中野 ザ・ポケット 6/1〜6/4
6/1(木)観劇。座席 E-11
作・演出 土田英生架空の地方都市、日和山市。近くに港があるらしいそんな町。すっかり寂れたこの町に、「赤星会」という弱小のヤクザ組織があった。その赤星会の組長は死去する際、何故か自分の息子を跡目に指名せず、気の合ったサラリーマンの水野(奥村泰彦)を跡目に指名してしまう。現代に通用する新しいヤクザを模索する水野は、妻・裕子(増田記子)の協力を得て、自宅のマンションを組の事務所に改築し、ヤクザ稼業を開始した。フリーターをしていた幼なじみの吉田(水沼健)、先代の意志とはわかりつつも心穏やかでない組長の息子・赤星(尾方宣久)とその子分の坂口(金替康博)。彼等4人で第一歩を踏み出したのだが、坂口は不満一杯である。最近香港マフィアの圧力が強く、シノギが減っているという現状も加わり、しきたりを知らない新組長に対しての不満、従順な二代目に対しての不満が爆発寸前であった。しかし、仁義に背くわけにはいかず先代の意志に従っていた・・・。
そんなある日、地域の元締でもあるサヤマ組から小田島(土田英生)がやってくる。元々赤星会としっくり行っていないサヤマ組は、組長が代わって挨拶もない事をいいことに、脅しをかけてきたのである。香港マフィアを絞めないとサヤマ組は赤星会を絞めに来ると・・・。しかし、それは赤星会を潰すシナリオの一部であった。そんな事は知らない水野は、言葉を真に受け一人香港マフュアがいる場所に乗り込むのであった・・・。
それから1年。刑期を終えた水野の出所予定1日前。水野が刑務所にいる間に「赤星会」はドンパチのけじめをつけるためにカンバンを降ろし、堅気になっていた。それもこれもサヤマ組の思惑通り。しかし、彼らはバラバラにはならず、吉田と中国人の女・アンナ(西野千雅子)の発案により「一品香菜館」と言うファーストフード店をオープンし、大成功を収めていた。刑務所にいる間は一切面会を遮断していた水野には、そんな事知るよしもなかった。突然出所してきた水野はそんな情況に面食らう。ヤクザの親分としての自覚を持ち、がんばって刑期を務めたのはなんだったのかと・・・しかし、水野の出所を待ち構えたが如く、サヤマ組が「一品香菜館」の店にちょっかいを出してきた。事務所のあるマンションの近くにはサヤマ組の組員らしき姿が見える・・・話し合いで解決しようと元サヤマ組の小田島が出て行ったが、響き渡ったのは笑い声ではなく乾いた銃声だった・・・死を覚悟で次々と丸腰で出て行く男達・・・。そんなバカな男達の生きざま、と言うか見事に華散る死にざまを描いた作品。今回の物語は前作の『―初恋』 と比べると作品的には浅く感じると言うか、登場人物達が抱えている精神面での問題がどうも重く伝わってこなかった。新しい世界に踏み込んでしまった水野の苦悩。水野には負けたくないと思いずーと歩んできた吉田のライバル心。父親に認めてもらえなかった赤星。仁侠に生きるも自分の進む道に疑問を持つ武闘派の坂口など、それぞれが抱える問題は大きい。が、重くのしかかっては来ない。生死に関わる問題が勃発していても重い空気は流れない。しかし、それも狙いかなとも思う。張りつめている状況なのに、どこか穏やかな男達。ヤクザなのにどこか滑稽。重苦しく描かず、軽く描く事によって、より人間臭さが伝わり、現実感がにじみ出る。そして、状況の異常さが浮かびあがってくる。それだからこそ、ラストで裕子が誰に言うでもなく語る「この世の中はなんだ」と言うセリフがずんと心に響くのではないだろうか。まぁそんな狙いもあるとは思うが、自分の好みから言っても断然『錦鯉』が好きである。自分の中では泣かす事より笑わす事の方が作品評価の比重が重い。その点『錦鯉』は思いっきり笑わしといて、どこか悲しい後味を残す。最高である。脚本・演出・役者が三位一体となり見事に花開いた傑作と断言したい。
あざといくらいなキャラクターの作り方も嫌味にならずツボにはまった。その役者達の中で今回特に目を引いたのが、アンナを演じた西野千雅子。マジ中国人に見えた。セリフのうまさもピカイチ。金替康博もいい。青年団プロデュースの『月の岬』『夏の砂の上』では、苛立つ様なダメ男を演じていたが、今回は静かな恐怖を感じさせてくれた。マジ恐い。陰の恐怖と言いましょうか、そんな恐怖感を持った男をうまく演じていた。でも本当は滑稽な人物だったりする。その人物像をうまく表現していた。さすがだと思った。水沼健も好きだ。あの「ぱ〜んち」と言って繰り出すパンチの弱々しい事。言葉が変な小田島を演じた土田英生もいい。あげれば切りがない。まさにいい役者のオンパレードである。
今まで観た土田英生の作品を思い起こすとM.O.P.に書き下ろしたライバル同士の葬儀屋を描いた『遠州の葬儀屋』(脚本と実際に上演されたものはそうとう違うらしいが・・・)悲しいオカマ達をおかしく描いた『―初恋』と設定のうまさが作品を面白くしている。今回の『錦鯉』の設定も最高。その設定を考えるのも土田英生であろうから、その才能には一目も二目も置きたい。
余談ではあるが「〜でなぁ」とか「〜だで」って方言、これは一体何弁なんだろうか?架空の都市なので架空の方言なのだろうか?ちょっと気になった。
“MONO”自分が観た公演ベスト
1.錦鯉 2.―初恋
作・演出 ブルースカイ【1話】19世紀のヨーロッパ、死刑が廃止された国のギロチン老職人とその息子が主人公。新型ギロチンの試し切りに冤罪の母を殺された息子は、父を憎んでいた。しかし、父の死期が近いことを告知された息子は、「もう一度ギロチンで落とされる首が見たい」という父親の願いを叶えようとする。そんな息子の気持ちに感化された女王は、あろうことか、孤児達の首を提供すると言い出す。次々とギロチンで切り落とされる首・首・首。切られた首を自分で掲げる、胴体だけの孤児達。ギロチン職人はその光景をみながら、満足げに他界するのであった。・・・・・憎んでいた親子が和解するハートウォーミングっぽい、そうあくまで“ぽい”話。親子の和解話に感動してしまった女王が、死刑廃止の自論を一転し、孤児殺しに加担してしまうと言う、なんとも不条理と言うか理に適わないというかそんなんが味わえる作品。女王役の立本恭子の陰険さって言うか自己中心さがとても印象的。
【2話】感情が高ぶると、「鳥取県に震度3の地震」を引き起こす能力がある理子(乙井順)。地震が起こるたび、その姉・順子(池田エリコ)に電話連絡をする鳥取の女友達。災難続きの妹には、地震のネタは尽きない。父(小村裕次郎)も母(池谷のぶえ)もそんな姉妹を気遣うが、何もしてやれない。しかし、その能力は姉の妄想だと告げる謎の訪問販売員。その真実になぜか姉妹とも登校拒否を起こすのだが、姉妹の部屋にある穴がお互いの抜け穴と判明し、穴を通じて家族が交流、元どおりの仲の良い家庭が戻ったのだった。物語を破綻させてしまうダンスで締めて、めでたし、めでたしって話。・・・でも、なぜ姉は妹にウソをつかなければならなかったのだろうか?とかの肝心なところは闇の中。ちょっとディヴィッド・リンチ的な不条感を自分は感じ取ったのだが、それって褒め過ぎだろうか。
【3話】幼女誘拐の実行犯である、ブラック(小村裕次郎)とホワイト(大山鎬則)は、ボスの指示を待っていた。そんな場面に現われた死神(島田圭子)。死神の話しによると、娘(乙井順)の命は、残り3日しかないらしい。そりゃまずいと娘をつれて逃避行する二人。そのころ、娘の家ではやる気のない刑事達(沖本尚紀・崎野雅司)が捜査中。果たして結末は?・・・・・繰り返しの微妙なズレを感じているうち結局変なミュージカルものに変わって行く作品。“恐怖”がテーマの3話オムニバス。だが、怖くもなかったし、今までのような容赦しないナンセンス感も希薄で、笑いも少なかった。まさに、案内文通りの『「恐怖」とは無縁のくだらない芝居』であった。既存の演劇を平気な顔で破壊しまくる姿勢は健在だが、そこにいつものキレがなかった。なんか自然体じゃなく身構えてしまったって感じ。脈略なさもぎこちない。劇団として成長したのはいいが、一番初めに観た時に感じた“子供っぽいバカさ加減や発想”が薄れてしまったのは、残念でならない。話のつなぎで映像が流れるのだが、同じ映像を三回流すのは、“また同じかぁ”って気持ちでうんざり気分。トワイライトゾーンとかのアメリカの連続テレビドラマっぽさを醸し出すのが目的だと思うのだが、2度3度同じ映像が流れるのはダレる。その映像と映像の隙間に他劇団のコマーシャルが挟まれているとか、少しくらい馬鹿っぽい変化が欲しかった。
“猫ニャー”自分が観た公演ベスト
1.山脈(猫100℃ー) 2.鳥の大きさ 3.弁償するとき目が光る 4.長そでを着てはこぶ 5.MY LITTLE MOLERS〜もぐらたたきの大きさ 6.フォーエバービリーブ 7.パンダの致死量、6リットル 8.不可能美 9.ポセイドンのララバイ 10.夜の墓場で運動
作・演出 故林広志様々な「女性」の登場で始まる話。一変する話。迎え撃つ「男」を巻き込んで巻き込むあまりぐるぐるした感じの話になるのでした。いきおい、梅ヶ丘BOXを回り舞台に大改造か。と、チラシより引用してみました。まぁ、さすがに回り舞台にはなってなかったが(お詫びが公演パンフに書かれていたが、誰も期待してないって・・・と言うか、本気でお詫びしてると思う人もいないか・・・)そんな感じのショートスケッチを6本+α。村岡希美演じる様々な御婦人の周りで、徐々に不自由になって身動きがとれなくなって行く男性諸氏(廣川三憲、古澤龍児、三浦竜一、丸山和則)を描いたコントオムニバス。順を追って列挙。
1.仕事の女
街角にある小さな煙草屋の店先に佇むおばさん(村岡希美)。通勤の行き帰りに声をかけてくれるおばさんがいるその煙草屋も区画整理でなくなる事に。その煙草屋で一度も煙草を買った事がなかった男(丸山和則)は、最後だからと煙草を買おうとおばさんに声をかけたが・・・
2.ぼやかされた女
小児病棟に入院しているおやのちゃん(村岡希美)。そこに岐阜のおじちゃんと呼ばれる男(廣川三憲)が見舞いにやってくる。この男の不注意で少女は入院しているらしい。この病院では子供の患者を不安にさせないように、かわいい物に例えて会話をしている。しかし、それを聞いている男は余計に不安になっていく。そんな医師(古澤龍児)も大人にはストレート。そんな病室の様子を描く。小憎たらしいがかわいい少女を村岡希美が好演。
3.すごい女
三者懇談会にやってきたコジマくんのお母さん(村岡希美)。初めて受験生の子を持つコジマくんのお母さんは、タナベ先生(廣川三憲)を前にして緊張している。その緊張を抑える為に珍しい行動をとりだすのであった・・・
4.ショートコント「誘拐」
刑事(古澤龍児)と父親(三浦竜一)。犯人との電話での会話あれこれ。
5.後ろ姿の女
芝居の稽古場で稽古に励むミネギシ(村岡希美)。取材に来た男(三浦竜一)と芝居の原作者ヤギ(廣川三憲)。この芝居はヤギが脚本家にした話が元になっているらしい。しかし、ヤギは、稽古を見ていて自分がした話と芝居が大幅に違っている事に気が付く・・・
6.案ずる女
結婚相手(村岡希美)がカマキリに見える男(廣川三憲)の悲劇。でも本当に見えるだけか・・・不安たっぷりの芝居。カマキリ女の村岡希美は、それだけでおかしい。反則技。
7.ガイドの女
10年ぶりでバスで慰安旅行に出かけたとある中小企業。社長(廣川三憲)以上に堅く嫌〜な話をするバスガイド(村岡希美)。バスの中は異様に暗く・・・ナイロン100℃の村岡希美・廣川三憲を迎えて贈る『薄着知らずの女』の第二弾である。第一回目同様に、二人の持ち味を満喫できた公演であった。と言うか、二人の演技のうまさ・おかしさが、故林広志の脚本を数倍おもしろくしていた、と書いてしまうと語弊があるのだが、この二人だからこその笑いが充満していた事は否定できない。まぁ役者を生かすのも故林広志の脚本力であり、演出力ではあるのだから、故林広志の才能を絶賛すべきか。まぁともかくいい公演であった。
おばちゃんからかわいい子供へ、はたまた昆虫女へと変幻自在の七変化を見せる村岡希美は最高である。あの不思議な魅力を持った容姿と声。あー惚れ惚れ。そして、女性オムニバスをおっちゃんオムニバス(故林広志の言葉を拝借)に変えてしまう廣川三憲もさすが。この二人+故林広志の脚本は最高のタッグではないだろうか。『薄着知らずの女III』が待ち遠しい。
“故林プロデュース”自分が観た公演ベスト
作・演出 鈴木聡NHKの朝の連続ドラマ『あすか』の脚本活動後、1年半ぶりの休み明け公演である。作品のコンセプトはチラシの案内文が的を射ている(当り前だが)ので、全文引用させていただきます。
------------------(チラシより引用)
「キヤバレー」。「11PM」。「トリスバー」。昔の大人は楽しそうだった。「社長シリーズ」の森繁も浮気と宴会に明け暮れていた。「お色気いいねー、ウッシッシ」と勝ち誇ったように体を揺らす、大橋巨泉の笑顔の向こうに、いかがわしい、大人の世界があることを、子供心に嗅ぎとった。「ヒゲとボイン」というと、いまや多くの人は、ユニコーン時代の奥田民生の歌を思い出されるかもしれないが、元を辿れば小島功画伯の漫画なのである。ビッグコミックオリジナルに1974年以来連載されている。ページを開けば、他の漫画とは一線を画す、懐かしい大人のお色気がそこはかなく匂いたつ。子供達ばかりが楽しそうな時代の中で、大人だけの密かな愉しみを、いまだ、ほんわか放ち続けている。「そういう芝居をやりたいんですぅ。大人って、こんなに素敵で面白いんだって、ガツンと言ってやりたいんですぅ。タイトル借用させてくださいっ」。そういう主旨のラブレターを送ったら、小島画伯は快諾してくださった。いつかはやらねばと思っていた、笑いとお色気満載のスーダラ会社もの。めくるめく大人の喜劇をお目にかけましょう。
------------------(ここまで)
舞台は、海辺の旅館『海乃屋』。ここで山岡物産(トランブやらを扱っているらしい)の社長の米寿の祝いの宴会が催されていた。ウダツの上がらない総務課の係長・茂森卓造(おかやまはじめ)とその部下の綿引吾郎(桂憲一)は、この機会に株を上げようと必死の努力をするが全てにおいてピントはずれ。頼りのない三重役(俵木藤汰・熊川隆一・義若泰祐)は、女好きの社長が通い詰める銀座のクラブ銀馬車のホステス・川嶋瞳(岩橋道子)の訪問に右往左往。そんな中、放浪癖が過ぎアメリカに追い出されてた社長の息子・山岡洋輔(木村靖司)が突然の帰国。ライバル社の若き重役・燕晃(字納佑)とおばかな社員・万丈日優作(岩本淳)やら、山岡物産の美人秘書・三木麗子(三鴨絵里子)、旅館で保養中の朝倉拓也(福本伸一)などが入り乱れて、てんやわんやの大騒ぎ。海乃屋女将・前田君子(大草理乙子)は実は、山岡社長の愛人であり洋輔の母親であるという事実も発覚。大騒ぎに拍車がかかる。そんな人達のドタバタ喜劇。まず頭に浮かんだのが、植木等の♪サラリーマンはぁ〜、気楽な稼業ときたもんだ〜♪という歌。しかし、この歌が使われる植木等の『無責任男シリーズ』をちゃんと見た記憶がない。ご免なさい。だけど、植木等の笑顔と共にこのフレーズが思い出されたのである。そんな物語である。 鈴木聡はこの作品を書くにあたって、森繁久彌の『社長シリーズ』も意識したらしいが、それもちゃんと見た事がない。重ねてご免なさい。案内文に書かれてある『11PM』は、親に内緒でこっそり障子の隙間から覗いていた。そんな私であるが、この芝居を観てやはり感じたのは、“平成”ではなくて“昭和”の時代。私的には何故今“昭和”を描くのか?って感じがしてならない。高度成長期の活気に溢れる懐かしい匂いを舞台に上げたかったのだろうか。ならば、『社長シリーズ』ではなくて、『無責任男シリーズ』(あくまで、ちゃんとは見ていないので、うっすらとした記憶から判断してます・・・これこそ無責任!)をベースに、嫌な事は全て笑い飛ばしてしまうような、そんなパワフルで爽快な物語を作って欲しかったと思う。実際の芝居は、会社のルールが人生のルールになってしまっているような、年功序列型会社人間の物語であり、会社というちっぽけな社会で生きるちっぽけな男達の物語にしか見えなかった。なんかそのスケールの狭さに気持ち良い芝居には程遠く、逆に嫌な後味さえ残る。久しぶりのラッパ屋で期待したのだが、今回は期待はずれ。でも、それなりに愉しめたので平均点は確保していると思うけど。でも、サラリーマンを経験した鈴木聡ならもっと下の階層にいる人間の成り上がり的なものを書いて欲しかったと思うのが本心である。まぁ自分が下層階級の人間だらそう思うのかもね。
舞台美術で、トイレに「厠」と書かれており、手洗いは水道でなく、吊された陶製瓶から水を流すという感じにしてあったのだが、そんな時代を感じさせるこだわりは好きである。
“ラッパ屋”自分が観た公演ベスト
1.サクラパパオー 2.凄い金魚 3.マネー 4.中年ロミオ 5.ヒゲとボイン 6.エアポート'97 7.裸天国 8.鰻の出前 9.阿呆浪士
作・演出 平田オリザ1919年3月1日ソウル(当時の呼び名は京城)。在韓日本人の有力家である篠崎家。その平凡な朝のお茶の間。人々が思い思いに行き来している。大旦那が寝込んでいる以外は変わらない平和な日々。この日は、日本から公演の為に相撲取りがやってくる。そんな呑気な話題とは正反対になにやら外が騒がしい。韓国人達が通りに溢れているらしい。そんな噂が篠崎家のお茶の間にも聞こえてくる。韓国人の使用人達もいつのまにか、ポツリポツリといなくなる。しかし、篠崎家の時間は相変わらず静かに流れていく・・・。
朝鮮が日本の植民地となる「日韓併合」の前年の1909年、その中で暮らす日本人一家の日常を通して平凡な市民の悪意なき罪・差別意識を描いた『ソウル市民』の続編。タイトル通り、その10年後の1919年、大規模な反日闘争である、三・一独立運動が始まった当日の朝の様子の中で、植民地に生きる人々の“滑稽な孤独”が浮き彫りにされていく。自分の中で“静かな演劇”と呼ばれる「関係性の演劇」は、静的な日常描写に終始しがちと言うイメージが強い。そのイメージを崩してくれたのが平田オリザである。そもそも「関係性の演劇」を確立したのが平田オリザ本人であるから、私に悪いイメージを与えたのは平田オリザに追随しようとして失敗している他劇団の悪さなのかもしれない。それはさて置き、平田オリザが描く世界はその日常性になにか一つ毒気みたいなものが落されていると強く感じる。その毒が徐々に芝居全体に浸透し、独特の日常性を築き上げている。『ソウル市民』『ソウル市民1919』はその毒気が特に強力で、観ている側までもが気分を害す。そこに、ただ単に日常を切り取っただけではない何かが生まれている。突飛な非日常ではないが、どこか歪んだ日常。でもそれは当事者達には当り前の日常だったりする。そんな芝居が青年団の面白いところでもある。
前作では、差別意識の強さに嫌悪感以上の怒りを感じた。その不愉快な思いは10年たってどう変化したのだろうか、ちっぽけな日本という国の思い上がった植民地政策の真っただ中にいる篠崎家の人々の自覚は、どう変化したのだろうか、興味は尽きない。で、観劇後まず感じた事は、日本人の無自覚の不謹慎さが一層浮き彫りにされていた、という事だった。そして、前作同様に後味の悪さが残った。
今回、無自覚の差別意識を強く感じたのは、次女・幸子の言葉である。それは韓国人を直接差別するものではないが、その言葉から間接的に差別意識が顕著に現れる。幸子が離婚した顛末で発する“日本人なのに貧乏”という言葉である。何の意識もなしに発しただろう“なのに”という単語に、日本人上位の差別意識を痛いくらいに感じ取ってしまった。嫌になるくらい。平田オリザの脚本の絶妙さを感じた。そして、今回は、その差別意識が招いた“植民地に生きる人々の孤独感”もあぶり出される。これは、セリフでと言うよりは、演出のうまさで引き出されていたと思う。外の世界がどうなっているのか時間の経過とともに気になるところだが、その経過がなかなか伝わってこない。その伝わってこない篠崎家という空間が恐ろしく孤独感を醸し出している。篠崎家の茶の間には、歴史の転換期の緊張感すら伝わってこない。歴史の流れから無視されたような日本人・篠崎家の静けさが本当に怖いのである。この作品を好きかと聞かれたら絶対に嫌いだと答えると思う。しかしこの感覚もこの作品の素晴しさだと思うし、意図なのだろう。
“青年団”自分が観た公演ベスト
1.東京ノート 2.海よりも長い夜 3.ソウル市民 4.ソウル市民1919
作・演出 長谷基弘東京郊外の由緒ある精神病院「K病院」が、施設の老朽化により引っ越すことになった。移転先の工事はまもなく終了予定。引っ越しが1ヶ月後に控えている。機器・機具・書類の移動も着々と進んでいる。新施設への期待に浮かれる医師達。今は閉鎖病棟もなく、問題がなければ日々自由に交流できる患者達。そんな中、この機会に長期入院患者の追い出しにかかりたい病院側と、なんとしても居残ろうとする患者達との地味な攻防も激しさを増していた・・・。そんな状態下の病院の談話室「デイルーム」を舞台に、病院が引っ越すまでの約1ヵ月間を、穏やかに、そしてにぎやかに、悲喜こもごものハプニングを交えて描いた作品。
前作『よく言えば嘘ツキ』を観た時、場所と時間が自在に変化していく演出に面白さを感じたのだが、今回は、その期待に反し時間軸通りの進行であった。まぁだからと言ってつまらなかった訳ではないのでお間違いなきよう。その演出により、作品にあった落ち着きを醸し出しており、全体を通して考えさせられる重厚な作品になっていた。と、言っても小難しい作品ではない。観終わって一番感じたのは、長谷基弘のやさしさである。そんな観る人を穏やかな気分にさせる作品に仕上がっていた。取材を重ねた結果、長谷基弘は精神病なんてたいした病ではない、普通なんだという事を考え、やさしさで作品全体を包んでしまったのだと思う。まぁ本人に聞いたわけではないので勝手な想像だが、芝居から滲み出ているのは、そんな“やさしさ”なのである。ただ、芝居の娯楽性から言えば、ラストの引っ越し間際の展開以外は、少々物足りなさを感じてしまった。でも、まぁ、この空気がこの劇団のいいところなのかもしれない。
観劇後、精神病って何だろうって、まるっきり初歩の疑問にぶつかった。重度の精神病患者は別として、正常と異常の境界線って微妙なんじゃないだろうかと考えた。正常と思っている人だって、心の中では狂気が渦巻いているかもしれない。ただ、その感情を抑えられるかどうか、自分を保ってられるかどうかだけなんじゃないだろうかと。そう考えると精神病患者って自分に正直なのかもしれないとも思った。そんな正直者の患者達の喜怒哀楽渦巻く物語だったんだなぁと思い返しながら帰路に着いた。
“劇団桃唄309”自分が観た公演ベスト
1.よく言えば嘘ツキ 2.K病院の引っ越し
作・演出 政岡泰志とあるレストランで働く従業員達の寸劇から幕が上がる。(この前説的ショートコントがなかなか面白くて私は毎回楽しみにしていたりする・・・)物語は、岐阜県にある柳田家(母:政岡泰志、息子:姫野洋)にホームスティにやってきたジェット(小林健一)の話を中心に置き、自称青年実業家、岡部全三(辻脩人)の会社で働くロシア人労働者ダニエル(森戸宏明)とエバン(松下幸史)の話も交え、外国人と日本人との関係性の中で、国際問題、民族問題を見つめて行く社会派劇である。と言っても、そこは動物電気、一筋縄ではいかない、と言うかそんなオカタイ芝居にはならず、いつも通りの肉体を酷使した笑い満載の公演になっていた。ものすごく重いテーマなのに・・・。
内容的にも国際問題とか民族問題とか人種差別とかの深刻な問題は微塵も感じず、かと言って、日本という独自の文化に入り込んだ異文化の戸惑いみたいなものがあったかと言うと、それもなかったように感じる。単に外国人が巻き起こす珍騒動という感じ。・・・そこまで言っては身も蓋もないか。まぁそれがむちゃくちゃ面白かったので、大満足ではある。笑って笑って、結局笑った記憶しか残ってないほど笑った。今まで観た動物電気の公演ではベストワンの作品にあげたい。毎回書いているような気もするが、動物電気は観る度に自分の中の評価が上がっている劇団である。作・演出の政岡泰志もいいが、役者の力が相当の比重を占めているのも事実である。小林健一、辻脩人は欠く事の出来ない存在となっている。今回の小林健一の100コーナー(物語には全然関係ないが・・・)もばかばかしく最高におかしかった。
今回残念だったのが、牧師(?)オルガ役で出演した伊藤美穂の出番が少なかった事。あの、とぼけた顔してばばんばん的存在が大好きなのだが、あまり生かされてなかった。まぁゴムを口にくわえさせられ伸ばして放された時の、素とも思える痛そうな顔が良かったからいいけどさ。ってお前はサドかって。いや違いますけど。
“動物電気”自分が観た公演ベスト
1.NOは投げ飛ばす〜魂の鎖国よ開け〜 2.チョップが如く 3.キックで癒やす 4.人、人にパンチ
作・演出 松尾スズキ【1幕】
舞台は架空の日本。そこでは、キグリ、クマズ、サルタの民族紛争が百年に渡って続いていた。そんな時代の中、とある暗い地下室に誘拐され、監禁されている一人の少女(奥菜恵)がいた。その少女は、幽閉されてから10年の年月をその場所で過ごしていた。ある日、少女は、自分の過去を全て消して(実はキグリ国の高級官僚の娘である)、地上へと逃げ出した。記憶に残っているのはただ一つ、外界へ出る時にカミ(伊藤ヨタロウ)が呪いをかけるように言い放った「地下室を出ればお前はケガレる」という言葉であった。少女はその記憶を元に自分を「ケガレ」と名付けた。地上では、戦闘用に開発されたダイズ兵と人間の兵士とが入り乱れて激戦を繰り広げていた。ケガレは、戦争で死んだダイズ兵を食料としてリサイクルする為の回収業者、カネコ組のキネコ(片桐はいり)達と出会い、仲間に入る。カネコ組も又、同業者の月五郎(荒川良々)一家と縄張り争いを繰り広げていた。目を開けようとすると雨が降ってしまうジュッテン(宮藤官九郎)、事故で精神薄弱となったが、花を咲かす能力をもつハリコナ(阿部サダヲ)、大豆兵製造会社ダイダイ健康食品の社長令嬢カスミ(秋山菜津子)、繁殖能力を唯一持つダイズ兵のダイズ丸(古田新太)、愛人宅に入り浸たりでほとんど帰らないキネコの夫ジョージ(松尾スズキ)らが入り乱れて物語は進行していく。地上で「キレイ」なお金に魅せられたケガレは、無邪気に貪欲に生きて行く。・・・しかし、カスミが撃たれそうなところをかばったケガレは、負傷し昏睡の闇に入ってしまう・・・。
【2幕】
5年ぶりに昏睡状態から目覚めたケガレ。キネコは政治家に立候補し、ハリコナは戦争で頭を撃たれたショックで突然頭脳明晰になっていた。そして、大人になったハリコナ(篠井英介)は、ミサ(大人になったケガレ:南果歩)と結婚し、宇宙旅行会社設立にのめり込んでいた。一方、腐り始めたダイズ丸はミサに自分の子を産んで欲しいと頼む。承諾したミサは、アイダ(田村たがめ)を産む。地下室を出てから幾年もの月日が流れるが、ケガレ=ミサの夢と過去と現実の境界は曖昧になるばかり。混乱しながらも真実を探し求めるケガレ。全編を貫くマジシャン(山本密)とカミのまなざし。時空間が錯綜する中、ケガレとミサは葬り去っていた過去と真実に直面する為に幽閉されていた地下へと向かう・・・。舞台は2幕で構成されており、1幕でケガレの少女時代を描き、2幕で大人になったケガレを描いている。過去の封じられた記憶探しがキーワードとなったケガレの成長の物語である。しかし、それだけには終わらさず、ケガレを取り巻く人々を丁寧に描く事によって群像劇としても素晴しい作品に仕上がっていた。特に、ケガレと関係が深いハリコナとダイズ丸の生き様が素晴しく、物語に深みを与えていた。ミュージカルという事で大人計画の公演とは違った趣ではあるが(『ちょんぎりたい』でその片鱗は覗かせていたが)、大人計画的ミュージカル大河ドラマといった感じでとても素晴しい作品であった。まぁ、ちょっと毒気は弱かったが、松尾スズキの世界感は見事に構築されていた。周知の事ではあるが、今回の作品を観て「混沌とした世界を描かせたら松尾スズキの右に出る者はいない」と、改めて認識した次第である。まさにブラボーである。
1幕と2幕の間の休憩時間には、ロビーでみなとかおる(皆川猿時)ショーがあったり(別の場所で花井京之助歌謡ショーも開催されていたみたいだけど、それは観れなかった)とサービス精神も旺盛である。みなとかおるショーのゲストはオケピに出演中の真田広之(阿部サダヲ)。ムーディに歌ってました。この時、私は、キム・ヨンジャのアメ(何故キム・ヨンジャ?)をもらう。
個人的な事だが、奧菜恵と阿部サダヲが客席に降りて来た時(私はもちろん奧菜恵に見とれていた)、不覚にも阿部サダヲにキスをされてしまった。頬にだけど。実は、その衝撃が一番強い芝居になってしまったのは事実。休憩時間にアメを渡されたのはその前触れだったのか・・・。