2005年10月はこの8公演

 


スロウライダー
「むこう岸はエーテルの国」

三鷹市芸術文化センター星のホール 9/30〜10/2
10/1(土)観劇。座席 E-11(招待)

作・演出 山中隆次郎

 謎に「広い屋敷」に住む兄弟。その屋敷は父の遺産で譲り受けたものらしい。弟の男鹿(芦原健介)は、夏のコミケに向けての合宿を自宅で行う為に、オタク仲間を招き入れていた。兄(山中隆次郎)は、ゴミの山の部屋で一人パソコンに向かっている。(弟がパソコンを勝手に使った事に激怒していたが、何をしていたかは最後まで語られなかった・・・)屋敷には家事手伝いのアルバイトの角田(青木宏幸)が一人。そんな二人が住む「広い屋敷(トイレに行くのにも10分 はかかる!)」は、“ある岸”を境に東と西に分れていた。そして、西へ行けば行くほど時代がさかのぼり、危険度も増すらしい。西には兄の命令により部屋をひたすら増築し続ける大工の矢野(日下部そう)や、浮浪者のような男達が住み着いていた。(ただ、西に行けば行く程時代が古くなるなら、一体増築はどの方向へ進んでいるのだろうか?東に侵食している?!う〜む不可思議。まさに迷宮・・・。)一度迷うとなかなか戻れない。その為の地図があるが、いつの間にか部屋が増えているので、あまり役には立っていない・・・。初めて訪れた人々は、いろんな部屋へと迷い込む・・・。それは、兄の恋人の甘利(後藤飛鳥)も例外ではなかった。
 東では、弟のオタク仲間の香椎(佐藤真義)が、地域通貨の「エーテル」で知り合ったという牧(脇坂圭一郎)を連れて来た事により、亀裂ができ初めていた。初めは大人しかった牧だが、徐々に豹変していき、棚橋(森啓一郎)や仁村(數間優一)らを恐怖におとしいれる。ただ「エーテル」で繋がっている香椎だけには逆らわない・・・。
 西では東の人間の売買が「エーテル」で行われていた。そして“ある物”が、その売買された人間に成りすましていた・・・。西の人間に「エーテル」を渡せば、兄を亡き者にしてくれると思い込んだ男鹿は、近所の主婦、小野田(梅澤和美)の相談に乗り「エーテル」を集めていた。しかし、小野田の相談は徐々にエスカレートして行き、尋常でなくなって行く。「エーテル」さえあれば、全てが叶うかの如く・・・。
 そんな屋敷を描いた物語。

 屋敷の中の物語ではあるが、モチーフとしているのは、ジャック・フィニィ著『盗まれた街』であろう(確かそんな事を言ってたような記憶がある)。ざっと『盗まれた街』を紹介すると・・・舞台は、アメリカ西海岸沿いの小さな都市。その都市では、夫が妻を妻でないといい、親が子を、子が親を、友人が友人を、偽者だと思い始める。しかし、昔の記憶、以前の傷跡、しゃべり方、くせに至るまですべてが元のままなのである。そして、ある日、開業医のマイルズ・ベンネルは、友人の家のガレージで、人間そっくりに変貌しつつある謎の生命体を見つける・・・まぁ、そんな内容。

 余談はさて置き、感想はと言うと「面白かった〜」と素直に叫びたい。けど、そんなポジティブな感情表現が似合わないのが、スロウライダーの特徴ではなかろうか。なんて言うか、鳥肌がたつ一歩手前の感覚。「あー鳥肌がたっちゃう」って思った時の逃げられない感覚・・・まぁ漠然としすぎているけど、どっちかと言うとネガティブな感覚。ただ、それを面白いと感じるか、不快と感じるかは、人それぞれだと思う。自分的には、その“ぞわぞわ”した気持ち悪さは快感なのである。だから、素直に面白かったと言いたい。ただ、前述したように、万人受けする面白さじゃないのは確か。

 今回は、書きたい事が山ほどあるので、支離滅裂なところは勘弁願いたい。思い立った事柄から書き込んでいる感じなので、前後の関連づけがないかもしれない(って今回に始まった事じゃないけど)。あと、疑問をぶつけているのでネタバレしています。ご勘弁を。

 まずは、舞台美術。注目したのは「三鷹の広い舞台をどう使うのか」。以前聞いた時には、「小さく使う」なんて言っていたのに、ふたを開ければ、広い空間を生かした和室のセットである。日本間というのも無気味さに拍車をかけるが、そのデカさが異様。舞台下にゴミだらけの兄の部屋を配置することにより、コントラストができ、大きさが際立って見えたのもうまい表現だったと思う。また、障子の使用は、場面展開に効果的であった。そして、障子に映るシルエットも大きな効果を発揮していた。得体の知れないものの影は、それだけで恐怖である。

 そして本編であるが、今回の素晴らしさは、現実に目にするものの恐怖だけでなく、イメージが膨らんでの恐怖感が強かった点を挙げたい。前作は創りだされた異次元空間を理解出来ないまま(“理解”だと言葉のニュアンスが違うかもしれない、理解というよりは具現化というか、そんな感じ)、物語を追い続けたが、今回は具体的なイメージが頭の中に浮かんだ。頭の中では、150部屋ある無気味な屋敷が音をたてて増築されていた。2階という言葉や階段って言葉が出てこなかったので、この屋敷は、平屋のまま無限に広がって行くのであろう・・・。屋敷の周りには、霧がかかったような澱んだ空気が充満していて、屋敷の全貌は見えない。増設(って言うより“増殖”って感じか)している音だけが虚しく響いている・・・そんな舞台背景が自分にはハッキリと見えたのである。この異次元世界の構築が今回は、特に素晴らしかった。

 話はちょっとずれるが、その具現化された空間で感じたのは、「これは伊藤潤二の世界じゃなかろうか」という事である。山中隆次郎が、伊藤潤二を意識したかどうか(知ってるかどうかも定かで無い)は聞けなかったので不明だが、伊藤潤二の世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥った(伊藤潤二の作品は、何作も映画化されているが、その比ではない。雲泥の差でイメージ通りなのよ〜)。障子ごしに触覚を出して蟲(=ゴキブリ)が蠢く姿なんて、まさにって感じ。初期の東京グランギニョルが丸尾末広の世界を舞台で表現したと聞くが(自分の目で観ていないので断言できないけど)、今回の芝居は、伊藤潤二の世界を舞台で表現したらこうなるであろう、というお手本のような作品であった。まぁ自分が、伊藤潤二の世界感が大好きなので、勝手な思い込みが強いかもしれないが、共通する空気を感じてしまったのは確かである。

 内容は、毎度の事だが疑問だらけである。スロウライダーの作品は、ストレートには捕らえられないところがあって、今回も例に漏れない。いつもだと打ち上げなりで疑問をぶつけられるのだが、今回は終電に間に合わず、山中氏とは話ができなかった。なので解決しないままの感想となっている。

 疑問その一、エーテルの国の住民は一体誰なのか?ゴキブリなのであろうか?浮浪者ではあるが、普通の人間もいる。しかし、彼等は、エンの国(エーテルという通貨に対して、勝手にこっちの国を私がそう表現しただけなので、舞台上はその呼び名ではない。誤解なきように)の住人を捕まえては、エーテルの国に売り捌いている(死体より生きている方が高く引き取ってもらえる)。浮浪者が何かの目的で売買しているとは考えづらい。誰かに依頼されているのであろう。では一体誰なのか?・・・それが明確には語られていない。増築している理由の一つとして「ゴキブリの巣」という表現をしていたのが引っ掛かる。ただ、浮浪者達は人間に化けたゴキブリを“ジャマー”と呼び、忌み嫌っていたので、ゴキブリの支配下にいるとは考え難い。それでは、ゴキブリを支配下に置いた別の生命体がいるのであろうか・・・。

 次に、エンの国では地域通貨であるが、エーテルの国では本物の通貨として流通している「エーテル」という硬貨の役割が不明確である。エーテルの単位も不明の上、どれだけの価値があるかもわからない。もしかしたら通貨としての役割ではなく「貯める事だけ」の役割を担っているのか。じんわりと金に縛られているこっちの国を批判しているのか?“偽者”が人間の真似をするためだけの道具なのか・・・。こちら側では地域通貨でしかない、言わば“偽物”があちら側では本物の通貨になっている・・・。“ニセモノ”が今回のキーワードになっているのか。テーマは本物と偽者か。考えれば考えるほど解らなくなっていく。ただ、「エーテル」が結ぶ共存関係が、もう少し明確だったら面白かったのにと思う。

 次に、蟲となった兄はパソコンで何を見ているのか?何が目的なのか?最後まで明確にされなかったが、ここにモチーフとなった『盗まれた街』があるのなら、エンの国の乗っ取りと言うか、入れ替わりが目的で、その実行計画とかが書かれてあったのか。ゴキブリ(本物のゴキブリかゴキブリ型の異星人かは語られていない)による入れ替わりがテーマなら、最後にもう一つ恐怖を植え付けても良かったように感じる。いや、植え付けて欲しかった。ゴキブリと入れ替わった“偽者”は、大きな音が響くと(そのサイレンは、一体誰が鳴らしているのか?)死んだふりをする(まさに蟲!)のだが、ラストでその音で東の一部の人間が倒れる。あー、あいつも“偽者”かと思うシーンなのだが、ここで全員が死んだふりをしても面白かったかもしれない。既に全員が“偽者”に入れ替わっている恐怖・・・。みたいな。

 ダラダラと書いてしまった。感想と言うよりは、疑問を並べ立てただけになった気もする・・・。まぁ結論としては、スロウライダーの醸し出す澱んだ空気は御馳走であった。それに尽きる。


“スロウライダー”自分が観た公演ベスト
1.ホームラン
2.むこう岸はエーテルの国
3.わるくち草原の見はり塔
4.アダム・スキー

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劇団鹿殺し「エデンの穴」

ゴールデン街劇場 10/14〜10/28
10/15(土)マチネ観劇。座席 自由(3列目右端)

作 丸尾丸一郎
演出 髭の子チョビン

 舞台は、新宿歌舞伎町の下水道。そこでは、ゴキブリ達が日々の食料を必死に確保しながら生きていた。ある日、チャバネゴキブリの三三(髭の子チョビン)は、アゲハ蝶のあげ葉(丸尾丸一郎)と出逢う。あげ葉は瀕死の重傷を負っていた。三三は、本能に身を任せ、当然のごとくあげ葉に喰らいつく。死を覚悟したあげ葉は「もう一度外の世界へ戻りたかった」と、外の世界を語り始める。それを聞いた三三は、食料の心配のいらない“月の向こう側の世界”へ憧れを抱き、行く決心をする。と同時に、あげ葉を救おうと行動し始めるのであった・・・。
 一方、外の世界では、アメリカとイラクの戦争が激化し、ついには日本へも火の子が降り注いでいた。新宿歌舞伎町も戦渦の中にあった・・・。(映像出演 大佐:政岡泰志 三等兵:小林健一 軍曹:辻修)
 “月が黄金色に輝いた時、月に向かって旅立てば、新しい世界への扉が開く”という言い伝えを信じ、三三は待った。そして、ついに月が輝く時がやって来た。蜘蛛の糸を月へ伸ばし、三三は旅立つのであった・・・。

 月=マンホールの蓋である。マンホールの蓋が開き、外の光が射した時、外の世界への道ができる・・・って、黄金色に輝く月の正体を書いても、感想には何の進展もない。何かの比喩なのか、テーマが隠されているのかもわからず・・・ってな具合に物語に対する感想は薄い。歌舞伎町が戦渦の中にあっても「近未来の話なのね」ってな程度で、何の感動もない。要するに地下道に生きるゴキブリ達の物語であって、鹿殺し版キャッツなのである。演出の言葉に「結局この世界には希望しかないのです。ぐるぐる回って、死んでも、生まれ変わっても、私たちは(アブラムシたちも)また、この希望にあふれキラキラしたこの景色を見続けるのでしょう」というのがあるが、これが物語のテーマだと思う。そんなテーマが、ぐぐっーと心に迫って来なければいけないのに、芝居を観ている時には、その想いが伝わって来ない。何かが足りない。三三が“月”に向かって昇って行く時に語るセリフがあるが、髭の子チョビンの巧さで、引き寄せられるものの、セリフの内容に心惹かれるものがなく、感動には届かなかった。

 しかし、不思議と芝居が楽しいのである。むちゃくちゃワクワクするのである。あのバタ臭さが好きなのかもしれない。それと、髭の子チョビンがとても良いのである。声といい、動きといい、表情といい、心惹かれる。彼女を見ているだけでいいかな、とさえ思えてしまう。そんな魅力を持っている。伝わらないとは思うが「惚れちまったよ〜」と叫んでおこう。

 話は変わるが、ゴールデン街劇場に入るのは初である。率直に感じたのは「う〜ん狭い」って事。30人も入れば満員になってしまうであろう狭さ。秘密のライブとかなら良さそう。ゴールデン街って場所も怪しくて良いし。今回の芝居にはグッドチョイスな場所だったとは思う。しかし、動員数を考えたらどうかと思うけど・・・。

 舞台美術ではコーラの空き缶(巨大)を配し、ゴキブリ達のサイズを視覚的に表現している点はいいのに、水滴が落ちるバケツが普通の大きさだったりするのは、統一性がなく残念でならない。

 とまぁ、いろいろ苦言を垂れてしまったが、“鹿殺し”という劇団にはとても魅力を感じる。悪徳印刷業者として応援する旨をアンケートに書いたが、胡散臭くて捨てられたかもしれない。まぁ何かの機会で、これを読む事があったなら連絡ください。ってこの文読んだら余計に胡散臭くて連絡せんか。


“劇団鹿殺し”自分が観た公演ベスト
1.百千万(モモチマ)
2.エデンの穴

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シベリア少女鉄道「スラムダンク」

新宿シアターサンモール 10/14〜10/20
10/15(土)ソワレ観劇。

作・演出 土屋亮一

申し訳ありません。まだ書けていません。

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Cherry Bombers
「The Cherry Bombers Strikes Back」

笹塚ファクトリー 10/19〜10/23
10/22(土)マチネ観劇。座席G-4(招待)

【1】「ダメダメ西遊記」:作・演出 清水宏
 孫悟空(長田奈麻)、猪八戒(峯村リエ)、沙吾浄(新井友香)、三蔵法師(種子)のダメダメ4人組が西へ向かう途中の一コマを描いた一編。まぁ、ダメダメぶりを発揮するだけのコントなんだけど・・・。(だけどおかしい!!)

【2】「乾いた花」:作 ケラリーノ・サンドロヴィッチ×吉増裕士/演出 吉増裕士
 父を亡くしておかしくなった母(峯村リエ)。そんな母を死んでしまえばいいと思う長女(長田奈麻)。そんな二人を取り巻く妹(新井友香)や友人(種子)。そんな話に野生児(井上貴子)が逃亡した話や、変なウエイトレス(リン・ホブディ)の話が絡んで行く。そして、父は裏庭に埋まっている事実が発覚する・・・。(つまらない。参った・・・。もっと話を膨らませて長篇にしたなら、面白くなる要素は含んでいると思う。今回の短編では何も伝わってこない。)

【3】「シスターたちのコント」:作・演出 ブルースカイ
 孤児院のシスター達(リン・ホブディ、新井友香、種子)の話。「乞食はクソでも喰ってろ」という言葉を子供に吐いてしまい孤児院を去ろうとする新井。でもそんなのは生温いくらい人間的にダメダメなシスター達を描いた一編。(ちょっと理不尽すぎてわからない・・・。)

【4】「マッドニュース」:作・演出 ラサール石井
 ディレクターと10年愛人生活を続け、突然別れを告げられたキャスター(峯村リエ)と、ディレクターを寝取ったレポーター(長田奈麻)の本番中の攻防を描く。フロアADで井上貴子。(ひねりはないものの一番面白かった。)

【5】「女囚物語」:作 宮藤官九郎/演出 河原雅彦
 北半球にあるチェリボン人民共和国。そこは95%が女性の国である。そこに旅行に行った日本人女性が強制監禁され、いつ釈放されるかわからないまま、日本の成人雑誌の袋とじの糊付けをしている・・・と言った話。刑務官(リン・ホブディ)、651番(長田奈麻)、652番(井上貴子)、653番(峯村リエ)、654番(新井友香)、655番(種子)。(下ネタばかりの作品。宮藤&河原のコンビだってつまらないものはつまらない。だけど、一番印象に残っているのがこの作品だったりするのは不思議だ。)

 2000年12月の第1回公演は、勢いがあって面白かった記憶が残っている。内容的はあまり覚えてないけど・・・。いや、面白かったという記憶は、ナイロン100℃でしか見たことのない長田奈麻の“こんな事もやるのね”的な壊れ方が印象深く、それが“面白い”という印象に結びついていたからかもしれない。作品自体の記憶が薄いのに、チェリーボンバーズというユニット名の記憶だけがしっかり焼き付いているのも、その所以だと思う。

 で、約5年ぶりの公演と言う事で、そーとー期待した。・・・が、見事に裏切られる結果となってしまった。一番の不発は、脚本が駄目だった事。あれだけ名が通った人達の作・演出なのに、箸休めみたいな作品群で、決して面白いとは言えない。いや、“箸休め”なんて言っては失礼か。期待度の高さと現実のギャップが大きかったと言い直そう。でも、ガッカリした事実はどう表現しようとも一緒なんだけどさ。
 もっと勢いのある新人(この公演で名を売ってやろうとか、下心見え見えの奴とか)の起用の方が面白い作品が出来たのではなかろうか。動員数を考えればそうも行かないとは思うが、動員に繋がらなくても、勢いのある最高の舞台を作って欲しかった。

 次回があるなら、もっと過激にアイディアを盛り込み、芝居の概念を壊して欲しい。規定の枠を壊してこそ、このユニットの意味と言うか価値が見えてくるのではないだろうか。


“Cherry Bombers”自分が観た公演ベスト
1.The Cherry Bonbers
2.The Cherry Bombers Strikes Back

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ピチチ5「はてしないものがたり」

高円寺明石スタジオ 10/20〜10/23
10/22(土)ソワレ観劇

作・演出 福原充則

申し訳ありません。まだ書けていません。

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イキウメ「散歩する侵略者」

サンモールスタジオ 10/25〜10/30
10/29(土)マチネ観劇

作・演出 前川知大

申し訳ありません。まだ書けていません。

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北京蝶々「入れ替わるためのまちがい探し」

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ 10/25〜10/31
10/29(土)ソワレ観劇

作・演出 大塩哲史

申し訳ありません。まだ書けていません。

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劇団桟敷童子「風来坊雷神屋敷」

北区・飛鳥山公園内特設天幕劇場 10/15〜10/30
10/30(日)観劇

作  サジキドウジ
演出 東憲司

申し訳ありません。まだ書けていません。

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