北村薫の〈時と人〉3部作のラスト。新潮社のPR誌である「波」2001年1月号で宮部みゆきが言ってるとおり、これは単なる恋愛物語ではなくて、もっと大きい、「親から子へ、子から子へと伝えられる命の物語」なのだと私も感じた。そう、ここにあるのは、時間の中に流れる大きな命のうねり。
1章の主人公、水原真澄は太平洋戦争末期の女学生。ちょうど、私の母の伯母と同じ世代だ。ああ、きっと大伯母はまさにこんな青春時代を過ごしていたのだろうなあ、と思いつつ読んだ。この本を大伯母に読ませたら、いったいなんと言うだろうか。
この戦中あたりの女学生の心情を書くのに、北村薫の文体はぴったりだ。現代の若い女性達からは、残念ながら消滅してしまった上品さ、清らかさ。そういうものが実にうまく書けている。なるほど、彼の理想の女性像は、ひと昔前の女性だと考えればぴったりくる。考えてみれば、「私」シリーズの主人公だって、現代にはちょっといなさそうな子だった。ちょっと昔なら、ああいう子はけっこう普通だったのかもしれない。
真澄だけでなく、出てくる人々すべてのちょっとしたことに、今の日本人の失ってしまった何かがにじみ出ている。今でもお年寄りと話をしていると出てくる何か。なんといったらいいのだろう、慎み?奥ゆかしさ?思いやり?自己犠牲?少なくとも、現代にはびこる「ジコチュー」とは180度違うところにあるものだ。こういう昔のひとがもつ美しさに出会うと、私なんぞただのワガママな子供なのではないか、と時々恥じいってしまう。
2章から登場するもうひとりの主人公、村上和彦。これは年代からして北村薫自身だろう、きっと。40代くらいの方が読んだら、懐かしさ炸裂ではないだろうか。そして、ここに真澄の人生が交差する…。
恋愛物語に関しては、ありがちな設定。『ライオンハート』(恩田陸、新潮社)と一ヶ月しか発売がずれてないというのも、ちょっともったいなかった気がする。物語のダイナミックさという点においては、恩田陸にかなわない。ただ、そこはむしろどうでもよくて、先ほど書いた「あの時代に生きていた人々の美しい心」と、「あの時代のことや死んだ人のことを生きている人が覚えている限り、その命は今も心の中で生きてて、ちゃんと受け継がれているのだ」ということ。その2つに深い感銘を受けた。
そう、命は「心から心へ」受け継がれていくものなのだ。大いなる時間の中で。あなたの命も私の命も。
『夜聖の少年』☆☆☆1/2 浅暮三文(徳間デュアル文庫、00年12月刊)
なんだなんだ、実はグレさんてSFのひとだったんですね!これがあの『ダブ(エ)ストン街道』や『カニスの血を嗣ぐ』と同じ作家の作品とはとても思えない(笑)。この方、ひょっとして恩田陸ばりにたくさんの引き出しを持った作家かもしれないぞ。これで、このひとにしか書けない「何か」さえ明瞭に出てれば文句ナシ(今のところ、私には彼の「何か」は発見できてない)。とにかく、少年の成長冒険小説として、非常に楽しめる一冊。わかりやすく、よい出来のエンターテイメントだと思う。
おとなになる直前に、戦いの本能を抑制する遺伝子を強制的に移植される世界。それを拒んだ少年少女たちは、「土竜」と呼ばれ、地下で飢えと死の恐怖におびえて隠れ暮らしていた。彼らは社会の秩序を乱した者として、炎人から発見され次第殺されるという過酷な運命にあったのだ。
これは、その「土竜」であるひとりの少年、カオルの物語である。他の粗野な少年たちとは一風変わっていた彼の出生に秘められた過去とは…?
どことなく、「銀河鉄道999」を彷彿とさせる話、といったら突飛すぎるだろうか。なんてことないひとりの少年が、とある冒険にまきこまれ、それを経て成長し、やがて大人の作った管理社会に疑問を持ち、立ち上がる。そして、こういうストーリーはやっぱり読んでて「面白い」のだ。読後感も爽快そのもの。
現在少年(少女)の方も、かつてそうだった方も、一緒になって楽しめる本(たとえば目黒さんなんかが読んでも全然オッケーでしょう)。読者層を問わず、広くオススメできる一冊。
『そして粛清の扉を』☆☆☆☆ 黒武洋(新潮社、01年1月刊)
第1回ホラーサスペンス大賞受賞作。設定を読んだ限りでは『バトル・ロワイアル』のパクリかと思っていたが(確かに著者もこの話を書くにあたり、ある程度意識してはいるだろうが)目指す方向が全く違っていた。180度違うといっても過言ではないだろう。結論からいってしまうと、たいそう面白く読めた。小さな不満はいくつかあれ、これだけ書けていればじゅうぶん及第点であろう。
ひとことで言ってしまうと、娘を暴走族に殺された女教師のリベンジもの。荒廃しきった自分のクラスの高校生たちを人質にとり、彼らの隠された恐るべき罪をあばきつつ、どんどん処刑してゆく話。生徒達がガンガン殺されていくのだが、『バトル・ロワイアル』と全く違うのは、この話が「殺す側」から書かれていることだ(『バトル・ロワイアル』は、なんの罪もない子供達が単に大人のゲームのコマとして殺されていく。その子供達側、「殺される側」から書かれた物語だった)。
著者はあえて子供達を徹底した「悪」としてのみ描いている。女教師が次々とその「悪」を裁いていく姿は、不快でも恐怖でもなく、むしろ爽快。彼女は愉快犯ではなく、全てを承知していて、彼女なりの「社会への復讐」という理屈があってやっていることだから。そしてこの殺人をして読者に「爽快」と思わせてしまうところが、この本が問題点と呼ばれる所以である。つまり、「正義ゆえの殺人は許されるのか?」という点である。このテーマは宮部みゆきの『クロスファイア』に近い。
そして著者は、弦間がつぶやくセリフによって読者に大きな問題を投げかける。
「…間違っていたのは誰だ?……社会か?……法律か?……加害者か?……遺族か?……一番間違っているのは誰だ?……」
甘ったれて自分の快楽しか考えず、他人の痛みならず命までも踏みつけて平気で生きている子供達。彼らへの怒りはいったいどこにぶつければいいのか?著者は、決してこの女教師の行為が正しいとは書いていない。その答えは、上記の独白によって、読者にゆだねているのだ。
なるほど、「人間がいちばん怖い」(by宮部みゆき)ということか。これがホラーサスペンス大賞を受賞するというのは、なんとも空恐ろしい世の中である。非常にブラックなエンターテイメント。
『ぶらんこ乗り』☆☆☆1/2 いしいしんじ(理論社、00.12月刊)
本の雑誌2001年3月号の「新刊めったくたガイド」で、吉田伸子さんに絶賛されていた一冊。その熱さに惹かれて読んでみた。うむ、これ、まこりんさんは言うまでもなく、ヒラノマドカさんあたりがツボなのでは。私の第一の感想は、「この作家の小説をもっと読んでみたい」である。とりあえず、要チェックの作家のひとりにランクイン。
なんとも不思議な物語だ。最初から最後まで、淡い夢のよう。そして、全編を通して、底辺に透明な悲しみが流れている。地下水のように静かに。
物語には、ストーリーによって読者をひっぱるものと、『ノスタルギガンテス』のように、ストーリーはあってなきがごとしだが、それ以外の「何か」が書かれてるものの2種類があると思う。そしてこの本は間違いなく後者である。
4歳の頃から物語を書くことができた天才少年と、その3歳上の姉。今は高校生になった姉が、弟の書いた昔のノートを読みつつ彼を回想する。ぶらんこに魅せられ、その事故でひどい声になってしまったため、一切しゃべるのをやめ、庭のぶらんこの木の上で暮らすようになった弟。周りの同年齢の子供から明らかに浮いている彼の、繊細な心から生まれる物語の数々。それは彼の心象風景をそのまま描いていて、ユーモラスだがどこかさみしい。なんだか胸がつんとする。そんな弟を優しく包み込むように見守る姉。
この本に書かれている「何か」というのは、「水彩画のように、輪郭のぼやけた悲しみ」だと思う。くっきりと強烈な線でひとの胸を激しく打ち、涙をぼろぼろ流させる、という物語とは一味違う。ただただ、読み進むうち、胸の奥がしんと静かになり、悲しみがひたひたと打ち寄せ、いつか満ち潮になっている、そんな感じ。
心が透明な水色に染まったような感触。なんとも切ない余韻を残す一冊。