2000年8月はこの3公演

 


双数姉妹
「双数姉妹〜神無きフタリの霊歌(ゴスペル)〜」

紀伊國屋サザンシアター 8/3〜8/7
8/6(日)観劇。座席 2-3

作・演出 小池竹見

 物語の概要をチラシから引用すると・・・
−−−−<双数>とは激突すること
 どう見ても納得いかない自分の写真を「よく撮れてるね」と言われたり、自分より明らかに太っていると思われる奴に「太り過ぎだ」と非難されたり、<鏡>は常にゆがんでいて、誰もが自分のゆがみをつかみきれずにいます。そもそも生まれてしばらくは、なんともなく自分の手足をもてあまして、いつも側にいて、同じような手足を自在にあやつる母親を<鏡>にし、「オレってこんなかな」「いや、これぞオレだ」などと決めつけて、逆にどこか母親と自分の違いを感じると、互いにイラだち泣きわめき、父親が新しい出来あいの<鏡>を用意するまで激しくぶつかり続けます。そんな<オレ>と<鏡>とが主従をかけて激突する関係を双数的《duel》であるといい「双数姉妹」は敗北しサルマネという服従を強いられた<鏡>たちの反乱のモノガタリです。−−−

 うーん、難しい。まぁ実際の芝居もなんか小難しいかったような気がする。落ちぶれた女優マリコ(伊藤由維子)の高校2年の娘ナツミ(松下好)は、母の3番目の夫サトウ(佐藤拓之)と男女関係を持っていた。ナツミは、それだけでは足らず、母の仕事先の脚本家達(阿部宗孝、山中崇)とも関係を持っていた。高校の演劇部に在籍しているミズナ<ブーヤン>(野口かおる)は、演劇部の顧問である川村テルミ(桑原裕子)の旦那で放送作家の川村ケンスケ(今林久弥)と男女関係を持っていた。“殺したい相手がいるのに一歩踏み込めない”そんな関係が渦巻く中、サトウとブーヤンは交換殺人を提案する。殺す者、殺される者、疑似親子、疑似姉妹・・・性格は極端に違うが環境が似ている少女2人をめぐって人々の関係が交差する。ケンスケの兄川村ヒロユキ(中村まこと)、25年前に死んだユウ(五味祐司)などが絡み人間関係は破綻していく・・・。そんな不器用な人達の物語。

 久々にワクワクするオープニングを味わう。まぁ、鳥肌モノとまでは行かなかったが、観客を引き付けるオープニングは上々。双数姉妹を観た自分の経験では“オープニングがいいと作品全体もいい”と言う感じなので、期待感は膨らんだ・・・。作品の重要なキーポイントになっている鏡を使った舞台装置も良い。今回は小池竹見自らの舞台美術ではなく、青年団の美術などを手がけている杉山至が担当している。ただ、自分が観た席が悪く、端が見切れてしまったり、上の方での芝居も見えなかったりで、もう少し劇場のどこから見ても大丈夫という舞台を考えて欲しかったと思った。と言うかそれが常識と思うのだが・・・よしんば見切れてしまってもいいが、そこでは演技しないとか。これは演出にも関わる事だが、舞台美術の良さとは別に不満が大きい。音楽をゴスペラーズのベースボーカル北山陽一、振付を拙者ムニエルの村上大樹が担当していたが、良さは見えなかった。

 愛され方をしらない娘とかの描き方が心にズンと響いたが、作品全体としての印象が薄い。双数姉妹にとって劇団名の由来にもなった`89年の作品を全面改訂したと言う事で、思い入れ深い作品だとは思うが、私の評価はイマイチ。小池竹見は某雑誌のインタビューに答えて「ふた股をかけられながら“俺といるほうが彼女は幸せなんだ”と勝手に思い込むような男の幼稚な楽観主義。それをぶち壊す、絶望することにさえ絶望した女の子の危機感。それがテーマになります」と答えていた。やっぱテーマが難し過ぎ。


“双数姉妹”自分が観た公演ベスト
1.ハクチカ'96
2.オクタゴン
3.3 BALKAN BOYS
4.安天門
5.ニセオレ−偽俺−
6.双数姉妹〜神無きフタリの霊歌(ゴスペル)〜
7.オペレッタ―王女Pの結婚―
8.SHOCKER

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阿佐ヶ谷スパイダース「イヌの日」

下北沢駅前劇場 8/9〜8/16
8/12(土)マチネ観劇。座席自由(7列目中央)

作・演出 長塚圭史

 小学生時代、同級生に15年間監禁されてしまった小笠原洋介(政岡保宏)、菊沢真理恵(森マモル)、そして近所にいた井口孝之(中山祐一朗)、同級生の妹・柴菜緒(松浦和香子)の男女4人。好きな女の子だから、気に入らない奴だからという単純な子供心から、初めは2・3日と思い、行動を起こした中津正行(小林顕作)であったが、地下の防空壕に10年間閉じ込めておいたらどうなるのだろうか?という好奇心が起こってしまい、引くに引けずそのまま15年間監禁状態を続けてしまった。本人達には外の世界は核戦争で地獄の有様だと話し、監禁状態を正当化し世話を続けていた。しかし、いやに明るい監禁生活に疑問を持った中津は、地下で採取した野菜で彼等が極楽気分になっている事に気付く。その「苦い野菜」で中津は一攫千金を狙って渡米する。
 中津が渡米している間、食事の世話などをバイト代100万円で引き受けたのが、大瀬幸司(伊達暁)。いやいやながらも監禁された元子供達の面倒を見る大瀬。興味本位で集まってくる西田明夫(長塚圭史)、西田の元彼女・石川陽子(加藤直美)、いじめられっこの九頭哲彦(小泉和幸)、在日外国人で陽子の今彼の宮本チュンファ(小林健一)の奇妙な人々。平和な現状をぼーと生きている奴らと、状況に反してポジティブに生きている監禁された4人の間で、徐々に混乱していく大瀬・・・。
 やがて、「苦い野菜」になんの効果も無い事を知らされた中津は、ぶち切れて帰ってくる。そんな中津の様子に監禁された4人を解放する決意をする大瀬だったが、その行動は、中津にマスコミ発表のアイデアを提供するだけだった。監禁された彼らに同調した宮本は、誰も自分達の世界に入れないように、入口の爆破を大瀬に頼む。計画は成功したが、閉じ込められて宮本以外はみんな餓死してしまう・・・。その後、監禁部屋は見世物として展示されることになる。しかし、大瀬には時折彼らがまだ、地下で生きているかのように感じていた・・・。

 「監禁されている連中はそれなりに前向きに生きてるのに、自由に生きているはずの外の人間はどうなんだ?」ってテーマ(だと思う)を某誌で語っていたが、なんか後味が悪く、面白くない芝居であった。長年閉じ込められたって話は現実の事件とリンクしタイムリーであったかもしれないが、悪い奴の思い通りに世界が展開してしまったまま終局を迎えるのは、「だから何が言いたいの?」という感じで、全然わからなかった。地下壕の4人は死んでしまったのか、そのまま地下で人知れず生活しているのかわからない終わり方で、多少なりとも“救い”を残したのかもしれないが、加害者優位のまま終わらせてしまったところに、べっとりとした後味の悪さがまとわり付く。なんらかの制裁(精神的なものでも神霊的なものでも法的なものでも、何でもいいのだが)が加わっていれば気持ちが軽くなったかもしれないが、「自由に生きているはずの外の人間はどうなんだ?」の答えがあまりにも軽く、弱者は弱者のまま処理されてしまった事に不満が残った。

 役者では、伊達暁、加藤直美(ベターポーズ)、松浦和香子(ベターポーズ)、小林健一(動物電気)が、いい味を出していたのが好印象。


“阿佐ヶ谷スパイダース”自分が観た公演ベスト
1.スキャンティ・クラシッコ
2.イヌの日

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劇団☆新感線「阿修羅城の瞳」

新橋演舞場 8/17〜8/27
8/19(土)観劇。座席 1等席8列7番

作 中島かずき
演出 いのうえひでのり

 時は文化文政。巨大都市江戸。ある日、江戸の闇の中に、人を呪い人を喰らい人を滅ぼさんとする一群が忽然とその姿を現した。人々は彼らを恐れ、人にあらざる者、“鬼”と呼んだ。一見平和に見える江戸の町並のその裏では、人と鬼との激しい戦いが日々繰り広げられていた。その第一線で活躍するのが、江戸の闇から魔を祓うために組織された陰陽師達の特務機関“鬼御門(おにみかど)”である。病葉出門(わくらばいずも:市川染五郎)は、そこで“鬼殺し”と怖れられる腕利きの魔事師であった。しかし、五年前のある事件を境にそれまでの一切を捨て、四世鶴屋南北(加納幸和)率いる鶴屋南北一座に弟子入りしていた。が、鬼御門の頭領である十三代目安倍晴明(平田満)が鬼に敗れた事を聞きつけ、鬼達の“王”である阿修羅の復活を懸念し、密かに動き出した。その秘密を探る中で、女盗賊・闇のつばき(富田靖子)と出会う。何故か鬼御門に追われるつばき。その瞳の奥に宿る何物かに惹かれていく出門。そして出門は恋に落ちてしまう。この出会いが、彼の運命を狂わせるとはつゆ知らず・・・。執拗につばきを追う鬼御門の先頭には、出門と兄弟同様に育った安倍邪空(古田新太)がいた。実は、十三代目安倍晴明を奸計にはめて葬ったのは邪空であった。邪空は更なる力を求めて、鬼を率いる美形の妖かし美惨(江波杏子)と手を組み、出門とつばきの前に立ちはだかる。そして江戸を焼き尽くす業火の中、鬼と人、すべての欲望を呑み喰らい、巨大な逆しまの城が虚空に浮かんだ。「阿修羅の城浮かぶとき、現世は魔界に還る。人も鬼も地獄に堕ちるがいい・・・」鬼の王“阿修羅”の悲しき因果に操られ、千年悲劇の幕が開く。その先にあるのは、滅びか救いか・・・。

 1987年の初演以来封印されていた幻の名作を、市川染五郎を主演に新橋演舞場で蘇らせた。初演は観ていないのが、脚本自体は中島かずきが得意とする魑魅魍魎が濶歩する江戸を舞台に展開されるチャンバラ活劇。封印されていたと言うよりは再演する機会がなかったんでしょ、きっと。でも、ちょっと格好つけて「封印されていたのは、この脚本が病葉出門を演じられる男の出現を待っていたのかもしれない」と言ってもいいかも。それくらいに病葉出門を誰が演じるかによって作品の出来が左右されてしまう作品だと思う。そんな作品において市川染五郎のキャスティングは、これ以上の人選はないと言うくらいに素晴しかった。市川染五郎は、脚本に命を吹き込んでいた。まさに、病葉出門=市川染五郎であった。歌舞伎界のプリンス染五郎のファンにはどう映ったのかわからないが(普段とは全然違う客層なんだもん)、新感線ファンの自分としては、地上に降りた天使のように映った。まさに救世主。あまりのカッコ良さに惚れ惚れである。テレビで見る市川染五郎とは雲泥の差の男の色気。男から見てこうなんだから女性から見たら魂を抜き取られるんじゃないだろうか。歌舞伎で鍛えたその身のこなしの素晴しさ、新橋演舞場という事で慣れ親しんだ場所というのもあるが、花道の使い方とか、見得の切り方だとか、超一級品。それらが浮くわけではなく、見事に新感線の芝居に融合していた。

 ネタバレになって申し訳ないが、出門が出会ったつばきは、実は阿修羅王である。こうして出会ってしまった二人は、戦う事でしかお互いの愛を表現できない。その悲しさ、そうした二人の宿命を描いた悲恋物語が本筋なのである。人と鬼の恋・・・それに絡む陰陽師・・・。物語もおもしろい。つばきを演じた富田靖子もがんばっていた。しかし、闇のつばきとしての可憐さはあったが、阿修羅としての悪の魅力に欠けていたは残念であった。やっぱり阿修羅としての心の葛藤はもっと欲しかった。煮えたぎるくらいに。その表現不足をカバーしていたのが市川染五郎。「戦いもひめごと」と阿修羅との戦いに向かう時の出門の顔は素晴しいの一言。好きな女に会いに行くってのはあんなにいい顔するんだなぁとグッときちまいました。存在感では市川染五郎に引けをとらない古田新太の存在も忘れてはいけない。古田新太の悪人ぶりも一級品である。ただ、その分古田が出ないシーンが弱いのが珠に傷であった。まぁ、ともかく、市川染五郎の素晴しさで、私が観た新感線の芝居ではベストワンの作品にあげたい。3時間半があっと言う間に過ぎ去った。10.500円という目が飛び出る値段も納得。

 余談だが、病葉出門の漆黒の着物も素晴しい物だった。ただの黒い着物ではなく、良く見ると表面はうろこ状になっていて、それが光を反射したり、ぬめった感じを出したりで、衣装一つにおいても力を入れているのがわかった。スタッフワークの素晴しさにも感激である。

 重ねて余談だが、以前どこかの雑誌のインタビューで、いのうえひでのりが答えていたものがある。新感線の初期の頃、つかこうへい氏の脚本を上演していたことで得たところは?という質問に対し「役者を“立てる”芝居の作り方。セットや衣装に頼らず、セリフにしても少々芝居のつじつまが合わなくても、その役者が立つならいい、マイク持って歌ってもいいと。いい意味でのゲスさみたいなところには影響を受けた気がします」と答えていたのを思い出した。まさにその精神が生きた舞台でもあった。


“劇団☆新感線”自分が観た公演ベスト
1.阿修羅城の瞳
2.花の紅天狗
3.直撃!ドラゴンロック2・轟天大逆転〜九龍城のマムシ
4.仮名絵本西遊記 2
5.ゴローにおまかせ 3
6.SUSANOH―魔性の剣
7.宇宙防衛軍ヒデマロ 5
8.西遊記〜仮名絵本西遊記より〜
9.LOST SEVEN
10.スサノオ〜武流転生
11.星の忍者(再演)
12.髑髏城の七人(再演)
13.仮名絵本西遊記 1
14.宇宙防衛軍ヒデマロ 3
15.ゴローにおまかせ 2
16.ゴローにおまかせ 1
17.髑髏城の七人(初演)
18.アトミック番外地
19.野獣郎見参!
 

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