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朝比奈隆の軌跡1999
「未完成」&「グレイト」

日時
1999年7月11日(日)午後3:00開演
場所
ザ・シンフォニーホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮
朝比奈隆
曲目
オール シューベルト
交響曲第7(8)番 ロ短調「未完成」
交響曲第8(9)番 ハ長調「グレイト」
座席
1階E列28番(A席)

はじめに

 今日の演奏会は私にとって特別なものとなりました。
 これ程の感銘を受けた演奏はコバケンとハンガリーシンフォニーによるマーラー「復活」以来です。
 朝比奈隆に関してはひいき目に書くのことが多い私ですが、今回のは掛け値無しで素晴らしい演奏会だったと断言できます。
 それでは、いつもながらの駄文をごゆるりとご観覧下さい。

シンフォニーホールにて

 2時過ぎにシンフォニーホールへと到着すると、当日券売場に長蛇の列が出来上がってました。それを横目にエントランスをくぐると、ロビーに張り紙がしてありました。

 今日の模様はテレビ・ラジオで放送されます。そのためテレビカメラが入っております。どうかご了承ください。
ラジオ 8/15&22 7:15 - 8:00 (1008KHz ABC)
 “シンフォニーホールアワー”
テレビ 8/20 25:24 - 27:24 (6ch ABC)
 (仮題)“朝比奈隆のバースデイ・コンサート”

 会場内に入るとマイクが天井からぶら下がっていて、テレビカメラも舞台上に5台、客席右に1台、後ろに1台の計7台が設置されていました。
 
 さて、開演時間が近付くと会場は客でいっぱいになり、すごい熱気に包まれるようになりました。
 朝比奈御大のコンサートはほとんどがフェスティバルホールで行われるので、今日のように音の良いシンフォニーホールでするのは珍しく、最良の環境で聞ける御大の演奏に期待は膨らむばかりです。
 プログラムを読んでいると文面から音楽評論家の宇野功芳氏も来てるんじゃないかと思って会場を見渡してみましたが、それらしい人は発見できませんでした。残念。
 
 そうこうしている内に会場の照明が落ち、皆が静まると7月9日に91歳を迎えた指揮者がゆっくりと指揮台に上がりました。

交響曲第7(8)番 ロ短調「未完成」

 ゆっくりと踏みしめるようなテンポで進められるが、決して鈍くなったりしない。アタックをきっちりと出した演奏だ。
 いつもの朝比奈らしく、過剰にメロディを歌わせることはないが、音楽が無機質になることは皆無で、カチッとした音の中ビロードのような艶やかな響きが全体を包み込む。
 特に第2楽章が美しく、朴訥(ぼくとつ)とした中にも美しさが滲み出るような演奏だった。オーボエの旋律が心に滲みて実に心地よかった。
 力みがなく隅々にまで気が張っていて、ロ短調独特のほの暗さの中、シューベルトが歩いていた頃のウィーンが放つ芳しい香りの中を漂うような演奏だった。
 曲が終わってもすぐに拍手は起こらず、会場内に漂う余韻が消えてから大きな拍手が湧き起こった。

交響曲第8(9)番 ハ長調「グレイト」

 前半の「未完成」と違って「グレイト」は管楽器を倍管にして補強していた。
 冒頭でのホルンの斉奏から速めのテンポで開始された。テンポ設定は96年録音のCDとほぼ同じだ。弦が実に心のこもった歌い方をする。そして段々と熱がたかまっていき、アレグロ・マ・ノン・トロッポに入る。ここの入り方は非常に自然で、96年のCDよりも良かったと思う。
 主部は快速とでも言えるテンポで、颯爽と進んでいく。アクセントをはっきりと出していて、旋律にキレがあり、はつらつとしたものだった。青年シューベルトの青春の歌を彷彿とさせる。
 指揮者によってはテンポを落とす第2主題もそのままのスピードで演奏する。呈示部を繰り返した後も展開部、再現部の入りをきっちりと出した演奏で、この曲の持つ古典的なフォルムを堅持したものだった。
 第1楽章のコーダにて初めてテンポを落とし、序奏部を再現させて力強くこの楽章を結んだ。
 
 第2楽章も速めのテンポだ。オーボエの歌い回しがとても心に滲みる。今日のオーボエトップの人はホントに素晴らしかった。
 この第2楽章は3部形式とかロンド形式だとか解説によって違ったことが書かれているが、ここはベートーベンの「第9」同様ABA’B’A’’の5部形式だと思う。
 その第2主題の再現部B’での広々としていながら、しみじみと哀愁のこもった表現は96年のCDと同じでながら深い感銘を受けた。
 ただ少し残念のは木管がオーボエを除き表現がいささか平坦であったことだ。フルートやクラリネットにオーボエと同じ表情を求めるのがいけないことなんだが、もうちょっと頑張って欲しかった。
 
 続いてのスケルツォはすごいスピードで駆け抜けていった。前2楽章とフィナーレを睨むと妥当と言えるテンポだが、実際演奏するの方は大変だっただろう。それでも必死に演奏しようとする大フィルのメンバーに好感が持てた。しかし速いテンポのため表現が希薄となって今日最も魅力に乏しい楽章になってしまったのが残念だ。ここの出来は96年のCDの方がずっと良いものになっている。
 それでも朝比奈らしい無骨なレントラーを想像させるもので、主部では森のざわめきを、トリオでは森の中に広がる大河のような悠久さを感じさせた。
 
 そしてフィナーレ。ここでは第1楽章同様に速めのテンポで、かつ旋律線をくっきりと描き出したものだった。96年のCDの演奏と比べても随分速く、95年の東京都響とのCDを彷彿させる情熱を激しく燃焼させる演奏だった。
 アクセントを強調し、はっきりとメロディを歌い上げる。朝比奈の音楽でイメージさせる重くてドローンとしたものはまったくない。まさに弾けた演奏だ。
 全楽章に言えることだが、繰り返しを全て実行しているのに冗長と感じるところは皆無で、逆にもっとこの世界に浸っていたいと思った。まさにシューマンが言うように「天国的な長さ」を実感させた。
 
 コーダに至って描き出された、内側から輝き出す神々しいまでの輝きは誠に素晴らしく、不覚にもここで涙がこみ上って来てしまった。
 それほどまでにここは霊感に満ちていて、前出2つのCDを凌駕するものだった。これは調子が良いとは言えないもの大フィルメンバーの「今日の演奏会を素晴らしいものにしよう」と言う意気込みがあってのことだろう。
 楽章最後に付けられたディミヌエンドは今回無視されたようだ。(実は我を忘れていて余り覚えていない)
 
 繰り返しになるが、中間2楽章の出来がパーフェクトと言えるものではなかったにしろ、両端楽章の出来は誠に満足するものだった。特にフィナーレコーダの神々しさは忘我の境地へといざなうのもので、人間という存在を超えた、音のみによる宇宙の鳴動を感じさせる演奏だった。
 
 (後日TVで放送された演奏を聞きましたが、テンポは遅いくらいでした。会場では颯爽とした曲の運びだったのに……、不思議です)

万雷の拍手

 最後の音が充分鳴り響くと会場から爆発するような拍手と歓声が湧き起こりました。
 前後左右の客席に礼をする御大。ティンパニ奏者に続き、管楽器奏者を立たせると、一際大きな拍手が上がりました。
 オケが解散してからも7割ぐらいの人が残って拍手を続けていました。それに応えるために御大一人でステージに上がってくれました。熱狂的な拍手、そしてブラボー。御大も感慨深げに拍手を全身に浴びていました。
 この時、御大が後ろに下がろうとして譜面台に足を引っかけてしまって少しよろめき、会場をビクッとさせる瞬間がありました。まあ、たいしたことではないんですが……。
 
 ホールを出て、充実した気分で歩いていると、ライオンのビルがある交差点でどこか見たような人が信号待ちをしていました。(宇野氏ではありません) 誰だろうと思っていると、横にいた婦人が「あら、もうお帰りですか? こちら今日のコンサートマスターをしてらした方ですよ。今日は素晴らしい演奏でしたわね」と連れに紹介してました。なるほど、道理で見たことがあるはずだ。
 まだコンサートが終わってから15分程しか経ってなかったのですが、その人はメチャクチャ急いでいたらしく燕尾服を詰めた鞄ひとつをさげ、福島駅の方にすっ飛んでいきました。

おわりに

 最近の御大のコンサートを聞くにおよんで、私は正直言って「朝比奈隆も終わったな」と思っていました。それというのも、余りにも芸風が枯れ切っていて、オーケストラの統率力も緩んでいたからです。
 しかし今日の演奏はまったく違う。若々しくてキレが良く、隅々まで力が漲っているのに力みが全くない、と言う91歳の音楽とは到底思われないものでした。
 なんだか、とっても嬉しく思いました。
 
 総じて、壮大な宇宙を感じさせる偉大な演奏会でした。
 
 さて、次回はマーラー畢生の大作、交響曲第8番「一千人の交響曲」です。マーラーのスペシャリストである小林研一郎の指揮がどんなものになるか非常に楽しみです。


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