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99.7.27(火) 家建て話、最後の挨拶
・今年は、札幌も、珍しく暑くて、不快指数の高い日々が続いております。
・昨日のに、ちょっと補足。「類別トリック」集成をベースに、一般向けに書いたエッセイを集めた乱歩「探偵小説の謎」(現代教養文庫)の「密室トリック」の項を見ていたら、「二三年前双葉十三郎に聞いたのだが、アメリカの作家が、もっと極端なことを考え出した」として、家建て話しを書いている。2、3年前と時期が特定され、「類別トリック集成」にはあった「ハーバート・ブリーンの作だったと思う」という作家の特定がなくなっている。
 「探偵小説の謎」は、昭和31(1956)年6月刊で、「密室トリック」の項は、同書に書き下ろしたとあるから、乱歩が双葉氏から聞いたのは、1953か1954年ということになる。問題の短編の初出(1953年2月号)とも符合してくるのだが。(って、しつこいぞ。一応完)
・HMM9月号買う。上半期ベストのアンケートにうーむ。1冊も読んでいないではないか。
・明日から2泊の出張。


99.7.26(月) 日米家建て話
・昨日の記述で、とほほな誤りをしてしまいました。
 スーパースターkashibaさんからのメールを得意技の無断引用。

(前略 )
原っぱに家建てる話の件ですが、講談社文庫(後に、河出文庫?)の「ホームズ贋作博覧会」に収録されています。
んでもって、初出は、各務解説によれば、EQMM本誌の1953年2月号だそうです。
「ユーモア・ミステリ傑作選」を見たら、載ってなかったので、
<えー、絶対講談社文庫に入ってたよ!!>と一瞬パニックしましたが、
そうそう、そうだったよね、と自信回復です(笑) ではでは。

・あやや。なぜだか、「ユーモア・ミステリ傑作選」とばかり思いこんでおりました。「ホームズ贋作博覧会」でしたか。手元にあった河出文庫版(1989年)の後書きには、1980年7月の講談社文庫版の再刊とありますね。初出も御指摘のとおり。kashibaさん毎度、ありがとうこざいます。いい加減なこと書いてすみません、皆さま。
・で、ここに書いていることは、傑作のネタばらしでもあって、心苦しいのだがもう少し。
 乱歩の「類別トリック集成」を含む「続・幻影城」は、昭和29(1954)年6月に早川書房から刊行されている。翻訳家でもある双葉氏が「EQMM」誌を読んでいて、記憶に残った作品のことを乱歩に語ったということは、時間的には成立しないわけではない。名張市図書館編「江戸川乱歩執筆年譜」によれば、「類別トリック集成」は、昭和28年9月〜10月号に掲載されているようだから、雑誌掲載時においても、ハイデンフェルトの短編の方が先行していることになる。(もっとも、「家を建てる」トリックは、(「追記」として書かれているので、単行本化の際に加えられた可能性が高いと思われるのだが)
 乱歩には、「類別トリック集成」執筆に先だって、昭和25年9月に一応の完成を見た「探偵小説トリック分類表」(「EQ」87.11掲載)があるが、当該分類表には、「家を建てる」トリックは載っていない。このことも、双葉氏の話が昭和25年9月以前ではないことの傍証になると思われる。
・所詮、確証の出る話ではないのだが、死体の上に家を建てて密室をつくるというチェスタートン的センス・オブ・ワンダーが、日米(ハイデンフェルトは南アの作家らしいが)で、ほぼ同時期に出てきたということを少し訝しく思った次第。
・昨日、関氏と懇談。ギャラリー(関氏の細君と当方のサイ君)を意識してか、懐旧譚が多かったような。来月渡米になるらしいが、渡米後も「翻訳ミステリ・アワー」を続けると力強く宣言しておりました。
最近、机がなくなって投稿ができない模様。
・本日、東京日帰り主張。10分程度外を歩いただけで、ワイシャツが張り付く。我は、汗袋なり。
・出張のお供はトンプスン「ゲッタウェイ」。これも最後の方でとんでもない話になる。「地獄の黙示録」というか・・。

99.7.25(日)
・探偵小説黄金時代の名手といわれるルーファス・キング「不変の神の事件」が創元から。短編集「不思議の国の悪意」も8月には、出るらしい。他にも8月には、国書「おしゃべり雀」や翔泳社ポジオリ短編集も待機中。快調、快調。
・サタスウェイト「名探偵登場」(創元推理文庫)、連城三紀彦「火恋(かれん)」(文芸春秋)買う。後者は、ミステリー短編集らしく、楽しみ。
・「大密室」の有栖川エッセイで一つ気になっていることがある。「原っぱで人を殺してその死体の上に大急ぎで家を建てる」という乱歩の類別トリック集成にも出てくる有名な密室トリックがあるのだが、これは乱歩が記しているように、ハーバート・ブリーンの作品などではなく、情報提供者双葉十三郎のその場の思いつき発言だったということが、小林信彦の週刊文春連載エッセイ「人生は五十一から」(99.1.28号)で明かされているというのだ。(この件、関が「翻訳ミステリアワー」で1月に触れているけど、このトリックのことだと気づかず、小生、見当違いのコメントを書いてます。汗)
 このトリックを使った短編は、ハイデンフェルトという作家の短編にちゃんとあって(これは傑作)、私は、これが原典だとばかり思いこんでおりました。この短編が掲載されたHMM76.1月号をみてみるが、初出のクレジットはなし。講談社文庫の「ユーモア・ミステリ傑作選」にも収録されていたはずだが、本が出てこない。双葉氏がこの短編のことを語っていて、原典自体を忘れてしまっているというということは、ないのかな。
・最近仕事逃避癖のある某氏から、パラサイト・関氏の写真がワセダ・ミステリクラブOB会のHP上に載っていることを教えてもらいましたので、リンクしておきます。(先日の森英俊氏の受賞パーティの際の写真ですね。左が関氏、中央が祥伝社保坂氏、右側が霞流一氏。後ろの椅子に座ってメッセージノートに書き込んでいるのが私です)
・今夜は、寄生中じゃない帰省中の関氏と飲み会。自主的課題図書フェラーズ「自殺の殺人」、土屋隆夫「ミレイの囚人」(なるほど、これはなかなか)読了したが、トンプスン「ゲッタウェイ」は途中なり。
・そういえば、過日、未来都市宮の沢の某ビストロにて、小宴開催。会の趣旨を忘れてしまって、シェフが弾く生ギターをバックに歌いまくる美女たちに圧倒された一夜であった(抗議無用)。


99.7.22(木) 「大密室」
・影を慕いて問題で大阪の後藤さんからメールをいただいた。ラルズプラザの古書市で、やはり「四年の学習」を申し込んだが外れたとのこと。うーん、我が同志なり。ここの古書市は、今年で2回目なのに、知っている方は知っているのだな、と。他の古書市での山風本の話も教えてもらいましたが、手が出ませんね。
・創元推理文庫サタスウェイト「名探偵登場」購入。
・「大密室」(新潮社/平成11.6)
 日本で10冊目の密室物アンソロジー。収録作家の密室にまつわるエッセイも収録。
「壺中庵殺人事件」 有栖川有栖
 天井から出入りする密室。世界を90度歪ませたおかげで、新手が出現。
「ある映画の記憶」恩田陸
 衆人監視の岩礁の溺死体。モチーフとなる映画への没入が深すぎて全体の効果を妨げている感じ。分散和音のような文体も魅力的だが、ネタがおいしいだけに、ストレートに書いた方が良かったような気もする。
「不帰屋(かえらずのや)」 北森鴻
 変死する部屋。民俗学的題材を密室でやってみたという感じだが、もうひとねり欲しかった。
「揃いすぎ」倉知淳
 閉ざされた家で死。売れない自由業4人の麻雀が面白すぎ。密室ではないような気もするが、解決は、独特の世界。もっと猫丸を。
「ミハスの落日」貫井徳郎
 密室での死。最近の中では、一、二を争うようなバカ・トリックだけど、「神の恩寵」というのも言い訳気味。登場人物も含め、まだ発展途上。
「使用中」 法月綸太郎
「人形の館の館」 山口雅也
 この2編は、既読、既述。前者は、ミステリからミステリをつくるという最近の法月短編の特色が出た短編(原典は「パーティの夜」、後者は「マニアックス」で読んで多少評価が変わった。この系列の短編と位置づけられるべきなのだろう。最後の山口エッセイに膝を打つ。


99.7.18(日) 影を慕いて
・絶叫の声もむなしく、湿度90%の大気の中に消え、願いは届かず。
 何を隠そう、札幌のラルズプラザというデパートで開催される古書市の目録に、山田風太郎の珍しい小説が載った雑誌を見つけたのですね。
 雑誌名は、「四年の学習(1)」(学研)。昭和33年刊。掲載小説は「なぞの黒かげ」。この小説がどう珍しいかというと、昭和33年刊の東光出版社「少年少女最新探偵長編小説集10 笑う肉仮面」に収録されて以来、一度も単行本に入っていないというシロモノ。「笑う肉仮面」自体、6ケタの値段をつけているところもあるという稀覯本なので、こちらで読むのは望めない。「学習」版は、1,500円と私にも手が出る価格。確認すると、やっぱり外れてました。大魚逃したり。帰去来リストにも、「なぞの黒かげ」の初出情報は、なかったので、そういう意味でも、現物を確認しておきたかったな。同時に、単行本未収録の「ウサスラーマの錠」が載っている宝石(3,500円)も逃してしまった。
  しかし、この年になって「四年の学習」を追いかけることになろうとは。因果なり。(付録も欲しかったりして)
・山口雅也「マザーグースは殺人鵞鳥」、「大密室」、ガーヴ「メグストン計画」、ナボコフ「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」読了。感想は追々。
・某日、美女三人によるストラングル・成田氏を囲む会があるそうで、楽しみである。
・リンクコーナーに「Mystery Best???」を追加。


99.7.14(水) 「鞆絵と麟之介の物語」
・もはやミステリ好きなら、知らぬ者とてない大人気サイト、ともさん「Mystery Best???」からリンクしていただきました。ネット上では、ほとんど、同期の桜だと思うんですが、あちらは、10万アクセス寸前。凄い。近日中にこちらからもリンクいたします。
・角川ミステリプレ創刊号2がホラー大賞特集。佳作を受賞した牧野修の「スイート・リトル・ベイビー」も入って定価552円(税別)とは、お得かも。著者紹介に現在無職とあるのは、ちとイタいですね。
・さあ、今日は、杉浦さん提供の大ネタだ。以前にも、風太郎リストで、色々貴重な御教示をいただいた杉浦さんのメールからどうぞ。
(引用開始)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
サブジェクト  山田風太郎の作品発見かもしれません。

ご無沙汰しております。
以前メールを送りました杉浦です。
いつも「密室系」を楽しく読ませて頂いてます。

実は山田風太郎の作品で、もしやと思うことがあってお便りしました。
「カストリ雑誌研究」山本明(中公文庫)を読んでいましたら、その341Pに『「鞆絵と麟之介の物語」山田風太郎』という記述にぶつかりました。それによると初出はカストリ雑誌『くいーん』の1948年5/15刊とのこと。私はこのタイトルを知らなかったのですぐ成田さんのリストにあたってみたのですが、検索してもヒットしないので(これはもしかしてもしかするぞ・・・)と思いちょっとわくわくしているところなのです。
この記述が確かなら、山田風太郎がデビュー二年目でカストリに短編が掲載され始めた頃で、本当に初期の一篇ということになります。著者は実際にこの掲載誌から目次を転記して雑誌内容を論じていますので、確度は高いような気がするのです。カストリに多かった発表済み作品の再録にして
は時期が早すぎると思います。

(中略)

私の勘違いであったらとっても恥ずかしいですが、どうかご意見をお聞かせ下さい。よろしくお願いします。このままでは落ち着きません。

(引用終了)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 山風者の見果てぬ夢、山風作品のリスト未収録作品発見か!という杉浦さんの興奮が伝わってきます。確かに「鞆絵と麟之介の物語」というタイトルの短編は、「帰去来殺人事件」の巻末リストにもありません。デビュー2年目の作品というのも画期的。ただ、筆者、このタイトルにはおぼろげな記憶があって、当HPの「コンメーディア」を当たっていると(便利だな(笑))、昭和27年の「呪恋の女」に次のコメントがありました。

 説話体で語られる「麟之介と鞆絵の物語」古風で凶々い怪談に○○○の○○○○という掟破りの荒技を2つながらにぶちこんだ破天荒さは、うーん今更ながらバッドテイスト。麟之介と鞆絵の絶対不能の恋愛と背後に潜む怪老人という特異な構図が、同種の変身譚から本編を際立だたせている。カメラがさーっと背後にひいていくようなラストも秀逸。

 「呪恋の女」の本文に当たってみると、冒頭に「あの「麟之介と鞆絵の物語」を話してほしいと頼むシーンが冒頭にあることから考えて、おそらく「呪恋の女」は、カストリ雑誌『くいーん』に載った「鞆絵と麟之介の物語」(名前が入れ替わっているが)の改題作品か、改良作なのではないかと思われます。「呪恋の女」は、「帰去来」リストでは、昭和27年の「りべらる」7月号が初出とされており、同短編を発収録した『跫音 自選恐怖小説集』 角川ホラー文庫(平7.4)でも、同様の記述となってます。作品の新発見ではないとしても、これまでの書誌を書き換える発見ではないでしょうか。
 この旨、杉浦さんに第一報して、「カストリ雑誌研究」山本明(中公文庫)を探すも、なかなか見当たらず。やっと、先日、見つけた同書には、杉浦さん記載どおりの記述がありました。同書の著者は、風太郎に関心があるわけではなく、同号掲載の作品を列挙しているだけなので、杉浦さんの鋭い指摘がなければ、この事実は、まだまだ眠ったままだったと思われます(って、ここに書いても眠ったままか)。
 後知恵でいうと、「呪恋の女」は、通俗と洗練の間で方向性を模索していたと思われる昭和27年の作品というよりも、語り手の設定に対するこだわり方や、医学的知識の入ったフリーキーな怪異譚という点で、「笑う道化師」や「青銅の原人」が書かれていた最初期の作品と考えた方がしっくり来るような気がします(ほんとの後知恵)
 ともあれ、杉浦さんのお陰で、新たな知見を得ることができました。その後のメールによると「呪恋の女」は読まれていた模様。恥ずかしいとされつつも、メールの転載のお許しもいただきました。ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いしますね。
 今回の件は、風太郎リストの冒頭「リストの謎」に入れておきます。
・山風初出不明物で、もう一つ話題があるのだが・・。(頼む俺に当ててくれっ。)
  


99.7.12(月) 石の下
・『山田風太郎千年史』から
「石の下」
 風太郎には、「達磨峠の事件」でデビューする前の学生時代に書かれた数編の懸賞小説入選作があるが、この作品がその第1作目。正真正銘の処女小説である。学生時代の短編を集めて出版しようという話も以前あったが断ったとインタビューで述べていたので、よもや、これらの作品が活字で読める日が来るとは、思っていなかった。掲載は、「受験旬報」(現:蛍雪時代)昭和15年2月上旬号。山風17歳の作か。
 源三は、文科を志望する受験生だが、兄を失ったばかりに、親戚から、家業の医者を継ぎ母を安心させるように諭される。源三は、本来の志望と家族への義理の狭間で反問するが、親戚の道子姉さんの気遣いで、立ち直りのきっかけを掴む。
 淀みのない文章、場面展開の妙、簡潔ながら骨太な自然描写等に後の天才の片鱗が窺える。
 主人公源三は、冒頭で森鴎外の「即興詩人」を読んでいるような文学好き。家系は代々医者で、周囲から医者の学校へ進学することを期待されており、当時の風太郎自身の境遇が作品にストレートに反映されている。が、本作に当時の風太郎の心象風景を読みとるのは、早計かもしれない。むしろ、「石の下」の小さな青い芽を見て「新生」を決意するというストーリーには、当時の受験雑誌の懸賞小説が読者に求める水準内でうまく書いてみせたという気配があり、風太郎の賞金狙いの照準の確かさこそが、味読に価するというべきか。
 後年、「国民徴用令」という懸賞応募小説が「蛍雪時代」に掲載され、毎日数十通の批評が旺文社に殺到するという大反響を起こしたとき、風太郎は「あんな子供だましの小説」と自作を貶めつつ、「ああ、純なるものの勝利だ。作者は読者に敗北したのだ」とつぶやくことになる。(戦中派虫けら日記昭和18年6月の項) 


99.7.11(日)
・『BRUTUS図書館 山田風太郎「風太郎千年史」』の収録作品を風太郎著作リスト及びカウントダウンに反映。


99.7.7(水)
・パラサイト・関久々の更新。森英俊氏祝賀パーティなど。
・杉浦さん、あけみさんからおいしいメールをいただいているのだが、後日、御紹介ということでお許しあれ。


99.7.4(日) 森英俊氏日本推理作家協会賞受賞祝賀パーティ
・名著「世界ミステリ作家事典[本格派編](国書刊行会/7000円)」で第52回日本推理作家協会賞を受賞された森英俊さんの受賞パーティのご案内をいただいたので、パラサイト・関ともども、昨日参加させていただきました。
 ワセミスOBでもない我々にとっては、今回のご案内は、まったく予想外の出来事ではありましたが、10数年も前のミステリ大会でのご縁を大事にしてくださって、本当にうれしいお招きでした。
 残業続きで、ミステリ・マガジンを買うのも失念していたくらいだったので、羽田空港から八重洲ブックセンターに直行して最新号を手に入れる。笠井エッセイは相変わらずだなあ。「大密室」も入手。
 関とは、東京駅で待合せ。1週間のアメリカ出張から、帰ってきたばかりで、まだ巨大なトランクを抱えている。そこに、関の奥さんも。トランクを自宅に運ばせるために呼んだという。相変わらず人でなしなふるまいである。
中央線で会場のアルカディア市ケ谷(私学会館)へ。外はあいにくの雨。受付では、森さん自ら一人一人迎えてくださっている。私が一番遠方から来たとのこと(関は、アメリカから来たことにはならないか)。森さん曰く「ミステリ大会でバレーボールしましたよね」と話かけられる。そうそう、思い出した。ミステリ大会で、ワセダと北大がチームをつくったことがあったのだ。芸人の魔窟ワセミスと組んだのだから、日本バレーボール史上に残るような奇々怪々な試合になったのだった。受付にいた野村さんにも、ご挨拶。一昨年の「ミステリーアンソロジー・インデックス」の御礼など。野村さんは、当時と全然イメージが変わっていないので、やや驚く。
 「北大OB」と氏名の入ったネームプレートを付けて会場に入る。入り口で、山口雅也氏を見つけ、早くも興奮。倉阪鬼一郎氏もおられる。ひどく場違いな所にきてしまった気になって、会場に廻した椅子に腰掛け、関と煙草をふかす。横にいたのは、折原一氏。ハリウッドの舞踏会に紛れ込んだアイダホの農民のような心境である。
 当時のミステリ大会芸の部の立役者であり、現作家の霞流一氏が来られてお相手をしてくださる。霞さんをはじめするワセダの密室芸に衝撃を受け、一芸を磨き、北大の芸人として勇名を馳せたのが、関なのである。
 パーティ開宴。ビールを注ごうとしたら、
 関曰く「成田さん手が震えてますよ」
 本当に手が震えていた。
 近くにおられた編集者の藤原義也さん(名札は便利)に先日、送っていただいた「グラン・ギニョール」の御礼など。
 「編集室の床に落ちた顔」の文章読みました」といわれ、恐悦。「ミステリ・マガジン」の評は、ちょっとがっかりでしたね、とか話す。「サヴェッジ・ナイト」の表紙は、「グラン・ギニョール」と全然違いすねというと、「ポジオリ教授の事件簿」は、また全然違うものになるとのこと。「サヴェッジ・ナイト」も重版がかかったそうだ。
 霞流一さんがジム・トンプスン話。当HPでジム・トンプスンが話題になっているので、読んでみて面白かったとのこと。本当ならうれしい話。「ポップ1280」は、本にならないんですか藤原さんとおたずねすると、出ることは出るらしいのだが。
 霞さんは、
 「早川は「魔の淵」とかも、本にすりゃあいいんだよ。なぜ自社の宝を大事にしない」といきなり濃い話。
 そうこうするうちに、最初のスピーチに「世界ミステリ作家事典」の担当編集者である藤原さんが指名される。突然の指名で驚かれたらしいが、森さんとの出会い、昨年の「本格ミステリの現在」と続けて担当した本が2年連続で受賞したこと、「事典」の編集の追い込みでは困難を極め(なんせ950p超)、寿命が3年くらい縮まったなどと話される。
 続いて、ワセミスのOB会代表の方、森さんの小学校時代の恩師のスピーチと詩吟。中学、高校時代の友人の方のスピーチ(森さんは相本久美子ファンだったと暴露される)
 当日のしおりによると、中学校の読書感想文で「ユダの窓」の原書!を取り上げたとか。この人にしてこの著書ありか。
 海外からもメッセージが寄せられていた。(まるでポケミス1000番突破記念である)ダグラス・G・グリーン(カーの評伝等)、E.D,.ホック、ロバート・エイディ−(密室研究家)等。エイディ−氏は、日本語は読めないけど「事典」を座右の書にしているとのこと。
 その間も霞氏には、ずっとお相手をしていただいていた。昨年出た3冊「オクトパスキラー8号」「ミステリー・クラブ」赤き死の炎馬」話。地下落語。ミステリ大会。バカミスの正しい発音等。新作は、爆笑マッド・サイエンティストミステリになるらしい。落語の素養が入ってる話術で、関と二人で笑いっばなしである。
 「新本格も煮詰まったから、次は新変格だ」とか。でも、「新変格」とはどんなものか、一堂、首をひねったり。新変格の島田荘司は誰だとか。
 当HPに関しても、「ポケミスの棚の前で待ち合わせっていうのは美談ですね」と、書いた本人も忘れていたようなこともいわれ、まこと有り難い話である。
 それにつけても、ワセミスは、作家・編集者・翻訳家等を輩出している梁山泊であることを目の辺にした感じ。評論家では西上心太氏、大津波悦子氏。翻訳家では宮脇孝雄氏、柿沼映子氏、ペナックの訳者平岡敬氏、「サヴェッジ・ナイト」の翻訳者、門倉洸太郎氏。後ろに座っておられるのが山口雅也氏・・。活字だけで知ってる方がこんなに。
 ワセミスではないようだけど、テーブル付近には、ミステリ・マガジンやダヴィンチで活躍されているの杉江松恋氏、村上貴史氏、川出正樹氏という「逆密室」の方々。

 スピーチは続く。(勝手なパラフレーズご容赦)
○折原一氏(自分のときはこんな盛大な会はやってもらえなかったのにぃ。20年前にこの本が出ていれば、今頃本格嫌いにもならなかったのに(笑))
○倉阪鬼一郎氏(自分は何でもホラーとして読んでしまう人間だが、ジャンル同志で刺激し合いましょう。名高い黒猫のミーコが肩から落ちる予定されていた?ハプニングあり) 
○柿沼映子氏(森さんは、背が高くて、学生時代は、集合場所の目印、私にとっての燈台。今後は、海外ミステリ読者の燈台でありつづけて欲しい)
○大津波悦子氏(すんません。話中でした)
○宮脇孝男氏(森さんの翻訳は1作目はちょっとだったが、2作目では文句なし。翻訳の方もばっちりです)
○霞流一氏(学生時代1000円で買った「笑う後家」を5000円で売りつけたのは、森さんではなく別人だったことが判明。冤罪晴れる。東京泰文社の高い棚から古本を取るため、森さんの身長が高くなったというラマルク流進化論を披露)
○新保博久氏(笑いをとり続けた名スピーチ。例の件についても、しゃれのめして「森さんや後に続く人たちに一言いいたい。我が屍を乗り越えよ。」には、場内爆笑。横にいた祥伝社の保坂さんが「年々(スピーチ)が面白くなるといっておられました。)
○山口雅也氏(すんません。話中でした)
 その間、テーブル近くにおられた方々にミーハーな突撃取材を敢行。
 EQ北村氏に「新雑誌は出るんですか」「出します」来年になるかもとのこと。
 山前譲氏に「「七人の超人探偵」はいつ出るんでしょうか」「そんな予告出てたっけ」「出てますよ」「あのシリーズは売れ行きが・・」。
 最後は、森さんのスピーチ。会場にいる人たち一人ひとりとの関わりと感謝を述べていくような、つきあいを大事にする森さんのお人柄が出たかなり長めのスピーチ。私と関の名前も挙げられて当HPの更新を楽しみにしているといってくださいました(うれし泣き)。 
 一人の森英俊が誕生するのに、ワセミスはじめ幾重もの好縁が大きな役割を果たしてきたことを実感させる温かい、素晴らしいパーティでした。
 続いて、雨の中二次会へ。
 飲み過ぎたせいか記憶があやふや。関のところに、何人もワセミスの方が来てたり。前ミステリマガジン編集長で、今回の代表幹事だった村上和久氏にお相手をしていただいたり。リンクしていただいているMASAMIさんとご挨拶したり。そういえば、半裸の杉江松恋氏に後ろから首を絞められたような気もするが、光栄なことである。11時すぎに、二次会もお開き。関は、時差ボケでバテバテ。二人でタクシーで帰る。自分は、五反田の宿へ。
・そうそう、二次会の出がけに倉阪鬼一郎氏に図々しくもご挨拶。小林文庫のゲストブックによく行く札幌の成田といいますといったら、「あ、ストラングル・成田さん」といわれる。名前を覚えていただいていたのは嬉しかったが、内輪以外でこの名前が口にされたのは初めての気が。非常に恥ずかしいものがあった。
・森さん、幹事の村上さん、霞さんはじめお相手をしていただいた皆さま、本当にありがとうございました。
・HPをもっている方々にリンクを貼るべきだが、後日ということで。  
・移動中スチュワート・パーマー「ペンギンは知っていた」、倉坂鬼一郎「活字狂想曲」読了。


99.6.28(月) 北村薫氏トークショー
・北村薫氏トークショーに行ったサイ君をなだめすかしてレポートを書かせようとしていたら、ネット上には、素晴らしく面白いレポートが既にアップされていた。高橋ハルカさんの「週刊読書案内」の特別レポートを含む日記をご覧下さい。
・トークショー参加人数は、13人だったとのこと。ミステリ的には、ラッキーナンバーだけど、ちょっとつらい数字かも。参加募集は東京創元社のHP上だけだったようだけど、札幌市民の民度?を高く見積もりすぎていたかもしれぬ。その分とても、贅沢な会だったようで、ぐやじい。
・冒頭、戸川編集長(社長)が、「本日は、鮎川哲也先生もお越しいただいております。後でいらっしゃいます」といったときには、会場に雷鳴がとどろいたらしい。北村、有栖川両氏の「僕たちは前座ですから」発言もあり。が、結局、氏は、別室で「五つの時計」「下りはつかり」(創元推理文庫)サイン本を20冊ずつ書いて、疲れて帰ってしまわれたとのこと。鮎川氏が一般読者の眼の前に姿を表すことは、極めて珍しいと思われただけに、かなり残念ではある(以前は、NHK「私だけが知っている」のゲスト回答者で出たこともあるらしいが。いつの話だ?)
・鮎川氏のサイン本を、しっかりせしめてきたサイ君褒めてつかわす。鮎川氏は、サインをめったにしない(北村氏談)ということで、北村、有栖川両氏も購入していたとか(笑)。
・「サヴェッジ・ナイト」読了。業務を遂行するために、一見穏やかな町に住み着いた殺し屋の一挙手一投足に心揺すぶられるうちに、読者は思いもよらぬ結末に導かれる。殺し屋小説の極北でしょう。読後の印象は、J.P.マンシェットの「眠りなき狙撃者」に似る。


99.6.26(土) 北村薫氏サイン会
・スチュワート・パーマー「ペンギンは知っていた」(新樹社)[エラリー・クイーンのライヴァルたち1]
買ってくる。
・本日は、午後2時から旭屋で、午後5時から札幌弘栄堂で北村薫氏サイン会。弘栄堂の整理券をもっているのに、旭屋のサイン会も観にいったサイ君(接近禁止の仮処分出されるぞ)の話によると、若い女性が多く結構な盛況だったとのこと。
・私も、恥ずかしながら、5時の弘栄堂の方は、観に行きました。札幌駅近くのオフィス街にあって、土、日は結構すいている本屋なので、ちょっと心配していたのだが、開始前には既に30人くらいの列ができておりました。中には、和服で花を手にしていた方も。北村薫氏登場。写真どおりの温顔でございました。(サイ君曰く、ああいう顔でなければ、ああいう小説は書けない)
・列の後ろの方にならんだ彼女の番が終わるのを待って、書店内をブラブラしていると、どこかでみたような記憶のある方が。「空耳アワー」に出てくるお兄さんのような長髪。目鼻立ちの整った顔。カッパノベルスの島田荘司の新刊などをめくっておられる。もしかして、有栖川有栖氏?
・どうして、札幌の北村氏のサイン会に有栖川氏が?という疑問はあったものの、どうも似てる。服装も自由業の方としか思えない。こちらは、本棚にあった「スゥエーデン館の謎」のカバー写真と見比べるなど、リサーチを重ねるが、確信がもてない。本当に、有栖川氏なら、どうしても、個人的に御礼をいいたいことがあったのだ。逡巡すること15分。「殺しのドレス」を上回るサスペンス。その間、その方は文庫や文芸書の棚をまわりながら、たまにサイン会に眼をやっている。
・意を決して、有栖川先生ですか、と訊くと、ちょっと困ったな、という顔をして肯定された。北村氏と同行してきた由。私は某大推理研出身のものでして云々と昔日の御礼を述べていると、有栖川氏のところに東京創元社のプレートを付けた方がきて、短い会話は終わり。
・その後、先ほどの東京創元社の方が来て(この極めてエネルギッシュで愛想のいい方は、何と、戸川編集長だった!)、明日のトークショーには、北村氏、有栖川氏のほか、もしかしたら鮎川哲也氏も参加されるかもしれないと教えていただいた。(鮎川氏はお元気で、夏の間は、札幌近郊に住まわれている由)。
・凄い。凄すぎる。度重なる驚きに、頭が真っ白になってしまって「創元社の本は、いっぱい買ってます」とか愚にもつかないことしかいえなかった私でありました。
・明日は3時から滝川市で結婚式があって、トークショーに行くのは無理(憤死)。鮎川先生にも一度お目にかかってみたかったのだが。明日のサイ君によるレポートを刮目して待たれよ。
・しかし、今まで書き散らしていたことを考えると背筋が・・・。
・トークショーの詳細は以下のとおり(東京創元社HPより)まだ、空席があるようなので、もし、本欄をお読みの札幌近郊在住の方がいたら、行ってみることを強くお薦めします。
◆◆北村先生を囲む会◆◆ 
●日時○6月27日(日)午後1時30分〜午後3時30分● 
●場所○アルシュビル6階《自由空間》(旭屋書店札幌店が入っているビルです)● 
●会費○500円(会場費に充てさせていただきます)● 
●定員○50名● 

99.6.24(木) 山動く
・パラサイト関更新。「サヴェッジ・ナイト」買ったそうで。アメリカじゃなかったの。
・バリトゥードの凡戦のように、膠着し続けていた「山風全作品刊行祈願カウント・ダウン」(そんなコーナーあったっけ?)が1年ぶりに動く。ああ、ついに、ついに山動けり。「風太郎千年史」発刊だ。全然ノーマークだったのだが、某所(笑)で知って、閉店間際、本屋に駆け込んだ。
 同書について大阪の山風ファンの後藤さんからも詳細な内容紹介のメールいただきました(ありがとう後藤さん)ので、例によって無断で紹介させていただきます(お許しあれ)。
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件名: 「BRUTUS 図書館 山田風太郎」

ごぶさたしております。大阪の後藤です。

マガジンハウスから「BRUTUS 図書館 山田風太郎」
(税抜き¥1500)が刊行されました。
(よしのさんのHPの伝言板で知りました)

早速、本屋に走り、ゲットしました。

副題は、
「風太郎千年史」
「この本は風太郎魔界への片道切符です。
戻れなくなるおそれがありますので、覚悟の上お読みください。」
とあります。
まさにその通り、山風ファン必見の作品が掲載されております。

下記に目次を示します。

・赤い靴
☆銭鬼
・山屋敷秘図
・大いなる幻術(枯葉塔九郎の漫画化:水木しげる作、京極夏彦が着採)
・忍法棒占い
・忍法小塚ッ原
・首
・東京南町奉行
・巴里に雪のふるごとく
・黄色い下宿人
・我が家は幻の中(風眼抄から)
☆父の死(半身棺桶から)
☆風眼帖(山田風太郎全集 月報)
☆中学生と映画
☆石の下
・戦中派不戦日記(昭和20年8月)
・黒衣の聖母
・わが推理小説零年(別冊新評 山田風太郎の世界より)
☆達磨峠の事件
・歓喜登場
・奇想とユーモアの異色作家山田風太郎(宝石1962.8)
・推理交響楽の源流(高木彬光長編小説全集 第六巻 月報
・読まなくたってかまわない(ダ・カーポ1993.4.7)
・ナンセンスだからおもしろい(メフィスト1994.4)
・自筆死亡記事(週間朝日1996.8)
・1999年

山風のデビュー作をやっと読むことができるのです!!!
さらに、デビュー前の作品(石の下 等)も!!!
また、「忍法小塚ッ原」と「首」が並べてあるなんて、心憎い
ですね。

とにかく、買うしかない!!!です。

それでは、また。

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 いや本当ですね後藤さん。山風初心者も含め、山風に興味ある方なら、万人にお薦めです。一度しか単行本に収録されていない幻のデビュー作「達磨峠の事件」や、もう活字になることはないと思われていた「受験新報」掲載の「石の下」、初の活字化「中学生と映画」まで、拝めるのですから。予期せぬ出来事に脳天を打ち抜かれた本日の私でした。
・カウントダウンは後日ということで。


99.6.23(水)  「サヴェッジ・ナイト」
・kashibaさんからいただいた「ROM106号」は、まだ会員の方には発送されていないようです。(小林文庫ゲストブック参照)フライング気味の発言で、御心配をかけたROMの会員の方には、申し訳ないことをしてしまいました。
・待望のジム・トンプスン「サヴェッジ・ナイト」(翔泳社ミステリー/1,900円)を買ってきたぞ、関っあん。って、今、アメリカか。「グラン・ギニョール」とは、うってかわって、雑誌「SWITCH」の表紙のようなミステリ離れしたカヴァーなので、お見逃しなきよう。
・高橋徹氏から次のメールをいただきました(無断引用ご容赦)。
 ごぶさたしております。
http://www2.justnet.ne.jp/~finney/list.html
http://www2.justnet.ne.jp/~finney/entry/i4/j.html
 「魔術的リアリズム」のくだりで昼休みの社内で大爆笑。 
 おっと、職務専念義務違反(←公務員じゃないから無いですが)にひっかかる。
 仕事仕事。 たかはし
・私も楽しく読ませていただいておりました。堂々たるアンチ・ミステリ論ですよね。高橋徹氏が、上記url の文章の執筆者のたかはし氏と同じサークル出身であることをまったく知らないのが、なんとなくおかしかったので、引用してみた次第。


99.6.21(月) J.D.カーのライヴァルたち
・D.ウィンズロウ「高く孤独な道を行け」(創元推理文庫)、横山茂雄「異形のテクスト」(国書刊行会)購入。
・家に帰ったら、本欄にも何度か登場したkashibaさんから、ROM106号「RETERN of the OCCULT MYSTERIES〜J.D.カーのライヴァルたち」が届いていた。ROMは、未訳の海外本格ミステリを中心に扱う孤高の同人誌。実物を眼にするのは、初めて。今回は、ゲスト編集長のkashibaさんが、
カーのライヴァルたち、オカルト・ミステリの特集を組んだのだ。出来たら1冊欲しいと以前にいってたのを覚えていて下さって、わさわざ送ってくれたのだった。感涙。おまけに、妖しげなスペシャル編集ビデオまで付けられている。内容は、ふふふ、と隠すこともない「世界不思議発見江戸川乱歩」「知ってるつもり横溝正史」「土曜ソリトン京極夏彦」・・・。いずれも未見。うっうっ。あなたは、平成のサンタクロースですか。
・最初に話を伺ったときに、「カーのライヴァルたち」というテーマで、特集が成立するんだろうかという気もしてたのだが、見事に成立するんですね、これが。1冊まるこど、オカルト・ミステリ。それも、いわゆるコースト・ハンター物よりも、オカルトの意匠をまとった本格物に比重がある。未訳のオカルトミステリレヴューを中心に、森英俊氏のエッセイや大部のアンケートなどもあって、素晴らしく充実した特集です。海外ミステリの闇の奥には、H・タルポット、R・ホールトン、J・スタッジ、ノーマン・ベロウなどなどオカルト・ミステリの妖花咲き乱れる桃源郷があるらしい。まだ、十分には読めてないけど、しばらくはこの妖しい薫りに酩酊できそうだ。
・しかし、ミステリVS幻想文学を読んだ後だけに、わたくし的には非常にタイムリーなことでは、ありました。


99.6.20(日) 「幻想文学55 特集ミステリVS幻想文学」
・16日付けで触れた北村薫サイン会は、6月26日午後2時から旭屋書店札幌支店、午後5時から札幌弘栄堂で開催とのこと(本日の道新の創元推理文庫の広告)。昨日、弘栄堂で本の発売開始、30分後に整理券をもらいにいったサイ君の番号は「2」でした。(創元推理文庫「六の宮の姫君」を買うとくれるらしい/弘栄堂150人限定)。ちょっと心配だったりする。
・グリン・カー「マッター・ホルンの殺人」(新樹社)読む。思っていたより、若干起伏に乏しいような。珍しく、犯人もアリバイトリックもわかって、多少自慢。
・「幻想文学55 ミステリVS幻想文学」の若干感想めいたものなど。
 ミステリの特集としては、84年の「特集 怪奇幻想ミステリー」以来というから15年ぶり。こちらの方も「怪奇幻想ミステリー50選」など、充実した特集だった。例えば、50選で、当時、倉阪鬼一郎氏がレヴューを書いているのは、笠井潔「アポカリブス殺人事件」、香山滋「ソロモンの桃」、竹本健治「匣の中の失楽」、都筑道夫「雪崩連太郎幻視行」、中井英夫「虚無への供物」、西村寿行「オロロンの呪縛」、半村良「炎り陰画」、藤本泉「呪いの聖域」、山田風太郎「誰ら出来る殺人」、結城昌治「咬む女」。んーおいしいとことってる。反面、今選定すれば、入れ替えのタマにも事欠かないように思えるところが、15年という歳月か。
「探偵小説における幻想」笠井潔
 探偵小説における幻想性は、さまざまな位相があるけど、その本線は「幻想を論理的に解体する」
という探偵小説の構造そのものにある、とする。そのとおりだと思うけど、この辺はもう共通了解なのでは。(例:月刊カトカワミステリの宮部みゆきのエッセイ「論理によって世界が変わる」とか)。やっば、島田理論が変なのでは。
「ミステリの淵源を探る」 横山滋雄
 ミステリの起源がなんとなく気になる身としては、非常に興味深かった。ミステリの祖型として、ゴシック・ロマンスが挙げられるのが通例だけど(最近の例:月刊カトカワミステリの編集後記)、実際は、そう簡単なものではないということを、実際のゴシック・ロマンスの小説群の中身に即して論じている。特に面白かったのは、ゴシック・ロマンスの多くの小説では、結末で超自然的現象が合理的に説明されているとする所論である。とすると、ボオの独創性については、再検討を迫られるわけで、センセーション・ノベルの重要性の強調とともに、実に刺激的な論考だった。
「ミステリ作家が選ぶ「幻想ミステリ」この一冊」
 さすがにバラバラ。山田正紀が戸川昌子「大いなる幻影」を絶賛しているので読みたくなった。
「ホラー・ミステリの一世紀半」 森英俊
 「ホラー・ミステリ」というサブ・ジャンルがあるとすると、ゴースト・ハンター物から、カー、B級不可能派まで取り込む範囲が広がって、なすなか楽しい。それにしても、未紹介作がなんとも魅力的な。
「奇妙な味の作品群」 尾之上浩司
 異色作家短編集収録作家を中心とした「奇妙な味」の小説概観。作家評価の現況など近年の話題も取り込んだ目配りのきいた好レヴュー。
(眠くなって次回に続く)



99.6.16(水) −「たたり」?−
・シャーリー・ジャクスン「たたり」(創元推理文庫)、倉阪鬼一郎「死の影」(廣済堂文庫)買う。
・「たたり」は、未訳の長編だと思って、内容も見ないで買ったら、ハヤカワ文庫で出ていた「山荘綺譚」(ハヤカワ)の改題新訳でないの。解説を読んで、やられた、と唸る(未読だけど)。タイトル全然違うのに−。(ひらがなで「たたり」と書くと、結構怖いですな。
・八つ当たりついでに書いておけば、解説では、短編「チャールズ」と『野蛮人との生活』が別種の作品のように読めるけど、前者は、後者にも、そのまま収録されていたはず。陽気な連作家族小説の一編が、それだけ取り出すと、恐怖小説の傑作になるという、希有の例ではある。
・牧野修『偏執の芳香』(アスペクト)読む。期待に違わぬ面白さ。携帯づかいが、実にうまいっす。
・6月26日、札幌弘栄堂で、北村薫サイン会があるとか。サイ君は、整理券を求めて朝から並ぶと張り切っているのだが。


99.6.14(月)
・パラサイト・関更新。土屋隆夫「ミレイの囚人」絶賛。
●国内編リスト追加
高木彬光『神秘の扉』、『魔弾の射手』、『帝国の死角』、「紫の恐怖」「鏡の部屋」「灰の軌跡」「消えた死体」「灰の女」「四次元の目撃者」(以上『ミステリーの魔術師』の記述を参考に)
小森健太朗『コミケ殺人事件』、芦辺拓「百六十年の密室」


99.6.13(日) 「編集室の床に落ちた顔」(3)
・えー続きです。長いです。
(以下、本書の基本的構成に触れるので未読の方は御注意)
 本書は、エピローグの部分を除いても、探偵小説としては、幾つかの目新しい、特徴的な要素を備えている。
・一人称小説の冒険を試みていること。
・「毒入りチョコレート事件」、「第二の銃声」、「試行錯誤」そして「殺意」 といったバークリー=アイルズのミステリのエコーが感じられること。
・探偵役としては偏執狂的で独特のスタイルをもつスミス警部という造型(「犯 罪を解明すべき人物は、その犯人しかいない」したがって、スミスの捜査は 「証人集めだけに専念する」ことになる。)
 既に、述べたように、冷ややかな感傷を交えた独特のスタイルも本書の魅力を支えているのはいうまでもない。
 しかし、本書を、ミステリとしても、フィクションとしても、特異な作品たらしめているのは、そのエピローグゆえである。マケイブの一人称記述が終了した後に、本書の重要な脇役である新聞記者ミューラーの手記が続く。このエビローグで、ジュリアン・シモンズが「トリックの宝庫」と呼んだ様々なコード破壊が繰り広げられることになるのだが、最も、肝心なコード破壊は、この手記の中で、「編集室の床に落ちた顔」がマケイブの「小説」として、既に出版されているということだろう。
 一人称記述の後に、第三者の手記が続いて、という構成は探偵小説では特に目新しいものではないが、この小説として「既に出版されている」と言う点が、本書のコード破壊/メタフィクションとしての独創的な部分ではないかと思う。
 後編の語り手である新聞記者ミューラーは、エピローグで小文字のマケイブが書いた「編集室の床に落ちた顔」というテクストの読解を試みるのだが、その際に援用されるのは、出版された小説作品「編集室の床に落ちた顔」についての大量の書評である。
 作者(大文字)のマケイブは、既存の(別な)小説に対する実在の書評の中の言葉をキャメロン・マケイブ著「編集室の床に落ちた顔」とその登場人物の名に置き換え、自らの小説を批評してみせる。そこでは、作品に漂う感傷性すらヤリ玉に挙げられられてしまうのだ。マケイブ(大文字)は、現代のミュージシャンのように、書評という素材をサンプリングして、別な作品に埋め込むという、はなれわざを見せている。(書評家として、C.D.ルイス(ニコラス・ブレイク)、フランシス・アイルズ(バークリー)らの顔ぶれかぜ見えるのも興味深い)この刺激的な構成により、本書は一挙にメタフィクションに変貌する。
 メタフィクションというのは、近年、盛んに喧伝されているものの、技法自体は現代の発明ではなく、古くからある手法でもある。
 「小説の技巧」(ディヴッド・ロッジ/白水社)の「メタフィクション」の項に沿って書くと、「メタフィクション」の始祖は、17世紀イギリスのスターン「トリストラム・シャンディ」である。この小説は、すべての規則を破り、故意に一切の筋の展開をぼかしており、そのため、誰もどこにも行かないし、大した事件は何も起こらず、主人公は、本の真ん中まできてもまだ生まれることもできない(!)。筋の運びを妨げ迷わしうるものなら、なんでも持ち込んでくるという途方もない小説である(この梗概はJ.Bウィルソン(アントニー・バージェス)「イギリス文学史より)。小説の中では、トリストラムが仮想の読者の対話なども繰り広げられるという。うろ覚えだが、ドン・キホーテの一節にも自分たちが小説の登場人物であること明言するシーンがあったはずだ。(この辺り、カーの「密室講義」におけるフェル博士を彷彿とさせる。)
 小説に対する批評自体を小説に取り込むという手法自体も、現代としては、特に珍しいものではないようで、「今日我々が感じている手垢のついた感覚を、作家が自作の素材・手段へ逆説的に転換する」手段として、メタフィクションを擁護するジョン・バースは、短編集「びっくりハウスの迷子」の一編において、メタフィクションそのものに対する批評を取り込んでいる、という。メタフィクション作家には、想定される批評をあらかじめテクストに取り込んでそれを狡猾に「虚構化」してしまう傾向があるらしい。
 マケイブがここで試みていることは、現代のメタフィクション作家も顔負けであり、この試みの当時としては、相当に斬新な試みであったとはいえるだろう。この「批評を先取りしてしまうことによって、批評を武装解除してしまう」(ロッジ)手法を完膚無きまで実行した作品を前にして、当時の批評家も、我々も何か口にできる言葉があるだろうか。
 せいぜい、批評を封殺することで、「固ゆで(ハードボイルド)だが中身は柔らか」な年齢相応の自我を守ろうとしている作品とでも皮肉を飛ばすのが、関の山だろう。
 しかし、ミステリの趣向としてみた場合は、中途半端な印象を拭えないのだ。小説の分析が、探偵小説として本質的構成に関わってこない部分に若干の不満を覚えるのだ。エピローグで繰り出されるコード破りも然り。(そのうち、最大のものは・・だが、これについては、いやはや)
 「編集室の床に落ちた顔」が現代の本格ミステリに対して、示唆する部分があるとするなら(確実にあると思うのだが)、筆者は、その「可能性の中心」は、自らの作品を「循環論法」と措定している部分にあるのではないかと思う。
 「ミスター・マケイブの本の構成の形式は循環論法(サーキュラス・ヴィオテイオスス)になっている。彼が象徴する堕落をとげつつある社会と同様、マケイブもまた、一つの命題を、それを論拠とする別の命題をその論拠として立証しようとしている。」(300P)
「形式はプロットに従う。マケイブは同じ話を何度も何度も繰り返し語っている。意識的に何らかの文学形式を目論んでいるのではない。他のやり方では書けないのである。
と、ミューラーは語り、同じ事件について、9度!も、語り直しがされることを説明している。
 「古い説明は撤回され、新しい情報が与えられる。これは次の章で再び撤回され、そうやってどこまでも続いていく。不変なものは何もなく、しっかりと確立したものは何もない。何もかもが変化と解体と破壊と衰退の途中にある。まさに、この男と彼の時代を反映するものだ」この後、ミュラーの分析は、マケイブのこの技法は、ジョイスの用いた重ね書きの原理(一つの意味、一般のイメージが、他の意味やイメージの上に書かれていく)が、稚拙ではあるものの、反復されていると説く。
 しかし、筆者としては、当時の先端的文学との本書の技法の照応より、「探偵小説」の構造を「循環」性という点に求めているマケイブの論旨と本書のプロットこそ注目したい。 古典的な推理小説の構造は、通常、「転倒」という形式で語られる。探偵小説は、死体の発見という「結果」から始められ、犯人探しという形で、始まりの時間「原因」に遡行するという、転倒した小説形式というようにいわれる。
 探偵小説としての理念型をいえば、それで間違いはない。しかし、探偵小説(特に長編)の中で、我々が通常目撃するのは、むしろ、延々と続く砂上の楼閣づくりではないだろうか。探偵は、捜査によって得られたデータを基に、仮説を立て、それを否定するデータに直面し、仮説を廃棄し、さらなる仮説を立てていく過程。この繰り返しこそが、多くの探偵小説の本質的部分ともいえなくはない。。
 マケイブの言い方でいえば、これは、「循環」の過程ということになる。その意味で、マケイブの指摘は、極めて新鮮な面をもっていると思われる。(例えば、一つの毒殺事件を巡って、6つの推理が前の過程を重ね書きするような形、繰り替え避ける「毒入りチョコレート事件」を思いだせば、「循環」という言い方もしっくりくる。)
 今、仮に、「編集室の床に落ちた顔」という小説を巨大な循環する装置、サーキュレーターのような機械として想定してみよう。
 機構が一つの回転(探偵や事件関係者による事件の再構成)する度に、事件は新たな様相を見せ、事件の関係者は、事件には無関係な人物として、あるいは死者として、物語の埒外に放り出される(スピン・オフされる=「あの子は町を出ていった」)。機構を回転させる駆動力となるのは、新しい手がかり、新しい事実、新しい証言、すなわち新しい情報である。
 この小説自体の構造は、作中で、3度にわたって映写されるフィルム(事件の再現シーン)の上映と極めて類比的である。フィルムが上映される度に、事件が別の意味をもって立ち上がり、事件の様相は大きく変わる。(別種の意味の体系が浮上する)。そして、事件の様相が明らかになる度に事件関係者は、物語からもスピンオフされる。(フィルムからスピン・オフされる=「編集室の床に落ちた顔」)フィルムと映写機という回転する機械が映写される度に別な意味をつむぎ出すのだ。
 登場人物も、この物語の構造には極めて自覚的だ。
「そして、次に誰かが君を定員外だと考えて君を放り出すのさ。そうやってどこまでも続いて行く(279P))。
 循環しながら、登場人物を次々と物語の埒外に逐い出す恐怖の機構としての探偵小説=物語の再構成(推理)=映写(映画)。登場人物を放り出す「誰か」とは、探偵小説という循環する構造そのものなのだ。物語の再構成(推理)をこのようなものとして捉えたミステリの書き手がいただろうか。
 機構を回転させるのは、物語のサイバネティクスとしては、「新たな情報」であるのだが、物語の表層のレベルでは、我々の理解の及ぶものである。「都市生活の熱狂の中でたった一人」という感覚に「キノコのように生えてくる」「盲目的な感情」。この熱情の対象こそが、「編集室の床に落ちた顔」という循環システムの核となり、物語に君臨し続ける。したがって、この人物が物語の枠外に放逐されたところで、機構は循環を止め、物語は終わる。デウス・エクス・マキーナは、最後まで降臨しない。
(この意味で、「編集室の床に落ちた顔」の「真相」を解き明かした解説の小林晋氏の推理は極めて興味深い。作者マケイブもこの筋を本線としていたと想定される節もある(263P、351〜2P)。ただ、この解釈によっても、賦に落ちない部分が多すぎる面は、否めない(フィルムの後半部分の入手方法等。このことは、探偵小説を書く技術というレベルでの巧拙の問題に帰せられるのかもしれない。あるいは第一の殺人の真犯人も、「この人物」なのか)
   ×  ×  ×  ×
 「編集室の床に落ちた顔」においては、作者ボーネマンが作品と図らずも投影したであろう「異邦人の孤独」と「喪失の感覚」が、探偵小説的構成と分かち難く結びついている。
 マケイブと他の登場人物とのコミュニケーションは常に安定していない。(特に、スミス警部との会話では、腹のさぐり合いでは、両者の会話に何が含意されているのか読者に見分けがたい場合が多い)。このことは、作者マケイブが異邦人であるということと無縁ではないと考えられる。
 異なる人間同士の間で会話が完全な形で成立させるためには、言語を操る能力だけでは不十分である。道で出逢っで「どうだい」と話しかけたら、「あなたが聞いているのは、私の体の具合のこと?、家計のこと?、化粧のノリのこと?」と聞き返す人はいない(とんでもない人物は別として)。「どうだい」には、言葉の意味するところを超えて、とりあえず話のきっかけとして君の調子の具合を聞くよ、ということが同じ共同体に属する二人の間に暗黙の了解としてあるからである。
 異邦人ボーネマンとしては、この種の英語を母国語とする人間ならまったく意識しないであろう暗黙の了解に無関心ではいられず、そのことが探偵小説の暗黙の了解(コード)(解決に至るすべての手がかりは示されなければならない、小説における地の文の記述に意図的に嘘を紛れ込ましてはならいない等)破りにつながっているようにも見えるのである。
 また、「喪失の感覚」は、タービンが回る度に、登場人物がスピンオフしていくという結構をもつこの小説に、色濃く影を落としているように見える。
 この小説が書かれた当時、黄金時代の探偵小説は、既に、黄昏を迎えつつあった。
 「この鉱脈は、堀尽くされる危機にあり、需要は一定なのに力は変動する。そして読者は、一冊吸収するこどに、少しずつ目が肥えて、簡単には気に入らなくなってくるのに、小説家は一冊書き終わるごとに、少しずつ消耗していくのだ」(エピローグにおけるシリル・コナリーの書評)
 「すべては失われてしまった」という喪失感が探偵小説の終焉と二重写しになるとき、本書が書かれ、探偵小説という文学形式の「メタフィクション性」、「循環性」という怪物的素顔を明らかにし、黄金期探偵小説の墓碑銘となった。
 黄金時代探偵小説の終焉と早熟な亡命者の軌跡がクロスしたときに一瞬だけ生じた悲痛なほど赤々とした夕映え、それが「編集室の床に落ちた顔」なのである。

99.6.12(土) 「編集室の床に落ちた顔」(2)
・水曜日、東京日帰り出張の際、八重洲ブックセンターで、やっと「幻想文学55 ミステリvs幻想文学」入手。何も、東京で買うこたないのだが。同時に、カドカワミステリ「プレ創刊号」を買う。横溝特集で未収録短編に「蟹」掲載。9月には、未収録短編を収めた「双生児は囁く」が出るとか。あとは、エッセイと横溝正史賞の長編一本というのは、つまらないな。
・同時に、有村智賀志『ミステリーの魔術師−高木彬光の人と作品」(90 北の街社/2500円)という本を買う。高木作品の長編、短編の評論書。やっばり、八重洲には、珍しい本がある。んで
「編集室の床に落ちた顔」(2)
 作者キャメロン・マケイブ(本名ボーネマン)は、1915年ベルリン生まれ。思春期に精神分析学者ライヒを助けて、診療所で働いていたが、ナチスが政権を獲得した1933年、イギリスへ政治的亡命者として渡り、映画撮影所に勤めていたという。渡英時にほとんど話せなかった英語を用いて、本書の執筆し始めたのが、19歳のときというから、恐るべき早熟ぶりである(刊行は37年)。後年、カナダ、フランス、イタリアを転々とし、職業も、映画製作者、レーサー、作家、ジャズ・ミュージシャン、ジャーナリストと変転、70年以降はオーストリアの寒村で、性科学者として研究に没頭したという(95年没)。後年の小説作品がほとんどないことも合わせ、20世紀の小ランボー(スタローンに非ず)とでも、呼びたいような人物だ。
 本書のあらすじをざっと見ておこう。
映画会社の編集主任キャメロン・マケイブ(わたし)は、編集中の新作映画からある新人女優の出番を全てカットするようにという、映画製作者ブルームの指示を受ける。その翌朝、当の女優が編集室の床で死んでいるのが発見される。事件は、撮影所の男女関係も絡んで、自分が犯人だと名乗り出る関係者が次々と出現するという奇妙な展開を見せるが、捜査はなかなか、はかどらない。そのうちに、第二の殺人が発生し、容疑者が逮捕されるが・・。小説は、この後、読者も想像できないような展開を見せる。
 探偵小説として、破格の構成を持つ作品だが(これは後で触れる)、本書の魅力の第一は、ボーネマン自らがモデルとおぼしきキャメロン・マケイブの造型と小説全編に漂う異邦人の孤独、行き場のない悲愁とでもいうような感覚に縁取られている点にある。
 主人公マケイブは、38歳。スコットランド人だが、「海の向こうの石造りの家で育ち、イギリス人であると同時によそ者」でもあ。「よく回る頭、そいつが君を駆り立てる」という冷淡の知性の持ち主であり、タフガイのような口を聞く。
 登場人物の女はこういう。
 「あなたって素晴らしいわ。タフなのね。無口な大男って、あたし大好きよ」 ハメットやケイン、マッコイあるいはヘミングウェイの小説の 同時代のヘミングウェイ小説の主人公のように、ロストジェネレーションの一人だ。
 ちなみに、女優のカットを命じる映画会社の製作者の名はブルーム。ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」の主人公の名を借用したものという(解説より)。(永遠のツン読本「ユリシーズ」をパラパラめくってみたら、主人公レオナルド・ブルームの年齢は38歳。ダブリン(アイルランド)に住むハンガリーから移住したユダヤ人だ。年齢や異邦性、女(妻)が寝取られるところなど、映画製作者の「ブルーム」より、マケイブと共通項が多いような気もするのだが。ちなみに、「ユリシーズ」には、「マッケイブ」という名の産婆がちらりと登場する(第1部3章 プロメテウス)。産婆=物語の引出し手という隠喩?)
 異邦人である彼の見るロンドンは、一般の英国小説で描かれるロンドンとは、微妙な偏差をもって、読む者の側にも飛び込んでくる。太陽は鈍くオレンジ色で、夜の月は赤く(陳腐なメタファと自嘲される)、霧は泥のようにまとわりつく。街では、黒人バンドがブルースを演奏し、埠頭では、異国の船乗り達が、郷愁をそそるような労働歌を歌っている。登場人物の意思疎通は不安定で、会話は闘争の予兆を孕み、時には、相手の言葉そのものが異国語に聞こえる(125p)。
 マケイブは、子供が覚え立ての数を数えるように、目的地にたどり着くための街路名をすべて列挙し、街路の向こう側に、徹夜で働く工夫や寒いコーヒースタンドで夜食にステーキ・アンド・キドニーパイを食べる労働者の姿を幻視する。
 アメリカナイズしているようで、大陸的でもあるような、奇妙に歪んだロンドン。こうした中で、マケイブを支配するのは、自ら後に要約するように、「都市生活の熱狂−喧噪−慌ただしさ−未知ゆえに刺激的な何百万という人々の中で、たった一人という感覚」である。異邦人の孤独。
 一方で彼は、大戦間のロスト・ジェネレーションという時代の子である。マケイブや事件の関係者は、撮影所という時代の最先端のケームセンターにいながら、すべては失われてしまったという感情に支配されているように見える。
 冒頭のセントルイス・ブルースのリフレインが物語全体を規定する。
 「見たくなんかない
  夕暮れの日が沈むところなんて(略)
  なぜって、ベイビー
  あの子はこの町を出ていった」
 例えば、死にゆく女優を収めたフィルムの再現シーンで、彼女を見つめながらマケイブはつぶやく。
 「決して変わることはなく、決して変えられることもなく、もう変わらず、変えられず、決して変えられることなく、変わるはずもなく、二度と変わらず、もうこれきり、永遠に、失われてしまったのだ」
 何もかもが失われてしまったという感覚は、戦争、あらゆる闘争に対するシニカルな認識にもつながる。次のような言葉には、ファシズムからの政治的亡命者という作者の姿が二重写しになる。
 「戦いは決してゲームではないが、全てのばくち打ちやゲームのプレイヤーが必ず負けてしまうように、戦うも者もすべて負ける」
 「自分の食い物は取られる前にとれ。他の奴だって飢えている。先を越されそうだったら、あごに一発くれてやれ。」
 こうしてみると、脅迫じみた言辞を弄し、関係者を次々に自らの手兵にして容疑者を追いつめていくスミスという警部のやり口も、作者のファシズムに対する感情の現れとも映る(末尾の「トレント最後の事件」の引用も、また)。
 異邦人の孤独と世代的な喪失感こそが、「編集室の床に落ちた顔」の世界の前提であり、大きな魅力にもなっている。ファシズムの台頭する時代にしか書けなかった青春の悲歌。その一方で、あらゆる時代の青春に共通する感情を揺すぶる要素を本書はもっているとも思える。世界との関係性の模索は、あらゆる青春のテーマでもあるといえるからだ。本書は、ひょっとして一部の現代日本の若者に熱狂的に支持されないかとも期待するのだが。
 しかし、しかし、この小説の得難い感傷性すら、終章に至って、裏返されてしまう。
 「どうせ、本当に重要なことは探偵小説の中には書かれていない」とつぶやくマケイブは、探偵小説に何を求めたのか。(あと1回)

99.6.7(月)
・パラサイト・関で無駄話。「奥様は魔女」の謎とか。

99.6.6(日)
・またもや慌ただしく「編集室〜」延期。一体いつになるやら。
・しょうがないので(泣)、最近買った本でも書いておこう。
 牧野修「偏執の芳香」(アスキー)、瀬戸川猛資「夜明けの睡魔」(創元ライブラリー)、シャタック「こうのとり狂奏曲」(創元推理文庫)、歌野晶午「放浪探偵と七つの殺人」(袋とじあり)、二階堂黎人「名探偵の肖像」(「史上最大のカー問答}等含む) など。


99.6.4(金)
・パラサイト・関更新。
・東京日帰り。どっぷり疲れる。

99.5.31(月)
・パラサイト・関に新着。北村薫「ミステリは万華鏡」、ミステリマガジン評。
・あけみさんから、「ペルシャ猫続報」。メールコーナーにて。
・相変わらず、まとまった時間がとりにくく、「編集室〜」が遠ざかる。これは、次の土日できっちりしたい。
・昨日、やっとEQ終刊号入手。22年目の終刊か。感慨もひとしお。未訳短編30編とオールタイムベスト100もついた豪華版、いまいまで素通りだった人も今回は買い。むろん、終刊号マニアも。
・ベスト100については、いろいろ思うところもあるのだが、また、改めて。でも、鮎川先生のコメントについては絶句(涙)
●国内編リスト追加
 北村龍一郎「魔女を投げた男」

99.5.26(水)
・人事異動等で連日、酒飲みor残業中。
・パラサイト・関に「EQ最終号」レポート。
●国内編リスト追加
 日下圭介『女たちの捜査本部』、法月綸太郎「世界の神秘を解く男」

99.5.22(土) 「ミステリ系更新されてますリンク」発見
・相変わらず、身辺慌ただしく、更新滞り。(その割に「こだまのあとだま」関係は追いかけてたり。)また、パラサイト・関を2本溜めてしまいました。カー「グラン・ギニョール」と、「EQ」のレヴュー。
・あけみさんから久しぶりにメールをいただきました。有栖川有栖「ペルシャ猫の謎」に対する憤りなど。(私もこれはイタかった)「メールコーナー」をご覧下さい。開店休業気味のコーナーなんで、メールしてみようっていう奇特な方がいらっしゃれば、一つよろしくお願いします。
・フクさんのHPの掲示板で、「ミステリ系更新されてますリンク」発見。ミステリ系の日記リンク集なのだが、4時間ごとに各HPを巡回して、最も更新時間が直近のものから表示するというスグレ物。こんなのが欲しかったのだ。「密室系」のほか、パラサイト・関の「翻訳ミステリアワー」も別にリンクが貼られていて、嬉しいことである。制作者は、「みすりん」「謎宮会」等でおなじみ、たかはし氏。まだ、試験公開中らしいが、なんとか続いて欲しいものである。
・昨日、日本推理協会賞発表。長編は東野圭吾『秘密』、香納諒一『幻の女』、短編及び連作短編集
部門は、北森鴻『花の下にて春死なむ」、評論その他部門は、森英俊『世界ミステリ作家事典(本格派篇)』。森氏の受賞は当然の結果とは思うが、「本格派」にこだわったところに、受賞の対象として一抹の不安もあったので、一読者として、やはり嬉しいことである。
・その森英俊さんの主宰する「MURDER BY THE MAIL」から、先日目録が送られてきた。相変わらずおいしそうなクラシックミステリ満載で、さながら、美しき花咲き乱れる異国の植物園を散策するような思い。 


99.5.15(土)
・やれやれと思っていたら、別な仕事で、今週は2〜3時間睡眠が続く。さすがに、金曜の朝6時帰りはこたえた。おかげで、関の新着を2本溜めてしまった。すまんこってす。ファルコ物の新作と、トンプスンの「内なる殺人者」レヴュー。


99.5.10(月) この電脳化する人たち
・懸案の仕事が中途半端だが片づいて、やれやれ。
・久しぶりのような気がするパラサイト・関に新着。中島河太郎追悼ほか。自宅にパソコン買ったとか。今まで、勤務中に推敲もしないで、書き殴っていたというライティング・スタイルがとう変化するか、見物です。家庭争議のもとに、ならないように、お気をつけあそばせ。
・とか言ってるそばから。サイ君の職場が明日からネット環境になるらしい。ぞぞぞ。こ、これ読まれるの?読まれてまずいようなことは書いてないような気もする。が、気のせいか。うーむ。
 開きなおって、言いにくいことを婉曲的に伝えるという手もあるか。「小遣い足りない」とか。テキが残業で遅くなったときには、「寿司買って早く帰ってきてくれ」とアップしておくとか。困った。私の書く内容も変わりそう。
・というわけで(嘘)、「編集室〜」1回休み。


99.5.5(水・祝) 『編集室の床に落ちた顔』(1)
・3、4日と留萌にて清遊。雨にたたられて、寝てばかりいたような気もするが、まあいいか。留萌に向かう途中、浜益村で同行斉藤嬢がハイセンスなVOW物件、発見。入選間違いなしと、一同喜ぶ。「VOWシリーズ」か「通販生活」で、ご覧下さい。
・で、キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』(国書刊行会/99.4刊)
 一種伝説的な作品の登場である。
 1937年に出版されながら、一般には、まったく忘れ去られた作品である本書を1970年代に再評価されたのは、ジュリアン・シモンズの「BIoody Murder」。「もし、古本屋でこの本を見つけたら、いくら高くても買うべきだ」「あらゆる探偵小説を葬り去る探偵小説」「この作品のすべては、目のくらむような、そして運のいいことに、おそらく二度と繰り返すことができないトリックの宝庫である」というシモンズの高い評価は、本書復権の原動力となった。
 我が国でも、宮脇孝雄氏の『書斎の旅人』で英国ミステリ史の重要なエポックとして、一章を割いて紹介され、森英俊氏の『世界ミステリ作家事典〔本格派〕編においても、「メタ・ミステリの先駆け」、「まさに探偵小説究極のパロディであり、いいようもなくシニカルな傑作である」と評されている。
 しかも、作者は、ナチ台頭を嫌って18歳のとき、イギリスに亡命したドイツ人であり、覚え立ての英語で19歳のときに執筆されたという。「亡命者」、「早熟」という二重の光彩が本書の伝説を縁取っている。
 では、本書は、どのような意味で、アンチ探偵小説あるいはメタ・ミステリなのか。本書のアンチ性(メタ性)は、現在に至るも、その衝撃性を維持しているのか。(続く)
・結論が出ていないので、続きます。
●国内編リスト追加
小森健太朗『マヤ”夢見”の殺人』、篠田秀幸『悪霊館の殺人』、都筑道夫『最長不倒距離』、『前後不覚殺人事件』、藤原宰太郎『早稲田の森殺人事件』『千曲川殺人旅情』、天藤真「塔の家の三人の女」追加