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『創価学会員への折伏教本』を読んで
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human6 kazuko 2004/12/07 01:57:08
[No.32]「円満脱会」崩壊
昨日一昨日は、くやしくて、涙が止まらんかった。
・・・。
両親も、こっちのマンションで生活するようになりました。
一昨日、おかあちゃんがポロッと、
「なんか同居するからと言う事で、本尊返納なってるみたいで、
 ○○さんも(学会の人)、よかったなぁ言うてたよ」て。
その瞬間怒り爆発!
婦人部長にわたした返納届けと脱会届はうやむやにされ、
2所帯同居という処理で本尊返納の形にされていたと言うのです。
脱会はされていなかったんです。
すぐメールで抗議し、昨日話しに来てもらいました。

第一声「婦人部長には失望した」と言いました。
あれだけお互いの意思を確認し合い、
とりあえず、承諾してもらって返納届けをわたしてもらったのに、
あの数ヶ月のしんどい作業や、届出の意味はなんだったのか?
と、泣きながら抗議しました。

「ちょうど同居の話しが出たので、
 私の判断で縁をきらせないためにも、よかれと思ってやった」て言うので、
「どんだけ相手のためでも、だましてまでやったらあかんやろ?!
 相手のためにと言うのは、まず相手の意思を尊重することじゃないのか?
 今回は、こんなに人の努力や信頼を踏みにじられて、あきれる」
「だますつもりではなかった、縁をつないであげたかった
 学会の人なら誰でもそうする」
と彼女も泣いていました。
「自分の仏縁は自分で守る!学会の人に繋いでもらわんでいい!
 どんな理由があっても、だましたりウソをつくことはしたらあかんやろ!
 <どんな手段を使っても>・・・学会のやり方そのものやん。
 そういうのがイヤやから、脱会するんや!」

・・・なんて愚かな事をするのかと残念です。
せっかくいい関係を続けていけるとおもってたのに、
今回の件では婦人部長にはとても世話になって、
いつか機会があれば、何かでお返ししたいと思っていたのに、
みごとにうらぎられました。
「婦人部長だけは、と思っていたが、
 今回の事で、話し合いをする相手ではないとわかりました」と言いました。

もう何も信用できないので、
先に渡した本部長の印鑑を押した返納届けと脱会届を返すよう言いました。
自分で本部に持って行きます。

こんなことになってくやしかったけど、
昨日はおかあちゃんが、割ってはいるほど婦人部長を責めたので、
もう、すっきりです。
かえって、今後一切学会側に気を使うこともなくなったので、せいせいします。

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human6 kazuko 2004/12/09 23:56:19
[No.32 - 2]Re: 「円満脱会」崩壊
>竹の節の所にある薄い膜を上へ下へ行ったり来たりしているだけ・・・という感がしなくもありません。ちょっと、冷たい言い方でしょうけれども。(なんか蟻地獄みたい)

はい、仏様にはかなり縁遠い境地のようです(笑)

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human1 しぶけん 2004/12/09 00:28:28
[No.32 - 1]Re: 「円満脱会」崩壊
そうやって創価学会の「公称812万世帯」が維持されているわけです。言論出版妨害事件から平成2年までに全国の日蓮正宗寺院で学会員に下付された御本尊の数と(※ちゃんと)返却された数は、埼玉県などの一部の地域を除いて、ほぼ拮抗すると聞いていますから、実態は推して知るべしといったところです。

kazukoさんの脱会届がうやむやにされたようですが、私の方から見ますと、創価学会から脱会しただけでは学会員として積んだ罪障が無くなるわけではありませんので、どちらにしても竹の節の所にある薄い膜を上へ下へ行ったり来たりしているだけ・・・という感がしなくもありません。ちょっと、冷たい言い方でしょうけれども。(なんか蟻地獄みたい)

でも、これからは学会に気を使わないと自分の中で割り切れたのであれば、精神的は健康には良いかもしれません。まぁ、良い方向に考えるようにしましょう。

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human5 Nicchi 2004/11/26 09:54:40
[No.30]はじめまして
しぶけんさん、ずっと長いことこのサイトにお世話になっておりますが、書き込みははじめましてです。
『折伏教本』を読んでおります。私自身は現、法華講員ですが、幼いころは学会員であったことからも、現在、学会と正宗とがこのような関係になってしまったことが哀しくて仕方ありません。
私の中での疑問やもやもやしたものを晴らす為にも、このご本はとても有効でした。また、もちろん折伏にも役立てております。
このような掲示板を設けて頂いたしぶけんさんにも、とても感謝しております。ありがとうございます。

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human1 しぶけん 2004/12/09 00:40:15
[No.30 - 1]Re: はじめまして
書き込みありがとうございます。このところ忙しくて、お返事が遅くなりすみません。今までは、学会からの疑難一つに回答するにしても、記憶を頼りにするか、色々と調べものをしなければならず、それなりに知識や経験も必要でした。『折伏教本』が出版されてからはとりあえず関係する項目を参照することで、方針を立てるのが楽になりました。特に、途中から法華講に入った人ほど、さかのぼって問題の全体像を把握するのに役に立つのではないかと思います。

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human6 kazuko 2004/11/23 22:59:02
[No.29]本尊返納申込書
昨日、本尊返納申込書に脱会届を添えて婦人部長に提出いたしました
今月18日付で正式に脱会いたしました。

「いろいろお世話になりました」
「これからもよろしく」と、
一段落した会話の後で、
「今月ちょっと、困ってるから、1ヶ月でも新聞とってくれへん?」
やて・・・・。
もぉぉぉぉ!!、こんだけ彼女には説明したのに・・・。
ずっこけそうになりました。
「他のことなら協力するけど、学会の事だけは出来んよ!絶対ムリ!」
彼女しょげて、かわいそうな気もしたけど、そりゃないよね?

何言うてんのぉ!!、と思いますが、
それだけ、なりふりかまわず、やらなあかんのかなぁと、
気の毒になります。
そんなばかばかしい事に、
彼女みたいないい人が囚われていることに、
早く気づいてほしいな。

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human1 しぶけん 2004/11/26 21:19:19
[No.29 - 2]Re: 本尊返納申込書
聖教新聞は東大の総合図書館にもありますので、たまには目を通します。しかし、コラムにしても座談会にしても読むに耐えない口汚い表現が並んでいますので、すぐに気持ちが悪くなってしまいます。品格に関して言えば、佼成新聞やら神社新報の方がよっぽどマシではないでしょうか。

このように品行下劣な情報は児童の心の穏やかで健全な発達を阻害する事が心配されますので、小中学生のお子さんのいらっしゃる御家庭では、聖教新聞は子供の目に届く場所に放置するべきでないでしょう。また、創価学会員の家庭では聖教新聞しか購読していない場合もあるようですが、子供さんが国語や社会の授業や宿題で新聞を読むことを勧められる場合も多いですから、聖教新聞以外の「普通の新聞」も取るように心がけたいものです。

中には組織の都合により複数部の聖教新聞を購読して費用の負担が大きかったり、あるいは家計の都合により新聞を一部しか購読する余裕がない場合もあるかもしれません。その場合は、思い切って聖教新聞は中止して「普通の新聞」に切り替える事を強くお薦め致します。創価学会の方はよく「対話」ということを仰いますが、外部の人との対話は社会常識の上に成り立つものです。幾ら日刊だからといって、戦争等のニュースよりも誰かさんの名誉○○号の方が一面トップに来るような新聞を、一般社会に通用する情報源のように錯覚してはなりません。

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human1 Cyber-K 2004/11/26 01:05:25
[No.29 - 1]Kazukoさん
学会は、最後の最後に新聞勧誘ですか。
呆れますね。勧誡の報告待ってます。

http://freett.com/kunimax/
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human1 コイヌ 2004/11/03 22:57:29
[No.27]信教の自由
「信教の自由」と言うのは政治の考え方で、宗教の考え方では無いのですよ。
最近は宗教者も、自分の教団を保護するのに都合がいいですから、信教の自由を
唱える人が多いのですが、宗教の信条には、もともと信教の自由と言う考え方はありません。
自由と言うことは、自分も他人も信じても信じなくてもいいわけですから、
そんなあやふやな気持ちで、信仰と言う信念で宗教を開く事はできないのですよ。
政治が宗教に絡んで、ろくな時代がありませんでした。ですから、その反省に立って、
「政治に宗教は分かりませんから、干渉はしません。でも責任で信心してください。」
と言う意味なのですよ。でも、自己責任ということを忘れて、自由だけを振りかざすから、
中には、オウム真理教いたいのも出てくるわけです。
だから、自由と言う前に、本当にその宗教でいいのか、どうか、しっかりと考える事が大事なのですね。
しかし、考えるには、その材料が必要です。ですから正宗なら正宗の人が、
何を言っているのか、よく聞くことが大事でしょう。
大聖人様は、言うことと、行動と、思いが一致することが大事だと、おっしゃっています。
どんな気持ちで御題目を唱えるのは、自由でしょうが、心と行動が御題目の教えに沿っていないと、
本当の喜びは味わえないんじゃないでしょうか。

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human6 kazuko 2004/11/04 17:48:55
[No.27 - 1]Re: 信教の自由
> 「信教の自由」と言うのは政治の考え方で、宗教の考え方では無いのですよ。
> 最近は宗教者も、自分の教団を保護するのに都合がいいですから、信教の自由を
> 唱える人が多いのですが、宗教の信条には、もともと信教の自由と言う考え方はありません。
そうですよね。
ただ現実問題として、政治といい、戦争といい、ほとんどが宗教がかかわり、警戒しています。
今回のブッシュの勝利も、一部の報道では、
かなり宗教色の濃い選挙戦のように感じました。
このままブッシュの強硬路線が続くようなら、
恐ろしく思います。
また、日本人の人質殺害でも、
犯行声明分では、「信仰心のないものとして」みたいな事を理由に挙げ、
表向きには宗教信念のもと、処刑されたかたちになりました。
こういうのを見ると、宗教団体に所属するのをためらいます。
宗教そのものに警戒すると言うよりは、
宗教が、大きい権力に必ず利用される事に反感を感じます。
純粋な信者を利用する者に嫌悪感を感じます。

> 自由と言うことは、自分も他人も信じても信じなくてもいいわけですから、
> そんなあやふやな気持ちで、信仰と言う信念で宗教を開く事はできないのですよ。
はい、それで悩んでおりましたが、
しぶけんさんの助言で、
わたしはまだまだ、宗教を開くなんて事とは程遠い者で、
また、今はまだあせってそこまで行かなくてもいいんだと思う事もでき、
気楽な気分になっているところです。

> 大聖人様は、言うことと、行動と、思いが一致することが大事だと、おっしゃっています。
> どんな気持ちで御題目を唱えるのは、自由でしょうが、心と行動が御題目の教えに沿っていないと、
> 本当の喜びは味わえないんじゃないでしょうか。
わたしのやってる事言ってる事なんか、
人から見たら、まったくちぐはぐで、滑稽にさえ見えるでしょうが、
こちらの掲示板で、こんなわからん者にも、
いろいろアドバイスしてもらって、
今やっと自分の中だけですけど、
言うことと、行動と、思いがちょっと揃ってきたかなぁというところです。
本当の喜びなんかは、程遠いだろうと自覚しました。

> ですから正宗なら正宗の人が、
> 何を言っているのか、よく聞くことが大事でしょう。
そのような機会を持つことは、大切だと感じています。
こうやってみなさんの意見を聞ける事をありがたく思っています。
インターネットがあってよかった。

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human1 しぶけん 2004/10/13 02:06:43
[No.25]お題目
> いろいろと親切に助言をしてもらってるしぶけんさんの
> 思いとは裏腹に、まったく違う方向へ行こうとしてるみ
> たいで、申し訳ない・・・。

南無妙法蓮華経というのは、単なるお呪(まじな)いや何かの文句ではないのです。そうだと思っているのか、自分勝手に題目を唱える新興宗教は非常に多いのですが、日蓮大聖人様は何でもいいからとにかく唱えさえすればいいのだ、というような事は仰っておりません。

kazukoさんは、御開扉は受けられたことはあるのでしょうか?

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human6 kazuko 2004/11/04 17:11:14
[No.25 - 8]Re: お題目
>現状としては、そこからスタートするしかありませんね。
はい。

>そして、決して他のものには手を合わせないことです。
はい、その気持ちだけは、かけらもありません、たぶんこれから先も。

>いつか御本尊様のもとに戻ることもできることでしょう。
「いつかは」その気持ちは持っています。
何回生まれ変わった先かわかりませんが。

>御自分の生活に照らし合わせながら、時間をかけて考えて下さい。
はい。
今月は最後の同中に行ってきます。
まずはそこからと思っています。
ヘンコな性格なので、
とてつもなく、回り道すると思いますが、
ひとつひとつ納得してから進みたいと思っています。

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human1 しぶけん 2004/11/03 21:15:33
[No.25 - 7]Re: お題目
> しぶけんさんのレスを読んで、そう解釈した私は、
> 三唱して、ほっとしました。

現状としては、そこからスタートするしかありませんね。


> 正本堂が出来てからは、中学のとき行きました。
> その時は曼荼羅の大きさに感動しました。

大御本尊様を思い出しながら、大石寺の方角に向かって、お題目をあげて下さい。そして、決して他のものには手を合わせないことです。いつか御本尊様のもとに戻ることもできることでしょう。今世でどうするかは、自分の意思で決めるしかありません。

あとは、「体曲がれば影ななめなり」(諸経と法華経と難昜の事)との御金言について、御自分の生活に照らし合わせながら、時間をかけて考えて下さい。

※御書は難しいと思いますが、ここは仏様の言葉でなくては意味がないところですので、ガマンして読んで下さい。

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human6 kazuko 2004/10/31 01:38:00
[No.25 - 5]Re: お題目
毎回、適切な御書を示してもらってるのに、
ちょーっと難しくて・・・・全部はわかってないと思いますが・・・。

では、こんな者でも、題目を唱えてていいってことですね?
赤ちゃんが母乳を飲むように、
意味も知らず歌を歌うように、
大嫌いな苦い薬を飲むように。

私の場合は、
大切な「折伏」に大きな疑問を感じ、
この宗教を唯一無二だとも思っていず、
「信仰の自由」の方を重視し、
いちお同じ日蓮正宗をしてる同胞に反感すら感じ、
もう宗教団体にはどんな立派な所にも近寄りたくもないと思ってて、
こうやってしぶけんさんに頼りながらも、
山のお寺に行く気は今はまったくなく。
まったく佐藤さんに鈴木さんと呼びかけるような、
仏様に対して失礼千万な事をやってるわたしでも、
題目をとなえていいってことですね?
ものすごく間違ったままでも、唱えていいんですね?

いやぁ、しばらく題目あげてなかったでしょ。
わたしみたいなもんが、したらあかんとおもて。
なんか、いややったですわ。
習慣的になってたものをを強制的にがまんしてるので、
つろーて、苦しい感じ。

しぶけんさんのレスを読んで、そう解釈した私は、
三唱して、ほっとしました。
水を得た魚のようになりました。

何回も聞きますけど、
いいんですよね?三唱してて、わたしでも。

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human1 しぶけん 2004/10/26 01:17:21
[No.25 - 4]Re: お題目
>位の低い人間にでも、やってほしいのかなぁ?

さて、「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり」(教行証御書)の類文として、観心本尊抄には「一念三千を識(し)らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を包み、末代幼稚の頸(くび)に懸けさしめたまふ」があります。「五字」とは妙法蓮華経のことであり、「末代幼稚」とは我々凡夫のことです。

古老の例え話を借りますと、昔、ある所に当代随一と言われる裁縫の名人がいたそうです。その方は娘に跡を継がせようと幼い頃から刺繍などを教えましたが、残念なことに全く勘所が悪かったのです。ところが年月を経て、孫には非凡な才能があることが分かりました。しかし、孫の成長を心待ちにするには年を取りすぎました。そこで一計を案じて、奥義を歌にして鞠つきを教えたのです。やがて孫は周りから注目されるほどの技術を身につけましたが、行き詰まりを感じていました。そんなある時に、ふと亡き祖母が幼い頃に教えてくれた遊び歌を思い出して、遂にその極意を得て大成したそうです。

妙法蓮華経の五字には、御本仏様の因行果徳の二法が詰め合わされており、最初はその意味が全く分からなかったとしても、自然にその功徳を譲り与えられているのであります。或いは、日蓮大聖人様は四信五品抄に「小児乳を含むに其の味を知らずとも、自然に身を益す」と仰せ遊ばされております。母乳には嬰児に必要な栄養素が全て具わっているのであり、その乳を含めば自然と成長するのです。

末法の衆生は、過去世において一度も妙法の下種を受けていない荒凡夫です。したがって、在世ないし正像の衆生とは違い、直ちに教法を理解して悟りを開くというような上等な機根は、誰も持ち合わせておりません。ですから、脱益の仏様である釈尊が高貴な王族の出身であるのに対して、下種の仏様である日蓮大聖人様は敢えて外房の漁村に生まれられ、自ら「旃陀羅が家より出たり」(佐渡御勘気抄)と述べられております。ちなみに、旃陀羅(せんだら)とは、殺生を生業とする職業(屠殺業)で最下級のカーストを指します。その心は、末法の荒凡夫に御身をもって即身成仏のお手本を示されるためであり、また毒鼓の縁(逆縁)によって広く下種するためでもあり、更に三類の強敵を誘発して法華経を身読されるためでもあります。

涅槃経には、「譬如七子、父母非不平等、然於病者心則偏重」と説かれています。即ち、親が子供を思う気持ちは平等であるけれども、その中の一人が病気であったならず、その子のことを最も心配し看病するのは当然のことです。同じように、「醜い争いを続ける者や、犯罪者など」(末代幼稚)ばかりであるからこそ、なおのこと仏様は深く憐憫の情を垂れられるのであります。

而して、寿量品の長行には、「此の大良薬は、色香美味、皆悉(ことごと)く具足せり。汝等(なんじたち)服すべし。速やかに苦悩を除いて、復(また)衆(もろもろ)の患(うれい)無けん。・・・汝等当(まさ)に知るべし。我今衰老して、死の時已(すで)に至りぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在く。汝取って服すべし。差(い)えじと憂うることなかれ」と説かれています。もちろん良医とは仏様であり、誤って毒薬を飲んで悶え苦しむ子供達というのは、別して末法の衆生のことです。

観心本尊抄に戻れば、「今の遣使還告は地涌なり、是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経なり」と明かされているように、衆(もろもろ)の患(うれい)に苦しむ末法の衆生のために仏様が留(とど)め遺された「是の好き良薬」とは、南無妙法蓮華経に他ならないのであります。そしてその具体的な処方として、本尊抄の続きを拝しますと「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と宣言されているように、南無妙法蓮華経の御本尊を抜苦与楽の妙薬として与えられたのであります。

日女御前に与えられた御手紙を拝して、今日はここまでにいたしましょう。「此等の仏菩薩大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此の御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明にてらされて、本有の尊形となる。是を本尊とは申すなり。(中略)かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸をまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼(かし)こへまはり、此へより、日女御前をかこみまほり給うべきなり」と。どんなに勝れた薬があっても、取って飲まなければ効能はありません。

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human6 kazuko 2004/10/22 01:04:20
[No.25 - 3]Re: お題目
>それは、御授戒(ごじゅかい)です。
そやったそやった(笑)・・・;

学会では昔山へ行けば福運がつめると言って、
親には定期的に登山が回ってきていました。
わたしも、それに、ついていきました。
その時は小さいので、大広間のたたみしか覚えていません。
正本堂が出来てからは、中学のとき行きました。
その時は曼荼羅の大きさに感動しました。
これは御開扉にはいるのでしょうか?

・・・正本堂・・・ありましたねぇ・・・。
公共事業を思い出します。
人のお金を集め、無駄なものを莫大な金で作る。
ただ作ることが目的で、結局無駄にしかならない。

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human1 しぶけん 2004/10/20 23:12:11
[No.25 - 2]Re: お題目
(1)御授戒について

>小さい時、お坊様に棒で頭を撫でられる儀式?

それは、御授戒(ごじゅかい)です。御義口伝に「頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり」とあるように、御本尊様を頭に頂戴することによって、妙法の戒体が身に具わるのです。

この妙法の戒体とは、教行証御書に「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり。此の五字の内に、豈万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持つて後、行者破らんとすれど破れず。是を金剛宝器戒とや申しけん」とあるように、行者が仮に退転しても下種は未来永劫に失われず、必ず仏様と出会って成仏する因となるので金剛宝器戒(こうごうほうきかい)とも呼ばれます。

したがって、日蓮正宗では入信に当たって、必ず寺院の御宝前において手継の師匠(住職)より、この金剛宝器戒を受戒するのです。参考までに御僧侶が読む御授戒文を挙げると、

(1)今身より仏身に到るまで、爾前迹門の謗法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を持(たも)ち奉るや、否や。(持ち奉るべし)
(2)今身より仏身に到るまで、爾前迹門の邪法・邪師の邪義を捨てて、正法・正師の正義を持ち奉るや、否や。(持ち奉るべし)
(3)今身より仏身に到るまで、爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや、否や。(持ち奉るべし)

というものです。教行証御書の続きに、「是くの如くいみじき戒なれば、爾前迹門の諸戒は今一分の功徳なし。功徳無からんに、一日の斎戒も無用なり」とあるように、虻蚊戒のような煩瑣な細目はありません。禁止事項は謗法厳戒のみであり、あとは三大秘宝受持の一行に約して即身成仏の大戒を受けるのです。そして、三番目の御授戒文で「持ち奉るべし」とのお誓いが嘘・詐りでないことを再確認して、入信の儀式は終わりになります。


(2)御開扉

更に、教行証御書の続きにおいて、「但(ただし)、此の本門の戒を弘まらせ給はんには、必ず前代未聞の大瑞あるべし・・・抑(そもそも)、当世の人人何の宗宗にか、本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず」あるいは、「已に地涌の大菩薩上行出でさせ給いぬ。結要の大法、亦弘まらせ給うべし」と密示されているように、諸仏の万戒の功徳を納める妙法五字の御法体とは、日蓮正宗総本山大石寺に厳護されている三大秘宝惣在の本門戒壇の大御本尊様なのです。

そして、御開扉(ごかいひ)というのは、この大御本尊様にお目通りして、過去遠々劫の謗法罪障消滅を御祈念する儀式をいいます。めろんぱんさんへの回答で述べましたように、戒壇の大御本尊様は広宣流布の暁に本門寺の戒壇堂に御安置される御本尊様でありますので、それまでは御法体を相承あそばされる御法主上人猊下の御判断により、内拝(ないはい)という形で、登山参詣した篤信の信徒に対して拝謁が許されています。その際に、何重にも閉ざされた扉が開かれることから、御開扉といいます。法華講員でも、お山に行ったら御開扉を受けるのが、ごく当たり前の事ように感じている人がいるかもしれませんが、それは考え違いです。

そして、御開扉を戴くということは、経王殿御返事に「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」と仰せ遊ばされるように、生身(しょうしん)の日蓮大聖人様にお目通りすることと等しいのでありますから、「此の砌(みぎり)に望まん輩は、無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」と南条殿御返事に示される御利益を戴くことになるのであります。

ですから法華講員の信心は、女性である日妙聖人が鎌倉から遙々と娘を連れて佐渡の大聖人様を訪ねられたように、あるいは阿仏房が高齢の身にありながら身延の大聖人様を三度も訪ねられたように、常に大御本尊様を恋慕渇仰する素直な姿でありたいものです。

※創価学会では御授戒も御開扉もありませんから、読んでいて内容が分かりずらいかと思います。戒に関する化儀・化法は、創価学会が日蓮正宗から破門されてから、最も粗雑に扱っている事項の一つではないかと感じます。

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human6 kazuko 2004/10/14 03:42:09
[No.25 - 1]Re: お題目
> 南無妙法蓮華経というのは、単なるお呪(まじな)いや何かの文句ではないのです。そうだと思っているのか、自分勝手に題目を唱える新興宗教は非常に多いのですが、日蓮大聖人様は何でもいいからとにかく唱えさえすればいいのだ、というような事は仰っておりません。

そうですよね。
小さいときから習ってきました。
唯一無二の絶対的なもので、最も戒律の厳しいものだと、教えられてきました。
祈るときはそのつもりで祈ってたんやけどなぁ・・・。
でも、今回みたいに、じっくりと考えてこなかった。
考えたら、こういう結論で悩むのがわかってたから、
「見なかったことに」してた 。

> kazukoさんは、御開扉は受けられたことはあるのでしょうか?
???読み方もわかりませんが、
小さい時、お坊様に棒で頭を撫でられる儀式?
それやったら、しましたけど。

わたしが躊躇してる理由は、やっぱり完全にこの仏様が一番であると信じ切れてないからでしょうね。
と言うより、ますますわたしにとっては縁遠い信仰に思えるからです。
だってマザーテレサでも成仏できないなら、
わたしなんか、身分で言えば「畜生」(こないだ池田君に言われた)。
そんな崇高な信仰に触れるのもおこがましいような・・・。
べつに、謙遜していってるわけじゃないんです。
まじで、そう思う。
せめて、生まれ変わるたび、ちょっとでも身分の高いのに生まれ変わって、
「人界」「天界」くらいになったら、この日蓮正宗と出会ってもよさそうな・・・そんな感じ。

日蓮さんだって、位の低い人間にでも、やってほしいのかなぁ?
醜い争いを続ける者や、犯罪者などが、この日蓮正宗をやってるのを見ると、
日蓮さんが気の毒になる。

位の低いものは、何回も生まれ変わって、
それなりの資格を持ったときに、
初めて触れていい最高レベルの信仰じゃないですか?

この信心をするものは、必ず成仏できるとされているけど、
この信心を貫くものは、必ず法難を受けるんでしょ?
厳しい修行をやってきた坊様でもその法難で逃げ出すほどのものですよ。
普通の、邪念でいっぱいの人間がやっていいのかなぁ?
ちゃんとできるのかなぁ?
そんな位の低い人間がしようもんなら、
かえって今の私のように混乱するんじゃないでしょうか?

あたし、成仏できんでええから、法難受けたくないって思ってしまうんやけど(笑)

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human4 めろんぱん 2004/10/09 21:51:17
[No.24]質問!
聞きたいのですが・・・。
日蓮大聖人の教えを忠実に
守って実践しているのは
どこの宗教なんでしょうか??
日蓮宗ですか?日蓮正宗ですか?
顕正会ですか?創価学会ですか?

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human1 しぶけん 2004/10/16 00:57:43
[No.24 - 2]Re: 質問!
続きです。

したがって、本門戒壇の大御本尊を日蓮大聖人の出世の御本懐と拝する宗旨において、南無妙法蓮華経の信心の正当性は、その法体である本門戒壇の大御本尊との脈略によって定められます。これを専門用語で血脈(けちみゃく)といいます。

また、この血脈は総・別の二義があり、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す」(日興跡条々事)と表明されている御法体の継承は、代々の法主上人に限定されております。また総の血脈とは、末法万年の救済の為に、大御本尊の脇書に「弥四郎国重、法華講衆等敬白」と認(したため)られているように、一切衆生を対告衆として成仏せしむるの義であります。

しかして、別の血脈とは人体に譬えれば大動脈であり、総の血脈とは毛細血管であります。したがって師弟相対の信心が成立してはじめて個人の成仏も叶い、また広宣流布の実義をも成就して娑婆即寂光の都が実現するのであります。なお、宗祖の御遺命は本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘宝の流布であり、どれ一つを欠いても広宣流布とはなりません。また、広宣流布の暁に本門事の戒壇堂に安置される御本尊こそ、即ち本門戒壇の大御本尊であることは、言うまでもありません。

創価学会は、平成4年頃から独自の経本を配布して、観念文から本門戒壇の大御本尊の語を削除し、代わりに「一閻浮提総与、三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます」などと祈念しています。口先で大石寺に安置されている大御本尊様に対する信は失っていない言ってみたところで、日々の基本である勤行においてすら「本門戒壇の大御本尊」を念じる事ができないのが現実なのであります。これこそ言行不一致というのであり、創価学会員が二度と総本山に参詣が叶わない理由は、決して大御本尊様の仏力・法力が不足しているのではなくて、単なる罰の現証である事に気が付かなくてはなりません。

特に御希望があれば追記しますが、基本的に顕正会は問題外だと思いますので、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/HASHAKU/Iryugi/kenshokai.htmlをお読み下さい。

以上、めろんぱんさんへの解答と致します。身・口・意の三業にわたって、正しく三大秘法を受持・信行することができるのは、日蓮正宗以外にはありません。

※南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思・境地冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事之一念三千・人法一箇・独一本門戒壇之大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に。(日蓮正宗の勤行における本尊供養の観念文)

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