2003年2月はこの6公演

 


シベリア少女鉄道
「遥か遠く 同じ空の下で 君に贈る声援」

王子小劇場 1/24〜2/2
2/1(土)マチネ観劇。座席 自由(7列目中央:招待) 

作・演出 土屋亮一

 ※まず初めに警告です。毎度の事ですが、シベリア少女鉄道の芝居の魅力はそのネタにあると言っても過言ではない(全てではないが、重要)。観劇前にネタを知ってしまっては、シベリア少女鉄道の持ち味は崩壊します。知りたくない人は絶対に読まないでください。でも、自分は、今回の作品を観劇中に完全に把握できなかった悔しさがあるので、オマージュされた“ある作品”を予習してから観てもいいかなぁと思った・・・。その作品を知らない人には面白さ半減なので、勿体ないとも思う。かと言って“ある作品”を読んでから観てって告知してしまっては本末転倒だし・・・。って事はこの作品も2回観たらさらに面白かったのかもしれない・・・。そう思うと悔しい。そんな前振りを残しつつ物語へ。

 とある喫茶店。マスターの四谷(土屋亮一)が無言でグラスを磨いている。店にはウエイトレスの六本木朱美(秋澤弥里)目当ての客・二階堂望(藤原幹雄)が一人いるだけである。そんな、どちらかと言えば暇な喫茶店が舞台。そこに七尾こずえ(染谷景子)が五代裕作(吉田友則)と共に入ってくる。その日は大事な話があると言う事で五代が七尾を呼び出したらしい。その様子をうかがう七尾の親友の一の瀬花枝(水澤瑞恵)。どー見ても別れ話を切り出そうと(と、言うか常識的には初めからつきあっているとは言えない状況・・・)五代が四苦八苦しているのがミエミエ。なのに、七尾は鈍感の極致。自分の都合に合わせた世界しか見えていない。そんな七尾に、一の瀬も真実を告げる勇気がなくシドロモドロ。五代は、七尾に会ったその足で音無響子にプレゼントを渡す約束をしていた・・・。アパートの管理人の響子・・・実は、六本木朱美が響子の名を借りての偽装行為であった。五代が七尾の目の前で六本木に会ったら大変と、事情を知った二階堂も交えて悪戦苦闘。そんな中、トラブルに輪をかける様に朱美に恋している三鷹瞬(吉田友則二役)が現れる。六本木朱美の三つ又発覚。かと思えばマスターといい関係になったりとますます混乱。そんな、悪い事がごろごろと雪だるま式に増えて行く、トラブル巻き込まれ型のシチュエーションコメディ。

 今回はいろいろ書きたい事があるので(相当まとまりのない長文になっているはず)、支離滅裂な文章になるのは御勘弁を、っていつもの事か。自分の悪さは棚に置き、まずタイトルの『遥か遠く 同じ空の下で 君に贈る声援』。このタイトルは、競馬のテレビ中継を見て、声援を贈っているオープニングの光景そのまま。カンの良い人はそこでオチに気付いてしまったかもしれない。自分の位置からはよく見えなかったが、公演のチラシを二階堂望が読んだ上で、競馬中継のテレビを観るという手の込んだバラシをしている。今回は、冒頭であえてネタばらしをしてしまう大胆さに注目したい。私は、これを観客に対する挑戦と受け取った。ネタをばれないように構成するのは容易いと思うが、あえて最後のネタをばらし(これがオチですよーとまでは言わないが、完璧に匂わせているのは一目瞭然)、今までのシベリア少女鉄道の鉄則を壊す。いや、壊してるわけじゃないや。今までだってチラシや当日パンフにネタばらしをしていた訳だから。そのネタばらしを芝居の冒頭で見せたところに挑戦が見えた。そして、今回は“ネタ振りシーン”と呼ばれる前半部分に面白みを隠すという新たな手法に出た。これは、前半部分が退屈とか言われている事への作者の挑戦か。(と思っているのだが、本人に聞いてないので読み違いかもしれない。)しかし、私は、何重にも張り巡らされている罠の半分も理解できずに、悔しい思いをした訳である。シベリア少女鉄道の芝居は“全てのシーンに意味がある”って事を再度胆に据えねばと大いに反省した。

 で、読み取れないまいままの観劇後の感想は、「漫画『めぞん一刻(高橋留美子)』から登場人物を抽出し、再構築して、それを競馬と結び付けた。その素晴しさに感激」と一部分しか見えていない感想であった。その『めぞん一刻』にしても、読んだのがそうとう昔だった為に、五代裕作と音無響子だけしか気が付かなかった始末。全員が『めぞん一刻』の登場人物だったとは・・・。名前に数字を入れた高橋留美子のアイデアを逆手に取り、競馬の枠番号にするとは・・・。土屋亮一の頭の中はどうなっているのだろう。だてに漫画喫茶でバイトしているわけじゃないや。って感じの感想であった。その後『めぞん一刻』を調べた時に全員の名前が漫画と一緒、その上オリジナルの関係性(四谷とかはめちゃくちゃだけど)も映し出している事を知るや、感激が波のように押し寄せ、感無量の思いに包まれた。観劇中に気が付いていれば感動もひとしおだったのにと思うと悔しさで一杯になった。名前と登場人物のキャラだけで笑いが止まらなかったかも。そんな点を思うと『めぞん一刻』の予習が必要だったかな、と思わざるを得ない。しかし、逆に考えると『めぞん一刻』を知らないと楽しさが半減してしまうのは、作品としての評価が難しいところ。で、私の一番の勘違いが、セリフの最後に変な動作を入れて言う“決まり文句”の受け取り方。その時のメモ書きには「あえてわざと強調してしまったのが、ラストの衝撃が薄れた原因かもしれない。変な動作を入れないで自然に見せていたなら驚いたかも。何かあるのがミエミエ。でも何か狙いがあっての演出でしょう、きっと。」であった。そう感じた人は私だけではないはず、って仲間に引きずり込んでしまうが、そんな疑問を土屋氏に投げかけてみた。

 その答えは“新喜劇”。そー言えば、チラシに“シベリア新喜劇”と書かれてあったわ・・・。今回のネタの出発点は「一発ギャグって、とりあえずいっぱい言ったら流行るのかな?」だったそうだ。だからあれは「だっちゅーの」とか「ごめんくさい」とかいうアレと一緒らしい。その話を他所でしたら「吉本新喜劇は1回の芝居に決めセリフは1回しか言わない」との指摘を受けた。しかし、吉本新喜劇を完全に模倣したわけではないと思うので、回数にこだわるのはお門違い。「ストーリー展開上必然的にギャグの頻度がどんどん増えていく話」を当初考え、「だったら数をカウントしようか」などと考えていく内に、ビジュアル的に「言うと馬が走るとわかりやすいか」、そこから競馬になぞらえていく方針になったそうだ。そこから生まれたのが「ウレシインザスカイ(by染谷景子)」や「オカシクネ(by藤原幹雄)」なわけである。その言葉が終演後も耳に残っていたのは、土屋亮一の策略にまんまとはまった事になるのや否や。
 で、『めぞん一刻』関連については、その後の展開となり、 競馬にしようという際に「ゼッケンをつける」だとクドい気がしたそうで「各人の役名に数字を織り込もう」、そして「名前に数字と言えば・・・」ということで『めぞん一刻』にたどり着いたそうだ。そして、「せっかくなので物語の設定のとっかかりとしても、 五代くんと響子さんと七尾ちゃんの関係性を軸に、判官贔屓なパラレルワールドにしてみました。」との事。いやぁ〜いろんな思考が見事な形で着地したって感じである。う〜む、素晴らしい。

 次に、チラシを解読。いろいろオチが書き込まれていると聞いてはいたので、何度も読んだ。しかし、洞察力不足の自分の頭では全然わからなかった・・・。で、観劇後に全てが解き明かされた。表裏カラーにこだわったのは、虹と競馬の馬の色をかけた展開だから。表には「もう聞きたくない・・・でも、もっと言って。あと30回言って。」と書いてあり、これがレースの勝敗を左右する話しになっている。裏の「前に出んなよ」「ひーん」と書いてあるこの“ひーん”は馬のいななきであったわけで、ほっぺをつねられて泣いていたのではなったわけだ・・・。公演の数ヶ月前にチラシを作る訳だが、そんな前段階からオチに対する仕込みをしているとは、恐れ入ってしまう。
 当日パンフは、勝馬投票券になっていた。その数字も、次回公演が学園ものだったって事で、教室の部屋番号に紛れ込まれていた。そんなんわからんよ。全21種類のパンフレットを作り、本当に当たり馬券(景品付き)もあったそうだ(当たった人の証言を聞いたのでマジ)。労力を惜しまないで楽しませてくれる、って言うか用意周到の極みである。

 こんな芝居を作れるのはこの劇団だけ。まさに唯一無比の存在である。大好きである。ただ、『耳をすませば』があまりにも凄い衝撃だったので、『耳をすませば』を超える作品を期待されるという宿命を背負ってしまったのは仕方がない事。人間欲が深いので、それ以上を期待してしまいますからね。

 話は変わるが、今回、役者も良かったと思う。お世辞にもうまいとは言えないけど。いや、待った。うまいって何?自然だからうまい?感動させるからうまい?非常に疑問が湧いてきた。演出家の意図を汲んで観客を感動させるって点においては満点の出来だと思う。染谷景子が「ウレシインザスカイ」の振りを、時々これでいいのかという顔をしながら演じる所とか、細部に渡っての細かな演技も冴えていると思う。じゃぁうまいのか?ふ〜む、難しい。そりゃ、うまい下手の境を引いてしまえば、あきらかに下手寄り。好き嫌いで線を引けば限り無く好き寄り。愛着すら湧いてくる。いろいろな所で、演技力うんぬんを問われているが、そんな事はない!・・・ってくらいにシベリアの役者を愛しているかも。ただ、水澤瑞恵はもう少しだった。次回公演までに、成長無き成長を期待。役者としての土屋亮一はおいしい所持って行き過ぎ。秋澤弥里と抱き合うなんてもってのほか。でも自分は染谷景子のファンなので、妬かないけど。でも、怒っているファンはいるはず。


“シベリア少女鉄道”自分が観た公演ベスト
1.耳をすませば
2.デジャ・ヴュ
3.遥か遠く 同じ空の下で 君に贈る声援
4.栄冠は君に輝く

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インナーチャイルド
「数神-to the Land of Fractal」

中野ザ・ポケット 2/5〜2/9
2/8(土)マチネ観劇。座席 J-5(招待)

作・演出 小手伸也

 房中術(性交による不老長生法)の祖である、仙人の“彭祖(ほうそ:小手伸也)”とその弟子“亡羊(ぼうよう:三宅法仁)”は、天の力を持たぬ神“混沌(こんとん:前田剛)”に会いに人里離れた山奥へと出かけた。混沌は、目も耳も口も持たぬ神と噂に聞いていたが、住まいに到着するも、あるのはのっぺらな柱だけであった。その柱を見、彭祖は気が付く。その柱に宿りし意識が“神”であり、実態を持たぬが故に神々からは別格の扱いをされているのだろうと。この世界が出来る以前から存在していたと言われている混沌から、この世界の始まりを聞きたいと思っていた亡羊は、柱に語りかける。しかし、返ってくるものは、聞き慣れないデジタル音だけであった。意思の疎通ができないと、亡羊は、その柱に人型を書き入れた。その途端柱が光輝き、石柱は人間の身体を得たのであった。初めて“人間”の身体を手に入れた混沌は、この世の「陰」と「陽」は、「ゼロ」と「イチ」であると謎の言葉を残し、人間としての知識を得る為に人間界へと下山してしまう。混沌は人間として生活を続けるのだが、それにはある人物の陰謀が隠されていた・・・。
 そんな混沌の物語を中心に九尾の狐が化けた“妲己(だっき:川田希)”が人間界を混乱に陥れようと画策する話、その夫である「殷」の国最後の皇帝“紂王(ちゅうおう:五味祐司)”の不老不死への渇望などの話が絡み合い、“無限”の渦へと突き進んでいく・・・。

 テーマは“無限”。自分はそう認識した。前作『数神-from the Sea of Mathematics』の続編である。しかし、前作の世界との繋がりがイマイチ理解できなかった。混沌の前身がユキコの意識だとしたら未来が過去へと繋がる無限のリングが完成するのだが・・・って単純にそうは行かない。そうそう、声の出演でユキコが登場するのだが、当日パンフに書かれたユキコの名前の後には“(CANAAN<カナン>3156)”と書き込まれてあった。カナンって・・・えーそうなると前作のユキコは人間ではなく、人工知能だったのか・・・あー今回の作品を観て前作の謎が深まるとは・・・。でも今回のパンフに前作の結論が書かれたあった。それによると、「無限」とは・・・「人間」とは・・・“それを考え続ける尊さ”が前作の結論だったそうだ。芝居の答えを思い悩む事も実は結論だったわけだ・・・。そうなのか?
 本題に戻るが“無限”の定義が、始めと終りが繋がる事が無限ではなく、その片方がなくなった時に“無限”が完成するって言ってたような。そうなると過去と未来が繋がっても“無限”は完成されないわけであり、前作との繋がりで物語を完成させてはいけない事になる・・・う〜む難しい。で、そんな難しい事はさて置き、この芝居単独の結論としては、時間の初めと終りを繋げても無限はない。未来は予想に過ぎず、過去は思い出でしかない。あるのは“今”だけ。“今”の連続でしかない。無限=今。“今”には“無限”の可能性がある・・・って自分には伝わったが、それが小手伸也のメッセージなのだろうか?そう理解すると生とか死とか未来とか過去とかは無意味になり、“無限”を追い求める事への無意味さ、“今”の重さが伝わってくるのだが、どうでしょ?

 「世界」は「陰陽」という2進法で際限なく記述する事が出来る。これは「デジタル」と言っても過言ではない、と『陰陽二元論』が当日パンフに書かれてあった。この世は実在しないコンピュータの中の世界・・・って事が又頭をよぎった。あー又難しい方向に考えがぁ・・・。

 まぁそんな難しいテーマを突き詰める事も面白さではあるが、今回の作品は、単純に芝居を楽しめる作品になっていた。前作を意識せずに、今回の世界観を楽しんだ方が面白いかもしれない。前作同様にタイトルシーンも素晴しかったし。エンターテインメント作品としても一級品であったと思う。後藤飛鳥とかも出演しており、客演陣も充実。

 小手伸也の外部出演が続く為か、次回公演の案内はなかった。早々に再びinnerchildが描く迷宮に迷い込みたいもんである。それとは別に、小難しいテーマは抜きにして、単純明快な物語も観てみたいと思った。タイトルシーンの素晴らしい演出力をもってすれば、観た事のない娯楽作品が出来上がると思うのだが・・・。


“インナーチャイルド”自分が観た公演ベスト
1.数神-to the Land of Fractal
2.ホツマツタヱ
3.数神-from the Sea of Mathematics

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毛皮族
「ヤコブ横須賀泥だらけのSEX/毛皮族民主主義人民共和国」

下北沢駅前劇場 2/6〜2/11
2/8(土)マチネ観劇。座席 J-19(招待)

作・演出 江本純子

 SPEEDルズ&ジュンリーによる前説、って言うか、パンクショーの予告編で開演前の暖機運転。ジュンリーこと江本純子の熱唱する曲目は「ダーリン」。そしてSPEEDルズは前回同様に客席ダイブ。あーもっと前で観てれば良かったって後悔しているうちに開幕。今回の趣向は、ズバリ『宝塚』と『北朝鮮』。まぁ後者は置いておいて、1部歌劇、2部レビュー仕立ての豪華二本立て。その上、トップだけが渡れると言う銀橋もあり(ちっちゃいけど)。緞帳には「宝塚大劇場」の名が刻まれ、引き幕の袖には「阪急百貨店」の刺繍まで。宝塚の公演を一度も観た事がないのだが、本場もこんな感じになっているのでしょう、きっと。

第1部 ギラギラポルノ歌劇戦争「ヤコブ横須賀泥だらけのSEX」

 「風と共に去りぬ」で幕開け。そして、いきなり海女達のピンクレディーメドレー。オープニングから飛ばしぎみ。で、やっと物語の核心へと入っていく・・・。
 恋に落ち、東朝鮮からとある島に流れ着いた中山ナミー(町田マリー)と男装の麗人・ユン太郎(江本純子)。その島は、女性だらけで、男と言えば風呂屋の息子タケル(原口洋平)だけという一風変わった島であった。タケルは、母シノブ(柿丸美智恵)と二人暮らし。何故か貞操帯を巻き欲求不満ぎみの島の女性達は、タケルの成長を心待ちにしていた。タケルのGFさち(佐々木幸子)はそんな様子を心配しているが、口には出せずにモゾモゾするばかり。ナミーとユン太郎は、そんな島の海女達を拉致し、強制労働を強いて真珠を採らせていた。
 ・・・時系列があっちいったりこっちきたりで、二人の過去やら悦び組の様子やらナミーの元恋人郷鉄太(和倉義樹)の話やらを挟みながら物語は破綻して行く・・・。で、海女達に真珠を採らせていたのは、ペニスバンドに真珠を入れる為だった・・・って嬉しくなるくらい、しょーもない結末。

 昔の日活不良映画か東映B級映画っぽい趣き。物語自体は破綻し過ぎで良くわからなかったってのが本音だが、特に物語を追う必要はないんじゃないかって思えてしまう程の怒涛の勢いに、ぐいぐい引き込まれる。もーめちゃくちゃ大好きで、終始笑顔がこぼれてしまう。アバタもエクボ、違うなぁ・・・贔屓の引き倒し・・・ってますます違ってしまう。ともかく大好きである。爆竹あり火煙(“ぼっ”て感じで閃光と共に煙が上がるやつ)ありでサービス満載のエンターテインメント。カリスマ性が益々強烈になった江本純子、魅力爆発の町田マリーを中心に、客演の澤田育子の不良っぽさ、足立雲平の気持ち悪さ(良い意味で)、山下和美のおばさんっぽさなんかもいい具合に融合していた。ただ、柿丸美智恵に対しては、もっともっといじって欲しかった。そうする事によって、より柿丸美智恵の鈍った輝きが増し、魅力的になると思うのだが・・・。で、今回一番目を引いたのが、佐々木幸子。定番のロバ女も良かったが、白痴ピグモンの演技には心惹かれてしまった。あそこまで自己を捨てられるのは凄い。惚れ惚れ。数日後『ニンゲン御破産』の客席で見かけたけど、さすがに「惚れました」って告白できなかった。当たり前だけど。補足になってしまうが、江本純子がしょぼいパラシュートを着け、しょぼい風を受けながら歌う「TOKIO」は最高だった。好きだなぁこういうの。

第2部 グランドギラギラレビュー「毛皮族民主主義人民共和国」

○序章 毛皮族民主主義人民共和国
 “大階段”を設置して(やっぱ小さいけど)のレビューショー。ピンクレディのノンストップ・メドレー。曲は「渚のシンドバット」「WANTED」「SOS」「カルメン’77」「ペッパー警部」「透明人間」。踊る淑女達(町田マリー、山下和美、澤田育子、足立雲平、佐々木幸子、柿丸美智恵、羽鳥名美子、ヨネヤマハダコ、斎藤朋子、高野ゆらこ)のサビの部分でタキシード姿の踊る紳士達(原口洋平、江本純子、和倉義樹)が“銀橋”をステップ踏んで渡るって構成。全て楽しかったが、中でも「透明人間」が最高。♪消えますよ〜消えますよ〜♪って歌詞の度に場内が暗転し、透明人間の役者がぎゅうぎゅうに押し込まれた桟敷席に乱入するって趣向。ハイレグジーザスの時の客席乱入は恐怖であったが、毛皮族の乱入は大歓迎、って言っても指定席には関係なしなんだけど。あー寂しい。

○第2章 オス柿丸マン帝国 〜柿丸サヨナラ公演〜
 「江本姉さんとマリーさんが消えた。」と心配する、大部屋俳優・佐々木やん(佐々木幸子)とハトリーヌ(羽鳥名美子)「柿丸さんにだけは知られちゃだめ。」と、こそこそ話しをしている所に登場する、オラウータンから女相撲を経て毛皮族に対抗する一代国家を立ち上げようとした女柿丸(柿丸美智恵)とオス柿丸マン帝国に亡命した女達(澤田育子、足立雲平、山下和美)。・・・大騒ぎするも何の展開もなくフィナーレに突入。残念だが、幕間の繋ぎになってしまった感じは拭えない。

○第3章 フィナーレ
 月組・天海祐希と麻乃佳世のデュオを完全にコピーする、月組・トップ江本純子と月組・娘役トップ町田マリー。これは、1部の暗転時にビデオを流し、2部で完全にコピーすると予告していた事の実践である。何をしてるのかわからない所やらウィンクまでも完全にコピー。まぁ完全コピーたってうまさも舞台装置も全然違うんだけど・・・。まぁそのチープさが又良かったりもする。そして、大団円。羽根飾りを背負ったスーツ姿の江本純子の登場を筆頭に、ブーケキャンドルを持って、宝塚の曲(だろうと思う)をメドレーで歌いつつ全員が徐々に登場し舞台に揃う。で、いつものように、いつまでも続くアンコール(今回3回)で終演。

 昭和歌謡、宝塚歌劇、日活ロマンポルノ、東映B級映画、アングラ演劇までの要素をごった煮にして吐き出した、約3時間。むちゃくちゃ楽しい至福の時間を味わった。何でこんなにもって思う程、マジに時間を感じさせない楽しさであった。自己陶酔の世界に酔いしれるって感じだった前回までの公演が、一歩進んで、客をしっかり楽しませるって事が前面に出てきた様に思う。そんな成長が見て取れた。特にもろ宝塚趣向の第2部には、超超超超超超ご満悦。是非とももっと大きな劇場で宝塚ばりのレビューショーをチープに披露して欲しいものである。江本純子が語る今年の野望(内緒)は、実現可能であろうと実感した。今一番楽しみな劇団である。

 余談になるが、今回パンクショーが見られなかったのが唯一の後悔である。なんか凄かったらしい・・・。ついでに余談だが、ロビーで写真展が行われていて、江本純子のでっかいモノクロ写真がなかなかかわいく写っていたのには驚いた。いや、驚いたって言うのは語弊があるか。でも部屋に貼るのもなんなので買うのは辞めた。普通のブロマイドサイズだったら欲しかったかも。


“毛皮族”自分が観た公演ベスト
1.ヤコブ横須賀泥だらけのSEX/毛皮族民主主義人民共和国
2.エロを乞う人
3.高麗人参毛具毛具
4.ハンバーガーマシーンガーンホテールボヨーン
5.踊り狂いて死にゆかん

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あなざーわーくす「水之江スターウォーズ」

こまばアゴラ劇場 2/10〜2/12
2/10(月)観劇。座席 自由:招待(コの字形の客席の下側中央付近、2列目)

作・坪内志郎(劇団新エマニエル夫人)
演出・わたなべなおこ

 西暦2070年、菌未来(この“菌”は物語に何ら関係がないと思うのだが、当日パンフに書いてあったので・・・)東京。日・中・韓の三国が合併し「アジアン連合」が発足。しかし、連合通貨「アジア」が大暴落し、強力なインフレ状態に陥っている。1970年代ブームが起こり、レトロなものが大流行している・・・そんな時代背景。舞台は、とある劇団の稽古場。
 エピソード6・・・水之江キャンディー(不動産会社経営、北朝鮮出身らしいと言う噂。その北朝鮮は無くなっていて、消滅記念日までできている:高木雅代)が、劇団員の柴田(劇団員・役者兼舞台監督:市川梢)、真鍋(劇団員・役者オンリー:平川道子)、森繁(劇団員・役者兼パシリ:大西智子)らを集め、「ステージが失敗したのは、あなた達の盛り上げ方が悪いからだ」と小言を垂れている。何が起こったのか。
 シーンは変わりエピソード1・・・。奈良橋(劇団主宰者・役者兼演出家:加東さゆみ)の元、舞台の稽古をする劇団員達。その日は新人が来るらしい。稽古が続く最中、徳弘(新人劇団員・役者兼衣装兼制作:高橋美貴)がやって来る。で、即時採用。しかし、いつもの如く、稽古はだらだらとして身が入っていない。そんな中、主宰の奈良橋の一声で、予定していた公演は中止にする事に決定。代わりに近所のおもしろ人間・水之江キャンディーを祭り上げ、イベントを開催する事に。しかし、そんな付け焼刃が通用するわけもなく、ステージは散々な結果に・・・。「母が怒っているので集まってください」と告げに来る、水之江キャンディーの娘・水之江涼子(菊川朝子)。そして話はエピソード6へと・・・。そんな話に、紅いクーニャン(菊川朝子二役)の話が絡む。

 兵庫県出身の女性3名(わたなべなおこ、高木雅代、高橋美貴)で構成される『劇団1%LIFE』。その演出家・わたなべなおこが、個人的な演劇活動を行う際の演劇ユニットとして2001年11月に結成されたのが、この『あなざーわーくす』らしい。まぁ『劇団1%LIFE』の役者二人も出演しているので、『あなざーわーくす』との違いが何なんだかわからないんだけど・・・。まぁどっちも観た事がないので、どうでもいいや。案内によると、演劇の持つ可能性を広げるべく実験的な活動を行う一方、「舞台芸術」になる以前の、原始的な感覚を取り戻し、舞台表現が本来もっていたであろう「芝っぽさ」を追い求めて創作に取り組んでいる、との事。でも、この「芝っぽさ」って単語の意味がわからない。う〜む困った。2畳程のスペースを中央に置き、その回り3方をコの字形に囲むように客席が置かれた、ほぼ素舞台の状態は、案内で言うところの“原始的な感覚を取り戻す”と言う方法論の一環なのだろうか。それにしても観客と舞台の距離のなさは、程よい緊張感、いやそれ以上の緊張感を醸し出す。固定の客と目を合わせないってのが常套手段、と言うか定石だと思うのだが、あえて視線を合わせる。あえて人前で変な顔をする。一体何なんだ!って気持ちのうちに芝居に入り込んでしまった。物語自体はまぁ面白いって程度なのだが、その実験的演出には参った。終始楽しい気分に包まれてしまったのである。狭く舞台を作るってのもなかなか新鮮で良い、とさえ思える演出であった。ただし、これには個人差があり、こういった演出、客いじりを極端に嫌う人もいるって事を忘れないで欲しい。まぁ自分個人としては、次回公演はどんな演出を仕掛けてくるのだろうか、そんな期待を抱かせるユニットではあった。

 役者では、出番は少なかったが菊川朝子の存在感が良い。特に紅いクーニャン。でも、一番は高木雅代。一見おとなしそうな美形の女性なのに、演じる人物の恐ろしく壊れた状態には、呆れて口をポカンと開けてしまった。見ている方が恥ずかしくなるほどの崩れた変な顔は、必見かと・・・。それほど唖然とした。凄いですわ。でも綺麗な人は綺麗なままでいて欲しかったって気持ちもあるんだけど・・・。

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「ニンゲン御破産」

シアターコクーン 2/4〜2/24
2/13(木)観劇。座席 2階C-5

作・演出 松尾スズキ

 年号が江戸から明治に変わったそんな時代。“上野戦争”のシーンを挟み、現在の松尾スズキが素で登場。自分のルーツ“松尾村”を語るが、展開上あまり重要とは思えないので、時代背景を説明する上での単なる前説か?。そんな思いを他所に、時は遡り、物語の導入部分へと入っていく・・・。(この時、舞台上で生着替えをするんだけど、これ又必要性のない演出。松尾スズキのトランクス姿を見たってねぇ・・・)
 人気狂言作家・鶴屋南北(松尾スズキ)、その弟子の河竹黙阿弥(宮藤官九郎)の元へ原稿を持ち込む加瀬実之介(中村勘九郎)。しかし、面白みのまるでない本の為、ダメ出しの連続。さすがに「才能なし」と二人ともそっぽを向いてしまった。それではと、実之介は苦肉の策で、お金(1両)を払い狂言を聞いてもらう事に。しかし、作品より実之介の人生の方が面白そうだと鶴屋南北に促されて、自分と自分に関わった人たちの身の上話を語り始めた。
 その昔、実之介は、松ヶ枝藩勘定方の侍であった。剣の腕を買われ奉行から直々に“松ヶ枝藩の財政を支えてきた偽金造りの証拠隠滅の為に、職人達を斬れ”という密命を受けていた。実之介は、幼馴染のお福(秋山菜津子)との祝言もそこそこに、偽札造りの小屋へと向かい、非情にも職人たちを己の刃にかけた。その様子を見てしまったのが、マタギの黒太郎(吹越満)と灰次(阿部サダヲ)の兄弟。二人は侍になるために故郷の松尾村を出たのだが、頼みの綱であった師範代をうっかり殺してしまい、追われの身となっていた。見つからないようにその場を離れようとした二人だったが、しっかり実之介に見つかってしまう。黒太郎たちは職人殺ろしを見逃す代わりに、二人を侍にしてくれるよう取引を持ちかけた。そこに駆け込んで来たのが黒太郎たちの幼馴染で吉原へ売られて行く途中のお吉(田畑智子)であった・・・。一方、実之介は、松ヶ枝藩の同志・瀬谷修一朗(浅野和之)、豊田夢之進(小松和重)、田辺健次(皆川猿時)らから、偽金造りと職人殺害の一切の責任を負わされ、切腹を迫られていた。そこへ灰次が乱入し大暴れ。しかし、その一件も全て実之介の仕業とされてしまうのであった。追われる彼等は追っ手から逃れるように、海に飛び込むのであったが・・・。(1幕終了)
 脱藩し無事に逃げ延びた実之介は、持ち去った偽金で劇場を建てようとする。しかし、金を預かっていた灰次は、女郎小屋で全財産を使い果たしてしまう。しかし太夫(片桐はいり)に気に入られてしまい、劇場は無事建つ事に。そこに旅芸人を装った元同志の瀬谷達がやってきてしまう・・・。
 3月3日、いろいろな思惑を孕みながら、井伊直弼暗殺(桜田門外の変)を目論んだ、安蔵座の旗揚げ公演「偽大老流転偽生首」の幕が上がる・・・。(2幕と3幕の境は忘れてしまいました・・・)

 う〜ん、あまり面白くなかった、と言うのが率直な感想。いろんな要因があるのだが、要因の一つに自分の席が舞台から遠かったというのがある。役者の表情がちゃんと見えない芝居って駄目なんですよ、マジで。遠いって時点で面白さが半減。贅沢かもしれないが、客と役者の共有する空間って事に昔からこだわっている自分としては、今回の劇場の広さ、自分の席の悪さは、芝居の内容以前に駄目。わがままかなぁ〜?極端に言ってしまえば、演じる者と観る者の距離があってはテレビで観たって同じ。今回の席ならDVD(きっと発売されるだろうから)で観た方が良かったとさえ思える。2階席でも8500円なのは、“人気をいいことに暴利を貪っている”とさえ言いたいくらいの腹立たしさであった。これから先、シアターコクーンの2階席では絶対観ないぞと密かに誓う私であった・・・。席の悪さに対する暴言・悪態はこのくらいにして、芝居の中身はどうかと言うと、期待に反して面白くなかった・・・。期待し過ぎたからかもしれない。でも、それほどまで多大な期待を背負ってしまったのが、今の松尾スズキだと思う。人それぞれ期待するものは違うと思うが、自分が松尾スズキに望むものは、もっと人間の業を深く切り裂き、どろどろって膿の如く感情を噴き出させる、ヘビーな松尾ワールドである。軽めの松尾ワールドには正直言って興味はない。だから、飄々とした勘九郎が、どう人間の業の叫びってのを演じるか、ニンゲンすら“御破産”にしてしまおうとする負のエネルギーは何なのか(これは勝手にタイトルから想像したんだけど・・・)、そんな所を期待してしまったのである。あえてダークにする必要はないが、世間一般の人が蓋をしてしまいがちな部分を、平然と当り前のように表現してしまうところにこそ、松尾スズキの魅力があると思っている。そんな自分にとって、今回の作品はスカ(って言うのは言葉が汚いので反省)。とてもがっかりな作品であった。まぁ他の脚本家とかと比較してしまえば全然良いんだけど、あえて苦言を垂れさせて貰った次第である。幅広い客層を意識してしまった為だろうか?本来の持ち味が薄れてしまったのは、とても歯痒い。

 次に、上演時間が余りにも長かったのが、要因の二つ目。もっとコンパクトに納めても良かったと思う。豪華な役者達も流れに呑まれてしまい、生かしきれてなかったと思う。勿体ない。勘九郎に対しても、気兼ねし過ぎって感じが伝わってきてしまった。本当は違うのかもしれないが、綺麗な役どころ過ぎる所に、そう感じる要因が潜んでいたのだと思う(自分だけかもしれないが)。せっかくなんだから、『愛の罰』で見せたゲロ浴びのような、度肝を抜かされる演出を、勘九郎に対して行っても面白かったのではないだろうか。と言っても、勘九郎に汚物を浴びせ、喜ぼうという訳じゃないので勘違いなきよう。しかし、生きざまも奇麗過ぎて、伝わってくるものがなかったってのは本音である。そんな中で光っていたのが、田畑智子。テレビで観るより全然魅力的。声も通るし。すごく生きてたし。他に、村杉蝉之介、荒川良々、近藤公園、池津祥子、猫背椿、平岩紙[以上、大人計画]、伊藤ヨタロウ、野呂彰夫、ドロレス・ヘンダーソンらが出演していたが、持ち味を発揮するまでは行かなかった。

 そして、以前は相反して見えた野田秀樹と松尾スズキの作品が似て見えてしまったのが、要因の三つ目。どちらも好きな作家だけど、松尾スズキの野田化は進化ではなく退化である、と言いたい。世間に媚びず、独自の世界感を貫いて欲しいもんである。ちょっと偉そうに言い過ぎだけど。

 そうそう、舞台美術にも物申したい。舞台下がプールになっているのは、それほど必要とは思えず、舞台美術に疑問を感じた。そんな所に金かけないで、料金下げろって言いたいくらい。・・・なんか文句ばかりの上、支離滅裂。

 最後にまるっきり余談だが、旧幕臣の彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争で、両軍攻防の重要な拠点であった門(旧上野の黒門)が三ノ輪の円通寺にあるので興味を持った方はどうぞ。って自分のHPのコマーシャル。すんません。

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「BIGGER BIZ〜絶対絶命!結城死す?〜」

紀伊國屋ホール 2/15〜2/23
2/22(土)観劇。座席 I-12

作 後藤ひろひと
演出 G2

 ひょんな事から誕生した(誕生の経緯は前作の『BIG BIZ〜宮原木材危機一髪!〜』にて)“結城ビック・ビズ・エンタープライズ”は、その後大企業へと発展し、今や海外支店を持つまでに成長していた。だが、ここに来て危機が訪れる。成長を支えていた大顧客であるミラノの大富豪・デルベッキオが、仲介業者を変えたいと通知してきたのである。それは、会社の存続にもかかわる一大事であった。新たな仲介業者との再契約の調印を早く済ませる事が、当面の解決策であった。契約の為に、社長の結城(粟根まこと:声の出演のみ)は、新入社員の加賀(坂田聡)と共に、神崎(後藤ひろひと)が経営するシンガポールのホテルへとやって来ていた。契約の相手は代理人の川島(三上市朗)。ところが大事な調印を前に、結城は“ケンゾウ”の名前を聞き、発作を起こして倒れてしまう。右往左往する加賀の前に、健三(松尾貴志)本人が現れる。まるで火に油を注ぐように・・・。支店長の木太郎(八十田勇一)は勘違いしたり、されたりの連続。会社の危機を察知し現われた皿袋(松永玲子)ではあったが、今やインターポールから追われの身。頼りになりそうな神崎もフランク・シナトラを聞くたびに事態がねじれていく・・・。会社の存続の為の調印ではあったが、その調印には、仲介業者による会社乗っ取りという黒い罠が仕掛けられていた。彼等は、その危機を乗り越えBIGGER BIZを成功させる事ができるのか、それとも会社を乗っ取られてしまうのか・・・。

 前作『BIG BIZ〜宮原木材危機一髪!〜』の続編である。前作を観ていなくても楽しめると言うフレコミだったが、前作を観てなきゃ面白くなかったんじゃないかと思う。ダイジェストでもいいから、登場人物達がどう関係してきたかが演じられれば良かったのだが、そこいら辺は全て省略。まぁ、前作から引き続き観ている自分には、煩わしさがなくて好感が持てたんだけど。説明の為に上演時間が長くなるのも嫌だからね。でも、初めて観た人には疑問が生じたのではないだろうか。「前作を観ている事が前提かい!」って文句の一つも言いたかったのではないだろうか。自分の勝手な想像だけど。でもまぁ、そこは後藤ひろひとの手腕で、登場人物のキャラクターは、観ていれば自然と掴めてくる展開になっていた。初めて観る人でも大笑いできたと思う。ただ、キャラクターを知っていれば、なお一層って感じか。
 しかし、その知っている事が仇になってしまったのも今回の作品だったと思う。会社のピンチを救うクライマックスシーンの展開って言うか手段が前作と大差ないのである。そりゃぁ各々の特技を生かした攻防戦なので仕方が無いとは思うが、あまりにも新鮮味がなく、単純でお粗末。キャラクターは出来上がっているのだから、もっと脚本を練り込んで欲しかった。大笑いしておいて申し訳ないが・・・。
 新たな登場人物である川島の存在は面白かったが、結城に変わって右往左往する新入社員の加賀が、ちょっとウザイ、って言うか五月蝿い。冷静な人間が冷静さを失って行く前作は面白かったが、終始騒ぎ立てては煩わしいだけで、面白さが半減であった。3部作らしいので、次回作は目を見張るような大ドンデン返しを期待したい。それと、結城の復活も期待したい。


“AGAPE store”自分が観た公演ベスト
1.BIG BIZ〜宮原木材危機一髪!〜
2.BIGGER BIZ〜絶対絶命!結城死す?〜
3.地獄八景亡者戯
4.超老伝2000

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