THEATER/TOPS 9/28〜10/3
「当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Bプロ」
10/2(土)観劇。座席 I-8(招待)
作・演出 故林広志「過去の医療ミスを風化させまい」と、毎年華々しく催される記念行事。記念行事の準備に追われる被害者の会、セントメリー病院、製薬会社。それぞれの会話から、事件の意外な原因が浮き彫りにされる。そして物語は過去へとさかのぼり、事実が明かにされる・・・。被害者の会のずさんな調査の実態、看護婦達の隠蔽工作、製薬会社のあたふたなど、「人命なんてもういいから、自分たちのことを優先させなきゃ」って思う人々の右往左往を描いた、いやぁ〜な笑い満載の当時はポピュラー第二弾。第二弾と言っても、第一弾との関連はなし。・・・だと思う。
ツーバジョンの内、まず初めに観たのが、高山広演じるBプロ。高山は、医師・関口梅庵、製薬会社の課長・影山、被害者の会支部長・トキヒラ会長の3役をこなす。9月28日まで自分の公演で何人もの人物を演じてるにも関わらずの出演には、頭が下がる。と同時に、頭の中がどんな構造になっているのか覗いて見たいという衝動に駆られた。まぁ。そんなものに駆け巡られてもどーしようもないんだけど。以前、何人もの人物を演じ分けている時の状態を聞いた事があるのだが、「頭の中が真っ黒」になるのだそうだ。その中から一人一人を引っぱり出すのだから凄いもんである。で、今回はどうかと言うと、正直言って物足りない。故林広志が描く冷めた笑いの中では、個性が発揮出来ていなかったように映った。もっと毒気のある個性を出してこそ、故林広志の世界も広がりを見せたのではなかろうか。あっ、ただ、関口梅庵を演じた時の動きは最高におかしかったと追記しておきたい。
個性に関して言えば、今回特に印象に残ったのが、“困り役”の竹井亮介。コントサンプルからの困り役を確立した感のある竹井が演じた『製薬会社で奉られるお沼田様』には大笑いしてしまった。帰りに思わず拝んでしまったほどである。
物足りなかった点を挙げると、小村裕次郎(猫ニャー)の使い方が弱かったように感じた。もっと突拍子もない使い方をしても良かったのではないか。故林広志の世界に染まらないほど壊れて欲しかったというか、主役を食うくらい壊れて欲しかったってのが、イチファンとしての本音かな。
他の出演者の、井上貴子(双数姉妹)、近藤道治(MUSCLE DOCKING)、永滝元太郎(M.O.P.)、仁田原早苗(ナイロン100℃)、安沢千草(ナイロン100℃)、野間口徹(rust-Kindergarten)、嶋村太一(桃唄309)、犬飼若浩、三谷智子も、それぞれなかなか良かったと思う。プロデュース公演だからこそ、今まで見る事が出来ない役柄を見る事ができたってのも嬉しかったりして。
余談になるが、タイトルなのに登場しない“北沢順一”の候補は加藤敬(拙者ムニエル)だったとか。
“故林プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.当時はポピュラー/奥本清美さん(23才、OL) 2.コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜 3.薄着知らずの女 4.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Bプロ 5.コントサンプル/2-99,aG:
作・演出 故林広志医師・関口梅庵、製薬会社の課長・影山、被害者の会支部長・トキヒラ会長の3役を松尾貴史が演じるAプロ。内容はBプロと同じなので省略。
同じ作品なのに別のおもしろさを味わえた。もー、それは松尾貴史のおもしろさに他ならないんだけど、3役をうまく演じ分けていたのも印象深い。製薬会社の影山と看護婦達との会話などは、アドリブが入っているのか、危険な空気が漂っておかしいったらありゃしない。紙切りの芸もなかなか場を盛り上げていた。笑いの職人技を観た思いである。総合的に観て今回はAプロの勝利である。って競ってるわけじゃないって。
AプロBプロ共にだが、最後に流れる映像が見にくかったのが、失敗だったと思う。事件の事実にも繋がる(って言っても直接ではないけど)肝心な、いや、お気楽な映像だっただけに残念でならない。
“故林プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.当時はポピュラー/奥本清美さん(23才、OL) 2.コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜 3.薄着知らずの女 4.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Aプロ 5.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Bプロ 6.コントサンプル/2-99,aG:
作・演出 唐十郎98年に上演された改訂版の再演。日暮里の殿の甥・かじか役で唐十郎登場。
舞台は東京・日暮里。キャバレー勤めの一葉(いちよ/飯塚澄子)の部屋に、アキヨシ(堀本能礼)が通い始めて2年。一葉の夫・大貫(稲荷卓央)やアキヨシの姉・双葉(もろは/飯塚二役)の妨害、アキヨシの転勤話などが渦巻くなか、アキヨシは、一葉と双葉に挟まれ葛藤を繰り返す・・・。唐組の代表作と言っても過言ではない程に素晴らしい作品に仕上がっていた。物語自体は変わっていないのだが、前回以上におもしろかったのである。前回は、主人公であるアキヨシの心の葛藤をメインに置き、一葉と双葉の間で揺れ動くアキヨシを介して、一葉と双葉の物語となっていた。その時の雑誌のインタビューにも“アキヨシとアキヨシの心理を分析し、ズタズタに切り裂く謎の精神科医・野口というもうひとつの対立関係を置く事によって、いちよともろはの関係を鮮明にさせる。”とあった。自分としてもそこまでの物語しか読めなかった。しかし、今回は、肉欲と道徳心の狭間を行き来する姉・双葉と、肉欲とプラトニックの狭間を行き来する一葉との間で揺れ動くアキヨシの関係に加え、その一葉を巡っての夫・大貫と、間男・アキヨシと、一葉の三角関係の絡み合いを強烈に感じた。そして、一葉を熱烈に求愛するかじかの登場により、関係はますます歪んで行き、複雑な人間関係が形成されていた。しかし、そこに流れるのは愛欲ではなく、純愛という摩訶不思議な物語に仕上がっていた。
前回は自分の洞察力のなさがいけなかったのか、夫の存在が希薄で、夫からは純愛が深く伝わってこなかった。しかし、今回はそれを感じた事により、夫の葛藤が強烈に伝わってきた。実はこの物語で一番葛藤しているのはアキヨシではなく、大貫だったのではないかとも思う。自分のだらしなさから他の男が部屋に通ってくる。これほど辛い事はないのではないか。それも自分より出来のいい男となればなおさらである。その結果トイレで首を吊る事になってしまうのだが、感情移入してしまった自分にはとても辛い結末となってしまった。
そんな事もあってか、前回、姉・双葉に感じた悪女のイメージは、一転して一葉のイメージへと変化した。そのまま同じという訳ではないが、悪い女なのに憎めない、そんなかわいらしさを一葉に感じた。いや、悪いと言っては語弊がある。自分の気持ちに素直なだけに許されてしまう、ずるい女と言ったほうがいいか・・・。逆に双葉には弟を想う純情さだけが残った。物語自体も鳥肌ものだったが、前回同様、飯塚澄子に魅せられた舞台であった事には変わりはない。特に一葉を演じた飯塚澄子にベタ惚れである。
日暮里の殿の甥に唐十郎というのは年齢的に不釣り合いさも感じなくはないが、唐十郎の登場により舞台が華やいだのは事実である。また、ねんねこ男と、とある看護婦を演じた大久保鷹の口の周りが鮮やかすぎるほど青いのも、唐組に流れる「奥行きの深いバカさ」が伺われ、最高であった。
芝居とは関係ないが、鬼子母神の御会式に備えて、お囃子の稽古がすぐそばで続いており、耳障りだったのが残念でならなかった。せっかくの芝居が台無しだったわけで、もう少しどうにかならなかったもんかと苦情の一つもいいたいところである。芝居に合った音楽ならともかく、お囃子じゃぁねぇ・・・
“唐組”自分が観た公演ベスト
1.ジャガーの眼 2.ジゴロ・唐十郎扮する版『秘密の花園』 3.改訂の巻『秘密の花園』 4.汚れつちまつた悲しみに・・・ 5.眠り草
作・演出 政岡泰志舞台は山奥の村『キドサト村』の集会所。今では落書きされ放題で放置されているが、その昔、そこには、ダム建設で家が水没してしまった村人達が住みつき、必死に生きていたんだとさ・・・。そんな感じの郷土史劇。
動物電気の公演を観るたびに感じるのだが「観るたびにおもしろさが増殖している」と。時々暴走する意味不明な雲海和尚(小林健一)や、変な動きの森の精霊(辻脩人)など、舞台上にいるだけでおかしい。肉体を使ったベタなギャグも最高である。ただし、観劇後数日が経つと肝心なストーリーを思い出せないという問題は残っているのだが・・・。おかげで書き込みが少ない、少ない。まぁそれでも満足なんだからいいかぁ〜。
“動物電気”自分が観た公演ベスト
1.チョップが如く 2.キックで癒やす 3.人、人にパンチ
作・演出 土田英生舞台は近所からホモアパートと呼ばれている「ハイツ結城」。先代の父親から大家を継いだ娘・結城小百合(西野千雅子)と4人のホモセクシャルたち(水沼健・金替康博・一色正春・尾方宣久)が住むそのアパートは、道を挟んで建つ高校の生徒達のいやがらせがひどい為に、勝手口を玄関にしていた。そのため、台所がリビングの役割をはたしている。彼等はそこに集まっては、これからのホモの在り方などについて議論を交す。彼等の信念は、男性の肉体を持ちながら男性しか愛せない自分たちの矛盾した存在を、ありのままに認めようというものだった。しかし、ある夜、一番若い泰夫が「好きな女性がいる」と衝撃の告白をする。そこから始まる一つの恋愛事件。一般的にはごく普通の“初恋”なのだが、彼等にとってはそうではなかった。高校生のいやがらせが加熱し立ち退きを迫られる中、男たちは動揺し、ヒステリックになり、陰険な空気が漂う。その事件発生から解決までを、巧みな会話と笑いで綴った作品。
作品自体は1997年に初演された作品の再演であるが、再演に際し、新しくメンバーとなった金替康博の部分に改訂を加えての上演となっているらしい。土田英生自体は97年の大田王「BUGS in the BLACK BOX」、今年6月の故林広志プロデュース「コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜」に出演している姿を観て知ってはいるが、『MONO』としての作品を観るのは初めてであった。それまでも「おもしろい」という噂だけは西の方から流れてきてはいたが、一体どんな芝居なのかも皆目見当が付かなかったというのが本音である。ガバメント・オブ・ドッグスのメンバーである土田英生(水沼健もそうなんだけど)という事で、お笑い色が強いのかとも思っていた。が、実際観てみると、自分が想像していた芝居とは全然違った繊細な物語であった。馬鹿馬鹿しくも切なくて哀しい微妙な人間関係を見事に表現し、舞台にあげていた。まったく本人のイメージとは違う繊細さではないか、と思う程である。って言うほど知らないです。あくまで噂で聞き、舞台で観て感じた人物像と違うだけです・・・ほんとに。
話は逸れてしまったが、芝居は、観終わって清々しさが残るすばらしいものであった。物語自体は、共同体の静かな崩壊を絶妙に表現しており、決して明るい話ではないが、何故か心地よい。役者も良く、ナチュラルなお姉言葉も板についている水沼健や金替康博など、本当は地なんじゃないかと思うほどの自然さであった。作品のスパイス的な要素になっていた元住人の吉村邦男を演じた土田英生もいい味出してました。
その土田英生の話になってしまうが、今年のOMS戯曲賞の大賞を、『その鉄塔に男たちはいるという』で受賞している。そればかりか、岸田戯曲賞の候補にもあがっていると風の噂で聞く。今後が楽しみな一人である。
振付・演出 井手茂太1998年11月に上演された「ウソツキ」の改訂版。前回同様、「ウソツキ」にまつわる人と人との関係を独自の動きで見せた作品。
前回は、人と人とのはかない関係や、親しくても覗けない心の中みたいなものは伝わってきたのだが、嘘をついた時の緊張感や罪悪感、バレなかった時の陶酔感などは伝わってこなかった。今回もそんな緊張感を掴む事はできなかった。ただし、今回は、前回自分の感性の弱さで感じることができなかった、嫉妬心を強く感じた。男と女の恋物語。そして、男と男の恋物語。そんな恋する人間模様を嫉妬心で見せている。でも、それがどろどろとした関係には写らず、滑稽でおかしい。
前回同様、オープニングの悪夢的な音と踊りの展開には、ふっと気持ちが別世界に持っていかれそうであった。しかし、タンゴのリズムを奏でたあたりから動きはめまぐるしく加速しだす。自分としては加速しだしたこのあたりが一番好きだ。その流れの中で見せる、人の配置・構図がすばらしいのである。言葉で流れを表現できない自分がもどかしい。いや、その素晴しさは文章にできない程なのである。って、ちょっと逃げてしまうが、それほど素晴しいと思う気持ちをくみ取って欲しい。
イデビアン・クルーの公演を楽しむのは、全体の構図・配置・流れを観るのが一番、という気持ちに変わりはないのだが、今回はそんな信念に背いて、一人のダンサーを追ってしまった。彼女の名前は、本橋弘子。コケティッシュな魅力に目が釘づけになってしまったのである。気がつけば本橋弘子を追っている始末。まぁ、こんな見方もたまにはいいではないか。って、身勝手な事を書いてしまうほどに魅力的であった。こりゃ惚れたね。
“イデビアン・クルー”自分が観た公演ベスト
1.コッペリア 2.包丁一本 3.ウソツキ 改訂版 4.ウソツキ
作・演出 村上大樹花椿花子(岸伸泱)に復讐を果たそうとするシスタービーこと百万本バラ子(伊藤修子)。花子を影ながら守るサビゾウ(加藤啓)とシャリゾウ(村上大樹)。花子の友人八重桜サキ(澤田育子)。寿司屋の花椿家と、その寿司を代々食べ続けることを宿命とする百万本家という因果関係の中、さまざまな人物達が絡み合い物語は進行する。
で、結末は、ガングロの花椿花子をインディアンのデッカイナ=デカイナ(小手伸也)の娘だと思い、復讐しようとした百万本バラ子の勘違いってことで一件落着。寿司屋の跡を継ぐと決心する花椿花子の姿で、ハッピーエンド。って感じの物語。腹を抱えて大笑いできた。しかし、笑っておいてこんな事言うのは忍びないが、物語自体は散漫でだらだらと長くつまらない。結局何が言いたかったの?って芝居なのである。まぁ物語の面白さを鼻っから期待しなければ、大笑いできる芝居ではあった。それでも、上演時間が2時間半を越えるのはちょっと長過ぎ。脚本があがったのがぎりぎりだったと言うから仕方がないのかも・・・雑誌に書かれていた内容とも違うし・・・。でも、でも、おもしろいものを惜しげもなく出したい気持ちを抑えて、カットする勇気も時には必要ではないだろうか。
今回も小手伸也は傍若無人ぶりを発揮し、大爆発である。客演なのに誰よりも顔がでかい、失礼、誰よりも目だっている。もー拙者ムニエルの顔って言ってもいいほどの活躍である。「もー」と言えば、牛。小手伸也が演じる牛が舞台袖で反芻を繰り返す姿は最高。物語と関係ないところで暴走しまくりである。ただ、本筋の舞台中央を見ずに、小手伸也についつい目が行ってしまうというのは問題ではあったけど・・・。
“拙者ムニエル”自分が観た公演ベスト
1.DX寿姫 2.喰らわせたいの〜花椿花子Blowing UP〜 3.ビバ!ヤング!(ヒップ)
作・演出 深津篤史分譲されて1年たった関西近郊のとある公団住宅。集会所が立つはずだった小さな空き地は、荒れ放題で、誰が言うともなく『こやまさんちのにわ』と呼ばれていた。時は1月3日、4日の両日。お正月にふさわしく天気は快晴だが、建物の陰となって昼なお暗い『こやまさんちのにわ』。そこに集う団地の住人たち。見ず知らずの彼等をつなぐのは、「この場所には何かの死体が埋まっている」という噂話・・・。住人3人が殺害された連続殺人事件の容疑をかけられた鈴木さんの息子(亀岡寿行)を主人公に置き、その周りを行き交う人々の会話の中から人物像と関係性が浮き上がっていく。会話の端々には、親近相姦、同性愛、不倫、そして愛欲の果ての殺人など、死の影とセックスの匂いをはらんでいる。しかし、それが本当なのか嘘なのか・・・。現実感をなくしていく主人公の青年は、殺人犯にうたがわれるにつれ自分が殺したのか殺していないのかすら分からなくなっていく・・・。
劇団の代表作の1つであり、主宰深津篤史が第42回岸田國士戯曲賞を初ノミネートで受賞した作品でもある。ただ、岸田國士戯曲賞を受賞したからと言っておもしろいとは限らない。“難解な芝居”という噂通りで、自分にとっては不完全燃焼の退屈な芝居であった。殺人の理由を明確にしたいという想いで書いた作品らしいが、明確な答えは見い出せなかった。親近相姦の義父と娘、不倫の重圧で精神的にまいっている女、頭の弱いレズの姉妹、妻が里帰りしていると嘘をつく男・・・そして『こやまさんちのにわ』。パズルのように張り巡らされた謎は確かにおもしろかったし、人間性の暗部を深く静かに見つめようとしているのもわかった。しかし、謎のままでほったらかしの時間が長過ぎたのか、退屈感を抑え切れなかった。もしかしたら、ラスト30分で劇的な結末が用意されていたのかもしれないが、その前に集中力が途切れてしまい、語られているセリフが右から左にただ流れていくだけで、終演を向かえてしまった。観た時の心情や体調で、ものすごく印象が変わってしまう芝居とは聞いていたが、こんなに集中力を必要とする芝居だったとは・・・いやはや。
作・演出 泊篤志太平洋戦争後、日本から独立した国家「糧流(カテル)島」。国民のほとんどが主な産業である鉄鋼労働に従事しているが、50年間に渡る実質的な鎖国政策によって経済は行き詰まり、国民は貧困と飢餓に苛まれていた。そんな生活の唯一の楽しみが「卓球観戦」である。国技である卓球の選手は国から特待労働者として優遇されていた。卓球は糧流島を東西南北の4つに別け競い合っていたが、彼らの関心は国内にはなく、世界選手権やオリンピック参加を夢見ていた。ある時、卓球部から島を脱出し射殺された者が出る。汚名挽回に躍起になるコーチだが、残された者の中に、華玉木(ハナダマキ)誕生会に紛れて脱出を渇望している者が居た。そんな中、天才卓球少女が入部し、日本からは雑誌記者が来島、部内がにわかに騒がしくなる。そして、選手達の「愛国」と「脱走」をめぐる物語がはじまる・・・。
舞台はパラレルワールドの架空の国「糧流島」。沖縄が独立したような状況なのだろうか?いや鉄鋼となると九州か?日本に戦争を仕掛ける立場という事では北朝鮮とみるべきか。そんな状況下での卓球選手の葛藤を描いた作品である。泊篤志が『生態系カズクン』で第3回日本劇作家協会新人戯曲賞を受賞後、初の書き下ろしの新作となるが、これと言って心に響かない作品であった。決してつまらないわけではない。途中までは眠気に襲われもしたが、日本への亡命を企てるあたりからおもしろくなってきた。架空の国というカーテンを引き、日本を批判しているのもわかる。架空の敵国には北朝鮮の姿が見え隠れもしている。が、だから何?って感じなのである。具体的に表現できないのがもどかしいが「重いだけで取りとめの無い作品」としか自分は受け取れなかった。自分の感性が弱いのだろうか。あまりにも自分の環境と違い過ぎるからなのだろうか。などといろいろ考えてはみたが、一向に答えは見つからなかった。でも、まぁいいや、って程度の作品でもある。
作・演出 宮藤官九郎開局する為にテスト放送を開始した衛星放送局ウーマンリブTVを舞台に、オナニーに励む女プロデュサー、有害無益な企画ばかりを考えている放送作家、心配性なディレクター、無許可でパラボラアンテナを作る電気屋夫婦など、奇妙な人々の奇妙な人間模様を描いていく・・・。
97年の『ずぶぬれの女』、98年の『ニッキー・イズ・セックスハンター』と、ここ最近の宮藤官九郎作・演出のウーマンリブは、はずれがなかったので楽しみにしていたのだが、今回は大きくはずれであった。もぉ〜『熊沢パンキース』(作・演出:宮藤官九郎)に匹敵するつまらなさである。オープニングで映画「メッセンジャー」のパロディ「シルバーメッセンジャー」(ばばあがメッセンジャーとなり危なげに荷物を届けるみたいな)の映像からスタートし、まずまず面白かったので期待したのだが、そのオープニングは特に本編とは関係がなく、まったくの肩透かし。そんな「考えついたから作ってみました〜」みたいな発想が尚更つまらなさを増長させていた。
物語は開局する衛星放送ウーマンリヴTVと地上波びわこTVとの戦いを描きつつ、TV番組のパロディという形で進んで行く。TV番組のパロディと言う事でまず頭に浮かんだのが、1998年に脚本:宮藤官九郎、演出:河原雅彦でHIGHLEG JESUS“H.J総代、演劇村への報復スペシャル”として公演が行われた、悪夢のようにつまらなかった『お茶の魔』であった。出演者として河原雅彦も出ているし・・・これは悪夢の再来か・・・と危惧したのだが、心配した通りの最悪の出来であった。TV番組のパロディが如何に難しいか『お茶の魔』で味わったはずなのに全然生かされていない。その進歩のなさが残念でならない。
ウーマンリヴTVの社長が『ずぶぬれの女』の主人公であったアサブキアサコ(猫背椿)と言うのもどうかと思う。こういったキャラの使い方もありだとは思うが、今回はどうもしっくりこない。『ずぶぬれの女』が名作だっただけに、今回のようなキャラの使いまわしは納得がいかない。旧作までも駄目にしかねない暴挙である。
で、結果、話がごちゃごちゃで眠くなる。もう眠気を堪えるので必死という感じであった。役者を野放しにする宮藤演出もいい時はいいのだが、今回は役者が自分勝手に突っ走っている感じで楽しめない。おもしろい役者を揃えたとは思うんだけど・・・。ただ、大堀こういちだけは勢いだけではない、妙なおかしさを醸し出していたのが嬉しい。脚本も勢いだけという感じで、もっともっと練って欲しかった。まぁ、結局、ところどころおかしいところはあるものの全体としてはつまらない作品、と言った感じであった。
“大人計画”自分が観た公演ベスト
1.Heaven's Sign 2.冬の皮 3.ファンキー 4.ふくすけ(日本総合悲劇協会) 5.愛の罰(初演) 6.カウントダウン 7.ちょん切りたい 8.ずぶぬれの女(ウーマン・リブ) 9.なついたるねん!(松尾スズキプレゼンツ) 10.母を逃がす 11.ドライブイン・カリフォルニア(日本総合悲劇協会) 12.生きてるし死んでるし 13.ニッキー・イズ・セックスハンター(ウーマン・リブ) 14.インスタントジャパニーズ 15.紅い給食(大人計画・俺隊) 16.イツワ夫人(部分公演) 17.猿ヲ放ツ 18.愛の罰(再演) 19.SEX KINGDOM 20.ゲームの達人 21.ウーマンリブ発射!(ウーマン・リブ) 22.熊沢パンキース(部分公演)
原作 エウリピデス
構成・演出 宮城聰暗闇、耳障りな不快な音が流れている。明りが灯る。舞台は、昭和の初めの朗読会の会場。男達は会場に連れてこられた女の中から役にあった女を選ぶ。今回のお題は「王女メディア」。そして、劇中劇の形で幕が上がる・・・。
ギリシアの都市国家の王子イアソン(川相真紀子/大高浩一)は、王位を継ぐための条件としてアジアへの遠征を課せられ、小アジア半島の東・コルキスに向かった。コルキス王の娘メディア(美加理/阿部一徳)はイアソンに心を奪われ、自ら父を裏切ってイソアンに力を貸し、イソアンを勝利に導いた。そして彼と共にギリシアへ渡った。しかし、叔父の悪意から故郷に住めなくなったイソアンとメディアは、別の都市国家に落ちのびる。二人の間には息子も生まれ、メディアはここで平凡な一人の妻として貧しくも幸せに暮していた。だが、イソアンのほうは、王族として生まれながら一介の落人として人生を終えていくことに耐えられず、この土地の王家の娘との婚姻を図る。ちょうど男の跡取りがいなかったこの土地の王は、二人の結婚を喜び、前妻メディアが害を及ぼさない様に追放を決定する。夫に捨てられてひたすら泣き暮していたメディアは、その上に所払いを命じられ、絶望の淵に追い詰められる。その究極の逆境でついに彼女の感情は爆発し、このうえなく激しい復讐が始まる。メディアはこの土地の王とその娘を殺害する。さらにイアソンを敢えて殺さず、彼を苦しめるために自分が産んだイアソンの息子を殺す。たった1日のうちに全てを失ったイアソンは呆然と立ち尽くす。王女メディアは息子の死体を抱えて悠然とこの地をたち去る・・・。
エウリピデスのギリシャ神話。祖国を捨てて嫁いだ夫に裏切られた王女メディアの復讐劇である。今回はストレートに「王女メディア」を舞台には上げず、昭和の初めの朗読会という形をとり、メディアの復讐劇と共に、朗読会を開いた男達への復讐、総じて男社会への復讐という何層にも重なった復讐劇になっていた。パンフレットに宮城聰の言葉が載っており、そこに書かれた文章がこの芝居の要点を語っていた。
宮城聰がこの原作を読んで心にひっかかったのが、直接夫に復讐するのではなく、「子殺し」により夫への復讐を果たすとメディアが考えた事だったらしい。子供が死んで痛めつけられるのは父親よりむしろ母親ではないだろうかと。しかし「跡取り」というキーワードにより、メディアは「子殺し」を決行する。イアソンとの間に産まれた子供が女の子だったら、メディアは子供を殺さなかったのではないか、と宮城聰は付け加えている。そして、メディアの復讐は「男から男へと家督が相続されていく」というシステムそのものへの復讐ではないか、と結論づけている。まさに、宮城聰のテーマの一つである男尊女卑社会への警告である。さらに宮城聰は、『2500年前にギリシアで確立された「男性原理」による統治が、地球という母の息を止めようとしている。「母殺し」寸前の息子=男性原理による支配を滅ぼさねばならない。「母による息子殺し」は、息子が取り返しのつかない母殺しをしでかす直前の、痛切な「息子救済」なのです。』と結んでいる。ここまで断定されると正直言って、「それってどーよ」と反発したくなる。跡継ぎとなる息子を殺す事が「血を絶つ」という意味で、復讐と繋がるというのは理解できる。しかし「母による息子殺し」が「息子救済」にまで飛躍する考えには納得がいかない。人殺しを正当化しすぎてないか。そして「男性原理」という考えも、すでに崩壊の道を歩み始めているので今更言う事ではない、という思いが心をよぎる。宮城聰の論理からすれば、昨今の子づくりを拒絶する妻は、子孫を残さない=家系を絶つという復讐を始めていると言ってもいいのではないか。しかし、それにより決して母なる地球は救われてはいない。ならば宮城聰の男尊女卑社会への警告は無駄ではないか・・・。
芝居の感想から外れてしまったレビューになってしまったけど、まぁこんな時もあるわな。今回も美加里の登場シーンは素晴らしく、鳥肌ものであった。当然の事だけど追記しておきます。美加理に見とれた1時間半って言っても過言じゃない。しかし、『エレクトラ』で感じた、圧倒的な感情(復讐の怨念)は、今回は弱く、衝撃度も低め。回を重ねていくと面白くなる舞台かなっとは思ったけど。
“ク・ナウカ”自分が観た公演ベスト
1.エレクトラ 2.桜姫東文章 3.天守物語(増上寺本堂前野外特設ステージ) 4.王女メディア 5.天守物語(彩の国さいたま芸術劇場) 6.ルル