中国・九州思索行

冬晴れの日本海へ

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国鉄の面影を今に残す特急〔おき〕

1月3日。今日は山口線・三江線を回って帰路につく。

小郡までは新幹線。Uターンラッシュが始まったが〔ひかり〕でも末端だから指定を押さえるのは容易だった。新関門トンネルを抜け新下関に停車、「ズドン」と車体が揺れて500系が通過していった。

SL「やまぐち」号が走りはじめて早くも20年。レトロ調の列車に合わせ、駅の一部も古色蒼然の装いが目につく。とはいえこの時期は運転はなく、C57も見当たらない。たぶん神戸の工場に行っているのだろう。

折り返し〔おき4号〕となる181系は、今日は5両だった。増結は全部指定、こうと知っていたら指定席にしておいたのだが。中国地区でしか見られなくなった国鉄色ディーゼル特急だが、これもいつ塗り替えられるかわからない。

山口から仁保を過ぎると山中に分け入る。ようやく雪が見られた。とはいっても今日も快晴、結局日本海側に抜けるまで、いや抜けた後も雪は全くない。

新幹線駅の小郡へ行くほうが混むと思ったのだが、意外にも自由席は乗りがよく、益田から先は立客も出る状態。指定席はがらがらだったが。

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レトロ調「表刻時發出車汽」。ここまで凝っておいて
下の「喫煙コーナー」はなかろうと思った
冬にしては穏やかな日本海の景色

超ローカル線の明日はどこへ

国鉄時代末期に輸送密度の低いローカル線が「特定地方交通線」として廃止対象に挙がった。1983年の白糠線にはじまり1990年の鍛冶屋線・大社線まで、結局第三セクター化、あるいはバス転換して少なくとも国鉄〜JRからは消えた。しかし、いくつかの路線が例外として残った。バス転換に不適当とされた路線だ。

特定地交線をバス転換する際には、基本的に鉄道線路をたどる路線が設定される。しかし、上の路線は山間が険しすぎたり、冬場雪で道路が閉鎖されたりするというのでバスを走らせられないというのだ。

確かにJRに継承されはしたが、10年以上の年月は高速道・国道の建設に除雪体制の完備、そして沿線の人口流出などをもって、これらのローカル線のほとんどを「超ローカル線」に変えてしまった。JRにとってその大半はお荷物的存在でしかないことが外から見ても感じ取れる。

時刻表を見ると、これらの路線は列車の本数が極端に少ない上に、昼間に列車がないことに気づく。朝夕のわずかな通勤通学以外に乗る人がいないということもあるが、保線作業を深夜に行うのが難しくなってきて、昼間に作業するため列車を設定しないのではないかとも思えてくる。JR東日本などでは「リフレッシュ工事」として昼間に集中工事をするし、先に乗った姫新線でも特定日に昼間運休をしている。

本当にそれが目的かどうか知る由もないが、いずれにしても事業者側の論理が強いことは確かであろう。途中駅の交換設備もことごとく撤去され、区間によっては列車間隔を2時間以下に縮めることが不可能な状態にある。

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ローカル支線の標準・キハ120。どうしても
トイレなしというのが気になる
江川に沿ってゆっくりと走る

江津14時50分発三次ゆき。キハ120単行、3時間に及ぶ行程だがトイレはない。車内を見ると全線乗り通しそうな感じの人が何人かいる。三江線を昼間走破できるのは、三次8時29分発か、この列車くらいしかないから、無理もない。

山陰本線小倉ゆき〔いそかぜ〕から接続を受けて江津を発車すると、ほどなく江川が左に寄り添い、列車は終点三次まで川に沿って上っていく。ワンマン列車は面白いことにタイフォンを鳴らしてからドアを閉め、発車する。唯一の有人駅、石見川本で若干の休憩。

列車本数が一日4往復とさらに減る浜原から、いきなりエンジンの音が豪快になった。浜原〜口羽間は三江線で最も遅く開通した区間で、幹線並みの高規格軌道を列車は飛ばしはじめる。そこを一日に走る車両の数がたった8両(推定)とはなんとももったいない。そうはいっても、この区間をはじめ三江線を残し続けるべきか、疑問に思えてくる。自家用車もほとんど走っておらず、中学生が道路のまん中でキャッチボールをする、それが国道だったりするのだ。

口羽でまたもとのローカル線に戻り、平地での日没を迎える頃長谷駅を通過、1日2.5往復しか停まらない駅だが、停めようが停めまいが他の駅と変わりがなさそうなものをなぜ通過するのか、よくわからない。

三江線は芸備線と連絡することで陰陽連絡の路線を形成してはいるが、それは全く機能しておらず、江津・三次の近辺でマイクロバスでも充分な乗客を集めるにとどまっているようだ。ついでに記すと、三江線とは別の直行ルートで広島-江津・大田市間を結ぶJRバスが、国鉄時代から運転されているという事実もある。

あたりがすっかり暗くなって、三次に到着。結局7人が全線を乗り通した。