98’6.3〜7.28
- 7月28日 「想い出させてあげよう」
- 作者は堀田あけみさん。すごくピュアで優しい小説を書く方で、私の好きな作家の一人だ。 名古屋の方らしく、ほとんど方言。あまり優しい言葉というイメージのない名古屋弁だけれど、 小説の中では、すごくまろやかに使われている。それがとっても心地よい。
本の解説には恋愛青春小説なんて書いてあって、それを見ると照れてしまう私がいるが、 恋愛小説ってだけじゃないぞ(^^ゞ。主人公は天馬安寿子。一言で言えばかっこいいという言葉がぴったりな高校生だ。
スタイルもよく、背面飛びで高く飛ぶ。それは自分でも自覚していて、かっこいいひとであろうとする。 おさななじみの女の子は美人とはいえないが、守ってあげたくなる女の子。
彼女の彼氏を実は好きだったりする。そんな安寿子を軸にする高校生活のお話。とりたてて、事件が起こるわけではないが、日常の生活の中で、変化していく心の中を さらっと描いている。安寿子に限らず、登場人物のひとりひとりの心の中がすっと読み手の中に入ってくる。
そして、母と子の会話が、最高でした。安寿子ちゃん家に限らず。会話がポンポンと弾んで・・・ 「なんでこんなかわいげのない子になってしもたんやろか」って母に訴える安寿子は私、かわいいと思うぞ。
お相撲さんの、「ぶた」って言われるのが嫌だというコメントを聞いて、それが嫌なら相撲なんかやめちゃえ、 自分で太ろうとしていて・・・ほんまのこと言われたら嫌がったらあかんって叫ぶ、安寿子の性格が好きだ (安寿子は走る大仏とか言われても嫌がらんようにしているらしいからすごいものだ)。最後は、自分で自分自身に整理をつけて、目指すものをみつけてゆく。 高校生ってそういう時期なんだろうねぇ。
何をしていたんでしょう私は(笑)何も考えてなかったような・・・。でも、私も高校に入学する時に、 「何がしたいか、見つけるために高校に行く」なんてえらそなことゆってたなぁ。 卒業する頃にはすっかり忘れてたけど・・・(^_^;)。
もう少し、高校生活ってものを楽しんでおけばよかったと、今更ながら思います。
- 7月25日 「皇帝/ヘミングウェイレビュー」
- マリコさんのさよなら公演。この間のみきちゃんに続いてマリコさんまで・・・
卒業してしまうんだねぇ(T_T)。ひそかなふぁんだったのに・・・アンドレ好きだった(^O^)。
花・真矢/月・涼風/雪・一路/星・麻路というトップのラインナップを勝手に望んでいた こともありましたっけ・・・(ちょっと無理があったね)
おりしも今日は、バウホールのチケット発売日。なのに今日に限って昼までおしごとでぇ〜クスン。 チケット手に入るかなぁ・・・近年のトップ年数の短縮化、大きな時代の流れ。
マリコさんも退団の会見で宙組ができた時に、すごく感じたって・・・ 新しく変わっていくことも大切なんだろうけど、私がまだ宝塚を 知らなかった時代のほうが身近に感じてしまうっていうのもなんか 変な気がする。私の中でも一時代終わっちゃったんですね。かなり複雑な思いをどこかに持ちながら、サバキのむれの中に行く私。今日はバトルでした(^_^;)。 絶対にみるんだぁと信念持って、突っ立ってたらめぐり会いましたけど。
舞台はマリコさんらしかったな。あんな豪華なセットとお衣装がここまで似合う方も そんなにいないだろう。皇帝の方は、1本ものでじっくりとみたかったという印象。友人は何で ネロやりたかったんかぁ〜とか言ってましたけど、私結構好きでした。
ショーはちょっと?マーク飛び交う中、最後はよかったねって(笑)。後半がすごく奇麗だった。- 7月22日 「夏の災難」
- 今、土曜日に「ハルモニア」をドラマ化している。篠田ファンとしましては 先に読むべきか・・・後にした方が良いかと迷っている間に放映が始まってしまった(^^ゞので 後回しということで、「夏の災難」を読む。
あいも変わらず恐い話しだった。この間の回をみた限りでは「ハルモニア」 の方は、オカルトっぽいお話のようだけど、こちらはパニック小説。これはあんまり実写でみたくないぞ(^^ゞ。
日本脳炎に似た症状の患者が、続出する。それも一定の地域で・・・ そして、従来の日本脳炎と違うのは、感染してからの発病率があまりも高く 発病後は、死亡か何らかの障害が残ってしまうという。当然現場は、パニックになるが、以前流行していた脳炎の患者を見たものは 少なく、これが日本脳炎だといわれれば、そう信じるしかない。 おかしいと感じた看護婦と病院の事務員が、原因を突き止めようとする。 去年流行したO157の騒動のことを思い起こしながら、読んでた。
あの時も、カイワレが原因だという噂が流れれば、スーパーから、カイワレが なくなってしまったっけ(^_^;)でも、その元凶だと思われる街が、 完全に隔離状態になってしまう。店に人がこないだけでなく、品物自体が入ってこない、工事にも来てもらえない、 という状況にまでなってしまう。ここいう時、人って冷たいのよねぇ〜。
何か異常事態が起こった時、人間は、より本能的に行動する。 最終は、まだ副作用がでるという予防注射をすることで一応の、騒動はおさまるが・・・
あれだけ、予防接種は体に悪いとデモ活動までしていたのに、副作用があるかも知れないと分かっていて、 でその病気にかかるよりもいいというわけ。しょうがないことなんだけど、 人間の行動ってその時まかせだなぁと、実感。
知らなかったが、私が小学生の時は半強制だった予防接種は任意になっているらしい。 アレルギーを持つ子供が多くなっているのも原因しているのだろう。
小説の中では、人為的災害だったのだけど、人為的じゃなく自然にそんな病気が発生しても全然おかしくない。 人間が自然がそのままでいられる環境でなくしてしまったことは重々分かっているし・・・ そんな事を考えるとますます恐くなってくるね。毎晩パソコンなんぞに向かっている場合じゃないのかもしれないなぁ・・・ う〜ん^^;いつもながらすごいって思うのは、篠田さんの専門的な知識の多さ。
どの作品も、いろいろなテーマをその専門がじゃないと知らないのじゃないか というくらい深く書いてある。それも、その本によって全然違うジャンルだったりするから この人の頭の中はどうなっているのだろうっていつも思うのです。
その分、読んでいる私の頭の中が?マークで埋め尽くされそうにもなりますけど・・・(^^ゞ最後の数行は、それまでのどのシーンよりも、背筋が凍るような怖さ。ちょっと後ひくかもしれない・・・
- 7月16日 「ドリーミング」
- ドリーミングが大阪でみれる!! この公演が発表になった時は、ものすごく嬉しかった。
青山劇場のこけら落としで、すごいセットと衣裳で・・・ビデオよく見ました(^^ゞ。歌詞、覚えてますもの私。 どれも、覚えやすい曲ばかりで・・・パンが踊る、水が流れて、火が叫ぶぅ〜。ミチル役の青山さんがほんとにかわいい。 懐かしい、曲と、衣裳、振りは変わっているような気もするなぁなんて・・・ カットされていた部分もちゃんと観れたのが嬉しかった。
ただ、あまりにも鮮明に残っているのには閉口した。 あの時の役者さんのくせとかがばっちり頭の中で、再演って難しいっていうのは 観るものの方に勝手に作り上げたイメージが最初からあるってことなんだと実感。
また、TVバージョンはその当時、もうこれしかないぞってくらい力入ったキャスティング だったから・・・個性豊かすぎたよ。忘れられん(^_^;)。しかし、夜の女王、ベリリューヌした下村さん。チラシみて奇麗だなぁって思っていたけど、 はまってるってなものじゃなかったねぇ。顔もさることながら、なんであんなにピンクのドレスが 似合ってしまう体形なんだぁ〜。
しゃべると少々笑いかってましたけど、その辺は御愛敬ですねぇ。
楽しみにしていた夜の御殿。あの迫力はやっぱ生じゃなといとねぇ。かっこよかったっす。 いっちばん、強烈な印象を残してくれました。かなりいきごんで劇場に足を運んだ私。座席もかなり前の方でラッキーとか思ったけど、 今回、舞台の装置が大きいのと、どうやら舞台自体に高さを持たせてあったようで、 かなりみにくかったし、首が疲れた(^_^;)。
美女と野獣の時は前2列を、みにくいって理由で値段を下げていたが、その時の方が そんなに違和感なったくらいだ。
緻密な表情なんぞをみるタイプの作品ではないので、これは2階で見たほうが 絶対によかったなぁと後悔。森のシーンなんかはもっとリアルに見えるんじゃないだろうか。 もう一度2階から観たいけど、もうおしまいだなぁ。未来の国のシーンかわいくて大好き。
マルコメみそのCMの子供(^^)みたいなのがいっぱいいて、これから生まれる世界に 希望をもって楽しそう。
時のおじいさんが「てぶらではだめだ、病気でもなんでもいいからもっていけ」って。 そのままとるとちょっと恐いお言葉だけど、生まれるってことは何かをするために 生まれるんだなぁって。ってことは私もかぁ・・・う〜ん。
童心に帰ってみながらも、台詞のひとつひとつにいろんなことが含まれているのに気づく。と同時に かわいいなぁ、奇麗だなぁ、すごいなぁってそれを単に楽しむことだけじゃなくなっている自分にも・・・ 年月の重みなのかと少々複雑だった。- 7月13日 「ノートルダム」
- 「ノートルダムの鐘」としてディズニーのアニメ映画になっていたのを見ていて すごく好きだったので、レンタルショップで見つけた時は、思わず借りていた。
アニメの方はミュージカル仕立てということもあり奇麗な映像と音楽で、 奇麗な心のカジモトと踊り子エスメラルダの愛を中心に視覚的にも感情的にも感動的なものになっていたが・・・。実際の人間が、動いているそのことだけでも十分リアルに感じるのだけれど、その当時の、 パリの暗い背景がみえて・・・動物的な人間がこわかった。 あんなに夢のあるアニメの本当の姿をみたって感じかな。
どの国にも宗教者がその国を操っていた時代があるが、まさしくそんな時代。 知識を特別のものにして、司教という立場を神に近いものにするため、 書物を印刷することを禁止していた。その司教曰く「簡単に知識が得られるなんて悪魔の誘いだ」と。
この司教さんも、カジモトを拾った時にはまだまだ、いい人だったのだろうにね。 どんどん、心のバランスを崩してしまったんだろうね。最後はただの狂人になってましたもの。エスメラルダの役の女優さん、エスぺラードの時にいいなって思ったけど今回もgood(^^ゞ 最初は、嫌悪感をあらわにしていたけど、恐い人じゃないって分かってからのカジモトを見る目がいい。 踊りも素敵なんだろうけど、意思の強そうな、黒い目。民衆はこの目にひかれたんじゃないかな。
ふたりの魂のふれあいにも感動したが、 不細工な顔を競う祭りがあったり、婦女暴行のぬれぎぬで鞭打ちの刑に されたカジモトに果物や石をなげる民衆達の姿。自分達よりも弱いものをさげすむことでしか快楽を得られなか ったのだと予想できる民衆のいびつな心がすごく印象的だった。
- 7月6日 「凛々乙女」
- 小林聡美さんのエッセイ。御本人の明るい性格そのままの本だった。 5年前に出版され、今回文庫化されていたのをみつけた。
あんまりエッセイって読まないんだけど、結婚の記者会見の時に(だんなの方か どっちか忘れたが)「お客さんのあまりこない家庭にしたい」と言っていたのが 残ってて、どんな文章書くんだろうって興味もった。楽しかった。毎日をたのしんでんなぁ〜それが、感想。この人のイメージっていえば私の中じゃ 「やっぱり猫が好き」のきみちゃんで…あれは、半分地だったんだねと 思えるような感じ。そのまましゃべっているみたいだもの。 読みやすくて、くすくす笑いながら一気に読み終えた。くすくすなのだな。げらげらじゃ なくて…女優という職業をしているとは見えない…と自分でも書いてるけど、 感覚的に、庶民なんだ〜。原稿書くためにファミレスで一日粘った話とか、外国のトイレの話が お気に入り。ちょっと冷めた性格にも共感持っちゃったりして…あっディズニーランドのお話も。 力入れすぎて生活している時に読むとふっと力が抜けてイイカンジかもしれない。 暗い本ばっか読んでちゃいけないね(^^ゞ。
しっかし、三谷さんとの新婚生活、なんか除いてみたいという衝動にかられている。 ちょっとぐらい脚色したっていいから、書いてほしいな(^^ゞ。三谷さんじゃなくて彼女のほうにね(^^ゞ。 もしかしたらエッセイなんぞ出版されているかもしれないけど…それでも 文庫化されるのは…やっぱり先だな(^^;;。 (きりがないので財布と相談の上文庫本しか買わないようにしているの私^^;。 買えないというほうが正解かぁ)
- 7月3日 「プライド 運命の瞬間」
- 公開最終日に見に行ってきました。最終日という日のせいか、結構人がはいってましたね。 かなり年齢層高かったけど。あの時代に生きたひとはどんな感想をもったのだろう。
「東条英機」という名前に聞き覚えはあったけど、 あまり、よく知らなかった。第二次世界大戦の時代に力を持っていたひと。そんな程度の知識だ。 ただ、軍事裁判みたいなものに興味をもっていってみた。実際、私は、戦争世代ではないし、先入観も ない。だからかもしれないけれど、凄い人だったのだと、素直に思ってしまった。 東条英機の人柄が本当にこの映画のような人物だったのだとしたら、ものすごい大きな人物だったのだと・・・。 (独裁政治は困るけどこの不況の中、独裁政治をしても許せるくらい統率力のある総理がいれば いいのになと思ってしまうよ。)
裁判長がつぶやいた。「この裁判は、どうもうしろめたい。あの被告達は、死ぬことを恐れていない」と。 東条に尋問をしていた、最初はかなり挑発的な質問で困らせようとしていたアメリカの検察官は どんどん悲痛な顔になっていく。何を言っても堂々と 自分は悪いことをしたとは思わないという石のような決意と恐ろしいぐらいの記憶力が 不気味だったみたいだ。この人の心情も聞いてみたかったな。
しかし、戦争裁判ってなんだったのだろうね。 日本人が、日本の代表者をこんな戦争を始めてくれてと裁判で裁くのはしかたがないが、 戦争なんだよ。その相手が戦争に負けたからってその責任を強制することはないだろうと私なんかは 思ってしまう。弁護団側もその点で救おうとしたのだけど、その問題は問題外になってしまってた。戦争をはじめる決定を下した。そのことが悲惨な結果をもたらしてしまった。だから戦争が負けて、 国民は東条をうらんだようだ。その気持ちも仕方がないものなのだろうけど。 一番びっくりしたのは、東条の孫を学校の先生が「東城君のおじいさんは どろぼうよりも、悪い人です」といって、生徒に紹介していたことだった。 いじめが問題視されている現状で、このような事を先生が口にしたとしたら・・・ちょっとぞっとする。 これも、時代なんだろう。
ただ2時間40分という長時間の映画にする必要があったのかなと・・・インドの独立記念日が日本の 終戦記念日らしいが・・・それでなくても分かりにくい歴史に、インドの歴史が重なって・・・ ちょっと頭が混乱した。(それにしても、義丹ちゃんの顔で終わるとはおもわなかったな。この人の存在は 一体・・・) 戦争が終わって50年以上も経つと、人間の記憶も風化するし、それを伝えようとするならば もっとみんなが見やすい映画にして欲しいなとおもった。
- 6月24日 「火車」
- 本を読んでいる時に、映像にしたらどうなるだろうと、思いながら読む本がたまにある。
この「火車」もその中の一つだった。結構長編のものにかかわらず一気に読んでしまったくらい、 のめり込んだ本だった
婚約者の女性が失踪する。その失踪のなぞをさぐっていくと、意外な事実が判明する。 その女性は親の作った借金から逃げ出そうとして、どうやら他人になりかわっていたのだった。 そして、そのなりかわった女性もまたカード破産をしていた・・・ 少しだけ幸せになりたい。そう思うっただけでどんどん不幸せになっていく二人の女性。 なんかやりきれない思いと同時に得体の知れない怖さみたいなものを感じていた。 カード破産をさせた弁護士は、「カード破産は社会悪」みたいなことを言っていたが、実際、カード破産を するということは、普通の生活のほんのちょっと向こうにあるだけなのかもしれない。 「たばこの吸いすぎには注意しましょう」と書くだけで、そこら中に売っているたばこ と一緒なんだろうな。その本がどうやらテレビドラマになっていたらしく、再放送があったので、みてみた。 もっと脚色してあるかなと心配だったが、原作に忠実につくられていてた。 ただ、先に本を読んだからということもあるかもしれないのだけれど、本を読んだ時に感じた 変な怖さみたいなものはなかった。
この話の中の二人の女性は殆ど、動かない。彼女達の本当の胸の中は書かれておらず、 すべて、婚約者の知り合いの刑事の仮定でなので、すべてがなぞに包まれている。 それが映像にしてしまうと、いろんなことが順序立ててはっきりしてしまって、淡々と筋を 追っていたことに気づく。本だと自分の想像を勝手に膨らませているからなぁ。
人間は見えるものに対して安心感をもち、見えないものに対して不安定な心をつくる。 私の感じた「怖さ」は想像の中という見えないものに対する「怖さ」だったのかもしれない。
- 6月21日 「蜘蛛女のキス」
- 「蜘蛛女のキス」大阪公演、千秋楽行ってきた(終わるまで千秋楽って知らんかったというとぼけた私です。)。 天王州アイルでの初演を見ていて、再演を心待ちにしていたので、これを聞いた時はすごく嬉しかった。 音楽、セット、出演者どれをとっても文句の付けようがないって感じ。2時間半があっという間だった。
ただ、この再演にあたって、テープだったのがちょっと悲しかったな。生オケじゃなきゃ嫌だってわけじゃないけど、 テープの音と、台詞の音のバランスが悪く感じた。ちょっと音うるさいよなんて思ったりして・・・座った 場所が悪かったのかしら??映画好きのゲイ、モリーナと、革命家のヴァレンティンが刑務所で同じ部屋(部屋っていわないか)になった ことからおこる人間関係みたいなものが主になった話。 檻の中のずいぶんとひどい仕打ちをうけている囚人の話しだから、極限の状態のなかでの、人間の行動みたいなものが 映し出されて、かなりみていてつらいものもある。
それがただ重い話にならないのは、モリーナの空想の中のオーロラの存在だ。このオーロラのせいで 最初はちょっと何だ何だ状態に私の頭はなってたんです。昔見た映画のヒロインオーロラはの話をモリーナがヴァレンティンに話すという設定で、 いろいろな場面をショーアップしてみせてくれる。オーロラに扮する麻美れいさん、 凄いっす!!あの迫力はなんなんでしょうねぇ。おまけにおっきいんだぁ〜。蜘蛛女になっているところは すごく妖艶で、かっこよかった。恐かったけど(^^ゞ。「トニー賞」の放映の時に、蜘蛛女のメークしたままで インタビューに答えていて、「この役はすごくやりたくて、オーディション受けてもらいました」って 上品に話していたけれど、日本でやるんだったら、他にいないだろうねぇこの役は。そのくらいはまってた。
市村さんも、シリアスなところとちょっと真面目におかしなところがさすがだと思った。
終盤、出所をゆるされ、ヴァレンティンサヨナラをいう辺り双眼鏡でのぞいていたら、白髪だぁ(^^ゞって 思ってたの。でも、さいご白燕尾着てオーロラと踊っているところでは、それが無くて・・・ 変なとこ気になって仕方がなかったんだけど。どうしてたんだろう??分け目を変えたのかなって 勝手に想像していたんですけどね。
オーロラのしぐさに合わせるようにモリーナも動いている っていうのは、今回初めて知りましたね。前回はオーロラの迫力に圧倒されていただけだったのかも…音楽もすごく素敵で、マルタとモリーナのお母さんと、4人で歌っていた歌がお気に入り。 日本語バージョンのCD発売を望む!!
檻と、照明を使った装置もすごく怪しげで好きだなぁ。ただ、もっと空間に広がりがかんじられて、 装置に飲み込まれそうな感覚があったように記憶していたのだけど。これは会場のせいかなぁ。なんとなく 「オリエンタル劇場」でみたかったと思ってしまった。
- 6月20日 「トニー賞」
- トニー賞受賞式のビデオをやっと見た。大きな劇場で、舞台のすごい人達があつまる祭典 (なんか幼稚だな(^^ゞ)。その年のノミネート作品を、再現してくれるのが嬉しい。
知人相手に衣装やちょっとしたセットなど、それに出演者を集めるの大変だなぁなんてつぶやいたら、 「そら近所でやってるもん、そんな大変ちゃうんとちがうか」っというお答え。そらそうだと 妙になっとくしてしまった。それにしても、毎年、毎年これだけの作品をならべることができるなんて凄い!!。 日本でも、こういうお祭りみたいな祭典があったらいいなっておもうけど、どう考えても難しそうだ。
ウイットに富んだユーモアたっぷりの司会、会場は爆笑だった。日本人の感覚じゃ分からない部分も多かったけど。 日本の○○大賞なんかと違うなぁって思うのは必要以上に、効果音なんかで盛り立てないところかなぁ。 プレゼンターの方の挨拶がちょっとあって、ノミネート者の紹介、であっという間に発表。 すっきりしてていいなぁ。受賞者も一人ずつ挨拶して・・・それもすごくおしゃれだし。 (変なインタビューなんてないところが私はすごく好き(^^ゞ)。リバイバルの作品で「サウンド・オブ・ミュージック」が入っていた。26年ぶりのリバイバルというのに びっくり、日本では何年かおきにやっているもの。だいぶと日本独自の舞台になっているみたいだけど。 そして、「ラグタイム」と「ライオンキング」。「ラグタイム」は人種問題もかかわっている舞台のようで、 白人と、黒人、ユダヤ人がそれぞれ一塊になって、まじわろうとしないってかんじのシーンが再現されていた。 音楽にのって、対立する様子があらわれていく。壮大な感じがした。
「ライオンキング」のほうは・・・もうおもしろい!!動物のものっていうと、キャッツのような雰囲気になるのか とおもっていたら、人間と人形が一体化した雰囲気で、アニメよりも東洋的。色彩も全然ちがった。 「美女と野獣」はアニメをそのまま舞台化したもだったが、物語を舞台化したものであるらしい。
その他、主演女優賞のところで「サイド・ショー」の2人が歌っていた。すごく奇麗な曲で、あちらでは もうcloseになってしまったみたいだけど、みてみたかったなぁって思った。日本でやってくれないかしら。
- 6月13日 「ライオン・キング」
- 10日にトニー賞の授賞式があったと、ニュースでやっていた。今年は「ラグタイム」 と「ライオン・キング」が、目玉だったらしいが、最優秀作品賞他6部門で、賞をとったのは「ライオン・キング」 だった。今日、13日に衛星第2で、放映される(後日ゆっくりと…)その前に、 アニメの方のビデオをさっそく見た。劇場で公開された時も、あまり興味もてなく、ミュージカルになったと 聞いたときも、「アラジン」のほうがいいなぁなんて思っていたのだけど・・このニュースで 流れてた映像をみて、一気に興味が湧いてしまったのだ(かなり単純です)。
アニメの方はというと…ディズニー映画らしく、すごく表情豊かな動物がいっぱいで、すごく楽しかった。 いつもディズニーのアニメをみて思うのは、主役のキャラクターにかかわるサブのキャラクターがすごく かわいいということ。今回のお気に入りはもちろん、「ティモンとプンバァ」(^o^)。王国から逃げ出した シンバを助けて仲間になるという気楽に平和に前向きに生きているキャラ。 虫を食べるシーンだけは妙に生々しくて、恐かった。
日本のジャングル大帝を模倣したといって一時問題になっていたが、どうなったんだろう。確かに似ているわなって 印象です。レオとシンバの置かれる状況とか、違うのは敵対する相手と、子供時代の性格かな。 確かレオってばりばり王になるために生まれたような性格だったし、シンバはやんちゃ坊主の2代目って感じ。 おいおいって思いながら見てたもの最初は。でもやっぱり血かな、それと育った環境かな。 最後は立派な王になってました(^^ゞ。
オスカーのせいで父親を死なせてしまったという、事故がシンバのためにはよかったのだろうねぇ。そう思うと シンバが立派に成長したのはオスカーのおかげ!?
でました!!悪役オスカー。ハイエナを使って王国をのっとる悪いやつ。もう徹底的に悪になってますねぇ。 最後はシンバと決闘して負けちゃうの。この辺迫力あったし、気持ちがいい(^^ゞ。やっぱり正義は勝つのです。
「自然は微妙な関係で成り立っている。命あるものはつながっている」っていう言葉。「過去の痛みから 学ぶか、逃げ出すか・・・」などなど、要所要所に教訓めいた言葉があって、(この二つはちょっと心に残った) 楽しいだけでない訴えるものがあるのも、人がいいなって思うところなのだろうな。
- 6月7日 「死神」
- 篠田節子さんの「死神」を読む。題名をみてこの方の本のことだから、きっとおどろしいお話かなぁって 思いながら、手に取ったんだけれど、中身は予想とは全く違った福祉事務所のケースワーカーの話だった。
普通に働いて、まだ両親というものに守られて生活している私にとっては、生活保護をうけなければいけなく なる生活というものに、接することはない。ちょっとしたカルチャーショックだった。いろいろな事情から自分で、生活できなくなり保護されて人たち。ここでは、実際に病気で働けなくなって しまったという方よりも、どちらかというと、自活能力が欠けていると思われる人物が多かった。
そういう人達に、少しでも自分の力で生活するという意志をもたせようとするケースワーカーの願いが 伝わってくる。
過去にはベストセラー作家であった先生が、流行がかわり本が売れなくなって、栄養失調で、 病院にはこばれ、保護をうける話がある。自分では本を書いているので、仕事をしていると言うが、世間一般では、 収入がないので、はたらいているとは言えないとあこがれていた作家にその事を告げるワーカーの 心情を考えると、ものすごくストレスが多い仕事であると思う。
ただ単に、そのケースとの関係、事件を書くだけでなく、その福祉事務所に働く所員それぞれにスポットをあてて、 いろいろな年代のケースワーカーがその年代だからこそ感じる視点で書いてあるところが面白いと思う。
作者のあとがきには
第一に福祉事務所に勤務した経験があって、職務上知り合えたプライバシーについて、具体的実例および特定のケース について連想させるエピソードをつくることができない。
第二に福祉をめぐる問題は事実自体が刻なドラマ性があるが、小説として読めるものにするのがなかなか困難だった 等の理由で、書きにくいシリーズだったと書かれている。(だいぶはしょってあります)
肌で感じたことを、直接ではなくノンフィクションとして書いてあるところに、事実として述べられるよりも 胸にくるものがあるのかも知れれない。
それにしても、篠田さんの本は好きでだいぶ読んだけれど、どれもが生々しい。(他の作品に比べるとこの本は 読みやすいです(^^ゞ) 人のどうしようもなく引きずられていく人生みたいなものが、どの作品にもあるからなのかなぁって この本を 読んであらためて思った。
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