99年12月はこの12公演

 


サモ・アリナンズ プロデュース「ガッツ団」

下北沢駅前劇場 12/2〜12/8
12/4(土)マチネ観劇。座席 自由(10列目中央)

作・演出 倉森勝利
構成 小松と倉森勝利ブラザーズ

 舞台は横浜元町にあるパラダイス団地。その屋上にはパラダイス団地の住民を思い通りに支配しようと企んでいる“将軍”と呼ばれる男(横山利彦)が住んでいた。その手下の中村は、ガッツ団を悪の手先にする為に、ガッツ団の一員である自分の子供・くにお(久ヶ沢徹)を悪の道に引きずり込み、リーダー・小林(久保田浩)を誘拐した。そして、くにおを新たなリーダーに新生ガッツ団が組織された。ガッツ団の一員であるヒロシ(小松和重)は、ガッツ団が悪人に利用されていることに気づき、誘拐された小林を捜し出し、新たなガッツ団を組織する。そして、くにおが率いる悪のガッツ団に戦いを挑むのであった・・・。

 少年探偵団ものにスターウォーズを加味したような物語展開である。と書くとなんか雄大な感じもするが、それほどのものはない。ダース・ベイダーを意識した“将軍”が登場することによって、スターウォーズぽいって感じただけで、特にスターウォーズのパロディをしている訳ではない。ベースは60年代の少年が活躍する冒険活劇って感じ。そして、作品自体はいつものように見事なチープさであり、ユルユルなのである。さすがサモ・アリと言いたい。チープさが魅力だなんて書くと失礼にあたるかもしれないが、私的にはこれがサモ・アリに対する大賛辞なのである。今回の「ガッツ団」は過去何回か上演されたシリーズものらしいが(過去の作品を観ていないので不明なのだが、話は繋がってないと思う。たぶん。)、舞台となるパラダイス団地という限定されたこじんまりとした世界感が、なんかとてもいい。その世界感ってのが、実は子供の世界(行動範囲)をみごとに表現していたのではないかと思う。“単純に団地を舞台にしただけ〜”という声がしないでもないが、子供の行動範囲を深く見据えての演出だと私は確信している。その洞察力の深さは、ただ単にばか芝居じゃないという証であろう。ちょっと過大評価かもしれないが・・・。

 で、例によって、カミカミの台詞・かみあわない台詞は健在であり、その場の緊張感のなさが最高におかしいのである。そんな空気を肌で感じられる、狭いスペースでのサモアリは、天下無敵であると豪語したい。駅前劇場は狭くて辛い、という声も確かにあると思う。あのキャパでの公演に無理があるのもわかる。しかし、前回の公演時も書いたが、あのくらいのスペースが本当に最高なのである。駅前劇場クラスの劇場で、いつまで公演しているのかわからないが、マジに「脂のノッてる今観ないでどうする」って言いたい。でも、次回公演は本多劇場なので、きっと行かないと思う・・・。そんな私です。

 あっ、付け足しみたいになってしまったが、客演の久保田浩の違和感満々だけど馴染んでいるみたいな存在感が、なかなか絶妙なサジ加減でいい具合に溶け込んでいたと思う。以前観た『ロボイチ』での楠見薫の客演といい、スライムピープルプロデュースでの後藤ひろひととの共演といい、サモ・アリに遊気舎が絡むとおかしさが倍増され、自分のツボにはまってしまう傾向にある。サモ・アリ単独だっておかしいんだけど、それ以上って意味で。
 久保田浩も含め、今回も本当に素晴らしい馬鹿者達が集まったと大惨事、もとい、大賛辞を送りたい。サモ・アリにはこのままチープで、ユルユルな芝居をいつまでも続けて欲しいものである。


“サモ・アリナンズ”自分が観た公演ベスト
1.ガッツ団
2.ロボイチ
3.ホームズ
4.スネーク・ザ・バンデット
5.蹂躙

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少年王者館「絶対 相対/キット アイタイ」

神楽坂die pratze 12/2〜12/5
12/4(土)ソワレ観劇。座席 自由(6列目中央)

作・演出 天野天街

 開演前、舞台を眺めているとライトの光りに反射してキラキラ光るものが見えた。初め光に映るほこりかと思っていたら、パウダァのニホイ(匂いではなく“ニホイ”って言葉の響きと文字が、その時頭の中を駆け巡った)が漂ってきた。それは隣に座った女性の香りだったのかもしれないし、目の前の風景から匂いの記憶が蘇ってきて感じてしまった錯覚なのかもしれない。でも、確かに自分の目の前にはパウダァが舞っていたのである。
 そんな中で幕があく。舞台正面におなじみの開閉する障子とその手前にちゃぶ台。いつもだと、昔懐かしいどこかの路地裏の長屋というイメージの舞台装置なのだが、今回は白を全面に出していた。その“白”のイメージが自分の中では前作『パウダァ』と一致し、“死の世界”を連想せずにはいられなかった。

 物語は、イメージ的な展開が強く、書き記す事ができない。観ながら書いたメモにも文字が記号のように並んでいるだけで、ストーリー的な事が全然解読できない。その上、思い出せもしない。そんな舞台だが、自分的には『パウダァ』の続編的作品と言うか、その世界感をイメージで見せたという舞台として捉えた。吉田イチロー(水谷ノブ)にまつわる、一連の物語(だと思っているのだが、それさえ定かでない・・・)は、“夢”という文字を解体して表現したシーンで全て語られていたように思う。「夢」という漢字が解体され「キットアイタイ」となり「サヨナラト」となり「7月1日」「ヒトゴロシー」「夕暮」「夏と冬を組み合わせた“なふ”」「悪夢」「葬」と変化していく。夏休みと冬休みが重なった懐かしさを感じつつも、「イマワノキワ」と言う言葉、指に集るハエ、「黄泉から来た」などの死のニホイが加味されていく。ただ、最後のシーンで文字を追ってしまい、肝心なところを聞き逃してしまったのが心残りでならない。そこを聞き逃してしまってはこの芝居の意味がない、と言われてしまうかも知れないが、短期間の公演だった為、再度観る事ができなかった。

 当初出演者の名前にはゴロと夕沈しかなかったし、この短期間の公演に加えて、神楽坂die pratzeという小さな劇場なので、軽い感じの芝居なのかと期待もせずにいたが、幕をあけてみたら通常公演とほぼ同じメンバーが揃っており、コンパクトながらも濃密な舞台が展開していった。非常に満足度は高い。ただ、暑かったのを除いては・・・。無限に続く踊りの中で、無表情に踊る中村榮美子がむちゃくちゃ良かったのが印象深い。「絶対 相対」と書いて「キット アイタイ」と読ませる題名もなかなか王者館らしい。完全には作り込まれていないという印象もあったので、もっと練り込んで是非とも再演して欲しい作品である。


“少年王者館”自分が観た公演ベスト
1.パウダア
2.OSHIMAI〜くだんの件
3.それいゆ
4.マッチ一本ノ話
5.絶対 相対/キット アイタイ

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猫ニャー「パンダの致死量、6リットル」

フジタヴァンテ 12/1〜12/7
12/5(日)観劇。座席 自由(招待:最後列中央)

作・演出 ブルースカイ

 都下の小学校で食中毒が発生した。東京保健所は角田牛乳工場が製造する“角田低毒牛乳”が食中毒の発生源であろうと睨み、人体実験のエキスパート被験者集団“331部隊”を送り込んだ。331部隊のメンバーは隊長のキャプテン杉山(ブルースカイ)、サブゼロ(小村裕次郎)、ネバーダイ(池田エリコ)、ミスタースコーピオン(崎野雅司)、ラストイヤーボーイ(大口誠)の5人。しかし、キャプテン杉山は、実験地で行方不明になっていた。代わりにまだまだ未熟なショーコ(島田圭子)を加えた5人が、角田牛乳工場に乗り込む事になる。角田低毒牛乳VS331部隊の命を賭けた熾烈な戦いが切って落された。角田牛乳工場を経営するヤスコ(池谷のぶえ)、ノリコ(乙井順)、マルタ(西部トシヒロ)の運命や如何に・・・。ショーコは一人前の人体実験のエキスパートになれるのか。隊長のキャプテン杉山の行方は?背後に潜む巨悪の影・・・そんな様々な問題を抱えて展開する“本格近未来SF調コメディ”。

 パンフの挨拶文でブルースカイはマトリックスを8回も観たと書いていた。8回目の1時間を過ぎたところで劇場から出たらしいが、観に行ったのは事実らしい。何回目かを一緒に行った知人の証言もあるのでまず間違いないと思う。キアヌ・リーブスもなかなか良かったし、自分もついDVDを買ってしまったくらい面白い映画だとは思う。ので、完全否定はしないが「8回も観る映画かぁ〜。」とは言いたい。それも、映画館で8回とは頭が下がる。私にはそんな金がない・・・いや、それはいいんだが、「自分でも気づかないうちに『マトリックス』の影響を受けている部分もあるかもしれません」とも挨拶文には書かれてあったが、そりゃぁ確信犯でしょ、と言いたいくらいに全編『マトリックス』の影響を受けていた。しかし、そうは言っても、その雰囲気というか衣装だけというか、そんな感じだけなので、“マトリックス臭い芝居”って言った方がイメージ的には近いかと思う。そんなイメージだが、いつも通りの脱力感が満喫できるすばらしい芝居であった。
 そもそも“角田低毒牛乳”って何?ってところから不条理な世界にはまる。死なない程度に毒を混入した牛乳がブランド名になっているのって何?そんな牛乳飲んだら食中毒になるっしょ。ってな部分では誰も突っ込まない。そのつかみどころがない展開に大笑いである。『鳥の大きさ』や『山脈』のような破壊的なナンセンス構築を期待していた人には肩透かしだったかもしれないが、もともとへなちょこさが好きだった私には今回の作品もニヤニヤのしっぱなしであった。聞いた話によると、初日はきっかけが全然駄目だったらしく、自他共に認める最低さだったらしいのだが、日が経つにつれ完成度が上がったのだろう、私が観た回は笑いの間が絶妙にへなちょこで、完璧だったと言っても過言でない。無意味に長いのもご愛敬で、無意味さのおかしさを堪能できた。山ほどの検尿カップで飾る壮大なラストシーンなんかも凄くて、感動で涙が出た。ウソだけど。

 この作品で大阪に乗り込んだ猫ニャーだが、小村裕次郎氏の話によると、笑いに関しては大阪の方が反応が凄かったそうで、「どっかん、どっかん受けてました。」(小村談)と喜んでいた。東京ではクスクス笑うところでも、大阪ではゲラゲラ笑うそうである。その笑いが心地よかったのか、また大阪に行きたいと劇団員は大いに満足だったみたいだ。しかし、金銭的な事を考えると何かのフェスで呼んでもらわないと行けないだろうけど・・・。って余計なお世話ですね。大阪公演の動員数は、4回公演で530人との事。数年前、大阪では無名の猫ニャーをJAMCiで紹介した自分としては、ほっと胸を撫で下ろす思いだ。

 付け足しみたいな形になってしまったが、東京保健所・本間司令官役で、元健康の藤田秀世が客演し、いい味を出していた。作・演出のブルースカイが役者として登場したのも嬉しい限りであった。


“猫ニャー”自分が観た公演ベスト
1.山脈(猫100℃ー)
2.鳥の大きさ
3.弁償するとき目が光る
4.長そでを着てはこぶ
5.MY LITTLE MOLERS〜もぐらたたきの大きさ
6.フォーエバービリーブ
7.パンダの致死量、6リットル
8.不可能美
9.ポセイドンのララバイ
 

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にんじんボーン「オヅ君が来た日」

ザ・スズナリ 12/1〜12/7
12/6(月)観劇。座席 自由(7列目舞台に向かってやや左側)

作 村上マリコ
演出 宮本勝行

 ストーリーはパンフに書いてあったものに、役者名を付け加えたり、ちょこっと変えてみたりして転記させて頂きます。(無許可御了承ください・・・)
●第一景「千客万来」
 時代が平成になって数年後、夏の終わり、小津安二郎と芝居をこよなく愛する劇団の作家・津村和人(山口雅義)の高円寺のアパートには小津安二郎監督作品「お早う」のエンディングタイトルが流れていた。この日、津村のアパートにやって来たのは、毎週日曜日にやってくる川野賢一郎(飯田茂)と五年ぶりの再会となる広田誠(浜幸一郎)。そしてサバキジ模様の野良猫一匹(声:蒲田悟)だった。
●第二景「風邪のあとさき」
 9月の第一週目、津村の恋人ナオこと石井直子(松本貴子)にうつされた津村の風邪もだいぶよくなったらしい。劇団の演出家・小林洋介(村越保春)の提案でこれから見舞いに来る劇団のプロデューサー・花田アキラ(宇奈月慎太)を騙すことに。先週、名前を付けてゴハンを与えはじめた猫・オヅ君は、まだ、皆に馴れていないようである。
●第三景「いろいろ動物園」
 9月の第二週目、日曜日。川野賢一郎が遊びに来ている。そこに小林が劇団員の岡崎文也(原寿彦)と新人の市川広美(遠藤真美子)を連れてやってくる。劇団員全員に順番で小津監督のビデオを観せているのだ。オヅ君は大分馴れて来たようだ。毎日ゴハンの時間に庭に来るようになる。
●第四景「北から来た友達」
 9月の第三週目、津村の茨城の幼なじみチュン(高木尚三)と岡田洋子(阿部美加子)が遊びに来る。津村になにかお願いがあるらしい。隣の京子(大坪裕美)が「私も猫を飼いたい」と相談にやってくる。オヅ君もすっかり馴れ、津村は可愛くて仕方がない。
●第五景「新劇の田島さん」
 9月の第四週目、新劇から田島さん(下村恵里)がやって来る。お相手を任された岡崎と市川。あまりの感覚の違いに驚くばかりである。田島さんは相当の役者バカらしい。予防注射におびえてしまったオヅ君。キャリーバックが苦手になる。
●第六景「追い風、向かい風」
 10月の第一週、岡崎の兄・裕太(蔵澤満)が訪れる。某テレビ局のディレクターである裕太は、自分に津村たちの劇団を任せるように言う。劇団、コント、メジャー、芝居、お金・・・。一人考える津村。オヅ君はもう野良猫の面影もなく、毛並みも肉付きも良くなって来た。
●第七景「引っ越しの日」
 10月の第二週、練馬への引っ越しの日。荷造りとお掃除をする津村、小林、川野、花田、浅井伸彦(山岸辰也)。準備万端、出発しようというのにオヅ君は帰ってこない。何も無くなった部屋で、津村、小林、ナオはオヅ君の帰りを待つ。やがてオヅ君はおなかを空かせて帰って来る。待っている人の所へ。

 宮本勝行がかつて主宰した“TEAM僕らの調査局”を振り返る初めてのノンフィクションであり、にんじんボーンとしては2年ぶりの新作らしい。らしいと書かざるおえないのは、私は今までにんじんボーンを観ていなかったからであり、TEAM僕らの調査局においてはその劇団名から意識的に避けていた感が自分にはあったからである。この劇団名からおもしろい芝居を観れるとは想像できなかったのである。申し訳ないが。そんな自分が宮本勝行の作品に触れたのが、2月にウッドチップスというユニットで公演された『マンガ君』。その時に感じた「引き込まれる面白さ」が、自分の中で宮本勝行の存在を大きなものにしていた。作・村上マリコ、演出・宮本勝行での組み合わせが最高の芝居を作るという噂も聞いたので、期待に胸膨らませての観劇となった。

 チラシの言葉を借りれば「秋の始め縁側に猫がやってきました。その猫にオヅという名前をつけました。ちょっと昔、これは本当にあったお話です。」と言うように、宮本勝行とオヅ君の実話らしい。ただ、実際の人物設定とは若干違い、津村と小林という二人の人物が「宮本勝行」の分身となっていた。で、肝心の芝居はどうかと言うと、大笑いしたのに切なさや穏やかさが残る素晴しい作品に仕上がっていた。宮本勝行に対する知識が皆無に近かったのが幸いしてか、ノンフィクション芝居というものは微塵も感じず、純粋に1本の芝居として観れたのも良かったと思う。まぁ知り抜いている人には、知ってるがゆえの面白さもあっただろうが・・・。

 野良猫(オヅ君)がやってきてその男の生活を眺める。そして、その男の生活にちょっと触れる。そして、いつしか生活の一部になっていく・・・。そんな猫の視線、存在感がいい味を出していた。姿が見えずに声だけの存在というのも想像をかき立てられていい。猫嫌いな自分ではあるが、オヅ君の存在により、ゆっくり流れる時間を気持ち良く過ごせたと思う。小津安二郎監督作品をまともに1本も観ていない(なんとバチ当たりな!)自分ではあるが、きっとこんな感じなのだろうってのが伝わってきた。いい意味、縁側が似合う日本人っぽい作品であった。今後も観続けたい劇団である。(今まで観なかったのが悔しい・・・)

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NODA MAP「パンドラの鐘」

世田谷パブリックシアター 11/6〜12/26
12/10(金)観劇。座席 M-26

作・演出 野田秀樹

 舞台は第二次大戦前の長崎。考古学者・カナクギ教授(古田新太)と助手(入江雅人、ハ嶋智人)たちは、歴史の謎に惹かれ、ピンカートン未亡人(銀粉蝶)の財団の発掘作業を行なっていた。そして、掘り出されたのは、土深く埋もれた巨大な鐘であった。その鐘には歴史から葬り去られた古代王国滅亡の秘密が隠されていた・・・。
 時代は溯り、古代王国。そこに暮らすのは海賊を生業とした人々。王位を狙う女王・ヒメ女(天海祐希)は、兄の狂王(古田新太<二役>)を幽閉して死んだことにし、葬儀を取り行なった。そして、偽の死体を処理した葬儀屋たちも、証拠を隠すために一緒に埋めてしまおうとするが、ヒメ女は、その中の一人、ミズヲ(堤真一)に興味をもち、命を助ける。ミズヲは葬儀屋の傍ら異国で見つけた宝物を持ち帰ってきては、ヒメ女に差し出していた。ある時、パンドラという場所で見つけた巨大な鐘を王女の元に持ち帰ってくる。その鐘は、人が死ぬ度に鳴る不思議な鐘であった・・・。
 古代と現在、「パンドラの鐘=パンドラの箱」を巡り展開される人間模様。そして、古代と現在が交錯した時、謎が解明される。
 人類が開けてはならないパンドラの箱を開け、「もう一つの太陽」=原爆を作ってしまった事による悲劇、天皇の戦争責任と言った、重く批判性を持つテーマをはらみながらも、物語はミズヲとヒメ女の切ない恋物語として展開していく・・・。

 まずは、オープニングの素晴しさを特筆したい。自分が芝居を観るにあたり、オープニングの善し悪しというのが、作品に対しての評価を左右する大きな要因にもなっている。中には例外もあるが、オープニングで芝居に引き込まれない作品は、そのままつまらないままで終る。初め良ければ終り良しなのである。今回の大きな紙を使って瓦礫の山を表現する演出は、今まで観たなかでも5本の指に入る素晴しさであった。舞台を覆った紙を破り古代王国が出現するシーンに於いては、瞬きするのがもったいない程に引き付けられた。NODA・MAP的には「Right Eye」で見せたモノクロのシーン、「ローリング・ストーン」での塔が崩壊するシーンに匹敵する素晴しさだと思う。
 自分の考え過ぎかもしれないが、その紙を使った演出は、紙=神、神=天皇だった時代をも表現しているのではないだろうか。その紙を破って舞台が始まるのは、天皇=神という神話の崩壊をも表現していると私は感じた。

 当初、蜷川幸雄に新作を書くという企画だったらしいが、NODA・MAPの公演での新作を書いている時間がなくなり、それならば同じ脚本を野田秀樹自身と蜷川幸雄が同時期に演出しようという話が持ち上がり、この企画になったらしい。しかし、この話を聞いて、ひねくれ者の私には、この筋書を素直に受け入れる事ができなかった。作品を観るまでは知らなかったのだが、今までにない批判(それも天皇に対して)が込められた作品を蜷川幸雄に書き下ろした野田秀樹の意地悪さ。それを受けて“お前もやってみろ”と反撃に出た蜷川幸雄。そんな姿がどうしても頭に浮かぶ。でも、脚本が上がる前に、同時期に同じ作品を別の演出でという企画が持ち上がったはずなので、あくまで空想の話。まぁイメージとしてそんな感じを受けてしまっただけである。それにしても今まで架空の国の物語という感じで、その作品に深いメッセージ性を持たせてなかった野田秀樹が、何故、戦争責任や天皇批判に出たのだろうか・・・。ラスト、原爆投下を阻止するため死を選んだヒメ女。そのシーンの天皇批判はこれまでになく強烈であった。ただ、全体的に軽快に描く事により、重いテーマであるが、心地よく終劇を向かえられた。神話同様、パンドラの鐘の中に最終的にあるものは“希望”である・・・ってラストシーンは、ちょっとクサイけど心にグッと伝わるものがあった。この作品で野田秀樹は、第7回 読売演劇大賞の最優秀作品賞を受賞した。

 同じ脚本を違う人間が演出するという事で両作品を比較しがちだが、私の判断はランキングで判断してもらうとして、勝ち負けは書かない。って、ランキングで一目瞭然だろうがってか。勝ち負けを論じるのは愚か、とかどこかで評価されていたが、NODA・MAPのパンフにはあきらかに敵対心が見えている。『「勝負」とかそういう熱くて近頃カッコ悪いとされているものから逃げられない。…中略…私はいまだに自分がつくる芝居がこの世で一番おもしろいと思っている。どちらがこの世で一番おもしろい芝居かぜひ見比べて欲しい。』と、ここまで書いている。ここまで自信満々だと、逆らって「つまらない」と言いたいのだが、私としてはNODA・MAP版の方が面白かったのである。(あっ、書かないとか言いながら書いてしまった。)野田秀樹の本は好きだが演出が嫌いという人が知人でいるが、私は野田の作品は野田自身で演出してこそ面白さがでてくるのではと思っている。それは今回の芝居を観て確信となった。蜷川幸雄は「野田秀樹の演出では本の面白さが出ない」とやんわり批判していたが、今回両作品を観てそれは違うなと感じた。野田の作品をリアルに演出してしまうと面白さはなくなり、小難しい作品になってしまう。今回の作品は特に。しかし、そこには、どちらが自分の感性に響くかという個人レベルの感情が入っているので、作品の出来の善し悪しの判断ではなく、単に好き嫌いの影響が大きいとも言えるが・・・。

 他の主な出演者は、タマキ−富田靖子、ハンニバル&男−松尾スズキ、ヒイバア−野田秀樹と超豪華。特に松尾スズキと野田秀樹の掛け合いは絶妙であった。自分にとっては、これこそが、本当の意味での劇的出来事だったかもしれない。

 最後に余談になるが、参考の為に「パンドラ箱」の神話をさくっと書いておきます。
 ゼウスは土からパンドラを作り、生命を吹き込んだ。アテナは、知恵と紡いだり織ったりする技を与え、アプロディティは美しい肉体を、アポロンは美しい歌声と病気を直す力を与えた。 最後にヘルメスが、美しい彫刻の入った金の箱を与え、「その箱には見てはならない不思議な物が入っているから決して開けてはならない」と言い、好奇心を与えた。パンドラはエピメテウスと結婚し、幸せな生活を送っていたが、金色の美しい箱の中味が気になって仕方がない。パンドラは、とうとう我慢出来なくなって、箱を開けてしまう。すると、箱の中からは、病気、貧困、犯罪といった人類を悩まし続けるあらゆる災害が飛び出してきた。パンドラはあわてて箱を閉めたが、たった一つを残して全ての災いは飛び出てしまった後だった。箱の中に残ったのは、「前兆」。これを阻止出来たのは不幸中の幸いで、これが飛び出していたら、世界中の人間が人生でこれから何が起こるか予測出来てしまい、“希望”を抱くことが出来なくなり、人類は破滅していたに違いない。人間は、災いから生き残ることは出来ても、希望無しに生き続けることは出来ない・・・。
 こんな話。


“野田地図(NODA・MAP)”自分が観た公演ベスト
1.キル(初演)
2.パンドラの鐘
3.Right Eye
4.半神
5.ローリング・ストーン
6.贋作 罪と罰
7.TABOO

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故林プロデュース
「真顔のわたしたち〜親族代表/漢字シティ・プレゼンライブ〜」

六本木キャラメル 12/10〜12/13
12/13(月)観劇。座席 自由(招待)

作・演出 故林広志

 故林広志の前説に続き、お笑いユニット“親族代表”<嶋村太一(劇団桃唄309)、竹井亮介、野間口徹(rust-Kindergarten)>の「7時のどうでもいいニュース」(タイトルみたいなものは勝手に付けてますので正式ではありません。あしからず)で幕が上がる。そして「大病らしい男と医者の会話」「緊急事態なんだけど、優柔不断な救助隊」など、男3人の様々な人間関係から生まれるショートコント5本(だったと思う)を披露。
 続いて、“漢字シティ”の御披露目ライブ。“漢字シティ”というのは、故林プロデュースの新企画名で、“和風テイストにしっとりとした狂気を綴るちょっと長めのショートスケッチ集”である。古き良き日本の昔話みたいな趣から、笑いの世界を引き出すと言う企画であるが、なかなか想像力をかきたてる不思議な空間を作り出していた。今回披露されたのは2本。まず、「女中と作家先生」では、竹井亮介演じる作家と三谷智子が演じる女中との、波長が合わない会話劇が展開される。しかし、真実は波長が合わないのではなく、女中が先を読めてしまう能力を持っていた・・・というもの。それを直接表現するのではなく、ラストまで行くと「あぁ」と頭の中で完結する作りになっていた。三谷智子のしっとりとした加害者(でも自分には、しっとりとしたボケとも映った。いやボケてる訳ではないので、とぼけた不謹慎者と言った方がいいか・・・)に対して、困りまくる被害者・竹井亮介という構図がまさに適役で、笑いのツボにはまる。親族代表の時もそうだが、「困り笑顔」の竹井亮介の「困りの間」みたいなものは最高におかしい。余談になるが、「困った顔をしている時は、実は困ったふりをしているだけで本当は困ってないもんだ」と言うのをどこかで聞いた事がある。それも一理あると思うので、そんなところも今度表現して欲しいと思う。困っているんだか、困っている事を楽しんでるんだか、観ている方が混乱していく不条理な世界って感じも是非観てみたいものだ。2本目は「兄の旧友が訪ねてくる」という感じで、兄の古い友人・植草(嶋村太一)と妹(三谷智子)との会話劇。兄の過去の話をする植草。一向に姿を見せない兄。そこに漂うのは兄の死の影であるが、その事は口にしない。そして、この友人も実は死んでいるのではと思わせたまま、終劇を向かえる・・・。最後まで見せない美学を感じる1品であった。
 そして最後に親族代表による「表面的な社交辞令のニュース」でエンディング。各30分のまさにお試しサイズであるが、故林プロデュースの2000年を試行錯誤する上では重要なプレゼン公演であった。

 まず、“親族代表”であるが、お笑いライブ等で鍛えられたおかげでか、故林作品の緻密なおかしさを三人なりの世界に築きつつあると思う。“つつ”と書いたのは、まだ、まだ脚本の面白さあっての親族代表だからである。以前、新人のコメディアン達が東西(だったか赤白だったか忘れたが)に分かれて競い合う、お笑いバトルに出演する親族代表を観た事がある。ネタより会話で笑いをとっているコメディアンに対し、演劇的な方法で笑いを作りこむ親族代表は、正直言って異端者であった。場にそぐわない空気に、観ている自分もいたたまれない気持ちになってしまったのを思い出す。その時も感じたのだが、あくまで、故林広志の世界であり、そこから一歩出てはいないのである。それがいけないという訳ではないのだが、三人のキャラが見えてくると付可価値的に面白さが湧いてくるように感じる。今現在の親族代表では、親族代表としてユニットを組んでいる価値が少なく、誰が演じても脚本の面白さで笑えてしまうのではないか。そう感じてしまうのが勿体なくて仕方が無い。魅力ある三人なのだから、もっともっと力を出して欲しい。そして伝説的ユニット“ガバメント・オブ・ドックス”を超えて欲しいものである。

 “漢字シティ”の目玉は何と言っても三谷智子の着物姿である。って内容の感想を書く前にそれかい、って各方面から文句を言われそうだが、とても良かったので上げてみた。イチファンとしては「当時はポピュラー2」の看護婦姿も良かったが、今回の着物姿もなかなか良い。芝居の方は、ニヤッと笑いながらも、背筋が寒くなる系の芝居で、自分的には大変面白かった。悲惨な状況を最後まで見せて笑い飛ばすのとは違って、最後は個人個人の頭の中で完結させてニヤッとする感じが心地よい。ただ、その隠された世界が見えてこないとおもしろさが伝わらないという、ちょっと複雑な笑いの世界になっていたのが難物ではあった。覗いてはいけない世界を垣間見たような物語は、個人的にはたいへん好きである。ただ、御披露目会としては気軽に楽しめたが、本公演となるともう少し工夫が欲しいかな、という感じは残った。


“故林プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.当時はポピュラー/奥本清美さん(23才、OL)
2.コントサンプル(スペシャル)〜ガバメント・オブ・ドッグスがゲスト〜
3.薄着知らずの女
4.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Aプロ
5.当時はポピュラー2“北沢順一さん”(39才、医師)/Bプロ
6.コントサンプル/2-99,aG:
7.真顔のわたしたち〜親族代表/漢字シティ・プレゼンライブ〜
 

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「『二代目はクリスチャン』緊急特別バージョン
〜曼陀羅を核攻撃せよ・サイパン純情編〜」

パルコ劇場 12/8〜12/19
12/16(木)観劇。座席 C-6

作・演出 つかこうへい

 宇宙についての前説に続き、舞台はちょっと近未来的シチュエーション。その時代、人間は、釈迦との戦いを続けていた・・・ってな感じ。この部分が未完成の脚本『曼陀羅を核攻撃せよ』の一部らしい。らしいと書いたのは、その脚本をつかこうへいのホームページで公開していたのだが、今は閉鎖されてしまい読み直す事ができなかったからである。残念。閉鎖されるならじっくり読んでおくべきだった・・・、と今さら後悔しても遅いって。釈迦が人間に向かい「麻原を神と崇めろ」みたいなセリフを言い放つ場面がある。その言葉に対し人間が、「あんな奴を神と認められる訳がない」と反発する。それに対し釈迦は、「あんな奴でも神になれるんだという事で神に対する信仰心が深まるんだ」みたいな事をぬけぬけと言うシーンがある。(記憶力が悪い為、セリフ自体は正確ではありません。ご勘弁を。)そのシーンを観て妙に納得してしまう自分がいたのには驚いてしまった。そんな「二代目はクリスチャン」とは関係のない話で導入部分は飾られるが、釈迦をヤクザの親分に据えて本題へと突入する・・・。
 東海村の原子力発電所の下請けをしている神竜組。職業はヤクザである。その神竜組の組長を殺した男・村雨英二(春田純一)。ひょんなことから神竜組の二代目を襲名することとなった純真なシスター今日子(小西真奈美)。ヤクザの組を背負って行くという熾烈な状況の中、父を殺した男を愛してしまった今日子の悲恋の物語・・・。

 85年に映画と小説だけで発表されたつかこうへいの旧作を、つか本人の演出で舞台に初登場させた。最初は神戸を舞台に、“北区オペラ二代目はクリスチャン”と題し、軽いミュージカルのようなものを上演しようとしたらしいが、東海村の事故を見て、急遽別の作品を作ることにしたらしい。その「神戸編」のシナリオも、つかこうへいのホームページに掲載されていたのだが、今現在は見当たらない。急遽変更によりサブ・タイトルも“春田純一スペシャル”から“緊急特別バージョン”に変更された。でも、あまりに急だった為か“春田純一スペシャル”のままだったりする媒体もあったけど・・・。

 さて、その芝居の中味はと言うと、現在つかこうへいが感じているものと言うか、つかの意識を芝居にぶつけまくった“言いたい放題つかこうへいスペシャル”となっていた。最近のつか作品は、自分が作った作品を骨格に、現在の関心事を肉付けするという感じで作り上げている(熱海殺人事件などは顕著な例ではないだろうか)、しかし、今回の『二代目はクリスチャン』は肉付けどころか、肉が付き過ぎて肥満になってしまった。まさに“暴走しまくった”と言っても過言ではない。風の便りで聞く作品の評価も悪評が多かった。確かに、肝心の『二代目はクリスチャン』としての面白さは薄れてしまったのは事実である。しかし、私個人としては、今だから観れるおもしろさを十分に堪能できたので、満足度は高い。ただ、ノーマルバージョンで再度観たいと言う気持ちも、無きにしも非ずだが・・・。

 今回の芝居で、つかの原発に対する思い入れの深さを多いに感じた訳だが、東海村の原発事故が『二代目はクリスチャン』ではなく、『熱海殺人事件/サイコパス』の公演を控えている時に起こったらどうだったろうと考えてしまった。水を得た魚のように作品にさらなる飛躍があったのでないか。大山金太郎の姿がより一層悲しさで包まれたのではないかとかとか・・・。上演するにあたっての取材、メーリングリストによる専門家への呼びかけなど、つかの事件を追及する姿勢は尋常ではなかった。そこからにじみ出た「原発が安全だと言うなら、皇居のど真ん中に原発を作ってみぃ」というセリフに感銘を受けたのも事実である。
 芝居自体は『二代目はクリスチャン』の骨格だけが生きただけの支離滅裂な作品であったという思いは拭えないが、ラストはちゃんと『二代目はクリスチャン』としての終劇を向かえる。シスターの悲しみ・怒りなどは原発という大きな敵を目の前にしてしまった為か、伝わりかたは非常に弱かった。しかし、単に純真なシスターではない女としてのシスターの描き方、女に刀を持たせた時のカッコ良さは、つか芝居ならではの素晴しさであった。そのセリフ・演出にのったシスター役の小西真奈美のカッコ良さは身震いするほどである。ただ、春田純一においては役どころは良かったが(今回の村雨英二は外務省でテロの対策をしている男となっていた)、脚本が迷走してしまった分もったいない使われ方であったとは思う。「スイトンおいしゅうございました。ダイコンめしおいしゅうございました」と出てくる春田純一のくだらなさは、カッコ良さとは裏腹でたいへん良かったんだけど・・・。くだらないと言えば、物語とは関係なく『飛竜伝』を再現するためだけに登場する北島義明の無意味さもばかばかしくていい。つかこうへいのいい意味での“ばかパワー”を感じてしまった。

 今回の公演の前に、つかこうへい事務所主催のメーリングリストには基礎知識として、劇中で使われるであろうセリフが矢のように流れた。「石炭はあと五十年、石油は三十年くらいしかもたないから原子力に頼れと言うのですか。冗談を言わないで下さい。石炭はまだ千年はもつはずです。しかし、ウランは石油に比べて四分の一、石炭に比べれば百分の一程度しかないはずです。つまり、石油や石炭よりウランの方が先になくはずだと言ってるんです。」とか、「臨界事故の後始末は、まだ世界でどの国もやったことがありません。チェルノブイリもスリーマイル島もほったらかしのままです。原子力のノウハウをいつも外国に教わってきた日本が、自力で世界初の大事業を成し遂げることができるのか、世界の国々もきっと注目しているはずです。」とか。そして、ラストの村雨と今日子のシーンが決まったと言って流れてきた脚本の凄さはとんでもないものであった。そのまま流用したいが、許可も取ってないので(許可が降りるとも思えんし)やめますが、巨大組織(国家)に戦いを挑むカッコ良さ、女の強さと弱さ・・・そんなものが入り交じっていて私はぐいぐい引き込まれてしまった。それを考えると今回の物語は『二代目はクリスチャン』で良かったのかもしれない・・・う〜む、優柔不断で考えがまとまらなくなっている。まぁ、しかし傑作と太鼓判は押せないが、凄い作品であったのは確かである。

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阿佐ヶ谷スパイダース「スキャンティ・クラシッコ」

こまばアゴラ劇場 12/16〜12/19
12/18マチネ(土)観劇。座席自由(3列目中央付近)

作・演出 長塚圭史

 『こちらがカチンとくるような女性の言動をメインに描きながら、彼女たちの嘘の部分と男の「本当はどうなんだよ」という視点から描いた作品。』と雑誌には書かれてあったが、別にそんな深い思惑は見えなかった3話オムニバス。

 第一話・・・舞台は“wanpaku toy”というおもちゃ会社の一室。その部署ではおもちゃの新企画を考えているらしい。その部署の上司である朝倉(中山祐一朗)の発案で、口に出しては言えないような問題点を解決しようと、『目安箱』を設置していた。今日は、その『目安箱』を開ける日であった。しかし、開けてびっくり、箱に入っている紙片には、嘘か真か社員達のさまざまな秘密が書き込まれ暴かれていた・・・。
 昔、NHKの教育番組(♪口笛ふ〜い〜て〜空き地へ行ったぁ〜♪って曲がタイトルバックで流れるやつ)で観たようなシチュエーション(記憶違いかもしれないけど)を、会社という組織に置き換えて、テレビでは映せないキチガイを配したって感じで、脚本に目新しさは感じない。しかし、OL鳴門を演じた加藤直美(ベターポーヅ)のいじわるさや、キチガイ加減が最高で見応えあり。家霧巻を演じた加藤啓(拙者ムニエル)もいい味を出していた。

 第二話・・・舞台はとある家族(夫・幸雄(長塚圭史)、妻・千草(澤田育子))が住んでいるマンションの一室。自分の子供がへんてこな三角の中に閉じこもって、出てこれなくなってしまっている。この事故が発端で、事態が悪い方へとゴロゴロ転がっていく様子を描く。子供を助ける為に警察を呼ぼうにも自宅で大麻を栽培しているので呼べない。それが目的なのか家にやってきた友人マミ(笠木泉)とレイジ(伊達暁)は大変な状況そっちのけ。その上、妻の昔の彼氏である三宅(加藤啓)も登場。役に立たない医者(中山祐一朗)そして、OL鳴門(加藤直美)の再登場で物語はピークを迎える・・・。
 この話も第一話に引き続き登場した加藤直美がいい。血まみれで踊る加藤の姿が最高である。なので、それまでの物語は、最後に登場した鳴門が破壊してしまったって感じで、おいしいとこ一人占めであった。

 第三話・・・舞台は第二話のマンションの近くに住んでいる悪徳芸能プロの一室。芸能プロってのは名ばかりで、その実態は、芸能人になれるとマンションに誘っては、純真無垢な少年のあり金をぼったくる“ぼったくりバー”。
 おとなしい変態を演じた加藤啓も良かったが、大手町を演じた今林久弥の見るからに変態っぽい姿が最高。その大手町が凶変する様は、本当に異常さが出ていた良かった。

 阿佐ヶ谷スパイダースは初見である。長塚京三の息子である長塚圭史がどんな作品を作るのか興味はあったが、期待して観たわけではない。マジで。加藤直美(ベターポーヅ)、澤田育子・加藤啓(拙者ムニエル)、今林久弥(双数姉妹)という顔ぶれなら面白いだろうと思い、足を運んだのが事実である。まぁそんな感じで観たのだが、笑いの中に悪意が満ちていて、作品的には大満足であった。しかし、脚本に深みはない。男の視点から女性を描くみたいな事が書いてあったが、そうは思えず、ただ単に一室で起る悲惨な状況を笑いの中に描いたという感じだ。まぁ中心に女性の姿は見えたが・・・。今回は役者が良かったので面白かったが、今後どうだろうって感じは残った。

 出演者の中で一番印象に残ったのは、やっぱり加藤直美。精神に異常をきたしている女を演じたら右に出る者はいないってくらいに素晴しい。惚れ惚れです。そんな女性が身近にいたら嫌だけど、そんな女性を観ているのはとても興味深い。これって精神的に弱そうな女性から痴漢行為をされた事がある自分のトラウマなのだろうか?でもトラウマだったら避けるのが普通だよなぁ・・・。自分の精神構造が壊れているから、壊れている人間に興味があるのかもしれない。う〜ん、よくわからんけど。

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NON GATE THEATRE
「高山広のおキモチ大図鑑“遠き休暇 WINTER VACATION”」

ザムザ阿佐谷 12/17〜12/19
7/18(土)ソワレ観劇。座席 自由(2列目左端)

作・演出・出演 高山広

  1. 哀しきメロディー
    我が子を亡くした父親の葬儀の挨拶。挨拶の途中で携帯の着メロが流れる。ドラえもんの着メロ。しかしそれは子供が好きだった曲・・・悲しくもおかしい物語。
  2. 岬にて・・・〜海をだきしめれば
    轢き逃げを海に向かって叫び、すっきりする男の話。
  3. DOOR MAN(第一部)旅立ち編(再演)
    DOOR MANという仕事に就いた男の物語。ホテルのドアボーイとは違い、自分がドア自体になっている不条理な世界。
    それまでは老舗の蕎麦屋の戸だった男が、古くなったからとお払い箱に・・・。
  4. 今時の社員教育
    日栄の話って感じの時事ネタ。
  5. 今時のタイマン(再演)
    酔っ払いの男対中学生。でも酔っ払いが闘っている相手は女子中学生だったってオチ。今時の腕力も強くなっている女子中学生を題材にした作品。
  6. 公園デヴュー
  7. DOOR MAN(第二部)挫折編(再演)
    様々な店の戸をやるが結局こうるさい性格がアダになって長続きしない。最後にたどり着いた仕事は、おんぼろアパートのドアであった・・・。
  8. GOOD NIGHT GOOD BTE
    酔っ払いと運転手の会話。
  9. DOOR MAN(第三部)完結編(再演)
    主人公の戸が立っていたアパートの住人が歌手として注目を浴びる。そして今の自分があるのはこの戸のお陰だとテレビで紹介する・・・。
    三部形式の人情噺の完結編。最後にジーンとくる作品。

 今回は、一番初めにやった『哀しきメロディー』が面白かったが、全体的にインパクトの弱さを感じた。『DOOR MAN』は第三部で面白くなったが、一・二部がちょっと退屈。まぁ三部への布石だと思えば仕方がないが、辛かった。でも一番印象に残っている作品ではあるんだけど・・・。
 これまでに作りあげた375本の上演作品のリストがパンフに付いてきたが、これだけの人物を作り、物を擬人化させ、そして演じる高山広の凄さを再認識した。ラストはそれまで演じたシーンをフラッシュバックさせるのだが、素晴らしいの一言に尽きる。以前、高山本人から聞いた「頭の中が真っ黒になる」って言葉が蘇った。


“NON GATE THEATRE”自分が観た公演ベスト
1.高山広のおキモチ大図鑑“じゃんわり”
2.高山広のおキモチ大図鑑“遠き休暇 WINTER VACATION”
 

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蜷川幸雄演出版「パンドラの鐘」

シアターコクーン 11/16〜12/23
12/21(火)観劇。座席J-8

作 野田秀樹
演出 蜷川幸雄

 物語のあらすじはNODA・MAP版と重複するんですが・・・
 舞台は第二次大戦前の長崎。考古学者・カナクギ教授(沢竜二)と助手(高橋洋、生瀬勝久)たちは、歴史の謎に惹かれ、ピンカートン未亡人(森村泰昌)の財団の発掘作業を行なっていた。そして、掘り出されたのは、土深く埋もれた巨大な鐘であった。その鐘には歴史から葬り去られた古代王国滅亡の秘密が隠されていた・・・。
 時代は溯り、古代王国。そこに暮らすのは海賊を生業とした人々。王位を狙う女王・ヒメ女(大竹しのぶ)は、兄の狂王(沢竜二<二役>)を幽閉して死んだことにし、葬儀を取り行なった。そして、偽の死体を処理した葬儀屋たちも、証拠を隠すために一緒に埋めてしまおうとするが、ヒメ女は、その中の一人、ミズヲ(勝村政信)に興味をもち、命を助ける。ミズヲは葬儀屋の傍ら異国で見つけた宝物を持ち帰ってきては、ヒメ女に差し出していた。ある時、パンドラという場所で見つけた巨大な鐘を王女の元に持ち帰ってくる。その鐘は、人が死ぬ度に鳴る不思議な鐘であった・・・。
 古代と現在、「パンドラの鐘=パンドラの箱」を巡り展開される人間模様。そして、古代と現在が交錯した時、謎が解明される。人類が開けてはならないパンドラの箱を開け、「もう一つの太陽」=原爆を作ってしまった事による悲劇、天皇の戦争責任と言った、重く批判性を持つテーマをはらみながらも、物語はミズヲとヒメ女の切ない恋物語として展開していく・・・。

 野田秀樹の脚本を野田秀樹自身と蜷川幸雄が同時期に演出し公演する企画の蜷川幸雄版である。
 まず目を引いたのが舞台美術。NODA・MAPとは全然違い、リアルな瓦礫の山を舞台に登場させた。蜷川幸雄の舞台美術で一番印象に残っているのは『マクベス』の仏壇であるが、そこまでのインパクトはないにしろ、核戦争後の風景を想像させる瓦礫の荒野に神社の鳥居というのはなかなかおもしろかった。野田秀樹が、紙を使って神=天皇の神話崩壊を表現したのに対し、神社の鳥居を瓦礫の荒野に取り残すことによって、神としての天皇の崩壊、天皇神話の崩壊を表現していたのではないかと私は感じた。しかし、舞台美術で「これは失敗だろう」と感じたのが肝心の“鐘”の造形である。野田版では、丸く太くいかにも鐘という造りだったのに対し、蜷川版はかなり細くて露骨に爆弾なのである。やはり鐘=原爆とはわかっていても、そこに少しでも想像できる空間が欲しかった。知人の話しによると長崎に落ちた原爆(ファットマン)は、太く鐘のような奴だったらしいが、広島に落ちた原爆(リトルボーイ)は細かったらしい・・・。自分で調べたわけじゃなく受け売りだが、舞台を長崎にしたからには、細部までこだわって欲しかったと思う。

 『野田秀樹のセリフを蜷川幸雄が普通のトーンに落として、言葉の持つ意味を深く表現した作品である』と雑誌に書かれてあった。そうは思うが、蜷川の演出により、やはり面白さは欠落してしまった。しかし、ラストでのミズヲという名前の由来が、原爆後人々が逃げ惑う時に発した「水をくれ」からきているとわかるシーンは、蜷川版の方が断然良く強烈に頭に残っている。同じ脚本であるが、“言葉が心に染みる”って書くとちょっと臭いが、そんなところはさすが蜷川だと思う。「過去を消す未来」「隠そうとした古代」「パンドラの鐘に書かれた悪魔の思いつき」などセリフ自体が頭にこびり付いて残っているものが多い。野田版に続いて2回目の観劇という事もあるが、言葉の表現力においては蜷川幸雄は一枚上という事だろうか・・・。

 役者は野田版も蜷川版も甲乙付け難い。ただ、ピンカートン未亡人の森村泰昌は役を作り過ぎたのか一人浮いていた。ヒイバアとハンニバルは野田秀樹・松尾スズキにはかなわなかったが、ハンニバル役の松重豊は非常に良かった。蜷川版では、ミズヲとヒメ女の恋物語により重点が置かれているように感じたが、そのヒメ女を演じた大竹しのぶの、自由奔放でわがまま、しかしそこがかわいいみたいな人物像がとてもうまく表現されていた。さすが大竹しのぶである。ヒメ女に対して、優しく目を向けるミズヲを演じた勝村政信のカッコ良さもいい。役者のうまさはあるが、人物を描く点においては蜷川幸雄に軍配をあげたい。

 今回のこの企画はなかなか有意義だったと思う。芝居自体が面白かった功績はでかいが、演劇の活性化には、こんな企画も数年に一度はやってもらいたいものだ。ただ、いまだに演劇の話題を野田秀樹や蜷川幸雄が担っているいるのは残念でならない。もっと若い人の力で活路を開いて欲しいものだ。

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少年社中「ELEPHANT〜エレファント〜」

大隈講堂裏劇研アトリエ 12/18〜12/24
12/23(木)観劇。座席 自由(7列目中央)

作・演出 毛利亘宏

 1999年12月24日23時50分。物語は2000年を迎える1週間前、クリスマスの夜から始まる。20数年の歴史に幕を閉じ、閉園となる動物園。そこには、やっかい者の象(辰巳智秋)と飼育員である僕(井俣太良)しか残っていない。町のシンボルにもなっていた象だが、毒殺することになった。飼育員は水に毒を盛ったが、象は一向に口にしない。そんな攻防がくり返される中、突然象が話しはじめた。その内容は、この世界を支えている象を探し出して欲しいというものだった。世界は4匹の象と1匹の亀によって支えられている。そのうちの1匹の象が姿をくらませてしまった。3匹で支えてはいるがあと1週間(大晦日)で限界がやってくるらしい。突然の成り行きで、1000年の時を越え、世の中を支える象を探す旅に出る事となった飼育員。行く手を邪魔する魔女達、そしてハンター。しかし、飼育員は突き進む、世界が未来を迎えるために。そして過ぎ行く世紀を葬るために・・・。

 ラストの言葉はパンフからそのまま引用したのだが、そんな恥ずかしいセリフが似合いの少年社中である。早稲田大学劇研卒の諸先輩方同様、説教臭いセリフもお似合い。しかし、今回は脚本に散漫さが感じられ、全然良くない。舞台に立つ新人の演技も最悪で、一気に現実に引き戻され、醒め切ってしまった。最後はホモ男の話なのか、現実なのか、夢なのか、謎を含んだ終わり方になっていたが、そもそも内容をあまり思い出せないほど駄作であったので、どうでもいいって気はする。救いは、イメクラ嬢を演じた大竹えり。大竹は、公演を重ねるごとに良くなっている。このまま行けば凄くいい女優になること請け合い。今でもいい女優なんだけど、今後の成長を大いに期待したい。


“少年社中”自分が観た公演ベスト
1.アトランティス
2.アルケミスト
3.ELEPHANT〜エレファント〜
4.ゴーストジャック
5.ライフ・イズ・ハード

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NYLON100℃
「テクノ・ベイビー 〜アルジャーノン第二の冒険〜」

本多劇場 12/17〜12/29
12/25(土)観劇。座席 I-19

作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ

 開演前OPENING ACTとして15分ほどゲストライブがあるが、この日のゲストはMOTOCOMPO。芝居の客にライブハウスのノリは期待してないだろうが、淡々と演奏は続く。それに引き続き、NODA・MAP版『パンドラの鐘』の出演者による豪華な前説(映像)で、幕が上がる。『ウチハソバヤジャナイ』に登場した、IQの高さ故に苦悩する天才少年アルジャーノン(犬山犬子)と、教師と秘密組織局員の二つの顔を持つヤン先生(今江冬子)が再びバトルを繰り広げる、『ウチソバ』とはまったく別の物語。

 自分が書いたメモには、17階の8号室に閉じ込められている初代両親を助けに行くアルジャーノン、とは書かれてあるのだが、その他の内容は書いていないし、思い出せもしない。トランクに入る松岡希美だの、数は同じの歌(本当の曲名は知らんけど)♪ちゃげと飛鳥の数はおぉ〜なぁ〜じ♪とか、盛りだくさんのくだらなさでおもしろかったのだが、とっても眠かったのである。所々記憶が飛んでいるのは眠さのせいでしょう、きっと。元健康の大堀こういち、池田成志の客演は嬉しかったのだが、いろいろな役をやったせいか記憶に薄い。『ロンドン→パリ→東京』も駄目だったので、結局のところ、自分はケラのナンセンスコメディーがどうも苦手だと言う事が判明してしまった。所々確実に面白いんだけど、長い時間観ていると飽きてしまうって感じなのである。この芝居で1999年の観劇納め。まぁ笑って終われるのはいい事です。

 この日はクリスマスと言うことで、芝居が終わった後に特別企画のプレゼント大会があった。まぁ〜みごとにはずれたけど・・・。ケラがプレゼントとして持ってきたナゴムレーベルのLPが欲しかったなぁ〜。


“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97
2.ファイ
3.フローズン・ビーチ
4.吉田神経クリニックの場合
5.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ
6.薔薇と大砲〜フリドニア日記#2〜
7.偶然の悪夢
8.フランケンシュタイン
9.イギリスメモリアルオーガニゼイション
10.テクノ・ベイビー 〜アルジャーノン第二の冒険〜
11.ロンドン→パリ→東京
12.下北沢ビートニクス
13.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ

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