『イグアナの娘』をテレビドラマで描きたい…その"暴力的"なまでの熱意
『イグアナの娘』を企画した高橋プロデューサーと原作との出会いは、いわばまったくの偶然だった。
『南くんの恋人』『東京大学物語』などの制作歴からマンガマニアと受けとられがちだが、実はそれほどマンガを読んでいるわけではないという。
「タイトルから受けた直感」から手にした原作の単行本。そんな出会いだった。
小松 でも、かなり読んでる人でも『イグアナの娘』は知られていませんよね。だから、それをドラマの企画にもってくるのは冒険ですよね。
高橋 だからそれもやっぱりタイトルから受けた直感だからね。全然何も期待してなくて、単行本を読んだんだけど、ちょっと半端じゃなく泣けたんです。それは8年前に『南くんの恋人』を読んで以来のことですね。『東京〜』の時もじわっとは泣けたけど、ホントに『イグアナの娘』は泣けちゃってね。僕は、これを映像化したいと思ったわけです。だから僕は勝手に感動してやりたいと思ったんだけど、問題はどうやってそれをテレビドラマにもって行くかってことで、やっぱり『南くん〜』より明らかに困難なわけですよ。『南くん〜』の場合は1枚の絵として強いでしょ。両方とも動いているわけだし、2ショットが1枚の絵の中にはいっちゃいますからね。で、大体小人って事が派手だし、娯楽性が高いんだけど『イグアナの娘』の場合はイグアナか人間かどっちしかないわけですよ。いつも両方を見せてたらわからなくなる。実際は原作は99%イグアナなんです。で、ほんの2、3カットだけ人間の顔。だから、まず、脚本家の岡田惠和さんに、脚本が僕にとって一番大事だから、これやりませんかって話をしたんだけど、さすがに「絵が浮かばない、テレビドラマでは伝わらないんじゃないか」って反応だったんです。
TVドラマ女優名鑑'97(洋泉社刊)
ロングインタビュー「テレビ朝日 高橋浩太郎プロデューサー」より
聞き手=北川昌弘・小松克彦・高倉文紀
構成=小松克彦 |
高橋プロデューサーが原作「イグアナの娘」から受けた感動。ここからすべてが始まったわけである。とはいえ、必ずしもすんなりと事が運んだわけではない。インタビューにもあるように、脚本の岡田氏の答もはじめはノーだった。そのため、『イグアナ…』を保留にしてそれ以外の企画をいくつか検討したこともあったという。
小松 萩尾望都ってかなり話難しいじゃないですか。人間の内面的な部分を、失礼かもしれませんけどテレビドラマでもなかなか難しいようなシリアスな部分を結構言う人じゃないですか。ああいうのってテレビドラマで家で寝っころがって見てる人たちに耐えられるのかなって心配になりましたけど。
高橋 だからね、何が違うかっていうと『南くん〜』のときもそうなんだけど、先にこれを映像化しちゃっていろんな人に見せたいっていう思いが先行しちゃってるんですよ。あとはどう作れば視聴者との接点が広がるかしか考えてないんです。だからキャスティングに自分なりに凝ったりとか、あとは最終的に本とか展開に凝るんですよ。何を拾って何を捨てれば伝わりやすいかって考える。だから岡田さんが一言やってくれるって言えば、コンビネーションがあるから、僕はそこは自信があったんですよ。ところが最初のリアクションはちょっと絵が浮かばないと、舞台ではあるかもしれませんがTVでは無理だと思いますって反応だったんですよ。でも、それは当たり前ですよね。僕の知る限りでは一番冒険を恐れない脚本家である岡田さんがそう言うんだから、これは無理に違いないって思いました。それで他にもいろんな企画はたてたんですよ。でも僕はどうしても『イグアナの娘』をやりたかったんです。(後略)
(前出インタビューより) |
結局、岡田氏も「どうしても『イグアナ』をやりたいっていう高橋さんの暴力的とも言える熱意にうたれて」(TVドラマ女優名鑑'98)『イグアナの娘』をやることが決まったのである。
しかしドラマ化のハードルはそれだけではなかった。
そもそも原作者の萩尾望都さんの回答も、初めのうちは「NO」だったのだ。
ところが人を介してその返事を受けとった高橋プロデューサーはそれでもあきらめきれず、直接電話で萩尾さんにドラマ化への自らの思いを伝えた。それは時間にしておよそ五分ほどの短いものだったという。
それからしばらく経った頃、思いもかけずに萩尾さんからの返答が返ってきた。なんとそれは、ドラマ化OKの返答だった。
短い電話のやりとりのなかで高橋プロデューサーの「熱意」が萩尾さんの気持ちを動かしたのかもしれない。
「萩尾望都さんの原作を読んだ時、涙が止まらなかった。その感動を多くの人に伝えたいと思いましたね。最初はドラマ化にNGだった萩尾さんもOKしたら信用してますからと台本もご覧にならない。途中で、(オンエアを)楽しんでます、とコメントをいただきホッとしました」(TVぴあNo.224)とは後の高橋プロデューサーの弁。
そんな作り手の思いから出発した企画だったのだ。
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