高まる反響…視聴者からの手紙、新聞・雑誌、声そして
1996年7月10日付の朝日新聞にこんな記事がある。
<だれのため世帯から個人へ視聴率>
四月半ば、東京都内のある家庭に主婦数人が集まった。新年度に始まったテレビ番組について順に感想を言い合う。「イグアナの娘」に移った。「子を愛せない母親」と「親に愛されない娘」との心の葛藤を描いたドラマで、テレビ朝日系列で全国放送された。一人が熱っぽく語った。
「主人公の女子高生がけなげなのよ。母親の偏見やいじめにも、じっと耐えている。かわいそうで泣けてきちゃう。がんばってと、思わず応援したくなる」
|
視聴率は高くなくとも番組を見た視聴者の評は決して低くなかった。
初回については高橋プロデューサーには構成上の意図もあった。
「数字が出た時は各方面からボロクソ言われましたよ“何で他のドラマは明るいのにこんなに暗いのか”と。こちらとしてはドラマの頭は意図的にメチャメチャ暗くしてるわけ。岡田さんとは上へ上へ上がっていく感じでやろうと決めてたんです。これはリカの成長物語。コンプレックスを克服してどう幸せをつかむかって話だから。そういう意味では第1話の無限の暗さというのは必要悪だった。これがあるからその後にカタルシスがあるんだと」
TVぴあ No.219(1996/6/22〜7/5)
「TV向上委員会 ドラマ鑑定団スペシャル ありがとう『イグアナの娘』」より |
はたしてそのことは、やがて視聴者からの反響として徐々にあらわれる形で証明された。
局にはこれまでに例をみない幅広い層からの手紙が届き始めた。ドラマの中のリカたちより幼い少女からも、あるいはゆりこと同じ世代の主婦からも、伝えずにはいられないという想いを込めた便りが、ひとつまたひとつとテレビ朝日に寄せられたのである。
自分の境遇とリカやゆりこを重ねていたり、劇中の人物に対してあたかも彼らが実在するかのように想いを綴っていたり、反響は日増しに増えていった。
そしてそんな視聴者の声を追いかけるようにしてマスコミにもとりあげられ始めた。
たとえばそのひとつに、先に引用した『TVぴあ』がある。北川昌弘氏・飛多あゆこ氏・相田冬二氏・麻生和也氏(順不同)らの、「ドラマ鑑定団」は絶賛といえるほどの賛辞を送り、最終回に向けて破格のエールを送った。
前後して6月8日の朝日新聞では「母と娘、愛憎めぐるトラウマ」との副題をつけた学芸欄記事で、精神科医の斎藤学氏、作家の落合恵子氏らによる作品評が展開された。この記事は、「批評の広場」というタイトルで、当時の世相で社会現象と呼べる事象をとりあげるシリーズで、紙面も新聞の全面のうち、半分ちかくの7段にわたる大きな記事であった。
いつしか視聴率も初回を大きく上回り、ついに迎えた最終回では20%に迫る勢いでラストを飾ることになった。
こうして「イグアナの娘」はドラマ史にその名を残す作品として、深く視聴者の心に刻まれることになったのである。
|