世田谷パブリックシアター 8/6〜8/8
8/7(土)マチネ観劇。座席 J-11
振付・構成・演出 井手茂太偏屈な老人コッペリウスが理想の女性として作り出した美しい人形コッペリア(岩下徹)をめぐり、その姿に恋した青年フランツ(小山達也)や彼の心を取り戻そうとする恋人スワニルダ(斉藤美音子)ら、それぞれの思惑がからんで恋の騒動が展開される。バレエの古典的作品をイデビアン・クルー的に味付けした傑作。
今まで観たイデビアン・クルーの作品の中では一番楽しめた。ダンスの素晴しさで言うと他の作品の方が上かもしれないが、一番おもしろく楽しめたのが今回の作品。「子供にダンスをみせる」というコンセプトが自分の波長にドンピシャリだったのも良かったのかもしれない。って、それは喜べないか・・・それにしても、クラシック音楽にのせて踊るイデビアンのダンスというものが、どんな表現をも超越した素晴しいものに仕上がるとは思いもよらなかった。一見ミスマッチと思える音楽と踊りの融合が、実は非常におもしろいものを引き出していた。そこには自分が持っていた“クラシックとイデビアンはミスマッチではないか”という固定観念と言うか偏見が、見事なまでに崩壊していく気持ち良さも若干ではあるが影響していると思う。固定観念が崩れ去った後に残った新鮮な陶酔感は、格別なものがあった。私はいつも自分の常識を破ってくれる芝居の出現を待っているのだが、今回はまさにそれであった。
ストーリーも恐ろしいものになっていて非常に興味深いものであった。ただ、この恐怖が子供にわかったかどうかは疑問が残る。長い静寂では眠気が襲ってきてしまったが、それも意図だったのではないか。眠気で意識がモウロウとしているところで人形であるコッペリアは人間に成りすます。そんなコッペリアが徐々に客席に歩み寄り暗転で終る。このホラー仕立てにアレンジされた後味の悪さも良かったと思う。山海塾の岩下徹が美しい人形コッペリアってのも最高。付け足しみたいでなんなんだが、計算し抜かれた集団での動きと個々の動きの素晴しさは言うまでもなく最高であった。
今回は新しい展開だからか、衣装もそれまでの全身黒タイツに男性用の白のブリーフ、尻にダンサーの名前というスタイルをはずし、茶と赤のシンプルなものになっていたのも良かったような気がする。子供がいきなり「あーパンツ丸出し」とか騒いだら舞台が台無しになるところだった。まぁ、それはそれで面白かったかもしれないけど・・・。そんな事が理由ではなく、他の意図があって変えたのだとは思うが、正解だったと思う。
“イデビアン・クルー”自分が観た公演ベスト
1.コッペリア 2.包丁一本 3.ウソツキ
作・演出 小池竹見舞台はとある喫茶店。喫茶店に入って来た男・ゆうじ(五味祐司)は、自分の母親に会いに2016年の未来からやって来たと言いだす。母に会ったら自分を堕ろせと言う為に・・・
“同胞が同胞に銃を向けた「天安門事件」を日本的な現実を通して解釈し、さまざまな誤解と思い込みと真実が、異常な現実を生み出す過程を描く”とか、“理想を同じくして集まる人々の限界、勝ち得た自由という思想を持て余す人々の苦悩”とか雑誌には書かれてあったのだが、まるっきり違った内容になっていた。ここまで違っていいんかぁ〜と言うほどに違っていた。同じなのはタイトルだけ・・・。まぁ、チラシを読むと、「10年前の日曜日におこった事件とはなんら関係がありません」とは書かれてたんで、まぁいいか。脚本ができ上がったのが公演の1週間前だったというのを聞いて、納得するやらガッカリするやら。
こんなんでいいんかね、という思いは確かにある。ただ、この軽いエンターテイメント芝居を双数姉妹の新しいスタイルだとするなら、それはそれでいいんじゃないかという気持ちもある。作品の受けとめ方は全然違うが、『ハクチカ'96』で双数姉妹を初めて観た時のように楽しんで観れたのは正直な気持ちである。どちらが双数らしいかと言えばもちろん以前のスタイルではあるのだが・・・。
今回特におもしろかったのが、不幸なOL達(伊藤由維子/井上貴子/間瀬凛/桑原裕子)がとんでもない歌詞をきれいなアカペラで歌いあげるシーン。一部では「バカペラ」と呼ばれているらしいが、まぁそんな感じ。今まで芝居に挿入されるアカペラに疑問を持っていたので、今回の使い方はグッドである。
不満を挙げるなら、他人の声が聞こえてしまう男は過去に観た記憶があるのでバツ。確かにおもしろいのだが、常に観ている観客の事を考えたら、そりゃぁないだろって事になりはしないか。最近の双数姉妹は焼直しが目立つのが残念でならない。
“双数姉妹”自分が観た公演ベスト
1.ハクチカ'96 2.オクタゴン 3.3 BALKAN BOYS 4.安天門 5.オペレッタ―王女Pの結婚― 6.SHOCKER
作 乾緑郎
演出 獅飢冷蔵戦前の作家、国枝史郎の伝奇小説『神州纐纈城』をベースに、本火、本水、大仕掛けを駆使したスペクタクル時代劇。
瀬戸内海で海賊稼業を生業として生きる十左。織田信長による根切り(天正伊賀の乱)により、故郷を追われた伊賀の残党たち。伊賀復興の為に人の血で染めた纐纈布(こうけつきん)を手に入れようとする若き頭、石川文吾。虎視耽々と纐纈布を横取りしようと目論む果心居士。牢屋に幽閉されている纐纈城の城主、蔡子明。蔡子明を牢屋に縛り付け復讐を果たした黄海泉。それぞれの思惑を胸に纐纈城で、血で血を洗う死闘の幕が切って落とされた・・・。劇場は、水を引いた上に舞台が作られているような状態。強いて言えば、劇場自体が巨大な水槽で、客席は水上に浮かぶ“浮き島”、上演空間は客席以外の水槽と言った感じだ。早い整理番号の客は、舟にのって客席まで運ばれる。私もその一人。そして、その舞台で、いろいろな登場人物が入り乱れて展開されるのだが、暴れる度に、水がバシャバシャと跳ね上がる。最前列で観ていた私は、水というか泥水を思いっきりかぶる。一応避ける為のビニールシートはあるものの役に立たってない。少し悲しくなってしまった・・・。それはともかく、芝居自体は、深みに欠け、つまらないものだった。魅力的な役者が揃ってはいるものの怒鳴るだけでセリフはカミまくり、演技はヘタ・・・と言った感じだ。ただ、そうは言っても、アングラな空気が大好きな私にとっては、むちゃくちゃおもしろかったのは隠しようも無い事実。そのヘタさも愛敬のウチである。真剣に演じているからこそのバカさ(バカにしているわけではなく、褒めている)に好感が持てる。野外劇ならではの“好き勝手さ”もイイので、泥水をかぶるのも暑い夏の夜なら悪くはなかったかなって公演だった。全国十ヵ所を巡って上演しているみたいだが、そのパワーにも脱帽。
作・演出 天野天街舞台中央にみかん箱。その箱を大切に抱える少年。そこから始まる物語は、生と死が錯綜する不思議な世界。脈絡のない夢を見たような気分でもあり、どこか懐かしい夢のような世界でもあった。
今回のモチーフは、「生まれてからずっと目が見えない人のみる夢」と雑誌に書かれてあったが、私が感じたのはこのモチーフとはちょっと違った世界であった。説明的なストーリーがあるわけではないので、人によって感じるものが違うかもしれない。私の場合は、違うと言うより、その中に隠された父と子の世界が強烈に伝わってきてしまった、と言った方がいいかもしれない。「そりゃぁ勘違いだわ」と言われるかもしれないが、間違った解釈も又楽し、である。
私が感じた物語は、7つの夏に行方不明になった少年の物語である。その少年は生まれながらにして目が見えない。それを苦にした父親はヘロインに手を出し、侵されていく。そして挙句の果てには、子供を殺害し、遺体をみかんの箱の中に入れ、閉じ込めてしまう。その少年の魂は死を認識しないまま夢の世界を彷徨う・・・夢の中では少年の目は見えている・・・と言うもの。
そう感じさせる要因としては、父親の肩に差してある菖蒲(あやめ)→殺めるとか、パインの缶詰の文字が→ヘロインになっていたりとか(缶詰はお供えものをも連想させる)、痛がって→イタイ、イタイと叫ぶが、イタイは→遺体につながっているのでないか、とか・・・。そして、最後の場面で「クラヤミにコナがふる、アタシのホネだ」と少年が叫ぶに及んで、自分の気持ちは確信となった。恥ずかしながら、今回初めて、観ている最中に言葉に隠されたもう一つの意味を強烈に感じる事が出来た。いつもだと、観劇後に言葉の持つ別の意味を理解し、鳥肌が立つという感じだったが、観ながらストレートに伝わってくる凄さを初めて経験し、少年王者館の凄いさを今さらながらに痛感した。その衝撃は計り知れないほどで、その衝撃を漫画の効果音で書くと“ドン”いや“ドガァーン”かな。震度にすると7以上(って言ってもどのくらいか知らないけど)。・・・どうも例えが悪い。2回観る価値があると良く言われていたが、わかる気がする。イタイと言う言葉の影の“遺体”という言葉が伝わってきた時の衝撃に続く世界観の広がりはびっくりする程であった。ただ、全てを理解できたわけではない。何故2つにわかれているのかなど、深い意味合いは解らないでいる。丑の時(午前2時)参りとつながっているのだろうか・・・。後半部分がまだ作り込まれていない感じがあったが、それでも素晴らしいと絶賛したい。東京公演から日にちをおいて公演が開始された名古屋公演では、後半も作り込まれて更に素晴しいものになっていたに違いないと思う。行けなかったのが残念でならない。
パウダア、シッカロール、天花粉・・・“ニオイ”の記憶が古い記憶を引き摺り出してくれたのも面白い。登場する子供達が夏休みの宿題で「町のニオイ地図」を作る会話からもこの“ニオイ”を感じ、懐かしさに浸ってしまった。それが妙に心地よい。こまかな言葉遊び、言葉の洪水、漢字くずし、繰り返しにも刺激され、至福のひとときを味わった。死の匂いの漂う物語に至福を感じるのって、ちょっと変かもしれないが・・・。
“少年王者館”自分が観た公演ベスト
1.パウダア 2.OSHIMAI〜くだんの件 3.それいゆ 4.マッチ一本ノ話
作・演出 西島明
振付 永谷亜紀ドラマや漫画でさえ見る事が少なくなった(いや、無くなったと言っていいかも)乙女達をベターポーズがルネッサンス(復興再生)する「オトメチックルネッサンス」の別冊版。去年12月のジァン・ジァン公演に引き継ぎ、再びジァン・ジァンで復活。
物語は、篠田(猿飛佐助)を中心に九笹さん(松浦和香子)、乙骨さん(阿部光代)、片想いの新田ちゃん(渡辺道子)、耳塚さん(市川菜穂)、冷凍靴下を売る相良さん(加藤直美)達が、オトメチックな恋物語に翻弄される様を独特なベタポワールドにのせて展開する。そんな感じ。
軽〜〜いタッチが前回のオトメ同様ツボにはまり、私は終始ニタニタしっぱなしであった。ジァン・ジァンという独特なスペースの味わいもあるが、このシリーズは妙に自分の心を揺さぶるので楽しい。女優がみんなめちゃめちゃかわいいのもいい。ついででなんだが、西島明の『んっん少女』もいい。
前作ではバナナの皮で転ぶなんて事にフルーツを使っていたが、今回は舞台上で林檎ジュースを作り、客に配るというサービスに出た。物語には関係ないが、懸命に作る姿は乙女チック。前列で観ていたのが幸いしてジュースをもらう事ができた。味は甘酸っぱくて、とてもおいしい。甘酸っぱさは初恋の味・・・って昔過ぎて忘れてしまったけど。ジュースは阿部さんから受け取る事が出来たのだが、その時に手が触れて(決して故意じゃありません)もードキドキ・モード。これも又、乙女チック。っていい大人が言う事じゃないやね。
この「オトメチック ルネッサンス」は今後シリーズ化していくみたいだが、ジァン・ジァン以外の空間で、あのおもしろさが醸し出せるのかは、ちょっと心配なところである。
“ベターポーヅ”自分が観た公演ベスト
1.オトメチック ルネッサンス 2.別冊オトメチック ルネッサンス 接吻は愛の速記術 3.カエルとムームー 4.おやつの季節 5.GREAT ZEBRA IN THE DARK'98 6.ボインについて、私が知っている二、三の事柄
作・演出 マキノノゾミ上州館林藩の跡継ぎを巡る騒動を、黒澤映画風に料理した痛快娯楽時代劇。頭の悪い兄を世継ぎにし、自分達の思い通りに動かそうとする一派は、跡を継いだ弟の事を“若き殿の暴政によって藩は危機的状況にある”と触れ込み、暗殺しようと陰謀を張り巡らせていた。家老・景山左馬之介(小市慢太郎)は、殿を暗殺する為に日向五郎兵衛(三上市朗)ら浪人3人を雇い、豪遊していると嘘を言い尼寺に向かわせた。しかし、そこには幽閉された若き殿・秋元忠信(岡森諦)の姿があった。
黒澤明監督を意識した作風は嫌いじゃないし、浪人・日向五郎兵衛役の三上市朗のかっこ良さには惚れ惚れしてしまう(って書いても私はノンケです)が、いま一つ満足ができなかったのである。確かに“痛快娯楽時代劇”ではあった。殺陣も凄い。この芝居を書くにあたり、マキノノゾミは、黒澤作品の「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」とテレビ時代劇の「荒野の素浪人」を立て続けに観たらしい。おもしろさを引き出し、舞台に上げるとなるとこうなってしまうのか、とは思うが、もろ黒澤映画を芝居にしただけのひねりのなさには、正直言ってがっかりであった。黒澤明を抜く面白さってのは難しいとは思うが、黒澤作品をただ舞台に上げただけでは技がなさ過ぎやしないか。面白かったのに文句を言うのもなんなのだが、もーちっとひねって欲しかった。厳しく言ってしまうと、黒澤明を意識し過ぎたために、単に黒澤映画のコピーでしかなかった、と言っても過言ではない。
“劇団M.O.P.”自分が観た公演ベスト
1.遠州の葬儀屋 2.最初の嘘と最後の秘密 3.サニー・サイド・ウォーク 4.夏のランナー