ニースから3時間弱で、ブーシュ・デュ・ローヌ県の古都エクス・アン・プロヴァンスに着きました。
プロヴァンス王国の首都として古くから繁栄し、現在は学術・芸術都市としてプロヴァンス地方の観光の拠点となっています。
画家ポール・セザンヌの出身地としても知られ、彼の出生、臨終の家とアトリエが今でも現存します。
サン・ソヴァール大聖堂は、ローマ時代の円柱から17世紀までの建築様式が見られる建物です。
プラタナスの並木が続くミラボー通りを歩いて来き、この後、昼食にマルセイユに向かいました。
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ジェネラル・ド・ゴール広場
| エクス・アン・プロヴァンス 市庁舎 |
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セザンヌのアトリエ
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ミラボー通り
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マルセイユに着いて、昼食は、名物のブイヤベース。
ブイヤベース(bouillabaisse)は、南仏地中海側の地方の代表的な海鮮スープ料理で、
もともとはマルセイユの漁師が売れない魚を大鍋で煮たものであしたが、後に色々な魚が使われるようになったそうです。
本格的なものでは、脂ののった白身の魚を数種類、ムール貝にハマグリ、
オマール海老などにハーブ類(フェンネル、ローズマリー、ディル、それから特にサフラン)をたっぷり加えて煮込み、
仕上がると海鮮風味の黄色い濃厚なスープができあがそうです。
大勢で囲んで食べたりするというところは、日本の鍋料理に共通したところがあるかもしれません。
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マルセイユ
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昼食後、アルルへ向かいました。アルルでは、ローマ時代の闘技場やゴッホの跳ね橋を見て、フォーラム広場などの旧市街を散策しました。
アルルには、いくつものローマ遺跡があるそうですが、今回見た古代闘技場は、これがローマ時代に作られ、今も使われているのには驚きです。
その昔は、人と人、または人と動物などが殺し合いをして、それを楽しむという狂気にもにた格闘技が連日行われていたとのことです。
現在では、様々な催しものに使われていて、主に伝統行事や闘牛などの時には人が押しかけるとのことでした。闘技場のローマ建築と、そこから見ることができるアルルの町並みの景色はとても美しいものでした。
アルルと言えば、ゴッホの「ラングロワの跳ね橋」の絵が有名です。跳ね橋の上を馬車が通り、半分沈みかけた小舟の脇では、女たちが洗濯をしている絵です。
この橋は、アルル郊外の小さな運河にかかっています。実は、ゴッホの描いた元々の橋は戦争で破壊されてしまい、アルルの玄関口にある運河にかかっていた使わなくなった橋を、当時ゴッホが描いたものを商工会議所などによって再現されたものだそうです。
アルル郊外に広がるのどかな田園風景。時の流れが止まったかのような、心和む風景の中にぽつんとそれはありました。ゴッホの絵のとおり、橋の形は忠実に再現していますが、ゴッホの絵が「黄色」なのに、再現されてできた橋は、何故か、黒く塗ってありました。
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跳ね橋 |
ゴッホの「ラングロワの跳ね橋」 |
ローヌ川に沿って、アルルの旧市街が広がっています。ローマ時代の首府であり、中世には宗教の一大中心地となり、その栄光と過去を現在へと伝えています。
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アルルの旧市街
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ヨーロッパの古い街には、広場がつき物ですが、このフォーラム広場は、広場全体が、オープン・カフェのように、黄色や赤のテントで埋め尽くされていました。
そのカフェで、人々は思い思いに昼食を取り、お茶を飲み、歓談しつつ、憩いのひと時を楽しんでいました。ゴッホの「夜のカフェ・テラス」に描かれた場所は、このフォーラム広場に面したところにありました。
すぐ近くに、ゴッホが耳切り事件の後、入院していた病院の跡(エスバス・ヴァン・ゴッホ)もありました。
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フォーラム広場 |
エスバス・ヴァン・ゴッホ (ゴッホが入院した病院の跡) |
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「夜のカフェ・テラス」に描かれた場所 |
ゴッホの「夜のカフェ・テラス」 |
夕方、アヴィニョンに着きました。ホテルは、市庁舎とオペラ劇場のすぐそばでした。
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ホテル前(市庁舎とオペラ劇場、プティ・トラン)
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第4日(6月7日(土))アヴィニョン→(25km)ポン・デュ・ガール→(37km)レボー→(30km)アヴィニョン
第5日(6月8日(日))アヴィニョン→(38km)ゴルド→(16km)リル・シュル・ラ・ソルグ→(38km)アヴィニョン→(T.G.V)→(600km)パリ
第6日(6月9日(月))パリ(一日滞在)
今日は、終日パリ終日市内観光。パリは2度目ですから、改めて市内観光ということでもなかったのですが、ツアーですから仕方がありません。
ノートルダム寺院は、セーヌ川のシテ島にあり、「ノートルダム・ド・パリ」という呼称でも知られ、ヴィクトル・ユーゴーの小説の名前にもなっています。
また、「我らが貴婦人」と名づけられたフランス・カトリックの総本山であると同時に、建築・美術を含めた芸術的価値の高い寺院。
シテ島のこの場所にはすでに6世紀ごろから前身となる聖堂があり、12世紀中ごろに本格的な教会建築が始められたとのこと。
完成までに200年もの歳月を費やしたこの建物は当時のゴシック建築技術の粋を集めて造られ、その美観のみならず耐久性や強度の面でも高く評価されています。
また、建物に施されたさまざまな装飾や彫像、ステンドグラスなどを見ても美術史的に重要なものばかり。
ジャンヌ・ダルクの審判、ナポレオンの戴冠式など数々の歴史的行事が行われた場所でもあります。ここは前回は来なかった場所です。
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ノートルダム寺院 |
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ノートルダム寺院内部 | これを踏むともう一度パリに 来れるという・・・ |
続いて、ルーブル美術館、モンマルトルの丘等を見物。いずれも、前回見た場所ですが、ポイントを絞って見てきました。
ルーブル美術館は、セーヌ川右岸のルーブル宮殿内に置かれている世界最大級の美術館で、建物自体は12世紀末から、はじめ城砦として築かれ、
増改築が重ねられ、1793年から美術館として使用されています。「モナリザ」や「ミロのビーナス」など世界的に有名な絵画・彫刻を多数所蔵、
80年代にミッテラン政権下で大改築が行われ、89年にガラスのピラミッドがオープンしました。
パリの北部に位置するモンマルトルの丘といえば、昔から芸術家の住む場所として有名でした。
モンマルトルの丘からパリを見下ろすように立つ、サクレ・クール寺院は、普仏戦争の敗北によって亡くなった兵士や市民達を悼み、フランスの明るい未来を希望して立てられたということです。
この近くのテルトル広場には、多くの画家達が絵を描いていました。
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サクレ・クール寺院
| モンマルトルの丘 |
夕食はパリを代表するブラッスリー「フロ」にて本場のフランス料理を楽しみ、その後、セーヌ河クルーズにてパリの夜景を楽しみました。
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エッフェル塔 |
オペラ・ガルニエ |
第7日(6月10日(火))パリ(一日滞在)
第8日(6月11日(水))パリ・シャルル・ドゴール→日本航空→成田
ホテルをチェックアウトした後、パリオペラ座ガルニエ宮に行ってきました。オペラ座は前回見たので、行く予定はしていなかったのですが、
帰りの飛行機まで時間があったので、再度見物することにしました。
この劇場、座席数は2200で、シャルル・ガルニエの設計で1862年に着工、13年もかかって1875年の完成だそうです。天井画は、シャガールが描きました。
現在、オペラはバスティーユの新しいオペラ劇場に移り、ガルニエ宮はバレエの上演が中心です。でも、ガルニエ宮でもオペラを上演して欲しいという声もあり、オペラも少数、上演しているそうです。
1832年マリー・タリオーニは、この劇場で父フィリッポ・タリオーニの振り付けで、つま先で立って「ラ・シルフィード」を踊り、
ロマンティック・バレエの様式を確立、以後、このポアント技法はバレエの流れを決定づけたのです。また、ドガはこのパリ・オペラ座のバレリーナをモデルに、多数の絵を描きました。
ロンドンのミュージカル「オペラ座の怪人」は、この劇場を舞台に作られました。
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シャガールの天井画「夢の花束」 | マリー・タリオーニ | ドガの「踊り子」 |
15:00頃、パリ・シャルル・ドゴール空港へ向かいました。
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パリ・シャルル・ドゴール空港
| JAL406便・B777/300ER |
19:30離陸。パリ、成田間は、11時間。モニターテレビによると、飛行速度は1,000キロ近く、
行きよりかなり速い。機長のアナウンスでは猛烈な偏西風に押されているとのこと。そのせいか、結構揺れました。
20:30コペンハーゲンの南→21:45セント・ペテルスブルク→・・・シベリヤ平原を順調に飛行→日本時間11:30ハバロフスク上空を過ぎ、
最後の軽食が出ました。
第9日(6月12日(木))成田着
日本時間13:30、成田に無事つきました。
いつもヨーロッパに行くと、古くからの町の歴史を深く感じます。
フランスは2度目ですが、いろいろと感心させられた旅でした。
自由・平等・博愛の精神を大事にするフランス人の気持ちを感じることができました。
団体のスポーツは嫌い、釣りや狩猟が好きという個人主義・・・、
フランス人は気むずかしいと聞いていましたが、結構優しく、親切に我々を迎えてくれました。
皆、信号を守らないのには驚いたけれど、自動車の方が止まってくれます。
ニースのバッテリー駆動も可能な路面電車、カローラ並の小型乗用車、パリでたくさん見かけたハイブリッド車
トヨタ・プリウスのタクシー、
空き瓶のリサイクルボックス・・・、地球環境への配慮が感じられます。
電柱のない美しい街並み、古いものを大切にする心・・・・・。
自給力120%、就業率90%という農業国フランス、日本も見習わなければならないところもありそうです。
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ニースのバッテリー併用の路面電車
| パリの空き瓶リサイクルボックス |
今回のツアーは、添乗員を含めて僅か6名。アットホームな雰囲気で、楽しく旅を続けることができました。
添乗員の麻生さん、本当によく勉強しておられて、とても親切な説明でしたし、私たちへの心配りがとても有り難かった。
年に200日位、世界を飛び回っているとのこと。この仕事が楽しくてたまらないというようで、生き生きとした仕事ぶりが美しかった。
フランス語はおろか英語すらろくに話せない私でしたが、楽しく旅をすることができました。
ツアーは忙しいのですが、いろんなところを見せてくれるのはありがたいと思います。
本当に楽しい旅行でした。
ヨーロッパの観光旅行は今回で5度目ですが、一層好きになりました。次は、幼少のモーツァルトが旅したオランダ・ベルギー、
オードリー・ヘプバーンが晩年を過ごしたアルプスの少女ハイジの国スイス、
ロシア・バレエの聖地サンクト・ペテルブルク、・・・、一つづつ夢をかなえていきたいと思います。
(注)文中のモーツァルトの旅の記述については、
ピアニスト
久元 祐子さんのウェブサイトの
「モーツァルトと旅について」から、引用させて頂きました。
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