■本の評価は、☆☆☆☆☆満点
☆☆が水準作
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2001.3.3(土) 『墜ちる人形』
・kashibaさんのところで、「立派」とか書かれている。うーむ。立派なのは、おげまるさんの研究ばかりで、他は「研究」とか「整理」とかというスタンスはありませんよう。いずれにしても、遊びでございます。小林文庫ゲストブック「敷居が高い?」問題。「敷居が高い」というのは、「不義理または不面目なことなどがあって、その人の家にいきにくい。敷居がまたげない」(広辞苑)という意味なので、ちょっとこの場合、適切な表現ではないのではないかなど、とピンボケ発言。
・柴田よしき『消える密室の殺人』購入。青木みやさんの「読者代表より」の一文が。
・『墜ちる人形』 ヒルダ・ローレンス(小学館文庫00.1/'47) ☆☆☆
相当以前『雪の上の血』が1冊紹介されたきりのヒルダ・ローレンスの本作品が出たときには、まったく驚かされた。本書は、『雪の上の血』にも登場するマンハッタンの私立探偵マイク・イースト物の第3作、シモンズが参画して編集されたペンギン版クラシックシリーズによって、バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』などと一緒に復刊された埋もれた名品という。
舞台は、独身女性専用の寮「希望館」。同僚の紹介で、入居したデパートの売り子ルースは、入居した早々開かれた仮装パーティの夜、庭で死体となって発見される。他殺か自殺か。ルースの知り合いだった資産家の夫人の依頼で、マイク・イーストは、調査に乗り出すが・・。女子寮というと殿方(死語)の幻想も膨らみやすいところで、本書でも、男性が寮の内部を歩くときは「男性が通ります、男性が通ります」と連呼されるというほどの女の園なのだが、作者の筆にかかる女子寮は、あまり魅力的な場所ではない。管理に汲々とする責任者、不満のたまった使用人、自己中心的な寮の住人たちに向ける作者の視線は相当に辛辣である。舞台が舞台だけあって、相当数の人物が登場するにもかかわらず、書き分けられる登場人物たちはいずれも存在感十分で、皮肉のスパイスを効かせた筆致も精彩に富む。ルースが仮装パーティから抜け出して、やはり仮装をした犯人に追われるシーンは、華のあるサスペンスが横溢。物語は、第二の殴打事件を機に急展開し、犯人は誰かという興味を、なんとラスト一頁まで持続させるのだが、逆にそれゆえか、手掛かりはかなり希薄なものであり、犯人や被害者の行
動にもやや説明不足の感がするのは免れない。性格描写、二重丸、プロット、一つ丸といったところか。イーストに協力する金持ちの有閑老夫人コンビの活躍が楽しい。
2001.2.28(水)『ハリウッド・ボウルの殺人』
・HMM4月号「特別増大号ジョン・ディクスン・カーを読もう」。『第三の銃弾』完全版、芦辺・二階堂の短編、フランスのカー、ポール・アルテ初紹介、パロディ・パスティッシュ4編に豪華エッセイ陣、全長編解題に映像化資料と、文句なしのフルコース。値段は1700円とお高めだが、この値段は引き合う。
・多岐川恭『氷柱』購入。特異な主人公を設定したクライムフィクションながら、意想外な展開をみせる秀作『氷柱』と、病院で死を待つばかりの老人によるベットデティクティブという奇抜な発想の晩年の佳作『おやじに捧げる葬送曲』を収録。解説に「流れに棹さす」という表現が出てくるが、この言葉は「流れに抗する」という意味ではなく、「時流にのる」という意味なのでは。
・『ハリウッド・ボウルの殺人』 ラウル・ホイットフィールド(00.10('31)/小学館文庫) ☆☆☆★
なにが飛び出すかわからない小学館文庫のヴィンテージ翻訳ミステリだが、10年後には、探求者が続出することが予想できるだけに、出る端から押さえておきたいところ。本書はブラックマスクの常連作家で、一時ハメットと並び称されていたというホイットフィールドの幻の作品という。
ハリウッドの野外劇場での演奏の真っ最中、高名なドイツの指揮者が狙撃された。犯行は、狙撃の発射音を隠蔽するために、劇場上空に航空機を飛ばすというハードボイルドらしからぬ大がかりなもの。事件の背後には、妖艶な女優、被害者の弟の映画監督、監督と対立して解雇されたシナリオ・ライターらハリウッド人種の愛憎が蠢いているらしい。私立探偵ベン・ジャーディンが捜査に挑む。
文章は短く、クール。探偵は内面を容易に見せない。会話は、余分な部分が削ぎ落とされて、含蓄に富む。まさに、ハメット直系のハードボイルド。本書のストーリーが特異なのは、探偵事務所の相棒、秘書のいずれかが、外部と密通していることが冒頭から明らかになっている点で、ジャーディンは崩壊したチームを抱え、内部の敵にも人間不信の目を向けながら、孤立無援の闘いを強いられる。この何者をも信用できないという非情さは、第二の被害者(この人物まで殺してしまうのか)を選定する作者の視線に共通するもので、それゆえタフな仮面の背後にあるジャーディンの人間的な感情の揺れが本書の大きな読みどころともなっている。何かが明らかになるにつれて、より事件が錯綜していくようなプロットは、相当に込み入っているが、意外に本格めいたトリックもあり、真相も及第点だろう。
2001.2.27(火) 狂気の七重密室
・パラサイト・関更新。
・『フェニックス』の93号、トリック特集に掲載された宮下英龍『狂気の密室』(WMCサイト内)を読んでみました。どははあ。こりゃ凄い。メイントリックも凄いが、ディスカッションで出てくる推理も高品質。作中出てくる「密室の光と影」は、おかしすぎ。ようっぴさんのおかげで、いいもの読ませてもらいました。
・某氏から、作者・宮下英龍氏の正体を教えて貰いました。この作品のガリ切りを必死でやったというのだから間違いない。そうですか、あの方でありましたか!
2001.2.26(月) 『霧子、閃く!』
・4本追加して、密室系リスト1100本を超える。ほんとかどうか、数え直してみなくては。1000編を超え、次なる目標は、1300編を超えることなんだけど、これは、ロバート・エイディの「A LOCKED ROOM MURDERS」の初版が、1300編程度だったらしいからで、初版が出てから16年かかって700編以上を追加して、第2版でトータル2019編になっている(一部非密室物を含む)。こちらのリストは読んでない作品が大半なので、あちらとはそもそも比較にはならないけれど、数の話だけすれば、1300編いけば、とりあえず日本も英米に劣らぬ謎解き大国であることが証明できるかな、と。証明してどうなるという話ではないが。振り返ると、昨年の2月25日が1000編超えで、ちょうど1年で100編増えた勘定。この1年は、ほとんど教えてもらってばっかりだったような気が。まだ、「密室殺人大百科」のデータを入れていないし、教えて戴いてまだ入っていない作品もかなりあるし、「本格推理」も途中から拾っていないし、1300編到達は、意外に遠くないかもしれない。というわけで、今後ともよろしくお願います。
・多岐川恭『霧子、閃く!』(昭和61.2/ケイブンシャノベルス) ☆☆★
『怖い依頼人』に続くK・K探偵局シリーズ第2弾。本作では、タイトルもカバーも、探偵局の奔放な妖精で、予知能力をねつ北風霧子を前面にフィーチャー。カバー紹介の末尾では、「スーパー美人探偵のさわやか推理の結末は・・?」カバーの絵も、惹句も、ちょっとイメージと違うんですが。冒頭、KK探偵局の広告を掲載し、その後に、オブザーバーの古本屋、袋一二三の内幕暴露が続く構成がちょいと楽しい。やる気のないKK探偵局の面々、おんぽろコロナほをきしらせ、今日も行く。
「厄介な若者たち」保守政党のリーダーの命を狙う過激派学生の母親から、その阻止を頼まれた面々は京都に飛ぶが、代議士は殺害。結末のひねりは、本書随一か。
「濡れた小鳩」 家族の命が狙われているという中学生の少女が依頼人。犯人像がユニーク。「二十年目の浮気」 夫の浮気調査を頼まれ探偵局は断るが、夫は無理心中を遂げて。背後には複雑なからくりが。
「甘党の男」 その筋の男の妻に手を出した男が、失踪した妻の居場所を明かせと脅されて。甘党の男の設定が結末で生きてくる。
「情け深い依頼人」 昔、捨てた女への贖罪に、多額の金を渡したいという依頼人が現れて。
各編それなりに工夫を凝らしているが、謎解きとしてはやや軽い。意外な依頼人、霧子の超能力、探偵局の個性的な面々の出番、探偵局の失敗、というシリーズのお約束を様々に組み合わせる物語作法が見所か。「怖い依頼人」と異なる出版社から出た本書には、「K・K探偵局シリーズ@」とあるけれど、Aは出ていないものと思われる。中島河太郎のリストによれば、KK探偵局シリーズは、2冊収録作以外にもまだあるようなので、今からでも遅くないAを出してくれい、ケイブンシャ。
●密室系リスト追加
草野唯雄『影の斜坑』(こしぬまさんより)、斉藤栄『金糸雀の唄殺人事件』、大谷羊太郎『旋律の証言』(TACさんより)、西村京太郎『おれたちはブルースしか歌わない』
2001.2.25(日) 伴天連地獄
・パラサイト・関更新。
・ようっぴさんから、メールで密室系作品として鷲尾三郎『過去からの狙撃者−高層の密室殺人事件−』(昭和58年7月、カッパ・ノベルス)を教えていただく。ありがとうこざいます。これ、新刊で買った作品なのに・・。実家に掘り出しにいかねばなりません。あと、WMCホームページで読んだということで、『フェニックス』の93号、トリック特集に掲載された宮下英龍『狂気の密室』が七重密室を扱っていると、教えていただきました。いずれ読もうと思いつつ、まだ果たしておりませぬ。どうも、プロアマ問わず、web上の小説は、読みにくいという先入観があって。今度、読んでみますね。一応、リスト掲載は、同人誌等を除く物としていますが。(一部例外あり)
・部屋を整理しだすものの、分類などしているうちに、山が小分けされて、前よりさらに散らかった感じ。買ったはずの本が出てきて嬉しい反面、去年出たばかりの「サム・ホーソン」が2冊出てきたりして、己の老人力のつき具合には涙。
・山田風太郎「伴天連地獄」を読む。おげまるさんが「いやあ、まだこんなのが未収録で残ってましたか」というのに、激しく同意。これは、素晴らしい出来映えです。おげまるさん、発掘、提供ありがとうございました。確かに「ユーモアクラブ」に初出とは解せないものの、作中にも何度もみの言葉が出てくるように「ころび切支丹」なのではないかと思われます。
・「伴天連地獄」 読切特撰集 昭和34年4月増刊号(「ころび切支丹」(昭和25年1月号「ユーモアクラブ」と同一作品?)
1627年夏、切支丹をころばせるため、弾圧と懐柔につとめた長崎奉行水野河内守は、奉教人たちをことごとく長崎近郊の山林へ追い込み、周囲に厳重な柵と番人を設けて一切の連絡を絶ち、彼らに野獣と同然の生活を命じて去った−。
殉教の血は信仰の華と、奉教人たちに説くルカス老神父、深い信仰のもと魂と魂を通わせるモニカお鏡とジュリアン七之助らに、役人の拷問は続く。圧力に屈しなかったモニカとジュリアンだったが、二人の天上の愛が「ころび」との天秤にかけられたときに、彼らの選んだのは・・。次々と酸鼻を極める拷問を編み出す為政者たち、信者たちの精神的支柱ながら厳酷で一種悪魔じみた様相を呈するルカス神父、過酷な拷問の中で天上へ行けることを信じて死んでいく信者たち・・。いずれにも与しない作者の筆は、人間の愚かしさを見つめて妥協がなく、文章はあくまで骨太ながらで匂い立つような詩情を含み緩みがない。最も、風太郎らしいのは、天上の恋の果てに、「山屋敷秘図」でキアラを襲ったような倒錯的な心理が二人の間に起こる点で、心理的アクロバットを介して結末で描かれる愛は、美しく悲しく、そして恐ろしい。山風切支丹物では、名作「山屋敷秘図」や「姫君何処におらすか」に次ぐ位置を要求できる作品ではないかと思う。単行本収録を熱望。
2001.2.23(金) 「昭和ミステリ秘宝」第3弾
・そりまちっ!(「コマネチ」のポーズで)。たかはし@梅ケ丘は、ショックであらう。
・帰りに、ちらりと寄った半額店で、園生義人がずらりと並んでいたので、出来心で買ってしまう。「腕まくり女子高生」「男装の女子高生」「チビ助女子高生」「水着の女子高生」「ねらわれた女子高生」「令嬢はお医者さま」「うわきの手ほどき」「ただいま恋愛中」定価の半額なので、8冊で700円強。よしだまさしさんのところで書影ともども紹介されて気になっていたとはいえ、どうしましょう。
・昭和ミステリ秘宝第3弾(扶桑社文庫)をまたしても、戴いてしまった。ありがとうこざいます。ありがとうこざいます。昨日の黒白さんのところで、詳しく紹介されていました。
小栗虫太郎『二十世紀鉄仮面』は、おげまるさんと「二十世紀鉄仮面」「国なき人々」のほかに法水物があるんでしょうかねと話していた本。中絶作「悪霊」を笹沢左保が書き継いだのを一挙掲載とは、嬉しい驚き。貴重な小品4つに、付録がまた充実。乱歩、正史や大阪圭吉ら、超豪華メンバーの虫太郎に関する評論、エッセイ29本を集成。風太郎の「人間臨終図鑑」から、小栗虫太郎の項も採られている。単行本の書誌付き。
福永武彦『加田伶太郎全集』は、加田伶太郎名義の全著作とそれに関する寄稿文のすべてを収録
した、初の「完全版」という。都筑道夫が「もしも日本の推理小説を詳細に論じて、この「加田伶太郎全集にふれない評者がいたら、それはよほど目がないか、好みに偏したもの、と私は断言してはばからない」と書くくらいの佳品揃い。学生時代、新潮文庫版には収録されていなかったリドル・ストーリー「女か西瓜か」を福永全集から探してきて、コピーをとって推理研で、犯人当てならぬ、正しい選択当てを試みたことを思い出した。正解(といっても、明記されたものはないのだが、正解の伏線は貼られているとされていた)を当てたのは、数人だったかな。
戴いたからいうわけではない、どちらも文庫本にして、これ以上はないという本づくり。本屋で手にとってみてください。
2001.2.22(木) 「妖物」/『火蛾』
・久しぶりに寒気も緩むが、雪が解けて朝の道路はつるつる。同僚は、通勤途上女子高生が転ぶ瞬間を見逃して悔しがっておりましたが。
・おげまるさんから、山田風太郎「妖物」「伴天連地獄」、忍法帖連載時の作者の言葉など、お宝テキストいただく。発掘から提供まで、本当にありがとうごさいます。
・「妖物」「別冊漫画サンデー」昭和38年10月号(No.5)
これは、これまでの書誌になかった、おげまるさんの発掘作ではないかと思います。ショートショートですが、こんな話。熱海駅で見覚えのない紙封筒を抱えているのに気づいた男・石崎は、それまで座っていたベンチに慌てて引き返すが、さきほど隣の座っていた色っぽい女が、貧相な男に盗みの疑いをかけ、なじっているのを見る。疑いをかけられた男は、突然逃げ出すが、辺りが騒ぎになったのを見た女も、なぜか別の方向に逃げてしまう。ある事情から、名乗り出るのをためらった石崎は、封筒の中を開けてみるが、中に入っていたものは・・。タイトルからなんとなく想像がつきそうだが、その物の変化するさまが、かなり怖い。忍法帖のエスキスを怪談に仕立て上げたという印象。
『火蛾』 古泉迦十 (00.9/講談社ノベルス) ☆☆★
12世紀中東、聖者の伝記作家を志すファリ−ドは、アリーと名乗る男の話に耳を傾ける。アリーが語り出したのは、姿を見せぬ導師と修行僧の住まう山中の奇怪な殺人事件だった。「2001本格ミステリ・ベスト10」で2位と評判もいいが、遂に乗れずじまい。辞書からあえて難語、雅語を探してきたかのような文章にまず違和感がある。何やら奧深げだが、不適切な語句の選択が散見される文章、お粗末な会話。作者は、イスラムの神秘主義の調査で手一杯で、12世紀の中東の風俗にまで手が回らなかったのか、ここには、描写といえるものがほとんどない。説明に次ぐ説明があるだけである。物語としてのうねりがないから、それ自体としてはかなりの驚異を秘めている終章の絵解きがされても、「なるほど」という域を出ない。プレハブ建築のようなつくりだから、イスラム神秘主義の蘊蓄も付け焼き刃の印象を拭えない。中世イスラム世界というまったくのアナザー・ワールドを素材とした意欲は買うものの、あえて舞台として選ぶ以上、どっしりとした建築物が欲しかったところ。読む前の期待が大きすぎたかもしれない。
2001.2.20(火) 『「探偵文藝」傑作選』
・芦辺拓『時の密室』(立風書房)購入。
・『「探偵文藝」傑作選』 ミステリー文学資料館編(01.2/光文社文庫)
大正13年創刊の『秘密探偵雑誌』とその後継誌『探偵文藝』からのアンソロジー。「幻の雑誌」の作品が、資料も完備して文庫本で味わえるのだから、本当にありがたい企画。現代の水準からみれば、なんだこりゃという作品が多いかもしれないが、解説で有栖川有栖も書いているように、探偵小説黎明期の多様な「探偵趣味」が垣間見え、一編一編興味は尽きない。海外を舞台にした作品が多いのには、改めて驚く。
「P丘の殺人事件」 松本泰
ロンドン在住の日本人青年が巻き込まれた令嬢誘拐と殺人事件。サスペンスというには、緊張感はあまりない。
「葉巻煙草に救われた話」 杜伶二
列車の中で不気味な女と二人きりになって。これは、なかなか怖い。
「釘抜藤吉捕物覚書」 林不忘
「のの字の刀痕」戸締まりがされた家での死体ゆえ、一見自殺と見えたが。「宇治の茶箱」一見自殺に見える葉茶屋の死体。手掛かりは、隅の老人譚の換骨奪胎か。「怪談抜地獄」美女の幽霊の語りから一獲千金を企んだ男。これも、ホームズ譚になりそうな軽妙な一編。
「ものを言う血」 深見ヘンリイ
亜米利加のある街を会話しながら歩くデュパンと友人風の二人連れ。殺人事件に遭遇するが、瞬時の謎解きが鮮やか。
「夜汽車」 牧逸馬
新聞記者フリント君が大陸横断列車で遭遇した巧妙な詐欺。
「秘密結社脱走人に絡わる話」 城昌幸
タイトルどおりの掌編3つ。叙情に逃げない脱兎の如きセンスを感じさせる。
「台湾パナマ」 波野白跳(大佛次郎)
東京の雑踏の中で次々と手渡ししていかける名刺。ある種、都市の迷宮譚。ミステリには、都会と群衆が必須か。
「シャンブオオル氏事件の顛末」 城昌幸
アジア各地で何度も何度も出くわす女に恐怖して。オチが単純のようで怖い。
「万年筆の由来」 中野圭介(松本恵子)
探偵誕生を描いた?ユーモア扁。尾崎翠風のセンスを感じさせる。
「毒草」 江戸川乱歩
幻想が現実化する恐怖。やはり読ませる技術は抜きんでている。
「謎」 本田緒生
この時代に多いドッペルゲンガー譚。
「愛の為に」 甲賀三郎
探偵は登場するものの、ハートウォーミングな普通小説でびっくり。
「指紋」古畑種基
ドイツ留学時の指紋に絡んだ回想譚。
「くらがり坂の怪」 南幸夫
田舎のくらがり坂綺譚。最後の2行がちょっといい。
「偶然の功名」 福田辰男
山本探偵と関西弁を操る質屋の若旦那のミニ探偵譚。
「白蝋鬼事件」 米田華こう
蒙古チルムイ王府の国公廟の密室で王妃が毒殺。事件は迷宮入りとなり、北京の名探偵李福順が召喚される。こんな珍品が出てくるのだからたまらない。トリックも当時としては、面白いのでは。
「日蔭の街」 松本泰
ロンドン滞在中の日本人青年が、殺人事件に巻き込まれ謎の美女を救ったことから、巻き込まれる怪事件。ストーリーは、長編並みだが、筆に余裕がなく、プロットもあまり工夫がない。
●「随筆・研究」「笑いと掏摸」 松村英一、「探偵小説の映画化」畑耕一、「偽雷神(支那の探偵綺譚)」水島爾保布、「錬金詐欺」小酒井不木、「馬鈴薯園」野尻抱影
水島、小酒井随筆の博識は、種村エッセイの趣あり。「探偵小説の映画化」(昭和元)には、「こんなに探偵小説の創作がさかんになって、しかく外国作家に比して、決して劣らぬ作家が、現に日本にたくさんあらわれていながら」「探偵と犯人の智恵競べ−これが現代の探偵小説の骨子であり、また読者をして謎解きの興味をもって、小説の作為(プロット)なり、題目(テーマ)なりに夢中にならしめる手段である」とあって驚かされる。
●密室系リスト追加
芦辺拓『時の密室』、林不忘「のの字の刀痕」、米田華こう(「こう」は舟扁に「工」)「白蝋鬼事件」(上記より)
2001.2.17(土) 『夜聖の少年』
・16日の記述に伊藤一隆本人が、「秘密探偵雑誌」にアーサー・B・リーヴの小説を翻訳・連載しているのを書くのを忘れていた。それにしても、アーサー・B・リーヴとは。理系の魂にひっかかったのだろうか。
・「伊藤一隆」という古い本が、キリスト系専門古書店のWEB目録上にあったので、メールで在庫確認してみたら、切れていた。んー。キリスト者としての伝記なのか。
・先週届いた本「別冊シャレード54 山沢晴雄2」「別冊シャレード 山沢晴雄3」、どっちも戸田さんの鑑賞が載っている。でも、まず1をなんとかとなければ。
『夜聖の少年』 浅暮三文 (00.12/徳間デュアル文庫) ☆☆★
MYSCONでお会いしたときに、次は、「ウエストレイク」とお聞きしたのだが、異常に臭覚が強い男を主人公にした不思議なミステリー『カニスの血を嗣ぐ』の次に出た本書は、SFロマンだった。戦争も暴力も駆逐された清廉な社会、その一員となることを拒否して、地下に潜った少年たちは「土竜」と呼ばれた。陽の当たらぬ地下で、食料を求め、清廉な社会の唯一の警察官たる「炎人」の襲撃におびえ、地下をはいずりまわる日々。過酷な生活の中で、かろうじて生き残っても、少年たちには、「発光」と呼ばれるイニシエーションの日が必ずやってくる・・。土竜の一員だった少年カオルは、閉鎖された研究室で、謎の巨人を発見する。その巨人の秘密を追って、少女マリアと探索を続ける果てに、世界はその秘密を開示していく。
ビルドゥングス・ロマンスにして貴種流離譚。一難去って、また一難というストーリーが世界の図式が解けていくのに、ほどよく対応していて飽きさせず、世界のはずれ者、ウサギたちなど脇役の造型もスパイスが効いている。抑制遺伝子、古代ローマ時代のミトラ教などの新しめの意匠をまとっているものの、少年の命令を聞く心優しき巨人、エア・カーが飛び交う都市、世界を統御するセントラル・コンピュータ−のイメージなど、かなり甘く懐かしい未来像である。この辺、ターゲットであるヤング・アダルト層はどうとらえるのか。発光という一種のデット・リミットを物語に装填した点が、文字どおり光っていて、少女マリアが発光を始めるするシーンは、名シーンだと思う。
2/16(金) クラーク博士とミステリ
2月16日(金) クラーク博士とミステリ・J.M.スコット「人魚とビスケット」購入。
・久しぶりの北大近くの古本屋で「現代ユーモア文学全集 北町一郎集」(昭28/駿河台書房)。半額店で、中野実「新婚リーグ戦」(春陽堂文庫)を見かけ、拾ってみる。70円。
・「「探偵文藝」傑作選」購入(光文社文庫)。収録作品をパラパラと見ていると、中野圭介「万年筆の由来」の解説(山前譲)が目に留まる。中野圭介は、「探偵文藝」発行の中心人物でもあった探偵作家・松本泰の夫人、松本恵子の筆名なのだが、彼女は「北海道函館市生まれ。青山女学院英文専門家卒。父の伊藤一隆はクラーク博士を迎えて開校した札幌農学校の一期生で、卒業後は北海道庁の水産技師などを務めた。」とある。
先日、当掲示板で中井英夫の祖父(堀誠太郎)がクラーク博士招聘に尽力し、博士の通訳を務めた人物であることを話題にしたばかり。乱歩に先んじて創作探偵小説の筆をとった松本泰の夫人であり、創作も手がけた松本恵子の父であり、「探偵文藝」に資金的援助をした可能性もある(冒頭の解説)伊藤一隆が、同時期に札幌農学校でクラーク博士に直接の薫陶を受けていたというのは、なんとも奇縁に思われる。なにせ、クラーク博士は、1年足らずしか北海道におらず、直接の教えを受けたのは、1期の卒業生16人しかいないのだ(ここ)。当然、堀誠太郎と伊藤一隆は、直接の面識があったことと思われる。
ポール・セローにいわせれば、アマーストの百姓大学からやってきたクラック(ひび割れ)博士が「少年よ大志を抱け」とは笑わせる、と手厳しいのだが、いささか強引にこじつければ、クラーク博士なかりせば、日本のミステリー史も変わっていたかもしれないと思うと、なにやら興味深いものがある。 googleで、「伊藤一隆」の検索をかけると、色々面白い。北海道大学沿革資料一覧には、第1期生伊藤一隆の開拓使就職辞令まで載っている。驚いたのは、ここで、北海道庁初代水産課長を務めている明治21年に、伊藤一隆は、日本で初めてサケマスのふ化放流事業を千歳川で始めていることで、日本のサケマス増殖の父といえる人物なのである。そして、今も千歳の観光名所になっているインディアン水車を導入したのも、この人だという。その他、札幌農学校在学中に内村鑑三らとキリスト教研究会を立ち上げたり、明治29年に北海道水産会社長になっていたり(横山源之助のエッセイに登場)、
明治42年、柏崎市で禁酒会を起こして禁酒運動を唱導したこと、大正6年「日本石油史」という著書を出していることなどが検索でわかってくる。なかなかの傑物なのである。
松本泰『清風荘事件』(春陽堂文庫)の解説(山前譲)によれば、伊藤一隆が日本石油会社を辞して東中野に家を構えたのが、大正10年。(夫妻の結婚は大正8年ロンドン)それと、ほぼ同時期、松本夫妻も東中野に「谷戸の文化村」といわれる文化住宅十数軒を建て、夫妻の文士仲間がテニスコートでテニスをしたり、文化住宅に入居したという。「探偵文藝」(前身の「秘密探偵雑誌」も含む)には、野尻抱影、国枝史郎、林不忘(谷譲次)、大仏次郎、城昌幸らが作品を寄せているが、野尻、大仏の兄弟は、伊藤家の縁だという。この辺の人脈のつらなりは、興味の尽きないところだ。
松本泰は昭和14年に亡くなったが、夫人松本恵子は、昭和51年まで、存命で、クリスティや児童文学の翻訳などに業績を残した。『妖異百物語』(出版芸術社)に採られた創作「子供の日記」に付された鮎川哲也の解説によれば、インタヴューを申し込んだ矢先、体調を崩したとのことで会うことができず、10か月後に、死亡したと残念そうに書いている。日本最初期の女性探偵作家でもあった(一条栄子と時期的にはほとんど変わらない)この人物のインタヴューは、父の思い出も含めて是非読んでみたかった気がする。
2/14(水) バカミスその可能性の中心(承前)
・バカミス雑感続き。
・得体の知れない何かしら読者の心を揺り動かす力のあるミステリをバカミスと呼ぶことは思考の省力化と精神の安定に寄与する。実際、北村薫・若竹七海の対談で触れられている山田風太郎の「天誅」のようなテクストを前にして、人は、「バカミス」と呟く以外にどのような行為が許されているだろう。
バカミスは、ミステリの面白がり方の技術の一つである。世界の面白がり方は、多ければ多いほどよい。よって、小山正とその一味の発見・開発した技術の正統性は、保障されているといえるのである。
しかし、バカミスの発見の意義は、これだけに止まらない。バカミスは、ミステリが本来的にもっている常軌を逸した過剰性(バカ性)を白日の下にさらした点にも、求められる。「バカミスの世界」のへき頭に掲げられる「モルグ街の殺人」を見よ。同時代の誰が事件の犯人を○○と考えるだろうか。この過剰性は、優れた本格ミステリが多かれ少なかれもっている要素でもある。本格ミステリは、人を驚かせる技術であり、世界の転覆を試みる形式であるから、読者と作者の間で共有するいわゆる「暗黙の了解」を次々に破ってきた。「アクロイド殺害事件」「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」等クリステイの諸作を見よ。こうして、暗黙の了解を破り、世界の関節を外していく作業にはバカ性がつきまとってくるのは、必然ともいえる。この意味で、バカミスは、正しいミステリの謂であるということも可能なのだ。
「バカミスの世界」で意図されているバカミスは、かなり多様である。筆者なりに、強引に分類してしまえば、次の5つの類型に分けられる。( )は、例示。
1 作者の意図を超えて過剰性を宿した得体の知れない力を持つ作品(海野十三、カーの数作、「赤い右手」)
2 本格のマイル・ストーン的作品(「モルグ街の殺人」、クリスティの諸作等)
3 常軌を逸した設定、舞台、人物、文体等をもつ作品(ディキンスン、ジム・トンプスン、プロンジーニ等)
4 ユーモア・ミステリ(ナンセンス、ブラック等を含む「笑い」を意図した作品) (ライス、「くたばれ健康法」、ウェストレイク等)
5 バカミスを目指したバカミス(霞流一)
無論、1〜5は、理念型であり、それぞれの理念型の幾つかにも該当する作品も多いことはいうまでもない。
1は、バカミスの中核といえるだろう。いわゆるバカミス概念が「抱擁する」バカミスである。2は、既に述べたとおり。3については、様々なレベルがあるけれど、ディキンスンやジム・トンプスンは、バカミスという言葉がなくても、ミステリ史で屹立していくだろう。4についても、ユーモア作品として分類すれば足りるような気もする。(ライスは、その辻褄の会わないところは、一種のバカミス性を帯びているといえなくはないが)
3、4については、プロンジーニやラティマーの作品等を一部を除き、バカミスと呼ぶことの積極的意義に疑問がないわけではない。
ただ、バカミスは、「このミス」内の異分子として派生してきたという事情は、押さえておく必要がある。「このミス」のベスト10が、総体として、「今年のベスト1」「売れる」「ブレイク」「トレンド」などの言葉を操る仕手軍団が背後で株価操作でもやっているかのような(それはないだろうが)、時に凶暴なふるまいを見せるのに対し、小山正をはじめとするヤキの入ったミステリ読みが陽の当たらない見所のある作品を「バカミス」として拾い上げてきた行為は、その意図の有無にかかわらず、「このミス」に対するアンチテーゼになってきた面がある。したがって、「バカミス」は、万人向きではないが、通好みのする良質なミステリであり続けてきたという側面もあるのである。
もう一つ、バカミスの発見は「方法としてのバカミス」の可能性を拓いた。現状では、霞流一だけが孤独なチャレンジを続けている。ギャグミステリ、ナンセンスミステリと位相の異なる、バカミスを意図したバカミスは可能かという原理的問題はあるような気がするが、それでもその営みは着実に成果を収めつつあるように思える。
以上、私見ながら「バカミス」の意義をまとめると、
1 ミステリに新たな評価軸を付加
2 本格ミステリの本源的過剰性の再確認
3 「このミス」への対抗軸
4 方法としての「バカミス」の可能性の提示
の4つになる。
バカミスの外延は、かなり曖昧ではあるけれど、峻別の一線は、もっているように思える。例えば、清涼院流水はバカミスなのか。現状では、バカミスとはいえないだろう。ウェストレイクの項で、霜月蒼は、こういう。「ウェストレイクはミステリを知り尽くし、飛び越すべき常識のハードルの高さを知っている」ハードルの高さを知っており、その高さに挑んだものだけが、バカミスの美酒を手に出来るのである。バカミスには、バカミスの倫理があるのだ。
バカミスは、思考の省力化を招く一方で、拡散の危機を常に孕んでいるともいえる。バカミスという語が思考停止を招いてしまうおそれもある。肩こりと名付けたものが、椎間板ヘルニアの症状だということもないわけではないのである。
どんな作品が現在のバカミスであるのかを作家や批評家などバカミス関係者が集中的に考え、熱心に議論し、共有する枠組みを不断に修正し続けていかないと、バカミスの発展もない、と笠井潔なら言うだろうか。(言わないであろう)
●リスト追加
泡坂妻夫「ミダス王の奇跡」(こしぬまさんより)、渡辺啓助「密室のヴィナス」(ようっぴさんより)、「湖上祭殺人事件」(渡辺啓助「100」より)、風見潤『闇の夢殿殺人事件』
2001.2.12(月・祝) 『400年の遺言』
・実家に寄ったついでに、旭屋で、『怪奇探偵小説集1 岡本綺堂』(ちくま文庫)、ロバート・ファン・ヒューリック『真珠の首飾り』(ポケミス)購入。前者は、全5巻で、毎月出るらしい。後者は、一昨年ディー判事物の「四季屏風殺人事件」が出たときも驚いたが、なぜ、今、第14番目の長編がポケミスで出るのだろうか。フーリックではなく、ヒューリックが正しいのか。解説にその辺の説明が欲しいところ。
・植草甚一『雨降りだからミステリ−でも勉強しよう』実家にありました。マーヴ湊さんが、掲示板で書かれていた『雨の午後の降霊術』(同書では、「雨が降る午後の降霊術会」)の紹介を読んでみる。植草甚一の紹介は、バニック叢書という叢書の仏訳版をもとに紹介しているらしい。4頁以上にわたる紹介(結末まであらすじを紹介してしまっている)を読むと、確かに印象が大分違う。随分、起伏に富んだようなストーリーのような気がしてくるのだ。「推理作家が出来るまで」で都筑道夫は、当時り植草甚一の紹介文章は、どの辺を面白がっているのかあまり伝わってこないというようなことが書いてあったけど、確かにそんな気もしてくる。結末の解釈もちょっと違うのではないだろうか。
・たかはし@梅ケ丘に教えて貰った「ミュージック・マガジン」殊能将之インヴュウ。「ハサミ男」が出たときに、XTC小説として、騒がれるのではないかと思ったが全然そういう反響はなかった、とか、「美濃牛」の発想は、「横溝正史」リミックスだとか、あって面白いけど、ちょっと短すぎる。
・ブックオフでかかって気になっていた(笑)、LOVE PSYCEDLICOのアルバムを買ってみる。これ、確かに洋楽オヤジ殺しかも。
・『400年の遺言』 柄刀一(角川書店/00.1) ☆☆☆
400年の歴史をもつ浄土真宗の京都・龍遠寺で、一種の不可能状況の下、庭師が殺害される。その事件の少し前には、龍遠寺を借景とする山のお堂で、歴史事物保全財団の職員が手首、衣服を逆にされて謎の怪死。事件の背景には、庭園の秘めたる意匠が絡んでいるらしいのだが・・。風水を絡めて様々に解釈される庭園の謎解きがまず興趣をそそるが、事件そのものも丁寧につくられ、人物もないがしろにされていない。安普請が多い若手の新本格に比べると、ひと味違う重厚さ、力作感が漲る。庭園の秘密が開示されるシーンは、相当の驚き。欲をいえば、「勾陳」配置の謎と事件がもう少し密接に絡んでくれれば良かったのだが。
●リスト追加
上記を追加(中村さんより)
2001.2.11(日) 『怖い依頼人』
・9日の日記、誤字、脱字がいっぱい。おまけに、2000年とか書いていたし。酔って書く物ではないな。バカミスは、また延期です。
・昨日は、いわゆる3美女と偽オフ会。休日、街に出るのは久しぶりだ。琴似「マルトヨシクラージュ」という気取らないイタリア料理店で、飲みかつ食う。留萌から雪祭り案内でかり出された「山美女」にどうも名前が美女っぽくないので、「化美女」じゃどうかと動議を出すが、あっさり却下される。これで化猫シスターズになるのだが。しかし、掲示板の管理人も気づかないところに、山美女の書込があったとは。使いにくくて、すいません。悲願のアイリッシュ・パブで、アイリッシュ・ウィスキーを飲んで、満悦。
・『怖い依頼人』 多岐川恭 ('78/桃園書房) ☆☆★
結構、入手に時間がかかった。時代物を除けば、多岐川恭唯一のシリーズ・キャラクター(?)KK探偵局シリーズ第1作。チーフ近阿弥公平、キザな紳士を気取り、女に惚れっぽいがいつ辛酸をなめている。締まり屋で、事件をえり好みするが、頭はちょいと切れる。北風霧子、モデル業を片手間に営む奔放な小悪魔。予知能力をもち、事件解決に貢献することも、しばしば。絹笠金吾、腕力なら右に出るものがない大男。その分、頭の働きはちと鈍い。私(袋一二三)、古本屋の主人だが、暇を持て余して、いつもKK探偵局の捜査に同行。オブザーバー格。正規メンバー3人の頭文字がみなKKなのが探偵社の名称になっている。
「KK探偵局」 大男(絹笠)に追われる霧子が、近阿弥探偵事務所に迷い込んできて。KK探偵局誕生の一編。同一の包丁3本を使った巧緻なたくらみとは。
「妄想殺人事件」 夫が失踪して、殺人事件と騒ぎ立てる人妻が依頼人だったが、彼女には、同じ様な前歴があり・・。そのうち夫が現れて、事件は意外な方向に。
「灰色の紳士」 引き受けさせられたのは、犬の捜索。だが、この犬の失踪には、意外に大きな秘密が隠されていて。
「霧子が好きな美少年」 美少年と懇ろになっているTVプロデューサーが殺されて容疑は妻に。霧子は、この美少年に夢中になるが。ちょっとしたアリバイトリックが使われている。
「江戸調殺人事件」 街全体が江戸の町になっており、住人も江戸の暮らしをしている一種のテーマパークで、花魁が殺害という設定がユニーク。
「怖い依頼人」 ヤクザの親分が来局、殺し屋を雇い目的の人物は消えたのだが、本当に死んでいるのか確認したいという依頼。ツイストが効いている。
「依頼人「防ぎ屋」」 殺し屋から命を守る「防ぎ屋」が依頼人。一同は、殺し屋の足取りを追うが。
「うつろな目」 大金持ちの看護に当たる若い女性が依頼人。遺産を狙った殺人が起きようとしているというのだが。
事件の方は、割合、軽目の謎解きが多いのだが、設定には、それぞれ工夫が凝らされている。依頼人が何故たよりないKK探偵局を選んだか、今回の事件で、報酬は受け取れるのか、といった興味は、連作ならではの楽しみでもある。しかし、最大の魅力は、お天気屋でじゃじゃ馬で、自由奔放で、性的に奔放な霧子のキュートさか。探偵一同やる気なく、事務所で日がな寝そべっている雰囲気がいいなあ。
2001.2.9(金) 突然段ボール
・リンク集いじる。
・旭川出張。今時、札幌では、ほとんど見ない巨大つららをあちこちに見て感動。
・K文庫から、段ボール2つ。やったあああ。山田風太郎全集(講談社)全16巻が当たったぞ。文庫で読めない作品はないと思うけど、月報が、なんといっても嬉しい。もう一つは、EQMM115冊。老後の楽しみは、保障された模様。他は、多岐川恭「怖い依頼人」(小やったあ)、戦後推理小説著者別著書目録第1集(日本推理作家協会、ペンティコースト「死亡告示クラブ」、二上洋一編「少年小説の世界」(沖積舎)、H.G.ウェルズ「トーノ・バンゲイ」ほか。
・ということで、バカミス雑感お休み。
・掲示板の戸田さんの方も、素面にかえってからということで。お許しください。
2001.2.6(火) バカミスは抱擁する
・本日から、雪祭り。オヤジには、関係なし。
・バカミス雑感 嘘かほんとか知らないが、村上春樹のエッセイによれば、フランスに「肩こり」という症状はないそうである。なぜなら、フランス語に「肩こり」という言葉はないから。初めに言葉ありき。うならば、「バカミス」という言葉ができるまで、「バカミス」は、存在しなかった。怪作、途方もない小説、ナンセンス・ミステリ等等があっただけである。
フランスの構造主義者が60年代に「狂気」や「子供」を発見したように、70年代後半のサブカルチャー論の文脈の中で、平岡正明が「歌謡曲」を、北上次郎が「冒険小説」を、村松友視が「プロレス」を発見したように、小山正とその一味は、90年代半ばに「バカミス」を発見した。
バカミス概念は、無論、孤独の島ではありえない。90年代、まるでジャンル間の目配せでもあったかのように進んだバカ発見、再評価の大波の一環としても位置づけることも、可能だろう。
例えば、映画でいえば、山口雅也インタヴューで触れている「エクスプロイテーション映画」がある。史上最低の映画監督エド・ウッドの伝記映画が公開されたのが、95年。「映画宝島」では、それまで、正当な映画史では見向きもされなかった女囚映画や第三世界の娯楽映画などを継続して採り上げた。
音楽でいえば、モンド・ミュージックの興隆があった。60年代イタリアのバッタモン映画から派生した、似非エキゾチズム音楽の再評価。
考現学でいえば、「トマソン」の普及版である「VOW」が受けまくる。
これに、竹内義和の「大映テレビ」の発見や蓮實重彦のいう「愚鈍」を先駆としてみると、一つのバカ発見の水脈が見えて来はしないか。それぞれの概念が使われる位相は、無論異なるものの、「バカ」あるいは「バカ性」の再発見・再定義という面は、これらの現象に共通している。
この文脈で使われる「バカ」は、なにかしら名状しがたいものである。ジャンク、あるいはそうでないにしても、評価不能。伝統的な価値感でいえば、切り捨てられ、廃棄される側である。これらがつくり手の意図を超えて別な部分で鑑賞され始めた。
「バカミス」は、その名状しがたい部分を評価する。
かつて、雪の上の足跡のない殺人で、こんなトリックがあった。犯人は、自転車の荷台に氷かき機を載せかき氷をつくって自転車の跡を消したのである。都筑道夫は、「日本の推理小説は、不自然なトリックばかりを考えて、いつまでもおとなの小説になれないんだ」と書いた後で、このトリックに触れ、こう書いている。「ナンセンス・ミステリではない。本格推理小説にあらざれば推理小説にあらず、という当時の中堅ミステリ作家は、なによりもまずトリックと、大まじめに、こんなばかげたことを、考えていたのである。」(念の為、付け加えておくと、都筑は「おもしろいじゃないか、というひとも、あるかも知れない。」とも書いてはいる)(「推理作家が出来るまで(下)」
英米流のソフィストケートされた小説を日本に移入することに粉骨砕身していた都筑にしてみれば、このようなトリックを用いた小説は、まっさきに排除されるべき対象だったに違いない。
しかし、「本格」を書こうと、独創的なトリックを案出しようと、努めるがゆえに、少し常識のへりをはみ出してしまった、この作家の魂はどうなってしまう?。浮かばれないではないか。
かくして、「バカミス」が登場する。これは、「バカミス」だと認定する。トリック案出に賭けた作家の魂は、ここに至って慰撫されるのである。「バカミス」概念は、価値の転倒をもたらし、常識はずれの異常作、熱気のこもった失敗作、力はあるがそれがなんなのかはつまびらかにできない作品を優しく抱擁するのである。(続く)
2001.2.5(月) バカミスの世界〜小説編
・年休日。発送2件、申込み2件、通院。
・『渡辺啓助100』と去年の『新青年趣味[ 特集江戸川乱歩』届く。『渡辺啓助100』は、巡回先だけみると、大ベストセラーのような気がしてくる。ほとんど読んでいない作家なのに、こんな気合いの入った本購入してしまっていいのか。これから読むからいいのだ。「新青年趣味」の村上裕徳「尾崎秀樹・中島河太郎先生の思い出」を読みふけってしまう。これは凄い。
・『バカミスの世界』とりあえず、小説のみ。
「わらう公家」 霞流ー カーのバカトリックに挑んで、軽々と跳躍。この手がありましたか。ダイイング・メッセージには、思わず声が出た。
「ミステリに小説に関する二、三のこと」P.G.ウッドハウス 探偵小説洪水時代を皮肉った名手のユーモア・エッセイ。もっと、ウッドハウスを。しかし、29年当時でも、探偵小説の主流は、中国やチベットから来た謎の男みたいな話だったのか。
「ロジャー・アクロイド連続殺害事件」 バリー・N・マルツバーグ 投稿者と編集者の書簡体小説という、ミステリ短編によくある設定をSFに応用した軽妙な一編。
「第二の収穫」 ロバート・バー 「放心家組合」の作者が贈るメタ・ホームズパステッシュ。同時代にこんなアイデアが堂々と書けたのは、凄い。
「死のダイヤモンド」 ロバート・L・ベルム 怪ハードボイルドの作者ベルム初紹介。意外にパズラーしてます。「ハードボイルドの文体を過剰に暴走させた男」というわりには、読み安いのは、訳者の功徳か。翻訳の苦労話も聞いてみたかったところ。
2001.2.3(土) 『雨の午後の降霊術』
・休日は、家でじっとしているのが1月近く続いている。そろそろ、出歩きたいのだが。無性に翻訳ミステリが読みたくなって、とっておきを。
・『雨の午後の降霊術』 マーク・マクシェーン ('96.3('61)/トパースプレス) ☆☆☆★
故瀬戸川猛資肝入りの「シリーズ百年の物語の2」。このシリーズ第1期6巻は、本書とデイヴイス・グラップ『狩人の夜』、シャーロット・アームストロング『魔女の館』を所持しているのだが、全部出たんだろうか。ジャンルを問わず100年の精選された小説を収録するのがうたい文句だったこの叢書も、そろそろ新刊書店で手に入れるのが難しいゾーンかもしれない。長く続いて欲しいシリーズだった。帯は、「ミステリ史の片隅に咲いた妖しい華。噂のみ高かった名作がついに登場。」恩田陸の『三月は深き紅の淵を』にも、登場人部が読んでいる本として、ちらりとタイトルが出てきた記憶がある。
ロンドン郊外のうらぶれた住宅地に住む中年夫婦。普通の夫婦と違うのは、妻が女霊媒師であること。幼い頃、自らの超感覚的知覚に気づいて以来霊媒師をめざし、一時は、どさまわりのインチキショーまがいにも身を置くが、今は、ごく少数の信者を対象に定例的な降霊術を催している。自らの才能を世に喧伝することを望む妻は大芝居をたくらむ。金持ちの幼女を誘拐し、身代金をとり、少女の安否を霊視し無事発見されれば、評判が評判を呼ぶだろう、と。ぜん息もちで仕事にもあぶれている夫は、妻の能力を信じており、誘拐に着手する。スーパーナチュラルな素材を扱ってはいるが、物語は、犯人側から描いた誘拐物として、淡々と進行する。普通に考えれば、破綻しそうな計画であり、事実、素人誘拐犯の二人は、何度も危機に遭遇し、予想もしないアクシデントにより、計画変更を余儀なくされるていく。この危うい素人の誘拐というところが、まず読みどころであり、実行犯をまかされた、気が弱く心臓に爆弾を抱えている夫の緊張感は、痛いほど伝わってくる。最後は、タイトルどおり雨の午後の降霊術となるのだが、皮肉でありながら、人間的な感情をうっすらと照らし出すような幕切れ
は、ほのかな感動を呼び起こす。
●密室リスト追加
森村誠一『終着駅』、西村寿行『瀬戸内殺人海流』(以上TACさんより)古泉迦十『火蛾』(ともさんより)、大谷羊太郎『死を運ぶギター』、霞流一「わらう公家」
2001.2.2(金) 『銀と青銅の差』
・なにやら意識下で気になって仕方がないCMに「武富士」のCMがある。調子のいい曲に載って、ねえさんたちがエアロビだか、ワークアウトを踊りまくる。最近では、武富士提供の当地の天気予報番組にも、延々とロング・ヴァージョン?が映し出され、あれは一体なんなのかと、思っていたのだが、2日ほど前の道新にこのCMに流れる曲の話が載っていた。曲名は、「シンクロナイズド・ラブ」で、91年以来、この曲が流れており、95年にはCD発売。昨年の12月に再発され、7社のカラオケにも収録されたという。記事にも「意味不明なダンスのインパクト」とあって、わっはっは。バカCMの王道である。カラオケのレバートリーに入れようか。それ、ウォンチュテークマイヘン〜、フォアイルビヨメン〜。
・『銀と青銅の差』 樹下太郎(報知新聞社『暗い道』('69)に併収/'61)☆☆☆
プロローグは、密室状況での不可解なガス中毒死。刑事は、現場付近に落ちていた会社のバッジを不審に思い拾いあげるのだったが・・。銀と青銅は、会社の管理職と平社員のバッジの違い。管理職から平社員に降格された主人公のやるせない怒りが冒頭のカタストロフに至るまでの軌跡を作者は追う。主人公の心情は、出世を拒否して趣味に生きる友人の生き方と対比されるが、その友人も、デザインのコンクールに入賞がかえって仇となって、会社の論理に翻弄されていく。克明に描かれる主人公の心理は、組織に生きるものには、ビリビリと響いてくるイタい話である。密室はじめミステリ的な興味はさほど強くないが、冒頭の男女は、一体誰なのか、という興味は持続される。ある意味で、「ロウフィールド館」的行き方か。