大白法

平成11年2月16日号


主な記事

<1面>

<2〜4面> 昨年度夏季講習会より

<5面> 第一回立宗750年慶祝記念局実行委員会 (1/16)

<6〜8面>


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地方別僧俗指導会始まる(要約)


過日発足した立宗750年慶祝記念局・法華講30万総登山実行委員会の活動の一環として、僧俗一致の地方別指導会が全国の29会場において順次実施される。信心・折伏・登山の要諦を確認し合い、出陣式において御法主上人猊下より賜った御指南にお応えしていこう。

実行委員会よりは、実行委員長・藤本日潤御尊能化、主任委員・早瀬義寛御尊師、主事・阿部信彰御尊師、副主任委員・柳澤総講頭、主事・石毛大講頭らが全国各会場を訪問、該当地域からは宗務支院長、各末寺御住職、連合会幹事・理事、各支部代表信徒が出席して開催される。

一月下旬に九州地方、二月上旬に四国・中国・近畿地方、下旬に北陸・東海、三月上旬に関東、下旬に東北・北海道が予定されている(概略)。なお、一番目の会場となった宮崎布教区では1月25日、宮崎市仏見寺支部において盛大に開催された。



海外ニュース


▼ 日蓮正宗オーストリア布教所がオープン、ヨーロッパに新拠点

1月26日午後2時より、オーストリア・ウイーン市内において、日蓮正宗オーストリア布教所の開所式が、地元信徒の大きな歓びの中、厳粛かつ和やかに執り行われた。これには、宗務院海外部長・尾林広徳御尊師をはじめ海外部より石橋頂道主任・中本代道主任、スペイン妙昌寺住職・山田容済御尊師、フランス担当・毛利博道御尊師、さらに日本より大宣寺住職・菅野慈雲御尊師他有縁の御僧侶、また地元信徒の代表が参列した。

法要は御法主日顕上人猊下の御名代である海外部長のもとに暮執り行われ、日本語ならびに英語による開式の辞の後、御本尊御開扉、献膳の儀、読経、焼香、唱題と厳粛に進められた。引き続き式の部にに移り、御供養目録並びに受書が海外部長よりヨセフ・アオルナー氏に手渡された。次いで経過報告で、ヨセフ・アオルナー氏より布教所開設に至るまでの経緯が紹介された。

開所式(12Kb)

祝辞に立たれた尾林海外部長は、ヨーロッパ広布の新しい拠点の誕生に大いなる期待をせられると同時に、布教所責任者となった 関快道御尊師 を紹介された。続いて信徒を代表してアン・レフェブレ女史が祝辞に立ち、当布教所開設を契機にオーストリア広布の着実な前進を誓うとの決意を表明された。ここで祝電が披露され、最後に布教所責任者の関御尊師より、日本語とドイツ語による謝辞があった。その中で関御尊師は、仏祖三宝尊の御加護と御法主上人の御慈悲、また海外部長はじめ海外部の指導、有縁の御尊師方の励まし、地元信徒の敬虔かつ篤い信仰によって開設された布教所を、今後は信徒と共に護持しながらオーストリア並びに欧州の広宣流布を目指して精進する旨、力強く述べられた。

こうして法要は滞りなく終了。この後、記念撮影が行われた。なお、海外部長一行は、1月28日午後、パリ市近郊にあるパリ事務所の視察の後、フランス法人の総会に出席され、1月30日午後、一週間の日程を終え元気に帰国された。


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▼ シンガポールで合同研修会・文化祭

日本では大寒に当たる1月23日・24日の両日、赤道直下、マラッカ海峡に浮かぶ常夏の島国シンガポールにおいて、信徒合同研修会および文化祭が盛大に開催された。これには、海外部から海外部長・尾林広徳御尊師、同主任・石橋頂道御尊師、同書記・野村信道御尊師、並びに中華民国本興院・黒沢御主管、香港事務所・後藤史道責任者が出席された。

シンガポール国内には、時代背景や歴史の違いから四つの信徒組織が存在し、これまでそれぞれが別個に活動を行ってきていた。平成8年8月に滝川信雅御尊師がシンガポール担当責任者として現地に赴任されてから二年半の間、シンガポール信徒全体の異体同心の確立に努力され、今回、初の四組織合同の研修会・文化祭の開催を迎えたのである。

23日の午前9時からは市内ホテルの大ホールで1360余名のメンバーが参加して朝の勤行が行われ、引き続いて合同研修会が行われた。はじめに滝川御尊師より、出席僧侶の紹介および挨拶があり、黒沢御尊師、後藤御尊師よりシンガポールのメンバーに対し、御指導・激励があった。小憩の後、石橋御尊師より『十界の生命』と題して講義が行われ、昼食をはさんで午後2時半からは、尾林海外部長より『即身成仏の原理』と題し講義が行われた。この後、壮年部・婦人部・男子部・女子部の代表が決意発表に立ち、シンガポール全体の異体同心の確立を力強く誓った。最後に滝川御尊師からの閉会の挨拶に続いて、夕の勤行をもって合同研修会は大成功に終了した。

翌24日の午前は、各組織のリーダーに対して幹部指導会、午後からは世界貿易センターにおいて文化祭が開催された。収容人数の都合上、文化祭は二回に分けて行われ、出演者・運営担当者の他にそれぞれ約700名、計1400名以上のメンバーが参加した。文化祭のテーマをシンガポール全体の異体同心になぞらえて『私たちの家』とし、家族の心が次第に結束していくというストーリーの劇を演じた。この劇中で中国楽器による演奏、青年部によるモダンダンス、少年部による踊り、『長者窮子の譬え』をもとにした劇、壮年・婦人部によるコーラスなどが披露され、華麗でユーモアあふれる演目が続いた。フィナーレでは、多くの出演者たちの笑顔と涙が印象的であった。

この研修会・文化祭は、昨年8月の第二回海外信徒総登山でのシンガポール幹部指導会の折に担当責任者である滝川御尊師より発案され、その後、運営委員会が発足してから4カ月という短い機関で準備が進められた。企画・運営・出演すべてにおいて、四組織のメンバーを組み合わせてグループ化し、最初は互いに戸惑いながらも、滝川御尊師の指揮のもと唱題を重ねながら、昼夜を問わずひたすら成功に向けて努力してきた。その結果、組織間の壁を越えて異体同心の団結が進み、昨年はまさに「革進(改革・前進)」が成し遂げられ、さらに『出陣の年』の年頭を飾ることができたのである。これまでの心血のにじぬ努力と尊い決意を讃えると共に、今後ののますますの発展を折るものである。



総本山ニュース


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 唱題行 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本年も1月1日より一ヶ月間、総本山客殿において唱題行が執り行われ、31日に満行となった。御法主上人猊下は最終日の御言葉の中で、唱題行は御本尊様に対し奉りそのまま自分の命を御供養申し上げる趣旨であり、そこに自然と過去遠々劫以来の罪障が消滅し限りない功徳を成就する旨御指南あそばされた。さらに、今年の唱題行は『出陣の年』として、僧俗一致して宗旨建立750年に向う意義をもって御祈念されたことを述べられ、また特に折伏行については、「謗法の人々は、目の先に見えるところで色々と認識したり価値判断をしたりしております。しかし、我々は正しい仏様の教えを信じております。ですから、私どもは過去・現在・未来、つまり生まれる前の過去、現在の命、そして死んだ後という、この三世にわたって真の功徳を成就していくところに真の意義があることを深く考えつつ、特に本年一年は、皆様方が周りの人をたとえ一人でも折伏してこの正法に縁せしめていくという覚悟を持って自行化他の御精進を願いたいと存ずるのであります」との御指南があった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 節分会 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2月3日午後6時より、総本山御影堂において御法主日顕上人猊下のもと、節分会が厳粛に奉修された。塔中・山内の御僧侶・寺族・地元信徒多数がお待ち申し上げる中、御法主上人猊下が御出仕あそばされ、読経、引き題目と厳粛に進められた。この後、御法主上人猊下によって、「福は内、福は内」と内陣中央および東西に豆が撒かれた。続いて、御助番の御僧侶方によって、御宝前や堂内に豆が撒かれ、法要は午後6時半過ぎに終了した。その後、御影堂前にて炒り豆、福茶、甘酒、樽酒が振舞われた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 寒経 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


大坊の伝統行事である「寒経(かんぎょう)」が、大寒の1月20日から2月2日までの二週間、寒風の吹き込む総本山六壷において、午後6時より行われた。これは、大坊に在勤している所化・小僧差さんが、僧侶として必要な正しい読経・発声・姿勢などを学び、喉を鍛えるための修行である。総本山内に響きわたるほどの大声での読経のため、2・3日もすると声が枯れて日常生活での会話も聞き取りにくくなる。この『寒経』によって、御僧侶としての読経が練磨されていくのである。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 得度審査 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


1月30日・31日の両日、平成11年度の少年得度審査(小学6年生)が富士学林・教場を会場として行われた。応募者は30日の午前に着山し、午前11時より総本山塔中の妙住坊において説明を受けた。昼食の後、午後1時から富士学林教場において、国語・算数などの筆記試験が実施され、翌31日は午前8時半より、面接審査・身体検査が行われた。昼食の後、引き続き午後の審査に移り、2日間にわたる少年得度審査は滞りなく終了した。また2月6日、7日には、一般得度審査が富士学林教場を会場として行われ、筆記試験・面接審査が実施された。



『その国の仏法は、貴辺にまかせたてまつり候ぞ』
興福寺住職・青山聴瑩御尊師


<光栄ある任務をいただいた法華講>

 大聖人様は南条時光殿に、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は緑に従って起こる、是の故に一乗を説くなるべし」(御書1242頁)と、大変重要な御書を送られています。

 本年1月3日、好天に恵まれた総本山に、御法主上人猊下をはじめ全僧侶及び国内国外の信徒代表が結集し、平成14年・宗旨建立750年に向けて、決意に満ちた「出陣式」が執り行われ、その席上において御法主上人猊下が、最後に引用されて「出陣の意義」を御指南くださったのが、冒頭の、南条殿への御文であります。

 そのときの御言葉に、「この出陣式が、皆様一人ひとりにとって何を意味するか。すなわち、一人ひとりが、一人も漏れなく地涌の菩薩たる折伏の陣列に並ぶことが、出陣の意義と信ずるものであります。大聖人様は南条時光殿に対し、『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』と仰せであります。御本仏より仏法の弘通を任せられる、これほどの光栄がありましょうか。しかし、この出陣式参加の皆様こそ大聖人様より、その生活の場において大法の折伏を任せられたと信ずべきであります」(大白法517号)と、南条時光殿への期待を込められた大聖人様の御言葉を引かれ、現代の法華講衆の皆様方一人ひとりが、光栄ある任務を自覚し、折伏広布の陣列に参加することが、「出陣式の大切な意義」であるとお示しくださいました。


<大聖人様からの御命(ぎょめい)との決意を>

 また昨年8月の全国教師指導会で、御法主上人猊下は30万総登山について、「『今の猊下が六万総登山の時に言い出したことだ』と思うから駄目なのです。そう思うから真剣な覚悟ができないのです。これは御本仏大聖人様の御命(ぎょめい)であります」(大白法512号)と、各自の真剣な覚悟を求められましたが、私たちは「御法主上人猊下の御指南」とのみ意識し、「大聖人様の御命」と受け止めることがなかなかできません。

 そのような甘い認識だと、活動が中だるみ、先細り、尻すぼみとなり、目標の達成はできず、反対にこの意識の切り替え、改革ができたとき、支部も講員も、皆そろって折伏正法広布の陣列に加わることができるのであり、それを「出陣の意義」と仰せになっておられるのであります。


<目標は宗旨建立七百五十年>

 故に指導教師も支部の役員も、活動の目標を、御法主上人現下が出陣式当日の御目通りで仰せられた、「宗旨建立七百五十年の三十万総登山に向かって、それをはっきりと見つめつつ進むことが大切」(大日蓮636号)との御言葉に意識を集中し、万年一日のごとき甘い考えを捨て、「こんなことでは大聖人様に対し奉り、申し訳ない」と自覚し、支部も寺院も内部を意識改革し、外には3年後に迫った平成14年・宗旨建立七百五十年へ向けての活動と折伏に、僧俗が協力一致してその第一年たる本年度の目標達成に、全力で取り組んでいかなければならない重大な時を迎えています。

 御法主上人猊下は慶祝記念局委員会で、「慶祝記念の各事業を滞りなく完全に遂行することが、我々の仏祖三宝尊に対し奉る何よりの御報恩」(大白法516号)と示され、藤本総監殿は推進委員会で、「三十万総登山の達成の可否は、単に宗旨建立七百五十年の年の意義を左右するのみに止まらず、未来広宣流布への道を大きく開くか否かに関わる重大事である」と述べられましたが、まさに平成14年への三年間の信心活動は「日蓮大聖人様の私共への御命である」と僧俗全員が強い決意で受け止め、未来広宣流布に続く毎日の折伏弘通に全力で取り組み、大聖人様と御法主上人猊下の御指南に立派にお応えしていかなければなりません。


<邪義の破折を容赦(ようしゃ)する勿(なか)れ>

 今、人間的に邪悪下劣な池田教に見切りを付けて創価学会を脱会する人々が、国内のみならず国外では数十万に達し、学会本部はこの事実を会員に隠すため「学者と懇談した」「勲章をもらった」と、俗物的な名誉、名利名聞の宣伝を繰り返し、利欲の世界に執着している学会貝は、宗教心に目覚めることができません。しかしこの人たちを、どうしても救っていかねばならないのも我々の因縁です。法華講員は、そのことをよく悟ってください。冒頭の「仏種は縁に従って起こる」との御文のごとく、仏縁を作って順逆二縁ともに救っていくのが法華経であり、御本仏日蓮大聖人様の大慈悲です。彼らにもう一度、成仏の仏縁を結ばせるため努力を積み重ねていきましょう。

 特に御法主上人現下は、本年の『新年の辞』において、「ここに強く願うことは全国の指導教師と教師全員が、自ら広布の道を切り開くの覚悟を以(もつ)て、年頭よりの前進を開始されることである。特に創価学会の偽(いつわ)りや邪義の謗法破折を容赦する勿れと申し上げておく」(大日蓮635号)と、僧侶・指導教師が覚悟すべき心を、特に厳しく指摘されています。学会員以外の人を折伏していくと同時に、今、邪宗教に堕落した創価学会が、経済的圧力を駆使して奉安堂建設を妨害し、近い将来、やがて同じ邪宗教同士と手を結び、強大な政治権力を動員して、宗門に対し大迫害を加えてくる日が遠くないであろうことを、我々はしっかり認識しておくべきであります。


<その国土の正法弘通は我らの使命>

 今、日蓮大聖人の仏法通りの折伏を行じ、世界各国、また各自の地域広布を目指して努力しているのが、真の日蓮正宗であり法華講であります。大聖人様が「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候」と、その地域での実践活動に全面的な信頼を寄せられた、南条時光殿をはじめ熱原法華講衆に続くべき現代の法華講の皆様が、「その国」「その生活の場」での厳しい世相のなかで、全力を挙げて折伏弘教に取り組み、宗旨建立七百五十年の慶祝に向け、人生最大の努力をしていくべき大きな使命を大聖人様からいただいたと、僧俗全員が強く意識して活動すべきであります。

 御法主上人猊下は年頭の「出陣式」で、「さあ皆さん、深い信心に住し、異体同心に楽しく高らかに題目を唱え、いかなる難をも忍び、一歩も撓(たゆ)まず、一年に一人が一人の折伏をなさんとの誓願を立て、本日より宗旨建立七百五十年に向かい、正法護持と折伏の歩みをしっかり進めてまいりましょう」(大白法517号)と、世界各地から参加された海外の友を含む宗内の僧俗全員に、声高らかに呼び掛けられました。皆さん、この御法主上人現下の御心に応えて平成14年を目指し、各人が全力を挙げてこの3年間の折伏広布の戦野に「出陣」していこうではありませんか。皆様の一層の決意と御活躍を祈ります。

この原稿は日正寺の福原さんの御協力で転載いたしました




『30万目指し境涯開く信行を』
連合会青年部長・井出国弘


 1月3日、「出陣式」をもって、御法主日顕上人猊下の御もと日蓮正宗僧俗は、平成14年・宗旨建立七百五十年に向かって勇躍スタートしました。我ら法華講衆は、日蓮大聖人様が、建長5年4月28日に初めて南無妙法蓮華経とお唱えあそばされてから、あと3年で750年の歴史を迎えます。しかも我が日蓮正宗は代々の御法主上人猊下の、謗法厳誡の忍難の歴史により750年前の姿、形、味も香りも変わることもなく現在まで続いています。熱原法華講衆以来、幾多の諸先輩が、時の御法主上人猊下の御もと、ある時は「針金宗旨」と言われながら、大聖人様の御遺命である「広宣流布」を目指して忍難弘通に精進してきました。

 「出陣式」の砌、御法主上人猊下は、「この出陣式は、真の大法の功徳が日本乃至、世界に向かって広宣流布する幕開けの儀式とも言うべき」(大白法517号)であるとの御言葉を賜り、「まさしく妙法広布の大願をもって進む地涌の菩薩は、我ら日蓮正宗の僧俗、法華講の皆様のほかに、どこにありましょう。どこにもけっしてない、と断言するものであります」(同)と仰せられました。この御法主上人況下の大慈大悲にお応えするには、各地方部の国土世間、地域特性に基づき、地域広布のために一致団結し、各支部においては、指導教師御住職、御主管の御指導を受けきって、30万のうち各支部が戴いた目標は、「日蓮大聖人様の御命である」との自覚が大切であります。この法華講30万総登山の達成には、唱題に唱題を重ねることによって自分の境界を開くことであります。法華講が御法主上人猊下の御もとに真の広宣流布を目指して進むならば、個人はもとより、法華講全体にも、内からも外からも「魔」が現れてくることは必定であります。

 思えば、平成6年の地涌六万大総会、そして平成10年の客殿新築落慶記念10万総登山を迎えるにあたり、多くの心ある青年の方々が支部での信行、そして仕事、学業をやり抜き、その準備のために数カ月にわたり御奉公されました。総会も、また10日間の大法要も御開扉をはじめとする各行事がほぼ時間通りに無事行われたとき、仏祖三宝尊の御照覧のもと、御法主上人猊下の大慈大悲の尊さを心より感じ、「すべては御仏意によってなされることであり、我々はただひたすら御奉公の誠を厚くす以外に何もない」ということを教わりました。「俺が俺が」という我見は厳に慎み、御法主上人猊下に導かれ、御指南のままに素直に正直に信行に励むならば「魔」は退散し、すべてが成就されるということであります。

 また、御奉公の誠を尽くすならば、今よりもさらに体が健康になり、生活も守られ、信行に励める必要最小限の経済力も身に付き、世間の不況に巻き込まれることはなく、職場でも信頼される人となり、自分の周りを折伏してきた結果として、家族を含めみんなが信心根本の生活を送ることができ、ますますいつでも御奉公できる環境になってきます。そしてその信行の姿を見て、子供たちが、「自分もあのようになれるのか」と確信をもち、世法に迷うことなく、信心第一、生活第一の現実を学び、真の法統相続へとつながっていくことを確信いたします。

 さらに御法主上人猊下は、「この出陣式が、皆様一人ひとりにとって何を意味するか。すなわち、一人ひとりが、一人も漏れなく地涌の菩薩たる折伏の陣列に並ぶことが、出陣の意義と信ずるのであります」(同)と御指南であります。我ら法華講は、本門戒壇の大御本尊様をお迎え申し上げる奉安堂建立等の御供養を今年度から3年間にわたり、毎年毎年させていただけます。この真心の御供養を通じて、さらに大きく境界を開けるのです。一人でも多くの方々が共々に御供養させていただくことが大事です。

 さあ、これよりは支部あげての大折伏戦を展開し、その地域(地方部)全体が横のつながりを取り合いながら、全国一体となって進む時と覚悟を決め、御法主上人猊下の御指南のままに、総講頭・柳沢委員長のもと、折伏戦線の一大連携を取り合って三十万達成を目指してまいろうではありませんか。



裁判ニュース


☆ 離脱僧大塚に対し、東光寺明け渡し命令


1月27日、仙台高等裁判所(第三民事部)は、一審・盛岡地裁判決を全面的に支持し、東光寺住職を罷免(懲戒)処分に付された大塚順妙に対して、同寺の建物明け渡しを命じる判決を下した。

大塚は、赴任後間もない平成5年1月突如東光寺の法華講の総代(責任役員)5名全員を一方的に解任し、併せて地元の創価学会員をらを勝手に総代に選任して日蓮正宗からの宗派離脱を決議した。この大塚の違法行為に対し、宗務院は同年5月5日に大塚を召喚し、違法な総代解任を撤回するよう厳命したが、何ら是正の措置をとらないばかりか全く反省する姿勢もないため、宗規規定の厳正な手続きを経て、同年6月5日に住職罷免の懲戒処分に付した。(さらに、その後大塚は事務引継ぎを拒否したため、同年7月24日に擯斥処分を受けている)。

大塚は、罷免処分を受けた後も違法に東光寺を占拠していたため、東光寺(代表役員・渡瀬雄卓御尊師)として寺院の明け渡しを求める訴訟を提起し、既に一審・盛岡地裁によって宗門全面勝訴判決を勝ち取っており、二審・仙台高裁判決はこれに続くものである。

大塚は、日蓮大聖人の教えを実践し、信徒の意志に応えるためには、宗派離脱する以外になく、そのために日蓮正宗代表役員の上人を受けずに責任役員(法華講信徒総代)を解任するよりほかなかったなどと手前勝子な理屈をもつて、解任行為には正当な理由があると主張していた。

喜多村裁判長は、「教義ないし信仰の内容による事由は宗教団体の執行機関の命令に従わないことについての、『正当の理由』に当たらない」と大塚の主張を明確に斥けた上で、さらに罷免処分について、「控訴人(大塚順妙)が宗規及び被控訴人(東光寺)規則に違反して解任行為を行ったこと、及び解任行為の撤回を拒否し、訓戒に従わなかったことを理由とするものである」と正しく認定したた。また、東光寺の建物明け渡しを命じた一審判決を全面的に支持し、大塚の控訴を棄却する、判断を下した。

東光寺建物明け渡しの高裁判決が下ったことにより、離脱僧(学会僧)らの寺院不法占拠は、違法な手続きによるものであることが一層鮮明となった。以後、全国各地で行われている同種の訴訟においても、本日の判決に倣い、離脱僧に対し寺院明け渡しを命じる判決が下されることを確信する。


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☆ 正覚寺が逆転勝訴(新潟遺骨事件)


引き取った遺骨が預けたものと異なるとして、新潟市内の創価学会員が、正覚寺(佐藤一応住職)に対して500万円の慰謝料を請求していた訴訟の控訴審判決が1月28日、東京高等裁判所であり、新潟地裁での不当な判決を取り消して学会員の請求を棄却し、正覚寺に逆転勝訴判決を言い渡した。

原告学会員は、昭和37年に水子の遺骨を正覚寺に納骨し、30年後の平成4年2月に正覚寺よりこの遣骨を異議無く引き取り、創価学会村上会館納骨堂へ改葬した。ところが、引き渡してより1年3カ月余も経過してから、引き取った遺骨が水子のものではなくて、大人のものであるから異なるとして、訴訟を提起してきた。

地裁判決では、創価学会側の供述のみを採用して、この遺骨は容器から流出して紛失した可能性が認められるなどと、明らかに事実を誤認した判断をなし、正覚寺に100万円の支払命令を下していた。正覚寺側は、直ちに東京高裁に控訴していたものである。

高裁では、本件遺骨が創価学会会館納骨堂に改葬された後で、同管理者により、原告学会員から「事情も聞かず、かつ、同人の立ち会いなく」遺骨容器を開けられていた事実経過を認定するとともに、原告学会員の正覚寺より遺骨を引き取ってから提訴にいたる間の不自然な経過を指摘。加えて昨今の学会の宗門攻撃という背景事情も認定して、原告の証言は採用出来ないとした。そして、正覚寺に対しては、預け入れ遺骨をそのまま原告に変換しており、他の遺骨と取り違えたり、容器を換えたりしなかったと認められるとして、一審を取り消し、学会員の請求を悉く退ける逆転判決を言い渡した。

この事件は、創価学会村上会館の納骨堂管理者のもとで、不明朗な経過があることなどからも、新潟の創価学会の策謀により本件訴訟が仕組まれたものであることが明らかである。




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