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ブルーメッツ号乗車記
高知からバスで吉祥寺へ
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高知からの長旅を終えたブルーメッツ続行便 小田急バス2563(U-LV771R)=吉祥寺営業所で
(注)この車は1998年2月現在、新塗装化されています |
1997年8月14日高知発の夜行高速バス「ブルーメッツ」で、高知県交通・高知営業所から小田急バス・吉祥寺営業所までの全区間を乗ってきました。所要14時間近く、小田急バスでは文句なしに最長距離の路線です。
●今夜は5台運用
4日前からの旅行で鹿児島・宮崎・岩国と回り、松山からJR四国の急行バス「なんごく17号」で夕刻に高知入り。長い夜に備え、高知駅前のコンビニで飲み物やお菓子類を調達して、高知県交通バスの高知営業所に向かいます。営業所前の回転寿司屋で夕食を取り、再び車庫の中に入ると、今夜乗る車両が姿を現しました(練馬22か5602、小田急バス・No13、三菱U-MS729S、3年式)。これに乗りたいがために高知まで来たようなものです(笑)。
ブルーメッツは3社の共同運行路線ですが、今夜の車両は小田急車3台と土佐電鉄車2台(小田急車1台以外は2×2列シートの一般貸切仕様)の5台、高知県交通車はありません。1号車の3座車に当たったのは幸運で、しかも最前列の窓側という絶好の位置。高知駅、はりまや橋などで順次お客を乗せて、南国インターを20時25分に通過、高知自動車道に入りました。
1時間ほどで豊浜パーキングエリアに到着、20分の休憩を取って21時半に発車すると、間もなく車内灯が減光されました。瀬戸大橋を渡るころには、車内はトイレ付近を除いて消灯し、運転席のカーテンも閉められました。取りあえず備えつけの毛布を掛けて仮眠態勢に入りました。
●中央道の豪雨にめげず快走
早朝の中央高速・双葉SAで休む小田急車。
No13(U-MS729SA)/2550(P-MS725S)
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バスの止まった感触と、すさまじい雨音で目をさませば、時計は午前4時。中央自動車道の恵那峡サービスエリアにいることが分かりました。「雨がすごいのでぇ、駒ヶ根まで行きます」などと乗務員の無線連絡の声が聞こえてきましたが、再び目を閉じて、眠りの中へ。
次に起きると、既に夜は明け、見覚えのある所を走っています。ほどなく車窓には「山梨県」の看板が飛び込んできました。6時5分に双葉サービスエリア入りし、ここで休憩となったので、寝ていた乗客も大半は起き出しました。
7時20分、八王子料金所を通過。上り線は順調に流れていますが、下り線は猿橋バス停付近を先頭に都内まで渋滞しており、はまっている車の中にはわんわんマークの貸し切りバスも多数いました。ブルーメッツの控え運転士は本社に交通情報を伝えるべく、無線機にかかっています。
首都高速4号線に入って、都庁の摩天楼が近づいてくると、車内は降りる支度で慌ただしい中にも何となくホッとした空気が流れました。7時48分、これだけの距離なら誤差の範囲と言える程度の遅れで、5台のバスは新宿駅西口に相次いで到着。ほとんどの乗客はここで下車となりました。
●ドラマは新宿の先にあった!
さて、私を含めた数人はこのまま吉祥寺まで乗るわけですが、ここで問題が発生しました。1号車にも吉祥寺着の客が3人いましたが、運転士側が名簿を読み違え、新宿で全員降ろしてさっさと車庫(堀ノ内営業所)に回送するつもりだったのです。控えの運転士氏が、小声で「参ったなぁ…」とつぶやきました。
結局、先に新宿に着いていた2号車が吉祥寺営業所の車だったため、無線で連絡を取って幡代付近で追いつき、ここで乗り換えを強いられることになりました(多摩22か4188、小田急バス2563、富士重工−いすゞU-LV771R)。乗客にとっては乗っていた車の所属など知ったことではなく、迷惑この上ないわけで、「恐れ入ります、申し訳ありません」と運転士氏もひたすら平身低頭。しかしながら私の場合は、もう一つの違うバスに乗れる上、小田急では希少価値のいすゞ貸切車とあって、内心はウハウハものでした。
そんなこんなでいろいろありましたが、15日午前8時半、バスは吉祥寺営業所に無事到着。吉祥寺から三鷹までJR中央線で戻り、帰宅しました。
※このリポートは、PC−VANのSIG「My Railway」フォーラム7番「MR旅日誌」178番に掲載した旅行記のうち、ブルーメッツ関係分を抜粋して再構成したものです。