99年7月はこの13公演

 


オッホ「恋する三大欲求」

下北沢・駅前劇場 7/1〜7/4
7/3(土)観劇。座席自由(8列目)

作・演出 黒川麻衣

 『`99オッホ愛の一年』と銘打って送る公演の第2弾。性欲、睡眠欲、食欲という人間の三大欲求と愛情との不思議な関係を描いたオムニバス3話。3話の繋がりは特になし。

 まず性欲。女性の性欲を獣人化して(と言っても尻尾が生えただけだけど)見せてはいるものの、目新しさはなく、性欲の深さも表現しきれていなかった。獣人化という格好ばかりで“性欲”を表現しようとしても限界っていうか、根っこの部分の“心の奥底から沸き出てくる性欲”が見えてこなかった。そんな感じなので、満たされる事なく欲求不満のまま終る。次に睡眠欲。今度は睡眠欲を擬人化し表現していた。具体的に言ってしまうと、睡眠欲と書かれたTシャツを着た人が登場するだけなんだけど、まぁこれはそこそこ面白かった。しかし、愛情との関係がわからなかったので、やはり欲求不満のまま終わる。観ながら熟睡すれば“睡眠欲”は解消したのかもしれないんだけど、って書くと嫌味すぎなので反省。最後が食欲と言う事で、過食症の話。ゲスト出演の今林久弥(双数姉妹)が面白かったので楽しめたが、物語としては弱い。最後に食パンをむしゃむしゃ食べる今林の満面の笑みだけが、やけに印象的。

 結果、オッホは初観劇だが、これと言って印象に残る劇団ではなかった。残念だけど。ぬるい芝居は好きなんだけど、オッホのぬるさは心地よくなかった。役者も客演した今林久弥が光っていただけで、印象に残る役者がいなかった。

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猫ニャー「弁償するとき目が光る」

東京芸術劇場小ホール2 7/9〜7/11
7/9(金)観劇。座席 B-7

作・演出 ブルースカイ

 舞台は、とある病院。何故かバスケットボールのゴールポスト(じゃサッカーか・・・シュートするところは、なんと呼んだらいいんだろう?・・・バスケットゴール??)があり、富ヶ谷高校バスケット部が練習している。そんな所から物語は始まるが、富ヶ谷高校バスケット部は物語の展開とはなんら関係がない。自殺未遂でこの病院に入院していた中間トモコ(池田エリコ)は、他人のものをよく壊してしまう事が精神に悪影響を及ぼし、弁償する時に目が光る「弁償性発光神経症」という特殊な病気にかかっていた。まもなく、23歳になる彼女だったが、病気が原因で友人もできずに、よくいじめられていた。そんな人生なら死んだほうがマシと、自殺願望を持ち始めた彼女の前に、かつて多重人格障害だったという精神科医、火柱泰三(小村裕次郎)が現われる。彼の出現によって、中間トモコの「弁償性発光神経症」は完治できるのか・・・。

 と、今回の舞台は「いじめ」や「精神的障害」を描き、最後まで物語はつながっている。しかし、その物語を演じるシュチュエーションが完璧にずれずれなのである。火柱泰三の登場シーンが銀行強盗が入った銀行であったかと思うと、いつの間にか話が交差し、場面は地球に向かう宇宙船の中であったり、ハワイの海岸であったり、さちこさんの口の中だったりする。物語から大きくかけ離れた意味のない場面設定が、とても不安な気持ちにさせると同時に、笑いのツボをくすぐるという奇妙な感覚を味わう。感動的なラストにおいては、自殺した恩師を救う為に「弁償性発光神経症」を再発させ海を照らすのだが、みんながいるのがどこかの屋根の上。何故屋根の上なのか、何故海の見える場所に山の手線(だったと思う)が通っているのか、疑問だらけであるが、この感覚が素晴しいのである。

 猫ニャーの二大傑作である(と自分は思っている)『山脈』と『鳥の大きさ』を越えることはできなかったが、匹敵する作品であった。私が観た日は、目が光る大事なシーンで目が光らず、6月のカレンダーモデルに目の光をあてるというシーンが不発に終わっていたが、光ったであろうそのシーンを想像するだけでも充分良かったのである。目が光るシーンを観た知人に「目が光ってこそ、あのやたら完成度の高い予告編も映えるというものです。」と言われてもビクともしない。と言いたいところだが、なんか重要な部分がポッカリ抜けてしまったみたいな気持ちになり、正直言って悔しい。光っていたら『山脈』を越えたかも、などと想像すると2回観なかった事に対し、非常に後悔が残る。
 ちょっと触れたが、今回の作品は、やたら完成度の高い予告編を挿入させている。この予告編の出来がまた素晴しい。今まで舞台で行なっていたストーリーを別角度の映像にして“予告編”として見せているのだが、その映像によりそれまでの舞台シーンが走馬灯の如く蘇り、一気に大団円まで流れ込むのである。舞台で映像を使用する劇団が多くなってきたが、こんな使い方もありかぁと感心してしまうと共に拍手喝采である。すごいぞブルースカイ。

 以前『じゃむち』に書いた事があるのだが、ブルースカイに感じる“子供の頭の中と同じ本能的な笑い”は今でも変わりがない。この計算された笑いのどこに?って突っ込みを入れられるかもしれない、そんな幼稚な笑いではないと本人の怒りを買うかもしれない、がそう感じて止まないのである。まぁ精神年齢鑑定で幼稚度は幼稚園児並と判断されてしまった私だからこその感覚かもしれないんだけど。まぁそれはともかく、ブルースカイは天才であるという確信は揺るぎがない。この『弁償するとき目が光る』の作品の出来きばえを聞いた時に「たぶん、次回作よりも面白い」と答えたらしいが、その感覚がとても好きだ。ブルースカイの“おもしろい事の探求”は果てしなく続くのであろう・・・。


“猫ニャー”自分が観た公演ベスト
1.山脈(猫100℃ー)
2.鳥の大きさ
3.弁償するとき目が光る
4.長そでを着てはこぶ
5.MY LITTLE MOLERS〜もぐらたたきの大きさ
6.フォーエバービリーブ
7.不可能美
8.ポセイドンのララバイ
 

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サモ・アリナンズプロデュース
「スネーク・ザ・バンデット」

本多劇場 7/7〜7/11
7/10(土)マチネ観劇。座席 I-1

作・演出 倉森勝利
構成 小松と倉森勝利ブラザーズ

 黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』がモチーフ。それに『スター・ウォーズ』的要素も加味させた娯楽作品。なのだが、ぬる過ぎる笑いとテンポの悪さに犯され、ストーリーをまったくと言っていいほど覚えていない。まぁ、ストーリーを重視する劇団じゃないのでいいかぁ。

 本多劇場とサモ・アリの組み合わせってのが自分には鬼門なのか、全然楽しめなかった。あいかわらずチープな笑い満載で好きなのだが、楽しめない。初めてサモ・アリを観たのも本多劇場で、この時も全然楽しめなかった覚えがある。ただ、その後に駅前劇場やスズナリで観た時は、非常に楽しめた。この差には、おもしろさと、おもしろさを引き出す空間の広さとの相互関係が大きく影響しているのではないだろうか、と考えずにはいられない。人それぞれ自分の距離感というか縄張りというか、人との関係においての距離は違うと思うが、自分にはくだらなさを楽しく感じる距離が、駅前劇場の距離であり、本多劇場の距離ではないのだろうと確信を持ってしまった。ただ、その感覚が作品の善し悪しに関係なく(多少はあるけど)影響してしまうのは、困ったもんである。しかし、空間を考えるってのも芝居の構成上必要な部分ではないだろうか・・・。ただ、今回の芝居に関しては、その考えは確信的なものではない。今回の芝居の評判を聞くと至って好評なので、こんな感覚を持ったのは自分一人だけであり、自分の感覚がズレているのではないか、と非常に暗い気持ちにもなってくる。しかし、自分としては、今回の作品を駅前劇場とかの小さなスペースで見たら、きっと楽しめただろうなぁ、と疑いなく思っているのは真実である。


“サモ・アリナンズ”自分が観た公演ベスト
1.ロボイチ
2.ホームズ
3.スネーク・ザ・バンデット
4.蹂躙

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鴻上ネットワーク「ものがたり降る夜」

俳優座劇場 6/10〜7/21
7/10(土)ソワレ観劇。座席 12-6

作・演出 鴻上尚史

 一年間のロンドン留学から帰国した鴻上尚史が立ち上げた個人ユニットの第1回公演。

 売春をする事で自分を変えてみたかったという水本(旗島伸子)と、長年浮気をしてきた夫への復讐として男を買おうとした林田(北村魚)は、“性行為”により精神的な逃避をしようとしていた。そんな悩みを持った二人が、カウンセラー恩田(鴻上尚史)の元を訪れる事から物語は始まる。そんな二人に恩田は、山奥で生活する恩師である花田(湯浅実)を紹介する。花田はおとぎばなしによるカウンセリングを行なっていた。時を同じくして花田の住む地を手に入れようと、宗教団体『光の教団』も、おとぎばなしのサークルだと偽って花田のもとを訪れていた。そんな状況下で繰り広げられる人間模様を描いた作品。

 期待していただけに本当に残念である。鴻上尚史は才能を枯らしてしまったのだろうか、と思うほどに良くない。役者としての鴻上はおもしろかったが、作品がこれではどうしようもない。性ネタをストレートに表現する事によって、第三舞台とは違う芝居を目指したのだろうが、見事なまでに失敗していた。以前の作品は時代を先取りするほどの感覚を持っていたのだが、どうしてしまったのだろう。それどころか、相変わらずつまらないギャグを入れ(以前はそれでも受けたからいいけど)進歩が見られない。物語の重要な部分を占めているわりには、つまらない存在の猿男達。オープニングで酔っ払いがネクタイをハチマキ状態にして頭に巻いているのを見た時には、心底ガッカリし、気分が悪くなった。チープな表現をあえて見せているとも思えなかったし・・・そんな時代遅れな表現でどーする。このまま鴻上はどこへ行こうとしているのだろうか、などといらぬ心配もしてしまう。純粋な新作は94年の『スナフキンの手紙』以来、5年ぶりとの事。そういえば、『スナフキンの手紙』の時だかに言っていた、次回作の構想“ファントムペイン”の話はどこへ行ってしまったのだろうか。事故などで切り取られてしまった手とかの痛みの感覚がいつまでも残っているのが“ファントムペイン”なのだが、その話は時代から切り離されてしまった鴻上が、いつまでも時代を走っていると勘違いしているのに似てやしないか。自分自信の物語が“ファントムペイン”だったのか・・・などと変に納得してしまう。いや、それとも『朝日のような夕日をつれて』のごとく、鴻上は何かを待っているのだろうか、来るはずのない何かを。

 根本的なところなのだが、性に関する話に宗教の話を介入させたのもわからない。鴻上の宗教に対する反骨精神はいいのだが、なんか噛み合っていない。それに、既存の宗教団体に対する攻撃が、おもしろさを半減していた。以前ならそんな宗教団体(って言うかオウム)の出現を予感したかの如く、影で行われていた部分を舞台上にあげて、宗教団体の危険さに警笛を鳴らしていた。『トランス』などはそのいい例ではないだろうか。それが、現実をなぞるが如く宗教団体の異常な世界観を描いたのでは鴻上らしくない。オウム事件以来、宗教団体に対する知識が上がったというか、マスコミが流す情報を見聞きする機会が多くなったのもそう感じる由縁かもしれないが、そんな時代だからこそ新しい何かを見せて欲しかった。

 おとぎばなしの主人公を演じる事によって自分を見つけるって方法も、他の公演で観たような気もする。錯覚だろうか・・・。説教的な台詞は鴻上らしくて嫌いじゃないが、芝居で癒しを語ってはいけないような気がする。癒し系の芝居ではないので、それでもいいのかもしれないが、語れば語るほど気持ちが芝居から逃げていく自分がいたのは事実である。

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アンド・エンドレス「DRESS〜新説・鬼娥島〜」

萬スタジオ 7/8〜7/13
7/11(日)観劇。座席 E-7(審査員)

作・演出 西田大輔

 桃太郎が鬼退治に向かう鬼ヶ島では、青龍(窪寺昭)、玄武(八巻正明)、朱雀(鈴木志穂)、白虎(牛若実)の鬼たちが熾烈な戦いを繰り広げていた。『桃太郎』の話をベースに置きつつも、一触即発の鬼達を描いた作品。

 桃太郎の話をベースに、違う話にもっていった発想はおもしろい。が、鬼の世界を支配している四天皇の背後に、支配されている鬼の姿が見えない。強さを誇る4人しか鬼っていないんじゃないか、と思えるくらいに薄っぺらな表現力なのである。それぞれの思想があって、それぞれを支える一般ピープルの鬼がいてこそ抗争に意味があるのに、この4人は自分の力を誇っているだけのガキの喧嘩である。それに加え、桃太郎とは名乗らないが桃太郎らしき人物、安倍晴明(西田大輔)の陰謀など、おもしろい伏線を張ってはいるものの、話の枝を張りすぎてしまった為にダラダラと締まりがない物語になっていたのにも、力量のなさを感じてしまう。正直言って、話の中心が見えないのである。ラストにおいては“ただ単にまとめてみました”という印象が強い。それまで要所々々で感動できる場面があっただけに、無駄な引っぱりが散漫感を強め、逆効果になっていたのは否めない。結局、そのダラダラとした結末に自分の記憶回路が辛抱できなかったのか、どんな結末だったのか記憶がない。もっと話を削って上演時間も短くすれば良くなったと思うのだが・・・。

 演出に関しては、第三舞台・野田秀樹・つかこうへいの芝居のいいとこどりのコピーでしかない。物語にオリジナリティがあるのだから演出自体も型やぶりなもの、新鮮なものを見せて欲しかったと思う。そりゃ、おもしろい劇団のいいとこどりをしているのだから、オリジナルを知らない人が観れば、きっと面白いと感じるに違いない。しかし、それは劇団本来の面白さではなく、単なる幻である。殺陣などはマジにカッコイイ。しかし、ロックが流れる中での殺陣ってのは新感線そのものでしかない。歌い踊る姿を見るに及んでは「何勘違いしてんだよー」と怒りさえ感じた。
 こんな辛口な評価をしているが、審査員の一人としてはこの劇団を推した。上演時間の長さが仇になったのか結果はダメだったみたいだが、化ける可能性を買いたい。バンドだってコピーから始まりオリジナルが生まれてくるのだから・・・。

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NON GATE THEATRE
「高山広のおキモチ大図鑑“じゃんわり”」

ジァン・ジァン 7/14
7/14(水)観劇。座席 自由(舞台向かって左側中央くらい)

作・演出・出演 高山広

 『シリーズおツカレの人々21』で幕が上がり、『エレベータ恐怖がいっぱい』『教育パパ』『それぞれの信仰 新手バカ一台』『最後の出前』『発音されないKとEの会話』『ころし酒』『投げない投手』『ゲームセンター20XX』と続く・・・(抜けているところがあるかもしれないが・・・)。

 全然期待していなかった、と言うと本人に悪いが、本音でもある。高山広を観たのは、故林プロデュースの『当時はポピュラー「奥本清美さん(23才、OL)」』が最初なのだが、その時は面白かったが引かれるほどの魅力はなかった。そんな感じだったので期待せずに足を運んだ。しかし、そんな私を打ちのめすが如く、舞台は素晴しいものだった。いや、すごいよマジで。一人芝居というと、どうしても「イッセー尾形が第一人者」という見方が自分の中には出来てしまっていて、後はダメという片寄った考えがあった。しかし、その考えを高山広はみごとに打ち破ってくれた。と言ってもイッセー尾形を抜いたとまでは言えないが・・・。高山広のおもしろさは、その柔軟な視野にあるのではないだろうか。人物を演じるイッセー尾形とは違った視点で物を擬人化して演じる。その視線から描く事に関しては、イッセー尾形を抜いたと言っても過言ではない。バッティングマシーンの会話を描いた人情話『投げない投手』や、闘魂無敵くんというゲームのキャラがゲーム機から出てくる恐怖を描いた『ゲームセンター20XX』はその部類である。かと言って人物を描いたものが良くないわけではない。仕事に出かける前のAV男優を描いた『教育パパ』や、タクシーに乗り布教活動する男の悲劇を描いた『それぞれの信仰 新手バカ一台』などは、可笑しさの中にも生きていく辛さがにじみでていておもしろい。出前のついでに、7年間の逃亡生活をやめ自首する男のシビアな話を描いた『最後の出前』などは涙ものである。そして極めつけがラストのプレイバック。今まで演じて来た人物や物をプレイバックし演じるのだが、まるで1本の映画のエンドロールを観ているような錯覚に陥った。いやー本当に素晴しかった。

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劇団☆新感線
「直撃!ドラゴンロック2・轟天大逆転〜九龍城のマムシ」

サンシャイン劇場 7/6〜7/20
7/16(金)観劇。座席 6-10

作・演出 いのうえひでのり

 『直撃!ドラゴンロック〜轟天』(97)に続く轟天シリーズの第2弾。舞台は20XX年のネオ香港にそびえたつ死亡の塔「ニュー九龍城」。格闘家である剣轟天(橋本じゅん)の前に、元どさ回り役者で今はロシア製サイボーグ戦士の熊田金太こと鉄腕イワン(三宅弘城)、鋼鉄のピンポン玉を打ち込む謎の女、梶目いっ子(高田聖子)、死を呼ぶトランペットを持つ殺し屋、St.死神(池田成志)たちが立ちはだかる。彼等は敵なのか味方なのか?そして、シリーズ最強の敵(って言ってもまだ2回目だけど)となる香港マフィアのボス、“九龍城のマムシ”ことジョニーレッド魔夢死郎(まむしろう)(古田新太)を迎え、轟天は再び暴れまくるのであった。

 新感線は中島かずき作の“いのうえ歌舞伎”といのうえひでのり作の“おぽんちシリーズ”の2本柱で作品を発表していくらしいが、今回はその“おぽんちシリーズ”からの一本。自分としてはこのおバカ丸出し、三歩歩いたらストーリーを忘れる“おぽんちシリーズ”こそが新感線だと思って止まないので、大いに楽しんだ。千葉真一を意識したメイクと胸毛の剣轟天は、どうでもいい事を深く考えて、逆に話をややこしくするタイプ。おまけに女性の下着が大好きというろくでなしである。ブルース・リーやジャキー・チェンのパロディではなく、千葉真一のパロディというのがいかにも新感線らしくて泣けてくる。憎めない名キャラである。前作を見逃してしまったのが、ちょっと悔やまれる。まぁ、今回ほど面白くなかったと思うので、ちょっとね。

 パロディが多いのも新感線ならでは。『ライオンキング』などは期待を裏切る事なく、おばかで最高であった。『ムトゥ・踊るマハラジャ』『リバーダンス』のパロディも入っているそうなのだが、私はパロディの元にあたるものを見ていなかったので、わからなかった・・・。こういう点がパロディの弱点でもある。・・・えっ、そんなこと痛感してないで知識を増やせって、ごもっともな意見です。

 出演者も最高。舞台での古田新太は今さら言うまでもないが艶っぽい。今回は役名を忘れてしまったが恐怖のキャラも登場させて楽しませてくれた。そんな古田新太も霞んで見えたのが、池田成志のうさん臭さ。以前、『熱海殺人事件』で見せたギトギトした面白さはなくなったものの、ヤラシさは2倍増。池田成志自身が元々うさん臭いのかは知らないが、はまり役であった。ただ、この“強い者の味方”的うさん臭さは何度も使われたキャラ(以前はよく逆木圭一郎が演じていた)なので、馴染の客にはマイナスだったのではないだろうか。まぁ、昔の作品を観ていなければ最高におかしいキャラではあったのだが・・・。
 何度も使われたキャラなのに好きなのが右近健一のフレディ。あのなんとも卑猥なキャラは自分の中では最高点である。なのに、ますます肉ぶとん状態の右近健一で減点50。むちっとした身体がよかったのに、今じゃ単なる肉塊。あー昔のフレディが見たい。


“劇団☆新感線”自分が観た公演ベスト
1.花の紅天狗
2.直撃!ドラゴンロック2・轟天大逆転〜九龍城のマムシ
3.仮名絵本西遊記 2
4.ゴローにおまかせ 3
5.SUSANOH―魔性の剣
6.宇宙防衛軍ヒデマロ 5
7.西遊記〜仮名絵本西遊記より〜
8.スサノオ〜武流転生
9.星の忍者(再演)
10.髑髏城の七人(再演)
11.仮名絵本西遊記 1
12.宇宙防衛軍ヒデマロ 3
13.ゴローにおまかせ 2
14.ゴローにおまかせ 1
15.髑髏城の七人(初演)
16.アトミック番外地
17.野獣郎見参!
 

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フールズキャップ「幸せの黄色い犬」

萬スタジオ 7/15〜7/18
7/17(土)観劇。座席 E-7(審査員)

作 櫻井信吾
演出 わたさこまさじ

 カメラの道をめざすマリコ(高橋えり)は、様々な人が住む東京郊外の古いアパート「タンポポ荘」で新しい生活をはじめる。そんなタンポポ荘の住人達の人間模様を描いた人情喜劇。

 苦しまぎれに“人情喜劇”なんて書いてみたが、そんなイイものじゃなかった。おもしろくないんだから“喜劇”ってのも的はずれである。この芝居は「誰一人として完全でありえない。」って事を言いたかったらしいのだが、そんなものは、全然伝わってこない。結局、何を表現したいのか、何が言いたいのかわからず終ってしまったという感じである。
 また、それぞれのキャラはいいのだが、そこから面白い物語が産まれてこないのも難点である。起承転結はしっかり踏んでいるとは思うのだが、脚本がおもしろくないのか笑えないし、感動なんてさらさらない。起爆剤になるであろう、言葉を話す犬ヨサク(三崎光大)は中盤になってやっと登場するが、大きな影響を及ぼすわけでもない。いや、犬の存在自体が必要なく、スパイスにもなっていない。題名には『幸せの黄色い犬』とあるが、幸せを運んでくるわけでもない。ようするに“役立たず”なのである。
 演出方法も、ラストの場面を切り抜き、オープニングで見せ、その場面に至るまでを描くというありきたりな方法で、新鮮味がない。そのラストにもう一工夫してこそだとは思うんだけど、工夫がなさ過ぎる。

 役者を見ると、高村を演じた須藤淳一は自然な感じでよかったが、おじさんを演じた櫻井信吾の芝居臭い演技は大嫌いである。で、パンフを見てみたら櫻井信吾は脚本家でもあった・・・。そして、さらに別名を使ってはいるが演出も本人だとか。芝居がつまらない理由はここにあったのか。

 終演後帰りそびれて、出演者が出てきて質問に答えるみたいな行事に参加してしまった。その質問コーナーで作者の意図と違う人物関係を質問用紙に書いた人がいたのだが、質問した人が帰ってしまった事をいいことに「こんな事もわからないのかバカ」と櫻井信吾は暴言をはいていた。自分の力量不足を反省せずにこれかぁと情けなくなった。この一言で二度とこの劇団を観る事はないだろうと確信を持ってしまった。

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故林プロデュース「薄着知らずの女」

梅ヶ丘BOX 7/16〜7/18
6/18(日)観劇。座席 9列目やや右(招待)

作・演出 故林広志

 NYLON100℃の村岡希美と廣川三憲を中心に、『コントサンプル』と『当時はポピュラー』の中間点くらいのやや長めのショートコント集。順を追って故林広志が付けた題名と共に列挙すると・・・

●第一話「パートだけ」
 ベースは“鶴の恩返し”。和風の女(村岡)を助けた芸術家(廣川)は、いつの日か“恩返し”があるだろうと期待に胸を膨らませ日々を過ごす。しかし、女は一向にそのそぶりを見せない。って言うか鶴でもなんでもないという話。
●第二話「木更津」
 住民の声を聞こうと市役所が考えた課の一室。立っている方の役人(廣川)と座っている方の役人(大石丈太郎)は、人情に厚くスジを通す元ヤンキーの稲葉(村岡)にいろいろな話を聞こうとするが、座っている方の役人は、住民の声を聞いているどころじゃないほど悲惨な状況だといういや〜な話。
●ショートコント「火災通報」
 119番の電話に出た消防署員(大石)は、通報者(竹井亮介)が動揺しない様にと友達のように話せと強要する。で、マジに友達の電話のごとく「キャッチが入った」と電話口で待たせてしまう消防署員。そのうち火の手は強くなってくる・・・。
●第三話「いいんだよ佐伯さん」
 TVの撮影現場。『宇宙警察ミゼット』は人気番組だが、ヒーロー(廣川)はとことん地味で出番も少ない。いつもピンチに陥るGIピンク(村岡)は、脇役なのにいつも目立っている。怪人役の男(竹井)はその状況が変だと思いながらも撮影に入るが・・・。
●第四話「駅長室」
 葬儀帰りの駅。忘れ物をした男(廣川)と妻(村岡)。男は、怒りっぽいが怒ると幼児退行を始めてしまうという奇行の持ち主であった・・・。

 思いつくままに書いたが、そんな感じの5つの話。

 さすが村岡・廣川ペアである。そんな感想をもらしてしまうほど、二人の持ち味を満喫できた公演であった。村岡はNYLON100℃の公演ではそのキャラが際立ち過ぎるのか、個性的なキャラ(『薔薇と大砲』での“ヒトマイマイ”は今だに記憶に新しい)が多いが、今回も魅力たっぷりな様々なキャラを演じ別けている。NYLON100℃では脇にまわってしまい、その素晴しさの片鱗を覗くだけだが、今回はメインとあって、村岡のミステリアスな雰囲気の大ファンである私にとっては狂気乱舞するほど嬉しい公演であった。まだまだ壊れたキャラは演じられるだろうが、ちょうどいい加減に壊れていたのがファン心をくすぐる。そして、その村岡のインパクトを中和する廣川も素晴しい。廣川と言えば、人の悪い役をやった時のあぶらぎった笑顔がすばらしいが、本人はいたってイイ人である。今回はあぶらぎった役がなく残念であったが、市役所の役人という見るからにはまった役に持ち味を発揮していた。あっ、前後してしまうが、村岡はキャラに似合わず上品な人である、と言うのが打ち上げに参加した時の印象。ますますファンになってしまった。

 レビューから離れてしまったので戻すが、この二人を充分に生かした台本が素晴しい。さすが故林。村岡・廣川が出演した『当時はポピュラー』が非常に面白かったので、今回も期待していたが、期待通りのおかしさであった。梅ヶ丘BOXという濃密なスペースは自分的には好きなのだが、「狭かったのがマイナスポイント」という話を小耳に挟んだ。故林プロデュースも劇場のキャパを考えねばならない状況になってきたのだなぁとは思うが、狭く濃密なスペースならではの面白みもあるのでその点も考慮して欲しい。今後、故林プロデュースがどんな形に変化していくのかわからないが、今後も村岡・廣川と組んだ企画を打ち出して欲しいと切に願う。


“故林プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.当時はポピュラー/奥本清美さん(23才、OL)
2.コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜
3.薄着知らずの女
4.コントサンプル/2-99,aG:
 

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自転車キンクリートSTORE
「蝿取り紙(山田家の5人兄妹)」

スペース・ゼロ 7/17〜7/25
7/22(木)観劇。座席 H-10

作・脚本 飯島早苗
作・演出 鈴木裕美

 ある夏の日、近頃ではあまり会うこともなくなっている兄妹たちが「ハワイ旅行に行くから見送りに来るように」と母親に集められる。母を見送った5人は、その日ばかりはと一緒に過ごす。だが、その晩、母が盲腸で緊急手術をするとハワイから電話が入る。そして手術後麻酔から覚めないとも・・・そして彼等は見るはずのない母の姿を家の中で見てしまう。そんな5人の兄妹達と母の生霊との物語。94年に初演、96年に再演された作品の3年ぶり3度目のリバイバル公演。

 物語は可もなく不可もなくという感じでまぁまぁの満足度。その“まぁまぁ”というのが自分的には不満だったりもするのだが・・・。今回感じてしまったのが、自転車キンクリートの作風が自分には向いていないのではないか、という事。無難に作品はできているのだが、刺激がない。つまらなくはないが、おもしろくはない。まぁ、気に入った役者が出演しないと自転車キンクリートの公演は観ないという行動もそんな気持ちの表われではないかと思う。で、今回は大倉孝二(NYLON100℃)の出演という事で観たわけだが、期待通りに大倉孝二はいい。あの独特な雰囲気が醸し出す可笑しさは最高であった。ただ、そんな大倉の好演を台なしにするかの如く、他の役者の演技がうざったい。特に自転車キンクリートの女優のうるさい演技には嫌気すら覚えた。うるさいって漢字で書くと“五月蝿い”とも書くが、この女優達こそ蝿取り紙でだまらせたい、などとマジで考えてしまった次第である。


“自転車キンクリートSTORE”自分が観た公演ベスト
1.蝿取り紙(山田家の5人兄妹)
2.絢爛とか爛漫とか(モボ版)
 

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少年社中「アトランティス」

大隈講堂裏劇研アトリエ 7/17〜7/26
7/24(土)観劇。座席 自由(3列目中央)

作・演出 毛利亘宏

 1999年、突如としてアトランティス大陸が浮上。その遺産を巡って第三次世界大戦が勃発した。そして、核戦争により終結・・・。その苦い経験により、国際連合は世界平和を担う若者の育成の為に、伝説の学園「アトランティス」を復活させた。そこでは優秀な遺伝子を持つ子供だけが集められ、地球の未来を背負うエリート達の育成が行われていた。その選ばれた子供達の中にランクE+の朝日静夢(佐藤春平)がいた。彼は死んでしまった双子の弟、朝日昇(ランクAA)の代わりに1年Z組に入学したのだが・・・。
 チラシによると、“この物語は、一人の落ちこぼれ生徒が愛と友情、自らの尊厳を賭けて戦う熱き青春のドラマである。”とのこと。まぁ、そんな感じ。そして、ラストにこの学園の秘密があばかれる。

 落ちこぼれでもかんばればできるんだよーってメッセージ色が強いところはイタダケナイが、今まで観た少年社中の公演では一番おもしろい作品だった。でも、まだまだ背伸びをして、新しい何かをつかみ取れる劇団だと思っている。そう思うのは買い被り過ぎだろうか・・・。確実に客足は伸びているみたいだが、何か物足りないとも感じる。脚本の良さに甘んじて冒険をしていない。若いんだから型にはまらずもっと突拍子もない演出とかを期待したい。普通じゃつまらんよ。

 今回特に目を引いたのが、大竹えり、加藤妙子の躍進。やっぱ女優が良くなると芝居がおもしろくなると痛感した。キッパリ言うが、私が女好きだからじゃないよ。本当に芝居にメリハリが出るんだから〜。

 最後に余談、いや、グチになるが、アトリエが暑いのは辛い〜


“少年社中”自分が観た公演ベスト
1.アトランティス
1.アルケミスト
2.ゴーストジャック
3.ライフ・イズ・ハード

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東京オールウエスト「10人の導火線」

萬スタジオ 7/23〜7/25
7/25(日)観劇。座席 E-8(審査員)

作 小川修平
演出 藤森俊介

 夏の夜、突然降り出した雨。その洗礼を受け、ここに集まった商店街の面々。明日がオープンという大型スーパーの進出により、抵抗の末崖っ淵に立たされた今、そこにいる誰もが“諦め”を認めるしかなかった。そんな状況下で開かれた寄り合いの席上、10人の追いつめられた一人一人の中に存在する導火線。そこを走る炎の先にあるものは、崩壊か、それとも再生か?というのがパンフの文面(完全流用ご容認ください)。
 この寄り合いの席に、「スーパーを出したら爆破する」という脅迫文と送られてきた爆弾を持ってスーパーの開発部長が呼びもしないのに参加する。この投げられた一石によって元々まとまりがなかった反対運動が更にバラバラになっていく・・・。

 しっかり芝居を作っているとは思うのだが、おもしろみに欠けるというのが率直な感想。商店街の店主の集まりという特殊な状況を作って、登場人物それぞれに個性を持たせているのはいいのだが、その個性が中途半端と言うかおもしろくない。何かガシャガシャうるさいだけなのである。他劇団を引き合いに出して申し訳ないが、青年団的な一般市民と言うか普通の人ではないけど、三谷幸喜が描くような突拍子もなくおかしなキャラクターがいる訳でもない。その中途半端さどうもしっくりこない。そして、どこかで見たようなキャラというもの感心しない。登場人物に現実感・生活感が感じられないのも致命傷である。人間観察が足りないのではないだろうか。

 今回の「萬スタジオBACK UPシリーズ 99選抜大会」では審査員賞を獲得したが、“安心して見られるレベルは持っていても、それ自体はお客に足を運ばせる力にはならない”という事で優勝には該当しなかった。萬スタジオの判断は懸命であったと思う。

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ピンズクラブ「八月に降る雪」

萬スタジオ 7/28〜8/1
7/25(日)観劇。座席 E-10(審査員)

作・演出 小川輝晃

 “他人に干渉されず、風景や絵画を鑑賞しながら、感傷に浸る旅”という一人旅のツアー「三冠賞ツアー」に参加した人々が、ひょんな事から洞窟に閉じ込められる。そこで繰り広げられる人間模様。

 待ち時間を利用した前座が面白かったので、ちょっと期待してしまった。しかし、熱狂的なファンが最前列に陣取り、面白くも無い所で大笑いしているのを見て一抹の不安を覚えた。で、結果はどうかと言うと・・・当たって欲しくない予想がみごとに的中。最低の脚本、最低の役者・・・観るに堪えない。極限における人間模様を描いていれば、まだ救いもあっただろうが、そこに、創造主が登場したり、人間の間違った道を良い方向に導くための使者なんかも登場して、もー何がなんだかわからない状態。最後には「自分の道は自分で見つける」とか当り前の事をカッコつけて言う始末。寒ざめしました。審査員を引き受けていなかったら、途中退場していたのは必至。何故こんな素人同然の劇団を審査の対象にしたのか?非常に疑問を持ってしまった。

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