98年11月はこの8公演

 


ロリータ男爵番外企画
「三つ子の百まで〜その100分の1」

多摩美術大学特設シアター 11/1〜11/3
11/3(火)観劇。座席 自由(最後列)

作・構成・演出 三つ子(長女:斉藤マリ/長男:大佐藤崇/次男:田辺茂範)
 ロリータ男爵番外企画。100回限定ユニットということで作られた『三つ子』の第一回公演。ゲスト及び前説は一角二郎。
 ライブとショートコントのオープニング→パジャマでおじゃま→クイズdeシンデレラ→テレパス→フィナーレって感じ。もっとあったかもしれないけど、約30分の公演だったのでこんなもんだと思う。

 学祭での公演という事でお遊び色(多摩美ネタ)の強い公演だったが、いつもと違うロリータ男爵の作品を観れたという事では、満足できた。おまけに役者として舞台に立つ田辺茂範も見れたので、料金300円はむちゃくちゃお得だったと思う。でも、でも、多摩美は遠かった…。まぁ、それはさておき、おもしろかったのが、「パジャマでおじゃま」。NHK『おかあさんといっしょ』のパジャマでおじゃまと言うコーナーの音楽に合わせて、サラリーマンがパジャマに着替えるところから始まるのだが、そこまでは、いつものロリ男。しかし、そこで終わらず、音楽に乗せたまま惨劇が次々と起こる様は、惨劇なのに笑いがこみ上がってくるという傑作。これだけでも観に行った甲斐があったちゅーもんです。
 でも、芝居としてのランクを付けてしまうと、いくら気に入っても上位には入れられない。そこんところは、御了承願いたい。


“ロリータ男爵”自分が観た公演ベスト
1.恋は日直
2.地底人救済
3.三つ子の百まで〜その100分の1

演劇の部屋に戻る


劇団四季
「ジーザス・クライスト=スーパースター<ジャポネスクバージョン>」

四季劇場[秋] 10/24〜11/8
11/5(木)観劇。座席 12-25

台本・詞 ティム・ライス(訳詞 岩谷時子)
作曲 アンドリュー・ロイド=ウェバー(邦楽器編曲 西川啓光)
演出 浅利慶太
 キリストの最後の7日間を描いたA・ロイド=ウェバーのミュージカル。

 聞きなれた音楽の中に、邦楽器の音色が混ざるという違和感というか不思議な感覚が、妙に心を揺さぶった。気持ちいいと言うのではなく、かえって気持ち悪いと言った方が当たっているかもしれない。でも、その気持ち悪さを私は褒めたい。隈取りのメイク、大八車を使った舞台装置もいい。ただ、映画版の『ジーザス・クライスト=スーパースター』が好きで何度も見ている私には、物足りなくも感じた。この映画は、舞台の映画化だったと記憶するが、バスに乗って登場した人々がキリストの最後の7日間を演じるという形で始まる。そのオープニングの斬新さや、サイケデリックな衣装など、常識を破った演出に驚いた記憶がある。それに比べてしまうと、見劣りしてしまうのである。あえて<ジャポネスクバージョン>と銘打つのだから、もっと思いきった事をしてもらいたかったというのが、本音。でも、ある程度制約があるのだろうから(よくは知らないけど)仕方がない事か…。
 演じる役者にも不満が残る。歌や踊りは確かにうまい。しかし、生身の人間を観ているはずなのに、まるで感情のない人形が動いているみたいな感じを受けた。いつ、何処でも、誰が演じても“規格通りの高いレベルの芝居”が出来るのだろうが、私にはその歌声から感情が伝わってこなかった。うまさを追及したあまり、感情を伝えるという大切な事を忘れてしまったのではないか、と思える程に。…非常に残念だけど。
 しかし、この作品が持つ力は凄く、いろんな不満を払い去るほどにおもしろかった。あっ、そうそう、花魁を引き連れて登場するヘロデ王は最高。このくらいの斬新さが全編にあふれているともっと良かったと思うんだけど。


“劇団四季”自分が観た公演ベスト
●選ぼうと思ったんだけど、劇団四季としてベストを選ぶ事が無意味に感じたのでヤメました。

演劇の部屋に戻る


青年団プロデュース「夏の砂の上」

青山円形劇場 11/4〜11/8
11/7(土)観劇。座席 ア-31

作 松田正隆
演出 平田オリザ
 小浦治は、子供を水害で亡くし、失業し、妻とは離婚、力なく生きている。その男の元へ、別居していることを知らずに自己破産寸前の妹が自分の娘を預けにやってくる。そして、娘を残して福岡に行ってしまう。それから男と姪の奇妙な同居生活がはじまり、なにげない日々に波風が立ち始める。自分自身では悪意と感じていない“自覚なき悪意”が、小浦治の周囲で渦巻き、小浦の心を苦しめる…。

 息が詰まる程静かな会場。舞台は長崎の坂の上にある家。蝉の声が聞こえる。季節は夏。被爆都市“長崎”を表現したかの如く、灰色に彩られた廃虚の様なセット、白枯れた照明。このセットを見た時、この物語は幽霊譚かなっと思ったが、幕が開き目の前で綴られる物語は、幽霊より身の凍る現実の話であった。パンフの松田氏の言葉の中に【ここは、滅んだ場所ではないか。原爆で光とともに消失し、水害で流失し、廃虚になった場所ではないか…。】というのが載っていた。そんな場所で生活している男・小浦治(金替康博)を中心に物語が進む。そして、進むにつれ、この灰色に染まった景色は主人公の心の中の景色なのだと思いはじめる。
 主人公の悲惨さがあまりにも現実的過ぎたからか“主人公に感情移入いてはいけない”という危険回避意識が自分の中に起こり、私は完全に傍観者であった。それ由、松田/平田が組んだ前回の『月の岬』ほど、心をえぐられず冷静に観れた。もし、感情移入してしまったら、きっと壊れてしまっただろう。いや、自己崩壊を回避する為に、芝居を観た事すら記憶から排除するかもしれない。それほど、危険な作品ではあった。嫌なものを淡々と目の前に突きつけられる気分の悪さは、言葉ではうまく表現できないが、心をかき乱す。なかでも、心の片隅に親愛の情を残しつつも壊れていってしまう夫婦の会話に、“夫婦で観に来なくて良かった”と胸を撫で下ろす。ラストで男と旅立つ妻を目の前にして、子供がいた事すら記憶から抜け落ちてしまう主人公の心境は計り知れない。こんなギリギリの心境を淡々と見せてしまうのはさすがである。そして、少ない言葉からその背景が見えたのも驚きである。子供の事が記憶から欠落してしまったと主人公が言った、その瞬間の妻の悲壮な顔や態度から、苦しみではなく、楽しかった日々の笑顔が鮮明に脳裏に走る。それにより、救いのない苦しみが一層伝わってきてしまった。
 その妻・小浦恵子を演じた藤谷みきがいい。第三舞台ではたいした役はもらえず、その後もパッとしない印象が強かったが、今回はいい味を出していた。この妻って本当は悪い女だと思うのだが、それを嫌味なくさらりと演じている。その嫌味なき笑顔に、自覚なき悪意が満ちていた。
 そして、彗星の如く現われた(チャリカルキという名のユニットを組んでいるらしいが知らない)占部房子がすばらいい。占部房子が卓袱台に腰掛けて煙草を吸うシーンの色っぽさも然ることながら、つかみどころがない川上優子(治の妹の娘)という人物をうまく演じていた。これからが楽しみな役者である。


“青年団プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.月の岬
2.夏の砂の上

演劇の部屋に戻る


イデビアン・クルー「ウソツキ」

パークタワーホール 11/12〜11/15
11/14(土)マチネ観劇。座席 自由(3列目中央)

振付・演出 井手茂太
 「ウソツキ」にまつわる人と人との関係を独自の動きで見せる新作。

 レオタードの上に白のパンツを履いて、お尻に大きく名前を書いたスタイルは、いつも通り(って言っても私が観るのは2回目だけど)。そして、その自己主張する白いパンツが個性を醸し出す。笑いが込み上げてくるユーモラスな踊りも健在。それにしても、あの動きには心踊るものがある。でも、オープニングの悪夢的な音と踊りの展開には、ふっと気持ちが別世界に持っていかれそうだったけど…。ただ、“ウソツキ”という題名から自分が感じたとったイメージとは若干違っていた。まっ、自分のイメージと違うというのは、自分勝手な言い分ですけどね。人と人とのはかない関係や、親しくても覗けない心の中みたいなものは伝わってきたのだが、もっと、嘘をついた時の緊張感や罪悪感、バレなかった時の陶酔感なんかも表現して欲しかった。ラストの疎外感みたいなところは良かったけど。まぁ、そんな身勝手な意見は聞き流してもらって、特筆したいのは、人の配置や構図のすばらしさ。その流れを文章で表現できないのが残念でならない。是非、一度公演を観て欲しい。納得してもらえると思う。お節介言わせてもらえば、観る時はちょっと舞台から離れて全体が見渡せる位置がお勧め。


“イデビアン・クルー”自分が観た公演ベスト
1.包丁一本
2.ウソツキ

演劇の部屋に戻る


サモ・アリナンズプロデュース「ホームズ」

ザ・スズナリ 11/6〜11/15
11/14(土)ソワレ観劇。座席 D-4

作・演出 倉森勝利
 大金持ちのレビストーク伯爵の遺産をめぐる事件に挑むホームズ(小松和重)と相棒ワトソン(倉森勝利)。遺産の謎が隠されている“呪われたレコード”がかかり曲が流れると人が死んでいく。そんな事件の影には宿敵モリアーティ(久ヶ沢徹)が遺産を狙って潜んでいた。

 簡単に言っちゃうとシャーロック・ホームズのパロディ。そのホームズが全身バーバリーで決めちゃってて、馬鹿さ最高。英国っぽさを出すからって全身バーバリーはないでしょ。笑っちゃうけど。推理劇っぽく作ってはいるが、そこはサモ・アリの事、まったりというか、もったりというか、一筋縄ではいかないくだらなさが目いっぱい詰め込まれていた。善と悪の対決という単純明快な展開もいつもながら。でも、そのいつもながらのくだらなさにほっとする。毎回変わっているらしいハドソン婦人の顔のメイクなど、卑怯な小技と思いながらも笑い転げてしまう。あのユルユルな笑いや、演技を忘れた小松氏の笑い顔を観ていると心が和んでしまうのは不思議である。次回も必ず観に行こうと言う積極的な気持ちは起きないのに、公演が近ずくとついつい観たくなる、自分にとってはそんな魅力のある劇団である。


“サモ・アリナンズ”自分が観た公演ベスト
1.ロボイチ
2.ホームズ
3.蹂躙

演劇の部屋に戻る


げんこつ団「キリマンジャロタンゴ」

アート・スペース・サンライズホール 11/19〜11/22
11/19(木)観劇。座席 自由(椅子席最前列ほぼ中央/招待)

作・演出・音響・映像 吉田衣里
 未確認飛行人体の話や、こどもの資格を取った中年男の話、正義漢売り、二人以上の個人の承認など、ダークな笑いに包まれた話が微妙に絡み合い展開し、一つの話に収集していく。

 楽しくない喜劇、世界一の喜劇は今回も健在。しかし、その世界は、妙に愉快で大いに楽しめてしまう。一番初めに観た時の衝撃が強かった為か、勢いがなくなってしまったと感じてしまったが、それは自分がその世界に染まっただけだと思う。吉田衣里の鋭い切れ味は、ますます磨きをかけている。資格社会を鋭く突いたところなど、う〜んと唸ってしまう。しかし、鋭いだけではなく、キリマンジャロの映像を背景にタンゴを踊る無意味さも忘れていない。これがタイトルになっているんだけど、この無意味さが素晴しい。
 映像の使い方もいい。ダークな部分も含めて、モンティパイソンに酷似しているとも言えなくはないが、その世界を自分のものにしているのが、げんこつ団のいいところ。


“げんこつ団”自分が観た公演ベスト
1.げんこつ対げんこつ
2.キリマンジャロタンゴ
3.トランポリン

演劇の部屋に戻る


ルナパーク・ミラージュ「ロスト・サブウェイ」

南千住イベント広場 特設ジュラルミン劇場 11/19〜11/24
11/24(火)観劇。座席 自由(最前列中央)

作・演出 翠羅臼
 チケットを切符に見立て、車掌(林周一/風煉ダンス)に鋏入れをしてもらい、入口脇に作られた上野駅ホームに向かう。そこから、電車(と言ってもトロッコに板を乗せたみたいなもの)に乗せられてテント中の「動物園前」駅に入る。テント内ではジャズバンド『渋さ知らズ』の演奏が始まっている。
 その「動物園前」駅は、1945年、戦禍おびただしい情勢のさなか軍部に接収され廃止。戦後再開されたが、1996年再び閉鎖され廃駅となった。そんな二度葬られた廃駅が舞台。その駅に住み着いた元劇作家・柏木(飯田孝男)が描く物語を原作に、映画を撮ろうとする人々の話がメインのストーリー。

 物語の舞台となる「動物園前」の駅の光景が自分の記憶の中にかすかに残っていて、非常に不思議な空間を共有できた。まっ、舞台は自分の記憶以前の話ではあったんだけど。ラストのシーンの凄さに加えて、目の前(と言うか真下)で演奏される音楽の素晴らしさ、林周一のバカさなど、今まで経験した事のない舞台を体験できた。
 ネタバレになってしまうのだが、ラストの大スペクタクルはあきれるほどに凄い。それまでも、テント芝居なのに回り舞台を作っているのかぁと感心していたのだが、舞台上のセットが一気にはけるとともに、丸太で組まれた巨大な飛行塔が眼前に現れ、二機の飛行機が吊られながらグルグルと回転しているのを見た時には我が目を疑うほどに驚いた。その塔がテントの外へと遠ざかって行きエンディングになるのだが、爆破はあるはで、その規模の大きさ・野蛮さに拍手喝采である。飛行塔が遠ざかる道筋の炎はまるで、映画「バック・ツゥ・ザ・フューチャー」のようで、飛行塔の先に見える本物の日比谷線や常盤線との重ね合わせが、過去と現在の交差を思わせ、圧巻である。
 聞いたところによると、ルナパーク・ミラージュは、元・夢一族の翠羅臼の新しい劇団で、今回が第二回公演との事。役者ではゲスト出演の林周一(風煉ダンス)が最高。バカ過ぎるメイクに、くだらないにもほどがあるバカ演技。変な動きで笑いが止まらない思いをしたのは初めてだ。こんな役者がいたのかぁと、またまた自分の視野の狭さを痛感した。

演劇の部屋に戻る


青年団「ソウル市民」

シアタートラム 11/19〜11/29
11/28(土)観劇。座席 C-12

作・演出 平田オリザ
 1989年初演の代表作の再演。日本が朝鮮を完全に植民地化する「日韓併合」を翌年に控えた1909年の夏、ソウルで文具店を営む篠崎家の一日を淡々と描く事により、日本が朝鮮を植民地にしていた時代の無意識の悪、運命を甘受する「悪意なき市民たちの罪」を描く。

 すごく差別意識が強い芝居に、嫌悪感以上の怒りを感じた。うすら笑いを浮かべながら会話している日本人一家の、心の奥底にある差別意識の陰険さに息が詰まりそうだった。それらを言葉の端々で見せる平田オリザは素晴らしい。が、とても後味の悪い芝居であった。それが意図としても嫌な感じがまとわりつく。
 歴史が嫌いな自分には、時代背景が見えなかったのも残念だった。知ったとしても嫌悪感が増すだけだとは思うが・・・。あと、消えてしまった手品師と、なかなかやって来ない次女のペンフレンドは何か意味があったのだろうか?そんな疑問も後味の悪さを増幅させてしまった。


“青年団”自分が観た公演ベスト
1.東京ノート
2.ソウル市民

演劇の部屋に戻る



CONTENTSのページに戻る