2000年9月はこの5公演

 


劇団、本谷有希子
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

プロト・シアター 9/2〜9/3
9/2(土)観劇

作・演出 本谷有希子

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猫のホテル「苦労人」

ザ・スズナリ 9/2〜9/10
9/9(土)マチネ観劇

作・演出 千葉雅子

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青年団プロデュース「月の岬」

紀伊國屋ホール 9/7〜9/12
9/9(土)ソワレ観劇。座席 F-10(だけど舞台設置上、前から3列目)

作 松田正隆
演出 平田オリザ

 舞台は、長崎の離島。平岡信夫(太田宏)は、父母を亡くし、姉・平岡佐和子(内田淳子)と二人で暮らしていた。物語はこの弟・信夫の結婚式の日から始まる・・・。平凡に見えていた日常(隠れた部分は、決して平凡ではなかった)がこの日より序々に波立ち始める。姉・佐和子の昔の恋人・清川悟(金替康博)は、今でも佐和子に想いを寄せており、しつこいくらいにつきまとっていた。ある日、二人で話しているところへ弟の信夫が帰宅する。様子から察すると、前日二人の間に何かがあったらしい・・・。教師である信夫と教え子の七瀬(占部房子)は、人に言えない関係を結んでいた過去を持つ・・・。新妻・平岡直子(藤野節子)は流産した事で(それだけではないが)ノイローゼになってしまう・・・。昔、姉・佐和子が流産したのは一体誰の子なのか・・・そして、佐和子の失踪が意味するものは・・・。それらが、微妙に絡み合い、交差する。ドロドロと屈折した秘密が、それぞれの崩壊を招いていく・・・。

 初演に続き2度目の観劇だが、初演に劣らず、松田正隆の書く台詞が心につき刺さる。本当にこの脚本は、面白さ(と言うか痛さの方が強いんだけど)が光る秀作である。それに加えて、平田オリザの演出の味わいは格別のものがある。特に、会話の間で感じさせるピリピリとした気まずい空気の作り方は、他の人には真似のできないものではないだろうか。ちょっとした息づかいまでもが、心をえぐる。そして、役者の繊細な演技も作品には欠かせない。姉を演じる内田淳子を筆頭に、松田正隆と平田オリザが思い描く世界を見事なまでに表現していた。その演技ですっかりその世界に引きずり込まれてしまったのは言うまでもない。これほど三位一体の芝居はない、ってくらいに素晴しさを感じてしまった。
 ただ個人的にだが、2度目の観劇という事で初演時の衝撃は薄れてしまった。まぁこれは仕方がない事であろう。ただ、姉の部屋から起きてくる冒頭のシーンは、物語を知っているからか初演時より重くのしかかってきた。冒頭から重い気持ちになるっていうか・・・。

 初演時も感じたのだが、この物語は“死”という自分の力ではどうしようもないものへの絶望感というか喪失感を常に宿している。それは両親の死であり、新妻の流産であったり、姉の失踪場所が毎年人が死ぬ場所であったりする事に発する。松田正隆の再演への想いに「この世に生まれて来るということは、結局自分自身ではいかんともしがたいことだった」と書かれてあった。“誕生と死”では相反するものだとは思うが、どちらも抵抗ができない自然の摂理という点では同一のものだと感じる。同じものの表裏関係みたいな。そんな中で葛藤する人間たち・・・。
 と、ここまで書いて、ふっと考えてしまっただが、作者の視点はどこにあったのだろうか。暗転時に鳴る風鈴の音色が、葛藤する人間をあざ笑っているようにも、心配しているようにも聞こえたが、その視線が作者なのだろうか。作者次第で登場人物を生かす事も殺す事もできる。それは人間を超えた存在でもあるわけで、再演への想いの「結局自分自身ではいかんともしがたいことだった」が覆えされる。登場人物達にとっては「いかんともしがたい」事には変わりはないが・・・。って芝居の枠を越えて宗教じみてきそうなのでここまで。

 物語の結末は姉は失踪したままで終わり、男と逃げたのか、死んだのかわからない。弟と教え子との関係も明確にはなっていない。もちろん姉と弟の関係もはっきり表面化させてはいない。ラストで行方不明の姉が憑依したかのごとく直子が言葉を発するが、精神的な崩壊なのか、もっと神がかりなものなのか?一切明かされない。そして、離島という小さな共同体における、関係性の複雑さだけが置き去りにされる・・・。ただし、それらが不快な未消化に終わっているのではなく、その静かな余韻、緊張感が物語の重さ、存在感を引き立たせていた。 やっぱ傑作だわ。

 最後に余談というか愚痴になってしまうが、前に座った人の座高が高く、観づらかった〜!って訴えたい。座っての芝居が多いこの舞台では致命的であった・・・。身長差で席の順番って決められないものか、とさえ思った。同じ経験をした人は私だけではないはず。これも「いかんともしがたい」運命なのかしら。


“青年団プロデュース”自分が観た公演ベスト
1.月の岬
2.月の岬(再演)
3.夏の砂の上

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NYLON100℃「ナイス・エイジ」

本多劇場 9/1〜9/17
9/16(土)観劇。座席 P-18

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

 引っ越して来たばかりの廻家が舞台。その日は長女・想子(澤田由紀子)が坂本九も乗っていた日航機事故で逝った命日。アル中の母親・澄代(峯村リエ)も、この日ばかりはちゃんと墓参りをしようと促すが、ぐーたらな父親・時雄(小市慢太郎)は、一向に動こうとしない。長男・時次(大倉孝二)、次女・春江(長田奈麻)もやる気ゼロ。家族はバラバラで、まるで絵に描いたような崩壊家族。そんな家族をなぜか怪談話で追い出そうとする大家・堺井(原金太郎)と妻(池谷のぶえ)。何故貸したのかは忘れてしまったが、その家のお風呂は、タイムマシン(お風呂の湯加減で渡航時代が決まる・・・)になっていた。実は大家はタイムパトロール(略してタイムパトロー。二人はタイムパトロー308号)で移動法違反を取り締まっていた。そんな中、まず時雄が失踪してしまう。タイムスリップした先は17歳の中学生時代、おぼっちゃまの時雄(みのすけ)は芸人の神田正(通称カンダタ:三宅弘城)に夢中で随分と金銭的に援助をしていた。そんな自分に再会。たとえ芸人の借金のために廻家が落ちぶれたとしても嬉しくてたまらない。次に飛んだのが次女の春江。姉さんの不慮の事故死直前にタイムスリップし、事故を阻止しようとするが、誰も話を真に受けない。次女の未来の娘・富松葉子(松永玲子)も現われ、あれやこれやと手をつくすが同様に誰も聞く耳持たない。長男の時次は、父親が行った同じ時代で右往左往する。そこで15歳の澄代(村岡希美)に出会ったりするが、未来の両親が不仲にならないかと、はらはらどきどきである。・・・もろ『バック・ツゥ・ザ・フューチャー』のパクリだけど、まぁ気にしない。最後に飛んだ母親は、2014年の未来に行っていた。次女の未来の娘に会い、将来次女や長女を救おうとしてくれることに感謝する。そして、家族を本当の時代に連れ戻す為にハンディタイムマシンを手に入れて時間を逆行する・・・。まぁ逆行する時になんやかんや歴史をいじくりまわすんだけど・・・。
 一方、時間移動をしている彼らの知らぬ処で、タイムパトロー308号は、滅茶苦茶になってしまった歴史の修復に「プランB」を発動する。それは、人類の記憶を消滅させ、全てをリセットするものだった・・・。かくして、廻家がかき回した現在過去未来はちゃらになるのだった・・・。

 むちゃくちゃ面白かった。全てが8月12日という設定も味があって良い。さまざまな年代が交錯し、それぞれの時代でサイドストーリーが展開される。廻家代々の話しなれど大河ドラマっぽくならないのも好き。安っぽい家族ドラマでもなかったし。上演時間が3時間半近くという尋常でない時間も全然気にならず。ストーリーもちゃんとしているし(まぁタイムパラドックスとかの科学的な問題は無視して)笑いも多い。シリアスドラマっぽいところがあると思えば、しっかりナンセンスさも忘れない。20世紀をKERAなりに蘇らせるところも感慨深げ。ラストでリセットしてしまうあたりも、ちょっとした不気味な願望も覗き観れて満足である。バラバラな家族が、結局バラバラのままで奇麗にまとまったりしないところもいい。
 あっ、そうそう廻り舞台(廻家だから廻り舞台ってんじゃないと思うけど・・・)ってのもなんか懐かしくて良い。ちょっとドリフターズの『8時だよ全員集合』を思い出したりして。

 役者も素晴しかった。上記以外でも時雄の父・時正を演じた志賀廣太郎。母・富佐子を演じた今江冬子。運転手・高瀬を演じた廣川三憲などなど、まさに充実の役者陣であった。役者も良くって脚本も良い、久々に大満足の舞台であった。

 あっそうそう題名にもなっているY.M.Oの曲が素晴しく芝居にマッチしていたのが印象的であった。芝居で使われた曲がいつまでも頭で鳴り響いているのは久々。それだけ作品の出来が良かったって証拠。


“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97
2.ファイ
3.ナイス・エイジ
4.フローズン・ビーチ
5.吉田神経クリニックの場合
6.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ
7.薔薇と大砲〜フリドニア日記#2〜
8.偶然の悪夢
9.フランケンシュタイン
10.絶望居士のためのコント
11.イギリスメモリアルオーガニゼイション
12.テクノ・ベイビー 〜アルジャーノン第二の冒険〜
13.ロンドン→パリ→東京
14.下北沢ビートニクス
15.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ

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rust-Kindergarten「くびきり」

下北沢OFF・OFFシアター 9/18〜9/20
9/18(月)観劇。座席 自由(椅子席4列目)

作・演出 中村衛

 どこだかわからない不特定の時代と場所。砂漠とかあって日本じゃないみたいだけど、そうとも限らない。殺人事件で死刑を求刑された男が首かせをはめられて処刑場にやってくる。記憶が消えていく伝染病とか、様々な騒動が起こる。そんな様子を淡々と描いた作品。

 まったり感が異質な世界を構築していて、おもしろい作品だと思った。不条理感もグッド。しかし、テンポが悪くちょっと眠くなってしまった。勿体ない。役者では野間口徹がいい味を出していたのが印象的。

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少年社中「光之帝國」

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ 9/21〜10/1
9/23(土)観劇。座席 自由(4列目左端)

作・演出 毛利亘宏

 西暦2045年、東京を中心とした関東全域を大地震が襲う。その地震により首都東京は壊滅状態に陥った。それから42年後の西暦2087年、東京は「シティ・オブ・トウキョウ」と名を変えていた。そのシティ・オブ・トウキョウ上空に浮かぶ天空の要塞「光之帝國(The Empire Shine)」では、4年に一度の“かくれんぼグランプリ”が4ヵ月後に迫っていた。
 シティ・オブ・トウキョウに住む17才の少年クラウド(井俣太良)は街一番のかくれんぼの名手であり、シティ・オブ・トウキョウではチャンピオンであった。周りは光之帝國で行われるグランプリへの出場を薦めるが、本人にはまったくその気がない。クラウドは4年前から、前回の“かくれんぼワールドチャンピオン”の雲載鷹<クライド>(川本裕之)とのサシの勝負を続けていた。隠れるクライド、追うクラウド。クラウドはクライドに勝つまでは、光之帝國に行くわけにはいかなかった。
 そんなある日、クラウドの元へ犬型タイムマシーンロボット・クチイヌ<正式名TimeTripDog9>(田辺幸太郎)を連れた胡蝶<パピコ>(大竹えり)が現われる。少女は自分をクライドの孫だと名乗り、何故かクラウドの事をクライドと呼ぶのだった。パピコは2132年の未来から祖父クライドに会いに来たのだと言う。かくしてクラウドとパピコは一緒にクライドを探し出す事になった。しかし、二人の行く手に立ちはだかる一人の男がいた。右手に最強の矛、左手に最強の盾を持ち、スネーキング(佐藤春平)と名乗るその男は、クライドとパピコが出会うのを阻止する為に未来からやってきたのだと言う。スネーキングには“血の輪廻を断つ”という悲しい使命があった・・・。

 まだまだ未完成な部分はあるものの、今まで観た中では一番の出来である。これこそ少年社中の完成型であり、やっと開花したかぁ〜という思いがした。あとは中途半端なくだらなさを省けば、完璧。脚本を突き詰めれば(以下ネタバレあり)、タイムスリップものの矛盾点、クラウドとクライドが同一人物であるとする自己の二局化における実態化の矛盾点など、文句をつけようと思えばいくらでもつけられる程、突っ込み所は多い。しかし、そんな点をほじくり返す必要はない。あくまで現実の話ではない“未来のおとぎ話”なのである。スネーキングなどは、クラウドの父であるにもかかわらず、クラウドとパピコの子供であり、さらにパピコの父でもあるというまさに最強の“矛盾”を持った男として描かれている。もータイムマシンのおかげで血の繋がりがめちゃくちゃである。しかし、そんな突拍子もない非現実的な世界を構築していても、面白い。全て容認してしまうくらいの面白さ・力強さが今回の芝居にはあった。それは演出及びスタッフワークの凄さの賜物であったとも言える。縦横無尽に空間を使う演出は最高のエンタテインメントであり、それを助ける音楽がこれ又最高にいい。思わず帰りにCDを買ってしまった程である。自宅に帰って早速聴いたが、芝居の効果うんぬん以上にその音楽自体のレベルの高さを実感した。今まで芝居で使ってたCDを後で聴いた時「あーあのシーンで使ってた曲かぁ〜」程度で音楽そのものを楽しめた事はなかったが、少年社中のCDは聴き応えがあった。ライティングも今までに増して素晴しい。ただせっかく客席の下に空間を作って空中都市的要素を出したのだから、もう一歩進んで客席の下でライトが走る、までいかなくても下からライトを浴びせる事によって浮遊感というか“飛ぶ”臨場感を出せたのではないかと、素人考えかもしれないが思ってしまった。これって高望みなのだろうか。いや、少年社中ならできたのではないか。舞台美術も最高であった。ここ数回(『エレファント』『slow』)目を引く舞台美術ではなかったが、今回の舞台美術は近未来感が漂い非常にいいものであった。音楽・照明・舞台美術・・・少年社中のスタッフワークの凄さを改めて実感した舞台であった。

 今回は登場人物それぞれの心情がうまく表現されていた点も評価したい。特に自分の呪われた血の輪廻を断ち切る為にやってきたスネーキングの存在が悲しくていい。その“呪われた血”の根源を作ったのが結局自分であったと知った時の悲しさは、いいようもない悲しさであったであろう。それを佐藤春平が抑えた演技で見事に表現していた。

 最後になるが、芝居に込められた“未来は変わる”ってメッセージも嫌味なく伝わってきた。


“少年社中”自分が観た公演ベスト
1.光之帝國
2.アトランティス
3.アルケミスト
4.ELEPHANT〜エレファント〜
5.slow
6.ゴーストジャック
7.ライフ・イズ・ハード

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NODA・MAP「農業少女」

シアタートラム 9/8〜10/9
9/28(木)観劇。座席 U-6

作・演出 野田秀樹

 センターに長方形の舞台、前後に広がるように客席。舞台には平行な2本のラインが引かれている。カントリー調の曲が流れる中、役者達が客席に向かってチラシをくばっている。そのチラシには『都市農業の会』の案内文が書かれてある。舞台はその『都市農業の会』のセミナー会場。開幕。中央に横たわる百子(深津絵里)。主宰であるツツミ(松尾スズキ)が講演を行っている。都会の悪行を一身に背負ったようなツツミの名を漢字で“都罪”書くと言っていたような気がするが、定かではない。その会場に百子の父親を名乗る一人の中年男・山本ヤマモト(野田秀樹)が拳銃を持って乱入してくる・・・。
 中央で横たわる百子を残して、場面は一転、過去へ。日本のとある田舎の農業という名の駅。線路に耳をあてている百子の姿。百子がつぶやく「“のうぎょう”と“とうきょう”。そんなにコトバの響きは変わらないのに、東京は農業から遠い」・・・。そう思いながら東京への電車に乗り込んでしまった百子。そこで東京に住む山本と出会う。百子への激しい片思いを秘めた山本と暮らしながらも、百子の心は、大衆の意識を扇動する得体の知れない都会人ツツミに、ひかれて行く。そして、洗脳され、裏切られる・・・。それは、百子が作りだした、臭いを消した新種の米“農業少女”が、ブームになったがあっという間に人々から忘れ去られていく姿とダブっていく・・・。
 そして、オープニングのシーンを挟み、現在に戻る・・・そこには苦しみを含んだ幕切れが待っていた・・・。一瞬にして消えていく夢と希望・・・百子が東京に出て来て挫折するまでを、世紀末の都会の風景と、都会の片隅で繰り広げられた極々小さな男と女の悲しい恋をからめて描いていく・・・。

 小空間で密度の高い芝居を行なうNODA・MAP“番外公演”の第4弾。今回の出演は、野田作品3度目の登場となる深津絵里、大人計画の松尾スズキ、双数姉妹の明星真由美(大阪で生まれた女を好演)、そして野田秀樹の4人。読売新聞の記事には、「触れられて忘れられてほっとかれてる、日本の中にある圧倒的多数の現状。それを書いてみた」と書かれてあったが、ちょっとわからない。別の記事では「20世紀に置き忘れようとしている日本人の本音を描いていく」ともあったが、これもわからない。正直言ってしまえば、この芝居のテーマを自分は理解できなかったのである。ごめんなさい。しかし、何故か非常に面白かったのである。脚本自体も良いし、スタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』を彷彿させる山本ヤマモトの存在も良い。ツツミの存在も良い。でも、なんと言っても、身近で全力疾走の芝居を満喫できるという素晴しさが一番大きかった。まぁ深津絵里が身近で見れるという喜びが大半であったが・・・。もー胸元が魅力的で・・・。

 私だけの感覚かもしれないが、ツツミと山本は実は同一人物ではないかという思いが強く残った。山本の煩悩というか本能がツツミという別の人間を形成していたのではないかと。山本が毒草を採取しに行った時にツツミが百子の前に現われる。別人格が顔形までも変化させてしまう。デビット・リンチ監督の映画『ロストハイウェイ』みたいな。東京行きの電車の中で山本の本心を語る男として松尾スズキが登場したが、その人物こそがツツミであり、その時からツツミという人物が生まれたのではないかと。ラストで山本がツツミを拳銃で撃つという行為は山本の自殺にも思え、悲しい男の物語としての結末を見た気がした。まぁそこまで飛躍してしまうとSF的になってしまうか・・・。
 まぁ正当的な見方をすれば、この芝居のモチーフである『ロリータ』を引き合いに出すのが妥当だと思う。『ロリータ』のストーリーを簡単に書くと、《・・・大学講師のハンバートは、シャーロット夫人の娘のロリータにひとめ惚れしてしまう。ハンバートは、未亡人のシャーロットと結婚したが、彼の日記でロリータに対する愛情を知られてしまう。そしてシャーロットは、車に飛び込んで死んでしまう。娘と新しい地で生活を始めたが、ロリータを束縛しようとするハンバートと、自由を求めるロリータとの間で争いが絶えなかった。そして、ロリータはハンバートの元から逃亡する。3年後、ロリータからハンバートにお金を無心する手紙が届く。ハンバートがロリータを訪ねると、貧しい青年と結婚していて、美しさとは無縁のロリータがそこにいた。彼女から愛した男の真相を聞かされたハンバートは彼を殺しに向かう・・・》というもの。この世界を世紀末の日本に置き換え、野田秀樹の世界を融合させたという感じではないだろうか。そうするとツツミという存在は山本にはないものを持っている人間であり、山本の極度の愛情から産まれた嫉妬心からラストの場面に繋がるのかなっと。まぁいずれにせよ世間の荒波に翻弄され変化していく百子の物語であると同時に、そんな百子を愛してしまった悲しい男の物語でもあったと思う。舞台に引かれた二本のラインは、東京と農業を結ぶ線路でもあったが、決して交わらない、わかり合えない、二人(それは山本とツツミでもあるし、山本と百子でもある)の心をも表現していたのではないかと思った。


“野田地図(NODA・MAP)”自分が観た公演ベスト
1.キル(初演)
2.パンドラの鐘
3.農業少女
4.Right Eye
5.半神
6.カノン
7.ローリング・ストーン
8.贋作 罪と罰
9.TABOO

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