What's New ?

                       ■本日の密室系の評価は☆☆☆満点

98.4〜6月のwhat's new?のデータが消えてしまいました。4〜5月分を護堂さんに送っていただきましたが、なおも6月分を捜索中。キャッシュに残っている方、連絡いだければ幸いです。


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パラサイト・関の翻訳ミステリアワー(NEW!)

98.8.30(日)
・パラサイト関更新。土曜出勤メールに多謝。「鮎川哲也読本」評、かなり手厳しい。HMM10月号についてのページ制作者のコメントを追加。
・その、HMM10月号。前号の笠井エッセイに呼応して、隔離戦線の茶木則雄、関口苑生が「このミス」覆面メンバーとして名乗りを挙げる。笠井潔の方は、エイト・ピークス・イレギュラーズ(?)を結成して、匿名発言者を鋭意調査中と、意気盛ん。
・小林泰三「密室・殺人」読む。うーむ。

98.8.28(金) −HMM10月号−
・やっとHMM10月号入手。クリスティ、チェスタートン(幻のブラウン神父物)、カーにノックスにロースンが2編、こりゃたまらんわ。
・いつも買っている本屋でも、最後の1冊だった。近年、希にみる売れ行きなのでは。
・同号のレビューが早くも「パラサイト・関」に登場。
・田村隆一死す。詩人にして、クリスティやダールの名訳者にして、大酒飲みでありました。合掌。
・「みすりん」で知って以来、よく訪問していた愛知県美女による名HP「なまもの」、「フロッサの部屋」が8月末をもって、相次いで活動休止らしい。(「なまもの」は、日記は存続)充電して、またカムバックしてもらいたいものだ。


98.8.26(水) −「匣の中」で考える(承前)−
・24から本日まで釧路、帯広の出張でした。釧路は、霧の中。札幌は、結構蒸し暑い。
・パラサイト関、2回分更新。
・「鮎哲読本」の影響で『ペトロフ事件』『青い密室』を読んでしまう。
・恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』ハードカヴァーで再刊される(新潮社)。文庫版を大幅改稿しているらしい。この作家には、なんとくなく責任を感じているので(笑)、即買い。
・ピーター・ラブゼイ『ミス・オイスター・ブラウンの犯罪』買う。18編すべてが、雑誌等で既訳だが、まとめて読めるのは、有り難い。
・アクセス・カウンターが5000超え感謝。今後とも、御来頁お待ちしてます。
●リスト更新情報
鮎川哲也「悪魔が笑う」「達也が嗤う」「他殺にしてくれ」「幻の射手」「黒木ビルの秘密」「悪魔の灰」「地下ボイラー室」「マーキュリーの靴」タウンドレスは赤い色」「塔の女」「人を呑む家」「人形の館」「風見氏の受認」を追加。
 「鮎哲読本」の中の芦辺拓「四○○のトリックを持つ男ー鮎川哲也トリック論」(希有な全作品研究)で、「密室」「足跡トリック」「人間消失」に分類されているもののうち、リストになかったものを掲載。多謝。

・で、何を考えたか大分忘れてしまったのだが、「匣の中」で考える(承前)
 (決定的なネタばらしはしていないつもりですが、先入観をもちたくない方は、「匣の中」読了後にお読み下さい。)
・その小説技術の高度化と経験の積み重ねにもかかわらず、竹本健治自身が今もなお苦闘を続けざるを得ないのは、実は、「匣の中の失楽」がメタ・ミステリの最終解だったからという、仮説を立ててみたくなってくるのである。
・おそらくは、「匣の中の失楽」の基本的アイデア−虚か実を飲み込み、実が虚を呑み込むという無限反復−は、空想上の・巣玄次なる男が実在の人物として登場する「虚無への供物」の中のあまりにも印象的な場面転換にインスパイアされたのではないかと想像される。その衝撃の反復こそが、最も「失楽」の独創的な部分だったといえる。しかし、この独創は、システムとしては完璧すぎ、原理的に乗り越えるのは困難であるかのように見える。近年の、「ウロボロス」2部作にしても、「匣の中の失楽」のアイデアの変奏にすぎないともいえるのだ。
・こうしてみると、「匣の中」の「著者のことば」は、決定的な重みをもって迫ってくる。
・「イデアが体現されているからには生み出される作品は、類似品であることを運命づけられている」といい、「本書は類似品です」と念を押す、こうした一種の諦念の下で、自分なら「匣」をこうやる、というのが、本書「匣の中」なのである。
・「失楽」のオマージュであるから、冒頭の登場人物表から始まって、細部に至るまで、原典の「引用」には事欠かない。例えば、最初の事件の発生日は、「失楽」と同じ7月13日(ちなみに、松山俊太郎の卓見では、「虚無への供物」の物語は7月12日をもって終わり、「失楽」は、「虚無」のバトンを受けたものであることが、この日付上からも明らかとする。)「メンバ」の集まる喫茶店、「帰路」は、「匣の中の失楽」で事件後に名称が変えられた喫茶店の名前である。冒頭で謎の消失を遂げる伍黄の風貌は、「失楽」の知的リーダー、曳間の影を引きずっているし、それ以外の登場人物たちの関係も、「失楽」の登場人物たちの関係の反映を見ることは容易である。例えば、「失楽」の中の幼い雛子に布施が教えた「深い海の中でも地上と同じように雪が降る」という些細な部分ですら、伍黄と寿子の間のエビソードに置き換えられる。カタストロフィ理論、ラプラスの魔、九星術といった衒学も、「失楽」と同じような形で圧倒的な量で反復される。
・こうして、徹底的に「失楽」の構造を模倣するかのように見えて、ラストのアプローチで、作者は、背負い投げをくわす。一見、破天荒の結末のようであっても、「失楽」の中の隠しテーマともいえる部分をうまくすくいとり、原典の印象に残るエピソードに一つの救済する試みまで行っているのであるから、作者は、大胆なカヴァーをやったと評価すべきだろう。
・さらに、もう一つ、本書が模倣しないのは、「失楽」の根幹の虚実反転のプロットである。この根幹をはずしたところが、「匣の中」のカヴァーとしての独創の部分でもある。なぜなら、「匣の中から匣の外へ」という作品によって、まさに匣の中から匣の外への逃走線を引こうとしたものが、再び「匣の中」へ回収されていくという、なにやら資本主義社会の暗喩とも解されるような、作品のプロットそのものがこの作品を同時代的な作品なものにしていると思われる。
・それとも、それは、時代を経るにしたがって、その呪縛をいや増していく「匣の中の失楽」の重力圏の暗喩なのだろうか。最近になって、立て続けに、矢口敦子「矩形の密室」、はやみねかおる「機巧館のかぞえ唄」など、「失楽」の影響下に書かれつつ、それぞれの歌を歌う試みが同時多発的に出てきたのは、なにやら暗合めいてくる。
・「失楽」は、メタミステリの最終解なのだろうか。それとも「髪の毛ほどの隙間のために、塔は再び撲ち崩されねばならない」のか。答えは、これからだ。


98.8.21(金) 
・旭屋書店札幌店で、やっとこ「鮎川哲也読本」をゲット。入荷が遅いぞ北海道。豪華執筆陣と盛り沢山の内容で、充実の1冊である。芦辺拓のトリック論で密室系リストも増えそうだし。しかし、「達也が
嗤う」が密室物でもあっただとは。全然覚えてないな。本筋に関係ないけど、乱歩の歌を録音したテープについて書いてる島田荘司のエッセイがやたらおかしかった。
・同書店の週間売上げベスト10で「匣の中」が直木賞受賞作と芥川賞受賞作に挟まれて8位。「匣の中の失楽」が前提になっているだけに、セールス的には厳しいと思ってたのだが。


98.8.18(水) −「匣の中」で考える−

 「僕は、そこに微調整など効かないことを知っている。髪の毛ほどの隙間のために、塔は再び撲ち崩されねばならないのだ。」 
                              −竹本健治「匣の中の失楽」−

・「本年度本格ミステリ最大の問題作」という大森望の惹句がつけられた、乾くるみ著「匣の中」(講談社ノベルスを読んで、考えた。
・本書は、竹本健治「匣の中の失楽」へのオマージュ。5つの密室事件に複数の解決というだけで、当「密室系」としては、諸手を挙げて歓迎なのだが、一読後、この作品をどう評価していいのか(というのがおこがましければ、自分の中でどう位置づけてせて)いいのか、大いに迷う。最初は、前作「Jの神話」と同様、「初めは処女のごとく、終わりは・・」という作者の芸風によるものとも思ったのだが、それにしても、この結末は、と多少怒りモード。かなり精巧に組み上げた作品の結末がこれでは、作中人物ならずとも、「長々と読まされて来て、こんなオチではいけないのではないか」と言いたくなる。
・そこで、再び、本文を読み返し、ある仕掛けがわかる。さらに再度、冒頭から繰り直したとき、結末に向けて、用意周到に全編が組織されていることもに気づく。この段階では、大冗談小説(乱歩賞応募の「虚無への供物」をこう評した人がいたな。)としての評価。
・さらに、原典「匣の中の失楽」をパラパラ繰リ直してみて、三度、評価が変わる。「匣の中」は、結末のアプローチを含め、「失楽」へのリスペクトに溢れた誠実なカヴァー作品である、と。パロディでも、コピーでもなく、「のっぽのサリー」をピートルズがカヴァーしたという意味でのカヴァー。
・著者のことばで、「匣の中の失楽」は、「私にとって永遠の聖典」としているが、筆者にとっても、同書は特別な作品だ。作品の発売日に書店で手にとり、夢中になって読みあげた記憶がある。が、その時の感想としては、小説が現実を次々と飲み込んでいき世界を反転、三転させていく構成は破格だし、最後の密室トリックは面白いけど、「虚無」や「ドグラ・マグラ」には、かなり及ばないなというものだった。決定不能の結末も、一種の逃避のように感じ、物足りないような気がした。
・刊行当時は、必ずしも、世評的には大絶賛されたという小説ではなかった、はずである。例えば、同時代の笠井潔の評では、竹本健治を日本の近代文学の裏の系譜と位置づけた上で、「裏の系譜の先行作家たちが例外なく共有している肉体的観念性」「ほとんど倒錯的な魅惑といったものが「「匣の中の失楽」からはあまり感じられない」として、ともあれ若い作家の今後に期待したい、と結んでいる。
・その後、講談社文庫版の「眩めく知的青春の悲歌」という松山俊太郎の解説が効いたのか、一種の青春小説として無類の傑作なのだという思いが発酵してくる。「匣の中の失楽」の世界は、強烈に印象に残り続けた。冒頭の霧や、第1章のねばりつくような夏の描写、探偵小説にまつわる蘊蓄、カタストロフィ理論、ラプラスの魔、九星術といった衒学、サークルの知的な雰囲気・・・本筋には直接無関係な部分もなぜかしら鮮烈に記憶に残っている。例えば、幼い雛子に布施が教えた「深い海の中でも地上と同じように雪が降る」という些細な部分ですら。 
・日本のミステリへのインパクトという意味でも、ボディブローのように効いてきた作品かもしれない。発表時点から、時間が立てば立つほど、「原理的に」、「匣の中の失楽」を乗り越えることは、相当困難であることが明確になってきたのではないだろうか。同書が出て20年、幾多のミステリの傑作が出ている(はず)なのだが、小説内小説という形式をフルに生かして世界認識の不可能性までの外延をもつミステリとしては、「匣の中の失楽」が極北なのではないか、という気がする。その小説技術の高度化と経験の積み重ねにもかかわらず、竹本健治自身が今もなお苦闘を続けざるを得ないのは、実は、「匣の中の失楽」がメタ・ミステリの最終解だったからという、仮説を立ててみたくなってくるのである。(この項続く)


98.8.17(月)

・パラサイト関の更新。
・鮎哲読本(原書房)見つからず。

98.8.10(月)
・文春文庫で山田風太郎「室町少年倶楽部」出る。(95.8月刊の初文庫化)
・角川ホラー文庫「爬虫館事件」買う。気合いの入った新青年傑作選。
・「匣の中」読了。「匣の中の失楽」引っ張り出してみる。
・レイトショーで「ムトゥ・踊るマハラジャ」観る。しばらく「マハラジャ」ごっこが流行りそうだ。日本でも吉幾三主演で映画化していただきたい。
・新刊レヴューに6冊アップ。(新刊じゃないの多数)1週間以上前に読んだやつは、ほとんど内容を覚えていないのはなぜ。何を読んでも3歩で忘れる鳥頭読書録と改称を検討中。
●リスト更新情報
谷口敦子「かぐや姫連続殺人事件」

98.8.5(水)
・パラサイト関、更新。
・某氏から、出所不確かながら、新青年全冊そろいは、1000万との情報いただく。1000万?!。そりゃ、実家の裏山の1つ、2つ売ればなんてこたないけどね(泣)。中島河太郎の推理小説辞典によれば、通巻400冊とあるから、ならせば1冊2万5000円か。ニヤリ。
  

98.8.3(月)  −見る前に跳べ?−
・昨日、札幌のはずれ手稲の古本屋で「新青年」5冊を発見。ガラスケース入りは、ともかくとして、手にとって、まじまじと見たのは、初めて。最初に手にとった1冊は、昭和11年9月号。目次に、久生十蘭「金狼」、大阪圭吉「あやつり裁判」、小栗虫太郎「二十世紀鉄仮面」、甲賀三郎の新作長編(虞美人の涙)第1回目、乱歩のエッセイ「残虐への郷愁」、C.D.キングのタラント物短編(「第三の眼」)。贅沢すぎる。広告や挿し絵含めて、戦後すぐの宝石よりずっとあか抜けている感じ。他の号ににも大阪圭吉の短編が載っていたり。
・眼福、眼福と扇子で顔をあおぎながら店を出ようとしたが、1冊くらいもっていてもいいか、という独り言が聞こえ、最初の一冊をもって親父のところに持っていったことであるよ。2000円以上の古本は、買わないことを旨としている私としては、値段のことは、思い出したくない。
●リスト更新情報
下記を追加
乾くるみ「匣の中」、柄刀一「300年の密室」、小林泰三「密室殺人」、赤川次郎「三毛猫ホームズの駆落ち」、西村京太郎「消えた乗組員」、太谷羊太郎「東京青森夜行高速バス殺人事件」、釣巻礼公「破断界」、鳥羽亮「闇を撃つ刑事」、藤雪夫『渦潮』、藤雪夫・藤桂子「黒水仙」
内藤和宏「ダイエットな密室」、高島哲裕「ビルの谷間のチョコレート」、網浦圭「夏の幻想」、守矢帝「冷たい密室」、織月冬馬「透明な鍵」、葉月馨「サンタクロースの足跡」、荻生亘「SNOW BOUND」
(以上「本格推理10」より)


98.7.30(木) ー「覆面座談会」への期待−
・ミステリ・マガジン9月号の笠井潔の連載評論「ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?」第6回を読む。第1回で都筑道夫の「黄色い部屋はいかに改装されたか」を引き合いに出し、「日本の「デティクティブ・ストーリイ」は、都筑道夫の改装プランと一部重複し、一部相違するような形で、1990年に画期的な復活を遂げた」としつつも、本格ミステリは、現在、アシモフの「銀河帝国の興亡」の「セルダン危機」の状況にあり、今こそ「黄色い部屋は倒壊をまぬがれうるか?」が論じられなければならないという問題認識が語られる。2回目以降は、「歪んだ創世記」や「記憶の果て」などの実作に触れつつ本格の行方を論じてきた。
・ところが、第6回において、突如、例の「覆面座談会」への猛烈な攻撃に出たのである。伏線は、「この文庫がすごい! 98年版」に掲載された「「このミス」名物・匿名座談会上半期出張バージョン」。この中で「間違いだらけの笠井潔」と題した部分が笠井の逆鱗に触れたと思われ、この部分に対する反論を中核としつつ、匿名座談会そのもの及びそのメンバーに対して、罵詈雑言が浴びせられる。
・「ひき合いに出すのが生ゴミにも申し訳ないような、きわめつきの下司野郎ども」
 「汚物山盛りの三角コーナーとは、この匿名座談会」
 「ほとんど幼稚園児にふさわしい水準の妄言」といった調子。
・一読して思ったのは、実名コラムだからといって、文章に芸がなくていいというわけではない、ということである。笠井の投げつけている言葉は、単なる子供のケンカ的な罵詈雑言に過ぎず、評論家/作家の芸というのにはほど遠い。その是非はともかく、匿名批評が資本主義下の「商品」として流通している事実があるからには、それに対処すべき身振り(皮肉なり、冷笑なり、憫笑なり)を身につけておくことが、20世紀末の作家の在り方というものだろう。ましてや、最大の攻撃対象にされている覆面座談会のA氏は、スキャンダルや文壇ゴシップの類で笠井を批評しているわけではないのだから、A氏の頭の悪さを示すような明快な反論をしておけば十分なはずである。世の中には、罵倒芸という芸もあるようだが、「ガキデカではないが、この種の連中には「死刑!」とでもいうしかない」と書くセンスには、正直言って溜息をつかざるを得ない。
・以前、「この文庫がすごい」の覆面座談会を読んだときに、筆者は、もう覆面の脱ぎどきでは、と書いたのだが、その理由は2つある。既にして、B氏、O氏、S氏は、座談会の中でその正体を隠そうともしていないことが1つ。それと、最近、一般ブンガクの方では「皆殺し」系の座談会文芸時評が出てきて、こちらは、微温的な「覆面座談会」より実名でよっぽど凄いことをいっているというのが2つ目。このミス座談会の方々も覆面かぶって、ウコサベンしているより、よっぽど気持ちよく思っていることがいえるはずだ。
・もう、こうなったら、昔、「本の雑誌」でやったように、全員で覆面かぶって座談会やって、「覆面座談会」としての筋を通しつつ、実名入りの名札を下げるという方法をとるしかないのではないか。年末の「このミス」に期待したい。
・ところで、今回の笠井の本論、A氏への発言への反論部分も、なんとなく、綻びが見えるような気がする。
・第1回で、「京極堂シリーズの成功において「黄色い部屋」の「再建」は、最終的になしとげられた」と書きつつ、今回、「「黄色い部屋はいかに改装されたか?」の論理では、おそらく島田荘司の作品は評価されないだろう。綾辻行人から京極夏彦にいたる現代本格の主流作家もまた。」として、しかし北村薫エコールがあると書くのは、なんとなく唐突の感を免れない。
・本格の主流部分が「黄色い部屋」の論理では、評価されないのなら、「都筑道夫の改装プランと一部重複し、一部相違するような形で、1990年代(注;初出に1990年とあるのは誤植か?)に画期的な復活を遂げた」ということにならないのではないか。都筑道夫がミステリ・マガジンの連載「読ホリディ」で、「日本のミステリは、以前、海外の作品に10年遅れていたが、今は、20年遅れてしまった」という趣旨の文章を書いていたのは、そんなに前の話ではない。覆面評論家軍団も、大いに反論の余地ありだ。
・昭和20代に、「文学派」推理作家の抜き打ち座談会をきっかけとして、「本格派」(乱歩派)と「文学派」(木々派)が派手に対立したことがある。(といっても、筆者がその時代に生きていたわけではない)この対立は、匿名氏「魔童子」」と大坪砂男の歴史に残るいわゆる「魔童子論争」を生んだのだが、今回は、笠井潔主宰の「探偵小説研究会」と評論家軍団の間で、論争が繰り広げられるのだろうか。そうなったとしても、笠井のハリネズミ的反応を見る限り、不毛な論争に終わる可能性が高いように思われる。
・ところで、この匿名氏「魔童子」の正体、この頁を御覧の方なら驚くこと請け合いなのだが、それは、また別な話。


98.7.27(月) −behind the mask −
・話題になっている笠井エッセイが載ったミステリ・マガジン9月号入手できず。札幌は3日遅れか。
・あまりのことに、覆面座談会のO氏も、覆面を脱ぎ捨ててしまった。三代目タイガー・マスクが試合中にマスクを脱ぎ捨てたとき以来の衝撃か。(正体はみんな知ってたが、覆面を脱いだ行為に驚いたというか)
・「パラサイト・関」更新(小ネタ)
・新刊レヴューに、「地下室の殺人」「ノックは無用」「謎のギャラリー」をアップ。

98.7.25(土)
・「パラサイト・関」更新。
・これからススキノ。
●リスト更新情報
草川隆『無縁坂殺人事件』、半村良『魔境殺人事件』、山田正紀「人喰いバス」、「人喰い倉」、「人喰い雪まつり」 

98.7.21(火)  −二十世紀図書館−
・「パラサイト・関」もう更新。早くも調子が出てきて、末恐ろしいものがある。
・リンク先のno nameさんも書いていたが、文芸春秋8月号に「二十世紀図書館」という企画があり、風太郎翁も10作品選んでいたので、暇ネタで写しておこう。
 夏目漱石「吾輩は猫である」/吉川英治「宮本武蔵」/森鴎外訳「即興詩人」/谷崎潤一郎「盲目物語」/泉鏡花「婦系図」/内田百間「内田百間随筆集」/江戸川乱歩「江戸川乱歩短編集」/齋藤茂吉/齋藤茂吉歌集/芥川龍之介「地獄変」ほか短編集/石光真清「・野の花」を含む4部作(・は「田に廣」)コメントがなかなか。
 ついでに、同じページに北村薫が選んだ10本があるので、それも。
 チェスタトン「ブラウン神父の童心」、クロフツ「スターヴェルの悲劇」、パークリー「毒入りチョコレート事件」、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」、クイーン「シャム双子の謎」、カー「三つの棺」、クリスティー「ホロー荘の殺人」、ブランド「ジェゼベルの死」、レヴィン「死の接吻」、デクスター「キドリントンから消えた娘」
 ケインズやら司馬遼太郎を挙げる方々に伍して、「図書館」には本格推理のコーナーもあるはず、とこのセレクション。さすが。「スターヴェル」読んでみなくては。


98.7.20(月・祝) −発作的新連載−
・3連休も終わり。土曜日は、出張先の釧路から帰ってくるのにつぶれたし、あっという間に、仕事じゃ仕事じゃ。
・大学の後輩にしてヤキのまわったミステリ・ファン関氏から、最近、メールをもらう。

〉成田さんのHPからリンクして、「小林文庫」を拝見。俺の大好きな大阪圭吉と加納朋子のページに
〉大感動しました。いやあ、スゴイ、真鯉、緋鯉。大した世の中になったものです。極私的な世界が皆〉INT上で現実の夢となるのですね。

・インターネットに驚いてるらしい、この男に、ミステリ・マガジン時評でもやらないかと水を向けると、
「やりましょ、やりましょ、EQもやりましょ」と快諾を得た。というわけで、発作的新企画・仮称「パラサイト関の翻訳ミステリアワー」のコーナー、本日オープン。継続的に両誌を扱っているサイトは、まだないようなので、今のところ稀少価値が高い(=読む人がいない)かも。私も、買ってはいるものの、小説読まなくなって久しいからなあ。少しは、心を入れ替えて読むか。
・両誌コメント以外にも、新刊評なども期待したい。ま、この男、根がいい加減なので、いつまで続くかわかりませんが。
「パラサイト・関の翻訳ミステリ・アワー」は、こちら。
・国書刊行会から久々に出たパークリー「地下室の殺人」読了。うーむ。これまで、翻訳されていたのが、すべて傑作だっただけに、大満足とはいかない、「満足」くらいかな。


98.7.14(火) −古本・男だけの世界−
・別冊太陽102で「古書遊覧」という本が出ていた。「探偵小説・推理小説」(8頁)を山前譲氏が担当していて、山田風太郎のジュブナイル「笑う肉仮面」(昭和33年東光出版)のカラーの書影も拝むことができる。その下に以下のキャプション。

「山田風太郎作品の復刊ブームはものすごい勢いで、単行本未収録短編なども発掘されているけれど、この少年物はまだ(永久に?)復刊されないようである。山田風太郎コレクターならどうしても入手したい1冊だろう。」

 私は、コレクターではないのでぜいたくは言わないが、生きている間には読ませてほしい。
・終戦直後のいわゆる仙花紙本といわれるコレクションの書影が、また凄い。
 大月恒志「赤龍館殺人事件」、鮎川高史「X殺人事件」、木内・太郎「殺された七人の女」・・。見たことも、聞いたこともない作家たち。「この手の仙花本がいくつあるのかわからないが、それが探偵小説と銘打たれている限り買い続けなければならないのである。」深い業である。
・本書の執筆者は、やはり全員、男。古本狂の女性というのは、聞いたことないもんな。以前、オヤジギャルというのが流行ったときも、せいぜいゴルフ、競馬、大吟醸くらいまでで、古本集めや詰め将棋
に走った人はいなかった。なぜなんだろう。
・関係ないけど、「ギャルオヤジ」ってのが流行ったら面白い。職場に生足でいったり、たまごっちしたり。
・小学館文庫、シャーロット・アームストロング「ノックは無用」読了。この文庫、要注意になってきた。
・昨年、刊行の連城三紀彦「美女」所収の「喜劇女優」読む。
 千街晶之氏も書いていたけど、まさに超絶技巧、驚倒の傑作でした。以上。



98.7.12(日)
 −モロトフのパン籠−
・単行本の新刊で買っていながら、ながらく未読だった山田正紀『人喰いの時代』を読んだ(徳間文庫)。昭和12年頃を舞台にした連作短編ミステリだが、最後の短編で全体の仕掛けが明かされるという創元連作短編集でお馴染みになったパターンだ。
 この種の連作短編集の行き方、若竹七海の『ぼくのミステリな日常』('91)で一般的になったと、なんとなく思い込んでいたのだが、『人喰いの時代』は、88年の刊行。若竹七海より3年早い。
 もちろん、この形式は、山田風太郎が繰り返し使った手法である。風太郎以前にも先例があるかもしれないが、方式自体は、風太郎の独創と思われる。
 風太郎氏は、唯一の捕物帖『おんな牢秘抄』(双葉新書版)のカバーに、こう書いている。

 「いま何というか知らないが、「モロトフのパン籠」という爆弾があった。いくつかの小爆弾を包んで全体も一つの爆弾になっているというしかけで、この小説はそれに似た構成をとっている」

 『おんな牢秘抄』は、60年刊。同様の構成をとったものとしては、57年の『白波五人帖』、58年の『誰にも出来る殺人』、74年『明治断頭台』等がある。
 風太郎ミステリの影響を受けた若竹七海が、この形式に新たな照明を与えて、「創元連作短編集エピローグどんでん返し形式」の隆盛を築いたと思っていたのだが、途中に、山田正紀が介在していたという事実は、氏の最近の旺盛なミステリ執筆と考えあわせると何とも興味深い。そういえば、どことなく「人喰いの時代」は「明治断頭台」めいていて、法月綸太郎いうところの「風太郎→連城三紀彦→山田正紀」という歴史的パースペクティブも、なんとなく信憑性を帯びてくる。
 この「モロトフのパン籠」形式、最近読んだものだけでも、若竹七海「スクランブル」、加納朋子「ガラスの麒麟」、芦辺拓「探偵宣言」と相変わらす佳作を生み出している。
 島田荘司が新本格の父、鮎川哲也が新本格の祖父なら、風太郎は、新本格の伯父とこっそり呼んでみたい。

 #山田正紀以前にも、「モロトフのパン籠」形式の作例がいっぱいあったら、しつれ。
  「11枚のとらんぷ」は、ちょっと違うような。「運命の八分休符」と「夜よ鼠たちのために」は未読な  のだが。


98.7.11(土) −天外消失− 
・トップページにあるように、護堂さんという方のおかげで、天外消失したWhat,s New?が5/28分まで回復することができました。ありがとうございました。「謎宮会」には足を向けて寝られない。
・まったく馬鹿なページ制作者がバックアップを取っておらず、修復ソフトも入れてないことから、起きた不始末。どうでもいい馬鹿文だけど、6月分あるよという方いらしたら、引き続きご連絡をお待ちしていますので、よろしくお願いします。
・「みすりん」の一部もなくなったようだけど、大丈夫なのかな。
・最近読んだ6本ばかりを新刊レビューへアップ。
・「本格推理12集」出る。パラパラとめくっていたら、「店内消失」という作品に鮎川氏の次のようなコメントが。

 「第一、このタイトルにしてからが、カーの洒落た密室短編「店外消失」を借用したものである。」

 これ、クレイトン・ロースンの「天外消失」でしょう。
 鮎川さんは、もう仕方ないかもしれないけど、編集者、これくらいチェックしなきゃ。それとも、「本格作品を志す者、古典作品を読むべし、との思いを強くしました」といってる編集者が知らないのか。

○リスト更新情報
 はやみねかおるの6作品、森博嗣「数奇にして模型」、大谷羊太郎「佐渡金山死文字の謎」、山田正紀「蜃気楼・13の殺人」、本岡類「武蔵野0.82t殺人事件」、芦辺拓「殺人喜劇の鳥人伝説」「殺人喜劇の迷い家伝説」「殺人喜劇の森江春策」を追加し、「殺人喜劇の不思議町」を削除。


98.7.8(水) − 現金(キャッシュ)に手を出すな−
・4月から6月(正確には、7/1)までのwhat's new?消失に関して、高橋徹氏から次のメールもらう。

成田様  ご苦労さまです。当方にはこれだけ残っていました(メールに引用したので)。一昨日ものぞいてたから今朝見るまではキャッシュに残ってたと思います。 「表紙に更新7/1と書く」+「私(や読んでくれてそうな人)にデータ消失のメールをだせ」ばいじらなかったのではないでしょーか。後悔先に立たず。こぼれたゴハンは二度と元にはもどらない、ですか。(違う) では。

・うーん。そうだよな。覆水盆に返らず。「こぼれたミルクに泣かないで」は、ジェリーフィッシュの傑作アルバムだったよな。確か、ここのリーダーがパフィーの名付け親だったはず。そういや、しばらく蟹、食べに行ってないな、と色々な思いが頭の中を駆けめぐる。昨日、かなり酔っぱらってたしな。
 気を取り直して行こう。といいつつ、未練がましく、送ってもらった部分を末尾に付けてみる。
・5日間の出張中に読んだ本は、「ナイン・テイラーズ」「人形になる」「逃げ出した秘宝」。あんまり読めなかった。コメントは、そのうち。
・「文藝別冊90年代J文学マップ」って雑誌が出てる。「J・ポップ、J・コミック世代のための完全ブックガイド」という副題に、「J・ポップはわかるにしても、J・コミックって何?」とつっこみを入れたくなる気持ちをこらえて、中を見ると「絶対読みたい現代作家ファィル99人」という企画がメインだった。純文学作家に混じって、ミステリ系も健闘。
 「90年代デビュー作家」では、井上雅彦、京極夏彦、桐野夏生、篠田節子、真保裕一、清涼院流水、馳星周、花村萬月、板東真砂子、麻耶雄嵩、など
 「W村上以後の作家」では、北村薫、矢作俊彦、山口雅也など。
・それに比べてSF系は、大原まり子ただ一人。もう現代文学じゃなくなっちゃったのか。
・90年代J文学マップというのが冒頭についていて、これがなかなか興味深い。村上龍を座標の中心にして横軸がポップ−アゥ゛ァンギャルド、縦軸がLOVE−HATEで、ポップ&LOVEが「ギターポップ」、ポップ&HATEが「ハードコア」、アゥ゛ァンギャルド&LOVEが「テクノ」、アヴァンギャルド&HATEが「ノイズ」になるという仕組み。
 京極夏彦は、「テクノ」の中のヴィジュアル・渋澤系ゾーン、恩田陸が金井美恵子と並んで「テクノ」
、奥泉光が「ノイズ」の「言霊トランス系ゾーン」に位置づけられている。うーむ。
・清水博子という北海道出身の作家(「街の座標」)が好きな音楽に、あろうことかスラップ・ハッピーを挙げており、非常に気になった。
・「よしのさん」のHPによると、「柳生忍法帖」が映画化されて、東京で公開されているみたい。札幌にも来るかな。
・福田さんのHPにリンクいたしました。

  
98.7.7(火)  
・出張から帰ってきて、HPを改めて見たら、4月から6月までのwhat's new?が消えておりました(消してしまいました?)。原因不明。多少惜しいような気がしないでもない。こっちのキャッシュは、整理してしまったのでなし。うちに残っているよ、という方がいらっしゃったら、連絡いただければ嬉しいです。
(でもその後、どうしていいかわからない)


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98.6.4(木)(一部)
・巽孝之「日本変流文学」(新潮社)に「ふたりのフェレイラ」という山田風太郎論が収録されている。初出は、「東京人」の風太郎特集(96.10月号)だが、単行本収録に当たり大幅に加筆改稿されているようだ。風太郎忍法帖が、ポスト・モダン文学の巨匠トマス・ピンチョンの最新作「ヴァインランド」をはじめとしたアメリカのポップカルチャーにも影響を与えているのではないかという、冒頭の仮説が、なんともうれしいではないか。ポスト・コロニアリズム的視点から、「外道忍法帖」を「沈黙」と対比させつつ、読んだ出色の「外道」論でもある。
・同書の冒頭に「現実と幻想の認識論的境界を侵犯する文法は「北米マジック・リアリズム」の名で呼ばれ、たとえば前衛文学と大衆文学の文化市場的境界を溶解する技法は、「アヴァン・ポップ」の名で呼ばれ、さらにたとえば、主流文学とジャンル論的境界を侵犯する修辞法は「伴流文学(スリップ・ストリーム)」の名で親しまれている。」とある。そうなのか。今まで、これらの違いがよくわからなかったんだけど、実に明快な説明である。
・東京の友人から、待望のCDが送られてきた。スラップ・ハッピーというグループの新作「CAVA」(輸入盤)である。前作「スラップ・ハッピー(アクナルバサック・ヌーン)」から23年ぶり。最初に聴いたときから13年ぶり、なのである。生きているとうれしいことはあるもんだ。ドイツの前衛音楽家グループが俺達だってポップができると、つくった名盤が前作。新作は、前作ほどのキャッチーさはないけど、深く静かに沁みわたっていくような曲ぞろいで、やはり愛聴版になりそうだ。ケイト・ブッシュをもっとポップでマッドにしたようなダグマー・クラウゼの歌声も健在なり。これも、アヴァン・ポップ?