こまばアゴラ劇場 12/20〜1/4
1/4(日)観劇。座席 自由(上手最後列)
作 松田正隆
演出 平田オリザ舞台は長崎の坂の上にある家。季節は夏。むせかえる様な蝉の声が聞こえる。その年は、水不足が深刻化し給水制限が出されていた。小浦治(金替康博)は、数年前、子供を水害で亡くし、つい最近では、勤めていた造船会社が倒産し、失業。その上、妻・恵子(藤谷みき)とは離婚。その妻は元同僚の陣野(太田宏)と暮らし始めているらしい・・・。そんな状況の中、力なく日々を送っていた。そんな治の元へ、妻と別居していることを知らずに、自己破産寸前の妹・川上阿佐子(内田淳子)が自分の娘・優子(占部房子)を預けにやってくる。そして、一方的に娘を残して福岡へ旅だってしまう・・・。それから、叔父と姪の奇妙な同居生活がはじまり、なにげない日々に波風が立ち始める。自分自身では悪意と感じていない“自覚なき悪意”が、小浦治の周囲で渦巻き、小浦の心を苦しめていく・・・。
98年11月の初演から約5年の歳月が流れた。初演を観劇した時は、その息苦しさに打ちのめされた記憶がある。その時の感想を読み直したら、救いのない苦しみに抵抗している自分がいた。それほどまでに恐ろしい作品であった。しかし今回観劇して作品の感じ方が全然違っていたのには驚いた。内容そのものが違う訳ではないと思うので、自分自身の変化が感情の変化に繋がってしまったのだろう。前回強く感じた息苦しさ、喪失感は薄まり、叔父と姪の淡い連帯感に切なさを感じ、心地よい気持ちで見終われたのである。逆にすーと心が晴れた感じすら覚えてしまった。まったくもって不思議である。
ラストシーンの「カナダには行かないよ。行くならもっと遠く・・・」ってセリフには、“あなたと”って言葉が隠れていたと思うのだが、勘違いだろうか。人と人とは支えあって生きて行くって言うか、絆みたいなものを感じてしまったのである。具体的な記憶はないのだが、前回の公演なら、「行くならもっと遠く」という言葉に“死”のイメージを強く抱いたと思う。いや、実際に言葉の裏に隠れているのだろう。しかし、今回はそこに“死”以上のものを感じてしまった。渇水でもいつかは雨が降る、絶望の中にも希望はあるって言うかそんな感じ。そんな明るい光が二人に降り注ぐラストだったと思う。しかし、前回は何故、苦しみばかりを強く感じてしまったのか・・・今にして思うと、その時の荒んだ心が、より一層息苦しい芝居にしてしまったのかもしれない・・・。自分自身の変化とは別に、舞台美術の変化も作品に大きく影響を及ぼしていたと思う。その時の記録には「被爆都市“長崎”を表現したかの如く、灰色に彩られた廃虚の様なセット、白枯れた照明。」と書かれてあった。当日パンフの松田氏の言葉の中にも【ここは、滅んだ場所ではないか。原爆で光とともに消失し、水害で流失し、廃虚になった場所ではないか…。】と書かれてあり、その灰色に染まった景色が崩壊していく主人公の心の中の景色なのだと感じた。それに対し、今回の木で作られたセットは、明るく、再生というか「生」のイメージを与えてくれた。“どんな逆境でも生きていける”みたいな明るささえも感じてしまった。しかし、作者の意図は違うのであろう。今回の当日パンフの松田氏の言葉には【この現実とは、もう決してあともどりのできない絶望のようだ】とこの戯曲を書いた時の心境が書かれてあった。さらに【時間が不可逆であること。どんどん先にすすむということ。人間が、それに遅れてしまうこと。その取り返しのつかなさに決して追いつけないのに、人間はとりあえず日常をこなしている】と書かれてあった。それを読むと初演時に感じたものが作者の意図に近いのかもしれない・・・。
いろいろ感じるところはあるが、前回以上に心に「痛み」を感じたのが、陣野と恵子が旅立つシーン。その中で、子供がいた事すら記憶から抜け落ちてしまう治を見ている恵子の瞳に「痛み」を感じた。その「痛み」は前回観た時とはまったく違うもので、そんなとこまで治の心を崩壊させてしまった恵子の「鬼の心」にやっと自分で気がついた時に感じた「痛み」である。ちょっと表現が解りずらいと思うが、好きな人しか見えてない時は、本当に鬼が住んでしまうと思うんですよ。人を追い込んでも気がつかない鬼の心。特に不倫なんてしていると・・・って、ここで懺悔をする事もないが、“自覚なき悪意”に気がついてしまった「痛み」は尋常じゃありません。そんな感情が恵子に芽生えたのか、作者の本意を知ることはできないが、観ている自分としては針のムシロに座っているようであった。痛かったぁ〜。
で、その妻・小浦恵子を演じた藤谷みきがいい。って話題を急変するが、恵子が普通に振る舞えば振る舞う程、治を傷つけ、追い込んでいるって感じ、その嫌味なき笑顔がすばらしかった。ホント。あっ、一人を挙げたのは一例で、占部房子、内田淳子、金替康博など、役者全員が本当に素晴らしかった。脚本・演出・役者・美術、全てに措いてこれほど完璧な作品はなかなかない。正月早々暗い芝居は・・・なんて思っていたが、逆に、これほどまでに素晴らしい芝居を観れた事に感謝したい。
“青年団プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.月の岬 2.月の岬(再演) 3.夏の砂の上(再演) 4.夏の砂の上 5.雲母坂
作・演出 山中隆次郎舞台は火山が近くにある一軒屋。その家で、民族学者の“先生(当日パンフにはOと記されている)”が、門弟達の徳田(芦屋健介)、指宿(日下部そう)、照屋(大和広樹)、吉松(佐藤真義)と暮らしていた。その“先生”が他界した後の物語。
物語の重要なポイントが当日パンフに書かれてあったので引用させて頂く。【○○月○日 ××新聞 朝刊 第三面 十二段「○○氏の自宅で、女性一人を含む五人の死体が発見された。生存は男性一名。集団自殺の可能性もあると見て捜査を進めている。」・・・民族学者で歌人でもあった‘O’については、多くの伝記が残されている。その殆どはOと共同生活を送った門弟たちによって書かれたものだが、それぞれの伝記の‘O’の像は不自然に食い違う。少年のような人、現実感覚に優れた政治家、柳田國男を嫉妬される程の直感の持ち主、度を越して女性な人、春になると男になり、ほかの季節には女になる・・・ちぐはぐな情報を総合すると‘O’像はすこし怪物じみてくる。伝えられる‘O’の像はバラバラだが、‘O’の門弟への異常は愛情と、それから逃げれない門弟たちの姿はどの伝記にも共通して描かれている。門弟たちはみな一様に‘O’の奇妙な魅力に抵抗できなかったという。そういう説明できない魅力に支配されることはなかなかない。おそらく門弟たちは幸福だったのだと僕は思う。『アダム・スキー』は、その支配が無くなった後を描いた。】
これがこの物語の導入部分と言うか、後日談にあたる。“先生”は文子(佐山和泉)の家に住み込んでいたみたいだが、文子の存在がイマイチわからなかった。まぁ門弟の一人だと思うが、一軒屋を所有していて“先生”と偽装結婚させられるところだったとか、言っていたような・・・その文子の家に、門弟たちもタダで間借りしていたみたいだ。で、門弟は“先生”の死後も何故か居座り続け、出て行く兆しがない。文子の旦那・邦夫(戸田修輔)は、早く門弟達に出て行ってもらいたいと思っている(態度にも現われている)。肩身の狭い門弟達は、少なくても家賃を払おうと、池田(山中隆次郎)の薦めで“先生”の自伝を書き始めたが・・・。制作の人に惚れての初観劇である。そんな訳で、劇団色すらわからなかったが、チラシに書かれた【人の心に忍び込む原因不明の悪意を題材とした『淡々としたホラー』。】が持ち味だとしたら、ちょっと好みかも、と淡い期待を寄せての観劇となった。
で、どうだったかと言うと、前半の邦夫が醸し出す嫌ぁ〜な空気は、ポツドールを彷彿させるような、キリキリとした人間関係の痛さみたいなものを感じ「おぉ」っと思ったのだが、門弟達だけの時はその嫌な空気が薄れてしまい、尻つぼみになってしまった。テーマは弟子達の関係性の崩壊だと思うのだが・・・。何かをするわけでもなく、だらだらと流れる時間は、精神的な不安は感じさせてくれたものの、退屈さも感じてしまった。徐々に先生の姿が浮き彫りにされるが、残念ながら、芝居の面白さには繋がっていなかった。そんなところに、劇団の未熟さを痛烈に感じもした。
後半は、歌人として付き合いがあった別府(藤崎成益)の横暴さが芝居に面白さを加えて、やっと本領発揮かなって感じに変化した。前半なにげない会話の中に出ていた「精神病院で一緒」だったが、具体的な異変として現われ、片寄った「愛」が狂気に変わって行く。その狂気が連鎖し、自伝を書いている吉松は“先生”が乗り移ったが如き行動を取り始める・・・。って感じの後半の雰囲気は大好きである。ただ、狂気って事では、もっともっと嫌悪感を感じるくらいに暴走して欲しかったと思う。終演後言葉が出ないくらいの狂気を演出できていたら・・・と思うと少々残念である。ただ、今後に期待できるものを持っていたと思うので、次回作も観てみたいと思う。余談だが、「先生はアダムの国に行ってしまった。」ってセリフがあり、芝居の内容からしても明らかにアダム=男なのである。で、『アダム・スキー』ってタイトルは、アダム(=男)スキー(=好き)って事・・・って、そんな意味なの?的な感情を抱いてしまった。作風からは感じられない“おバカさ”が入ってるのだろうか・・・?こんな事を書くと「変な解釈するな!」と怒られそうなので、独り言だと思って聞き流してください。
作・演出 鈴木聡東京下町。老舗の木工家具製造会社『松崎木工家具』。会社は、昔ながらの木造建築家屋で、社員寮も兼ねていた。舞台はその談話室。談話室の前には須田佳代子(三鴨絵里子)が住む1号室があった。佳代子は、独特の才能を持つイスのデザイナー兼職人。人と違う個性的な生き方を志向してきたが、酒癖が悪いのが玉に瑕。その日も泥酔した勢いで男を連れ込んでいた。男の名は、小松修司(木村靖司)。本来なら佳代子がつきあうはずもない、平凡を絵に描いたような区役所職員である。しかし「平凡」な男もいいんじゃないかとゴールイン。
そして3ヶ月の月日が流れる。会社の方はと言うと、得意先の倒産で当てにしていた200万円の入金が滞り、決算を明日に控え銀行への返済の目処がたたず(預金口座には800円しか残金がない)、不当たり発行寸前、そんな経営危機を向かえていた。社長の松崎正樹(俵木藤汰)と弟で専務の松崎俊樹(宇納侑玖)は金策に四苦八苦。しかし、思うようには金は集まらなかった・・・。そんな危機を救ったのはリストラ候補だった家具職人の小袋富士夫(おかやまはじめ)であった。そんなゴタゴタの中、新婚旅行から帰ってきた佳代子と修司。とりあえず会社の寮を仮住まいとする事に。しかし、対照的な二人が順調に行くハズもなく、波風たってぶつかり合うばかり。大げんかの果て、あっと言う間の別居生活。
そんなある日、佳代子は飲み屋で泥酔、再び意識を無くし、今度はエリート経営者の新田光一(福本伸一)を部屋に連れ込んでしまう。そして、タイミング悪く差し入れを持った修司が訪れて・・・。
その後、佳代子と修司は離婚。会社は、新田光一が経営するグループに吸収される事になってしまい、佳代子と社長の松崎正樹以外は解雇・・・。社長の思うような形にはならなかったが、退職金の確保で一応の収束を見せた最後のお別れ会。そこで見せた社長の「裸でスキップ」。最後の抵抗。・・・そんな人生の悲喜劇をラッパ屋ならではの笑いで包んだ作品。約3年ぶりの本公演。いつもながらのベタな笑い満載の芝居で、楽しく見させてもらった。それはそれでいいんだけど、2列目で観てると、ちょとうざったい、って言うかベタな笑いを目の前で見るのは、なんか見ている方が恥ずかしくなってしまい、笑うに笑えない。THEATER/TOPSは好きな劇場であり、昭和のモダンな木造建築のリアルさを目前で見られるのは嬉しい。でも、客席と舞台が近すぎ。その近過ぎのおかげで、三鴨絵里子の以前より太ってしまったんじゃないかと思えるパワフルな肉体をモロに見てしまい、ちょっと幻滅(失礼な言葉お許しあれ)。以前は、かわいらしさと色っぽさが同居した不思議な魅力を持っていたのに、ちょっと残念。好きだったのになぁ〜。
全体的には、笑いの中に人間の悲しさが滲み出ていて、“心に沁みる大人の喜劇”って感じ。でも、古臭さも感じてしまった。役者のキャラを生かした登場人物像ではあるが、目新しさがなくなり、マンネリ化の危険も孕んでいる。案内には小劇団に対する想いをぶちまけ、まだまだやれるぞ、的な文章が載っていたが、ちょっと言ってる事とやってる事にギャップがあるかな。以前よりマンガちっくな登場人物達は可笑しくもあるが“こんな奴いねぇよ〜”的な醒めた視線にもなってしまう。その典型が佳代子。ちょっと破天荒過ぎる。逆に現実離れし過ぎて魅力的だったのが、弘中麻紀が演じた営業の瀬戸洋子。出番が少ない割りには印象に残っている。でも、やっぱ人物設定に古臭さを感じてしまうのだが・・・。物語の展開で不満だったのが、最後のシーン。“裸でスキップ”のシーンで終わらせてくれれば良かったが、その後、佳代子と修司の心のふれあいみたいな余計なシーンを加えてしまった為、せっかくの面白さが冷めてしまった。会社の危機と男女の危機の二つの騒動を同時に見せているなら、男女の仲も未練タラタラの終わり方(自分にはそう見えた)にしないで、これで良かったんだ的なスッパリとした終わり方を見せて欲しかった。社長が断腸の思いで踊った“裸でスキップ”が台無しである。って書いたが、実際に舞台の上で、裸でスキップを踏む訳ではないので誤解なきように。
最後になるが、須田佳代子の才能にあこがれている事務員・浅海かつらを演じた岩橋道子が、なんかいい感じになってきたと思う。前作も良かったが、ますます磨きがかかってきた。かわいいんだけど、どっかバカっぽい、そんな魅力的な女性を見事演じていた。できれば一度、役柄を180度変えて、冷血無情の悪女なんてのを見てみたいとも思う。
“ラッパ屋”自分が観た公演ベスト
1.サクラパパオー 2.凄い金魚 3.斎藤幸子 4.裸でスキップ 5.マネー 6.中年ロミオ 7.ヒゲとボイン 8.エアポート'97 9.裸天国 10.鰻の出前 11.阿呆浪士
作・演出 土屋亮一まず、劇場に入って驚かされた。見慣れた駅前劇場はまったく違う空間になっていた。客席が中央にあり、それを囲むように四方の壁面に舞台装置が置かれている。自分の座った位置は、通常なら舞台下手あたりになるのかなぁ〜。暗がりの為、開演までは何が置いてあるのか薄っすらとしか見えず・・・。ただ、モニターがどの位置からも見える様に配置されているのは確認できる・・・。
で、開演。舞台は昭和25年1月の日本。正面に芹沢美代子(秋澤弥里)の家。玄関と襖障子の居間は、昭和のごく一般的の家屋ではあろう。ただ、居間にはふとんが敷かれ、父の芹沢秀治(前畑陽平)が病の床に伏していた。左手には美代子の家に続く板垣のある路地が見える。後方には喫茶店のテーブルが並べられ、右手に見えるのは美代子の婚約者・瀬川幸彦(藤原幹雄)の勤務する製薬会社の部長室。秘書は社長令嬢の白川涼子(水澤瑞恵)である。涼子は密かに幸彦に想いを寄せていた。
その日は美代子を嫁にもらう為に、幸彦が美代子の父に会いに行く日であった。幸彦は、興味本位の妹・瀬川あゆみ(染谷景子)に送られて美代子の家へ向かう。そんな日を察した父は、娘に告白をする。「私は美代子の本当の父ではない」と。しかし、そんな事は関係ないと言う美代子。父も娘が選んだ男に不満があるわけがない、と順調に事は運ぶはずであった。しかし、それは幸彦の一言で崩れ去る。幸彦も今の父が実の親ではない事を告白し、本当の父の名が「篠田雄三」であると告げたのである。その途端、秀治の態度は急変し、理由も言わずに猛反対をするのであった・・・。実は、生き別れた幸彦の実父は、美代子の実父でもあった(実は腹違いの兄妹)という衝撃の事実が露呈する。
不幸の匂いを嗅ぎつけたのか、タイミング良く(悪く?)東京の病院勤務が決まった篠田雄三(吉田友則)は、秀治の元を訪れる。そして実の子供達(美代子と幸彦)の仲を知る。悪魔のような篠田は、二人の仲を壊そうと策略する。この男は恋愛中の男女の仲を壊すのが趣味らしい・・・。幸彦に想いを寄せる白川涼子を焚き付け、息子と社長令嬢との結婚で利益をも得んと企む。美代子に想いを寄せる秀治の主治医・竹本明(横溝茂雄)も焚き付け、あげくには毒をもって秀治を殺そうと企てるのであった・・・。***これ以降はネタバレなので、再演を期待している人は読まない方がいいかと思います***
と、物語はいよいよクライマックスを迎えるって時に、音楽と共にモニターに映ったのは、“ダンスダンスレボリューション”の映像(役者がダンサーに扮したオリジナル)。派手になる照明、回るミラーボール・・・。ちなみに“ダンスダンスレボリューション”とは、矢印に合わせて踊るアーケードゲームのヒット作。でも、今じゃぁやってる人をあまり見かけないけどね。基本的な遊び方は、画面の下から上がってくる矢印の方向のパネルを踏むことによって踊るゲーム。パネルは左前後右の4つ。たったコレだけ。って、ゲームの説明までは余計か・・・役者も全員マイクを片手にテンポ良くセリフを話す。音楽に合わせてモニターのゲーム映像の矢印が点灯し、観客は矢印にあわせて右、左、前、後と次々に展開していく芝居を観る。右見て左見て前見て後ろ見て・・・←→なんてのが出た時には、瞬時に左右に首を動かして・・・と土屋演出に観客まで踊らされる。仕掛けが始まった途端「今回はこれか!!」的な心の高揚感はシベリアならでは。もぉ〜快感が電流のように流れる。
で、こんな演出の中、物語は続く・・・この馬鹿馬鹿しさが私は大好き。
別れながらも相手を想う気持ちは変わらず、固い絆で結ばれている幸彦と美代子。そんな幸彦の姿を見た涼子は、美代子を殺せば、幸彦は自分の物になると勘違いし、美代子を刺殺に向かう。そんな中、実は美代子と幸彦は血が繋がっていない事が発覚するが、時は遅し・・・。悪魔が如き篠田雄三は、バチが当たったのか芹沢秀治と同じ病気にかかり吐血。・・・婚約を誓った幸彦と美代子に立ちはだかる苦難の数々。血筋を巡り繰り広げられる悲恋物語が、軽快なリズムの中とんでもない仕掛けで展開する。まさに、シベ少流“昼メロレボリューション”。ホント素晴らしい!!前作ほどの爆発的な衝撃はなかったが、今回もいろいろな要素が含まれた傑作であった。まず、チラシ。どう見ても『catch me if you can 』のパロディ。「追うか、追われるかのスリリングな大追跡劇」とも書かれてあったので、そんな芝居かと思ったらもっと奥が深かった。「ひょんなことから『追う』立場を義務づけられることになった私の唯一の頼りは一機の簡単な探知機のみ。」ってそのものじゃん。観客の視線は、どっちを観たらいいのか迷いながらの大追跡。左前後右の4つしかない“簡単な探知機”を頼りに・・・って事かぁ〜。してやられた!でも、CをWに変えただけでこれほど内容を的確に表現したタイトルになろうとは、目の付けどころが素晴らしい。チラシには他にも的確な伏線が貼ってあった。「観るか、観逃すかはあなた次第。」とか「いっそ頭を空にして、踊らされてみちゃって。」とか、挙句の果てには「レボリューションズ!」ってネタばらしてるじゃん。まったくもぉ〜と笑顔になってしまう。おまけに当日パンフには「頑張って楽しんで下さい」との挨拶文。まったく不敵な。イヤ、素敵な。
せりふの中にも伏線。「きっかけやタイミングが大事」とかね。それと前半の暗転は後半に繋げるには絶妙の間だったと思う。暗転する事によってどこで芝居が行われるのかわからない、次はどこに照明が灯るのか周りをきょろきょろ。観客に選択意識を植えつける。これもいい伏線になっていたと思う。
それにしても根本的な事だが、こんな表現方法をしなくてもいいのに、あえて芝居を壊す。こんな姿勢に感動すら覚える。ラストなんて二人は血の繋がりはなかったって言う感動のシーンなのに、そんな事すらどーでもいい展開(セリフとは無関係な演出方法)になっていく・・・。まったく素晴らしい。「だから何?」って冷たく言ってしまえばそれまでだが、このあきれるような演出に美学を感じる私である。
ただ今回は、ひとつだけ不満が残る。それは、染谷景子の出演シーンがあまりにも少なかった事。おまけCDも“ミサトとヴァーチャルトーク”だったし。あっそうそう、そのおまけのCD-Rも素晴らしい馬鹿さ加減。秋澤弥里の声で濁音を含む五十音を100トラックに収めた“ヴァーチャル会話をつくる為の元音源のCD-R”・・・あきれて無言で聞き入ってしまった。でも自分としては、ケイコとリアルトークがいいなぁって馬鹿な事も書いてみました。
最後になるけど、相変わらず「演技がヘタ」という評価を聞く。果たして本当にヘタなのか?リアル=演技がうまいという常識的見方からすれば「演技がヘタ」である。ただし、その関係性が成り立たないのがシベリア少女鉄道だと思う。『遥か遠く同じ空の下で君に贈る声援』でも書いたが、演出家の意図を汲んで、絶妙な味を引き出すのがうまい=シベリア的演技のうまさだと私は確信している。あれだけの要求を見事に叶えているのは「うまさ」に他ならない。ならばこれでいいのではないか、とさえ思う。そんな中、最近では各々に個性が出てきて、それが作品にさらに旨みを加えていると感じている。秋澤弥里のわざとらしい乙女チックな動き、横溝茂雄のやる気のない踊り、吉田友則の仰々しい笑顔etc、自分には素晴しく輝いて見えた。ってのは相当土屋氏の術中にハマッている証拠かも。次回もどんな土屋マジックを見せてくれるのか今から楽しみである。
“シベリア少女鉄道”自分が観た公演ベスト
1.耳をすませば 2.二十四の瞳 3.ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 4.笑ってもいい、と思う。2003。[ショートカット版] 5.デジャ・ヴュ 6.笑ってもいい、と思う。2003。[ノーカット完全版] 7.遥か遠く 同じ空の下で 君に贈る声援 8.栄冠は君に輝く
作・演出 久米伸明チラシに書かれた内容をちょっと拝借しつつ、どんな芝居かと申せば【吉崎家は7年前に母親を亡くした男6人の家族である。孫命のちょっぴり偏屈な母方の祖父・田原寿彦(峰明大)、不器用だけど家族思いの父・吉崎康一(多田岳雄)、脱力系の長男・吉崎守(久米伸明)、しっかり者の次男・吉崎高(加藤雅人)、内弁慶な受験生の三男・吉崎旬(中谷竜)、天然モノの四男・吉崎清(田中聡元)。とびきりアホで底抜けに優しい家族6人が、力を合わせて精一杯生きる毎日を描くハートウォーミングコメディの決定版!】との事。以前公演した『Mother』の続編だが、日常のある部分を切り取ったショートストーリーなので、1本のストーリーとしては繋がりはなさそうだ。でも、この作品は春夏秋冬の4作を連作するそうなので大きな繋がりはあるみたいだけど。今回旧作を『Mother1』として再演(1/15〜1/16)したのだが、時間がなく観れなかったので、当てずっぽうです・・・すんません。
順を追って簡単にタイトルと内容を。
○ただいま!
ハワイ旅行から帰宅した一家の外国かぶれの様子。
○大往生(DIE OR JOKE)
体調の不調を訴える祖父。しかし、それはゲートボール大会でのスピーチが嫌での仮病らしい・・・
○ブラザーズ・バトルIII〜長電話〜
長電話をしている三男の旬と次男の高の攻防戦(だと思った・・・)。
※この辺りが超眠くなってしまって、内容を記憶するより眠気との戦いであった・・・
○酔いたんぼ
酔いつぶれた父が帰宅。しっかり者の次男が買い物に行って不在をいいことに、四男・清の制止も聞かず、ピザ、うなぎ、特上寿司をそれぞれ家族6人前電話注文してしまう父の話。
※この作品は、なかなか面白かったので目が覚める。
○ブラザーズ・バトルIV〜犯人〜
アイスをテーブルに置き忘れ、溶けさせ食べられなくしたのは誰か?犯人探しが法廷形式で始まる。そんな和やかな犯人探し。
○4コマ漫画
〜その1「だるまさんがころんだ」〜
〜その2「にらめっこ」〜
〜その3「かごめかごめ」〜
※静止した状態の4シーンで見せる芝居。でも意図ほど面白くない。
○熱帯夜
暑さでみんなカリカリしている。そんな中「こんな家つまらん」と立ち上がる祖父。はずみでウンコをもらしてしまい、一同ゲラゲラのHAPPY END。
○合格発表
次男・高の教員試験の合格発表日。自宅で通知を待つ高、祖父、休みまで取った父。そこに半休を会社に黙って取ったらしい長男・守も帰宅。届いた通知は不合格・・・でも落ち込む高をいたわるでもなく、いつも通りに家事を頼む守。何事もなかったかの如く時間は流れていく。それも優しさなのねって物語。
○8月31日
祖父の一家惨殺の白昼夢を見ていた四男。目覚めた後は祖父に対して冷たい視線。そんな事は関係なく、その日は母の墓参りの日。とんでもない洋服に身を包んだ祖父が印象的な一遍。前公演(『バッカスの壷』)を観てちょっとがっかりきたのだが、公演場所が駅前劇場って事で再挑戦。客席は超満席。おぉ〜人気じゃん(でも、何故人気があるのか自分にはわからないんだけど・・・)。何にしても客席がぎっしり埋まっているのは気持ちがいい。ただし、それほど面白くないのに大笑いする客がいたのは、いただけない。その笑いで、気持ちが一気に冷めるんだよねぇ〜。まだまだお知り合いのお客が多い劇団なのだろうか?それとも過剰贔屓の客が多いのか?これって逆に劇団を駄目にすると思うのだが・・・って余計なお世話でした。
まぁともかく、今回の芝居は、まずまず面白かった、と言うのが率直な感想。観劇後、この一家がとてもいとおしくもなったし。なんか“愛すべき一家”って感じで、ほのぼのしてしまったのである。“ハートウォーミングコメディ”ってのもうなずける。が、まだまだ発展途上という感じが残る。それと、今回は、『LOVELY YO-YO feat.峰』と銘打っているのが理解できるくらいに、峰明大の存在感がでかかった。ちょっと確認だが(ってここで確認しても仕方がないのだが)『feat.』って『featuring(特集すること)』だよね?まぁそう取っての感想なんだけど。峰明大が演じる祖父は、むちゃくちゃ可笑しかった。峰明大がいなかったら面白さは半減だったと思う。って事は、ラブリーヨーヨーとしてはどーよ、って感じも残る。ただ、ラブリーヨーヨーの役者が駄目という訳でないので、誤解なにように。ラブリーヨーヨーの役者も個性があっていいとは思うのだが、それ以上に峰明大が演じる祖父は光り輝いていた。(って頭じゃないよ。)
残念だったのが、長男から四男までの年齢差が明確に伝わってこなかった事。1作目を観ていればわかる事なのかもしれないが、長男は働いているので、それなりに大人なのだろうと判断できる。次男は教員試験を受けているって事は大学を卒業して就職浪人?三男は大学受験なので高校3年かはたまた浪人生か。で、問題なのが四男。ポケモンのTシャツを着ているってのが疑問。中学生じゃぁ着ないので小学生か?でも、そうは見えない・・・。まぁそんな点が引っかかり、初めの何作かは芝居に入り込めなかった。後半なんとなく人物像が見えてきたので楽しめたって感じ。その事が前半の“眠気”を誘う要因にもなっていたのかも知れない。
“ラブリーヨーヨー”自分が観た公演ベスト
1.Mother2〜エンジン全開!クレイジーサマー 2.バッカスの壷
作・演出 西永貴文オープニング・・・ミキ(長田奈麻)のアンラッキーな日々が映像で映し出される。好きな彼氏にメールを打っても返事はなし。思いきって直電するも「お掛けになった電話番号はただ今使われておりません」のメッセージが流れるだけ。落ち込むミキ。「アンラッキーな日はラッキーの前フリである」みたいな言葉と共に幕が開く。
ミキは、出会い系のメールオペレーターのバイトをし、毎日を過ごしていた。朝起きて、バイトに行き、17歳のふりをして自分の気持ちとは裏腹のメールを送り、定時まで働く。相手は常連客で秋葉原系のオタクであるイガラシ(村木宏太郎)とか。そんな毎日。
一方別の場所では、フランケンシュタイナーが描いた漫画を参考に、銀行強盗をたくらむアマノ(福田英和)とナリタ(堺沢隆史)がいた。二人が向かったのは、イガラシが窓口業務を行っていた銀行であった・・・。
そして又別の場所では、ミキの彼氏だったカントク(宮崎陽介)が、借金を返せずにサクラ(西永貴文)から取立てを受けていた。そんなカントクがバイトをしているコンビニに、思いきってやって来たミキ。何故電話番号を替えたのか問い詰めるが、カントクは、しどろもどろの返事を繰り返すばかり。そんなところへ、銀行強盗を成功させたアマノがトイレを借りにやってくる。実は、コンビニのトイレで、ナリタに金を中継する手はずになっていたのである。しかし、トイレの中に不審なカバンを発見したミキは、カントクに報告。カントクは中身が現金だと知るや、躊躇なくネコババしてしまうのであった・・・。
所変わり、ヒット漫画家フランケンシュタイナーの書斎。この名前は二人のペンネームだったが、一人が死んでしまい、クニオシュタイナー(佐々木光弘)が一人で作家活動を続けていた。実はクニオが女を自分のモノにするために、相棒(牧野直英)を溺死させたらしい・・・。なかなか原稿があがらないクニオに対して、文句タラタラの雑誌編集者・サナダ(井澤崇行)であったが、指摘されないことをいいことに、クニオの書斎を物色し、盗難を繰り返していた。その日も引き出しの中に封印されていた祝い袋を発見し、中に入っていた黒く汚れた千円札を持ち出してしまう。しかし、汚れに見えたものは、小さな文字で書かれたフランケンシュタイナーとしての最後の作品であった。夏目漱石の口から吹き出しのように書かれた文字は『エンセン』というサブリミナル効果をもたらすソフトの使用方法であった・・・。
殺された男の復讐でもある“ナツメの妄想”が書かれた千円札は、サナダ→イガラシの銀行の窓口で両替→アマノによる強盗→コンビニでカントクの手に→そしてミキの手へと渡る。
千円札が汚れではないと知ったミキは、秋葉原系のイガラシを呼び寄せ、『エンセン』の起動を実行に移すが、その野望はイガラシの暴走で壊滅する。イガラシは、サブリミナル効果に人を殺したくなるような心理効果を与えてしまう。インターネットの効果は絶大で、衝動殺人、行きづり殺人が続発する。暴走した“ナツメの妄想”は、どんな結末を迎えるのだろうか・・・。ってのが、おおまかなストーリー。で、「ついているついていないは人それぞれの感じ方の違いなんだよ」ってのがテーマかなっ。ナイロン100℃の長田奈麻を客演に迎えての公演である。加えて、下北沢での公演って事で混雑を予測したが、予測に反して客入り悪し。隣の駅前劇場で公演しているロリータ男爵と客層がダブってしまったのが原因か。ぴあの告知も公演が始まってからだし・・・。(後日聞いたところによると、ぴあに載った月曜日からは立ち見も入らないくらいに混雑したらしい。ぴあの影響力に改めて驚く。と共に、土・日がもったいなかったぁ〜とも思う。)
内容はと言うと・・・ちょっぴりハッピーエンドで終わらせてしまっているために、前回の公演で感じたドロドロとした“負のエネルギー”と言うか、本来の持ち味であるダークな部分が弱まってしまい、少々物足りなく、残念な気持ちが強かった。まぁ、いろいろシガラミがあったみたいだけど・・・。全体的にテンポも良く、観やすくなっていただけに、この展開は残念でならない。加えて、芝居の設定上仕方がないのかもしれないが、様々な物語が千円札で繋がっていく展開(それも身近)に「世界はそんなに狭くないって」と、ほくそ笑む気持ちが無きにしも非ず。無理やりじゃなくて、もっと自然に関係性を持たせてくれたなら、その偶然性を楽しめたかもしれないのに。
それに、全世界に殺人衝動のサブリミナル効果を発信したはずなのに、事件が起きているのは“向こう三軒両隣”的な、本当に身近な部分でしか伝わってこない。極端に言ってしまえば、アメリカ大統領が核爆弾のスイッチを押してしまってもいいんじゃないかと思う。第三次世界大戦・・・そんな世界的な悲劇が起こっていても本人は“ちょっと幸せ”。このくらい極端な世界を構築した方が、“ついているついてないは本人の感じ方次第”って事が強調できたのではないだろうか。まぁ完成された物語に、勝手に自分の物語を付け足すのは野暮ってもんですが・・・。次回作は救いのない悲劇が喜劇になってしまうような、「猫☆魂はこれじゃなきゃ」みたいな作品が観たいもんだ。って今回で二度目の観劇なので偉そうな事は言えないけど、多大なる期待を込めて。
“猫☆魂”自分が観た公演ベスト
1.箱舟 2.アンラッキー・デイズ〜ナツメの妄想〜