『イグアナの娘』前夜、『南くんの恋人』…高橋P&岡田氏の初タッグ

『イグアナの娘』から遡ること二年の1994年、のちに『イグアナの娘』が放送されることになる月曜ドラマ・イン枠で『南くんの恋人』なるテレビドラマが放送された。内田春菊原作のコミックをもとにして、高橋由美子・武田真治らを主役に配したこの作品こそ、高橋浩太郎プロデューサーと岡田惠和氏とのコンビによるはじめてのドラマだった。

当時、岡田氏はフジ(共同テレビ制作)の『白鳥麗子でございます』などに参加し、脚本家としてのキャリアをコンスタントに重ねていた。しかしシリーズを通してひとりで書くチャンスにはまだめぐりあえず、いわば「抑えのピッチャー」的ポジションだったという。

その当時のことについて『TVドラマ女優名鑑'98』(洋泉社刊)で、次のように岡田氏は語っている。

(デビュー以降『映画みたいな恋をしたい』、『白鳥麗子でございます』の話を経て)

■なんか抑えピッチャーみたいなポジションだったんです。

小松 脚本家としてだんだん仕事が順調に入るようになってきましたよね。
岡田 『白鳥』『チャンス!』『じゃじゃ馬ならし』『白鳥2』と4クールぶっ通しで参加したんです。まあ楽しかったっていうのが一番なんですけど、ただ楽しいだけじゃなくて、自分で頭からやってみたいなっていう欲はあったんですよね。ただなかなかそういうチャンスはないというか、共同テレビではなんか抑えピッチャーみたいなポジションだったんです。

小松 一番最初にひとりで1本全部かいたのは。
岡田 『南くんの恋人』です。
北川 その頃に黒田徹也さんがテレ朝に移ったんですよね。
岡田 僕としては「僕たちのドラマシリーズ」の第2弾の『時をかける少女』をやるかもしんないよっていう雰囲気があったんですが、それを待っていてもしょうがないなっていう時期だったんで、そういう時にテレビ朝日の高橋浩太郎さんから依頼が来て、それは飛びつきましたよね。
小松 『南くんの恋人』ってご存じでしたか。
岡田 偶然ですけど読んでました。
小松 あれを脚本するのは難しいとは思いませんでしたか。
岡田 思わなかったですね。もともとアイドルドラマの原作じゃないんで、そのままやったら深夜だろって危惧はしましたけどね。高橋由美子は正統派アイドルですよね。その子を使ってどうアイドルドラマとして変換させるかっていうところが難しかったですね。これはできないだろっていう部分が当然いっぱいあったし、月曜8時という子供とかティーンエージャーとかをドラマの枠としてはターゲットにしてたんで、やっぱりその子たちが見られるものにしなければいけないっていうのがありましたから。
小松 原作はかなり暗いしエッチだし……。
岡田 そうですね。そのへんは小さくなるっていう関係性だけを貰って、小さいっていうことによって起きるネタというかそういう部分は原作から貰ったけど、あとはオリジナルかなっていう覚悟でしたね。だから逆に、もうこれはオリジナルかなって思った瞬間から、気が楽になりましたね。
小松 『南くんの恋人』は視聴率も評判も良かったじゃないですか。僕もあれを見ていて、高橋さんや岡田さんの名前をはっきり意識しました。
岡田 僕としても、今まではドラマやってても、『チャンス!』でも『じゃじゃ馬ならし』でも、結構自分なりに貢献はしたつもりでも、表記上は「北川悦吏子、他」ですからね(笑)。テレビ誌とかそうじゃないですか。他はないだろっていうのがあったんで、やっぱそういう意味でも嬉しかったですよね。

TVドラマ女優名鑑'98(洋泉社刊)
ロングインタビュー「脚本家・岡田惠和」より
聞き手=北川昌弘・小松克彦・高倉文紀
構成=小松克彦・高倉文紀

サブではなくメインのライターとして書くということで、岡田氏にとってターニングポイントとなる作品だったにちがいない。でもそれ以上に高橋プロデューサーにとっても大きな意味があったのではないだろうか。
そもそも『南くんの恋人』のドラマ化は、高橋氏が制作に異動する以前の編成時代からあたためていた企画であり、はじめて自らの企画によるプロデュース作品だったのだ。
この、岡田・高橋両氏にとって記念すべき作品だった『南くんの恋人』は、スペシャルの続編が制作されるほどの成功をおさめた。

ヒロインが小さくなってしまうというファンタジックな設定や、高校三年という主人公たちの設定年齢、あえて探せば(細かいところでは初回、バスケットボールのシーンで人間関係を見せるところとか)『イグアナの娘』に通じるといえなくもない部分はあるが、物語世界やテーマはまったく異なるものだった。だが、この両氏のタッグの成功があったからこそ、後の企画もつくられたのだろう。
実際、翌1995年の『最高の恋人』を経て、そして『イグアナの娘』へとつながっていく。