『白夜行』☆☆☆1/2 東野圭吾 集英社

 これは、ミステリ形式をとってはいるが、単なる殺人事件ものではない。話題になった『秘密』もそうだったが、人間の業を書いた小説、と言えるのではないだろうか。いろいろ選択肢はあったのだが、たった一つ、一番険しい道しかどうしても選ぶことができなかった彼ら。そうやってしか、生きていくことができなかった彼ら。その気持ちを思うと、やりきれない切なさが胸をしめつける。著者いわく、「太陽のない偽りの昼を生きていこうとした人間の物語です」。この言葉に、物語の全てがこめられている。

 すべての始まりは、昭和40年代、廃屋となったビルの中で、ある質屋の主人が殺されていた事件からであった。調べた結果、容疑者は浮かび上がるのだが、その容疑者が事故死してしまい、結局事件は迷宮入りとなる。この被害者の息子である暗い目をした小学生の少年と、その愛人らしき女性(のち、謎の死をとげる)の娘である美少女が、この物語の主人公である。

 以後、この二人の人生が交互に丹念につづられてゆく。この事件を境に、彼ら二人の運命は大きく変わっていった。いや、狂っていったというべきか。彼らは、もはや明るい太陽の降り注ぐ昼間の世界には生きられない人間になってしまったのだ。かといって、暗黒の闇の世界でもない。一見薄明るいけれども偽りの昼―白夜に生きる人間になってしまったのだ。彼らの生きる道はその偽りの世界にしかなかった。どうしても、どうしてもそうせざるを得なかったのだ。

 彼らは密かに周りの人間すべてを欺き、まことしやかな仮面のその裏で、誰も想像もつかないような策略をめぐらす。その冷徹さは、背筋が寒くなるほどだ。ここまで恐ろしいことが、この若さでできるとは。同時に、彼らから人間らしい感情を一切奪い去り、ここまで追い込んだ何かへの謎と怒りが突き上げる。やがて、その仮面は少しずつボロボロと、疑いを持ち始めた周囲の人間によってはがされてゆく。彼らの末路は?

 この二人は決して最初からこんな悪人ではなかったのだ。純真な普通の少年少女だったはずなのだ。なのに、気がつけばこんな暗い謀略の道を突き進むことになってしまった。そこに、私は人間の悲劇を見る。たったひとつの狂った歯車により、人生の全てを狂わされてしまった二人。この小説は、偽りの昼に生きようとし、だが生きられなかった彼らへの鎮魂歌である。深い、読み応えのある1冊。

〔乱読トップへ〕


『バンシーの夜』☆☆☆☆船井 香  あさぎ書房 Boys & Girls セレクション(99.5刊)

 5月の新刊だったのだが、配本がなかったため、やっと注文分が入荷した。著者は1987年に『にじいろのこどもたち』であさぎ幼年児童文学賞佳作に入選。これは初の長編とのこと。今注目の寮美千子あたりの路線だろうか。日常に疲れて、夢を忘れかけてるオトナにこそ読んでほしい、そんなファンタジー。

 主人公である「ボク」の妹のターシャが、ここのところ毎晩変な寝言をしゃべり続けている。ところがある晩、ボクの夢が妹の昨夜の寝言そっくりになっていることに気がついた。いったいこれは?しかも町中の子供たちが、同じ夢を見ているらしいのだ。

 夢の中には「バンシー」という奇妙な怪物が登場する。これは一見するとゴジラそっくりなのだが、情けないことにでかい図体のくせに非常に臆病ものである。そんな彼、バンシーがある日、ひょんなことから「世界で一番美しいもの」を取ってこなければならないハメになる。それには、純真な魂が必要なのだ。彼は悩んだ末、子供達の夢に入りこんでは協力を願い出る。バンシーの困り果てた姿に同情した心優しい子供達は、毎晩夢の中で彼の手助けをするようになる。やがてそれは現実の町を巻き込んだ大冒険に発展してゆく…。

 夢の中でのバンシーと子供達の活躍がとても楽しい。「世界で一番美しいもの」を求めてあらゆる時間と場所を探しまくるのだが(ここのくだりが最高!夢の中だからなんでもできちゃうのだ)、なかなかそれは見つからない。果たして「世界で一番美しいもの」とはいったい何なのか?やがてバンシーと子供達の間に固い友情が芽生えたところで、皮肉にも別れがやってくる。

 夢と現実が美しく溶け合い、やがてひとつになってゆく過程が絶妙。夢も現実もどちらも大切なんだよ、とこの物語はやさしく語る。どちらかが欠けてはダメなのだ。両方が存在して初めて、世界は美しく輝くのだ。乾いた現実に忙殺されて、夢をどこかに置いてきてしまったオトナにぜひ読んで欲しい、ちょっとノスタルジックな一冊。きっと、子供だった頃のキラキラしてた自分を思い出すことができるだろう。あなたの心の中にも、「世界で一番美しいもの」は必ず眠っているのだから。

この本の注文はこちらへ→

〔乱読トップへ〕


『バトル・ロワイアル』☆☆☆☆☆ 高見広春 太田出版(99.4月刊)

 読後、号泣。ひたすら号泣。大きな岩で思いっきり頭をぶん殴られたようなショック。7月現在で、文句なく今年のワタクシ的ベスト1である。すごい。前評判はさんざん聞いていたが、これほどすごいとは思わなかった。どの書評も、私の感動と比べたらぬる過ぎる。

 しかもこれ、某社のミステリー小説賞で落選、某社のホラー大賞でも最終候補に残りながら全面的に批判を浴びて再度落選、太田出版によってやっと陽の目を見ることができたといういわくつきの小説である。こ、こんな傑作を落とすなんて信じられん!ちょっと読めば、これがただの殺人ゲーム小説なんかではないのはわかるはずなのに。

 舞台は1997年、東洋の全体主義国家、大東亜共和国(つまり、日本のもうひとつの姿、パロ。いわゆる恐怖政治の国)。この国では毎年全国の中学3年生の中からあるクラスを選び、彼らに殺し合いをさせ、最後に一人生き残ったものだけが勝者になるという、世にも恐ろしいゲームが実行されていた。

 そして今回、香川県のある中学校の3年B組、秋也たちのクラスが不幸にも選ばれてしまったのだ。彼らは全く何も知らないまま、修学旅行に向かう途中のバスごと拉致され、目覚めた時にはとある小さな島の分校にいた。坂持金発と名乗る(言うまでもなく金八先生のパロ、しゃべり方もそのまんま)政府の役人が、いきなり彼らに地獄のゲームの開始を宣言する。

 この坂持の登場からいきなり読者はこの本にのめりこんでしまうに違いない。このおぞましい男は、あの金八先生の口調で、彼らに無残な担任の教師の死体を突きつけ、怒りに叫ぶ秋也の友人を撃ち殺す。これを呆然と見ていた皆は、この目の前の恐るべき現実と坂持の言葉に「やらねばやられるのだ」と、つい今まで友人だったクラスメイト達を疑い出す。

 そして、クラス42人の凄絶な殺し合いが始まった。ああ、なんということだろう!彼らはまだたったの15歳なのに!このゲームを賭けの対象にしてるらしい汚い大人たちによって、否応無しに生と死、友情と裏切り、恋と恐怖の狭間に叩きこまれる彼ら。一歩間違えれば、それは確実に死を意味する。自分は目の前の友人を信じるのか?死が目の前に迫ってる今、自分は誰に会いたいのか?このどん底の状況で、ひとりひとりが最後に一体何を選ぶのか、これはまさに究極の選択である。

 著者は実に見事な筆で(この皮肉やパロに富んだ筆致は絶妙のセンス、素晴らしい)、42人のキャラクターをきっちり書きこんでいる。キャラとはつまり、彼ら42人の今まで歩んできたささやかな人生である。実にいろんな子がいる。どこにでもいそうなごくフツーの子達やそうでない子達。それが、次々にいともあっけなくぷちんと生の糸を切られてゆくのだ。しかも、昨日まで友人だった同じクラスメイトによって。胸が痛むなんて生易しいものじゃない。ひとり、またひとりと死んでいくたびに、「ひどい!」と叫びそうになるのをこらえるのがやっとだった。だって、彼らは誰も悪くないのに。なのに友を殺さざるを得ないなんて。しかも、あまりにむごたらしい死に方だ。まだ純粋な彼らの心と命をおもちゃにして虫けらのように踏み潰す、この国家に対するどす黒い怒りが湧いてくる。

 つまり、この小説は、こうやって無残に殺されざるを得なかった彼らひとりひとりの短かった人生を描いた究極の青春小説なのである。命が秤に掛けられた時、ひとは何を選択するのか?彼らのさまざまな最後に、読者は深く考えさせられるであろう。

 それともうひとつは、理不尽すぎる社会に対する怒り、というのも重要なファクターである。秋也の、踏まれても踏まれても決してあきらめずにこの暗黒国家に勝とうとする魂の強靭さを見よ。愛する者を殺された川田の深く静かな怒りを見よ。この社会風刺のブラックさと殺人描写のあまりにリアルな凄惨さ(つまり描写が映画を見ているように鮮やかで迫力があるってこと)が、審査員に総スカンを食らった原因か?確かにこの小説の設定は非人道的である。が、決して著者は暴力を礼讃しているわけではない。どう読んだって、これは暴力を固く激しく否定する、小説である。こんなことを絶対許してはいけない、と強く訴える小説である。

 とにかく、今年はなにをおいてもこれを読まねば損。断言します。傑作。

〔乱読トップへ〕


『みんないってしまう』☆☆☆☆ 山本文緒 角川文庫(99.6月刊)

 いやはや、まいった。やられた。ポップな装丁にだまされた。短篇集だから、軽い内容でさらっと読めるんだろうと思ったら大間違いだった。どれもこれも、ずっしりと重たく、濃厚で、胸にずどんとくる話ばかり。ひとつひとつの話が、すごい迫力を持っている。この路線に肉をつけて長編化したのが、『恋愛中毒』なんだな。特に、この中の一篇「片恋症候群」なんかはもろに『恋愛中毒』の下地になってると思う。いやもう、うまいとかいう世界を遥かに超えてしまっている。この本あたりから、著者は「物語を書く」ということに達観してしまったのではないか。

 恋愛を描くにしろ、家族を描くにしろ、とにかくこの著者の書く物語は甘くない。ほろ苦いなんて生やさしいもんじゃなく、舌がしびれるくらい苦い。この短篇集に、100%幸せという人生を送っている人はひとりも出てこない。どの登場人物も、苦しく、つらい思いを抱えて、血を吐くようにそれでもその人なりのやり方で生きている。人が生きていくというのは、それほどにヘビーである。著者はそんな人生の機敏を、どこか冷めた目で語るのだ。

 例えば「片恋症候群」。主人公は、同じ会社で知り合った、ひとつ年下の男性に恋をする。主人公は彼にアタックするのだが、彼は「たまに映画に行くくらいならいいよ」と答える。が、恋するオンナにそんな生ぬるい論理が通用するものか。彼女はなんと、彼の出すゴミをこっそり盗んできてしまうのだ。そして、3回目にして、ショックな物を見つけてしまう。

 彼女の行動は、一見奇異に思える。だが、読み進むうち、彼女がそんな行動に出てしまうのもなんとなくわかってしまうのだ。これは1歩間違えば犯罪なのかもしれないけれど、でも恋とはそういうものなのだ。プライドも何もかなぐり捨ててしまってもかまわないほどの、強く切なく哀しく自分でもどうしようもないものなのだ。

 最後の2行があまりに良かったので、失礼して引用させていただく。

 “恋が高尚なんて嘘だ。好きって気持ちはエゴでしかない。でも欲しいものは欲しい。どうしても欲しい。気持ちが悪いと思われても。一生口をきいてもらえなくても。”

 この本の裏表紙にある紹介文は、失礼だがぬる過ぎる。これはもっとずっと重厚で強烈で、人生の苦さをぎゅっと凝縮したような本である。皆様、だまされるなかれ。

〔乱読トップへ〕


『ボーダーライン』☆☆☆1/2 真保裕一 集英社(99.9月発行予定)

 集英社さんのご好意で、なんとゲラを読ませていただいた。まだ本になる前のゲラを読むなんて初体験!オイシイ思いをさせていただき、ありがとうございました。どうも編集の方か誰かが私のことをどこかから聞き付けたらしく、白羽の矢が当たった模様。ひ〜、私なんかでよろしかったんでしょうか?一介の書店員というだけなのに〜。恐縮です。

 失礼ながら著者の書いた本を全部読んではいないのではっきり言明できないのだが、彼が海外を舞台にして小説を書いたのってもしやこれが初めてでは?そう、この物語の舞台はアメリカ、ロサンゼルスのリトル東京。主人公は、その地で総和信販ロサンゼルス支社の調査員として働く日本人探偵である。

 最初のうちは、「ははーん、これはいわゆる海外の私立探偵ものハードボイルドの日本人版を目指して書いたんだな」と思っていた。そこここで語られるエピソードが、なかなかの雰囲気づくりをしている。が、読み進むうちに、それだけではないことに徐々に気がついてきた。著者はこの主人公を通して、この現代社会に巣食うさまざまな問題―正義と悪、親と子、日本とアメリカ、今の若者たち、などなど―を提示している。そして、「この登場人物たちはこういう道を選んだ。が、あなたならどうする?」と読者に自分の価値観を問うているのだ。つまり、著者の描きたかったのは主人公の活躍や葛藤よりむしろ、この病的に歪んだ犯罪社会そのものではなかったのか、と思ったのだ。

 主人公サムの元に、ある依頼が届く。それは、ある日本人の若者を探してほしいというものだった。が、その写真を見て、サムは何か引っかかるものを感じる。捜索を始めた彼は、やがて本人を発見するのだが、子供のように純真な笑顔の本人から、いきなり銃を乱射される。

 やがて、依頼主が登場し、だんだんと事件の全貌が明らかになってゆく。あの天真爛漫な笑顔の裏には、信じられないほど残虐で冷酷な悪が隠されていたのだ。

 正義の為に悪を裁くことの是非、しかもそれに親子の情が絡んでいるという微妙さ。サムと同時に、読者にもこの問題は重くのしかかる。私も子供を持つ身なので、これには深く考えさせられた。自分の子供が犯罪者になってしまったとき、その責任をどう取るか?親が子を裁いていいのだろうか?愛する子供を自らの手で裁くことができるだろうか?この問いにおそらく正解はない。

 とびきり濃いブラックコーヒーのように、苦味のある小説。それでも、主人公の最後の決断などに、こんな社会でもまだ人間らしさを失わずにいる人が存在するのだ、という救いがある。あなたなら、彼らの決断をどうとらえるだろうか。

〔乱読トップへ〕


『クロノス・ジョウンターの伝説』☆☆☆☆1/2 梶尾真治 
朝日ソノラマ文庫(99.6月刊)

 「愛は時を越える」。そんなちょっとキザなセリフがぴったりの本。あの名作「美亜へ贈る真珠」路線の、珠玉の純愛タイムマシンSF。いやもう、カジシンってこういうピュアでリリカルなラブストーリーを書かせたらピカイチね!またしても泣かされてしまいました。

 〈クロノス・ジョウンター〉とは、ある研究所で開発されたタイムマシンである。ただし、この機械は過去にしか跳べない。しかも、いったん過去に行ったら、出発した時点より未来に跳ばされてしまう、過去にはほんの数分間しかいられない、3度しか跳べない、などというかなり多くのペナルティをもったタイムマシンである。

 この本は、この〈クロノス・ジョウンター〉をめぐる3つの連作集である。そのどれもが、愛する人のためにさまざまな犠牲を投げ打ってでも時を越えるという設定である。たとえば、一作目の「吹原和彦の軌跡」。彼は、事故で死んでしまう片思いの女性を救うため、まだ実験段階の〈クロノス・ジョウンター〉に無謀にも乗り込む。そして事故の起きる前の時間まで戻り、彼女に「逃げろ」と説得する。が、ほんの数分話しただけで、彼は出発時より何年かのちの未来へ引き戻される。が、彼はあきらめずに再度説得に向かう。さらにまたずっと未来に、浦島太郎状態で戻されようとも。もし彼女が事故で死ぬことから免れても、彼に会うことはもうできないというのに、それでも彼は彼女への思いゆえに〈クロノス・ジョウンター〉に乗り込むのだ。

 このひたむきな愛には、涙を禁じえない。そして、「愛は時を越える」。時の神〈クロノス〉は、3組の恋人達にやさしく微笑むのだ。少々苦味を残しながらも。でもおそらく彼等は幸福であろう。そして、読者も本を閉じた後、さわやかな涙と共に、じんわりと胸に広がる幸福を感じるのである。

 「美亜〜」ファンならゼッタイゼッタイ必読の傑作!SFファンには思わずクスッと笑わせる箇所が随所にあるのも、カジシンらしい。この方の本を読んでると、いまだに彼がアマチュアSF少年であるような錯覚を覚える。プロになっても、アマチュア時代の遊び心を忘れていない。年齢を全く感じさせない、みずみずしさにあふれたストーリーに、彼の感性の柔らかさがよく出ている。まさに万年SF少年ともいうべきお方である。もちろんSFファンでない方にもぜひぜひオススメの一冊!

〔乱読トップへ〕


 『新解さんの謎』☆☆☆☆ 赤瀬川源平 文春文庫(99.4月刊)

 何年か前にベストセラーになってたのはよく知っていたが、ああ、なぜあの時、パラパラっとでもいいからこの本を開いてみなかったのだろう!まさか、こんなに面白い本だったとは!いやいや、「面白い」なんて表現は生ぬるい。これは、あの「VOW」もたじたじの、抱腹絶倒の大爆笑本だったのだ!私はもろにツボにはまってしまい、笑いが止まらなくなり、マジでひーひー涙を流しつつ読みました。電車で読むこと厳禁!他人から白い目で見られること必至でしょう。未読の方、読まないと損ですよ!

 今更説明するまでもないが、これはあの三省堂の「新明解国語辞典」の中の、説明文が笑えるぞ、という話。ことの起こりはSM君からの電話。彼女が、この辞書の説明文はヘンだぞ、という話をもってくる。で、「恋愛」に始まって、さまざまな語が紹介されるのだが、たたみかけるようなあれもこれものヘンテコな文章にもうメロメロ。それにしても、辞書の文章から、「新解さん」という人物像を浮かび上がらせる著者の目のつけどころのすごさよ!誰でもできそうでいてできない、これはコロンブスなみの発見だ!説明ページの隣に入った写真がまた笑いを誘う。

 後半は「諸君!」で連載されていた「紙がみの消息」というエッセイ。「紙」にまつわるさまざまな話を、軽くおかしく、でもちょっと疑問を投げかける、といった風に書いている。笑いながらも、紙のムダについていろいろと考えさせられる話である。紙というものの持つ価値、それはムダだけでは割りきれないものがあるのだが、でも森林は非情にばっさばっさと切られてゆく。サイバーな時代になってきているのに、紙の需要はなかなか減らない。かくいう私とて、紙版とネット版の両方で「銀河通信」をやっているのは、やはりどちらも捨て難い良さがあるからだ。この矛盾に今更ながら、う〜むとうならされる。

 「新解さん」も、「紙がみ」も、どちらもありふれたものなのに、そこに既成の常識にとらわれずに面白いものを発見する、この著者独自の斬新な発想に脱帽。今話題の「老人力」といい、彼のコロンブス的発見には今後も目が離せないだろう。

〔乱読トップへ〕


『たんぽぽ娘』☆☆☆☆ 風間潤編 集英社コバルト文庫(S55.2月刊)

 「海外ロマンチックSF傑作選」という言葉がぴったりの、甘口の短篇ばかりを集めた、SFアンソロジー。いやあ、コバルト文庫、いい本出してたのね。確かに、若い女の子のSF入門にはぴったりの本。これがお気に召したら、他のこんな本もどうぞ、なんていう紹介もあとがきについてて、とても親切。こういうSF初心者向きの本、今でも出せばいいのに。これを復刊したっていいし。「異形コレクション」はちょっと通向きだからねえ。

 ブラッドベリ、ジュディス・メリル、ゼナ・ヘンダースンなどの書いた8つの短篇が収められている。タイムマシンもの、惑星移住もの、有翼人ものなど、テイストはさまざまだが、どれも甘くてちょっとほろ苦い。みないい話だが、中でも気に入ったのは、やはりロバート・F・ヤングの表題作。妻や息子と離れて、夏期休暇の2週間をひとりで過ごすハメになった44歳の男性が主人公。彼は散歩に出た先の丘で、未来からタイムマシンでやって来たという、たんぽぽ色の髪の美しい若い娘に会う。ふたりはいつか恋に落ち…といった話。予想どおりのオチなのだが、過剰な説明を抑えて、淡々としめくくっているので、静かで心地よい余韻が残る。『翼のジェニー』(ケイト・ウェルヘルム)も好きな話。

 それにしても、この本を入手するのは大変でした(SFセミナーでのオークションの私の戦いぶりをご覧になった方にはご理解いただけるかと(笑))。確かに、必死でゲットするだけの価値ありの名作。売ってくださった方、ありがとうございました。おかげさまで堪能いたしました。

〔乱読トップへ〕


『星兎』☆☆☆1/2 寮美千子 パロル舎(99.5月刊)

 『ノスタルギガンテス』と同じくらいの年齢であろうと思われる、少年が主人公。やはり、少年のナイーブな心をうまく描いている。あの話よりは短いので、中篇というか小品のような感じ。小さなガラス細工みたい。

 ヴァイオリンのレッスンをさぼって街をうろうろしていた「ぼく」は、人波の中で突然、等身大のうさぎと出会う。ぼくは、なりゆきで、そのうさぎと友達になってしまう。が、人々はなぜかそのうさぎを見ても、そ知らぬふりをするのだった。

 ぼくとうさぎは、ドーナツ屋に入ったり、海に遊びに行ったりして、楽しい時を過ごす。ふたりのやりとりが純粋で切ない。言葉じゃうまく言えない気持ちの一番大切なところを、さりげない描写で表現していて、ああ、そうなんだよね、と思わせる。ただうさぎといっしょにいるだけで楽しいというところや、手をつなぐシーンなんかが特に印象的で、まるで当人が気がつかないくらいに淡い恋のようだと思ってしまった。(全体的に、なんとなくこのふたりの関係にはほのかな恋情を感じてしまった。たぶん、著者は友情を意図して書いたのだと思うのだが)

 ファンタジックな祭の後、唐突に別れがやって来る。人と人は出会い、ふれあい、そして別れてゆくものなのだ、ということを淡々と描いた話ともいえよう。が、そうやって愛する人と別れることになっても、お互いの心に残ったものはいつまでも消えない。なんでもない銀色の王冠がぼくにとってかけがえのない宝物になったように、うさぎと過ごした時間や思いはぼくの中で宝物として結晶化して、いつまでも大切に心の奥にしまわれるのだろう。

 とても切なく、ガラス細工のようにはかなく美しい、そんな物語だった。

〔乱読トップへ〕


『クリムゾンの迷宮』☆☆☆1/2 貴志祐介 角川ホラー文庫(99.4月刊)

 あの『黒い家』の著者の作品だが、びっくりするくらいタッチが違う。『黒い家』は陰湿でどろどろしてて、例えるなら暗くて空気がじっとり湿ってて、壁一面カビの生えた座敷牢、みたいなイメージだったのだが、『クリムゾン〜』はもっとずっと乾いている。あまり感情のどろどろがなくて、ドライで、無機質的。ゲーム的要素が多く入っているゆえか。前者は、読後いつまでもじっとりした陰湿感がぬぐえないのだが、後者は砂がさらさらと手からこぼれ落ちてしまったように、後に何も残らなかったという空虚な感じがした。

 主人公藤木は、会社が破綻したため無職になった、40歳の男性。彼が目覚めるとそこは赤い奇岩が連なる全く知らない異様な世界だった。何故自分はこんなところにひとりでいるのだ?彼は、自分の周りに置いてあった食料と共に、携帯用ゲームを見つける。そのメッセージは「火星の迷宮へようこそ。ゲームは開始された」と告げていた。やがて彼は、何人かの人間と出会い、恐怖の殺戮ゲームに巻きこまれてゆくのだった…。

 生身の人間がゲーム機に従ってゴールを目指すという、話の設定が読者を惹きつける。次はどうなるのだ、と先が気になって気になってぐいぐい読んでしまう。なんたって、自分の選択の間違いによる失敗、ゲームオーバーはすなわち自分の死を意味するのだから。生と死のはざまにいるというスリルがたまらない。

 後半はやはりホラー的展開。といっても、やはりこの著者だなあと思うのは、彼が恐怖の対象とするのはいつでも超常的な存在ではなく、ただの普通の人間だということ。なんでもない人間がだんだん狂気に侵されてゆくさまをじわりじわりと描いてゆく。このあたりはやはり『黒い家』と共通するところがなくもない。

 謎を残したままのラストがちょっとアレだが、私はまあこれでもオッケー。話の展開が実に面白く、ホラータッチのエンターテイメントとしてはとても楽しめた。

〔乱読トップへ〕


ホーム ボタン