2006年5月はこの3公演

 


劇団、本谷有希子(アウェー)「密室彼女」

ザ・スズナリ 5/3〜5/9
5/6(土)マチネ観劇。座席 A-4(招待)

原案 乙一
脚本・演出 本谷有希子

 都市の密集した雑居ビルと雑居ビルの狭間に偶然出来てしまった、四方を壁に塞がれた空間。そこは、空だけがぽっかりと四角く開いている密室空間であった。もちろん自力での脱出は不可能である。その空間にマナベ(加藤啓)と名乗る男が住み着いていた。彼は、自殺しようとして飛び下りたものの、死に損なったらしい。雨水を濾過し、何故か毎日空から降ってくるかきもちで生命を維持していた。マナベにとっては、その空間が世界の全てであった・・・。そこに自転車と共に女(吉本菜穂子)が落ちてくる。その女は記憶を無くしていた。自転車に書かれた小泉ハルコという名が唯一の手掛かりであった。女は大声で外に助けを求めるが、一向に届かない。仕方なく女はその空間でマナベと共同生活を始める。そして何故自転車共々落下してしまったのかを少しずつ思い出して行く・・・。
 舞台は変わり、女が落下する前の話。女は、トランクに死体を詰めて運んでいる深沢秀一(杉山彦々)と須藤景介(加藤啓)を目撃してしまう。女は、何ごともなかったがごとくその場所を離れようとしたが、そうも行かず、雑居ビルに軟禁されてしまう。女は、抵抗した時に頭を強く打ち、記憶を失っていた(失ったフリをしていた)。男達は女を神木翔子と呼び、ここで暮らしていたと告げる。しかし、それは女を帰さない為についたウソである。神木翔子はすでにトランクの中で冷たくなっていたのだから・・・。加えて、本当に記憶喪失なのかを探る為についたウソでもあった。記憶喪失でないとバレた時の恐怖を抱えたまま、女は、神木翔子として共同生活を始める・・・。

---以降ネタバレあり。ミステリー仕立ての物語なので、いつか観てみよう(DVDとか出るかもしれないし)と思う人は、読まない方が懸命です----

 二つの物語が交互に描かれていく中で、女の過去の記憶が徐々に蘇り、ラストへと向かっていく・・・。本来、二つの物語は一本に繋がるはずであるが、その密室空間の時間軸は微妙な捻れを生じたまま突き進んで行く。そして、ラストでその不条理に満ちた世界が露になっていく・・・。

 そんなストーリー。マナベ=須藤であるが、屋上から落ちていく女を部屋から須藤は見ている。しかし、下の空間にはすでにマナベが存在している。空から降ってくるかきもちは須藤が投げていると想像できる。そしてラストには深沢が殺したはずの女(=神木翔子)が投げ捨てる四コマ漫画が降ってくる・・・。その空間だけ時空が狂ってしまったのか。いや、その途中の空間がねじれているのか・・・。女が乗っていた自転車は盗品と判明するので、結局女が誰なのか最後までわからない・・・。そんなミステリー色が強い物語である。
 雰囲気も好きだし役者もいい。面白みは充分にあった。でも、何故か眠くなってしまった・・・。眠くなるのは、観る側の体調も確かにある。それは重々承知している。ただ今回は、緊張感が持続できていない演出に問題があるのではないだろうか。そう感じて止まない。

 私はこの物語を、女と須藤の恋愛を描いたものだと思っているのだが、見当違いだろうか?当日パンフに乙一が書いた初稿プロットが印刷されていたが、そんな感情の触れあいはほぼない。須藤の翔子に対しての愛情は描かれてあったが、それは逃亡への布石でしかない。そこに本谷が“歪んだ愛情”を加えて成立した物語が、今作品だと感じたのだが、どうだろう?ただ、その感情表現を絞り出す前に、時空のズレで逃げてしまった感は否めない。いや逃げてしまったわけではないので言い過ぎ。その時空のズレで同一空間に三人の須藤が存在してしまう程の感情の困惑がキーワードだと思っているのだが、そのどろどろした感情の沸点を不条理感だけで収束してしまったのが残念でならない。もっと“情念”を描いて欲しかったのである。三人が存在してしまった須藤の想いはもっと深いはずである。時空の歪みは須藤の感情が分裂した結果作り出されてしまったとも言える。ただ、それが伝わって来ない。下の空間に存在するマナベ(=須藤)は、自殺未遂ではなく、落ちた女に対し衝動的に飛び降りた結果生まれたものかもしれない。かきもちを投下するスドウは降りるのを躊躇している須藤であり、落下を見て平静を装うもの須藤である。そんな感情の揺らぎ、不条理な空間を作ってしまった須藤の想いを、観客が“痛み”を感じるくらいに描いて欲しかった。捻れた空間があって物語が生まれたのではなく、捻れた空間を生じさせた“想い”の物語だと思うのだが、伝わるものがあまりにも希薄であった。乙一×本谷有希子はおもしろい組み合わせだと思ったのに、少々期待はずれであった。とても残念。


※劇団、本谷有希子(アウェー)なので本公演とは区別しています。

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王子小劇場企画リーディング公演
「夕鶴〜生きづらさAとハイスコアB」

王子小劇場 5/6〜5/7
5/6(土)ソワレ観劇。座席 自由(4列目中央:招待)

作 小沢哲人
演出 山中隆次郎(スロウライダー)

 舞台は、池袋にある小さな風俗店の控え室。風俗嬢のアイコ(松浦和香子:ベターポーヅ)とヨーコ(山口奈緒子:明日図鑑)が客の指名が入るまで、そこで時間を潰している。店長の山内(板倉チヒロ:クロムモリブデン)は、店の金を持ち出したまま一週間前から行方不明である。急遽、従業員のマサル(數間優一:スロウライダー)が代理店長となり切り盛りしている。しかし、経営者である元締めのヤクザは、この機会に店の名前とサービスを変え、新装開店しようと画策していた。不景気という事もあり、その時に従業員の給料を減らすのではないかという噂が流れ、風俗嬢の何人かはこの機会に辞めるとも言っていた・・・。そんな状況下でも新人のアヤ(内山奈々:チャリT企画)は働き始めている。そして、逃亡中の元店長の母(稲川実代子:菅間馬鈴薯堂)は、ここ数日店に寄っては、気の済むまで瞑想のように座り込み、息子を感じようとしていた・・・。

 王子小劇場が掲げる「筆に覚えあり」に応募した本作は、最高評価(劇場使用料一週間無料)には至らなかったが、過去最高の評価を受け、相当の条件での公演を約束された。しかし、公演計画そのものが頓挫してしまい、上演予定が未定となってしまう。そこで、王子小劇場は、この作品と才能に日の目を見せるべくリーディング公演としての上演となったらしい。

 舞台前面に控え室のセットが置かれ、その後ろの椅子に役者が座りリーディングが行われたり、元店長の母のみリーディングではなく、普通の演技をしたりと、“リーディング公演”に変化を見せた演出はとても面白かった。かと言って公演全体が面白かった訳ではない。台本を読み直すと、ト書き部分に面白さが隠されているシーンが多く、脚本の面白さはリーディング公演では伝わらないという難しさを感じた。ト書きの部分(行間と言った方がいいか)を演じれないために、伝わってこない感情が多いのである。では、脚本は完璧だったのかと問われると、そうでもないと即答してしまうだろう。一体何を見せようとしているのかが伝わってこないのである。それはリーディング公演だからとかではなく、脚本自体からテーマである“生きづらさ”が見えてこないからである。風俗店で働く女性の脳天気さというか明るさはいいと思うが、その明るさに隠された部分(=生きづらさ)が見えてこない。加えて、個々の生き方に生々しさが感じられないのである。正直言って脚本の練り込み不足を感じて止まない。
 アフタートークで作者は風俗店未経験を告白していた。経験がないから描いてはいけないとは言わないが、その経験のなさが練り込み不足に繋がった要因ではないかと思う。客の乳首の話をするシーンがある。話を作る上では重要なキーポイントであるのはわかるが、控え室で客の話(仕事の話)をするのだろうか?疑問に思う。私はしないと思うのだが、どうだろう。あえて他愛もない会話に集中する事で、現在の状況(風俗店で働いていること)を忘れようとするのではないだろうか(無意識に)。加えて、この店が何の風俗店か判らない点も、深みのなさに繋がっていると感じる。どんな風俗かによって、新人のアヤに言う「女を捨てたか?」というセリフの重さが違ってくると思う。女にしか出来ない仕事に対していうそのセリフは簡単なものではないはずである。まぁ自分の考えず過ぎってこともあるけど・・・。
 できることなら、風俗を経験し、いろんな女性の話を聞き、もう一度書き直して欲しいと思う。

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無機王「僕の腕枕、君の蟹ばさみ。」

王子小劇場 5/11〜5/14
5/13(土)ソワレ観劇

作・演出 渡辺純一郎

申し訳ありません。まだ書けていません。

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北京蝶々「コトバのサクラ」

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ 5/17〜5/22
5/22(月)観劇。座席 自由(7列目中央:招待)

作・演出 大塩哲史

 舞台はとある施設の中の一室。そこでは通信用ロボットであるサクラが4体(1:岡安慶子、2:満間昂平、3:三浦英幸、4:太田美登里)が置かれ、フォーラムを作っていた。ただしサクラは着信しないと起動しないので、あくまでも擬似空間であった。そのフォーラムの常連であるマリアン(赤津光生)を訪ねてヨシノアキラ(垣内勇輝)が着信する。ヨシノは失踪してしまった妻のヨシノミサキ(鈴木淳子)を探していた。そのフォーラムを行き来するタツヨシ(森田祐吏)は、人材派遣業者と称してスキンシップで金を取る風俗まがいの商売をしていた。そこで、アキラは自称女子大生のイクミ(長岡初奈)と共に働くミサキを発見するのであった・・・。
 一方サクラを管理しているシステムオペレーターのアオキエミカ(鈴木麻美)は、最近システムが落ちてもサクラが動き出そうとしていることに不安を覚えていた。整備士タナカヒロコ(帯金ゆかり)の手でシステムを崩壊させようと試みるのだが・・・

 面白かった!自分的には『Othello』に匹敵する面白さであった。やっぱ北京蝶々には何気ない日常風景より、ちょっとSFチックな物語が似合う。
 ただ、ラストシーンでアオキエミカがタナカヒロコに向かって言う「あなたとは話したくない」というセリフの意味が飲み込めていない。ちょっと消化不良なのである。単に性格が合わないからとか、嫌いだからとかではないはず。
 まず考えたのは、タナカヒロコは“サクラゼロ”ではないかという事。それを知っているアオキエミカは「“サクラ”とは話したくない」と言ったのではないか。そう考えるとマリアンの事を“母”とも“父”とも呼んでいるのがおぼろげながら納得できる。他の“サクラ”と会話ができるというのもうなずける。ただ試作品にしては高性能過ぎる(すでに歩行が出来ている)ので、未来からやってきた“サクラver.100”とかなのかもしれない。そうなると番外公演の『フラワーズ』のタイムスリップにも繋がってくる。
 もう一つの考えは、アオキエミカが「言いたい事があったら直接話しなよ」と言っているわりにはモニターに向かって独り言を呟いていることが多い。友人がいなさそうでもある。この仕事を始めて対人恐怖症ではないが、人と話す事ができなくなっているのではないか・・・。そんな精神的なものを表現したのかも。

 と、そんな釈然としないラストシーンではあったが、概ね満足である。ただ、どんな結末でもいいので明確なものが欲しかったとは思う。いや、単に私の理解力のなさかもしれないので強く言えないのだが・・・。

 物語の中核をなす“サクラ”は人間の代わりに会話をする、人型電話機(=手足のついた電話)である。しかしこのシステムの目的は、ただの電話機として使用するのではなく、相手に成り替わって会話をする装置なのである。今現在でも相手の顔が見えずに(見えたとしても)会話をしているが、果たして相手が本物かどうかは知る術がない。さらに言ってしまえば、もしかしたら相手は存在しないかもしれない。コンピューターに記憶とか性格とかをインプットしたら本人に成り代わって会話ができるのではないか。人間の代理システム。クローンより現実味があるかも。
 そんな事を考えると、ちょっと未来を描いているように見えて、実は現在の病理を突いた素晴らしい作品なのではないかと思えてくる。いや、書き方が下手で疑問符っぽく聞こえるけど、素晴らしい作品なのである。そして、その先には、幸せになる為に構築したシステムによる人類の崩壊が垣間見える。人間が存在しない未来でも、実のない会話を続けるサクラがそこにいるかもしれない・・・。

 余談だが“サクラ”には、「露店商などの仲間で、客のふりをし、品物を褒めたり買ったりして客に買い気を起こさせる者。」って意味もあるので、タイトルの『コトバのサクラ』には、“本物ではない言葉”そんな意味あいもあるのかなぁ〜と考えたりして。

 あっ、追記になってしまうが、役者が段々良くなっているのがはっきりと判る。まぁ個人的に好きな役者がいるってのもあるんだけど・・・。次回公演も楽しみだ!


“北京蝶々”自分が観た公演ベスト
1.Othello
2.コトバのサクラ
3.心無いラクガキ
4.入れ替わるためのまちがい探し
5.酸素
【番外公演】
フラワーズ

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