■本の評価は、☆☆☆☆☆満点
☆☆が水準作
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5月29日(水) 大宴会
・世田谷文学館にTEL。土曜日2時からの山風企画(辻真先×新保博久対談「山風忍法帖に学ぶもの」)は、まだ席に余裕があるようなので、予約に成功。電話番号を告げると、受付の女性と「遠方からいらっしゃいますよね」「札幌です」てな会話があり、「新宿から京王線という線にのって、8つ目の駅です。各駅停車しか停まりませんから御注意ください」などと丁寧に教えてもらう。北海道から来ましたというのは、なかなかの殺し文句なんだよね。
・既に「小林文庫ゲストブック」で告知されており、当サイト御覧の方の多くはご存じかと思いますが、こちらでもアナウンスさせていただきます。当掲示板でおなじみ、末永昭二さんの御著書『貸本小説』の推理作家協会賞候補を祝い、受賞作無しを残念がる「大宴会」が企画されています。
日時: 6月29日(土)の夕刻から(開始時間は未定 17:00くらいから?)
場所: 都内(池袋を中心に検討します)
主催: 『新青年』研究会、ネットファン有志(共同主催)
会場や詳細は、凡その参加人数などが見えてきてから、決められます。
幹事を引き受けられた小林文庫オーナーさまは、出来るだけ幅広く、多くの方に集まっていただきたいとおっしゃってます。「ミステリーファンでも、ファンでなくても」、「末永さんと面識が有っても、無くても」、でも、末永さんをお祝いする気持ちの有る方は、どしどしご参加下さいとのこと。参加を希望される方、参加出来そうな方は、小林文庫ゲストブック又は当掲示板テルミンスレッドに書きこむか、小林文庫オーナーにメールを送って下さい。あくまで人数把握が目的ですので、最終的に参加できなくなっても構いません。できれば参加したい、と言う程度の方もご連絡下さい。
なお、メールの場合は、mailto: kobashin@st.rim.or.jp(小林文庫オーナーのアドレス)にお願いします。
宴会が企画された経緯などは、「小林文庫ゲストブック」(URLを貼っておきました)を御覧いただければ、よく判ると思います。
私自身の参加は、ちょっと厳しいかもしれませんが、是非多くの方にご参集いただき、大いに盛り上げていただきたいと思います。当サイトも後援などの名目で、応援してまいる所存であります(しかし、宴会の後援とは何だ)
5月28日(火) 『死ぬほどいい女』
・『死ぬほどいい女』 ジム・トンプスン(扶桑社/02.3) ☆☆☆☆
ファム・ファタル。おそらくは、世紀末美術から、フィルム・ノワールに流れ込んできたと思われるこの言葉は「運命の女」、「宿命の女(ひと)」などと訳されるが、名訳だと思ったのは、これもトンプスンの小説の後書きで知った「命とりの女」という訳語。邦訳のあるトンプスンの作品を思い起こせば、たちどころに幾人もの命取りの女が浮かんでくる。実は、この「命とりの女」を描かせても、トンプスンは抜群の名手なのだ。この作品には、命とりの女を超えた「死ぬほどいい女」が登場する。それも、3人。
生活に疲れた訪問販売員ディロンは、強欲な老婆の家で美しい娘モナに出逢う。モナは、ディロンを寝室に招き、ドレスを脱ぐ。32ドルの食器セット欲しさに、老婆は姪の体を売るのだと悟ったディロンは、娘に手を出さず、家を後にする。この男にはふさわらしからぬ「善行」が、運命の歯車をきしませていく。モナが可憐ながら思考力のない女として描かれる一方で、ディロンの妻は打算的なあばずれとして登場してくる。二人の女の間で、ディロンは、モナを得るために大きな賭に出るのだが。
どこにでもいるかもしれない小悪党周辺の些事を積み重ねながら、展開していくストーリーテリングは見事の一言。「ポップ1280」の逸話から、トンプスンは書き殴りの天才というイメージがあるが、本作(おそらく他の作品も)は相当緻密な計算の上に成立しているのではないだろうか。眼を剥くのは、作中の展開にあたふたしているはずの、おれ=ディロン自身が突如物語の書き手として登場し、事件を別な小説に仕立て上げたりしようとする点。数時間の気晴らしのための犯罪小説に込められたなんたる実験性とブラックな味わい。一応の決着の後に、読者は、「ゲッタウェイ」や「サヴェジ・ナイト」のような予想もしない結末につきあわされ、ここでもう一人の「死ぬほどいい女」で出逢うことになる。そして物語は、炎上する。「物語」にバラ線を二重巻きにして沖へ送り出し、炎上シーンを見守るようなトンプスンの黒い笑いが聞こえてくるようである。
5月27日(月) 準(続)
・土曜日は、プロレスリング・ノア観戦。中島スポーツセンターの後継である「北エール」の入りが前回厳しかったせいか、小さな「スピカ」という地元TV局のホールで土、日2連戦。日曜日は、土曜日に比べて好カードが並ぶのだが、小学校の運動会たけなわで観戦参加できない人、多し。「札幌のお父さんを敵に廻すのか」と同僚は怒ってたっけ。すり鉢状の千数百人規模の会場なので最後列でも試合はよく見えて、その点は満足なのだが、最近のノアは話題性に乏しいし、あっさりカタがつくようになって、旧全日も遠くなりにけり。だいたいあのちっこい小川がなぜチャンピオンなの。
・「水谷準集」続き
「R夫人の横顔」 肖像画に秘められた名家夫人の夫殺しの理由は。
「カナカナ姫」 海水浴場に毎日手押し車でやってくる歩行不能の30代の女性、カナカナ姫。推理は大したことがないが、好奇心旺盛、人間観察に長けた彼女のキャラは秀逸。
「金箔師」 ゴルフ友達が語るほろ苦い中年の恋。
「窓は敲かれず」 戦争未亡人を狙う恐喝者の死。ロマンティクなラスト。
「今宵一夜を」 美しき人妻を絵のモデルとした画家の陶酔と陥った罠。
「東方のヴィーナス」 美しき踊り子を妻とした画家の陥る地獄。
「ある決闘」 アプレ青年の決闘ごっこに秘められた真相。常套を外したラストが戦後の一断面を効果的に描き出していて良し。
「悪魔の誕生」 消えた飲み屋の女の探索行に待ち受ける予想外の結末。「悪魔」とは誰かという謎も冴える秀作。
「魔女マレーザ」 幼時から数度だけ出逢った魔女。幻想が生々しく印象深い。
「まがまがしい心」 彫刻家の遺作「心」がもたらす惨劇。黒光りする結末。
「R夫人の横顔」以降(第ニ部)は、戦後の短編。第一部の戦前編と対比すると、その作品世界の断層は深い。20代半ばまでに書かれた戦前の短編は、モダニストの佇まいで、時のうつろいに抗議し、生の一回性を瑞々しくあるいは残酷に唄うエレジーの趣。ほとんどの作品は、語り手の男が聞き手の男に自らの物語を語るという枠組みで語られる。聞き手は、語り手の物語に介入することもあるが、語り手の葛藤は聞き手にそのまま共有される。聞き手と語り手は互いの影法師にすぎず、作品全体は作者のモノローグであるかもしれない。繰り返し現れるモチーフである、愛する者の肉体を滅びさせる時間への抗いは、観念的で甘美で、その最良の形は、「おお・それ・みを」「胡桃園の青白き番人」等に結実する。
一方、戦後の短編では、聞き手と語り手の未分化ともいえる状態はなくなり、より小説らしい結構が整うが、甘やかな感傷は影を潜め、代わって戦争を挟んで疲弊した人心や風俗が前面にせりだしてくる。「カナカナ姫」「ある決闘」のような成熟した小説家らしい観察の行き届いた短編もあれば、「窓は敲かれず」「今宵一夜を」のように戦前では考えられなかったような通俗的ロマンも書く。戦後の短編のいくつかに身過ぎ世過ぎのための小説という作者の自嘲が透けてみえるような気がするのは、50代にして小説の著作から遠ざかったという作者の経歴を知っているせいだろうか。青春期特有の悲歌が戦争という圧倒的現実に蹂躙されたとき、人はどのようにして詩人であり続けるのか。
5月25日(金) 準
・本年度の推理作家協会賞評論賞その他の部門は、残念ながら受賞作なしとなった模様。去年予想した(というか願望した)「推理作家が出来るまで」が受賞したので、今年も、と思っていたのだが、受賞なしとは思い及ばなかった。末永さんには、「次に書くものでおこたえするしかないと思っております」と当掲示板にはもったいない言葉をいただいており、次の著作を楽しみにしております。
・『第四の扉』読む。期待を上回る出来映えでありました。『第四の扉』旋風が巻きおこっている『猟奇の鉄人』掲示板に殊能将之氏が出てきたのには、吃驚。
・『怪奇探偵小説名作選3 水谷準集』 水谷準(ちくま文庫/02.4)
編集長の書いた小説というのが実は好きである。一つの分野におさまらない幅広い知識と見識をもっている目利き・教養人が、そのセンスや教養を背景に物した作品。専業作家に対抗して書く以上、下手なしろものは書けず、それだけで作品の質は保証されている。といって、含羞の気持ちも手伝うせいか、専業作家の作品のようにアクは強くない。逆にいえば、読者を引きずり込むような作品の熱には欠けるだが、そのスマートさ、押しつけがましくない感じがちょうど良い。ここで思い浮かべているのは、アンソニー・バウチャーや(初期の)都筑道夫、、小林信彦等なのだが、昭和4年から終戦まで「新青年」の編集者を手がけた水谷準もそんな編集長作家の一人である。新たに編集された本としては44年ぶりという本書で一挙に開示された世界は、このような思いこみが半ば満たされ、半ば離れたものだった。
「好敵手」 横浜のホテルが舞台のコンゲーム風の小粋な一編。
「孤児」 孤児同志の因縁が絡んだ犯罪譚。ラスト一行の悲愁の感覚。
「蝋燭」 砂金採集業者の仲間割れを描いた掌編。余韻あり。
「崖の上」 真夏の海岸で男が語る犯罪譚。
「月光の部屋」 避暑地の夕暮れに空想家が覗いた犯罪らしき事件。結末のツイスト。
「恋人を喰べる話」 歌劇の少女に対する狂おしき愛。肉体を滅ぼす時間への痛罵と愛借。
「街の抱擁」 モダニズム短編を思わせる奇想がうれしい。
「お・それ・みを」 これもまた永遠を生きられない肉体への悲愁。青空の墓場へ気球が飛び立つビジュアル性も見事。
「空で唄う男の話」 ビルとビルの綱渡りに挑戦する男。付け加えられた結末は生の一回性を唄い続ける。
「追いかけられた男の話」 結末近くのタイポグラフィッカルな「!」の使い方に驚く。
「七つの閨」 ひょんなことから家庭に入り込んできて、妻をねらう奇妙な眼球の持ち主。猟奇的な結末より前半の方が怖い。
「夢男」 夢に生きる夢男が夢の中で犯す犯罪。幕切れも鮮やか。
「蜘蛛」 一見親友のように見える男の胸に巣くう復讐心と犯罪の実行。乱歩に観て貰った初期の作品らしいが、自然描写がみずみずしい。
「酒壜の中の手記」 ここでも壜の中の手記により「愛殺」の感情が描かれる。「手」 恋人の滅びゆく肉体に対する苦悩が手記の形で描かれる。
「胡桃園の青白き番人」 幼き日の犯罪と失われた日を塗りつぶすための犯罪の二重奏を描いた名編。
「司馬家崩壊」 富豪の死とそれにまつわる犯人探しをややユーモラスに描いた一編。機知が大自然にとけ込んでいくようなラストが秀逸。
「屋根裏の亡霊」 特派員がモスコーで出逢った幽霊の正体とは。幻想譚だと思って読んで、かなり出来のいい本格ミステリに変貌したのには驚いた。
(続く)
5月19日(日) 図録でなぜ悪い
・タイトルはほとんど意味なし。
・12万アクセスに触れるのを忘れていました。ありがとうこざいます。最近更新もままなっておりませんが、引き続きよろしくお願いします。
・石井さんから、頂戴した世田谷文学館で開催されている「追悼 山田風太郎展」の図録。
白梅軒店主さまから教えていただいたように装幀・内容ともに充実したスグレ物、普通の本屋で販売してもらいたいくらいである。通信販売も可のようなので、ファンは1冊入手しておきたいところ。(世田谷文学館のサイトに「当館の刊行物」として紹介されてます)
・A判黒の上質の紙に「山田風太郎」の署名が映え、見返しの赤が鮮やか。全体は、文学館長佐伯彰一の序文に続き、「山田風太郎(図巻)」「戦中派虫けら日記・戦中派不戦日記」「ミステリー・伝奇小説」「時代小説−忍法帖シリーズ」「歴史伝奇小説−明治小説・室町物」「風太郎の愛した作家たち」の6章構成。資料編として日下三蔵編の最新の執筆年譜、主な出品自筆資料が付く。写真がふんだんに取り入れられており、風太郎の写真は初めて見るものも多い。資料についても、原稿・手紙など、字が読みとれる大きさのもあり、惹きつけられる。執筆者は、関川夏夫、西義之、安西宏(学生時代からの友人)、橋本治、新保博久、皆川博子、平岡正明、縄田一男、細谷正充、木田元、原田裕と豪華な布陣。新保エッセイ「父なる乱歩と母のない子ら」は、風太郎・正史・彬光がいすれも幼少時に実母を亡くしている履歴を指摘し、乱歩を父とする探偵小説界に入っていった暗合に触れているのが面白い。
「推理小説研究」と題するノートや忍法帖秘伝メモ(考案した忍法ランク付けがされている!)、「明治アイデア集」、「創作用のオリジナル年譜」、「同日同刻」執筆の膨大なノート群などの一端が紹介され、作品の背後に膨大な資料の博捜と思索があったことをうかがわせる。なんとも気になるのは、一部が写真で紹介されている「鬼子母神事件」「塙家殺人事件」「不思議な死闘」と題される習作で、これらはオリジナルのものなのか、後年の小説に結実したものかどうか今後の調査にまちたいところ。資料集がなんらかの形で公刊にならないかと願う次第。山風の活きた時間と広大な作品空間に思いを馳せることができる1冊。
5月18日(土) 女王さま北都に吼ゆ
・本日は、古本ハンティングで来道中の石井女王さまと待ち合わせ。おげまるさんもお誘いしたのだが、仕事で都合がつかなかったのは、残念なり。待ち合わせ場所のリーブルなにわでポール・アルテ『第四の扉』、松尾由美『ブラック・エンジェル』をゲットしてホクホクしているところに、女王さま、風姿と登場。先週末から1週間かけて釧路、北見、旭川、小樽と道内を絨毯爆撃し、既に道立図書館も検分してきたという。明朗系の探究本については、道立図書館等で、すっかり目的を達成して、もう古本欲はありませんてな感じで、清々しい。『本棚探偵の冒険』での名演でSRの助演女優賞を獲得したという、貫禄がにじみ出る。
「ケルン書房の支店が出来たの知ってます?」というので、「知りません」と答えると、じゃいってみましょう、ということになる。地元の人間より、詳しい。今回、札幌に立ち寄った際に、もう既に行かれている由。
北大正門脇の南陽堂のビルの3階にケルン書房の支店がある。しばらく御無沙汰しているうちに、老舗の南陽堂が瀟洒なビルに建て替わっているのにびっくり。新築特有のにおいが立ちこめる3階のケルン書房支店。ミステリ関係は結構な品揃え。でも、値付けは高め。山風『泣きじゃくる悪魔』2万円か。目の保養代に巽孝之監修『身体の未来』という、出ていたことも知らなかった本を1冊買って、1F、2Fの新装の南陽堂へ。あの雑然としていた店内が嘘のようにきれいになっているのに、しばし感慨に耽る。
北大通りを北18条まで歩くと、効率よく古本屋が現れるので、そのまま北上。今日は1冊も買わないつもりだったという女王さまも、数軒廻るうちに、A・バージェス『その瞳は太陽に非ず』辺りを余裕で購入。自分も『戦慄』、朝日ソノラマ『暗黒の秘儀』等を買う。半額系の北12条書店では、女王さまはハーレクインに注目。イヴァノビッチが別名義で書いたやつがあるそうな。同じ店で、E・ラスキンなる作家のあかね書房のジュブナイルを発掘して見せてくれる。連続殺人を扱った本格ミステリらしく、紹介文が、なんともそそる。「森さんも知らないかもしれない」ということで、もう一冊のジュブナイルとともにお買い上げ。北18条では、これまた知らなかった「ガロ」の江戸川乱歩特集を教えて貰い、川崎ゆきおの表紙絵に惹かれ購入。ご案内のつもりが、古本ご接待を受けているような感じである。
道々、今回のツアーの話や道立図書館の話など。古本屋廻りの方は、ほとんどめぼしい成果がなかった模様。「釧路の古本屋のおじさんとかほんとに親切なんだけどねー」無慮数千キロを走破しても、道内に、女王の眼鏡にかなう本がそうそうあるとは思えないのだが。
飯でも喰いますかということで、街に戻って、最後に1軒だけ寄ってみる。と、ここでビンゴ。木々高太郎の本が戦前の出版も含め、10冊以上並んでいる。どうやら、個人コレクターの放出のようである。自分も久しぶりにこんな光景に出逢った感じ。女王の目が光り、心なしか前のめりになる。これまで、森林浴をしながら散策していた猛禽類が獲物のにおいを嗅ぎつけたかのようである。ためつすがめつの後、取り出したのは『侍医タルムドの遺書』、非ミステリという『養女』、ラジオ科学出版というところから出た戦前の科学小説集『或る光線光線』の3冊。明日郵便局でお金降ろさなくちゃといいつつ、2万円近くのお買い上げ。購入本以外は、既に持っておられるようで、購入本のうち1冊もカバーなしのための買い換えらしい。凄さを目の当たりにした思い。最後に収穫らしい収穫があって、北海道もやっと面目を施せたというものである。気迫に巻き込まれ、自分も1冊、木々高太郎『大心地先生の事件簿』(推理小説名作文庫)を購入。猛獣の食べ残しをついばむカラスのようである。
込み合っている居酒屋で歓談。「これ好きなんですよ」といきなりアイヌネギを注文する女王さま。その匂いの強烈さゆえ、話ながら人混みを歩くと「十戒」のように、道が開けるという北海道特産品なので、これはご相伴するしかない。そこで、取り出されたのが、世田谷文学館の山風展の図録とチラシ。おげまるさんの分も戴く。ありがとうこざいます。ありがとうございます。ああ、立派な本だと、撫でさする。「ポスターも、貰ってこようと思ってます」と力強い発言に引き続き、山風展の企画の座談会の入場券3回分まで見せていただき感嘆。
野村さん制作?の道内の古本屋リストもみせてもらう。電話帳から拾ったらしく、例えば旭川に、こんなに古本屋があるのかとか驚くことしきり。○がついているのが、森さんのお薦めなんだとか。なぜ、行ったことががないのにお薦めの店がわかるのか。「○○文庫」とかいう名前の店は、経験則上、いい本があるらしい。
古本話を中心に、明朗、栗田信、ネットミステリ系、新刊、コレクター最前線の話など、もっぱら拝聴しておりましたが、いやほんと楽しうございました。
道立図書館は、明朗系の蒐集家の方と一緒に行ったのだが、国会図書館にもない本が結構あり、栗田文庫の蔵書にはとにかく驚いたらしい。「野幌に別荘を建て、夏の間は道立図書館に通いたい」とか。
話の中で、古本屋が1軒しかない網走にも足を延ばしたいうのを聞き驚いたが、北見と網走の間の小さな町美幌にも寄られたというのには、さらに驚く。「美幌に古本屋なんかあるんですか」「ブックマーケットが1軒あります」1000円近くタクシー飛ばしていって、なにも釣果がなかったらしいのだが、この探求心まったく頭が下がる。
見せてもらった携帯の待ち受画面が、中国ロボットの「先行者」のアニメ(あの股からズドンと攻撃するやつです)、着メロも先行者のテーマなんだそうである。帯広辺りで中国人の集団が乗り込んできたときに携帯の着メロがなったのだが、中国の人たちはピクリとも反応しなかったそうな。「先行者のテーマ中国の人は知らないのね−」って、普通知らないと思うけど。「古本のことで頭がいっぱいなのに、私に余計なことやらせるなー」と、それは自分で携帯に入れたんでしょ、とか後半は突っ込みどころ満載でありました。
途中、その「先行者のテーマ」の着メロが鳴り、森さんから電話が入る。ちょこっと替わってもらったのだが、開口一番「『泣きじゃくる悪魔』2万円ですか?」と聞かれたのには驚いた。石井さん情報ではないらしい。なんでそんなことまで知っているのですか、森さん。
女王さま、日曜日は、ダメ押しで恵庭に向かうらしい。
5月10日(金) 『ポーと雑誌文学』
・光文社文庫山田風太郎ミステリー傑作選の最終配本『怪談部屋』が刊行。めでたく完結となった。この巻でも、単行本未収録の少年物短編5つ、話題となった「無名氏の恋」「私のえらんた人」を拾遺。風太郎ミステリの全貌を示した文庫全集として永く残る名企画だろう。早くも、掲示板で小林文庫オーナーから、続巻の要望も出ております。
・8、9日は東京出張。16は深夜、宿に着。17は、日中いっぱい会議。ああ、世田谷が一瞬近づいたのだが残念。会議で、長らく懸案だったことが形はどうあれ片づいたので、ほろ苦くも、ほっとする。帰りに、鉄人の日記で、ポケミスの中級どころが入っていたと書かれていた八重洲古書センターに寄ってみる。抜けているところが大いに気になる。F・デイドロ『月あかりの殺人者』、J・シモンズ『犯罪の進行』を購入。
・その後、八重洲ブックセンターに寄り、『ポーと雑誌文学』、江口雄祐『久生十蘭』(白水社)、乾くるみ『マリオネット症候群』徳間デュアル文庫)。最後のは、全然発見できなかった本。このカバーで、「ナイスミドル」が買うのはつらいものがある。上に載せる本を適当に見繕い(横光利一『上海』(講談社文芸文庫))、レジへ。ああ、逆中学生。
・名張人外境だよりで、第55回日本推理作家協会賞「評論その他の部門」の候補作が、荒俣宏『パルプマガジン』(平凡社)、末永昭二『貸本小説』(アスペクト)、野口啓子+山口ヨシ子編『ポーと雑誌文学』(彩流社)の3冊と知った。たまたま前の2冊を読んでおり、出たとき気にもなっていたので、最後のも帰りの飛行機で読んでみる。
・『ポーと雑誌文学』 野口啓子+山口ヨシ子編(彩流社/'01.3)
副題は「マガジニストのアメリカ」。終生、雑誌と深くかかわったポーについて、雑誌文化や雑誌産業との関連を軸に、作品に新たな照明を当ててみることに挑んだ意欲作。執筆者9名は、津田塾大学言語文化研究所のプロジェクトとして活動している「E・A・ポオ研究会」のメンバーで、すべて女性ばかり。本の出版に際して、学術振興基金と大学の特別研究費の援助が出ているそうで、公的な団体の財政援助のある商業出版もあるのだなと変なところに感心する。
ポーの活躍した時代のアメリカの雑誌については、発行部数の少ない知識階級向けの雑誌が地方ごとに数種ある程度であるとなんとくなく思いこんでいたのだが、本書によれば、それはまったくの誤解であることがわかる。米国1830−40年代は、産業革命のまっただ中であり、読者層も爆発的に拡大した「雑誌の黄金時代」でもあった。1825年から50年の4半世紀に雑誌の発行数は、6倍に跳ね上がり、50年には、4〜5000種の雑誌が発行されていたという。一方、本の出版は、年間100冊程度というから、作家を語る上でも、この雑誌の隆盛を無視できない。ポオは、自ら「私は本質的にマガジニストであった」と自らを規定し、編集にかかわった雑誌の部数を飛躍的に伸ばすというエピソードにも富む。大衆の心をつかむ技術にも長けた人であった。こうした才人ジャーナリストの一面を視野に入れ、ポオの作品が読み解かれる。
第1部では、ポオの推理小説が扱われている。「大衆と芸術の狭間」(野口啓子)は、ポオの探偵小説を物語と批評の融合と規定し、「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」「黄金虫」「盗まれた手紙」とい推理作品の変遷に、ゴシック小説への回帰をみるかなり刺激的な論考である。「ジャーナリズムと美女の憂鬱」(山口ヨシ子)と題した「マリー・ロジェ」論は、「群衆の人」との関連で、ポオの大衆に対する視線を探っている。デュパンの卓越した推理力が実在の女性の尊厳を踏みにじり、大衆の欲望を満たす道具となったことを指摘し、マリーの死を「献体」とまで呼んでいる。こういった視点は、女性ならではか。
第2部は、ポオの文壇批評を扱っており、教訓的物語を排撃し、文壇の仲間褒めシステムを攻撃し続けた戦闘的書評家としてのポオの姿が浮かび上がってくる。「オムレット侯爵」「名士の群」等従来あまり論じられなかった作品に込められたポオの文壇批判を読みとって興味深い。
第3部は、「ポオと女性たち」と題して、「ベレニス」「モレラ」等の作品や実在の女性寄稿者とのかかわりを通して、ポオの女性観を探る試み。
こうしたアカデミックな本にとんと縁がなかったが、意外に読みやすく、またポオの置かれた時代と作品のかかわりについて知識が得られる好著と思う。反面、海外の先行業績をなぞっただけに終わったものや素材を十分消化できていない感もある論述もみられるのが、ややマイナス。当時の雑誌の状況や社会事情について、各論者が繰り返し触れる場面が多いが、必要に応じて刈り込むなど、全体の編集に一工夫あって良かったのではないかと思う。
× × ×
というわけで、候補作3作を読み比べてみて、『パルプマガジン』は、最近の荒俣本らしくかなり荒っぽいつくりだったし、オルタナティブなミステリ史の可能性を提示した『貸本小説』の衝撃力には他の2作品はかなわないということで、私的には、協会賞は、『貸本小説』が最有力と思うがどうか。
5月3日(金) 『新青年趣味9 特集海野十三』
・GWは暦どおり。ただでさえ、前半と後半に別れて有り難みが少ない上に、連休中にやっつけなければならない仕事もあり、気が重い。
・30日の日、帰省中の岩井大兄と高橋将と飲む。大兄は、課長昇格するも、A〜Fの年俸制となり、Eからスタート。1年間実績ないと、Fに格下げとのこと。厳しいねえ。早く札幌に戻っくるよう慫慂。カッパノベルスの推薦文に、某大推理研が出ているのが話題になっていた。あと、高橋の中学生の娘の読書傾向(「ブギーポップ」等)の話とか。
・もぐらもちさんから、『新青年趣味\ 特集海野十三』が送られてくる。申し込もうと思っていた矢先だったので、ありがたい。
小説中心に7編を収めた海野十三全集未収録作品集(末永昭二編)、エッセイを中心に6編を収めた浜尾四郎単行本未収録作品集(阿部崇編)のほか、海野関係の論考、「追悼・水谷準」等非常に充実している。
当掲示板のテルミンスレで末永さんが話題にしていた海野のラジオ、無線関係の記事を発端に、電気技術者としての発想が海野の作品の特質に深くかかわっていたことが明らかにされる論考等興味深い。
阿部崇さんの論考「女傑・大倉テル子」(「テル」が出ません)は、広く作家の作品・資料を渉猟し読み込んだ上で、モーパッサン作品の扱いと「お嬢様趣味」を機軸に、特異な女流作家の作品の変遷を読み解いた力作。名家に生まれた才能豊かな女性が戦後の生活苦の中で濫作による作品の質の低下を余儀なくされる一方で、作品に何かを仮託していった姿が、浮かび上がってくる。どんなに生活が苦しくても、発表誌のあても無い原稿でも、毎日とにかく書き続けたという、不遇に終わった才能のありようには、何か粛然とさせられるものがある。この作家は、女性探偵作家の草分けとして、フェミニズム方面からも今後注目が進んでいくのではなかろうか。お申込みは、こちら(「新青年研究会HP内)と勝手に宣伝。