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大阪フィルハーモニー交響楽団
第330回定期演奏会

日時
1999年7月30日(金)午後7:00開演
場所
フェスティバルホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮
朝比奈隆
曲目
1.グリーグ…ペール・ギュント組曲
2.シベリウス…交響曲第2番 ニ長調
座席
Rサイド1階D列13番(A席)

はじめに

 朝9時頃フェスティバルホール横の川縁の道にNHKの中継車が停まっていて、何本もの黒いケーブルが建物内に導かれていました。ほう、今日は録音があるのか。
 昼1時頃大フィルの楽器を積んだトレーラーが到着。楽器を搬入する。この分だと3時か4時ぐらいにメンバーが集まるな。するとこの頃朝比奈のお爺ちゃんがタクシーで駐車場に乗り付けるのが見れるかもしんない。よし、3時に様子見に行こっと。
「こらー! 仕事さぼって何やっとんじゃー!!」
 ……くすん。早く5時になれ。

 さて、6時15分の会場と同時に入場、そしてホワイエへ。
「ビールひとつ」
 グビグビグビッと一気に喉へ流し込む。か〜っ、うめ〜っ! 労働の後のビールは最高だぁ。今日も暑かったもんな、よし、もう1杯。

開演5分前の鳥の声

 客席に着くとステージ上には大きなメインマイク2本と数本のサブマイクが立ってました。NHK−FMが今日の演奏を録音するようです。放送日は分かりませんが、日曜の昼にでも放送するのかもしれません。(一説によるとEXTONのCD用録音だそうです)
 今日の演目は朝比奈の御大にとっては大変珍しい曲目だと思う。特に後半のシベリウスは私自身好きな曲なので、期待は大きいです。
 「シベリウスの交響曲はクールじゃないとダメ」と言う人がいるが、我が耳を疑ってしまう。シベリウスの音楽でクールに聞こえるのはオーケストラサウンドだけで、その実は自然(=生命)への感謝であり、畏怖であり、命がけで歌う熱い謳歌なんだと思う。
 だから「冷たい音」だけで「熱い音楽」を感じられなかった場合は演奏者がいたらないか、「熱い音楽」を感じることの出来なかった聴衆がいたらないかのどっちかだ。
 特にドイツ・ロマン派の影響をまだ残している2番について熱くない演奏と言うのはちょっと考えられない。
 ……どうしてこんなことを書くのかと言うと、あれほど素晴らしい(レコードでもまず聞けない)演奏をしたサラステとフィンランド放送交響楽団について先に挙げた発言をした人がいたためです。なんか驚きを通り越して失笑を浮かべてしまいます。

 御大は古いタイプの指揮者ですから、チャイコフスキーのようにこの曲をロマン的に歌い上げると思いますが、願わくば大河のように広々としたスケール感を持った味わい深くそれでいてスカッとする演奏を期待します。

グリーグ…ペール・ギュント組曲

 さて、前半は「ペール・ギュント」からだ。全23曲から4曲をチョイスしているが、同時に2つある組曲から2曲ずつの抜粋ともなっている。
1.朝 (第4幕の前奏曲・第1組曲第1曲)
2.アラビアの踊り (第4幕第6場・第2組曲第2曲)
3.オーセの死 (第3幕第4場・第1組曲第2曲)
4.ソルヴェイグの歌 (第3幕第3場の前奏曲・第2組曲第4曲)

 
 まず驚いたのは木管陣の音色の美しさである。本当に大フィルか? と疑ってしまうほどの透明さでビックリしてしまった。また弦も艶やかな音を聞かせていて、こいつらドーピングでもしてんじゃないかと思ってしまった。
 この前の「未完成」でも感じたが、最近は前半でのリラックスした演奏に大変美しいものがある。
 アラビアの踊り
 軽快な演奏だった。本番前にタンバリンの人がずっと、タララララン! タララララン! とロール打ちの練習をしていたが、その努力の甲斐在って本番では見事にオケを引っ張っていた。
 朝比奈の指揮でリズムを刻むということは、すなわち指揮者の代わりにテンポをキープすることであり、プレッシャーは相当なものであったであろう。
 オーセの死
 弦だけのエレジーであるが、ここでも弦の美しさが格別だった。ここで気が付いたのだが、弦の連中まったく指揮者を見ていなかった。どうも棒と合わないなと思っていたら、そういう訳だった。でもそっちの方がアンサンブルがよくまとまっていたのはご愛敬。
 ソルヴェイグの歌
 これと同じメロディを第4幕第10場でソプラノが歌うが、この部分は昔ウィスキーのCMで流れていたことがあり曲名は知らなくても聞いたことがある人もいると思う。後ろに座っていたクソガキも「あ、聞いたことある」と言っていた位だ。
 しみじみとした歌い回しがいい感じだった。しかし全体的に言えることだが、木管の入るタイミングが微妙に遅いと感じたのは気のせいだろうか?

シベリウス…交響曲第2番 ニ長調

 出だしの弦による基本モティーフが森のざわめきを感じさせる。特にコントラバスとチェロが充分に鳴り響いていて浮ついた所のないどっしりとした響きだ。続くオーボエとクラリネットによる第1主題も前半の好調さを受けていて大変良い。この時点で今日の演奏に対する期待が否応にも高まった。
 しかし第1主題提示の終わりにあるファゴットによるファンファーレ風の旋律にずっこけそうになる。全然合ってなくてバラバラ。続いてトランペットの音がふらふらで、内声を吹くときは大丈夫なのに目立つ所で音がふらつく。他の金管は何も問題はなかったのにトランペットだけがだめであった。

 第2楽章では次の第3楽章同様に異質な2つの主題が交互に現れて、お互いが融合することなく発展して行くが、その曲想の転換が実に自然で溶け合うように推移していった。この辺はさすが朝比奈。しかも明と暗、静と動のコントラストもきちんと描いていた。出だしのティンパニがアタックの濁った品のない音だったけど。
 この楽章の時、第1主題提示から第2主題提示へ移る少し前に、朝比奈が指揮棒をすっ飛ばしてしまった。それでスペアの棒を置いてあるビオラの人に「ちょうだい」と右手を差し出したが、ちょうど出番が来たんでビオラは無視。それで彼は指揮棒なしでやろうかと一瞬考えたようだが、結局自分で指揮台から降りてビオラの譜面台から棒を取ってきた。
 この時は左手で指揮をしたが、指揮台をよっこらせと降りながらちきんと指揮できるはずもなく、左手の図形もハチャメチャになった。そこで面白いことに木管の一部だけが少し混乱したのだ。やっぱりオケはあんまりオッサンの棒を見ていない、と実感すると共にあんな棒でもないと困るんだなと思った。(失礼な)

 第3楽章の前にちょっと音合わせ。というのも朝比奈が鼻をハンカチで拭っていたためだ。体調が良くないのかも知れない、今日は楽章間で必ず鼻を拭っていた。
 で、この楽章から終楽章へつなげるブリッジ部分で第1ヴァイオリンが変な入り方をしたのを皮切りに糸がほつれるようにアンサンブルが乱れ始めた。朝比奈はそれをなんとかくい止めようと指揮棒の描く図形を何度も変えた。3,4回変えた結果、小学校の教科書に載っているような4拍子(ここは4分の12拍子)の図形を「1,2,3,4」と両手で大きく振って終楽章(ちなみに2分の3拍子)に入った。
 もう言うことはないが、誉めるとしたらコントラバスがキレの良くて重心の低い響きを聞かせてくれたことか。
 それでもコーダに突入してからの全楽器によるfffはあのフェスティバルホールを揺るがすほどの大音響を響かせた。

おわりに

 最後の残響が消えるのを待って拍手。こう言うところのマナーは感心しますね。でもブラボーはないでしょう、最後にデカイ音が出ればいいのかね? もういいや、と思いそそくさと退場。一般参賀もなしだったようです。(あったりまえだ) オケのメンバーも演奏後はいい顔をしてませんでした。
 ロビーで前を歩いていた女の子達が、
「今日の演奏良かったね」
「うんうん。特にフィナーレでニ長調に帰ってくるところ」
「じんときたよね」
 と、会話していた。この曲のフィナーレがニ長調からニ短調に転調して最後から26小節目で再びニ長調に帰ることを知っていて、なおかつその箇所を聞いてて判ると言うことはよっぽどのマニア(私のことか?)か音大生だと思うが、音楽を専門に勉強している人間があれぐらいの演奏で感動しててどうする? こんな演奏会、率先してブーを飛ばすくらいでなくちゃダメだと思う。アンタ達、学校で教わるのはテクニックだけか?

 総じて、いろんな意味でガッカリとさせられる演奏会でした。

 いや〜、メチャクチャに書いていますが、「ペール・ギュント」は良かったですよ、枯れてしみじみとした味わいながらこじんまりとせず広々とした響きは美しいほどでした。

 さて、次回は10月4日の大阪センチュリー交響楽団の第56回定期演奏会です。エルガーのヴァイオリン協奏曲もおもしろそうですが、なんと言ってもシベリウスの交響曲第4番が非常に楽しみです。
 ……でもきちんと行けるかな? ちょっと不安。


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