2002年10月はこの6公演

 


海市-工房「夜のキリン」

下北沢「劇」小劇場 10/2〜10/6
10/2(水)観劇。座席 自由(3列目中央:招待) 

作 しゅう史奈
演出 小松幸作

 波の音が聞こえるくらい海辺に近い“キリン”と言う名の喫茶店。その店は、開発という名分の地上げで立ち退きを強いられていた。ヤクザのいやがらせに耐えながらも、死んだ母親の意思を継ぎ、その喫茶店を切り盛りしているのが、長女の美咲(井上麻美)である。しかし、近隣は徐々に立ち退き、残っているのは、この喫茶店とおかまの恒吉(佐藤徹)が経営している店のみであった。そんな過疎化した町に来る客もめっきり減ってしまっていた。美咲は不倫相手の敏也(中岡耕)の言葉を信じ、一緒に暮らす事を夢みていた。そんな姉の様子を心配しているのが、色盲の元ボクサーの弟・匡(小松幸作)である。匡は実の姉である美咲に想いを寄せていた。しかし、他人の心配をしているどころではない借金を抱えており、返済に追われていた。
 ストーカー被害(実は加害者だったのだが)で精神的におかしくなってしまい、療養の為都会を後にした従姉妹の高子(藤野睦美)とつきそいの律(藤原美紀)もその喫茶店で暮らしていた。律は学生の頃から匡に想いを寄せていた。
 怪我を負って保険金詐欺を生業とするヤクザの直人(鈴木達也)は、上納金の受け渡し場所としてキリンを常連としていた。上納金を渡すのは同級生で兄貴分の妻(いわゆる姉さん)の菜未(竹内幹子)。菜未は、心のどこかで直人への愛を感じていたが、表面化する事はできなかった。
 問題を抱えながらも平穏に暮らしていた美咲であったが、ヤクザのいやがらせや、敏也の妻・和美(境ゆう子)からの無言電話で、徐々に精神を圧迫されていき、いつしか不安を酒で紛らわせるようになっていく・・・。そんなある日、敏也の妻が、妊娠という切り札を持って、弟の孝弘(仲澤剛志)と共にキリンを訪れる。幸い律の機転で直接会う事はなかったが、美咲のアルコール依存度は日増しに高くなっていく・・・。
 そんな心に“叶う事のない愛”を負っている人々が喫茶店で交差する。その傷は癒されるどころか広がって行き、いつしか崩壊へと導かれて行く・・・。

 とても重い自閉的な愛の物語であった。姉と弟の禁断の愛を描いた『月の岬』に匹敵すると言いたいところだが、最後の一線でいい子ぶってしまった甘さが残る。「いい子ぶって」とは言い過ぎかもしれないが、姉弟の歪んだ愛を、実は血が繋がっていないという理由付けで、純愛に変えてしまった。肉体関係を持てない辛さを最後のキスという形で表現したのなら、なおさら濃い血の繋がりのままで良かったのではないか。作家の“逃げ”ではないかと・・・。しかし、日が経つにつれ不幸な結末なのに、ぶくぶくぶくぶくと海の底に沈むが如く、苦しいけど気持ちがよさそうな、甘美な世界に包まれている自分がいたりする。なら結果的にはこれで良かったのではないか・・・なんか複雑な心境である。

 登場人物の中で極悪人である敏也の描き方が甘いのは作者のやさしさなのだろうか?美咲と不倫関係にありながらも妻との間に子供が出来たという事は、肉体関係は継続していた事になる。姉にただならぬ愛情を持っている弟がそれを知ったなら、暴力に訴えるくらい(未遂くらい)に激怒してもいいはずではないか。ラストで線香をあげに敏也が訪れた時も律は平気な顔をしている。美咲を最後まで愛していたのなら、こんな悲劇は起きなかったのではないかと八つ当たりするくらいの感情の動きはないのだろうか。最後の一線を越えない常識感、まじめさが勿体ないと思った。

 海市-工房を観たのは初めてである。この作品は、テアトロ新人戯曲賞佳作を受賞しているらしい。ちょっとテンポがゆっくりなのが気になったが(自分のリズムとの違いなんだけど)、芝居の空気は好きである。灰色の波が目の前に広がって見えたし。次回公演も観てみたいと思う、そんな魅力はたっぷりあった。

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幻シンキロウ「ゲシュタルト」

早稲田大学学生会館B203 10/11〜10/14
10/11(金)観劇。座席 自由(7列目中央:招待) 

作・演出 大石丈太郎

 悩んでいる「私(大石丈太郎)」は自分の中にいる「私の中の私(堀池直毅)」に“孤独”の悩みを打ち明ける。「私の中の私」はさまざまな恋人同士のシーンを見せていく。しかし「私」は孤独感から解放される事はなく、さらに深みに沈んでいく・・・

 テーマがとても難しく、理解できたとは思えない。作者の考えとは180度違う捕え方をしているようにも思う。と言うより作者が言いたかった結論が作品からは伝わってこなかった。愛する事がより孤独感をつのらせるのは理解できる。他人との関わりあいで自分にはない何かと融合しようとするのが自然の摂理であるが、それが思い通りにならないのも現実であると言う事も理解できる。そんな中で、さまざまな傷害を乗り越える努力を考えると、一番心地よい居場所は自分という結末に至ったのが、主人公の「私」なのだろうと思う。孤独感から逃げる場所として作り上げたのが「私の中の私」。そんな自己完結型の自己愛的世界。しかし、その内面的世界はさらに孤独感を膨らませるのであろう・・・。そんな物語だったと思うのだが、結論が読み取れない。それとも、結論は観ている一人一人が見つけるものなのだろうか・・・究極的には、人間の存在意義にまで迫るそんな哲学的な芝居であったと思うのだが・・・芝居としては何かが物足りない。芝居=娯楽という考えを持っている自分には、悩める男の有り様を観ているだけでは、どうも芝居に入り込めない。作者の心の内はわからないのだが、自分には恋人のいない男の被害妄想的な孤独感として映ってしまったりもした。他人と自分、芝居と現実の薄い皮膜みないなものを表現したかったのだと思うのだが、芝居に入り込めなくては、常に現実だけが体に付きまとってしまい、架空の物語を楽しむ事ができなかった。

 感想からは外れてしまうが、主人公が置かれている状況に何か変化をもたらしてはどうだろうかと考えてみた。状況に囚われない“無”の状態にあえてしたかったのかもしれないが、ネガティブな状態に追い込まれた状況を自分勝手に創作してみた。「私」は自殺を実行しその死の直前の薄れ行く意識の中での自分への問いかけなのだとか、世界は最終戦争に突入してしまい生きているのは自分だけかもしれないという孤独の中での葛藤・自分との戦いなのだとか、北朝鮮に拉致されたその船の中での孤独感なのだとか・・・。そんな状況をちょっと見せるだけでも、「私」の物語に膨らみが出てくるのではないだろうか・・・空想的な要素が増えて作者の意図じゃないかもしれないが、こんなんもありでしょ?って感じで。

 セリフ一つ一つの美しさというか文学的表現の豊かさは、昔の第三舞台を彷彿させ素晴しいと思った。言葉を武器に芝居を作れるのは今どき珍しいと言うか、素晴しい事である。芝居でのセリフに何かを感じたのは久々である。ただそれが心に刺さってこないのが勿体ない。演出力は素晴しいものがあると感じたので、一度他人の台本をやってみるのも面白いと思った。つかこうへいや、鴻上尚史の昔の脚本。『朝日のような夕日をつれて』なんて大石丈太郎バージョンでやったら、今の時代を映した面白いものが出来ると思うのだが・・・。

 舞台構造は、通路が客席を取り囲む様に出来ていて面白いと思った。何かの比喩なのだろうか?心の迷路なのだろうか?そんなところは掴む事はできなかったが、通路を歩く事によって空間的な広さは感じられた。しかし、その舞台構造が芝居に生かしきれていたとは言い難い。面白い空間が構築されていたので、使い方によっては、もっと表現の幅が膨らんだように思う。・・・どんな風にって言う具体案はないけど。

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インナーチャイルド
「数神-from the Sea of Mathematics」

スフィアメックス 10/10〜10/14
10/12(土)マチネ観劇。座席 D-6(招待)

作・演出 小手伸也

 とある研究所。そこではエゼキ教授の元、A.I(人工知能)の研究が進められていた。しかし、ある日、その教授が首吊り自殺をして命を落としていまう。教授と不倫関係にあった研究員のナカツボユキコ(中坪由紀子:通称姉さん)は、その日を境に自宅に籠もってしまう。ユキコに想いを寄せているフルサワリュウジ(古澤龍児)は、なんとも複雑な気持ちでいた。死んだ教授の手には“3156”と書かれた紙が握られており、自殺ではなく、他殺かもしれないとの噂話も囁かれていた。同じくユキコを愛するシミズッジュンジ(清水順二)は、“3156”の秘密を知り、それをネタに関係を結んでいた・・・。そんな複雑な関係が交差する研究所の中は、今後の進退も含め、ピリピリとした空気に包まれていた。
 結局、教授の意思を継いで研究は続けられるようになった。一見平穏を取り戻した研究所に、ある日突然、自宅に籠もっていたユキコが現れる。そして、新しいA.Iのプログラム“カナン”をメインコンピューターにインストールさせ、新たな研究が開始された。しかし、ユキコは多くを語ろうとしなかった。謎の人物ラビ・ケテル(小手伸也)の目的は、“3156”の数字が意味するものの解明なのか・・・。人類は究極のA.Iを作る出せるのか・・・。数字の世界が語る世界の始まりと終わり。そんな67日間を描いた物語。

 久々に観るインナーチャイルドであるが、独自の世界感は、前回観た時よりさらに磨きがかかっていた。自分の頭(昔、精神年齢を調べるサイトで自分の精神年齢を調べた事があるんだけど、“幼児並み”って出た時は流石にショックだった、って関係ない話だけど)では、その世界は複雑でわかりずらい。理解するとかのレベルを通り越して、別の高みに昇ってるかのような世界。だからと言って面白くなかった訳ではないので、誤解なきように。とても好きな世界観なのである。数学って出題された問題に初めから答えが書いてあり、それを見つける事が出来るか出来ないか・・・まるで推理小説の犯人捜し。そんな感覚なんですよ、自分には。だから、数字がもたらす偶然は偶然ではなく、初めから決められたものって主張には賛同できた。でも、そんな感覚は、数学のレベルアップに伴い薄れてしまったと同様に、芝居が複雑になるに従って、数字の渦に飲み込まれ、答えを見つける前に溺れてしまった・・・。ちょっと抽象的な表現で申し訳ない(まったくもって数学的じゃない)が、ラスト近くまでは、謎がいい具合に深まって絡みあってワクワクした。ただ、ラストに於いて数学の問題が解けた時ような、はじけるような清々しさを感じる事が出来なかったのである。どこがどうのって具体性はないが、謎を残したままてっ感じが観劇後の釈然としない感覚として残り、後味が悪い。

 それと、世界は、本当に現実なのか?誰かが作り出した仮想現実の中に生きているのではないか?その全てが数値化されたコンピュータの世界なのではないか?“神”とは何なのか?“人間”とは何なのか?・・・とかとかが、小説『ループ』で明かされた一連の『リング』の世界観と似ていると感じてしまったのが、ちょっと残念であった。“数”の旅は、次回作へと引き継がれるらしい。それは、“A.Iカナン”のその後なのか、それとも、まったく別の話なのかわからないが、又その迷宮に迷い込んでみたい衝動に駆り立てられた。

 最後になってしまったが、オープニングタイトルのシーンの映像・音楽・演出の素晴らしさは、絶句もの。も〜マジで鳥肌がたった。このシーンだけでも必見の舞台であった。


“インナーチャイルド”自分が観た公演ベスト
1.ホツマツタヱ
2.数神-from the Sea of Mathematics

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Me&Herコーポレーションプロデュース「ビルの中味」

本多劇場 10/6〜10/14
10/12(土)観劇。座席 F-11(招待)

作・演出 千葉雅子

 大昭和興産は朝日を吸収合併し、大企業となっていた。しかし会社内には旧朝日の社員を疎ましく思っている者がいた。その一人が人事部次長の根元(中村まこと)である。根元は営業企画部の海野(佐藤拓之)と芦田(伊達暁)、事業開発部の伊原(福本伸一)を追い出す様に画策しろと課長である江藤(宇納侑玖)に指示を出していた。しかし気の弱い江藤は、回覧版を回さない程度の些細ないじめを繰り返すくらいしか出来なかった。その日も屋上でオフコースのプロモ撮影がある事を知らされていなかった彼等は、撮影現場に怒鳴り込んでいた。そんないじめに対し苛立ちを隠せない直属の部下の海野と芦田であったが、江藤はのらりくらりとかわしていた。
 会社のホームページ作成を業務としていた水谷(市川しんぺー)と畑(小村裕次郎)は会社の悪事(根元の悪事?)を嗅ぎつけてしまった事で退職するしかない所まで追い込まれていた。精神的にも参っていた二人は昼間から酒を飲み、10月だと言うのに海に飛び込んでしまう。それを助けたのが漁師の平(永井秀樹)と遠山(いけだしん)であった。事務所で暖をとらそうと帰ってきたが、漁協組合組合長の行川(森田ガンツ)と妻のチエコ(佐藤真弓)がもめていた。その原因は、旦那には安物の服しか買ってこないくせに、自分だけはデパートで高い服を買っているという些細なものであった。しかし、箱の中味は男物の服。実はその服は、不倫相手の平の為に買ったものであった・・・そんなドタバタを目のあたりにして、何故か会社に戻り、根元に頭を下げる決意をする畑と水谷であった。
 根元は自分の独裁を強めようと企業ゴロの永野(池田鉄洋)の手を借り、旧朝日の人間の追い出しに本腰を入れていた。根元の指示を拒んだ江藤を退職に追い込み、代わりに営業課長に水谷を就任させた。手始めに海野に疎外感を持たせ、怒らせて暴力に訴えさせようと試みる。まんまと罠に掛かった海野は、くだものナイフで課長を刺してしまう。全ては仕組まれた罠とは知らず・・・。そしてその罠に掛かった海野の話しを芦田にし、怒らせ暴力に訴えさせる。伊原に関しては金で釣ろうとしたのだが・・・。

 サラリーマンである自分にはチクチクと痛いところがあり、とても嫌〜な気分になった。会社勤めを経験している千葉雅子ならではの脚本だと思う。まぁ誇張して描いてはいるが、いじめの体質は、どの会社でも一緒かもしれないと思った。どこの大学出身とかで差別するのも同様。嫌な世界だねぇ〜。そんな嫌な世界を素晴らしい程見事に描いていた。さすが千葉雅子。
 で、中でも唸ってしまったのが、会社風景ではないが、喫茶店「LaLa」のシーン。この喫茶店で根元次長・人事部の村越(菅原永二)・永野が密談をするのだが、その店のママ・ナカソネ(佐藤真弓)の行動から店の雰囲気まで素晴しいの一言。“ビルの横の日の当たらない場所に、こんな喫茶店あったよなぁ〜”と昔を思い出して、“そうそう、そんな事言うんだよーとか、飯がまずいんだよーとか、埃っぽいんだよーとか、マッチ代取るんだよーとか”妙に納得し、心の中で相槌を入れながら観てしまった。千葉雅子の年輪が産みだした素晴しいシーンであったと思う。って女性の年齢に触れるのは失礼か。でも、こんなシーンは千葉雅子以外には書けないんじゃないかと思い、なんか胸がキュンとなってしまった。「ビルの中味」ならぬ「千葉雅子の中味」を大いに堪能した思いである。

 役者では猫のホテルの面々が大活躍って言うか暴れまくりでとても楽しい。ラッパ屋の弘中麻紀も自分のキャラをうまく出していたと思う。伊達暁は相変わらずうまい。そして、小村裕次郎のキレた演技を久々に観る事が出来て嬉しい限りである。今回の死んだような目をした小村もなかなか良かったが、ぼっ壊れ度が低かったのがちょっと残念。やはり小村裕次郎には、あたりを破壊しつつ自分も壊れてしまう、そんな芝居を見せて欲しいと改めて思った。

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動物電気「人、人にパンチ(再演)」

三鷹市芸術文化センター星のホール 10/24〜10/27
10/26(土)マチネ観劇。座席K-11(招待)

作・演出 政岡泰志

 毎回お楽しみの前説コントは、三鷹市芸術文化センターに、にんじんボーンの公演を観に行く課長(政岡泰志)と部下(小林健一)の珍道中もの。

 で、本編開始。マグロ漁船第二万福丸に乗り、マグロ漁に出る男達。オオムラ船長(小林健一)、代理現場監督アサイ(辻修)、脱サラで漁師になったタチバナ(高橋拓自)、漁から漁で子供がなつかないヌマタ(森戸宏明)達。順調に航海していたが、途中台風に直撃したり、無断でアサイの行きつけの店・スナックチャチャのママ(伊藤美穂)が密航していたりで、ひっちゃかめっちゃかに。そして、船長が追い続ける宿敵“白マグロ”との遭遇。戦いを挑むが船は沈没する羽目に。無人島に流れ着き、そこでまぐろの大群を目にする。漁師達は漁師のサガかマグロを獲り始めるのであった・・・。

 98年に初演された芝居。その初演を観たのが動物電気の初観劇であった。その時は役者の個性に翻弄された記憶がある。今回はさすがに見慣れたのか初演時に受けた新鮮な驚きはなかった。内容の記憶もなくなっていて、マグロ漁船という設定は初演と同じとわかるのだが、他はほぼ新作?ってくらいに感じた。まぁそれはそれで楽しめたので良かったと思う。今回、あまり個人技に依存していない物語中心の舞台であったが、内容がちょっと薄味で満足感は中くらい。それに今回はマグロ漁船(女性は乗船厳禁)の話という事で、女優の活躍がなかったのも物足りなさの要因でもあった。伊藤美穂の登場は少なめ、川村幸枝は名前すらないし、石川明子は笑いにからめず・・・とても残念であった。


“動物電気”自分が観た公演ベスト
1.NOは投げ飛ばす〜魂の鎖国よ開け〜
2.女傑おパンチさん
3.えらいひとのはなし キック先生
4.人、人にパンチ(再演)
5.運べ 重い物を北へ
6.チョップが如く
7.キックで癒やす
8.人、人にパンチ

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シアターD+故林広志合同企画
「絹〜練り笑い、人間交差点〜」

シアターD 10/26
10/26(土)観劇。座席 自由(9列目右端:招待) 

作 故林広志、三浦竜一、ダークホース、JJポリマー
構成 故林広志

 故林広志が台本やら演出やらを提供して、それぞれ約20分くらいの持ち時間で何本かのショートコントを見せる企画公演。前説と後説(?)はJJポリマー。

○ラックチャック+ヴィンテージ
【1】菖蒲池狂四郎
謎の拳法家菖蒲池狂四郎と銀行強盗犯との、手に汗握らない攻防の話。
【2】父と子
くの一になりたい息子と飛脚を継がせたい父と子の不条理な会話。
【3】なかよしプロレス
タイトルのまま。仲良くする事が技のプロレス。

○暴動mini
【1】チャンピオン・ロード
いきなりチャンプにならないかと後輩を誘う先輩の話。
【2】火災通報
電話での火災通報。動揺を抑えようと友達のように話しなさいという消防官と火災現場で通報する男。男は動揺し右往左往するが、徐々に消防官の言う通りに話しだす・・・。

○ダークホース
【1】犯罪シミュレーション
犯罪者心理の話。
【2】バーチャル・ジョブ
バーチャルなバイトの話・・・ってそのままやん。

○Huka-Hooper
【1】回復力
看護の話。新人の看護婦二人は重症患者を看護で救っているのに、婦長は駄目。それを必死に言い訳するって話。婦長役の梅澤和美が適役。客演の高木雅代がきれい。
【2】曖昧なニュース
タイトルのまま。曖昧できっぱり言いきれていないニュース番組。
【3】面接控室
面接の控室での攻防。後がない梅澤和美の必死さが笑える。が、菊川朝子の役が、かわいこぶりっこ役の浅木政枝と梅澤和美との間を繋ぐまじめっこ役で、少々物足りない。ラストでは、菊川も梅澤を追い込んで欲しかった。あせる梅澤は「時給600円で充分ですよ」みたいなマイナスなシミュレーションをしてしまう・・・って感じで。
【4】使い道のわからない物
使い道のわからない物のテレビショッピング。

○ガバメント・オブ・ドッグス
【1】会議のあと
経営破たんの危機に陥っている銀行の部長(エディ・B・アッチャマン)と社員(水沼健)。この社員が画期的なアイデアを子供にしていたとの噂を聞きつけ、会議に出席させたが、結局話せずじまい。何故だと問いただす部長。子供のように話してくれれば話せるんだけど・・・と提案する社員。しぶしぶ子供になりきる部長であったが・・・子供になった時の気持ち悪さは、さすがエディ・B・アッチャマンって感じ。自分の後に座ってた人なんか、思わず「気持ち悪い〜」と言葉を漏らしてしまったほど。あの極端な壊れ方、間の取り方など、さすが天才コメディアン。この作品は他の人が演じても面白さは半減だと思う。あのキャラクターだからこそ作品が生きたって感じ。
【2】リアクターズ・バー
大げさに反応するバーのマスターと出張でやってきた会社員との会話。引いた演技の水沼健とオーバーリアクションのエディ・B・アッチャマンの対比が絶妙。

○JJポリマー
【1】覚悟のかたち
銀行強盗をして警察から逃げ回っている男は、たまたま投身自殺しようとしている男を人質にとってしまう。自殺願望のある男は刺される方向で行動を取ろうとする。犯人を追い詰めた刑事はその様子を見て途方に暮れる。で、最後には自ら投身自殺をしてしまう・・・のであるが、最後のセリフ「あー死んじゃった」は想像力が固定されてしまい勿体ないと思った。「あー飛んじゃった」くらいで良かったのではないかと思った。まぁ素人考えかもしれないけど。
【2】ウルフェン・ナイト
道に迷った男は、助けてもらった老人の家の周りに柵がしてあったり、何かを警戒している事に気がつく。話を聞くとこの村にはオオカミ伝説があるらしい。そうこうしているうちに満月が昇る。そして現れたのが大神と名乗る男であった。

 なかなか質の高い公演だったと思う。だが、欲を言ってしまえば、全てオチが弱い。“笑い”に慣れてしまっているのか、普通におかしいくらいでは刺激が足りない。それは自分だけではないと思う。普通にオチで笑って、油断した所にさらなるオチが仕掛けられているくらいの笑いがないと満足できないのが現状ではないだろうか。全体的にレベルの高い笑いは味わえたが、最後にドカンとくる笑いが欲しかったと思う。

 で、今回の目玉“ガバメント・オブ・ドッグス”であるが、その存在感はすごいの一言。特にエディ・B・アッチャマン。お笑いを本職とするシアターDの芸人達が霞んで見えたほど。『リアクターズ・バー』での最後の笑いもインパクトありありだった。故林広志の脚本を100%生かせるのは、やはりガバメント・オブ・ドッグスなのかなぁ〜と改めて感じてしまった次第である。キャラで言えば、Huka-Hooperの梅澤和美も良い。土壇場キャラ=梅澤って感じで私は好きだ。で、いつかは裏切って超お嬢様なんて役を演じてくれると、心が動転して面白いんだけどなぁ〜。

 これからこの公演をどんな位置づけで行なうのかわからないが、興味の持てる公演ではあった。次回公演も念頭に入れてあるらしいが(情報誌の月イチ企画は間違いらしい)、尻つぼみにならない様次回も満足させて欲しいものである。

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