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エジプトの中王国時代


 エジプトの中王国時代は、第11王朝から第12王朝までで、BC2135年ころからBC1800年ころである。


 第1中間期における小国割拠の抗争の中から、上エジプトのテーベ侯と中エジプトのヘラクレオポリス侯が台頭し、互いに対立したが、テーベ侯が勝利をおさめ、下エジプトを征服して国家再統一に成功した。これが第11王朝である。

 第11王朝
 上エジプトの都市テーベ Thebes がエジプトの首都とされ、古王国時代の下エジプトの都市メンフィスにかわって政治・文化・宗教の中心となり、その後長く栄えることになる。

 エジプトを統一したのは、メントゥヘテプ2世(在位BC2050〜BC2010)のころであるが、州(ノモス)の知事たちはまだ大きな権力をもっていた。
 メントゥヘテプ2世とその子メントゥヘテプ3世は、テーベの西郊デル・エル・バハリに列柱式の壮麗な神殿を営んだ。

 シナイ銅山や各地の採石場が再開発されたほか、上エジプトのテーベに近いコプトスから砂漠を通って紅海へ出る道が開かれて、そこから大船を使ってソマリランドへ向い、黒檀・香料・テレビン樹・象牙などが交易され、ウシやサルといった動物も持ち帰った。


 第12王朝
 第12王朝は、セヌセルト1世からアメネムハト3世までの5代である。有能な君主たちが現われて、地方貴族の勢力を押さえて絶対君主となり、比較的平和な時代が続いた。

 首都テーベの市神であったアメン神が国家の主神となった。ファラオは、テーベ市内のルクソールカルナックに壮麗な神殿を建立して寄進することがならわしとなった。また、アメン神は、太陽神ラーと融合して、アメン・ラー神となる。ピラミッドも造られたが、そまつな日乾レンガづくりであった。

 ファイユーム低地の干拓が行われた。大堤防を築き、用水路を掘り、湖を深くして、広大な沃野が開かれた。湖辺には、広大な神殿が営まれた。

 南方のヌビア地方への開発も進んだ。南方からの進入に備えて、第2急湍の南に砦が築かれた。ナイル河の上流には、特に流れの速くなっている場所が6箇所あり、下流側から順に、第1急湍(アスワン付近)、第2急湍(アブ・シンベル付近)、第3急湍、第4急湍というようによばれている。このころ、エジプトの南の領域は、第2急湍付近まで伸びていた。

 また、地中海東部や紅海沿岸へ交易隊が派遣され、エジプトは第2の繁栄の頂点に達した。


 しかし、第13王朝になると、再び内乱が起って分裂(第2中間期)し、シリア方面からヒクソス Hyksos と呼ばれるセム系異民族が侵入してきた。馬・戦車・強弓で装備したヒクソス人は、まず三角州地帯を征服し、そこを拠点に南下して、第13王朝から17王朝まで約1世紀間エジプトを過酷に支配した。



【参考ページ】
エジプト文明(初期王朝時代)
エジプトの古王国時代
エジプトの第1中間期
エジプトの中王国時代
エジプトの第2中間期
エジプトの新王国時代
エジプトの末期王朝時代


【LINK】
LINK 大英博物館ミラーサイト(日本語)古代エジプト地形図

LINK A VISUAL HISTORY OF ANCIENT EGYPT





参考文献
「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年
「世界の歴史2 古代オリエント」岸本通夫ほか著、河出文庫、1989年


更新 2003/3/16

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