2003年9月はこの2公演

 


維新派「nocturne-月下の歩行者-」

新国立劇場 9/8〜9/21
9/13(土)と9/20(土)観劇

作・演出 松本雄吉

申し訳ありません。まだ書けていません。

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シベリア少女鉄道
「二十四の瞳」

三鷹市芸術文化センター 星のホール 9/12〜9/15
9/14(日)マチネ観劇。座席 自由(I-15:招待)

作・演出 土屋亮一

 会場は、三鷹市芸術文化センター・・・ホール自体は見やすくて悪くないんだけど、三鷹駅から、かなり遠いので、ついつい敬遠しがち。自分と同じ様な考えの人がいて「遠いから」って理由で、多くの人に観てもらえないんじゃないか、すかすかの客席なんじゃないかって心配していたが、とんだ取り越し苦労。あんなに客席が埋まっている三鷹の公演は観たことないってくらいに満席。立ち見こそなかったが、補助席まで満席。期待の大きさがうかがえるってもんです。

 まずは、染谷景子による笑点風前説。客席に座り挨拶するってやつ。その映像が正面のスクリーンに映し出される。しょっぱなから“カメラの視点”という伏線を張っていたりして。まぁそれは後からわかるんだけど。

 舞台は大富豪であった菱沼孝文(横溝茂雄)の別荘。別荘の主は、自殺をはかり他界。しかし、現世に未練があり、亡霊となり部屋の中を徘徊している。その未練とは、自分の事を大切にしなかった子供達への復讐であった(・・・まぁ菱沼孝文って性格が悪そうだから嫌われてもしょうがないのかも・・・って状況なので単なる逆恨み、嫌がらせともとれる)。その日は、遺産相続会議の為に親族が別荘に集まった。議員である長男の孝平(藤原幹雄)。弁護士の次男和孝(吉田友則)と妻の真理子(秋澤弥里)。彼女は妊娠3ヶ月である。会社を経営している長女の睦美(水澤瑞恵)。そして、腹違いの子・野村孝司(前畑陽平)。
 和孝は、法定相続である実の兄弟3人が各9千万円、野村孝司が半額の4千5百万円の相続を提案する。しかし、野村はその金額に不服を申し出る。全員が納得しない場合は法廷で争わねばならない・・・と弁護士である和孝が話しているところへ、孝平が父から受け取った手紙があると進言する。その手紙には、遺産相続でトラブルが生じた場合“金庫の中にある手紙の指示に従え”みたいな事(すみません。手紙の文面は忘れました・・・)が書かれてあった。早速、金庫の中から手紙を取り出し読む事に。そこには、遺産相続の決定権を使用人の浅田朝子(染谷景子)に委ねると書かれてあった。しかし、相続人が5人になった場合は無効になるとも書かれてあった。その為、朝子は決定権を有するだけで、受け取り人にはなれなかった。しかし、その手紙には、買収、恐喝などあらゆる手段を使ってもいいと注釈が書いてあった・・・。朝子を買収しようと画策する一同。その行動により、徐々に本心が露呈していく・・・。そして、真理子のおなかに宿っている子供の本当の父親も明かされ、血みどろの惨劇の幕が上がる。これこそが孝文の復讐であった・・・。

 ってのが大まかなストーリー。遺産相続を巡る兄弟の醜い争いを描いたミステリー仕立ての芝居なんだけど、そこは土屋亮一の事、ただでは済まさない。

***ここからは完璧なるネタバレなので、観ていない人は読まない方がいいかと思います***
 でも、これは名作『耳をすませば』同様、実際に自分の目で観てみないと、その素晴らしさや馬鹿馬鹿しさは伝わらないと思うけど・・・。

 孝文の「今、ここを見ないでどこを見る!」って言葉をきっかけに惨劇が起こるのだが、惨劇の様子が音楽のビデオクリップそっくりに繰り広げられる。正面の右のスクリーンに本物のビデオクリップが流れ、左には舞台上に設置されたカメラにより、そっくりなシーンが映しだされる。しかし内容は骨肉の争い・・・。その11台のカメラの視線+客の視線、それに2つのスクリーンが“二十四の瞳”となるのだとか。でも、どんな計算式で“24”になるのかはわからないのだけど・・・。流れる元曲は宇多田ヒカル『FINAL DISTANCE』、松浦亜弥『桃色片想い』、安室奈美恵『Body Feels Exit』の3曲。そっくりそのままのシーンなのに内容は遺産を巡る惨劇・・・悲劇なのに大笑い。も〜凄い。この馬鹿馬鹿しさを表現する為に、どれだけの労力が費やされたことやら・・・。その努力に脱帽である。その敬意は、演出家・役者・舞台監督など関わった全ての人に。土屋氏から聞いた話によると、何本もビデオクリップを見て、使えそうなものをピックアップ。各シーンをプリントアウトし、絵コンテを作り、カメラの切り替えを秒単位で計り・・・と、芝居の稽古の80%をこのオチの為に使ったとか。オチ部分は芝居全体の四分の一くらいしかないのに・・・。
 本編終了後、楽屋からの映像“土屋亮一による宇多田ヒカル『光』の完全コピーライブ”のサービスも楽しい。って言うか、おいしいとこ持って行き過ぎ。

 で、肝心な感想なのだが、「『耳をすませば』に匹敵するおかしさであった」と明言したい。あの急転直下のオチには大感激である。「ここまでやれるのは、シベリア少女鉄道しかいない!」と絶賛の言葉も残したい。素晴らしい一本であった。オチの部分では、涙を流して大笑いしてしまった。マジ最高。
 ただ、結末の部分は、左右のスクリーンに釘付けになってしまったので、役者の演技が見れなく、非情に残念でもあった。本物を真似する事によって生じる変な動きはスクリーン上で堪能できたが、それが舞台上ではどんなに間抜けな動きを醸し出しているのか、さすがに観る事は不可能だった。複眼が欲しかった。個人的に一番残念だったのが、それまで世間知らずの使用人だった浅田朝子が、金に目が眩み豹変していく様が、ちゃんと見れなかった事。染谷景子ファンにとって、これほど悲しい事はない。それと、物語の結末が“みんな死んでしまった”って事はわかったが、展開が追いきれなく、誰が誰を殺害したのかとか、正直言ってわかっていない・・・あまりにも笑い過ぎたのも原因なんだけど・・・。もう一度ゆっくりビデオで観たいもんだ。(って、なにげに個人的なメッセージを残したりして)


“シベリア少女鉄道”自分が観た公演ベスト
1.耳をすませば
2.二十四の瞳
3.笑ってもいい、と思う。2003。[ショートカット版]
4.デジャ・ヴュ
5.笑ってもいい、と思う。2003。[ノーカット完全版]
6.遥か遠く 同じ空の下で 君に贈る声援
7.栄冠は君に輝く

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コムラプラス「カレーとイチロー」

ウッディシアター中目黒 9/17〜9/21
9/18(木)観劇。座席自由(6列目やや左:招待)

作・演出 鈴木哲也

 時代はまさにイラク戦争に突入しようかって頃。舞台は、日本のどこか都会のマンションの一室。その部屋で中森沙耶(村岡希美)が、一人暮らしをしていた。その日は、付き合いだしてまもない彼氏が、初めて部屋にやって来て食事をするって大切な日。朝から掃除やら、食事の用意やらで、忙しく動きまわっていた。電話が鳴る。しかし、出ようとしない。「いないんですかぁ〜」と留守電の声。声の主はモンキーローンの取立て人・斉藤滋(小村裕次郎)であった。沙耶は多額の借金を抱えていた。借金の利子を払う為に他のローン会社から借りてという、自転車操業的借金を繰り返し、ついには利子分も払えない状態に陥っていた。仕方なく居留守を使い、その場をしのいでいる毎日であった。しかし、部屋にいるであろうと踏んだ斉藤は、玄関のベルを鳴らす。母親からその日宅急便が届くと連絡を受けていた沙耶は、確認をしないまま何の疑いもなく玄関を開けてしまう・・・。
 そして借金返済についての二人のやりとりが開始される。が、二人の会話は、いつしか意外な方向へと歩きだす・・・。「集金した200万で借金の一部を返済し、一緒に逃げ、やり直そう」と、斉藤は沙耶に提案する。斉藤は、自分の彼女が自分の上司と不倫している現場(それも彼女と同棲している自分の部屋)を見てしまったという傷を抱えていた。しかし、それだけでは“会社の金を横領して一緒に逃げよう”という犯罪を犯してまで、自分を救おうとする斉藤の行動に、納得できない沙耶であった。しかし、斉藤の「部屋に来たのは初めてではない」という告白から、沙耶の記憶にない(酒で記憶が飛んでいた)二人の関係が浮き彫りにされて行く。「カレーを食べてから一緒に逃げようか・・・」と沙耶はポツリとつぶやく。二人の逃避行は実行されるのか・・・。

 コムラプラスの第一回目の公演である。このユニットは、小村裕次郎が「2人芝居の現代劇コメディをつくりたい」という想いで作ったものらしい。その記念すべき一回目の共演者は、ナイロン100℃の村岡希美。二人とも好きな役者なので期待大であった。でも、二人だけで最後まで客を引き付けておけるのか?って心配も正直心の片隅にあった。が、しかし、そんなものは取り越し苦労であった。上演時間が約1時間40分あるのだが、全然退屈せずに、二人の心の攻防にドキドキさせられた。村岡希美を共演者に選んだのは大正解であったと思う。本当にうまい。ネタバレになるが、一度逃避行を決めた沙耶が、イチローが表紙になっている雑誌を見て心を変える。その年メジャーリーグの開幕戦が、日本で行なわれる事になっていた。(まぁそれはイラク戦争で中止になってしまうのだが・・・)そのチケットを彼氏が取っていた。生のイチローを見る事をキッカケとして、一からやり直そうと決心していた事を、表紙のイチローを見て思い出したのである。その時の「女心と秋の空」的な心の移り変わりが素晴しい。出かける為に着替えた服を、平然と部屋着に着替え直すのだが、その間の心の変化を見事に表現していた。ただ、舞台上で着替えるところは、心の変化を視覚的に表現しているのだと思うが、ちょっと蛇足だったかも。まぁ、生着替えは、ファンとしては、嬉しかったんだけど・・・ってオヤジ的発言にちょびっと反省。小村裕次郎も今までとはまったく違ったキャラを見事に演じていた。性格的にどこかちょっぴり異常(でも正常さは保ってるって感じ)な役を演じさせたら右に出る者はいないってくらいの演技者なのだが、今回の不器用な男っぷりも見事であった。新境地としては、まずまず成功したのではないだろうか。

 作品としては、ちょっぴり変わった恋愛ものとして、大いに楽しんだ。しかし、役者の力量が作品の善し悪しを左右していた、とも言える作品であった事は否めない。本は決して悪くはないが、ちょっとありがちな感じなので。個性がない役者が演じていたなら、こんなにも面白くは感じなかっただろう。

 二人芝居って事で、観劇後、以前観た前川麻子の芝居を思い出した。97年に観たアンファン・テリブルのプロデュース公演「ソウル・オブ・コーヒー」「ソウル・オブ・クリアー」。その時の評価はそれほど高くないのだが、未だに心に残っている作品である。って事は、素晴らしい出来だった証拠である。観た事さえ忘れてしまう作品が多い中、これほど心に残っているとは・・・前川麻子の凄さをヒシッと感じた。って、今回の芝居から離れてしまったが、『小村裕次郎×前川麻子』、是非観てみたい組み合わせである。

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Hula-Hooper「Hula-Hooperと3つの小品」

下北沢OFF・OFFシアター 9/25〜9/28
9/27(土)ソワレ観劇

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