〜小田急バス除籍車両追跡調査会〜
東海バス調査報告2001年に掲載の通り、伊東市内で午前中に6台の元小田急車を確認した調査隊一行3名。この日の東京はまとまった降雪が予想されていたものの、伊豆半島は山間部で少し白くなっているだけで、海沿いはときどき雨が降る程度でした。これなら下田まで調査に行けるだろうと読んだ一同、午後から深夜にかけ地獄の時間が待っていようとは、だれが予想したでしょうか。
▲南伊豆東海バス・下田車庫に留置中の旧都営車(許可を得て撮影)
下田に旧小田急車がいるはずと車庫を訪問すると、お目当ての車は1年ほど前に廃車されたことが判明。これからの主力となるであろう旧都営のキュービックの大群を横目に、西海岸を沼津に戻り始めた一行は、2時間ほどチェックしていなかった交通情報ラジオに耳を傾けました。「東名高速、沼津〜大井松田は通行止め、復旧の見通し立たず」。トンデモ道中の前奏曲が始まったのでした。
下田市内では弱いながらも日差しが出ていたのに、松崎町で冷たい雨が降り始め、堂ケ島海岸を通過するころには横なぐりとなりました。それまで陽気に伊豆の話などをしていた隊員、にわかに押し黙り、今日中に東京へ帰れるのだろうかと不安がよぎります。天城峠、伊豆スカイライン、熱函道路…と、あれよあれよという間に不通区間が広がってきました。
伊豆の西海岸を行く県道17号線は、海沿いながらも随所に険しい山越えがあり、坂を上がり始めた途端に雨が雪に変わります。積雪もあっという間に深まって、チェーンを巻かないと危険なぐらい。そんなこんなでやっと三島市内にたどり着くと、下田を出発してから4時間がたっていました。
運転経験の豊富な調査隊長は落ち着いた表情で、三島の中心地から国道1号へ。しかし市街を出た途端、渋滞に巻き込まれてしまいました。やっとのことで国道1号との合流地点までたどり着くと、待ち受けていた誘導員が「トレーラーがひっくり返っているので通行止めでーす」ときたもんだ。そんならそうと早く言ってくれよと情けない気持ちになったので、近くのラーメン店で腹ごしらえして気持ちを奮い立たせ、唯一通じている国道246号を目指して裾野市内へ入りました。
さて、246号への合流地点まであと3キロと迫ったあたり、本日2度目の大渋滞。ところがこの大渋滞は半端なものではありませんでした。わき道を駆使して北上したものの、同市石脇付近で合流後、ついに車列はびくとも動かなくなってしまいました。一面雪景色の静寂を破るのは、進退きわまった大型トラックのアイドリング音だけ。2時間以上かかって1キロも進めない状態に、ドライバーたちのあせりとあきらめが交錯していきました。
やっとのことで御殿場市の中心地に行く県道を見つけ、駐車場状態から一時脱したものの、今度はぐじゃぐじゃの雪が路面で凍った危険きわまるルートに突入。ここで調査隊は御殿場市内での宿泊を決意し、かろうじて空いていたビジネスホテルの一室を確保、あす仕事の隊員1名はJR富士岡駅で離脱となりました。平均時速2〜3キロ、車内で跳ね飛びながら御殿場のホテルに何とかたどり着くと、時間は午後10時半。裾野市街地に入ったのが午後5時ごろで、約15キロを5時間半ほどかかった計算です。
ちなみに翌28日は晴れ上がり、東名高速もめでたく開通して、御殿場から柿生経由・三鷹までの所要時間は3時間たらず。調査隊、冬はおとなしく冬眠していようと、教訓を胸に刻み込んで(?)無事解散と相成りました。