2003年10月はこの3公演

 


クロム舎「純喫茶ピラニア」

中野あくとれ 10/2〜10/5
10/3(金)観劇。座席自由(5列目左端)

作・演出 西山聡

 危険を犯して初観劇・・・。“危険を犯して”なんて、失礼な言い方かもしれないが、知っている役者もいない、噂を聞いた事もない、劇団名すら知らない、どんな芝居をやるのかさえ知らない、そんな劇団の芝居を観て「面白かった」と思えた事はほぼない。経験から言って、面白い芝居に出会うのは奇蹟に近いのである。そんな苦い経験を無視し、観るきっかけとなったのは1通のメール。その挑戦状が如き案内に「そんなに自信があるなら観てやろうじゃないか(まぁそんな偉そうな気持ちはことさらないんだけど)」と、受けて立った次第である。新しい劇団を観るのは、まさに“賭け”だと思う。観劇料の1800円が、何倍かになって還ってくるのか、全てパーなのか・・・ほぼ後者なんだけど。まぁ、そんな不安を抱えたまま劇場に入る。席に座り当日パンフの案内文を読む。その文には「今回のテーマは、恋愛がテーマです。」と書かれてあった。何故“テーマ”が2回も繰り返されているのだろうか?何かの狙いなのだろうか?「今回は、恋愛がテーマです。」もしくは「今回のテーマは、恋愛です。」でいいのではないか?ふ〜む、悩む。実は“恋愛”は隠れ蓑で、真のテーマは“テーマ”なのかもしれない、って訳のわからない深読みまでしてしまう始末。もしかしたら自分の大好きな“おバカ”芝居なのか?そんな釈然としない気持ちのまま幕が上がる。

 舞台は“みかげ村”(どこかはわからないが、訛があるので地方だと思われる)の喫茶店。この店がタイトルの『純喫茶ピラニア』なのかは判らないが、きっとそうなのでしょう。その喫茶店で働いているミハル(小島綾乃)は、前日バカ兄貴のイカスケ(武藤心平)がめちゃくちゃにした店内の後片付けをしていた。昔は不良だったと言い張るイカスケは、ラジオおたくで、何百枚(何千枚?)もの葉書を出すが一度も読まれた経験がない。ミハルの夢は、都会に出てアイドルになる事らしいが、スカウトキャラバンに参加するバス代すら持っていない。そんなどうしようもない兄妹を中心に、都会から来た詐欺師キヌコ(滝沢貴子)や、何かワケありなマスター・スミス(山本祥将司)らが行き交って展開する群像劇。

 なのか?と疑問符を付けてしまうくらいに物語の芯がない芝居であった。駄目な兄が、実は妹思いのいい奴だったって話でもあるので、兄妹愛の話とも言える。兄妹を取り巻く人々の恋愛も描いているので、やっぱり“恋愛”がテーマの群像劇ともとれる。よくわからん。兄妹の話かと思えば、イカスケとキヌコの話になったり、ミハルとスミスの話しになったり、村人の閉鎖的な世界を描いたり、アイドル地獄物語だったり・・・なんか芝居がぼやけて退屈。眠くなってしまったので時計を見たら、まだ1時間しか経ってない。残り50分も辛抱するのかと思ったら帰りたくなった。でも、一番端に座ってしまったので帰れない。そうなったら後の時間は苦痛でしかなかった・・・。

 自分がこの類の芝居が大嫌いだってのも酷評の原因でもあるのだが、愛すべき登場人物がいないのも原因である。どんなに嫌なキャラばっかな芝居でも愛すべきところ、愛すべき人が必ずいるものだが、今回の芝居では、まったくいなかった。それはそれで珍しいんだけど、歓迎できるものではない。詐欺を行なう為に知的障害者に成りすましている男なんて、意図がわからないばかりか不愉快でしかない。面白いと思ってやっているのだろうか?それと、登場人物に心が入っていないとも感じた。あくまで上辺を演じているだけで、その人が歩んできた道、人となりが全然見えてこないのである。ラストのいいシーンだって(ありきたりな演出だけど)心には届かない。

 全てを通して感じたのは、勉強不足と経験不足。何を見せたいのかも伝わってこない。形ばかりじゃない本当の“人”を描いてこそ、物語は観客に伝わるものだが、それすらない。仲間内で公演を打って満足しているなら何も言わないが、それ以上のモノを目指しているなら、もっと勉強して欲しい。そして酷かもしれないが、必要のない登場人物も思いきって切っていいと思う。そうすれば、物語が凝縮され上演時間も短くできるはず。上演時間の長さと満足度は決して比例しないのだから・・・。

 あ〜ぐだぐだと愚痴ってしまった。これって書いている方もブルーになるんだよねぇ。嫌だ嫌だ。
 本日の教訓
 『甘い言葉にのってはいけないって事は、芝居でも一緒なのね』

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ラブリーヨーヨー「バッカスの壷」

三鷹市芸術文化センター 星のホール 10/10〜10/13
10/11(土)ソワレ観劇。座席I-9(招待)

作・演出 久米伸明

 “バッカスの壷”と呼ばれる壷にまつわる物語。バッカスと言うのは古代ギリシアの神様で、一般的には酒の神様として有名らしい。私は知らなかったんだけど・・・で、その“バッカスの壷”だが、自分の意思で人前に現われ、壷から湧き出る水(酒ではないらしい)を飲んだ者に未来を見せる・・・そんな壷が現われる、過去・現在・未来の物語。
○第1部「猿二の雨」
 雨がまったく降らず、カラカラに乾いた土地を耕す村人達。その村人達も、土地同様に元気がない。近隣の村人達は、あまりの凶作に村を捨てて、別の土地へと旅立っていった。この村もさすがにこれ以上は無理という極限状態に陥っていた。与作(中谷竜)、勘吉(加藤雅人)、おじじ(久米伸明)も村を捨てるのは忍びないが、背に腹はかえられぬと出て行く決心をした。しかし、猿二(田中聡元)だけはあきらめずに村に残った。畑を耕す猿二の前に“バッカスの壷”が姿を現わす。そして、壷の水を飲んだ猿二に、恵みの雨が降る未来を見せるのであった・・・。
○第2部「歓びの地球(ほし)」
 地球へ向かう宇宙船。地球への帰還を目の前にして、“隕石が、宇宙船に接近しているので回避せよ”と警報が鳴り響く。楽々隕石を回避した乗組員達であったが、隕石はそのまま地球へと一直線に軌道を描く。そして、一瞬の内に地球は破壊されてしまうのであった・・・。そんな悪夢のような未来を見せた“バッカスの壷”。単なる夢かと思っていた乗組員達であったが、皆同じ夢を見ているという事実の発覚で、現実味をおびてくる。そして調査した結果、夢と同じ軌道で隕石が近づいている事をつきとめる。地球へ危険を知らせようにも磁場の影響で電波が届かない。隕石を爆破すれば、その影響で宇宙船も木っ端微塵になってしまう。地球を見捨てて別の星で暮らす事もできる。悩む乗務員達・・・。そして、全員一致で選択したのは、命がけで隕石を破壊する事であった・・・。
○第3部「扉」
 父であるミズノアキラ(中谷竜)の部屋の“扉”を見て育ったミズノヒロアキ(加藤雅人)。その扉の中ではいつも、長男のミズノタカアキ(久米伸明)や次男のミズノマサアキ(田中聡元)が父と口論をしていた。口論の内容は、父が築き上げた医院を引き継ぐか否か。三男のヒロアキは扉の中には入れず、ただただ見ているだけであった。やがて、兄に代わって父の意思を受け、医者になったヒロアキ。“父の為に”と医者になったヒロアキだが、目標の父は他界してしまい途方に暮れるばかりであった。何の為に医者になったのか、と悩むヒロアキの元に“バッカスの壷”が現われる。ヒロアキが見たものは、「父親のような立派な医者になりたい」とはしゃぐ、ヒロアキの子供・ミズノライム(多田岳雄)の姿であった。

 ラブリーヨーヨーの芝居を観るのは初めてである。聞いた噂から勝手に作ったイメージでは、もっとスピード感のあるポップな芝居をする劇団かと思っていた。が、実際に観たら、ちょっと違っていた。どちらかと言えば芝居っぽい芝居、語弊があるかもしれないが古臭い芝居だったという印象が残った。まぁ、1回観ただけで判断するのは間違っていると思うけどね。今回は三鷹って事で違う芝居にしたのかもしれないし。細かく砕いて行くと、まず、第1部で「一体どうなることやら」と不安で一杯になる。このままの調子でつまらない芝居を見せられたらど〜しようって感じ。素人の発表会レベルの内容なんだもん。で、第2部でちょっと面白くなってきたが、まだまだ。せっかく『宇宙戦艦ヤマト』っぽい衣装を着込んだんだから、中途半端なパロディじゃなくて、トコトンやってくれれば面白かったけど、なんか消化不足。そして、第3部でやっと本領発揮なのか、面白い作品を見せてくれた。二人の兄の馬鹿っぽさと静かな演技のヒロアキとの対象的な演出も良かったが、ラストシーンが考えさせられ、後を引く芝居であった。これって自分の思い過ごしかもしれないが、とても良いと思う。演技にも味があって、第1部のあの下手さは何ってくらいに見違えた。

 勝手にラストを解釈してしまうが、間違った観点でも気にしないで。人それぞれ感じ方は違うってことで御勘弁を・・・。ラストシーンでの未来の子供とヒロアキが家に「今日は遅くなる(だったと思うが記憶違いだったらごめんなさい)」と電話をかけた事の意味するものを考えてみた。まず、そのまま捉えてみる。今まで父の為にがんばってきたヒロアキが、父の死後生きていく意味を失いかけていたが、未来を見た事で、今度は子供の為にがんばろうみたいな前向きな結末を迎える。って書いてはみたが、これは平凡で嫌い。次に考えたのが、壷を見た者は死を迎えているのではないかって(タイトルバックの壷の過去の事例はわからないけど、第1部の猿二は苗が出て村人が戻った時には姿がなかった。第2部では死を覚悟で行動に出た。)ことを踏まえて、ヒロアキは死の病に犯されていて、子供の未来の姿を見て安堵の中で死を迎える覚悟ができた・・・みたいな。次に考えたのは、電話した相手は妻で、その妻は子供を産めない体である。で遅くなると嘘をついて出かかけた先は愛人宅だった。ヒロアキは、愛人との子供を作る決心がついたのであった・・・ってのもあり得るのかも。なんかいろいろ考えられる物語であったと思う。

 どれが“ラブリーヨーヨー”の持ち味なのかわからないが、第3部目がそうなら良いと思う。でも、もう少し狭い空間で公演をしてこそ生きる劇団かなぁとも思った。駅前劇場くらいのスペースでラブリーヨーヨーの公演があるなら、もう一度観たいと思う。そう思わせる魅力は持っていた。

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動物電気「オールとんかつ」

中野ザ・ポケット 10/10〜10/19
10/18(土)観劇。I-2(招待)

作・演出 政岡泰志

 食堂オチの数々を見せる前説に続いて本編の開始。
 1993年、舞台は下町のとんかつ屋“とんかつ若葉”。何代が続いたとんかつ屋の店主が死んでしまい、その葬儀の日から物語は始まる。長男のムカイハム夫(政岡泰志)は、「表現者になるんだ」という曖昧な理由の元、店を継ごうとはしなかった。残されたのは弟子のマスダトシオ(小林健一)と同居していた長女のムカイサトコ(伊藤美穂)。サトコにも空間プロデューサーになるという夢はあったが、男にフラれて断念。店を手伝いつつ、才能もないのにフリーライターをやったり、ろくでもないな男とつきあったりして、年月は流れる。マスダはサトコを想いつつも、はっきりした行動には出られないでいた。そして1999年、サトコの中学の同級生だったカタオカ(鬼頭真也)が偶然店に現われる。会話が弾む上、ボランティア活動をしている好青年とあってはマスダに勝ち目はない。数日後(数ヶ月後?)、ボランティアで寄付するから店を売って欲しいとサトコから話を持ちかけられるマスダ。一度は仕方がないとあきらめたが、サトコへの想いを断ち切れないマスダは、店とサトコを賭けてカタオカと対決する事に・・・。勝敗とは関係なく、マスダの強い思いを感じたサトコは、店を売るのは考えさせて欲しいとカタオカに話す。その話に対し、カタオカは「アコムの返済が・・・」と、つい口を滑らせてしまう・・・。ボランティアの嘘が明るみに出て、サトコとの仲も破局を迎える。それから数年がたった2003年、ついにマスダは「結婚してください」とサトコにプロポーズの言葉をかける。快く「はい」と答えるサトコ。紆余曲折の末、幸せになりましたとさ。っていう感じの食堂を舞台とした人情喜劇。

 なんか、とってもまともな人情喜劇になっていた。どこかで破綻してしまうのだろうと思って観ていた自分には、ちょっとした予想外の展開。最後まで人情喜劇を貫き通してしまったのは、逆に感心って言うか心地よい裏切り。でも、いつもの“おバカ”さが少なかったのは、動物電気としては物足りない公演ではあった。もっとバカな芝居の方が自分は好きなのだが・・・。まぁ最後の対決のシーンは、動物電気ならではの体を張った芝居で大笑いしたんだけど。・・・それにしても“酢”には参った!飲んでいる姿を見ているだけで、口の中が唾液で一杯になってしまった。あ〜ぁ今思い返すだけでも唾液が溜まる。

 役者では、辻修と森戸宏明がいつのもキャラクターを生かし、いい味を出してていた。でもやっぱ、個人的には伊藤美穂の壊れた演技が大好きなので、今回は少々物足りなさを感じてしまった。それと、全体的には“これが動物電気だ”みたいな劇団色が薄かったように感じた。って前述した文章と内容がダブっ申し訳ない。前作同様にいい話だったので、余計にそう感じたのかもしれない。はちゃめちゃな芝居からは脱したという事だろうか・・・今後の動向が気になるところである。
 余談だが、前作の『集まれ!夏野菜』の当日パンフに「とんかつ、とんかつ」って書いてあったのを思い出した。「ブームが来る」とまで書いてあったが、残念ながら、ブームは来なかった。しかし、自らとんかつに因んだ芝居を作りあげたってのは、有言実行っていうか何ていうか・・・。


“動物電気”自分が観た公演ベスト
1.NOは投げ飛ばす〜魂の鎖国よ開け〜
2.女傑おパンチさん
3.集まれ!夏野菜
4.オールとんかつ
5.えらいひとのはなし キック先生
6.人、人にパンチ(再演)
7.運べ 重い物を北へ
8.チョップが如く
9.キックで癒やす
10.人、人にパンチ

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庭劇団ペニノ「ミセス・ピー・ピー・オーフレイム」

ウエストエンドスタジオ 10/31〜11/3
10/31(金)観劇

作・演出 タニノクロウ

申し訳ありません。まだ書けていません。

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