首里城を後方に到着するゆいレール(首里) [Nikon D200, AF Nikkor ED 80-200mm F2.8D] |
小刻みに揺れながら何層もの雲を抜け、いちばん低い雲の下に降りたボーイング767の窓下に一面の海が広がった。島に近づくにつれその色は「蒼い」から「青い」、そして「碧い」へと変わる。2006年11月30日15時30分すぎ、ANA489便はサンゴ礁に囲まれた那覇空港 RWY(ランウェイ=滑走路)36へ着陸した。
沖縄に来たのは2度目になる。ほんとうに久しぶりだ。なにしろ前回、自動車は道路の右側を走っていたのだから。
27,234.5kmの軌跡
鉄道線 | 軌道線 | ||||
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普通鉄道 | 6,768.5 | 一般的な鉄道(*1) | 軌道 | 335.7 | おもに路面電車(*7) |
鋼索鉄道 | 22.5 | ケーブルカー | - | - | - |
懸垂式鉄道 | 6.9 | 湘南モノレール(*2) | 懸垂式モノレール | 16.5 | 千葉都市モノレール(*8) |
跨座式鉄道 | 24.0 | 東京モノレール(*3) | 跨座式モノレール | 61.5 | 大阪モノレールなど |
案内軌条式鉄道 | 82.5 | 札幌市営地下鉄(*4) | 案内軌条式 | 58.4 | 新交通システム(*9) |
無軌条電車 | 9.8 | トロリーバス(*5) | - | - | - |
浮上式鉄道 | - | (*6) | 浮上式 | 8.9 | リニモ |
小計 | 6,914.2 | - | 小計 | 481.0 | - |
私鉄総計 | 7,395.2 | - |
- *1 貨物運輸線, 神戸高速鉄道(東西・南北線)以外の第3種事業線, 高千穂鉄道を除く
- *2 ほかに上野動物園モノレール(都営)
- *3 ほかにディズニーリゾートライン, 名鉄モンキーパークモノレール, 小田急向ヶ丘遊園モノレール(廃止)
- *4 ほかに港湾道路上の新交通システム
- *5 黒部トロリーバス, 立山トンネルトロリーバス
- *6 ドリーム交通(休止のまま跨座式から事業転換し、その後廃止)
- *7 名鉄豊川線, 大阪市営地下鉄
- *8 ほかに瀬野スカイレール(広島)
- *9 ほかに名古屋ガイドウェイバス
2005年5月、私は稚内でJR線 (当時 19,844.0km) の完乗を達成した。このとき、JR以外の民営および公営鉄道(以下総称して私鉄)各線の残りが約550km。となればつぎの目標は私鉄区間を含めた日本全線の走破である。
なかでも近畿地方は、最大路線規模の近畿日本鉄道を中心に多くの未乗区間が多く残っていた。それもフリーきっぷなどを駆使して走り回った結果、2005年7月に湯の山温泉(近鉄湯の山線)で中京地区、2006年5月には吉野(近鉄吉野線)で関西地区を含めた完乗。関東→四国(2002.8)→中国(2002.12)→東北(2003.5)→北海道(2005.5)→中部→近畿の順に全路線を乗り終え、2006年5月4日の時点で残り12.9kmにまで減った。
これには鉄道・軌道線をはじめ案内軌条式(新交通システム)、鋼索線(ケーブルカー)、無軌条電車(トロリーバス)、浮上式(磁気浮上式リニア)も含まれる。
で、最後まで手付かずで残ったのが沖縄県の鉄道というわけだ。正確に言うと「軌道(跨座式モノレール)」で、2003年8月に開業した沖縄都市モノレール 1路線12.9km、である。
これは、陸続きに走破を重ねていく身にとって、つい最近まで鉄道のなかった沖縄は遠く離れた存在だった、という事情が多分に影響している。しかし最後までここを残しておくのもまた自然の成り行きだったと言える。JR線の完乗地点に最北端の稚内を選んだころには、総仕上げはぜひとも最南端の鉄道で、という方針ができあがっていた。
石垣島の中心(その名も730交差点)にある「730記念碑」 | 往時の搭乗券。各地に路線を持っていた全日空ならでは |
沖縄本島にもかつて鉄道があった。その歴史は大正時代にまでさかのぼる。那覇を起点に沖縄県営鉄道はじめ電車・馬車軌道あわせて4社が旅客営業を行っていたが、馬車・電車は昭和初期に廃止。鉄道も第二次大戦末期に運行を停止し、施設などは激しい空爆と地上戦で破壊され、復旧しないままアメリカ合衆国の統治下では完全に車中心の社会になった。その際車両が右側通行になり、1972年に日本返還がなされた後も沖縄の大きな特徴であった。「本土」と同じ左側通行になったのは1978年のことで、7月29日22時〜30日6時にかけて本島はじめ沖縄県内全域で一斉に切り替えが行われている (いわゆる「730=ナナサンマル」)。
家族旅行として最初に沖縄を訪れたのは同年春のことで、福岡から全日空727-200で飛んだ。往復の機内で軽食が出たこと、現在より北にあった那覇旧ターミナルと滑走路の間は、小さな橋を渡って延々と誘導路を走っていたこと、沖縄では裏写しのようなバス (当然乗降ドアは右側) がたくさん走っていたこと、国道331号線を通ってひめゆりの塔、平和祈念公園へ行ったこと、本土では高い関税のかかった牛肉が安く食べられ、ある晩の夕食はステーキハウスで目の前で焼いてもらったこと、などなど。
閑話休題。残りがここ1線になってそろそろ半年、今年中に乗ってしまおうと思い立ち、12月はじめの週末をすこし前に延長して出かけることにした。といっても、直接那覇まで乗りこんだのではない。鋭い人は気づいたかもしれないが、羽田〜那覇のANAなら120台か990台である。きょう沖縄に着く前に、ひとつ片付けておきたいものがあった。
参考・参照
- 平成18年度鉄道要覧: 国土交通省鉄道局監修, 電気車研究会・鉄道図書刊行会, 2006. ISBN4885481082
- 失われた鉄道を求めて: 宮脇俊三, 文春文庫, 1992. ISBN4167331047
- 沖縄都市モノレール: http://www.yui-rail.co.jp/
- フリー百科事典ウィキペディア: 沖縄の鉄道 http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄の鉄道