけってのが、野獣郎のキャラではないだろうか。それとも自分の勝手な思い込みなのか。私は断然そう思うのだが・・・。再演を観て作者の意図するキャラが、ちょっとつかめなくなってしまった。
他の役者では、ミスター新感線・古田新太が光っていた。悪人を演じさせたら水を得た魚。さすが。善人ぶってても悪人って姿に惚れ惚れである。今回出番は少なかったが、前田美波里の存在感も素晴しかった。ただ、その一味みたいなサブキャラではなく、メインの悪人を演じて欲しかったと思う。悪対悪で古田新太との対決って絵になると思うのだが・・・。芝居の内容とは離れるが、劇団☆新感線の公演のチケット代が高いのには、正直不満たっぷりである。舞台装置とかに金がかかってチケット代が高くなっているのはわかる。客演を呼んでいるので出演料がかかるのもわかる。それなりの芝居を見せてくれているので、等価に値するかもしれないというのも理解しよう。でも、高い、高過ぎである。約3時間のチャンバラ大会に8,400円とは・・・。料金3千円くらいで、照明と音楽がド派手だけど、どこかチープ、サービス精神はどの劇団にも負けない、まるで漫画を見ているようなドタバタ活劇って感じの、そう、東京に出てきた頃の新感線に戻って、楽しませてくれないかなぁ〜。あっ前作の『踊れ!いんど屋敷』がおバカ系だったのでバランス的にはいいのかぁ〜。ふむふむ。
“劇団☆新感線”自分が観た公演ベスト
1.阿修羅城の瞳 2.花の紅天狗 3.直撃!ドラゴンロック2・轟天大逆転〜九龍城のマムシ 4.仮名絵本西遊記 2 5.ゴローにおまかせ 3 6.SUSANOH―魔性の剣 7.宇宙防衛軍ヒデマロ 5 8.古田新太之丞・東海道五十三次地獄旅〜踊れ!いんど屋敷 9.西遊記〜仮名絵本西遊記より〜 10.LOST SEVEN 11.スサノオ〜武流転生 12.星の忍者(再演) 13.髑髏城の七人(再演) 14.野獣郎見参〜Beast is Red 15.仮名絵本西遊記 1 16.宇宙防衛軍ヒデマロ 3 17.ゴローにおまかせ 2 18.ゴローにおまかせ 1 19.髑髏城の七人(初演) 20.アトミック番外地 21.野獣郎見参!
作・演出 小池竹見12月25日、1日遅れのクリスマス・イヴ。長野県のとあるマンションに住むマコト(日高ひとみ)の部屋。マコトの部屋には上杉(佐藤拓司)が来ていた。上杉とマコトは高校生の時つきあっていたが、その後別れ10年の歳月が流れていた。その間に上杉は結婚していたが、マコトと再会し不倫の関係にあった。年が開けマコトは行方不明になる。連絡が取れない事で心配になり部屋を訪ねた上杉。そこに偶然現われたのは、自分がマコトの恋人だと思い込んでいるストーカーの武田シン(小林至)とマコトの兄・・・そこで上杉はマコトの妊娠を知る。
場所は変わり東京のとある喫茶店。マスターの若宮(今林久弥)、店員のお貴さん(井上貴子)、警官の茂木(五味祐司)が話をしている。そこへ突然腹を膨らませたマコトが現われる。高校時代、茂木にとってマコトはあこがれのマドンナであった。10年ぶりの再会に有頂天の茂木。他人の意見など聞く耳持たず、マコトと一緒に暮らし始める。しかしマコトは上杉が迎えに来てくれると信じていた。・・・しかし、いくら待っても上杉は現われない。そんな苛立ちの中、マコトの前に現われたのは武田であった。マコトの態度に精神を乱す武田。その時茂木が帰宅。マコトの妊娠は嘘で、自分がいなくなった事で自分の存在を知りたかったというマコトの真実が明かされる。しかし、そんな真実は茂木の耳には入らない。茂木は武田に向かって発砲してしまう。そして、茂木に対し5年の実刑が言い渡された。
4年後。減刑で出所した茂木は、喫茶店で懐かしさを噛みしみていた。そこに現われたのは山田と名乗るまったく別人のマコト(伊藤由維子)であった。しかし、それをも受け入れる茂木であった。純粋ゆえに女に振り回されてしまう悲しい男の物語ではあるが、本筋は他人を巻添えにしてでも、自分の存在を男という媒体を通して確かめないと生きていけない悲しい女の物語であり、いつまでも過去が捨てられず過去に生きている女の悲劇である。ラストで身も心も別人になり茂木に残りの人生を委ねるが、そこには幸せはなかったように思う。あくまで隠れ蓑であり、どんなに容姿を変えても過去から逃れられない・・・結末は自分の想像に委ねられているので、作者の意図とは違うかもしれないが・・・。何もかも受け入れるつもりで茂木は、昔の事を聞かせてくれと明るくマコトに話す。一見ハッピーエンドっぽく終るが、ラストの回想シーンは、マコト、上杉、茂木の3人の高校時代。マコトと上杉がつきあい始めたばかりの薔薇色の日々。それを見つめる別人になってしまったマコト。あの時こうしていたらって誰もが思う事だが、現在の自分には何もできない。マコトも何も語れずに過去のシーンを見つめる事しかできない・・・このシーンが取り戻せない時間を一層痛く感じさせてしまった。別の解釈をするならば、冷静に過去を見つめる事が出来るようになったマコト・・・と言えなくはないが、自分が痛感したのは前述の通りである。彼等の悲しい結末が心に突き刺さる。
公演を見る数日前『ハクチカ'96』をテレビで久々に見て、オープニングの凄さに鳥肌が立ってしまった。私が今まで観劇した公演で、このオープニングに勝る芝居に今だに出会えていない。今回の『不在者』ではラストシーンに鳥肌が立った。双数姉妹の芝居で鳥肌が立った演出は久々である。過去のシーンに現在のマコトを配置する事によって“取り戻せない時間と現在”が同じ空間に同居する。このシーンで女の心情が凄く伝わってきてしまった。怖いくらいに。その人物配置も絶妙であった。このシーンに関しては久々に小池竹見の実力を感じ満足であった。途中までは普通の芝居になっていて、双数姉妹としての魅力は見えなかったが、ラストに向かっての空間の創り方はさすがにうまいと思った。私は物語より、人の配置や構図の素晴しさ(外面的なもとと内面的なもの全て)、又その空間や空気をつくれるところに双数姉妹の魅力を感じている。ぶっちゃけた話し、今回の物語は、不倫相手を妊娠を武器に昔の友人までをもダシに使って奪い取ろうとする自己中心的な嫌な女を描いているだけで、内容そのものはつまらない。でも、過去にしがみついている悲しい女を静かに描いたラストシーンがあったからこそ、心に引っかかる公演となった。これからも双数姉妹には、心の琴線に触れる素晴しい芝居を作りだして欲しい。最後にちょっと余計なお世話かもしれないが、喫茶店という設定からは、そろそろ卒業して欲しいと思った。
“双数姉妹”自分が観た公演ベスト
1.ハクチカ'96 2.不在者 3.オクタゴン 4.3 BALKAN BOYS 5.安天門 6.ニセオレ−偽俺− 7.双数姉妹〜神無きフタリの霊歌(ゴスペル)〜 8.オペレッタ―王女Pの結婚― 9.SHOCKER
構成 転球劇場大学生には到底見えない大学生の男女11人。リーダーの森(福田転球)、副リーダーの神崎(山内圭哉)を中心にGジャンを揃えた何かのサークル。舞台はそんな11人が集まっている学校の教室。マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」に合わせて踊る11人。彼等は学祭に参加する為の練習をしているらしい。しかし、「何故ビート・イットの練習をしているのか?いつこれで学祭に参加すると決めたのか?」という副リーダーが投げかけた一つの疑問が波紋を起こす。で、結局「ビート・イット」を白紙に戻し、学祭で何をやるかの話し合いが始まる・・・たったそれだけの内容。その様子だけを1時間半見せるだけ。しかし、これがおかしくておかしくて。ゲラゲラ笑って結局何の芝居だったか忘れてしまうような芝居。中身全然なしの青春群像劇。
出演した役者がとんでもない個性を持っている人々だったのが、おかしさの要因のほぼ全域を占めていると言っても過言ではない。ちょっと列挙してみるが、細川(森下じんせい)、土井(平田敦子)、小山(後藤仁)、亀井(荒谷清水)、金(腹筋善之介)、宮沢(鈴木田竜二)、加藤(橋田雄一郎)、小沢(後藤ひろひと)、武村(高木稟)と凄い面々。ちょっとした小技あり(後藤ひろひとが黒板に描いた「弟こらしめロボット」は絶妙。スコップとシャベル、大阪と東京では逆の物になるってのも勉強になった)、久々の腹筋善之介のパワーマイムあり、ずーと笑いっぱなしっで心は満腹。ただ、芝居の内容としてはどう評価していいかわからない、って言うか、深みがないぺらぺらなものだった。状況だけであとはエチュードで作ったってのが見え見え。でも、人を笑わすって事は一番大変な事であり、芝居の重要なポイントだと思っている自分にとっては、このおかしさは高評価。おかしけりゃぁいいじゃん。客入れや前説まで全てに於いておかしかったのも好印象。出演者の才気に任せた舞台はスリリングでもあり、その緊張感までがおかしい。何回か東京公演を行っているが(転球劇場は大阪出身の劇団)私は、今回初観劇である。そのおかしさの勢いに呑まれて、ついついTシャツまで買ってしまった。それも去年の公演で作ったやつ。「笑われたい人にはこれがお勧めっ」って言う福田転球の甘い言葉にくらくらっときてしまい、つい買ってしまったのだが、おかげで家族からは笑われ者である。