99年11月はこの7公演

 


維新派
「ヂャンヂャン☆オペラ『水街』」

大阪・南港ふれあい港館広場・野外特設劇場 10/22〜11/8
11/6(土)観劇。座席 C-25

作・演出 松本雄吉

 「水街」の舞台設定など、チラシなどに書かれた案内文が一番わかりやすいので、そこから引用させて頂きます。
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◆水面に揺れる月、かつてそこにあったオオサカ。
 「ROMANCE」(96年)では蒸気と映画と戦争の街、「南風」(97年)では南紀熊野の山、 新宮の路地の風景など、常に架空の街を建ち上げてきた維新派。新作「水街」では明治・大正期の大阪を土台に、モノクロームの煙に包まれて水に漂う街、<水街>をつくりあげます。一日およそ30トン、延べ650トンの水を使用し、舞台に実際に巨大運河をつくりあげ、湿地帯の生活者の家々、建ち上がる工場群など、<水>を主役にあらゆる貌を見せる劇場です。水面に揺れるオオサカの街の鏡像も、もうひとつの舞台セットです。
◆日本髪と洋服の出会い。
 明治から大正にかけて、文明開化後の日本の変貌はめざましいものでした。モボ、モガに代表される新しいスタイルのファッションは、今の時代にも生きています。明治36年、大阪で開催された<第5回内国勧業博覧会>を舞台に、日本と西洋、近代と近世の出会いを見る華やかなシーンで<水街>は幕を開けます。
◆モノクロームの煙の都。
 東洋のマンチェスターと呼ばれた煙の王國・オオサカ。煙突の林立する煤煙の都、工業都市を維新派独自の眼で捉えます。運河を横行する帆前船や軍艦、はるか遠くに聳え立つ溶鉱炉や何万基もの紡錘を備えた紡績工場の鉄と煉瓦による風景は、迫りくるリアルと夢の映像のような抽象像を綯い交ぜにした空間で、過去の街を描きながら、まるで近未来SF映画をみるような趣です。
◆水際に住まう漂流者たちの王國。
 大正〜昭和初期、オオサカには地方からの移民が集まり、無国籍な街をつくりあげました。彼らはひとところにあつまり、水上の舟を住居に湿地帯スラムを形成します。水に浮かぶ街<水街>のもうひとつの貌は、巨大な工場群に寄り添ように存在する異界の日常です。
◆世紀を越えて漂いつづける「王國」三部作。
 「水街」は、昨年10月に大阪・南港で上演した「王國」に続く、都市の中の神を探す試み「王國」三部作の第二弾です。
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 いつもながら、開幕前は心が踊る。正直言ってこの時期の野外公演は予想以上に寒い。その寒さが気にならないほどワクワクするのである。まぁ水に漬かりながら演技をする役者、舞台を動かすスタッフからすれば、洋服を何枚も着込んでいるわけだから、寒いなんて甘ったれた事は言ってられないんだけど・・・。

 花火が打ち上がり、華やかなシーンから幕があがる。そこは第5回内国勧業博覧会の会場である。その華やかな会場が消え去り、運河が現われる。そして、その運河に<水街>が姿を現わすのであるが、この時のシーンの凄さは、言葉では伝わらない(私が未熟なのもあるが、言葉で表現するのは不可能だと思う)、観た者にしか味わえない素晴しさであった。劇団史上最大規模の装置らしいが、その甲斐あってか配置された人とオブジェがまるで絵画を観ているような、一つの美術品として完成されていた。感無量である。そして、目の前に家が建ち上がった時の舞台全景の遠近感の素晴しさには、一瞬頭の中が真っ白になり、凄い、凄い、凄いって言葉だけが頭の中をぐるぐると駆け回り、他の事は考えられほどの衝撃であった。前作『王國』でのオープニングの丸太のシーンに匹敵する素晴しさである。

 物語は、この<水街>で生活をするタケル(田中慎也)を中心に展開していく。都市の中の神を探す試み「王國」三部作の第二弾ではあるが、このタケルや少年達から神の姿を探すことはできなかった。ただ、この少年達を見つめている神の存在みたいなものは感じた。それはイメージ的なものでしかないが、オオサカという街自体にその神は宿っていたのではないかと・・・。巨大都市ができあがり、そして崩壊し、何もない世界に運河が流れる。その運河の中をタケルが走る。やがて、壊れた戦艦の模型が流れてくる。それを持ち上げるタケル。そんな中、走る少年達の姿が見えてくる。そして、モノクロの運河に赤い蓮の花が咲き乱れる。それは浄化された世界に、次の世界の光が差し込んだように写った。そしてその街=神は、海を渡りはるか南の大陸へと漂流していった。そのラストシーンが、前作で主人公が幻視する移動の民の王國と妙にシンクロする。

 パンフには、ラストシーンで曇り空が青空に変わると書いてあったが、舞台上ではその青空がうまく表現できていなかったと思う。舞台全体がまぶしいほどの青空に包まれてこそラストが映えたと思うのだが、どうも中途半端な青空だったのである。曇り空のまま主題歌「青空」が流れてきてしまい、見ている気分もぱーと晴れなかった、そんな感じだった。その中途半端さと言うか、あ〜もう一歩って感じが残念でならない。
 それと同じく博打に溺れる少年達やブラジルに移民したナオ(春口智美)のその後が描かれていなかったのも気分がもやもやした原因でもある。でも裏腹に、あまり詳しく追わないからいいのかもしれないと言う気持ちもあったりするのだが・・・

 この後、この芝居はオーストラリア・アデレードフェスティバル、そして東京での凱旋公演となる予定だったが、東京公演は幻となりそうである。非常に残念であるが、次回作をまた南港で観れるらしい。1年があっという間に過ぎそうだ。


“維新派”自分が観た公演ベスト
1.南風
2.王國
3.水街
4.青空

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クロムモリブデン
「カラビニラダ―雪22市街戦ナウ」

神楽坂die pratze 11/6〜11/7
10/7(日)観劇。座席 自由(3列目中央)

作・演出 青木秀樹

 舞台は近未来。極秘任務を受けて南の島に出向いた主人公・中村よしきが経験する、悪夢の様な出来事・・・みたいな内容だったと思うが自信なし。

 以前、大阪から流れて来た噂では、クロムモリブデンは、M.M.M.(飴屋法水が主宰したユニット。私が芝居好きになった原因はここにあったりもする。)ぽいサイバーパンクな芝居だと聞き、長い間観る事を渇望していた劇団である。で、その願いが叶った東京公演であった。
(※クロムモリブデンは、大阪の劇団である。)

 発ち込めるスモーク、無機質なオブジェ、客席が揺れるほどの低重音。開演直後は、売り文句の“心地よい不快感”が体感できてワクワクした。しかし、物語が進むにつれて眠気との格闘になってしまい、観劇している事が苦痛でしかなかった。早朝に夜行列車で大阪から帰ってきたという原因もあるが、つまらなすぎて意識がすっ飛ぶ事しきり・・・もっと脳内麻薬がスパークするものを期待していたが、視覚的にもイマイチ(とってもチープ)だし、物語も全然わからない。戦争ものだったみたいだけど、戦場療法とか言う精神治療だったような気もする。ヴァンパイアも出てきたような・・・とにかくわからない。観劇中に書いたメモも、眠気と理解できない内容の為、何を書いているのか、書いた本人にもチンプンカンプン。思い出してもよくわからない。結局、死に行く戦士の夢の話だったのか?と“?”付きでメモってある始末。最後まで理解出来なかった証拠である。でも、この結末だったら、映画『ジェイコブス・ラダー』と同じじゃん。加えて、戦争という狂気を描きたかったのかどうかも、解らずじまいであった。

 大阪で何度か観劇した人に「つまらなかった」と文句を言ったら、「いい時と駄目な時との差が激しいんだよ」と返答が来た。今回の芝居は観なかったらしいので感想は聞けなかったが、今回は駄目な方だったのかもしれない、と自分を慰めたりして・・・。ちょと悲しい。
 せっかくの日曜日、ゆっくり過ごせば良かったと後悔しきり。マジに時間の無駄だった・・・。

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桃唄309「よく言えば嘘ツキ」

中野ザ・ポケット 11/10〜11/16
11/10(水)観劇。座席 E-11

作・演出 長谷基弘

 台本の構想が固まらない劇作家・高坂(山本浩司)は、プロデューサーに約束した締切に追われながらも、毎日のように区民プールに通っていた。そこで知り合ったプール友達・戸村(嶋村太一)らと遊びながらも、締め切りにプレッシャーを感じ始めていた。ある晩、高坂はマンホールを取り囲む黒服の男達と出会う。しかし、異様な雰囲気に恐怖を感じ通り過ぎる。だが、その日から、彼の周辺に奇妙な出来事が起こり始めた。高坂の現実逃避の度合いが深まるにつれ、高坂が描く脚本の世界と現実との交錯が激しくなり、混乱を引き起こし、まわりの人間たちをじわじわと巻き込んでいく・・・。その世界は、作品が書けない作家の現実逃避の世界なのか、作家が書く物語の世界なのか、はた又現実なのかわからないまま、物語は新宿の地圧を変化させるという大規模な陰謀へと繋がっていく・・・のだが、それって「よく言えば嘘ツキ」ってこと?

 『先が見えない現代の、ぼんやりとした閉塞感。でも、気にしなければ気にならない。 水面に映る景色のように、ふわふわと不安定だったり、時には涼しげだったり。 そんな漠然とした現実の中を、平泳ぎ、または背泳ぎでスイスイ泳いでいってしまうような、のどかで肯定的な人たちが繰り広げる、 ほど良く力の抜けた約100分の生活密着型アドベンチャー。』と、長谷基弘の言葉がパンフにあった。まぁ、そんな感じがとてもよく出ている舞台であった。桃唄309を観るのは初めてだったが、聞くところによると、『場所と時間が自在に変化していく演出、登場人物のさりげない会話の積み重ねから、社会が抱える問題を描き出した作品を毎回上演している。』との事なので、今回の舞台ってのは劇団色そのものなのかもしれない。物語が交差し、ぐるぐる頭の中を駆け巡る感じが妙に心地よく 、複雑な構成も気にならない、と言うかその複雑さが逆におもしろくもあったので、自分のツボにはまった芝居であったと言える。社会が抱える問題ってのはあまり感じなかったが、現代社会が抱える迷路に迷い込んでしまったような不安感というか疑心暗鬼感みたいなものを感じ、非常におもしろかった。

 役者では、嶋村太一が良かったと思う。不信人物なのに好感が持てる不思議な人物像をトレードマークの(だと私は思っている)人のいい笑顔でみごとに演じていた。笑顔が武器ってのもいい個性だと思う。

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マシュマロ・ウェーブ「マシュマロ・ウェーブ2000」

ジァン・ジァン 11/16〜11/17
11/17(水)観劇。座席 自由(左側2列目)

  1. マシュマロ
  2. アクロバットN(第7話)
  3. ぎゅうぎゅうづめ
  4. じゃがいもくん物語
  5. 弟子入り
  6. 脳が降りてくる
  7. 熱湯をかけてでも起こせ!
  8. 奥さん! 便利屋です
  9. 殴っても殴っても踊るやつ
  10. うなぎでてこい(17日のみ)
  11. 友情のロングシュート
  12. スイマーズ
  13. 重役たちの午後
              ☆以上、上演順
 結成以来9回の公演をジァンジァンで行なった関係もあってか、ジァンジァンが閉館になる前に公演をやりたい、という願いで実現した公演(らしい)。そんな急遽思い立ったような公演なので(あくまで憶測)、平日2日間のみの公演であった。その2日目を観劇。

 ネタは中野ザ・ポケットで公演していた「アクロバットN」の第7話、特別編「アクロバットS」をベースに、木村健三、小橋豊、山下哲ら3人が探偵や刑事に扮し、ジァン・ジァンで古い台本を発見するという話から始まる。そして、昔のマシュマロメンバーが徐々に集まってきて、ダンボール箱から昔のネタを拾い上げ、それを演じるという形で展開する。演目は、劇団のホームページでリクエストを受けてチョイスしたらしい。私はマシュマロ・ウェーブの公演を過去2本しか観ていないので(今回が46回目の公演だと言うのに)、懐かしいとか、感傷に浸るとかはなく、第三者的立場と言うか単なる観客として観劇できた。で、そこそこには楽しめた。
 どこかの地下で何かをぎゅうぎゅう詰めにするバイトの話(『ぎゅうぎゅうづめ』)や、ある研究所を訪れた保険外交員が、精神安定剤と言われ危ない薬を飲まされる話(『脳が降りてくる』)など、ちょっとシュールな作品に心ときめく。しかし、出演者が楽しんでやっているのはいいのだが、なんかファンの集い的な空気が劇場に漂ってしまい、昔から観ているわけではない自分にとっては、場違い感が非常に強かった。スイマーズが登場しても感激どころか、スイマーズって誰?ってな感じ。しかし、昔から観ている人に言わせると「爆弾小僧がいたあたりのマシュマロを知っている人は、きっとつまらないと思うかもしれない。」との意見であった。まぁ、どっちにせよ中途半端なおかしさで終わってしまった感じだ。でも、まぁ、お祭り企画だからいいかぁ〜ってな気分だけど。
 あっ、そうそう余談になるが、むちゃくちゃ痩せてしまった小橋豊には驚いた。ぽっちゃりしてたほうが愛敬があってよかったのに・・・とは思うが、個人的な事なので、これ以上どーでもいいです。


“マシュマロウェーブ”自分が観た公演ベスト
1.グレープ
2.マシュマロ・ウェーブ2000
3.サマー★アンデルセン

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Piper
「ニコラス・マクファーソン〜奴らは彼を守れるか+奴らは彼を殺せるか〜」

青山円形劇場 11/20〜11/25
11/20(土)観劇。座席 G-15

作・演出 後藤ひろひと
ヴィジュアライザー G2

 ある新国家の外務大臣だったか首相だったか忘れたが、ニコラス・マクファーソン(ビル・ロビンソン)の来日前夜、迎賓館では刑事二人が泊まり込みで翌日へと備えていた。パートナーを組まされた刑事の東海林(しょうじ:石丸謙二郎)と邦久武雄(三上市朗)の任務は、迎賓館において交易を結ぶべく調印を行なうマクファーソンを暗殺者から守ることだった。気の合わない二人だったが任務を遂行する為に前夜から警護にあたっていた。場所は変わり(と言っても舞台はひとつ・・・ってところがこの芝居の見所のひとつ)近所の倉庫では殺し屋の東海林(とうかいりん:川下大洋)と竹尾邦久(板尾創路)の二人が迎賓館とまったく同じ部屋を作り、暗殺のシミュレーションを行なっていた。ただし、殺し屋の一人、竹尾邦久は刑事の囮捜査であった・・・。そんな夜更け、刑事の東海林と殺し屋の東海林が、腹ごしらえの為にピザを頼んだ。そのピザを頼むという偶然の行為が、さらなる偶然を呼び、同じ店に電話注文するという事態を招いてしまう。その結果、ちょっと頭の弱いデリバリー嬢(上野みさ)の誤配により、そっくり同じ部屋が2つある事を目撃されてしまう・・・。そんな状況下、果たして、刑事達は無事マクファーソンを守れるのか、暗殺者はマクファーソンを殺せるのか・・・。

 刑事と暗殺者の二つの世界が一つの舞台でシンクロし、同時進行していくと言うのは、なかなかおもしろい展開であった。ただ単に話しをクロスさせて同時進行するだけなら今まで何度となく観ているが、殺し屋達が迎賓館とまったく同じ部屋を倉庫に作ったという場面設定により、場面転換なく二つの世界を一つの舞台で自然に見せる。刑事二人がはけたその場で暗殺者二人が登場し、それが妙な具合に交錯しても、二つの別な空間が各々確立しているという摩訶不思議な感覚を味わう。視覚的にも刺激的であった。

 ただ、舞台設定の面白さ、役者の面白さ、展開の面白さはあるものの脚本はイマイチ。後藤ひろひとの個性である(と私は思っている)毒がすっかり消え失せているのである。確かに面白い芝居だったとは認める。しかし、小手先の器用さだけで、脚本の面白さは微塵も感じなかった。おもしろい芝居なら脚本を読んでもおもしろいと思うが、(現に後藤ひろひと作の「FOLKER」は脚本を読んでもおもしろかった)この作品はあまりにも薄っぺら過ぎて、読む気にもならない。って売ってもなかったけど。


“Piper”自分が観た公演ベスト
1.ニコラス・マクファーソン〜奴らは彼を守れるか+奴らは彼を殺せるか〜
2.Piper

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げんこつ団「ガスダム」

下北沢駅前劇場 11/20〜11/23
11/23(土)観劇。座席 自由(最前列下手/招待)

作・演出 吉田衣里
演出助手 植木早苗

 毎度の事ながら“素晴しい!”“研ぎ澄まされたげんこつワールドを堪能”“気持ちいいほどのブラックさが最高”と絶賛したい。げんこつ団の「笑い」を前作『ドミノバキューム』では「一度はまったら抜ける事のできない蟻地獄のような世界」と表現したので、今回は「一度打ってしまったら、その快楽性から打ち続けなくてはいられない、麻薬地獄のような世界」と表現してみたい。そうは言っても麻薬を打った事はないので、あくまでイメージなんだけど・・・。
それはさておき、まずは今回のパンフに書かれた吉田衣里の文章を勝手に拝借。

 『死ぬ気になったら死ねないね。
 何気なさすぎる自殺には気付かないね。
 お父さんとお母さんは学校へ登校しました。
 2番線には楽しい一時が参ります。
 診察室では死闘が繰り広げられ、
 空を横切る飛行機は、みんなのお陰で飛んでいます。
 風に飛ばされながら、
 夕食に携わったおじさんに挨拶してこうか。
 そうだ。きっと臭くてたまらない。普段は風に紛れるあれを、
 ここらでちょっと溜めに溜めて、
 さあ、臭がってみよう。』

 この文が今回の内容を語っていたりする。今回は、レンタル家族・レンタルばあさんの話から幕があく。つづく「電話に出ないと死にます」とか脅迫しまくる会社員達の話では、最後にみんな死んでしまう気持ち良さを味わう。そして、自分の自殺願望を研究している長谷川研究所(自殺パターンA)やら、心の声が具象化し、二重人格化している青年を二人で演じる、自殺パターンB など死にまつわるダークな笑いが繋がる。命の大切さを学ぶ為に病原菌を植え付ける小学生、中学生の代わりに登校する父母(しかし、生徒同様いじめられてたりする)、アイドルが電車ごっこでやってくるホームの風景、撃ち合って勝たなければ診察してくれない医者、念力であがる飛行機(乗客の一人が飛んでいる事を疑った途端、墜落の危機に陥る)、ランジェリー戦隊のブラジャーマンとパンティマン、女子高生の会話かと思っていたら、どこかの原始民族の言語だったりする話、などなど相変わらずの盛りだくさん。“レンタル自分”は、自分自身をレンタルして借りるという話。私も忙しくて時間がもっと欲しいと思う時など、もう一人の自分がいたらって願望を今でもよく抱く。手塚治虫の『鉄腕アトム』で妹のウランがもう一人の自分を作るって話があったけど、それを読んだ時羨ましく思ったもんである(結果はどうであれ)。誰にでもある願望なのかもしれないが、げんこつ団風味を加えると、主人公である田中みのるは、“レンタルされた自分”に、殺されてしまうって展開。偽の自分に本当の自分が殺される・・・いや、どっちも本当の自分か。う〜んいい。要所々々に挿入される映像の使い方も、だんだんおもしろくなってきているのが、とても印象深い。

 挨拶文に、
『今回は人がいっぱい死にます。でも大丈夫です。彼等は生きても死んでもどっちにしてものうのうと平和に時を過ごすのみだからです。(中略)本能のままに観念的自分を求め科学という方法さえもその道具とし、真実より観念を見つめる道具を身の回りに置き続け、やっとこ遠ざけた死はいつまでも遠ざかってくれるはずもなく、今、ご存じのように我々の生活にきちんと帰ってきてくれています。』と書かれてあるように、今回は死にまつわる話が多かったように感じる。でも、毎回か。でも、それを笑い飛ばしてしまうところにげんこつ団の良さがあったりする。死の話だから暗くなるのではなく、観終ってから妙に元気が沸き、活力になるという不思議な現象が起る。それって自分だけか。

 ガーディアンガーデンに出場した後、動員を伸ばしていく劇団がある中で、いつも場所がよく分からないような小さな劇場でこっそりやってきたげんこつ団であるが、今回やっとこ下北沢駅前劇場に進出である。毎回、客席の中に空席があるのがもったいないと感じていたが、これでやっとおもしろさと動員が結び付くやもしれん。いや、現に超満員だった。今後の反響が楽しみである。


“げんこつ団”自分が観た公演ベスト
1.げんこつ対げんこつ
2.ドミノバキューム
3.ガスダム
4.キリマンジャロタンゴ
5.トランポリン

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劇団☆新感線「LOST SEVEN」

アートスフィア 11/26〜12/8
11/27(水)観劇。座席 F-11

作 中島かずき
演出 いのうえひでのり

 永遠の美姫スノーホワイトを助け、ワルバラキス城の女帝クイーンロゼを倒した森の民の七人の勇者達。“ロストセブン”と呼ばれた彼らは、しかし、その勝利に報われることなく、傷つき、いつしか散り散りとなっていた。それから10年。魔法の鏡“セフィロト・グラス”を擁してこの世を支配せんと、再び、ワルバラキス城の魔族達が動き出した。戦乱の中、“ロストセブン”の残党タンロウ(京晋佑)とコモン(橋本じゅん)は、魔族に襲われる一人の女性を助ける。彼女の名はレッドローズ(羽野アキ)。クィーンロゼの一人娘であり、“ロストセブン”を仇と狙う、魔女の末裔だった。母を失い城を追われ悲惨な生活を送っていた彼女は、タンロウ達の素性を知ると今度は自分を守るように要求する。「全部あなた達“ロストセブン”のせいだよ。責任とってよ」性悪なレッドローズに振り回される彼らだが、タンロウは、もう一度七人の仲間を集めることを決意する。彼等を待ち受ける魔導士アラバック・テムラー(小須田康人)の罠。世界の全てを映し出す魔法の鏡が、レッドローズの、七人の勇者の、そして鏡の魔族達の運命を飲み込もうとしていた・・・。(公演チラシより引用)

 白雪姫と7人の小人たちの後日談を『7人の侍』でというコンセプトで生まれた芝居だと雑誌の記事で読んだ。その同じ題材で七人の小人を主人公にもってきたのが『リトルセブン』(残念ながら、私はこの芝居を観ていないので、聞いたままを書いてます。違ってたらごめんなさい)そして、白雪姫の継母の娘・レッドローズを主人公にしたダークファンタジーがこの『LOST SEVEN』となるらしい。2作品を観ていれば比較できるところなのだが、『リトルセブン』を観ていないので、どう違うのか比較ができない。でも、各々違う物語だと思うので比較する事自体に意味を持たないないかもしれない。

 で、今回の『LOST SEVEN』がどうだったかと言うと、正直言ってイマイチ感が強い。白雪姫と7人の小人の後日談という前提を持ってきておきながら、それ自体を壊したところとか(確か、白雪姫を助けたとされる闘いをスノーホワイトの乱と呼び、白雪姫自体も実は存在していなかったとか言っていたような・・・)、復活した女帝クィーンロゼが、ゴージャス(村木よし子)とデラックス(山本カナコ)に分離しているってところとか、新感線らしいオリジナルな物語性とアホアホ芝居の絶妙なブレンドは非常に楽しめた。しかし、今回体調が悪かったのもあるが、終始眠くてしょーがなかったのである。いや、終始というのは言葉のアヤで、オープニングは最高にかっこ良かった。ただ、その時を頂点にクライマックスになっても眠かったというのは本音である。初っ端から退屈してしまったのが、状況説明の長さである。物語を深く味わうには必要なのかもしれないが、説明的な物語を長々観せられるのは正直言ってカッタルイ。状況説明などしなくても物語に引き込む力が新感線にはあるのに、このダラダラとした説明は無駄であり、マイナスでもあった。この退屈さが最後まで尾を引いてしまったのかもしれない・・・。
 そして、一番のターニングポイントは、やはり古田新太がいない点ではないだろうか。個人的な嗜好の問題では、と言われてしまえば元も子もないのだが、古田新太が悪役として舞台に立っているだけで引き締まるのは事実である。今回、悪人・アラバック・テムラー公爵を演じた小須田康人の沈着冷静な演技は、さすがマシーンと呼ばれるだけあって独特の雰囲気を醸し出していたとは思う。が、華がないのである。ストレートな物語でも壊すのが新感線の持ち味であり、それが嫌味なくできるのが古田新太ではないだろうか。新感線の舞台の良さは善と悪がはっきりとわかる「良い奴がいて悪い奴がいて、どちらも基本的には頭が悪くて大活躍する。(これは中島かずきか、いのうえひでのりが雑誌で語っていた言葉)」という脳天気さだと私は思っているのだが、今回の舞台は暗さだけのイメージが残ってしまった。いくらダークファンタジーって言っても、ストレートに見せるだけでは新感線の良さが出ない。4年ぶりに新感線の舞台に立つ羽野アキを引き立たせるには、やはり古田新太の存在が必要であったと切に感じてしまった。

 と言う事で、私の率直な感想は「今回の芝居は新感線らしくない1本であった」であり、評価は低くなってしまった。これは新感線ならこうなるだろうという個人的なラインを勝手に引いてしまっている結果でもあるので、あしからず。


“劇団☆新感線”自分が観た公演ベスト
1.花の紅天狗
2.直撃!ドラゴンロック2・轟天大逆転〜九龍城のマムシ
3.仮名絵本西遊記 2
4.ゴローにおまかせ 3
5.SUSANOH―魔性の剣
6.宇宙防衛軍ヒデマロ 5
7.西遊記〜仮名絵本西遊記より〜
8.LOST SEVEN
9.スサノオ〜武流転生
10.星の忍者(再演)
11.髑髏城の七人(再演)
12.仮名絵本西遊記 1
13.宇宙防衛軍ヒデマロ 3
14.ゴローにおまかせ 2
15.ゴローにおまかせ 1
16.髑髏城の七人(初演)
17.アトミック番外地
18.野獣郎見参!
 

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