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  ★ロンドンミッション

 この視察企画にロンドンミッションという名称を与えたのは、木更津ネットの高橋てる子さんである。早くから、NPOや、社会起業家の重要性を語り、木更津そごう跡で、市民活動センターレッツ木更津を事業化している彼女の熱い思いに動かされて、今回のロンドン視察が実現した。その社会起業家とは、儲からなくても社会的に必要な事業を起業する人であり、その特徴はミッション(使命感)であることから、準備のための学習会などを重ねるうち、ロンドンミッション=この視察となった。
 イギリスでは、ゆりかごから墓場までという福祉国家だったが、高齢化、失業、若者の麻薬やアルコール中毒、ホームレス問題や環境破壊、子どもの虐待など複雑多様化する課題をすべて行政という公的セクターで対処することは無理という認識のもと、市民のNPO活動に対する期待が高まった。もともとボランティア活動の歴史300年を超えるイギリスであり、全国組織から地域の小さな組織まで活発な活動を展開していた。
 イギリスの社会起業家(アントレプレナー)のモデルとして、たびたび取り上げられるアンドリュウ・モーソンさんは、ロンドンの東、ブロムリーバイボウ地区の荒れ果てた教会に牧師として赴任した。工場が撤退した後の町は失業者が多く、犯罪多発地区でもあった。
 もてるものといえば、教会の建物だけ。しかし、先ずその教会を地域の芸術家にアトリエとして貸し出し、子どもの保育所としても貸し出した。次第に教会に人が集まり始め、多民族都市ロンドンに多い移民の女性の美容院を始めたいという夢に出資をし、成功させた。
 精神障害者の人たちが教会の庭を美しく手入れし、子どもの遊び場には芸術家たちによる遊具や彫刻がおかれた。モーソンさんは各地の小さな社会起業家が互いに助け合い、連携する組織CANも作った。そして、ホームレスの人たちの食事を3万人用意するというイベントを実現した。まだ小さな子どものいるモーソンさんを始め、社会起業家やそのスタッフの多くは若く、柔軟な発想が活動に生かされていると感じた。
 こうした状況の背景にはもちろん保守党政治から労働党ブレア政権への転換がある。ブレアはこうしたNPOやアントレプレナーを行政の対等なパートナーと位置付け、事業を委託していくうえでの行政の具体的基本方針を示した『コンパクト』を作成した。今、地方自治体のローカルコンパクト作りが進んでいる。

 ★ホームズとワトソンのイメージが強すぎた?

 ロンドンについて、私たちが持っていたイメージは大きく変化させられた。ひとつは寒いというイメージ、ホッカイロや遠赤外線の長袖の下着(パッチを持っていった人もいたとか)をたくさん持っていった私たちの一行は無駄な荷物にうんざり。
 しかし何より面食らったのは、街を歩いている人や地下鉄の乗客を見ても、アフリカや中東、アジアの人たちが多いこと。ロンドンはニューヨークやバンクーバーよりも多くの人種が混じり合って暮らしている世界一の多国籍都市であった。
 またサッチャーの強力な行政改革後でも、国民の福祉は日本に比べるとずっと整っているということ。たとえば、若者が何の資格もなく高校を卒業して、就職ができない場合でも、失業手当が支給される。ちなみに日本は一旦就職し保険金を払った場合のみ失業保険金が出る仕組みである。しかも、長くて1年程でその権利も失われる。
 同じワークシェアリングという言葉でも、被雇用者の権利がずっと弱い日本と、イギリスやドイツ、フランス、北欧諸国などでは違う意味と認識すべきであると感じた。。

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