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5月31日 木 『傷だらけの映画史』
・今日で5月も終わり。らぶらぶはっぴーなお方は、明日帰ってくるのか。
・世界禁煙デーだとかで職場の視線が怖い一日。喫煙者がいつそんなに悪者になったのだ。子供の頃は、なにも疑問を感じず、煙草の煙の中を走り回っていたではないか。列車の中は、煙でモクモクしていたではないか。にもかかわらず、日本は世界最高の長寿国になったではないか。統計学的には、喫煙が日本人の寿命を伸ばしたとはいえないか。山田風太郎先生だって、まだ喫っている。(もっとも、入れ歯から煙草の煙が漏れるので、喫った気がしないらしい)みんなそんなに健康になりたいかのか。このままでは年金は破綻するぞ。これまで、非喫煙者の何倍も国の財政にも協力してきたのに。そんな言葉を煙とともに呑み込み、まだ、喫っているの?という言葉をアルカイックスマイルでやり過ごす。筒井康隆の「最後の喫煙者」という小説を思い出す。
・『傷だらけの映画史』 蓮實重彦 山田宏一(01.3) 中公文庫
 「リュミエール・シネマテーク」というという十巻のビデオ・コレクションのおまけとして付けられていたシリーズ対談であり、単行本となるのは、これがはじめてという。この本の対談者二人が、生前の淀川長治の映画的記憶をすべて吸い取ろうとして企画されたかのような『映画千夜一夜』も、無類に面白い対談集だったが、本書もまた、愉しさに満ちている。
 今となっては埋もれてしまった感のある名プロデューサー、ウォルター・ウェンジャーを軸として、30〜40年代ハリウッドの黄金時代を独自の視座で振り返り、今まで見えなかったハリウッド史がを浮上させる。フィルム・ノワールの画面が暗いのは、戦争に向かう緊縮財政により、映画の総制作費を抑える必要があり、電気代をケチったからとか、スクリューボール・コメディに、結婚式の前日に花嫁が逃げたり婚約者たちの間に別な女が介入してくる話が多いのは、当時の映画倫理規程がダブルベッドで寝てる夫婦を見せるのを禁止していたからとか、まさに目からウロコの指摘が相次ぐ。見巧者は、また記憶にかけても天才的で、お互いの言葉が刺激となって次々と飛び出す映画の内容やシーンの多彩さ、豊かさは、まるで、帽子から無尽蔵にロープを取り出す手品を見ているようである。実際に映画を観るよりも快楽的かもしれない出色の対談集。



5月29日(火) せんぶ余録
『ぜんぶ余録』 山田風太郎 (01.6) 角川春樹事務所
 山田風太郎ロングインタヴュー三部作。99年10月から2001年10月までの17回にわたるインタヴューで構成。前2作も、そうだったけど、エッセイや先行インタヴューで、既に書かれたり、発言されたりしていることの重複が多くなり、インタヴュアーは、新たな話を引き出すのに必死の様子が行間から伝わってくる。風太郎氏の体調も、その日によっては、思わしくなく、口を聞くのもつらそうな回もある。記憶違いや物忘れ、連想の飛躍も多くなり、正直いってそれらをここまで露に記録する必要があるのか疑問もあるが、飄々とした語りに救われている。このシリーズは、独特の死生観をもつ戦中派天才老人からの聞き書きというところに重点があるのだろうが、それにしても、もう少し山風の小説を読み込んで、作品世界に迫る質問もして欲しかったところ。
 例えば、「先生は小説の中でサド・マゾを使ったことがございますか。」という質問はかなり不勉強。初期の代表作「虚像淫楽」がまさにそれではないか。他にも「山屋敷秘図」とか「雪女」とか。
 もっとも、山風自身「使ったことはないね、乱歩さんと違ってね。」と答えていたりするので、この勝負引き分けかもしれない。他にも、『地の果ての獄』の話とか、中島河太郎の話とかつっこんでほしいところは、あるのだけれど。
 大作家の晩年の語りに接することができる本書はそれなりに意味があるとは思うのだが、ファン以外の人が読んで果たして面白いのかな。

 本書でも度々言及される、山風の最もお気に入りの女優、轟夕紀子の写真があるサイトを見つけたので、貼っておきます。なるほど、そうですか。



5月28日(月) 『キリストの石』
・22日の更新で、k文庫を誤ってH文庫と書いてしまいました。翌日の更新で、直しておいたのだけど、こういうのは、しっかり訂正箇所を書いておかなければダメですね。すみませぬ。
・山田風太郎『ぜんぶ余録』(角川春樹事務所/2200円)購入。『コレデオシマイ。』、『いまわの際に言うべき一大事はなし。』に続くロングインタヴュー完結編と銘打たれている。17回に及ぶインタヴューのせいか、前2作よりかなり厚い。飲み会ゆえ、まだ、内容には、目を通していないのだが、あとがきによれば、現在、風太郎氏は、パーキンソン症候群のためか、車椅子を使う状態とか。その日の体調により、言葉がはっきりしないこともあるという。同書のインタヴューの最終回(今年の1月)の受け答えは、はっきりしているようだが・・。お元気での長命を願わずにはいられない。
・ヘンリー・ウェイド『警察官よ汝を守れ』(国書刊行会)、キャロル・オコンネル『氷の天使』(創元推理文庫)、HMM7月号購入。『氷の天使』は、サイ君用だったのだが、家に帰ったらダブっていた。いたた。欲しい方います?
『キリストの石』 九鬼紫郎 (日本週報社/'53.5.12) ☆ 図書館
 タイトルから、伝奇ミステリみたいなものを期待していたのだが、恋愛が絡んだ推理ロマンというか、そんな感じの作品だった。
 仕事に追われる日々を送っていた若手の検事安西光夫は、恩人の娘・関口友子と久しぶりに出逢ったことから、運命が急変する。友子の姉、朝子は、家庭の事情で老年の事業家の後妻となっているが、安西と朝子は、かつて恋愛関係にあり、友子を介して再会した二人は、秘めた感情に火がついていく。一方、安西が手がける嬰児殺し事件に、上席検事が不当な介入をみせるのは、何故なのか。
 本筋ともいえる事業家殺しが起こるのは、物語の半ばを過ぎてから。それまでは、安西と朝子の感情のゆらめきから、熱海の一泊旅行に至る心理の綾を中心に、上席検事の不当介入をサイドストーリーとして筋は進む。本筋の方は、容疑者は、限られており、ラストのちょっとしたツイストはあるものの、推理的な興味には、乏しい。サイドストーリーも通俗だし、事件との絡み合いも不十分で、全体として低調な感じは否めない。検事を主人公に設定しているにもかかわらず、検事が「告訴状」を書いたり、執行猶予つきで求刑したりというい辺りの描写もポイント減。脇筋にアイヌ部落出身の娘が出てくる人物配置がやや変わっている。



5月27日(日) 『盤上の敵』
・少年探偵小説リスト、や〜ら行、SF作家編の更新部分が反映されていなかったことが、掲示板にて発覚。ご迷惑をおかけしました。
・新設サイト「神月堂別館 神津恭介の部屋」の開設のお知らせを、文雅さまから戴きました。管理人文雅さんは、その名も高き、神津恭介ファンクラブの会員ということで、今後とも、さらなる充実が期待できそうです。掲示板も既に活発。今後ともよろしくお願いします。
・なお、少年ものリストの件で、文雅さんから、高木彬光の「骸骨島」は小学6年生(昭和25年4月号〜中学の友昭和26年5月号 26年新年特別増刊含む)で全15回との情報が入っているとのことでした。おげまる様。
・実家に、旭川から来た、11か月の甥の顔を見に行く。髪が自然と一九分けになるので、父親が「係長」と読んでいるのがおかしい。今は、離乳食もレトルト化されて販売されており、赤ん坊がそのとき食べていたのは、ピラフとハンバーグのレトルト。ほかに炊き込みご飯やら、なにやらある。なかは、ぐちゃぐちゃして、どれも見た目は同じようなものだと母親が言っていました。
『盤上の敵』 北村薫 '99.10 講談社 ☆☆☆
 凶悪な殺人犯に家を占拠されたTVプロデューサーは、妻を救うために、警察をも欺き、犯人の要求に応じようとするが・・。
 タイトルから当然思い出すのは、クイーン『盤面の敵』だが、あちらが、探偵と犯人の関係をチェスの試合に例えていたのに対し、本書は、何と何の関係をチェスに例えているのかというのが、一つの眼目になっているように思われる。表面的には、その答えは明白なのだが、物語が進むにつれ、表面の物語とは、別の「対決」の物語が進行していたのが、露になってくる。二度にわたる逆転の構図は鮮やかだが、その効果が、語りにおける隠蔽に由来し、その隠蔽自体に必然性があまり感じられないことが、バリンジャーの「消えた時間」のような不自然さも感じさせる。
 事件と交互に語られるプロデューサーの妻の個人史は、北村節全開で、特殊な事件と十分によりあわされており、隙がないが、剥き出しになった悪意を扱っている点で、従来の作品世界から一歩踏み出した印象を受ける。



5月25日(金)
・素天堂さんが開設したばかりの「黒死館徘徊録」というサイトのお知らせを御本人から戴きました。「黒死館殺人事件」に憑かれ、「黒死館辞典」の作成を思い立って以来の成果をまとめられる予定という真っ向勝負のサイトです。始まったばかりですが、本格的な論考が産み落とされそうで、今後の展開が楽しみです。
・昨日で「密室系」開設4周年。この前、小林文庫が5年の長寿を迎えたので、ふと自分のとこは何年目だろうと確認したら、4年近いので、しばし唖然。単身赴任中の土、日の手持ちぶさたに始まったサイトの誕生日は、トップページの右下の方に入っているのだが、結婚記念日のごとく、本人も忘れ果てている日のようで、過去の日記をみると、1年目も2年目も3年目も、まったく言及していない。MYSCONで、ともさんにお互い古くなりましたねといわれたのを思い出す。先輩サイトはあまたあれど、飽きずに4年も、続けているものと我ながら感心。カウンターを付けた当初は、1日のアクセスが20を切っていたもんなあ。これも、他のサイトや、いただいたメール・掲示板の書込みで刺激を受け続けているおかげではあると思うのだが。
過去のエポックは、こんな感じ。
97.5.24  密室系オープン
97.6.1   what's new? 開始
98.1.25  カウンター設置
98.7.20  パラサイト・関の「翻訳ミステリアワー」オープン
2000.12.3 少年探偵小説の部屋&掲示板設置  
 これからも、日照りの夏はおろおろ歩き、苦にもされず、細々と続いていくことになるのだろうか。



5月23日(水) 顔に絵を描く男
・掲示板で女王さまスレッドが大バクハツ。かと、思えば「十二人の抹殺者」の項で触れた若狭氏がのお見えになったらしい。ありがたや。話題が混じらないので、そこはいいかも、この掲示板。入居者募集して、疑似「黒猫荘」にしたりして。別に無理に既存のスレッドに書き込む必要はないので、新しい話題は、ためらわず新たに書き込んで下さいね。
・『夜来る悪魔』 栗田信(昭和34.5 雄文社) 図書館 ☆ 
 「顔に絵を描く男」。人は、彼のことをそう呼ぶ。その正体は、大部屋俳優渋谷伸二(本名・森清司)。日ごろは、大部屋俳優稼業で口に糊しているが、彼の素顔は誰もみたことがないという、変装の天才なのだ。持ち前の好奇心から犯罪の匂いを嗅ぎつければ動きだし、渋谷が動けば何かしら事件が起こると、警察もマークする謎の人物。今日も、渋谷は、巷に犯罪の匂いを嗅ぎつけて・・。
 あの『発酵人間』の著者による連作ミステリー。やはり、栗田ワールド全開である。狙っては、外す、という「天然」ぶりは、「顔に絵を描く男」というネーミングにも現れている。本人にすれば、「二十面相」とか当たり前でないセンを狙ったつもりなのだろうが、怪奇の香りも神秘の香りも漂ってこない「顔に絵を描く男」とくれば、まるで顔に花瓶とリンゴでも書きそうではないか。これでは、ギャグである。渋谷は、巧みな変装術をもって事件に乗り出すのだが、これがまた、実にヘンなのだ。せっかく保険の外交員に化けて、容疑者に接近したのに、相手が気づかないとみると、すぐ名乗りを挙げる。一体なんのために変装したんだ、渋谷。
 過去の輝かしい変装のエピソードが語られる場面では、喧嘩に行き会った渋谷が、とっさに近くにいた学生の学生服を奪い、後ろ前に着て、神父に化けて仲裁したなんてのが出てくる。真面目にやれ。
 なぜ、渋谷に森という本名があるのか、なぜ渋谷は変装して出ていくのか、なぜ犯人はこんな迂遠な犯行方法を選ぶのか、え、これはカットバックシーンだったのか、読み進むに連れ「?」がむら雲のように頭に湧いてくる。大体、本書のタイトルの意味もよくわからないんだよなあ。
「屍体置場の招待状」 ブスな女給が医者から亡き妻の遺品の指輪をプレゼントされたのはなせなのか。水死した妻の殺害方法には、爆笑。
「最後に笑う奴」 ある新聞広告に目を止めた森は、犯罪の匂いを嗅ぎつけ銀座のライオン前に立つが。森の子分格のネーミングが凄い。「喧嘩寄せの辰吉」「バッタの平助」「張り扇台のチャア坊」「万年ウィンクのお千代」。最後のは、片目が細い女なので、「万年ウィンク」。まったくもってもう。
「剃刀と接吻跡」 森の入手した外車スチュード・ベイカー・コマンダーを欲しがる女の意図はなんなのか。森が、持ち前の変装能力を発揮して、ほとんど意味不明ながら、死人に化ける。
「五十七人目の死骸」 伊豆半島を襲う台風にほぼ全滅した部落の死体は、なぜ1人多いのか。部落全滅の危機を救おうとする二人の村人を描いた前半がやたら迫力があって、これは一体なんなのだ。
「緋色の爪」 トルコ風呂に夜な夜な現れる幽霊の正体とは。幽霊を出す意味がどこにあるのか犯人の意図はまったく不明。
「猥談に殺された女」同じアパートの住人の死に疑問を抱いた渋谷は、容疑者のアリバイ崩しに挑む。これまた、密室トリックまがいのへんてこな偽装工作の必要性が理解できない。タイトルは凄いけど、これも名は体を表していない。
 栗田ワールドを一言でいうと、「意味不明」。狙っては外しているのか、最初から外れているのかよくわからない。でも、題材はなぜか幅広い。なんだか癖になりそうになってきた。



5月22日(火) 『モレルの発明』
・サラ・コールドウェル『女占い師はなぜ死んでゆく』、蘇部健一『動かぬ証拠』購入。
・K文庫より、目録。
・道新の夕刊の科学コラム(鹿野司)に2チャンネル擁護論が書かれていてなかなか面白い。
『モレルの発明』 アドルフォ・ビオイ=カサーレス('90.9('40)) 風の薔薇 
 腰巻きに曰く「イマージュの愛 二つの太陽、二つの月が輝く絶海の孤島での《機械》、《他者性》、《愛》を巡る謎と冒険。」 
 昨年、刊行されて話題になった『ドン・イシドロ・パロディ六つの難事件』のボルヘスの共作者カサーレスの180頁弱の長編小説。本書の序文を書いているボルヘスに「完璧な小説」と称えられ、アラン・レネ「去年マリエンバードで」の霊感源ともなった、ラテンアメリカ文学の最高傑作の一つ、という煽り文句が見返しに並ぶ。
 終身刑を逃れ、絶海の孤島にたどり着いた「私」は、無人島のはずの島で、ダンスパーティに明け暮れる奇妙な男女に遭遇する。彼らに発見されることを怖れ、身をひそめながら男女の観察を続ける「私」は、やがてフォスティーヌと呼ばれる美しい女に恋い焦がれるようになり、自らの存在を示そうとするが、女はまったくの無関心を続ける。やがて、一行の中のモレルという男の発明について盗み聞きした男は、不思議な男女にまつわる驚くべき事実を知り、絶望的で、絶対的な愛を手中にする。   寓意に富んだ、というより、様々な読みを誘発せずにはおかない物語で、多様多層の引き出しの多さには、賛辞もなるほどと頷ける。清水徹の解説は、本書の読みどころの絶好のガイドとなっている。 個人的に興味深かったのは、本書が、ボルヘスの短編などと同様、一種のSFでもあり、謎解き小説にもなっている点だ。「女はなぜ「私」に無関心でいつづけるのか」「男女はなぜ同じ会話を繰り返すのか」「この島にはなぜ太陽や月が2つあるのか」などというレベルの異なる謎に対して、「私」は思考を積み重ね、結末の唯一解に向かう。その解は、典型的な外挿法による奇想SFのようでもあ る。謎解き小説もSFも、論理による幻想小説という側面をもっている極めて20世紀的な小説ジャンルだとすれば、二つの貌を合わせもつ本書の20世紀的性格も、また保障されているといえるのではないだろうか。




5月21日(月) 『十二人の抹殺者』
『十二人の抹殺者』 輪堂寺耀 '60.2 小壺天書房 ☆☆★
 輪堂寺耀と「十二人の抹殺者」のことを初めて知ったのは、「EQ」の鮎川哲也の幻の探偵作家を求めて番外編「歯医者がとらえた輪堂寺耀の正体」だった。戦後の探偵雑誌「妖奇」の編集長本多喜久夫は、尾久来弾歩、輪堂寺耀ほかの筆名をつくり、自分で使用したほか、これを何人かの作家にも名乗らせたという。このエッセイに収録されているインタヴュー(若狭邦男氏)によって、「十二人の抹殺者」の作者である輪堂寺耀の正体は、本名九谷巌雄という人物であることが明らかにされているのだが、筆名をめぐる複雑な事情や探偵「江良利久一」シリーズほか、聞いたことすらない作家や作品が続々と登場するこのエッセイ+インタヴューに戦後ミステリの深淵を覗き込み、めまいがするような気にさせられたものである。
 このエッセイで触れられているのが、『十二人の抹殺者』で、ある大学のミステリー研究会のメンバーが発掘したものを、鮎川氏自身コピーで借覧したという曰くつき「幻の作品」である。その後、この作品が小林文庫ゲストブックで話題になったときに、彩古さんが、「不可能犯罪てんこもり」であるというようなことを書かれ、さらに、謎宮会における戸田さんの詳細な書評を読んで、その全貌は明らかになったものの、読んでみたい熱はつのった。道立図書館の検索でひっかかったときは、まさしく僥倖と思ったものである。
 現物は、2段組310頁超の当時としては、かなり長めの作品。カバーはついていたが帯はついていない。全体は40章に分かれており、「凶徴の賀状」「渦中の十二人」「三次元の密室」「四次元の密室」「超人的犯人」「逆密室の殺人」などの章題が読者の心をそそる。
 隣りあって住む親戚同志「結城家」「鬼塚家」の2軒の家の12人全員に、不吉な賀状が送られてくるところから物語は幕をあける。「謹賀死年」「死にましてお芽出とうございます」「謹みて死年のお祝辞を申し上げます」などと書かれた、悪戯にしては度を越した内容に怯える両家の家族に、殺人者の魔の手は襲いかかる。最初の被害者は、鬼塚家の家長。それも、完璧な密室の中での殺人だった・・・。
 この後、次々に家族は次々と不可能状況あるいは不可解な状況下で殺されていく。従兄妹弟同志の結婚を控えた両家は、一方で複雑な男女関係も抱えており、家族内の疑心暗鬼は深まっていく。犯人に翻弄される警部は、甥の探偵江良利久一の出馬を要請するが、江良利の目の前でさらに犯人は、殺戮を続けていき、8人の犠牲者が出た後、江良利は犯人を指摘する。
 本書の叙述には、事件の進行と謎解き以外の余分の要素はない。殺人、家族のアリバイ調べ、さらなる殺人、アリバイ調べという具合にストイックなまでに、単調なパターンがなぞられていく。前述のインタヴューによれば、本書は、雑誌に掲載され未完に終わった「狼家の恐怖」が下敷きに使われたようで、はじめは千枚の原稿だったというから、全体のつくりの余裕のなさは、そのことに起因していると思われる。また、本書には、「二次元の密室」「三次元の密室」「四次元の密室」「逆密室」「他殺的自殺的他殺」など無闇にトリックが詰め込まれているが、そのほとんどは、既製のトリックの焼き直しであり、犯人がこれらのトリックを連打する意図も判然とはしない。例えば「四次元の密室」は、普通の密室状況にやや時間的要素が絡むだけなので、大仰な章題はこけおどしに近いものだ。現在の目からみて、いや当時にあっても、垢抜けない、意余って力足りずの作品としかいいようがないだろう。
 ただ、本書を手にとり、章題を眺めたときの昂揚感は、久しぶりのものだった。一人また一人と登場人物が殺されていき、この先誰が残るか、どのような決着が待っているのかという進行は、単純きわまりないがそれなりにサスペンスを生み出し、ミステリの型のもつ原初的な力に触れたような気がした。
 本書には、ミステリ少年の夢の片鱗が確実に窺える。乱舞する密室殺人、埋め込まれた無数のトリック、奸智に長けた犯人、苦悩する探偵と意外な結末、千枚の大作の出現を夢想し、胸躍らせなかったミステリ好きの少年がいただろうか。社会派全盛の時代にあって、愚直なまでに時代に背を向けた、作者の思いの一途さには、乾いた心が少し揺すぶられる思いがしたのである。



5月19日(土) 少年探偵小説な〜わ行
・亀の歩みの更新、その4。おげまるさん編「「少年探偵小説の部屋」な〜ま行や〜ら行修正(修正履歴はここ)。新規追加は、《南部きみ子》《西村京太郎》《藤村正太》《皆川博子》《三好徹》《森村誠一》《吉行淳之介》。SF作家の項目に《草川隆》《半村良》《堀晃》《山野浩一》《横田順彌》が頭追加になっている。600近くの作品が追加、修正された大改訂。おげまるさんの地道な調査には、頭を垂れるしかない。特定の作家ファンにとっても、情報の宝庫でありましょう。ご苦労さまでした。
・リスト自体凄いのだが、私レベルでは、とうにその凄さを計測できないというか。
「どうでしょう、解説の玉の海さん、今度のおげまるリスト大改訂の見所は?」
「そうですね。まず、SF作家の追加が凄いですね。石原博士のリストと比較すると、あれこれあれこれ」
「筒井康隆「アタッシュ・ケースの怪人」や仁木悦子の「なぞの黒ん坊人形」は、新発見なんですか」
「既存のリストと比較すると、あれこれあれこれ」
「高木リストは、近く全面改訂になりそうですね」
「私の得ている情報では、あれこれあれこれ」
といった玉の海さんが欲しいところ。でも、おげまるさんしか「玉の海」になれる人は、いないよね。
・最近待ち遠しいのは、「忍法創世記」。出たら、掲示板で読書会をやりますかとおけまるさんと話していたのだが、まだかしらん。辺境の掲示板ゆえ、スレッド書込人が、成田・おげまる・成田・おげまる・・・となっても、我々はやるという悲壮な決意を固めているのであります。参加者、広く募集中。



5月18日(金) 少年探偵小説さ〜た行女王陛下の女相撲
・亀の歩みの更新その3。おげまるさん編「「少年探偵小説の部屋」さ〜た行を修正(修正履歴はここ)。《斎藤栄》《西東登》《左右田謙》《草野唯雄》《高原弘吉》《陳舜臣》《土屋隆夫》《天藤真》《戸川昌子》が新規追加です。全部、終わったら、是非御本人の解説が欲しいところ。
・石井古本女王、突然の北海道再襲撃。おげまるさんのカミングアウトを図って、昨日、晩飯にお誘いしたが、仕事で参加かなわず残念。女王は、今回、既に、函館、室蘭、苫小牧、小樽を転戦してきたというのだから、凄い。本日は、収穫は、どうも今ひとつのようでありましたが。kashibaさんの結婚話に伴う蔵書への邪悪なコメントから、始まってお聞きした話の数々、いやあ、面白うこざいました。来年のMYSCONでは、トーナメント方式の古本対決コーナーを企画し、のど自慢の鐘をならす役をやりたいとか。古本オークションで一定額に達したときには、女相撲で決着を付けるとか。そりゃ、女相撲には、石井さんしか参加できないですよ、といったら、いや日下さんや彩古さんは、必ず女相撲に参加してくる、と彼女は、今からふんどしを締める覚悟を固めておりました。掲示板に、「石井女王は実は現役女子高生だった」というスレッドをつくりたいとか。正体知っている人、多すぎやしませんか、といったら、「みんな古本で黙らせる」うーん、さすが。



5月15日(火) 少年探偵小説あ〜か行 
・おげまるさんメールしましたのでよろしく私信)
・おげまるさん編「「少年探偵小説の部屋」あ行か行を修正(修正履歴はここ)。匍匐前進ですみません。新規登録作家だけでも、《赤松光夫》《飛鳥高》《阿刀田高》《生島治郎》《生田直親》《井口泰子》《大谷羊太郎》《大西赤人》《海渡英祐》《樫原一郎》《梶山季之》《加納一朗》《邦光史郎》《黒岩重吾》《黒木曜之助》《河野典生》《小林信彦》といったところが加わっています。
よしだまさしさん(掲示板へようこそ)のところから(だけ)リンクされている、新「猟奇の鉄人」トップページが最高です。最後の一行まで楽しめます。WEBで、しおりも、できるなんて。
・つい、最近、パラサイト・関のところでも話題になった『夜よりほかに聴くものもなし』を収録した山田風太郎ミステリー傑作選3が出た。三十年代の脂の乗りきった短編も12編収録のお買い得編。この辺りの短編は、一見奇想は影をひそめるようだけれど、完成度は実に高いと思う。
 城昌幸のショートショート54編を収録した「怪奇探偵小説傑作選4」も出る。おいそれとは、読めない短編がほとんどなので、こちらも嬉しいところ。



5月14日(月) 少年探偵小説SF作家編
・とりあえず、おげまるさん編「少年探偵小説の部屋」「SF作家」を追加しました。これまた凄い。


5月13日(日) 「真夜中の檻」と「来訪者」(オーラス)
・もはや、誰も読んでいる人はいないのではないかと思っていた拙文が、金光さんに「幻想的掲示板2」で紹介され、文中何度も言及されている「真夜中の檻」の解説を書かれた、東雅夫氏にも、目を通して戴いたようである。望外の喜びではあるのだが、かなり不真面目な動機で書かれている文章なので、ちょっと困りました。
・で、オーラスです。
 麻生の家が麻布の家(偏奇館)であるとするならば(東京の麻布には、過去には「麻生」という表記もあったらしい)、「真夜中の檻」を平井呈一の荷風体験そのものと重ね合わせて読むことの誘惑には抗しがたくなってくる。敬愛する老作家の知遇を得て、歓喜と陶酔に包まれ、後には幻滅と諦念に変じていく平井自身の心象風景の暗喩をそこにみたくなってしまうのである。
 「来訪者」たる主人公、風間は、運命に導かれるように、「麻生の家」を訪ね、自らの運命を激変させることになる。 人生の景色を一変させるような出来事が待ち受けているような予感は、麻生の家に近づく時点で、主人公を襲う。

 「国境の長いトンネルをこえると、きゅうに窓外の景色が今までとはガラリと打って変わったのに、はじめて見るわたしは、驚きの目を見はった。まるで長いトンネルを境にして、今まで表だったものがきゅうに裏返しになったような風景の変わりかたであった。(中略)人の魂を圧するようなこの重苦しい暗鬱な自然。そこには今さかんに生命がひしめき茂りはびこっているが、なにか一抹のきびしい凄涼としたものをその底深く秘めている。」(22p)

 麻生家では、残された未亡人珠江が一人暮らしをしているが、変死した四代の、当主、なかんずく喜一郎の影に支配されているようである。未亡人珠江は、喜一郎の代替物を待ち受けていたようでもある。
 珠江夫人は、一年前になくなった喜一郎の衣服を主人公に着せるのに執着をみせる。
 麻生家を訪れた主人公は、風呂からあがり、1年前に急逝した麻生家の主人の着た召し物と浴衣から下着まで、着替えさせられる。(37p)さらに翌朝、未亡人は、亡くなった主人の召し物を用意し、「どうせ着る者はないのですから」と告げる。(48p)
 羽織を着て史料の筆写に余念がない主人公を見て誘惑者珠江は、主人公が屋敷の主にそっくりであると告げる。

 「まあ、あなたその羽織を召して、そうやっていらっしゃるところ、喜一郎にそっくりですわ。わたくし今ここへはいってきて、ハッと思ったくらい……」
 「ぼくが喜一郎氏にですか?そりゃどうも……光栄の至りですね。」

 また、主人公には、乱心の果てに変死を遂げる麻生四代と同じ、「狂気」の属性が、いつつか唐突に付与される。(70p)

  この喜一郎に荷風を、喜一郎の残した史料に例えば平井が筆写した荷風日記を投影してみたくなるのである。
 史料を目の当たりにした主人公は、胸を躍らせ、貴重な宝物でも目の前に見るように思わず感激して眺めいる。主人公は、亡き喜一郎と魂の交感するのを感じる。
 「ご主人のそういう保存の精神というか、広くいえば歴史を尊重なさる精神に、ぼくなどひじょうに感謝しますね。こういう記録文書は、もう個人のものというよりも、むしろ公共的な物ですからね。」
 「はあ。ですから主人もよくそう申しておりました。これはおれの物じゃない。麻生の家がかりに預かっているものだ。だから汚損したり散逸したりしないように、ちゃんと保管しておくのがおれの義務なんだと、口癖のようにそれは申しておりました。」(54p)

 主人公は、自分の胸の中にふつふつと熱く激しいものが湧きあがってくてくるものを感じながら、「急に世界が自分のものになりかけてきたような、輝かしい光明と勇躍」を感じる。(57p)
 しかし、主人公は、屋敷の怪異に襲われ、屋敷の尋常でないと部分にも、少しずつ気づいていく。
 麻生の家は、動いている時計はなく、ラジオは壊れっぱなし、新聞もとっていない。(47p)(「新聞」も「ラジオ」も「時計」もない現代文明に背を向けた麻生家の徹底ぶりには、故・喜一郎の感化もあったろうとしているのが、興味深い。荷風のラジオ嫌いは、徹底していて、「墨東綺譚」の玉の井散策は、近隣のラジオの騒音から逃れる目的もあったからだ。)

 「とにかく、麻生という家はへんな家だった」(70p)
 「古文書の書写という仕事と、珠江夫人という美しい人がなかったら、わたしはとうに逃げ出していたかもしれなかった」(71p)

 それでは、「真夜中の檻」の未亡人とは、一体誰なのか。
 見るたびになにかしら新しい美しさを秘宝のように一つずつ発見させていく女、主人公に魔界を開眼させる女、「美」と「魔」の半身ずつを併せ持つ女に、例えば、詩神(ミューズの神)の貌をみてとることも、可能だろう。主人公は、文芸の神、ミューズの虜になり、身の破滅を知りつつ、二人だけの道行きを覚悟するのである。
 事情は、喜一郎にあっても変わらない。「おれはここで死ぬんだと申して、どうしても聞入れてくれなかった」男は、最後まで美神に囚われている。(「そんなことをいってお前は、おれから逃げるつもりなんだろう。」(50p))
 夫人の頭部の角を発見した主人公は、慟哭する。
 「自分は、あの魔性のものに汚されたのだ。毎夜のことは、あれはやはり夢ではなかったのだ。(中略)この烙印は一生わたしから消え去ることはないだろう。」(105p)
 けれども、やがて夫人の正体がかえって愛情の確認になったというアイロニーを自覚しつつ、自らの運命と喜一郎の運命を重ね合わせる。「おそらく喜一郎は喜んで死んだにちがいない。いずれ、喜一郎氏と同じ運命の轍を踏むことになるだろうが、わたしの愛の深さはそもいくばくであろうか。」(109p)
 主人公は、再び大怪異に遭遇し、麻生の家を逃げ出す。しかし、魔の家から逃げ出し、腕時計の針が再び動きを開始する「実」の世界に戻っても、女は、追ってくる。「来訪者」や「怪夢録」の女のように、彼女は追ってくる。一度美神と交わったものは、そこから逃げ出すことはできない。自らの文学に殉じた荷風のように。

 「いくら逃げ隠れなさっても、わたくしにはなにもかもお見通しよ。お忘れじゃないでしょ?もうわたくし、離さないことよ。」

 東京に珠江が出現するシーンは、相当に怖いシーンである。「真夜中の檻」は、「城への招待」、「予言」や「凶兆」、「デモンの顕現」といった「オトラント城綺譚」以来のゴシック小説の定型を踏まえつつ、「城の崩壊」をもって物語は収束しない。過去からの触手は、主人公が麻生の家に置き忘れてきたテキストと引き替えのように、主人公を絡め取る。主人公は、女王蜂に奉仕する雄蜂のように美神に跪拝し、甘い幸福と諦念と覚悟の中で、死を予感するところで、テキストは宙吊りになる。

 無論、この小説の眼目は、平井呈一が生涯愛し続けたゴシック小説の幻想と怪奇を日本的風土や文芸の伝統の中に巧みに溶け合わせるところにあったのは、間違いない。平井自身の荷風体験を過剰に投影する読み方は、かえって怪奇小説としての風合いを損なうかもしれないが、主人公の歓喜と幻滅、慟哭と美に殉じる覚悟という感情の深さには、作者自身の荷風体験を重ねてみたくなるのである。
 蛇足ながら、「来訪者」と「真夜中の檻」の関係をめぐるもう一つの側面にも触れておく。
 「来訪者」の中で、文学者志望の白井は、書きかけの小説「新四谷怪談」を完成させることはなかった。その小説が未完に終わったことは、好意的に見れば、後事は託した、「新四谷怪談」を完成させよ、という荷風の平井宛のメッセージだったとも、取れなくはないのである。平井呈一にしてみれば、「新四谷怪談」を完成させることは、もはや文学上の「恩返し」とも、義務ともいうべきものではなかったか。
 女の愛の深さに身を破ぼす男の怪異の物語として、「真夜中の檻」は、「来訪者」と同様、「新四谷怪談」とでもいうべき内容を備えているといえなくもないが、興味深いのは、白井の名前と物語の照応である。
 白井の名に、「巍」(「たかし」と読むらしい)という「高い」という意味をもつ漢字が当てられているのは、平井という姓(あるいは「たいらか」を意味する「呈」の字)にちなんだ荷風の遊びであったと思われる。(あえて「鬼」の一字が含まれると漢字を使ったのは、荷風流の嫌がらせであったのかもしれない)。しかし、「真夜中の檻」という作品が、この一字「巍」を分解した「山」の「鬼」に(身を)「委」ねる話になっているのは、果たして偶然の暗合なのだろうか。
 師匠の死んだ翌年、「来訪者」と似た構造の小説に荷風体験そのものを織り込んだ小説は、「新四谷怪談」というべき実相を備えて、「真夜中の檻」として上梓される。かくして、テキスト同志が相食む、師匠と弟子のテキストゲームの円環は、閉じられる。(了)



5月9日(水) 「真夜中の檻」と「来訪者」(ラス前)
・大森なんでも伝言板によると、都筑道夫が評論部門で、推理作家協会賞を初戴冠したようですね。いつかも、書いたように今回こそは大本命と思われたので、良かった良かった。
・タイトルのやつが長引いて終わらない。連休中におげまるさんから、少年探偵小説リストの全面改稿版ともいえるデータを授かっているのだが、こっちの方を終わらせてしまってから、と思っているうちに、時はどんどん過ぎていく。すみませぬ。おげまるリスト第2次リストを刮目して待たれよ。

・続き
・戦後、大金を詰めた鞄を抱え、浅草のストリップ小屋に出没する奇行で知られた老作家は、昭和34年に没する。その翌年に、平井呈一(中菱一夫名義)の唯一の創作集『真夜中の檻』(表題作と「エイプリル・フール」を収録)が上梓される。
 「真夜中の檻」のあら筋は、次のようなものである。物語は、戦後10数年を経て、発見された手記の体裁をとっている。

 都内の高校の歴史科の教師風間直樹は、古文書調査のため、新潟山中の旧家を訪れる。だが、広壮な屋敷の主麻生喜一郎は、既に亡くなっており、豊艶な夫人珠江が一人で暮らしていた。暖かく迎えられた風間は、史料の調査に精励するが、地元の次々と屋敷の怪異が押し寄せてくる。近隣の麻生の親戚の話によれば、麻生家では四代続いて当主が、変死しているという。毎夜、夫人との淫夢を観るようになった麻生は、ある日、屋敷の下男と夫人が、山中で交合しているのを目撃する。妖艶な夫人の頭部には、二本の角が突出していた・・。風間は、魔に魅入られたように夫人と関係を結んだ後、麻生の家から逃げ帰るが、東京には、珠江夫人が追いかけてきて、二人は快楽に惑溺する。次第に、何をするのも物憂くなった倦怠の中で、風間に死の予感が訪れるところで、手記は終わる。

 創元推理文庫版の解説で東氏は、これまで、まったく別個に扱われてきた「真夜中の檻」が「来訪者」の関係性に触れ、「二作品の背景にほの見える「創作」をめぐる荷風と呈一の微妙な関係について、今後より踏み込んだ考究が必要」とし、また、「真夜中の檻」と「エイプリール・フール」の「怪異と恋愛」というモチーフが、「来訪者」に共通していることを指摘。「創作集『真夜中の檻』は、「来訪者」に対する呈一の回答もしくは逆襲だったかもしれないのである。」とする。

 「真夜中の檻」と「来訪者」は、表面的には、目指すところは違っていても、共通の要素をもっている。例えば、両作とも、美貌の未亡人との愛に陥り、女の愛の深さに身を滅ぼしてしまう男の話である。
 「来訪者」の未亡人は、千葉に住むが、「真夜中の檻」の夫人も千葉出身である。
(「学校は東京でございましたが、実家は千葉の海岸なんですの」39p) 
 誘惑する女は、永遠の愛を誓わせるのセリフも似通っている。

 「あなたはひと足先に東京へ行ってくださいね。わたくし、跡始末をしてきっとあとからいきますからといった。そしてどこか人の知らないところでたのしく暮らしましょうといった」(真夜中の檻)

 「ねえ、あなた東京へ引っ越しましょうよ。昨夜相談したように。アパートでも貸間でも。何でもいいわ。一時引っ越しをして、それからゆっくりと落ちつくくところをさがしましょう」 「じゃ早速、あした行きましょう。見つかり次第電報を出します。」(来訪者)

 また、例えば、作男の治作が、「なんか、マムシはうまいぞ。あれは、精がつくて、見れ、これを」と一物をさらすシーンは、「来訪者」の夢の中の「酒の中の蛇」や未亡人の生家「蝮屋」を想起させずにはおかない。

 それ自体が一人の「来訪者」の話である「真夜中の檻」は、一面でテキストを置き忘れてきた男の物語である。
 主人公は、旧家の史料の豊富さに、学問的意欲を激しく揺さぶられ、限りない喜びと緊張に胴ぶるいをし(56p)、克明に筆写を始める。
 この屋敷における幻のような時間の中で主人公のアイデンティティは、毎日筆記し続けたただ一冊のノートブックに仮託される。

 「毎日古文書を筆写していたのは事実だが、そのことを実証するのは、一冊のノートブックがあるだけである。」(103p)

 にもかかわらず、ノートを置き忘れてしまった男は、次のように述懐する。

 「せっかくひと夏丹精して書き写したノートも、わたしは麻生の家へ置いてきっぱなしだったが、べつにそれを惜しいとも思わなかった。あの魔の家に関係あるものは、なにもかにもきれいさっぱり、抹殺してしまいたかったのだ。ただしかし、自分の肉体が受止めたこと、これだけはどうにもならなかった。それを忘れることに、わたしはひたすら悩み苦しんだ。」(118p)  

 麻生の家。麻生の家?麻布の家。偏奇館。(続く)





5月7日(月) 「真夜中の檻」と「来訪者」3
 荷風の「来訪者」は、こんな話である。作中登場する「白井」がもちろん平井呈一をモデルにしている。(『真夜中の檻』の東氏の解説にかなり詳細な紹介があるので、そちらを御覧いただければそれが一番)。
 小説の語り手である老作家のもとに、白井巍と木場貞という文学青年が出入りしはじめる。老作家は、白井らの明治時代の文士のごとき時代の流れに超然としている態度に一目も二目も置き、二人の若者との親密の度を増していく。ところが、白井に貸与していた旧稿「怪夢録」の偽本が古書店に出回っていることを知り、二人への不審を募らせる。老作家は、偽本を買ってしまった好事家と原本・偽本の交換を行い、事を収める。
 ここまでが導入の第一章。二章から八章までは、腹が収まらない好事家が、興信所に依頼した白井と木場の身辺調査の報告書に基づき、老作家が筆を進める。
 白井には、妻と18を頭に三人の娘がいるが、転居先の隣家の若い未亡人、常子と不倫に陥る。抜き差しならない関係となった二人は、東京に出奔し、お岩稲荷の横町で生活し始める。情痴小説というのか、生活のくびきと文学上の鬱屈を抱ながら、未亡人に深入りしていく白井の心の動きが読みどころとなっている。
 第九章では、事件の記憶も薄れていたある日、木場と遭遇した老作家は、白井と常子の消息をきく。神経を病んだ未亡人は、夜毎異様なふるまいに及ぶようになり、逃げ出した白井を追って東京中をさまよい、円タクにひかれて死を遂げていた。

 第一章で作中作「怪夢録」の一部が紹介される。神経衰弱のため、不眠症に悩む主人公は、小料理屋の酌婦の肉体に溺れ、妾とする。その間に見た夢には蝙蝠が窓辺に来て、「あの女に接していると一年を出ずして殺される」ことを告げる。夢の中では、火の海の中を女が歩いてきて、「金の蛇を漬けた酒」だから飲めといって男を追い回す。
 命取りの女と情事に耽り、破局に至る白井をめぐる外枠の物語とあからさまな照応関係が示される。未亡人常子は、「蝮屋」(蛇屋)の娘であることが作中言及されており、酌婦と二重写しになる。(ちなみに、「蛇屋」とは、漢方薬局のことで、主たる売り物は、蝮や縞蛇の蒸焼粉末や生料理であったことを、都筑道夫「推理作家が出来るまで」で知った。)
 小説中の白井は、自分たちをモデルに鏡花風の小説を書いている。
 「新四谷怪談と云ふんだそうです。題の方が先にできたそうなんです」
 鶴屋南北の四谷怪談を江戸近世の最大の傑作であり、民族的大詩編とまで、考える老作家は、白井がその創作から借り切ったことを聞いて、「心ひそかに喜びに堪えなかった」と記す。、しかし、現実の方が怪談になってしまい、「新四谷怪談」は完成には至らない。

 ところで、現実の平井は、荷風の門外不出の日記を筆写、複本作成を請け負ったり、為永春水の現代語訳を荷風名義で代訳など荷風の仕事を手伝う傍ら、一体何を偽筆していたのか。
 紀田順一郎「永井荷風」(リプロポート)に引用されている荷風日記によれば、
 「短冊色紙の外原稿紫陽花その他」(14.10.15)、「四畳半襖の下張り、紫陽花、日かげの花、墨東綺譚その他(「ぼく」は「さんずい」に「墨」(16.12.20)、「書簡」(17.2.23)などであるらしい。平井本人の回想によれば、代筆行為もあったらしい。
 「荷風外傳」や紀田「永井荷風」でも触れられているように、偽筆が発覚した後も、荷風と平井らは交際を継続しており、一種荷風の了解の上の偽筆だったようにみえるにもかかわらず、突然の絶縁は不可解にも見えるのだが(紀田順一郎は「四畳半襖の下張り」による筆禍をおそれていたのではないかという推測を試みている)、荷風から借りた金銭の返却を最後に二人は絶縁する。
 絶縁後の日記(17.7.25)では、小説中の白井の経歴によく似た平井の私事を細々と書きつづり、「性質淫蕩にて強欲冷酷なること南北劇中の人物に彷彿たりと謂うべし」とまで書いている。
 小説や日記の記述に、荷風の復讐心の現れをみるか、「いたずら好き」「遊び」をみるか見方は、様々だろうが、荷風としては、小説を一本授かったという、してやったりの気持ちもあったのではないかと思われる。荷風の南北劇への傾倒は、先に引用したとおりだが、例えば荷風の代表作「墨東綺譚」には、玉の井の裏町の情景に触れた後で、次のような一節がある。
「それも昭和現代の陋巷ではなくして、鶴屋南北の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である」
 娼婦のヒロインについて、こう書く。
「お雪さんは南北の狂言を演じる俳優よりも、蘭蝶を語る鶴賀なにがしよりも、過去を呼返す力に於ては一層巧妙なる無言の芸術家であった」
 作中の小説家は、南北狂言の趣に惹かれ、玉の井を放浪し、女に誘惑されるのである。平井呈一を南北劇の登場人物に擬したところで、「来訪者」の構想が立ち上がったのではなかったか。ついでにいえば、「贋金づくり」ゆずりの「小説を書くことについての小説」という部分だけをとっても、「墨東綺譚」と「来訪者」は、近しい関係にあるのではなかろうか。
 戯れの微笑みの中で行われたのか、功名心と復讐心の狭間の中で行われたのかは、それはわからない。平井は荷風の小説を偽筆し、荷風の名前を簒奪する。荷風は、平井自身を作中人物とした小説を書き、平井の地位を簒奪する。小説内小説には、平井が偽筆した小説を挿入し、作中人物の平井には、自らをモデルにした小説を書かせ、小説集の序文には、やはり偽筆事件を彷彿させるような序文を付す。その一方、「門外不出」の日記に時限爆弾を埋め込む。虚が実を飲み込み、実が虚を呑み込む、師弟の間のウロボロスを思わせるようなテキスト・ゲーム。だが、円環はまだ閉じていない。(続く)



5月6日(日) 「柳生十兵衛死す」/「真夜中の檻」と「来訪者」2
・ビジネス・ジャンプに連載中の石川賢『柳生十兵衛死す』(集英社)の1巻を買ってみる。コミックについては、まったくよくわからないのだが、おげまるさんや彩古さんの話では、石川賢は、中絶作も多いようなので、果たして、きちんと終わるのやら。腰巻きがなかなか凄い。「日本小説界最後の巨匠 山田風太郎 × アクション漫画の第一人者 石川賢」 
 お話の方は、小説とは、十兵衛のキャラと夢幻能のアイデアをのぞいては、ほとんど別の話になっている。十兵衛が夢幻能により、忍び者が天下をとっているもう一つの江戸時代(飛行船が空に浮く異形の江戸。スチームパンク?)にタイムスリップ。十兵衛による世界崩壊を恐れた家康は、もとの世界に戻った十兵衛に次々と刺客を繰り出すというのが、基本的な枠組みになりそうだ。襲ってくる忍者が、薬師天膳(甲賀忍法帖)、剣鬼ラマ仏というのだから、忍法帖オールスターキャストになりそうな予感。原作使用料は、一作だけで、済むのか心配になったりする。
・昨日は、栄町のブックオフに出かけ、帰りに、リサイクルショップの2階にある古本屋を発見。初めての古本屋は、心ときめく。ブックオフの見慣れた本と違って、古い本が多いのが嬉しい。欲しいものはあまりなかったけど、何冊か買う。
「真夜中の檻」と「来訪者」続き。
 断腸亭日乗の3月8日の項には、こう記されている。
 「家にかへるに木戸氏筑摩書房主人を伴い来り話す。小説来訪者の草稿を交附す」
 偏奇館炎上の日の前日に、出版社に渡された「来訪者」については、当時筑摩書房の社員で、後に小説家として名をなした中村光夫が、「筑摩現代文学大系16 永井荷風集」に寄せた「人と文学」という解説で、かなり詳しく触れている。以下、その文章に沿って略述すると、
 荷風の小説集を出版しないかという話がある仲介者を通じてあったので、話が具体的に進み、3月8日に筑摩書房社長が偏奇館を訪れ、「来訪者」の原稿を渡される。荷風の原稿は、写しをつくってまたすぐ返すようにということだったので、空襲の合間に手分けして写したという。物は
「和紙に墨できれいに浄書し、花模様の表紙をつけて、和とじ本のように造ってあり、「来訪者」「踊子」などという題名のわきに、「門外不出本」という小さな字で書いてありました」
 以下の話は、若干余談めく。
 戦後、9月に中村は、古田社長と熱海に疎開中の荷風を訪れ、出版の承諾を得る。昭和21年7月に「来訪者」は出版されたのだが、前述の事情から、印刷は、札幌の印刷所でされた。
 そのできあがった「来訪者」を札幌の支社から東京の本社へ送る箱の中に支社長が当時東京では入手困難だった塩鮭!を数尾入れた。ところが、これが禁制品だったために、途中の検査で発見され、荷物は常磐線の途中で止められてしまう。一方、北海道の日販におさめられ、そこから全国に配布される「来訪者」の方は、何の支障もなく東京に着いてしまい本社に本がつかないうちに、店頭に並ぶという椿事が起こってしまった。それがたまたま荷風の眼に触れ、著者のところに本がこないのはけしからん、印刷本と印税を即刻もってこいと、強硬な葉書が届けられる。その葉書の下には、印税(2割)と書いてあったという。当時の印税の常識では、印税は1割か1割5分だから、これは荷風が懲罰の意味合いで書いたものらしい。とにかく、大作家を怒らせては事なので、中村は社長と、荷風のところへ駆けつけ、言われただけの印税を支払ったという。
 狷介な老作家の肖像が浮かび上がるようなエピソードではある。
 後年、中村は、荷風の死去(昭和34年)の際の追悼文において、
「戦後しばらくの間、かなりしばしば会う機会あった荷風氏は、僕の文学的想像力を超えた存在でした。一口にいえば、とんでもない厭な人でした」(「狂気の文学者・永井荷風」〜秋庭太郎「荷風外傅」からの孫引き)
と、追悼の辞としては、かなり異例の言葉を吐いているが、これは、扱い難い作家とつきあった編集者の本音だったと思われる。
 さて、この「来訪者」という本には、次のようなやや奇妙な序文が付せられている。「戦争中、わたくしの友人達は日に日に物資と食料のなくなるにつれ、わたしの独居生活を気の毒に思われ、時折菓子や砂糖また野菜のかづかづを恵まれた。わたくしは何とかして此の厚意に報いたいと思いながらも、書は拙く画も書けないので思案の果、詩編と小説の草稿を浄書しも此を贈呈して謝意に代えた。今本書に収め載せられている来訪者以下の諸篇がそれである」
 この文章に続けて、戦災とその後の度重なる転地に触れた後、
「重て上る放浪の途次、幸にして偶然一友人の熱海に在ることを知り、尋ね到って、ここに初て破れた靴の紐を解き得た。わたくしは曾て麻布の旧廬から諸友に送った草稿が、あちこちと知人の間に伝写され、亦端なくも熱海なる友人の手元に一括せられているのを知った。この友人は書肆筑摩書房の主人とは相識の間柄であった。これが本書梓行の運びに至った所以である」
 少なくとも、「来訪者」「踊子」を収録した「門外不出本」は、戦災に会う前に自ら出版社に渡しているのだから、この序文は正確な事実を伝えるものではない。かえって、収録作の無償の捧げ物としての性格や、様々な機会に放たれた草稿が次々と転写され友人のところに集まっていたという奇遇を強調する点で、作品集の成立それ自体を美化ないしミスティフィケーションする言葉であるように思われる。
 作家織田作之介は、昭和20年2月に、何者かに筆写された「来訪者」「踊子」を大阪で読んだというから(「荷風外傳」)、テキストがある程度の範囲で流布していたことは事実なのだろうが。
 しかし、漂流するテキストが、いつの間にか作者のあずかり知らないところで、一か所に集まり、一書をなしていたという荷風の言明はなかなか興味深い。
 「来訪者」という小説もまた、テキストをめぐる物語だからだ。
・連休中に終わるはずが、まだ本題に入れません。くくく。あと、数回続く予定。



5月4日(金・祝) 「真夜中の檻」と「来訪者」
・2日、仕事帰りに旭屋によって、掲示板にMOTOさんからの書込みのあった唐沢俊一の対談本を立ち読みしていると、あれ。シルクハットに片眼鏡、怪しげなものをぶら下げた人物が。「お、おげまるさん」 なんでも、パソコンのキーボードにコーヒーをこぼしてしまって、新しいキーボードを買った後、寄ったらしい。「軽くいきますか」ということで、近所の居酒屋へ。「軽く」のはずが、店を追い出されたときに時間を確認すると、延々5時間以上も飲んでいたのか。翌日は、結構へヴィ。  
・3日、いわゆる3美女と、偽オフ会。手稲の「ジャルダン・ポタジエ・テラニシ」という野菜料理が自慢の店で、「野菜畑のディナー」なるものを賞味。手稲の山腹によくも、こんな店を出そうと思ったものだ。2軒目は、カラオケ。留萌から稚内に栄転した山美女持参の干しガレイを毟りながら(これは決して北海道のカラオケスタイルではないです)、3時間。現代歌謡に挑戦しながら、自爆し続ける美女たちが愛らしい、と日記には書いておこう。
・酒中日記みたいだなあ。
・「真夜中の檻」と「来訪者」
  昨年9月、創元推理文庫から1冊の本が出た。平井呈一『真夜中の檻』というその本は、翻訳家・海外怪奇小説の紹介者として知られる著者の残した2編の小説と、海外怪奇小説に関するエッセイを収録したもので、平井呈一の業績を集大成したものだという。 名品「真夜中の檻」「エイプリル・フール」を初めて堪能したほか、名人芸ともいえる海外怪奇小説のエッセイが意外にビット数が高い(情報量が多い)のは、ちょっとした驚きだったが、平井呈一や怪奇小説に門外漢の読者として、東雅夫氏の解説(「Lonley Waters」)にも心惹かれた。
 平井呈一は、戦前の永井荷風のもとに頻繁に出入りし弟子ともいえる状態にあったこと、今後自分の著作のことは一切平井に任すとまでの蜜月関係になりながら、平井呈一のおこした荷風偽筆問題を契機にその関係は断絶したこと、荷風はその日記「断腸亭日常」で呈一を悪罵し、それのみにとどまらずモデル小説「来訪者」を執筆し、「筆誅」ともいえる制裁を加えたこと、その小説により戦後の文壇における平井呈一の立場に恐ろしいほどのダメージを与えてしまったことなどを初めて知った。(東氏は、従来言われていた「筆誅」という説には、与してはいないのではあるが)
 平井呈一がこの事件をきっかけに、戦後の文壇において、自分の居場所を見いだしていくのがどんなに困難だったかは、想像に難くない。一編の小説が一人の文学者の運命を翻弄してしまった事件としては、かなり希有なものではないだろうか。
 東氏の解説でも、かなり詳細に紹介されている荷風の「来訪者」を読んでみたいと思っていたのだが(これ自体は、岩波の荷風選集で手軽に読めるようだ)、いわゆる札幌版に興味をもって道内出版物を扱っている古本屋で、この「来訪者」の収録されている『来訪者』(筑摩書房)を偶然見つけ、これも奇縁と購入してみた。『来訪者』は、昭和21年9月3日第1刷。手に入れたのは、昭和22年12月1日印刷、同6日発行の第2刷。発行所は、筑摩書房で、本社は東京、北海道支社は札幌市第1条西4丁目12、印刷所は、札幌総合印刷となっている。戦後用紙事情が急速に悪化したために、札幌の印刷所で刷られた、いわゆる「札幌版」である。かなり汚れた本ではあるが、中では高級な和紙も使っており、粗悪な紙を使った戦後出版とは一線を画する。「荷風散人」の検印がされているのが、なにやら面白い。
 同書には、「来訪者」「踊子」の2編に、随筆が4本、「偏奇館吟草」と題した、かなりロマンチックな詩編40編余りが収められている。
 この『来訪者』という本自体が、かなり面白い成立ちをもっていることは、後で知った。
 荷風の日記「断腸亭日常」は、30年の長きにわたって書き続けられたのだが、日記の最大のクライマックスは、昭和20年3月9日、荷風の住む麻生の「偏奇館」炎上のシーンとされているらしい。 「三月九日。天気快晴。夜半空襲あり。翌晩四時に至りわが偏奇館焼亡す。」一端は避難するものの、「麻布の地を去るに臨み二十六年住馴れし偏奇館の焼け落るさまを心の行くかぎり眺飽かさむものと、再び田中氏邸の門前に歩み寄りぬ」住み慣れた我が家の炎上シーンを「心の行くかぎり」眺めようとは、作家魂ここに極まれりというしかない。
 遠藤周作は、「空襲によって主人公の孤独な情緒的生活いっさいを支えていた偏奇館と万巻の書のことごとくが燃え上がる場面は「日記」のクライマックスであるが、それ以後、戦後の日記は少しずつ「日記文学」の情緒を失い、たんなる「日記」に堕ちていっている」(「荷風ぶし」について)という。
 この偏奇館炎上の日の前日に、荷風邸から持ち出されたテキストがあった。それが、問題の一編「来訪者」だったのである。(続く)



5月1日(火) 東京ふらふら日記 
・連休は暦どおり。太田忠司『ミステリなふたり』、買い忘れていたHMM7月号購入。
・『南部牛追節殺人事件』『小エビのチリソース殺人事件』bk1から届く。「小エビ〜」本体の表紙が本文の逆さについているエラー本。将来高値を呼びそうだ。(ないない)。
・MYSCON以後のことを備忘録代わりに書いておく。
・お茶の水で宮澤さんと別れ、イシバシ楽器へ。1階の一角で、イシバシテルミンを発見、購入。重いのかなと思っていたら、トランプケースをちょっと大きくしたくらいの大きさなのに驚く。新宿に移動し、たかはし@梅ケ丘に連絡。区役所前のサウナにて仮眠。カプセルホテルで死んだ将棋差しを思い出す。6時に紀伊国屋、ポケミス前で待ち合わせ。新宿魔界探訪として、この前、ディスク・ユニオンからスピン・オフされたという、プログレ館に行ってみる。一度じっくり入りたかったらしいが、怖かったらしい。人をたのむな。みるからにプログレッシャーが蝟集していることもなく、客は意外に普通。スラップハッピー関係が3段くらいある。スラップハッピーってプログレだったのか(半泣)。世界中探してもこんなところはないと、たかはしが譫言のようにつぶやく。
・下北沢に移動。札幌ラーメンの看板を掲げている不思議な居酒屋で、優れ物の日本酒を幾杯か。「ヴィレッジ・ヴァンガード」なる本屋を探訪。全体は雑貨屋なのに、あちこちのテリトリーに、ジャンルごとの本が固まっている。J文学が強い。雑貨としての本。80年代のボードリヤールが見たら何と言ったか。札幌にもあるんですか、そうでしたか。鈴木いづみの復刊が山のように積まれているのが、いなにもらしい。いきつけらしいバーで、買ったCDをかけてもらって、下北の夜は深沈と更けていく。
・三軒茶屋のビジネスに泊まって、翌朝は、月曜の通勤客に混じって、池袋のミステリー文学資料館(光文社1階)へ。500円を払って入館。ちょうど鮎川哲也の展示をやっており、「冷凍人間」やYZミステリー「青い密室」など貴重な本が並ぶ。宝石社からのクラブ賞受賞の電報や、黒い白鳥構想メモ、黒いトランク初稿なども展示していた。探偵作家クラブで「達也が嗤う」が犯人当てに使われたときの回答カードなんてのも飾っており、都筑道夫の回答を眺め、これはいくらと鑑定されるだろうとの思いが頭をよぎる。開架の方には、各社の新らしめの本が多いが、古い本も結構ある。乱歩の貼雑年譜があったのは、いかにも僥倖。これが30万かと、感じ入る。意外に、張り込みのある頁は少なかった。驚いたのは、開架の部分に「新青年」や「宝石」はもちろん、「秘密探偵雑誌」から始まって「新探偵小説」、「シュピオ」、「黒猫」、「Gメン」、「密室」といった貴重な雑誌が置いてあることで、短い時間ではあったが、閲覧席で眺めいってしまう。4時間ほどいたが、撮影らしき入館者が1組あっただけで、後は、独占状態。「密室」に載っていた天城一の短編を数編コピーして(1枚5 0円)、羽田へ向かった。



4月30日(月・祝) MYSCON2レポート(承前)
■黒田研二氏インタビュー
 フクさんの開会宣言の後に、メフィスト賞作家黒田研二氏インタヴュー。 
 インタヴュアーは、蔓葉信博氏。事前に参加者から集めた質問を元に、蔓場氏の軽妙な進行でサクサク進む。質問の方もなかなかよく出来ていて、くろけん氏のサイトそのままの、気さくでギャグ混じりの応答が座を盛り上げる。事前に著書を読み終えていなかったという不埒な参加者しとては、草創期のミステリ系WEBサイトの話などに興味もあったのだが、あまり他のサイトは、御覧になってなかった模様。インターネットを始めたのも、ほんとか嘘か森高のサイトを見るためがメインだった由。皆に読め読めと進められて、避暑地で「Yの悲劇」を読み、つまならいので寝入ってしまい「Yの悲劇」焼けなったという話には、爆笑。創作裏話を織り交ぜながら、モー娘話、大矢博子氏話になったり、曲折の末、エンド。楽しく飾らないくろけん氏の人柄が伝わってくるインタヴューだった。
■「オススメ本交換会 パート2」&ミニ宴会 
 開始に先だって 小グループに分け、お薦め本の交換会とミニ宴会。グループは、米田淳一さん、ともさん、崎Qさん、相沢藤緒さん、天野一さん、戸田和光さんに私。メンバーにちょっとした叙述トリックがあって驚く。交換本には、去年は色々迷って、新刊の「ポップ1280」を持っていったのだが、今年は何も考えずに「山田風太郎ミステリー傑作選2 十三角関係」。
 お薦め本は、米田淳一さんが和久峻三の文庫本、ともさんが『エヴァライカーの記憶』、崎Qさんが古処誠二『少年たちの密室』、相沢さんがB・M・ギル『十二人目の陪審員』、天野さんが飛鳥部勝則『砂漠の薔薇』。戸田さんが『疑惑の構図』(オール読物傑作選}だったかな。それぞれ、自己紹介とともに、お薦めの辞を。ともさんが、誰の発言にも真剣に耳を傾けているのが印象的。その、ともさんは、他は全部読んでいるということで(さすが)、唯一未読の和久峻三の文庫本が移動。私は、相沢さんのギルをいただきました。「十三角関係」は、天野さんへ。貰ってくれる人がいてほっとする。 
 交換会の後、ミニ宴会。テーブルに北海道名物?の熊笹蒲鉾を出しながら、ビール。天野さんは、大学でミス研を立ち上げたそうで、その話とか、相沢さんがミス研つくっていたれば、某大作家から、激文をもらえただろうとか、そんな話。ミステリといっても嗜好は様々なので、共通の話題を見つけるのはなかなか大変。こういうとき、清涼院話は、場がなごむ。やはり、ミステリ界に必要な人材かもしれない。摩耶雄嵩とどこが違うかという話になって、方法の自覚性の有無ではないかと発言をしたら、崎Qさんに、清涼院も自覚的ですといわれ、そりゃそうだわいと納得。まだ、続けたいというところで、この場はお開き。
■煙草部屋 
 大会は全面禁煙なので、企画以外は、煙草部屋へ入り浸り。くろけん氏インタヴューの後で、Naobuuさんと、今回不参加の松本楽志さんの噂話などをしていると、浅暮三文氏がモー娘とは何かという話題。ほんとにほとんど御存じないらしい。Naobuuさんさんほか若手が必死に説明をするが、「それは中尾ミエみたいなもんか」と浅暮魂爆発。楽しみにしていた浅暮叛ウェストレイクは、まだ先になるらしい。
 その後、何度かの出入りをしているときに、「密室」と「クローズドサークル」はどう違うかと話題になり、愛蔵太さんほか周囲の説明が続くのだが、「嵐の山荘で人がみんな死んでいたら密室か」という変な方向へ話が進んでいく。愛蔵太さんがその話、今日つくろうか、と夜中にかけてプロットをつくろうという話になりかけたが、それはその後どうなったのか見届ける暇がなかった。今度は、「決戦ブローズボール」みたいな企画があったりすると面白いかもしれない。疲れてだめか。
 ややおそるおそる、愛蔵太さんに「ラヴさんですか」と尋ねたら、「あいです」、といわれ、泡坂妻夫の小説のような気分になる。大森望さんが、バロウズのテクストをプリントしたTシャツを着てて、恰好良かったっす。INOさんには、今回は名司会ぶりが見られなくて残念とかいって、「いえいえ」とか話していたのに、後であんな隠し玉が出てくるとは、神ならぬ身知るすべもなかった。
■「英国ミステリ女流作家の系譜」
 前回の海外企画を引き継いだ感じで、今年も老ミスかと思われたのだが、集まった顔触れは必ずしもそうでもない。参加者は30人くらいか。レジュメは、「ミステリーの友」の英国女流系統図、改めてみるとこれがなかなか良くできている。司会は、しょーじさん、雪樹さん、葉山響さん。話はクリスティから始まるが、喋る幻影城こと葉山氏も含め、ここは、司会進行なしという大ギミックを選択したのか、話は親心kashIbaさんと浅暮氏の掛け合いで、もっぱら進行。浅暮氏は、クリスティの小説にもイギリスの社会状況が深く反映しているという論旨で進めたい様子なのだが、「クリスティの好きな小説は」「ない」という調子なので、なかなか話が前へ(どっちが前だ)進まない。イギリスでは、なぜ伝統的に力をもった女流がコンスタントに育つのか、米国女流との違い、男流ミステリとの違い辺りを議論すると、ミステリ話しとしては結構面白いものになったと思うのだが。セイヤーズ、アリンガム、マーシュといった系譜それぞれに、原書の読みやすさにも触れて進めていくkashibaさんの博識が冴える。なぜか米国作家ハイスミスを片手に無理矢理突っ込む、浅暮エンタメ精神が面白い。
 作家を順番におってきて、P.D.ジェイムズのところで、残り5分。そこでkashibaさん推薦ジェニファー・ロウ(オーストラリア)の話が出て、新女王決定戦になるのだが、話題を引き継ぐ形で、新女王は、ジェニファー・ロウに決定。ドリフのコントのような幕切れになって、これはこれで楽しかった。出版社は、MYSCON2認定、新女王ジェニファー・ロウの翻訳を出すように。「時の娘」を参加者のほとんどが読んでいたのは、ちょっと感動的でありました。
■古本なんでも鑑定団 
 参加者が持ち寄った古本価格をズバリ鑑定するという企画。鑑定団には、トレードマークの髭を剃った「ニュー日下です」日下三蔵さん、古本極道彩古さん。司会は、石井女王さま。出品がないことを心配した女王さまから、事前に一点指定があって持ち込んだのだが、案ずることもない盛況ぶり。宮澤さんの乱歩関係を皮切りに次々とお宝が飛び出す。鑑定団の査定は、かなり厳しい。個人的には、惣坂さんの持ち込んだアダルト・グラビア誌に載っていた浅暮三文氏の一文というのに受ける。後に、その場で本人のサインが入って、価値下落という鑑定結果が下される一幕も。自分の持ち込んだのは、「フェニックス」109号森英俊氏編集の「幻フェニックス」。エリス・パーカー・バトラーやエドマンド・クリスピン、レオ・ブルースらの本邦初訳短編に、P・マクドナルド、リン・ブロック、コニントンらを紹介した「P・マクと円卓の騎士達」や「僕はこうしてコレクターになった(西海岸編)」などを収めた同人誌とは思えない1冊。7〜8000円はするという鑑定を受け、ご満悦。ついでに、前日、金光さんから頂戴したばかりの「人魚燈廊」が載った「読物娯楽叛」を自慢。
 kashibaさんからの鑑定団への挑戦状ともいえる、洋書をずばり2万円と見切った彩古さんの眼力には、おそれいった。
■古本オークションから閉会まで 
 夜も更けてオークションになだれ込む。こちらは、30人くらいか。昨年は個室だったのだか、今年は大広間で開催。反対側では、「謎の腹笑術師」の挑戦状が読み上げられ、隠し企画が発動中。INOさんが被害者となって、おがわ探偵の謎解きが進められたらしい。こちらも是非見たかったのだが。古本オークションは、1回目以上の豪華出品物。今年は、買う側に廻るというkashibaさんの意向もあってか、フクさんの進行で、オークションは順調に進む。凄かったのは楠田匡介「都会の怪獣」を巡る叩き合い。日下さん、彩古さんという古本鑑定士同志が緩むことなく、値をつりあげていくバトルは、壮絶。結局、6万8000円で日下さんが落札。後で、出品者の市川さんに聞いたら、デパート展で500円で仕入れたものという。来年参加のために、道内のどこかに少年物が落ちていないかと思った一瞬であった。自転車で来たという高1さんも、オークションに参加。よしださまさしさんが、それとは知らずに高1さんと競っていたので、指摘したら、よしださんが慌てて取り下げたのは、面白かった。
 自分も数冊落札したが、中で嬉しかったのは、飛鳥高「崖下の道」(東都書房)と、牧野みちこ(牧野修)、宇井亜綺夫の短編が入っている「小説幻妖 壱」('86 幻想文学会出版局)。呼び物の鮎川収集スターターセットは、高橋さんへ。
 4時すぎに、熱気のオークション終了。煙草部屋でフクさんからMYSCONの今後などについて伺う。大広間に降りていくと、日下さんを取り囲んで、今後の出版企画の話がされている。途中から、近くに座って聞いていたのだが、それは、もう綺羅星のような復刊企画。秘密の手帖まで見せていただき、まさにドリームタイム。興奮しているうちに、寄る年波のビッグウェイヴがやってきて、座布団の上で1時間くらい寝たかどうか。いつの間か、閉会の8時。フクさんの閉会宣言で、大拍手のうちにカーテンフォール。

 閉会後、日下さん、千街さん、MASAMIさん、惣坂さん、彩古さん、石井さん、よしださん、宮澤さんらの一団に混じって、喫茶店へ。愛蔵太氏がジュヴナイルを読んでおられました。ぼおっとしながらも、色々と濃い話をきいて、かなり時間が立ったところで、お開き。日下さんはパワフルでした。
 今回は、2回目なので、知っている方も増えて、前回以上に楽しめた。とても、書ききれない細部も折りに触れて思い出すことになるだろう。

 スタッフの方々ご苦労様でした。お相手をしていただいた方々に深く感謝。
(誤記、記憶違い等気が付けば訂正します)



4月27日(金) MYSCON2レポート
・メールしましたんでよろしく(おげまるさん用)
・昨日、客が来たので、久しぶりに金富士に行ったら、ゴールデンウィーク中に店内を全面リニュアルするために休む旨の張り紙がしてあって、驚いた。永年変わらないあのスタイルがどう変わるのか。ミラーボールでも付けるのか(ごく数人用)・帰りにPARCOの島村楽器によって、安いギター用のアンプを購入。「ギターですか」と聴かれて、「テルミンです」といって、驚かれる。ほほほ。これで、目的の8割は果たしたぞ。「どこでお買いになったんですか」「東京のイシバシ楽器です」「おお。興味あります。ギターとか弾いておられるんですか」「弾けません」何やら恥ずかしい。 アンプにつないで、つまみを設定。ウィーンと音が出る。なかなか面白い。音は、ややしょぼめ。おやじがけったいな器械の上で手を振り回している光景には、なぜか哀愁を誘われるような気も。空中に頭突きをくれても、音が変化するので、顔面弾きのようなテクニックもありそうだ。手をアンテナに近づけると、音が高くなるのだが、しっかりとした音階を刻むのは、相当に難しそうである。石橋テルミンでメロディを奏でる運動展開中の末永昭二さんにまた極意など教えていただかなければ。
・MYSCON2レポート
■開会まで
 千歳空港を昼過ぎに立ち、エアドゥで羽田へ。出発前の週がバタバタして、事前に読んでおこうと思った本が全然読めていない。ゲストの黒田研二氏の本も読んでない。道中で読んだのは、フクさんに進呈する予定の戸川昌子の『牝の罠』。飛行機の中で読み終わらず、新橋の喫茶店で読み続ける。これがいやはや戸川小説としかいいようのないヘンな話で、熱が出そうになる。最後の方で、動物図鑑が出てくるところは爆笑。コンベンションに向けて頭を切り替えるのが大変でありました。
 南北線の東大前で降りて、コンビニで夕食を買い込む。入り口ですれ違った人には、見覚えがありましたが、後で気づいたらおーかわさんでありましたか。1年立つと人の顔も、なかなか覚えてない。会場の鳳明館森川別館の入り口も忘れてしまっていて、少々近辺をウロウロ。入り口で、スタッフのフクさん、しょーじさんほかに挨拶。 米田淳一さんの案内で(作家に案内されるとは光栄なり)、宿泊部屋へ。同室は、戸田さん、中島景行さん、MASAMIさん、無謀松さん。無謀松さんの痛風話などを伺う。少し遅れて、政宗九さん、茗荷丸さん。茗荷丸さんは、お若いなあ。
 MASAMIさんが日ごろの不義理を詫びに来ているようなものですよと言っていたのが印象に残る。 定刻になって、どやどやと地下の宴会部屋へ。(まだ始まらないけど、以下次回)