【山口's HP TOPへ戻る】

モーツァルトとパリ     (2008.5.25)

モーツァルトの旅というと、生地ザルツブルクを出発点に、ウィーン、ミュンヘン、プラハ、ミラノといったところで、パリはあまり話題にならないようです。 モーツァルトは、パリへ2度訪れています。むしろ2度しか訪れなかったと言った方が良いかもしれません。 しかも1度目は小さな子供の時、父のレオポルドに連れられてですから、自分の意思で来たのは、一度だけです。 晩年、好きなプラハに幾度も行っているのと大違いです。1度目の時は、「神童」としてもてはやされましたが、 2度目は母親と一緒の旅でしたが、パリはモーツァルトを受け入れず、しかも途中で母親は死んでしまうという不幸な苦しい旅でした。モーツァルトは母親の死を暫く父親に告げず、パリに留まっていたそうですが、その後パリを出たモーツァルトは二度と訪れことはありませんでした。
でも、モーツァルトはパリを旅した時、またはパリをテーマにして、美しい作品を残しています。 代表的なのが、交響曲「パリ」、フルートとハープの為の協奏曲、それに珠玉のバレエ曲「レ・プティリアン」、そして、モーツァルトの作ではないという説があるものの、比類するものがないといったくらい美しい「協奏交響曲変ホ長調K.297b」です。パリでのモーツァルトの生活は暗い日々の連続だったようです。だからこそ、幸せな生活を願って、こんな美しく明るい曲を書いたのかもしれません。
 
そんな中で、ピアノソナタ(当時はクラヴィーア)イ短調k310だけは、悲劇的で深刻な雰囲気を持った作品です。 苦境のモーツァルトに追い打ちをかけることになった、母マリア・アンナの突然の死。 モーツァルトと言えども、この時ばかりは、明るい曲は書けなかった二でしょう。 このソナタは始めから終わりまで異常な暗さに包まれており、第2楽章はいくらか明るさをもった旋律ではじまりますが、それもまた聞き進んでいくうちに不気味な暗さが支配するようになります。最後のプレストも影に満ちた音楽です。
モーツァルトの家族(モーツァルト一家の肖像画)
ヨハン・ポーネク・デッラ・クローチェ(1781年完成)
左から姉ナンネル、アマデウス、父レオポルド
1778年没の母は絵画中肖像画として描かれている
(ザルツブルク国際モーツァルテウム財団所蔵)
 
モーツァルトは、1度目のパリ旅行では、ヴェルサイユ宮殿でルイ15世の前で布をかぶせてピアノを弾く特技を披露したという話が残っているくらい、神童としてもてはやされました。 モーツァルト一家(父レオポルド、姉ナンネル、ヴォルフガング)は、ヴェルサイユから戻って、ルイ15世の愛人だったポンパドゥール侯爵夫人を訪ねています。 ポンパドゥール侯爵夫人は、コンコルド広場からほど遠くない、今日のフランス大統領官邸であるエリゼ宮を国王より与えられていたということです。 また2度目にパリへ行ったときは、モーツァルトはパリのサンティエ通りの近くに住んでいたようです。 この近くには、モーツァルトの母マリア・アンナの葬儀が行われた、サン・トゥスタッシュ教会があります。 この教会は、7,000本以上のパイプからできている世界でも有数のパイプオルガンは非常に有名ですし、パリでもっとも美しい外装の教会といわれています。 そばには、交響曲第31番「パリ」の演奏会場となったコンセール・スピリチェルがあったチェイルリー庭園や、交響曲第31番「パリ」の演奏会の日、モーツァルトが大好物のアイスクリームにひとり舌鼓をうったというパレ・ロワイヤルもあります。 私は、近々、南仏〜パリの旅行に出かけます。ヴェルサイユ宮殿は、2004年の前回のフランス旅行で行きましたが、それ以外の場所は行かなかったので、今度パリに行ったときには、このあたりを散策したいと思っています。

レオポルド
アマデウス
ナンネル
ルイ15世の前で、鍵盤に布をかぶせてピアノを弾いたという、ベルサイユ宮殿正面と鏡の間 (2004.8.3)

【山口's HP TOPへ戻る】