ザ・スズナリ 3/29〜4/2
4/1(土)マチネ観劇。座席 自由(5列目中央)
作・演出 西島明舞台は、とある街のコーヒー農園のお屋敷。そこの令嬢キッコ(渡辺道子)の元へ、いとこのお嬢さん達がやって来て、3人で写真を撮ろうとしている。その屋敷で働いている変てこな召し使いの花井(西島明) など、ちょっと変わった…否、たいそう変わった人々が織り成すヘンテコリンな世界。1995年6月に東京のこまばアゴラ劇場で「和紙と裸足」というサブタイトルをもって上演された作品の大幅な改訂版。話の骨格は残されているものの大幅に改訂され、ダンス的要素も加えられているらしい。初演を観ていないのでらしいとしか書けないんだけど・・・。
西島明の信条は「ストーリーをたたみかけていって起承転結で終わるようなものじゃない芝居を作りたい」という事らしいが、今回の作品もまさにって感じでストーリーを説明する事ができない摩訶不思議な世界を醸し出していた。まさにベタポワールドなのである。と、“ベタポワールド”という言葉で濁らせてしまったが、その世界を具体的な言語を持って表現しなければ、人には伝わらないと従順承知はしている。しかし、表現するのが非常に困難なのである。具体的ではないが、自分の感じる“ベタポワールド”とは、なんとも言えない可笑しさに身を任せて浮遊しているみたいな特別な空間なのである。心の中でクスクス、ニヤニヤ、声としての“笑い”ではない“笑い”が、みんなの心の中で充満して、とても気持ちのいい雰囲気と言うか空気を構築する。そんな不思議な感覚を味わえるのが“ベタポワールド”なのである。本当に具体的でなくて申し訳ない・・・。
物語に登場する一つ一つのものが何かを暗示しているわけではなく、意味付けする必要もない。そんな世界が展開されていく。市川菜穂演じる恒子と西島明演じる恒夫の「マッシュルーム兄妹」が何故マッシュールームカットかってことも物語には影響を及ぼさない。本物の肉を板に貼り付け、焼き篭手で所有者を明記していくところとか、何か意味がありそうで、何もない。そこから物語は発展しないのである。ベターポーヅの舞台にはよく食べ物が登場するが、毎回無意味と言うか意味付けのない使い方をするのが印象的である。バナナの皮で滑ってみたり、林檎ジュースを作って配ってみたり・・・。ただし、無意味というのは無駄という事ではないので理解のほどを。この行為が日常的と思える空間に、ちょっとした歪みを与えている。日常的な肉を焼くという行為に、焼き篭手を使うという行為が加わる事により非日常的な空間が忍びよる。実際に焼ける匂いで、視覚だけでなく嗅覚にも訴える。しかしその行為は観ている者のお腹を鳴らすだけであり、特に意味付けは伝わってこない。まぁ敢えて意味付けをするなら、無駄と思える行為が上流階級を表現していると言うことでしょうか・・・。まぁそれでも肉を焼く意味付けにはならないか。
ベターポーヅの女優陣は奇麗なのにヘンテコである。それもまた魅力のうちなのだが、長沼を演じた加藤直美は特に色っぽくて好きである。でも今回は、小笠原を演じた松浦和香子が目を引いた。かわいらしさに磨きがかかってきたって感じで、好感度アップである。
“ベターポーヅ”自分が観た公演ベスト
1.オトメチック ルネッサンス 2.別冊オトメチック ルネッサンス 接吻は愛の速記術 3.カエルとムームー 4.特性のない男の編物 5.おやつの季節 6.GREAT ZEBRA IN THE DARK'98 7.ボインについて、私が知っている二、三の事柄
作 いとうせいこう(「幻覚カプセル])、ブルースカイ(猫ニャー)、別役実、ケラリーノ・サンドロヴィッチ
構成・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチチラシのキャッチコピーをそのまま流用すると、『未だかつて本格的な上演が成されなかった、20世紀に発表されたコント集の最高峰、いとうせいこう著「幻覚カプセル」(92年/スイッチ・コーポレーション刊)からの珠玉の7本に、ケラリーノ・サンドロヴィッチはもちろん、今最も先鋭的な笑いを作る若き革命家ブルースカイ、そしてなんとあの別役実が書き下ろす新作のコントをプラス。言いたかないけど、夢の競演があっさり実現。“ある種の笑い”にとりつかれた方々にはたまらない、ナイロン6年振りのコント・オムニバス。静かな爆笑。』となる。噛み砕くと、8年前に発表した、いとうせいこう著のコント集「幻覚カプセル」から7本。別役実の書き下ろしで1本。ブルースカイの新作が2本。ケラリーノ・サンドロヴィッチの新作が2本(まぁ1本は反則技だと思うけど)。計12本のコントオムニバス。純然たるコント集は6年ぶりらしい。「自殺する直前の人に見せて、笑ってもらうことを想定して書いたコント集。絶望という状況でも、人は笑い、その笑いに希望を見いだす。客席がそろって笑うのではなく、さざ波のように笑いがざわめけばしめたもの」(いとうせいこうの談話を読売新聞より抜粋)と言うように、そんな笑いが満載のコント・オムニバス。
上演順に列挙すると、
1.「幻覚カプセル」(作:いとうせいこう)
幻覚が見える新薬を飲んでしまった研究者の話。
2.「告知」(作:いとうせいこう)
ガン告知をしない医師の話。
3.「死体がひとつ」(作:別役実)
死体を拾った女と死体処理係の女。死体の所有権を巡って繰り広げられる不条理な世界。
4.「トランプ」(作:いとうせいこう)
女の部屋。その部屋にあるものでトランプをしようとする二人の物語。
5.「反古になる誓い」(作:いとうせいこう)
神への生贄。勇者は自分の娘をいけにえにしないように矛先を神父に向けるが、神父にうまく交わされてしまう。すぐ生贄になってしまう娘と策士の神父。そしてちょっと間抜けな勇者の3人が繰り広げるちょっとおバカな世界。
6.「嘘の森」(作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
嘘ばかりの森に迷い込んだアベックの物語。
7.「吸血鬼」(作:ブルースカイ)
山小屋に逃げ込んだ4人。そのうちの一人が吸血鬼に噛まれてしまっているらしい。吸血鬼の兆候が現れたら殺してくれと言うが、とんでもない勘違いですぐ殺そうとする3人・・・。
8.「秘密王」(作:いとうせいこう)
秘密を打ち明けたがる王。しかし秘密を知った者は首をはねられるらしい。秘密を聞いてもそれは秘密ではないとはぐらかす従女と王様の物語。
9.「絶望呼びの男」(作:いとうせいこう)
笛で絶望を呼ぶ男の話。
10.「時限爆弾」(作:ブルースカイ)
時限爆弾が仕掛けられている。3人で逃げれば済む話しなのに、爆発したらどうなるとかの問題で右往左往する3人。微妙な置いてき加減が味わえる逸品。
11.「コント」(作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
「時限爆弾」の脚本に対し、コントを理解せず正論をはく大御所の演出家。気に入られようと反対意見を言わないスタッフ。演出助手だけがコントの意図を理解しているのだが・・・。コントを説明してしまうという反則技。だけど大笑いしてしまう。してやられたぁ〜って感じの作品。
12.「死に至る病」(作:いとうせいこう)
感染すると好きなことだけやって死んでいくウィルスの話。ナイロン100℃の公演なのに2時間を切る短さ。それもあってか、わりと飽きずに観れた。所々、コントの内容よりも役者のキャラで笑わせてしまっているのが気になったものの、思いっきり笑えた公演であった。特におかしかったのが「反古になる誓い」。神父役の杉村蝉之介(大人計画)も良かったのだが、勇者の大倉孝二と、娘役の峯村リエの会話のへなちょこさが絶品。峯村リエのばかっぽさが満開で久々に大笑いした。
“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97 2.ファイ 3.フローズン・ビーチ 4.吉田神経クリニックの場合 5.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ 6.薔薇と大砲〜フリドニア日記#2〜 7.偶然の悪夢 8.フランケンシュタイン 9.絶望居士のためのコント 10.イギリスメモリアルオーガニゼイション 11.テクノ・ベイビー 〜アルジャーノン第二の冒険〜 12.ロンドン→パリ→東京 13.下北沢ビートニクス 14.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ
作・演出 前川麻子客入れから舞台は始まっていて、会場に入ると役者が所々で仮眠している。壁に“木村座第16回公演『ドロシーとゆかいな仲間たち』”のスケジュール表が貼られている。それを見ると、24:00小屋入れ、31:00仮眠、朝11:00〜開演となっている。舞台の今現在の設定時間は、朝の9:30頃らしい。序々に起きだすスタッフ達。開場まで数時間。主役のドロシー(前川麻子)、かかし(山田伊久磨)など役者がやってきて稽古が始まる。しかし主役であるドロシーの調子が上がらない。その態度を見た座長の木村(木村健三)は怒りだす。その怒りに対し、今まで溜まっていたものが爆発したのか、ドロシーはステージを後に出て行ってしまう。初日の開場数分前・・・ドロシーは戻ってくるのだろうか、そして無事幕があがるのだろうか・・・って感じのバックステージもの。
アンファン・テリブルプロデュースの拠点であったキャラメルがなくなって、次なる地である『将軍』(同じビルの3階にあるんだけど)での初めての公演である。普段はバーとして営業している(裸のおねーちゃんが踊っているらしい・・・)ので公演として使用するのには制限があるそうだが、バタ臭い雰囲気というか、エッチ臭い雰囲気がとてもいい感じのスペースである。30人も入れば一杯なんじゃないかと感じるスペースであるが、テーブルとかソファーとかを移動すれば倍は入るかもしれない。ってそんな事私が言っても始まらない。今回はテーブルや椅子はそのままで(と言っても、原型がどうなっているのか知らないが)使用していた。その雰囲気がバーの雰囲気のままで、木村座が演じている『オズの魔法使い』になんか淫眉な匂いを感じてしまった。そんな事を感じるのは私だけかもしれないが、確かこれは児童劇だったはずなので、その違和感は困ったもんである。淫眉なドロシーって内容でも前川麻子なら書いてしまいそうだが、今回は純粋な感動作。ラストでのドロシーの台詞が、劇団の状況と重なり、ぐっとくる。この感じって昔の前川麻子の作品ぽくて懐かしさを覚えた。
アンファン・テリブルプロデュースを観るのは久々であったが、それほどの時間の経過は感じていなかった。しかし、前回観た作品を調べたら97年12月の『ソウル・オブ・クリアー』だったので、随分とご無沙汰したことになる。しかし、そんなに間が開いた感じがしないのは不思議である。それは前川麻子が歳を食わないという事も原因の一つではないかと密かに思って止まない。間近でじっくりと顔のしわとかを拝見した事はないので何とも言えないのだが、自分のイメージでは品行方正児童会で『センチメンタル・アマレット』を観た時の姿そのままなのである。まぁそれも進歩がなくてまずいのかもしれないが、その時の衝撃が強烈すぎたのか、脳裏に焼き付いている姿は今でも女子高生だったりする。そのイメージが崩れる事なく今までいるのは、ある意味恋心が成せる技なのだろうか。しかし、この恋心も観ているだけの関係だからこそという気持ちもなきにしもあらず。今回のパンフの山田伊久磨の言葉には“世間的には気狂い扱いされています”とまで書かれている始末。嫌な女という噂も多々聞くが、本当はどうなんだろう。一度どっかの打ち上げでばったり出会わないだろうかと密かに心待ちにしている自分がいたりして。それってやっぱ怖いもの見たさ・・・であろうか。おまじないの如く「逢いたい逢いたい」って書いておくと叶ったりするかもしれないので書いておくことにします。
それにしても、肝心な『SOUL OF RUBY』のレビューからは、かけ離れたものになってしまった・・・お許しを・・・。
1.ソウル・オブ・クリアー 2.ソウル・オブ・ルビー 3.ソウル・オブ・コーヒー |
作・演出 毛利亘宏桐野陽子(加藤妙子)は将来を期待された優秀なバイオリニストである。彼女には北村スミレというルームメイトがいた。北村スミレもまたバイオリニストである。二人は、親友でありながら、最良のライバル同士でもあった。しかし、そんな桐野陽子の身に悲劇が襲いかかる。桐野は、病によってその両耳の聴力のほとんどを失ってしまい、バイオリニストの道を断念せざるを得なくなった。悲嘆にくれた彼女は、その後アルコールに溺れ、重度のアルコール依存症にかかってしまう・・・。
そして、ある春の日、彼女の身にはさらなる悲劇が襲いかかる。アルコールによって混濁した意識の中で桐野が見たものは、自分が殺したかもしれないルームメイト北村スミレの死体であった・・・。
1年後・・・舞台は変わり、孤島にあるのアルコール依存症の治療院。そこで治療をしている桐野陽子の元に、警視庁捜査1課の新人刑事・綾辻公平(井俣太良)がやってくる。彼は1年前に起きた事件を追っていた。そして、彼が事件を追うごとに謎が深まっていく・・・。そして、意外な真犯人が浮かび上がってきた・・・。舞台で推理ものを観るのは、とても集中力がいるという事を痛感した舞台であった。確かに脚本は悪くはない、と思う。・・・“と思う”と書かざるを得なかったのは、途中で集中力が切れてしまい、誰が誰なのかわからなくなってしまったからである。演出の未熟さなのか、自分の失態なのかはわからないが、演じている人物が誰なのかわからない。台詞で名前を言われてもその役を誰が演じているのか浮かんでこない。そんな調子のまま観ているのは非常に辛かった、って言うか苦痛そのもの。以前舞台上に多数のモニター画面を置いた事があったが、今回こそそんな演出が欲しかった。リアルさはなくなるだろうが、過去の場面をモニターで振り返ったり、顔と名前がモニターに映ったりするのもメディアミックスっぽくて良かったのではないだろうか。
突如話しは変わるが、疑う事により連続殺人が起るって視点は納得できて面白かった。蟻地獄に落ちたが如く、もがく程深みにはまってゆく犯人。様々な推理小説を読んでも、刑事が動かなければ連続殺人は起こらなかったかもしれない、ってケースは多い。今更ながらの指摘ではあるが、犯人像を描くにはいい展開であったと思う。
今回はミステリーものだったが、少年社中の芝居は、毎回違った形の芝居を打っているという印象が強い。多様なバリエーションに感心しつつも、少年社中としてのカラーが見えてこないという不満も感じ始めてきた。一つのイメージに固まらないという点ではいいのだが、劇団としての個性がいつになっても見えてこない。そろそろ少年社中としてのカラーが見えてきてもいい頃ではないだろうか。自分的には、ポップでのーてんきで、わくわく心が踊り、ちょっと感動できる冒険ものにこそ、少年社中の力が発揮できるのではないかと思っているのだが・・・。
“少年社中”自分が観た公演ベスト
1.アトランティス 2.アルケミスト 3.ELEPHANT〜エレファント〜 4.slow 5.ゴーストジャック 6.ライフ・イズ・ハード
作・演出 故林広志故林広志が放つ新企画「漢字シティ」の第一回公演。1999年12月に上演された「真顔のわたしたち〜親族代表/漢字シティ・プレゼンライブ〜」の御披露目会に続く本公演である。「古き良き日本の理不尽さをふんわり狂ったタッチで綴る、和風スケッチ集。」というテイストで、古き良き日本の昔話みたいな趣から、笑いの世界を引き出すと言う新企画である。昔話的作品から現代的な作品まで、“和風”ってとこをちょっとクローズアップさせた、ちょっと不気味で、なかなか想像力をかきたてる不思議な空間を構築していた。とりあえず演目を列挙すると・・・
1.告白観音の話
2.気分転換の話
3.彼岸花の話
4.ソンさんの話
5.憑依の話
6.理解者の話
7.ショートコント
8.現代の話告白する事で救われる“告白観音”の観音様の部屋に興味本位で入ってしまった男(竹井亮介)。そうこうするうちに告白する為に人がやってきてしまい、神になり変わり困りまくるという話【告白観音の話】や、ソンさん(嶋村太一)が作家(竹井亮介)を訪ねてやってきたのだが、習慣の違いから微妙な行き違いが生じてくる話【ソンさんの話】など8作品。
プレゼンライブ同様、作家(竹井亮介)と女中(三谷智子)の掛け合いも健在。もちろん三谷智子の着物姿も健在である。素の三谷智子とは違った凛とした雰囲気がとても良い。って書くと怒られそう・・・。役者では【彼岸花の話】での住職を演じた中田春介の妙に落ち着いた雰囲気が、コントらしからぬ雰囲気を醸し出していて良かった。取材に訪れた男を演じた大山鎬則(ナイロン100℃)もいい味を出していた。彼岸花の精を演じた井上貴子(双数姉妹)の着物姿もグッド。ってみんないいんじゃん。
前回の御披露目会で感じた物足りなさ感はなく、非常に面白かった。日本人ならではの状況をいろいろな角度からスケッチし、それを故林広志の“笑い”で見せる独特な世界感に酔いしれる。最後は個人個人の頭の中で完結させる笑いこそが、故林広志の笑いなんじゃないかって私は思っているのだが、その笑いと日本という国が持っている不気味さがうまい具合に噛み合っていて、心地よく笑えた。ただ、全てにおいて平均点以上の高水準なのだが、飛び抜けて面白かったって印象の作品が思いつかないのが残念でならない。すべてまずまずだとこんな風に感じてしまう、この感覚は贅沢と言ってしまえばそれまでなのだが、たまには客を置いて行ってしまうくらいの裏切り的作品も欲しいかなと思う。せっかくの別企画なのだから。それと何か一貫するものが欲しかったという気もする。あっ、でもそれは当時はポピュラーで見せているものか・・・うーむ。
“故林プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.当時はポピュラー/奥本清美さん(23才、OL) 2.コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜 3.薄着知らずの女 4.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Aプロ 5.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Bプロ 6.漢字シティ『すりる』 7.コントサンプル/2-99,aG: 8.真顔のわたしたち〜親族代表/漢字シティ・プレゼンライブ〜
作・演出 Dr.エクアドル劇場に入ると舞台らしき台が数台置いてある。明石スタジオなのに何故かオールスタンディング。舞台らしき物体を囲む様に壁に張り付いて立つ。中央には眼球が飛び出した男が逆さ吊になって動めいている・・・漂う不吉な予感・・・そんな感じで劇場に入った途端、明石スタジオである事すら忘れてしまう異空間が広がる。まさに悪夢。幼少の頃よく見た悪夢・・・お化け屋敷に迷い込んでしまい、いくら探しても出口がない、そんな終りなき逃走の夢を思い出しつつ開演を待つ。
暗転。登場するのは、産まれてからずーーーーと彼女いない歴みたいな、若ハゲ・ロンパリ・どもり・出っ歯の男達4人。登場するなり、
♪もーててー もーててー こまるーんーだー♪
♪もーててー もーててー こまるーんーだー♪
♪せいせきゆうしゅうーーーーー すぽーつばんのおおーーー♪
♪よおおしたんれえええーー けんこおじょおたいりょおーーーこおおーーー♪
♪もてないようそわぁぁぁ なにもーーなあいいいいいいいい♪
♪もてないいーーーーようそはーーーーーなにもなああいいいいいいいいいいい♪
と自己陶酔に浸る。さすが“視床下部直撃向精神ミュージカル”である。舞台は彼等が作っている“壮年童貞クラブ”での集会。彼等のお楽しみは、何日も糞尿にまみれたおむつを履き続ける“おむつプレイ”である。あこがれのハイジにおむつプレイをするという妄想に取りつかれた4人はハイジを探す。そんなオタクな話に、日本を滅ぼす陰謀を画策している“ちちしぼり共和国”の話が絡み混沌としていく・・・。「腑恥屠魔屠沙羅唾記念日」と書いて「プチトマトサラダ記念日」と読むらしい。それはさておき、2度目のゴキコンであるが、以前はフジタヴァンテでの公演だったので、濃密な小スペースで観るのは初体験である。さすがこの規模のスペースで観るゴキブリコンビナートは凄い・・・。今回、芝居を観て一番に感じたのは「日野日出志の漫画を見ているようだ・・・」である。グロテスクで悪夢、しかし、どこか滑稽で悲しい。まぁ未体験の人はこっそりゴキコンのホームページでも覗いて欲しい。ここからリンク張ってみましたが、くれぐれも仕事中とかに開きませんよう御注意申し上げます。他人に見られて不審に思われても一切責任は負えません。
ホームページも凄いが、例によって今回のチラシも触りたくないほどに汚い。某劇団の制作さんは、「ゴキコンの公演が近くなると多摩美の食堂辺りに沢山チラシが張ってあって、気分を害する人が多い」「ゴキコンTシャツ着てると演劇部の連中が、露骨にイヤな顔をする」と言ってました。余談ですが。
自分は、チェーンソーで木材を切る真下で木屑だらけになりながらの観劇であったが、とっても身の危険を感じた。チラシの端っこに文字が切れかかっていたのだが、「痛みを伴った娯楽など今の時代誰も欲してないかも知れません。でも、絶対にそうだと言えない以上やらないわけにはいかない。」と書かれてあった。客も巻き込むんかいって思った。まぁいいけど。しかし、チェーンソーから立ち登る煙が、照明に反射してとても奇麗だったのが印象的。身の危険と美しさのギャップに身を置きながらの観劇。それによってなのか、何か特別な快楽が体の中を駆け巡る感触を得た。こんな悪夢のような最低と言ってもいい芝居ではあるが、観劇後はなんか清々しい気持ちに包まれるから不思議である。・・・そんなんは自分だけか。
積極的に人に薦められる劇団ではないが、その悪夢のような芝居に流れる魂みたいなものを感じる。パンフに書かれたDr.エクアドルの「J演劇から遠く離れて」に劇団の方向性みたいなものが書いてあったので、所どころ省略しつつ抜粋したい。『敵も味方もライバルもいらない、向こう側の人間と呼ばれたい。行っちゃてる人と言われたい。他のジャンルにはそういうヤバイ人たちがいる。演劇界にはかつてはいたかもしれないが・・・今はどうだろう・・・僕の知っている範囲ではいないね。(略)他のジャンルには尊敬すべきイカレた表現者達がいっぱいいて、自分の参入する余地などないように思われた。そんな先輩たちのオマージュに終わるなら、やらない方がいいわけだし。だから、現存のどの劇団とも比較されたくいない。既成のどこかの劇団に引き付けて論じられたくない。だからと言って今までにない全く新しい表現を目指しているわけではない。前衛なんてつまらないし、行き詰まっている小演劇界に新しい風を巻き起こそうなどとも思っていない。単に例外的な存在でありたいんだ。どこの劇団の誰も尊敬してないし尊敬されたくない。それでいいと思う。(略)「J演劇など眼中にない」と。だからと言ってかれら以上に客を動員できる大規模な劇団になりたいと言っているわけではない。彼らが動員できない客を動員したいと言っているんだ。「演劇なんて嫌いだ」と言ってる人たちに「だが、ゴキブリコンビナートだけは例外だ」と言わせること。これができるなら小劇場界で嫌われ者になってもかまわない。演劇ファンの神経を逆なでし、「こんなの演劇じゃない。まじめに演劇を追求している人間への冒涜だ」と言われることなどいっこうに気にならないんだ。』
表現したい思想的背景は自分にはわからないが、それでも真剣に自分の世界を構築しようとする姿勢には共感が持てる。で、唐突だが、過酷な世界に身を置く首ハイジ役のボボジョ黄桜(旧名ボボジョ貴族)がとっともかわいく見えた。
“劇団ゴキブリコンビナート”自分が観た公演ベスト
1.腑恥屠魔屠沙羅唾記念日 2.粘膜ひくひくゲルディスコ
作・演出 宮本勝行茨城県の土浦市の市役所に開設された“命の電話課”の初日。相談員は各課から寄せ集められたツワモノ達、そして東京から赴任してきた新人の青年。やる気き満々の彼らの元に「就職試験にことごとく落ちてしまい、もう死にたい」と、ランと名乗る女の子(川上麻里恵)から電話がかかってきた・・・。そんな初日の風景を描いた、茨城弁3部作の第1作目。
1995年に初演された本作の記録用ビデオを、宮本勝行が観て「何度観てもおかしくてたまらない」と言うことで再演が決定。そうとう気に入った作品なのだろうが、期待しすぎた為か私はイマイチ楽しめなかった。まずその設定なのだが、真剣に命を救おうとする人々の奮闘を描いているのか、そんなヘンテコな課を作った市役所自体のぬるっこい体質から笑い飛ばしてしまおうとしているのか、どうしても掴み切れず、そのどっち着かず感が感情移入の妨げとなってしまった。各課のエリートが集ったというフレコミだが、どう見ても各課でいらなくなった人材の2次使用、悪く言えば窓際処理に見えてしまったのも、気持ちが定まらなかった原因の一つ。総務課(村越保仁)、水道課(蒲田哲)、環境課(成田めぐみ)、戸籍課(秋山恭子)、福祉課(憩居かなみ)、土木課(山口雅義)・・・。そんな人材に人の命に関わる仕事をさせていいのか。まぁ「死にたい」って電話で相談してくる人の本心は「生きたい」であり、そのきっかけを探している人には、このお気楽さが逆にいいのかもしれないが・・・。本心死にたいって思う人は相談なしに衝動的に死んでしまうでしょう、きっと。そんな気持ちを踏まえてのキャラクター設定、“命の電話課”の設定なのだとしたら、宮本勝行侮りがたしである。
ただ単におかしいだけの芝居じゃない、人間的な気持ちみたいなものも伝わってくる名作・・・とか書きたいところだが、観ている最中はぼんやりとしか伝わってこなかったので、非常に残念だが、自分としてはイマイチの評価である。役者の降板事件が勃発してしまったらしいが、福祉課から来た人を演じた憩居かなみが、なかなか良かったのが印象深い。男優陣は言うまでもなく、いい味を出していた。
キャストに載ってない宇奈月慎太(宮本勝行の役者名)の登場により、芝居の温度が良い方に変わった。しかし、登場はすごく嬉しいのだが、他の役者との力の差が見えてしまい害にもなっていた。嬉し悲しって感じである。
“にんじんボーン”自分が観た公演ベスト
1.オヅ君が来た日 2.い・い・ひ・と