THEATER/TOPS 2/2〜2/10
2/9(土)観劇。座席 C-7
作・演出 西島明どこかの国のパン工場の女工たち。来たる感謝デーには加藤班長(加藤直美)の独断で、バスに乗って芋ほりに行く計画が予定されていた。しかし、その日はお忍びで王子様(ブルースカイ)がやって来るらしい、と言う情報が流れた途端、計画は一転。それも妃を探しにやって来るという噂なので、芋ほりどころじゃぁない。そんな彼女達の右往左往する姿を軽快に描いた作品。
ベターポーヅの舞台には、食べ物が毎回絶対と言うほどに登場する。そして、それを食べる時のエロスったらありゃしない。ベターポーヅの舞台での食べ物との関わり合いは深い。自分が見た最初の作品『ボインについて、私が知っている二、三の事柄』でも加藤直美が林檎をかじるシーンが一番印象に残っているほど。しかし以前にも書いたが、その関係論を論じられるほどの知識がないので、このままお茶を濁す事にする。なら振るなって。しかし、今回オープニングで見せた新人達のパンの食べ方にはエロスの欠片も見られなかった。もっと先輩方を見習って欲しいもんだ。やっぱ色っぽい処もベターポーヅの魅力でもあるんだから。今回キャストが増えた事によって物語のレパートリーというかバリエーションみたいなものが増えて物語がわかりやすくなったと思う。しかし、その反面、理解出来なくても感覚で面白さを感じられる空間や毒気が影を潜めてしまった。猿飛佐助の似顔絵とか無意味なシーンはあったけど、全体を通しての空気が別ものに思えた。今までの役者と新人との差が気になるのも然ることながら、なんか“モーニング娘。”を見ているような増員の仕方には疑問が残る。聞くところによると加藤直美は自分のポストを「まるで、中澤ゆうこ扱い」と言ったとか。まぁ、それも納得。
ご挨拶文に書かれている「舞台上のエピソードは並列され交わることはないけど、お互い呼び合い共鳴している」と言うのはわかるが、今までの役者がやっているシーンと新人がメインでやっているシーンでは、空気の質がはっきりと違うので、その“並列”にバラツキを感じてしまった。独特の空気を醸し出せるのがベターポーヅの良さだったのだが、今回はその空気のバラツキで、気持ち良さはとっても薄味。『ベタポ・ガラ』に続き、性悪女を演じさせたらピカイチの市川菜穂が出演していなかったのも、作品の空気に悪影響を与えていた。加藤直美とは別の性悪さではあるが、ベタポ性悪女の二枚看板が揃わなかったのは、非常に残念である。ちょっとしか登場しない“ちょっとくん”は“んっん少女”に続く西島の卑怯技である。ずる過ぎ。客演のブルースカイは、ベタポの空気に馴染んでいたが、いつもの通りの無気力ぶり。可もなく不可もなくって感じ。ただ、太ったのが気がかり。芝居とは関係ないけど。
余談だが、出演者の今後の予定で「加藤直美のポツドール出演」と言う告知を読み、そーとーの衝撃を受けた。いや〜な女を演じさせたら日本一の加藤直美であるが、これで“汚れ役”にも箔が付くと言うもんです・・・どんな役で使われるのかわからないが、むちゃくちゃ楽しみである。男をコケにするくらいの女王様的な役もいいが、むちゃくちゃ虐められる加藤直美も見てみたい・・・あーベタポの公演から離れてしまった。
“ベターポーヅ”自分が観た公演ベスト
1.オトメチック ルネッサンス 2.別冊オトメチック ルネッサンス 接吻は愛の速記術 3.カエルとムームー 4.並PLAY 5.ノイローゼ・ダンシング 6.別冊オトメチィックルネッサンス『雲の絶間姫(たえまのひめ)』 7.特性のない男の編物 8.おやつの季節 9.GREAT ZEBRA IN THE DARK'98 10.ボインについて、私が知っている二、三の事柄 11.ベタポ・ガラ
作・演出 田辺茂範連日トップニュースになっている「連続親さらい」事件。街中の親達が何者かによって誘拐され、それにより親を失くした孤児が急激に増加した。この事件により打撃を受けたのがセキュリティ会社である。あるセキュリティ会社は“シノブくん”の売り上げが急降下。この一連の騒動で勝ち組になった孤児院“メリーの家”。セキュリティ会社は親を守るセキュリティシステム“大公開時代”を孤児院に売り込もうと画策。しかし、そのメリーの家には秘密が隠されていた。一方誘拐犯のDeath-4(ハクラン:大佐藤崇、ニュウドウ:役者松尾マリヲ、クチベニ:足立雲平、ダイライス:丹野晶子)は次に誘拐する親を探していた。標的にあったのは母親の授業参観を阻止したいと願っているモモコ(後藤飛鳥)の母ミエコ(三井穂高)であった。モモコの父マキノ(加瀬澤拓未)は警備会社・セントラルセキュリティーサービスの企画課に勤務しているが、モモコの担任(中西恵子)と不倫の関係にあった。その家に配置されているセキュリティシステム“一家にひとりの警備員”のコンセプトで作られた“シノブくん(斉藤マリ)”は、24時間在宅警備で、そんな犯人から家族を守る。そのシノブくんは片腕をある事故で失っていた。それは孤児院メリーの家の院長(池谷のぶえ)と関わりの深い事故であった。徐々に発覚していく親さらい事件の真相、ベルマーク偽造疑惑。ついに明かされる“メリーの家”の謎。そして、誘拐事件の影に隠された感動的な真事実が・・・。
壮大なストーリーをチープなミュージカルで見せるというロリータ男爵のコンセプトは生きていたが、ミュージカル部分のへなちょこさが減ってしまったように感じた。下手じゃいけないけど、ちゃんとしてもいけないって、難しいサジ加減だと思うが、その調度いい加減が魅力的なのである。それが今回はちょっとしっかり作り過ぎていてちょっと残念。でもラストで見せる天下無敵のご都合主義的結末には、さすがロリ男と唸ってしまった。今回、田辺茂範の女装がなかったのも残念(前回の知念タナは最高だった。知念リナ本人よりかわいいとの噂もチラホラ)だったが、本人に聞いたところ「出過ぎるとなんだから」と相変わらずの謙虚ぶり。
今回、演劇史上初のブルーバック公演である。舞台に出ている青の部分がDVDでは合成されると言うもの。見ている最中はその部分を想像して楽しみ、帰ってからDVDを見て又楽しむって企画。舞台だけでも楽しめるが、欲求不満にはなるかも。私はしっかり策にはまって買いましたよ。合成の仕方は未熟なれど楽しめるものになっていた。Death-4に武術を教え、院長を火事から救い建物として再生させた羅生門ハカセのおまけ画像もあり。そんな凝った作り込み具合と芝居自体の力の抜け具合のバランスがすばらしい。
余談になるが、この公演の後にE-1グランプリという企画(悪評多し)に参加した作品『E−1グランプリ爆破大作戦』を観たのだが、これ又無駄に凝っていて最高の脱力感を味わう。ロリータ男爵ファンの少ない会場で見せるには勿体ない作品だった。その勿体なさもロリ男らしいんだけど。
“ロリータ男爵”自分が観た公演ベスト
1.犬ストーン2000 2.恋は日直 3.信長の素〜端午の節句スペシャル 4.地底人救済 5.恐るべき子供たち 6.嫁ぶるえ 7.花魔王 8.タナベさんが火を出した 9.三つ子の百まで〜その100分の1
作・演出 野田秀樹高村光太郎の妻、智恵子の半生を描いた作品。長沼智恵子(のちの高村智恵子)が高等女学校に進学しようと決意したところから、明治44年に高村光太郎との出会いを経て、精神に異常をきたし52歳で亡くなるところまでを、大竹しのぶが一人芝居でみせる。
非文学少年だった私でも、高村光太郎の代表作として『智恵子抄』は知っていた。しかし、その内容も二人の関係も知らなかった。まさに暗記する事で成立する日本の受験教育の悪例のようなもの。それにしても、無知もはなはだしいと我ながら思う。それでも「東京にはほんとの空が無い」という文章は知っていた。まぁそんな知識しかない私であったので、不幸中の幸いと言えるかどうかわからないが、今までの定説に囚われる事なく観れたのは良かったと思う。野田秀樹が描いた高村光太郎像は、冷血であり、我が道を行くという愛のかけらもない男として自分の中に入って来た。女を狂わすとはどうゆう了見よ、あなた何様みたいな。
で、観劇後調べてびっくり。事実は(それが本当に事実かどうかは知らないが・・・)、高村光太郎にとって智恵子は 当時の漠然とした焦燥感や不安感から自分を救ってくれた生涯でたった一人の理解者であり、心を許せる女性だったそうな。彼女は自らも絵画を愛し、学んでいたのだが その妥協を許さない完璧主義な性格と芸術への渇望が光太郎との生活苦や実家である酒屋の破綻、色盲という重病などと板ばさみになり、内からくる熱情と外的な破綻に耐えきれず、ついには精神を壊してしまう。定説によれば、光太郎は73歳で亡くなるまで彼女との思い出の中に生きた。その証が『智恵子抄』という事になるらしい。
と言う事は、この定説に対して野田は真っ向から「本当に一心に愛を傾けたのか?」とけんかを売ったのがこの作品と理解した。喧嘩を仕掛けたという事でタイトルが「売り言葉」なのか。その姿勢は面白かったのだが内容がイマイチ。とても眠かった・・・
大竹しのぶの演技は凄いんだけど、時々野田が乗り移ったような動きをするのがどうも駄目。狂い方も狂いました〜って感じで、とても駄目でした。公演のパンフに、野田本人が狂った人を狂ってますと表現するのは駄目だ、みたいに書いておきながらこれは何?って言いたい。それに全然狂ってなかったし。これだったら『奇蹟の人』で演じたアニー・サリヴァン方がある意味狂気を感じた。今回の作品に関しては、野田の演出にしては精彩を欠いていたと思う。もっと心からの声にならない悲鳴を表現して欲しかった。
作・演出 三浦大輔登場するのは、たわし工場勤務の男達8人。その一人、ノムラ(山中隆次郎)の部屋が舞台である。男達は今の生活に腐りながらも何故かタムロっていた。その部屋でビデオカメラを窓辺に置いた時、偶然、隣の家に住む女性の姿を捕えてしまう。その女性は、週2、3回、決まって午後8時半頃、その窓辺に立っていた。それを知った彼ら8人は、その女性(斎藤舞)を幸子(ユキコ)と呼び、この集まりを“騎士(ないと)クラブ”と名付け、盗撮を続けていた。半月が過ぎた15回目の集会時、トガシ(野平久志)はユキコが捨てたゴミを持って来た。彼等の行為は、盗撮に止まらず生活自体までも盗み見るというストーカー行為に及んでしまった。そして、さらに半月が経った30回目の集会時、トガシはついには幸子自身を襲い、部屋に連れ込んでしまう・・・。しかし、部屋に連れ込んだ幸子は、カメラの中の想像していた幸子とはまるで別人の性格の悪い女であった。自分の作り上げた幸子と現実の幸子の違いに直面し、“騎士クラブ”を生き甲斐に会社まで辞めたノムラは狂っていく・・・。それを止められない他の男達・・・。
と、ここまでが、第一部。
第二部では、第一部までの物語は全てピンク映画の撮影現場という事で始まる。撮影は順調に進み、最後に男女のカラミのシーンの撮影になる。しかし、その場になって女優がカラミを拒否し、撮影現場は混乱していく・・・。そして最後に悲劇が訪れる・・・。初演時とほぼ同じ内容である。ラストシーンは若干変更があった(変更は若干ではあるが、ストーリー的には大きな変更だと思う)。そこには、どんでん返しが用意されているのでここでは明かさないが、その変更により作品が初演より深くなったと言える。初演と比較すると第一部の作りが丁寧になった分、第二部が非常に生きてきたとも思う。クオリティーも高くなっていた。初演時は第二部なんていらないのではないかと思うくらいであったが、今回観て第二部こそがこの芝居の本筋だったのが理解できた。それにしても、第一部の仕上がり具合は完璧と言えるくらいに素晴らしかった。初演では個々の人物像がそれほど浮かびあがってこなかったのだが、今回は個々の人物が生きていた。役者の力量のアップの影響も大きいと思う。特にトツカを演じた仁志園泰博、トガシを演じた野平久志がいい味を出していた。もちろん一部と二部で豹変するノムラを演じた山中隆次郎の素晴らしさは特筆したい。初演より男達の情けなさが際立ったことにより物語に味が出てきた。ノムラの思い込み具合も初演より静かな分、より狂気が滲みでていた。騎士クラブの名の由来を「ちんぽの剣を持った男達」って真剣に話すところとか、他の男達の呆れ顔に反して真剣なところとか、底知れぬ狂気の描き方がよい。恐怖に反比例した乾いた笑いも効果的。粗雑な部屋の作りも進歩。
しかし、いろいろ良くなった点を並べてみたが、この芝居は、斎藤舞(INSTANT wife)抜きには語れない。第一部での性格の悪さにも磨きがかかってきたが、第二部での嫌がり方は最高である。どこまでが演技なんだろうか。二部で、彼女だけセミドキュメントの中に放り込まれてしまったのだろうか。あまりの迫真の演技に精神が崩壊しないか心配でしょうがない。それほどに追い込まれている。凄い。この凄さは演出なのだろうか・・・でも傷だらけの斎藤舞の姿からは演技と演技でない境目が見えない。素晴らしい女優なのだろう。初演に引き続き役を受ける強さはどこからくるのだろうか。この芝居は男優のうまさもあるが、斎藤舞により語り続けられる問題作となった。ぼろぼろの斉藤舞がきらきらと輝いて見えた。斎藤舞の出来る範囲に会わせて男優達が追い込まれているという話も聞いた。舞台外の見えない攻防が、凄い舞台を作り上げているのだと改めて認識し感激してしまった。まさしく命を削った舞台である。
午後8時15分頃から30分くらいをリアルな時間で切り取って見せるところは、ある種シチュエーションコメディー的要素もあるからか、野平久志は「三谷幸喜的作品」と冗談とも本気ともとれる発言をしていた。まぁ絶対間違わないって。・・・そんな間違った思い込みもポツドールらしくて好きなんだけどね。
次回作はベターポーヅの加藤直美が客演する上に完全ドキュメントらしい・・・どうなる加藤直美!
“ポツドール”自分が観た公演ベスト
1.騎士(ないと)クラブ〈再演〉 2.騎士(ないと)クラブ〈初演〉 3.メイク・ラブ〜それぞれの愛のカタチ〜 4.身体検査〜恥ずかしいけど知ってほしい〜
作・演出 小池竹見円形劇場の舞台を中央のカーテンで、幼生サイド・成体サイドで区切り、主人公の子供時代の過去と、成長し大人になった今を別々に同時進行で見せる公演。今回は再演だが、初演時は“舞台美術ありき”の考えで、客席から見えない部分があったらしい。それを今回はあえて“見せない”という舞台に作り上げた。舞台美術を大幅に変更した分、物語自体も大幅に変更したらしい。初演時は17歳の女生徒が主人公だったらしいが、今回は成体サイドで実年齢に近い29歳の人物を描き、幼生サイドでは9歳の目線で物語を描いている。
主人公ヨシノ(吉田麻起子)は母・ソメコ(井上貴子)から父親(小野啓明)は死んだと教えられ生きてきた。しかし、実は父親は刑務所に入っており、出所してからも放浪していたのである。その父が突然戻って来た。そんな幼少時代のヨシノの生い立ちから成長(日高ひとみ)して家出するまでが、幼生サイドで描かれる。
中盤からはカーテンが開き、物語が一つとなる。ヨシノは東京に出てヤヨイと名乗り、ユーコ(野口かおる)と暮らしているらしい。で、夜12時までに60万円が必要だという話になっている。時間までにそんな大金が用意できるのか・・・。って展開なのだが、幼生サイドを見ている者には、ヨシノの東京での暮らしっぷりはわからない。ましてや問題の60万円がなんの金で、何故12時までに必要なのか、はたまた、成体サイドで中心人物となっているカサイ(今林久弥)は一体何者なのか一切わからないのである。物語の基本となった幼年時代から成長した姿までを追うのはおもしろいが、幼生サイドだけでは、全体を通しての話しが全然わからない。ところどころ隣の舞台の声が聞こえてくるのだが、耳を貸してしまうと目の前の芝居がわからなくなっていく。とても不親切で欲求不満の残る舞台であった。両方観て初めて物語が繋がるのはいいのだが、幼生サイドだけ観ても理解出来るように、もう少し関連性を作り込んで欲しかった。実際には見えていない物語でも、おぼろげにでも見えてくれば、目ではなく想像で物語が完結できる面白さを味わえたかもしれないのに・・・。案内に「縁もゆかりもない2劇団が、同じ公演日に向けて独自に舞台をたちあげていき、ある段階で、劇場側がダブルブッキングをした事に気付き、芝居の後半を合同公演にする」と書かれてあったが、そのものずばり。仕掛けは面白いが、それが芝居に生かされていなかった。失敗作と言っても過言ではない。
幼生サイドでは、井上貴子が力強い母親を演じ、なかなかいい個性を発揮していたが、成体サイドにいる今林久弥や小林至の演技が一切見れなかったのは残念でならない。2作品で1公演くらいのチケット代金にして、2バージョンを観てもらうくらいの配慮が欲しかった。幼生サイドのあまりにも問題の核心のなさ、結末のなさにがっかりである。ただ、成体サイドを観た上で幼生サイドを観れば、作品に重みが出たのかもしれないけど・・・。
“双数姉妹”自分が観た公演ベスト
1.ハクチカ'96 2.不在者 3.オクタゴン 4.3 BALKAN BOYS 5.安天門 6.ニセオレ−偽俺− 7.双数姉妹〜神無きフタリの霊歌(ゴスペル)〜 8.サナギネ―幼年期の終わりに― 9.オペレッタ―王女Pの結婚― 10.SHOCKER