イタリアで共産主義諸政党が国会議席全滅
共産党・共産主義諸政党のすべてがいなくなった!
2008年総選挙141議席→0議席の衝撃的結果と原因
(宮地作成)
〔目次〕
1、08年総選挙と共産主義諸政党国会141議席→0議席結果 (表1、2)
〔全滅原因1〕、改定選挙法の規定=得票率4%未満政党への議席配分なし
〔全滅原因2〕、小原耕一による有権者意識変化
〔全滅原因3〕、論考における有権者意識変化
〔全滅原因4〕、私が考える有権者意識変化−共産主義・左翼思想との決別
5、日本の有権者意識との相違点・共通点と日本共産党自然死展望 (表3、4、5)
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り
『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約
Wikipedia『2008年イタリア総選挙と結果』
Wikipedia『2006年イタリア総選挙と結果』
Wikipedia『イタリア共産主義再建党』
小原耕一『イタリア総選挙の結果を考える』元イタリア駐在赤旗記者
1、08年総選挙と共産主義諸政党国会141議席→0議席結果
2008年4月、イタリア総選挙が行われた。イタリア共産党は、左翼民主党→左翼民主主義者になり、さらに他党と合併し、民主党になっていた。この総選挙において、民主党中心のヴェルトローニ連合は、ベルルスコーニ率いる中道右派連合による政権奪還を許した。ただ、民主党は、上下両院とも、33%前後の得票率を獲得し、かつて、イタリア共産党最盛期の得票率に匹敵する前進をした。
下記(表1)は、在ローマ・ジャーナリスト茜ケ久保徹郎の評論『イタリア中道左派政権の復活と左翼の惨敗』(労働運動研究所・復刊20号、2008年8月、P.52)に載った(表)の一部を引用した。イタリア左翼は、2008年4月総選挙において、国政選挙議席で消えた。得票率も激減で惨敗をした。
イタリアは多政党乱立による政局混乱を避ける目的で、06年総選挙後、選挙法を改正した。共産主義再建党も賛成した。得票率4%未満政党には、議席配分をしないとする内容である。共産主義再建党を中心とする「虹の左翼」連合は、皮肉にも、自らが賛成した選挙法規定によって、国会議席が全滅した。「虹の左翼」連合内の主要政党は、共産主義再建党・イタリア共産主義者党・民主的左翼・緑の連盟という4党からなる。
(表1) イタリア共産主義諸政党の自然死=国会議席で消滅
イタリア左翼政党 |
上院 定数322 |
下院 定数630 |
||
議席数 |
得票率 |
議席数 |
得票率 |
|
2006年、共産主義再建党、イタリア共産主義者党、他 |
28 |
11.6% |
113 |
10.2% |
内−共産主義再建党のみの結果 |
27 |
7.37% |
41 |
5.84% |
内−イタリア共産主義者党のみの結果 |
16 |
2.32% |
||
2008年4月、左翼「虹」連合 |
0 |
3.2% |
0 |
3.1% |
Wikipedia『2006年イタリア総選挙と結果』
左翼民主党→民主党の総選挙結果はどうだったのか。イタリアには、政党数がきわめて多い。全政党の選挙結果データはリンクにある。この(表)では、民主党と「虹の左翼」の得票数・得票率・議席数だけを載せる。国内選挙区と国外選挙区との合計にする。(表2)は、小原耕一データに基づく。茜ケ久保徹郎データに基づく(表1)「虹の左翼」数字とは、左翼政党の数え方で、得票率が同じだが、議席数が若干違う
(表2) 2008年、民主党と「虹の左翼」総選挙結果
上院 定数322 |
下院 定数630 |
|||||||
得票数 |
得票率 |
議席数 |
議席増減 |
得票数 |
得票率 |
議席数 |
議席増減 |
|
民主党 |
11042325 |
33.70 |
118 |
+13 |
12092998 |
33.17 |
217 |
−3 |
虹の左翼 |
1053154 |
3.21 |
0 |
−38 |
1124418 |
3.08 |
0 |
−72 |
Wikipedia『2008年イタリア総選挙と結果』国内選挙区と国外選挙区と別々
小原耕一『イタリア総選挙の結果を考える』末尾に国内選挙区と国外選挙区との合計
2、イタリア共産党崩壊→左翼民主党と共産主義再建党への分裂
戦後、イタリア共産党は、ヨーロッパ最大で、1947年党員登録者数は225万2916人だった。しかし、1970年代後半から、ヨーロッパのコミンテルン型共産党すべての党員離党が激増し始めた。イタリア共産党での党員数減少は、1976年〜90年で、党員数−49万4412人・党員減少率−27.2%になった。党員減少数とは、新規登録者数との差引数字である。このデータは、後房雄『大転換−イタリア共産党から左翼民主党へ』(P.34)に載っている。毎年の減少数は別ファイル(表)に載せた。
『イタリア・フランスと日本との公表党員数と増減の違い』党員数減少データ
1986年以降、差引の党員数減少テンポが急上昇した。1989年から91年にかけての東欧・ソ連10カ国と前衛党いっせい崩壊と、それらコミンテルン型前衛党犯罪情報の大陸地続き大津波で、(1)ユーロコミュニズム運動もドミノ的に破綻し、(2)イタリア共産党も崩壊し、1991年、左翼民主党に大転換した。大転換とは、ユーロコミュニズム運動中にもかかわらず、党員数が激減し続け、そこからの必死の生き残り・脱出策だった。マルクス・レーニン主義との断絶・放棄を公然と宣言した。その放棄に反対する勢力が共産主義再建党を結成し、イタリア共産党は分裂した。
『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り
『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約
イタリア共産党から左翼民主党への転換と、共産主義再建党への分裂の経過を確認する。
1976年、大会で「プロレタリア独裁」の用語を放棄した。
1986年、「そのたびごとに決定される多数派の立場とは異なる立場を公然たる形においても保持し、主張する権利」の規定を行う。
1989年、第18回大会、民主主義的中央集権制を放棄し、分派禁止規定を削除した。
1991年、第21回大会、左翼民主党に転換した。同年12月、少数派が共産主義再建党を結成した。
1996年、総選挙で中道左派連合政権が誕生した。左翼民主党21%、共産主義再建党8.6%の得票率で、「オリーブの木」全体では、319議席を獲得した。
1997年、左翼民主党第2回党大会における党員数は68万人で、このうち女性党員が28.5%を占めた。
2006年、共産主義再建党の党員・党友数は9万3196人だった。その政治的思想・立場は、選挙左翼連合「虹」であり、共産主義、ユーロコミュニズム、反グローバリゼーションである。マルクス・レーニン主義の放棄に反対して、分裂したので、現在もマルクス・レーニン主義堅持政党である。
マルクス・レーニン主義堅持政党という面では、共産主義再建党と日本共産党とは同質である。不破哲三著書・講演多数、不破綱領を見ても分かるように、日本共産党が堅持する科学的社会主義路線とは、マルクス・レーニン主義名称と同義語である。それがマルクス・レーニンという個人名なので、日本語変更をしたのにすぎない。
現に、日本共産党は、第22・23・24回大会に、共産主義再建党を来賓として招待した。その記録は『前衛』やHPに載っている。日本共産党は、2010年第25回大会に、財政逼迫原因から、外国の日本駐在大使の招待だけで、共産主義再建党を含め外国政党をもはや招待できなかった。外国政党の招待において、往復交通費・宿泊費を全額受け持つ資金が欠乏したからである。これは、日本共産党の党財政破綻の深刻化度合を示している。
3、共産主義諸政党と総選挙の左翼「虹」連合結成経過
2006年総選挙において、共産主義再建党は、左翼民主党→左翼民主主義者と連携した。共産主義再建党は、上院27議席・下院41議席を獲得した。左翼民主主義者は、上院62議席・下院は「オリーブの木」全体で220議席だった。
2007年10月、イタリア共産党は、左翼民主党→左翼民主主義者→民主党に転換した。今度は、マルクス・レーニン主義との断絶・放棄だけでなく、「左翼」思想とも断絶し、左翼政党でなくなった。民主党結成・転換は、左翼民主主義者とマルゲリータの統合によった。民主党は、両院で第1党となり、与党ルニオーネにおける主導的地位を確立した。
与党ルニオーネ内の左派4党は、(1)共産主義再建党、(2)イタリア共産主義者党、(3)民主的左翼、(4)緑の連盟からなっていた。「左翼」思想とも断絶した民主党に対する危機感から、左派4党は、ともに政治連合「虹の左翼」(La Sinistra – L'Arcobaleno)を結成した。
それにたいし、民主党は、2008年4月の総選挙において、左翼連合「虹の左翼」と一線を画し、選挙協力を拒否した。「虹の左翼」は、野党・自由の人民と、与党・民主党の2大政党間の対決に埋没する形となった。「虹の左翼」の得票率は上下両院共に3%台に留まり、改定選挙法の4%規定により、議席配分政党から除外された。再建党もイタリア議会における議席を全て失う結果となった
4、共産主義政党国会議席全滅原因と今後のイタリア政局展望
〔小目次〕
〔全滅原因1〕、改定選挙法の規定=得票率4%未満政党への議席配分なし
〔全滅原因2〕、小原耕一による有権者意識変化
〔全滅原因3〕、論考における有権者意識変化
〔全滅原因4〕、私が考える有権者意識変化−左翼・共産主義思想との決別
〔全滅原因1〕、改定選挙法の規定=得票率4%未満政党への議席配分なし
国会議席全滅の法的原因は、得票率4%未満規定である。しかし、一挙に4%未満に激減しなければ、この議席配分なしという規定は適用されなかった。これは、全滅の決定的要因ではない。国会議席はなくなったが、政党組織としては残っている。次期総選挙において、得票率4%以上を獲得すれば、一定の議席を持つ政党として復活できる。
左翼・共産主義諸政党→「虹の左翼」連盟が、06年4月総選挙から08年4月総選挙までのわずか2年間で、これほどに得票率がダウンするとは、何が有権者意識に起きたのか。イタリア有権者は、「虹の左翼」にたいし、上院得票率11.6%→3.2%、下院得票率10.2%→3.1%へと壊滅的下落をさせる投票行動をした。その有権者意識変化をどう分析したらいいのか。
小原耕一は、『葦牙34号』(2008年7月)において、「イタリア総選挙の結果を考える」との論評を載せた。彼は、元赤旗記者・イタリア駐在員で、現在グラムシ研究者でもある。彼は、総選挙の全体結果とともに、イタリア共産党大転換で分裂した共産主義政党の総選挙結果も分析した。結果に関する分析箇所はかなりあり、日本情勢との比較も含め、興味深いが省略する。以下は一部抜粋にする。全文はリンクにある。
小原耕一『イタリア総選挙の結果を考える』末尾に国内・国外合計データ
今回の選挙結果の最大の特徴はなにか。それはなんといっても、左派勢力を結集した左翼「虹」連合が両院ですべての議席を失ったことだ。文字どおりの「惨敗」である。「虹」はうたかたのごとく消えてしまった。イタリアの政界再編は「左翼」抜きの二大政党制へと大きく旋回した感はいなめない。
前プローディ中道左派政権を支えていたオリーブ連合の屋台骨、左翼民主主義者(旧左翼民主党)は昨年一〇月、旧キリスト教民主党左派マルゲリータ(ひなぎく)と合同して元ローマ市長ヴェルトローニ率いる民主党を新たに発足させたばかりだった。そして、今回の選挙では左翼連合勢力とは一線を画し、「価値あるイタリア」と独自の連合を組んで選挙戦にのぞんだ。
新たな民主党結成の動きに異をとなえた左翼民主主義者内の一部左派は離脱して「民主左翼」を結成した。この「民主左翼」は共産主義再建党(以下再建党)を中心に「緑の党」、イタリア共産主義者党など左翼小会派とともに左翼「虹」連合を組んで選挙戦にのぞんだが、惨敗を喫したわけだ。民主党の側から見れば、今回の選挙戦をつうじて「左翼色」を名実ともに払拭することに成功したことになる。
共和制成立(一九四六年)以降六三年間のイタリア政治において「左翼」を名のる政治勢力が、地方議会は別として、国政ではすべての議席を失った。三二年前(一九七六年)の総選挙でユーロコミュニズムの旗手ベルリングェル率いるイタリア共産党は三三・三%の支持率をえて、当時の最大与党キリスト教民主党にいま一歩のところまで迫ったものだった。筆者は一九七六年から八一年までの五年間、イタリア政治とユーロコミュニズムの生成・消長過程を現地でフォローした経験をもつが、そのころのことを考えると今や隔世の感がある。
「ソ連崩壊」を前後して、「社会民主主義」への脱皮を模索していたイタリア共産党は解党し、党内多数派が左翼民主党→左翼民主主義者→民主党へと衣替えし、民主党結党を機に「社会民主主義」から「自由民主主義」へとさらに大きく右へ舵を切った。少数派は共産主義再建党、イタリア共産主義者党、その他へと離合集散をくりかえしてきた。そして再建党の前党首ヴェルティノッティ(前下院議長)率いる左翼「虹」連合は、今回の選挙の結果、国政では完全に「蚊帳の外」にはじきだされてしまった。
選挙制度の問題を度外視して単純比較すれば、ヴェルトローニ率いる民主党が今回の選挙で上下両院ともに三八%前後の得票率を獲得し、かつてイタリア共産党最盛期の得票率を大きく上回る前進をとげたことはたしかだ。このことから何が読み取れるか。九〇年代にはいっておこったベルルスコーニ率いる「フォルツァ・イターリア(がんばれイタリア)」の右傾化旋風ともあいまって、伝統的に左翼寄りの有権者を含め大多数のイタリア有権者の意識も、全体として左から右へと軸足を大きく移行したと考えざるをえない。
最近二〇年間のイタリア世論の意識構造の変化はめざましいものがあるが、とりわけグローバリゼーションと新自由主義的イデオロギー攻勢のイタリアへの浸透が、ファシズムからの解放以来、そのほぼ三分の一が「左翼びいき」といわれるイタリア世論の意識構造に、深く影を落としていることはまちがいない。
今回の選挙結果判明後、繰り上げ党大会の開催を提案した再建党のフランコ・ジョルダーノ書記長は、自ら左翼だと感じているすべての有権者に耳を傾け、左翼建て直しのための公開大討論をおこしたいと「左翼再興」への苦しい心境を語った。同書記長によれば、今回の敗北の「客観的な理由」は二つあるという。
一つはイタリア世論の動向に「アメリカ化」(americanizzazione)の深刻な兆候がみられることだ。「アメリカ化」とは何か。国によって現象的には異なる側面があらわれるのは当然だが、ジョルダーノ書記長が第一にあげるのは社会紛争排除気運の兆しである。つぎに「政治の興行化」(spettacolarizzazione della politica)。これはいいかえれば「政治の劇場化」だが、日本ではマスメディアもまきこんで大々的に繰りひろげられた「小泉劇場」を思い起こしてもらえばわかりやすい。それが今イタリアで再現されているわけだ。
二大政党制イデオロギーも「アメリカ化」の影響の一つであろうが、今回の選挙で「有効票」(voto utile)論が喧伝されたことも左翼大敗の要因の一つにあげられた。これは日本では投票しても議席に結びつかなければ投票しても無意味だという「死票」論に匹敵すると考えてよいだろう。
ジョルダーノ書記長によれば、「アメリカ化」は一方では有権者の「受動的意識化」として作用し、もう一方ではポピュリズムとして作動する。現代版ポピュリズムについては、イタリアではベルルスコーニ政治、日本では小泉政治で経験ずみだ。過去の党派的イデオロギーや政策と手を切り、もちまえのカリスマ性で非正統的な政策で大衆を煽り立てる政治である。
イタリアにおけるグローバリゼーションと「アメリカ化」の流れは、議会政治の空回りとでもいうべき「自己完結政治」とむすびついて、イタリア市民社会にいちじるしい「受動的意識化」作用をもたらしているといっても過言ではない。あれこれの政党の消長のレベルをこえて市民社会にただならぬ異変がおきているのだ。「物言わぬ日本人」「怒らない日本人」が多くなったといわれる我が国の市民社会を考えると、これはけっして「対岸の火災視」できない事態であろう。ひょっとしてイタリアよりも日本の市民社会のほうが「アメリカ化」「受動的意識化」のメカニズムに吸収されてしまっているのではないか。
これは、インターネット『資料庫』に載った論考である。読者というだけで、名前は分からない。なお、日本共産党の『前衛』やHPは、イタリア共産主義再建党が、日本共産党第22・23・24回大会に来賓招待で参加していた事実を載せていた。論考の抜粋を載せる。全文はリンクにある。
日本のネット版の『しんぶん赤旗』では特別な記事は出ていません。勝っていたら絶対取り上げたろうに……。日本と比べると各種の自律的なファクター(労働組合、議会外新左翼、市民運動、反体制的サブカルチャー)もまだまだ強力なのは明らかです。しかしこの選挙結果はそれらにも影響を与えるでしょう。正直、対岸の火事とは思えません。
イタリアの歴史では、アンドレア・コスタという初期社会主義者が1882年に下院に当選して以来、ファシズム期をはさんだ100年以上、社会主義者・共産主義者を名乗る者が議会から消えた事は絶無でした。また、少なくとも第二次世界大戦以降の西欧諸国のうち、「社民」「社会」「労働」「共産」のうちどれかのキーワードを名乗っている政党が議会にない所は、独裁時代のスペインやポルトガルなどを除き存在しなかったと思います。ましてや、労働運動や左翼勢力が強力であるとして知られてきたイタリアで起こったことですから。これが近隣諸国に派生しなければよいですが……。
民主党が独自で選挙戦を戦うと決定した時、かつて議会内最左翼に票を投じた人の多くは、選挙制度の変更による死票を恐れたのに加え、そもそも民主党に票を投じても同じ結果となるという考えに、容易に動く準備があったと思います。さらに、北部を中心とした左翼の従来の地盤が、排他主義を唱える右翼政党「北部同盟」に動いたという高級紙の分析もあります。
重要な問題はおそらく、91年の旧イタリア共産党の解体後も左翼政党を支持し続けた人々の「支持の中身」が、相当に国民主義的な論理に支配されたものであったということです。
私は、少なくとも現在の西欧式社民主義、特に「ニュー・レイバー」化したそれは、もはや労働者階級(中・下層の)や「プレカリアート」にはほとんど利益にならないものとなっていると思っています。ただし、その外で実践されている「北欧式」社民主義には一定の関心を持っています(結局彼らも、移民問題などの大問題は未解決でしょうが)。
自分のイタリアに対する期待と憧れ(?)が、楽観的に過ぎたと反省しています。91年以降もしぶとく続いていたイタリアの議会内最左翼への支持は、東欧圏の解体にもかかわらず新しく生まれた「反資本主義」や「国際主義」的な精神への支持によるものと見積もっていたのですが、その実質の相当は「国民主義」という旧共産党の貯金/負債に支えられていたものだったとは……なかなか希望は遠い!
実はこの選挙に一番喜んでいるのは、結果として負けた民主党執行部かもしれません。同時期に行われたローマ市長選でも、15年ぶりに民主党系候補は落選したのですけど。ヴェルトローニは、二大政党制を志向していたという点ではベルルスコーニと同じでしたから。うるさい左翼は全て議会外に消え去ったため、安心して二大政党の一翼として、「反ベルルスコーニ連合」の軸をますます右側に置くこともできるわけです。
〔全滅原因4〕、私が考える有権者意識変化−共産主義・左翼思想との決別
イタリア有権者意識変化とその原因について、小原耕一と論考・読者の見解は、イタリア在住体験に基づいて、示唆に富んでいる。納得できる内容になっている。
私は、もう少し別の視点から、有権者意識変化の原因と方向性について考えてみたい。有権者側による共産主義・左翼政党への決別スピードがあまりにも劇的すぎるからである。なぜ、これほどまでの決別が起きたのか。
イタリア共産党は、ヨーロッパ最大だった。しかし、イタリアの旧コミンテルン型共産党からの共産党員離党テンポは、1970年代後半からスピードアップした。1991年、イタリア共産党崩壊→左翼民主党への大転換前までの14年間で、党員数−49万4412人・党員減少率−27.2%だった。その後、(1)イタリア共産党→(2)左翼民主党→(3)左翼民主主義者→(4)「左翼」と決別した民主党へと3度もの転換をした。それは、社会民主主義政党でもなくなったことを意味する。
イタリア有権者の内、一定の比率が、たしかに、「左、左翼」から「右・保守」に変化した。その事実は、08年総選挙において、民主党中心のヴェルトローニ連合が、ベルルスコーニ率いる中道右派連合による政権奪還を許した選挙結果からも言える。その原因として、議席が全滅した再建党のフランコ・ジョルダーノ書記長が言う今回の敗北の「客観的な理由」も一理がある。
彼は、イタリア世論の動向に「アメリカ化」の深刻な兆候がみられることだとした。つぎに「政治の興行化」、いいかえれば「政治の劇場化」だが、日本ではマスメディアもまきこんで大々的に繰りひろげられた「小泉劇場」を思い起こしてもらえばわかりやすい。それが今イタリアで再現されている。
二大政党制イデオロギーも「アメリカ化」の影響の一つであろうが、今回の選挙で「有効票」論が喧伝されたことも左翼大敗の要因の一つにあげられた。これは日本では投票しても議席に結びつかなければ投票しても無意味だという「死票」論に匹敵すると考えてよいだろう。ジョルダーノ書記長によれば、「アメリカ化」は一方では有権者の「受動的意識化」として作用し、もう一方ではポピュリズムとして作動する。
このような全滅原因の解明だけでいいのだろうか。それだけで、得票率の劇的低落理由になりうるか。
私は別の視点から、イタリア有権者の意識変化とその原因を考える。共産主義再建党書記長の思考は、妥当な指摘を含むとしても、敗軍の将による有権者批判・蔑視の弁明ではないのか。有権者意識に、(1)「左、左翼」から「右・保守」への変化側面があるとしても、(2)もう一つ別の側面として、有権者は、左翼・共産主義思想、マルクス・レーニン主義を堅持する共産主義再建党との断固たる決別を選択したのではないのか。
2006年総選挙で、有権者は、共産主義再建党にたいし批判を持ちつつも、左翼民主主義者との選挙協力と与党内での役割を期待した。そして、上下院で141議席を与えた。しかし、08年総選挙前に、左翼思想までも放棄した民主党と、マルクス・レーニン主義堅持政党とが選挙協力をやめた。
民主党との選挙協力を決裂させ、独自に08年総選挙をたたかう共産主義諸政党が堅持するマルクス・レーニン主義とは何なのか。それが実現させた「社会主義」を名乗った体制は何をしたのか。
レーニンのプロレタリアート独裁理論は完全な誤りというだけでない。それだけでなく、そもそも、プロレタリアート独裁国家など存在もしていず、その成立とは、レーニンの真っ赤なウソだった。レーニン・トロツキーが樹立した10月クーデターによる党独裁・党治国家の実態は、社会主義国家ではなかった。
基本テーマに関するレーニンのウソ・詭弁7つを検証
しかも、レーニン・トロツキーは、チェーカーとともに、ロシア革命・ソヴィエト勢力の農民・労働者・兵士ら数十万人を赤色テロルで殺害した大量殺人犯罪政治家だったという極秘資料・データも判明した。レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターから東欧動乱時期を含め亡命者約300万人が、大陸地続きでヨーロッパにそれらレーニンの犯罪データを持ち込んだ。
『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力の推計
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書
イタリアで残存するマルクス・レーニン主義政党は、それらレーニンの誤り・犯罪・ウソにたいし、明確な事実公表や総括をしないできた。これほどの時代錯誤政党を残存させる意味がない。08年総選挙では、マルクス・レーニン主義政党への投票行動をやめる。今まで、歴史的経過や刷り込みもあって、「左翼は正しい」と思い込んできた。しかし、東欧・ソ連10カ国の現実と崩壊後に判明した犯罪データは、「左翼」思想も錯覚だったと悟った。「左翼」支持・賛美には、いまだに、レーニン・社会主義は正しく、理想だという有権者騙しの匂いがする。スターリンは誤ったが、レーニンは正しいという時代錯誤的歴史認識を捨て切れていない。この際、マルクス・レーニン主義堅持政党はすべて、国会議席を全滅させた方がいいのではないか。
これらの有権者意識の変化と方向性は、(1)「右・保守」への後退なのか、それとも、(2)誤った理論・体制を賛美し続ける政党を投票行動によって、全滅させるという一歩前進の意識変化と行動ではないのか。
従来からの左翼支持有権者が、レーニンの誤り・犯罪・ウソにたいし、明確な事実公表や総括もしないままで、共産主義・マルクス・レーニン主義を堅持・再建させようとしている共産主義再建党・イタリア共産主義者党・民主的左翼などの国会議席を全滅させた投票行動と方向性を、私は正しい選択として高く評価する。
その場合、06年から08年の2年間における有権者と2種類の左翼政党との関係・距離感をどう考えたらいいのか。まず、イタリア共産党の3回転換と3度目の「左翼」名称放棄をどう評価するか。
有権者は、東欧・ソ連10カ国の誤り・犯罪情報の直接大量流入を通じ、次の認識に至ったのではないか。「左翼」名称概念とは、いまだにマルクス・レーニン主義理論・体制の犯罪的誤りを奥底で是認し、根本的な批判をしない概念だと悟った。もはや、「左翼」概念は、その使用も否定されるべき死語になった、と。
左翼民主党→左翼民主主義者は、有権者の意識激変と方向性にたいし、有権者意識よりも遅ればせながら、「左翼」概念をも全面放棄する決断をした。民主主義概念だけを堅持する政党に3度目の転換をした。それより以前に、「左翼」概念をも誤りと判定してきた有権者は、死語となった「左翼」概念と決別した民主党にたいし、08年総選挙で、335議席・得票率上下院とも33%台を与えた。政党側も、ようやく、われわれ有権者の死語・犯罪思想完全放棄の方向性に追随できるように進歩したか、と。
『左翼民主党−前衛党概念の放棄、イデオロギー的政党否定、限界の原理』
一方、有権者は、マルクス・レーニン主義・「左翼」概念に執着し、死語を放棄もしない時代錯誤政党にたいし、国会議席を全滅させる投票行動をした。マルクス・レーニン主義堅持の共産主義政党は、有権者意識の激変に無頓着だった。
そもそも、レーニンの前衛党概念そのものが、有権者・国民蔑視思想だった。レーニン『なにをなすべきか』の根幹概念の一つは、労働者・国民は独自には、マルクス主義・社会主義思想に到達しない。それには、マルクス主義の真髄を認識できうる知識人=前衛党員が労働者にたいし外部から持ち込むしかないとする理論である。この外部注入論こそ、レーニンの犯罪的誤りであり、有権者蔑視・共産主義者エリート理論だった。ソ連だけでなく、全世界の共産主義者・マルクス・レーニン主義者がこの犯罪的な有権者蔑視・共産主義者エリートという差別理論に汚染された。
私も、共産党専従時期、『なにをなすべきか』を10回以上読み、細胞会議に持ち込み、その思想で赤旗拡大に駆り立てた。レーニンによる有権者と共産党員とを分別するうぬぼれた外部注入論=国民差別理論を正しいと信じて疑わなかった。私は、『レーニン全集』中の基本文献をすべて読み、『レーニン10巻選集』を3廻り熟読した。それらを読んでいた時点、レーニンの誤りをまるで発見できなかった。私を含め世界の共産党員は、そのエリート意識を高揚させ続ける犯罪的な分別理論でうぬぼれた。
私が、HPでレーニン批判を書き、また、多くの文献を転載しているのは、ソ連崩壊後に始めて到達した自己批判に基づく。イタリアの有権者が、マルクス・レーニン主義堅持諸政党のうぬぼれ・エリート思想にたいし、08年総選挙で国会議席全滅をさせた投票行動は正しく、当然だったのではないか。
イタリア共産党はなくなった。3度もの転換を経た結果、マルクス・レーニン主義・「左翼」思想や体制ともに放棄し、民主主義思想のみを堅持する民主党に転換した。08年総選挙の結果、マルクス・レーニン主義思想を堅持し、その犯罪理論・体制を批判しないで、共産主義を再建させようとしてきた共産主義諸政党・左翼政党は国会議席を失った。
選挙法4%規定がある限り、また、イタリア有権者がマルクス・レーニン主義堅持・共産主義・左翼政党を全滅させる投票行動をする限り、イタリアの政局は、共産党・共産主義政党・左翼政党すべてがいなくなったままで、進行する。このような国家は、ヨーロッパにおいて、1989年〜91年東欧・ソ連10カ国いっせい崩壊以前に、一つもなかった。21世紀の新たな国家運営・政局の実験が、イタリアで始まっている。
その政局は、有権者が、全政党にたいし、民主主義堅持か、反・非民主主義の路線・政策かどうかという価値判断を持つことによって揺れ動く。「左・左翼」か、「右・保守」かという選択肢で投票行動をする有権者は、当然まだ残る。しかし、有権者意識変化の方向性は、その政党が党内外において民主主義路線・体質を堅持しているかどうかの選択基準が強まると考える。
とりわけ、(1)党外にたいする基本路線・政策における民主主義レベル有無だけでなく、(2)党内・党運営において、民主主義運営か、非・反民主主義運営かが、政党にたいする最大の判定基準になる。
5、日本の有権者意識との相違点・共通点と日本共産党自然死展望
〔小目次〕
1、有権者意識の相違点 (表3)
2、有権者意識の共通点 (表4)
3、唯一残存するコミンテルン型共産党=科学的社会主義政党の自然死展望 (表5)
ヨーロッパ・イタリアと東方の島国・日本との選挙法、有権者意識変化の相違点は、大きく、単純な比較はできない。ここでは、選挙法、有権者意識変化の違いだけを比べる。
1、選挙法の違い
イタリアは、06年総選挙後、選挙法改定で、得票率4%未満政党には、国会議席を配分しないと決定した。日本の公職選挙法には、議席配分条項はない。政治資金規正法と政党助成法に、国会5議席以上で、得票率2%以上条項がある。しかし、それは、議席配分規定でなく、その条件未満なら、政党助成金を受けられないというだけである。
イタリアの「虹の左翼」は、得票率4%未満になったので、国会議席が全滅した。日本共産党は、比例代表でしか当選できなくなっている。しかし、得票率が2%未満に激減しても、衆参院国政選挙において、国会議席が全滅する選挙法規定はない。衆参院国政選挙で各3議席以下の自然死政党、または、衆参院合計4議席以下の自然死「政治団体」への転落に留まる。
2、レーニン・トロツキーの誤り・大量殺人犯罪・ウソ詭弁にたいする有権者の事実認識レベルの違い
私は、多数のファイルにおいて、繰り返し、日本を東方の島国と位置づけてきた。その意味は、レーニン・トロツキーの誤り・大量殺人犯罪・赤色テロル・ウソ詭弁にたいする地政学的な原因に基づく有権者認識の格差を指す。東欧・ソ連10カ国とヨーロッパは大陸地続きである。レーニン・トロツキーの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデター後、スターリンによる4000万人粛清にかけて、ソ連国民200万人がヨーロッパに亡命した。ハンガリー事件・プラハの春など東欧動乱では、亡命者約100万人が出た。ヨーロッパ経由でアメリカに渡った亡命者も多い。
彼ら300万人は、コミンテルン型共産党の誤り・犯罪情報を生々しく有権者に伝えた。スターリンの4000万人粛清犯罪だけでなく、ロシア革命・ソヴィエト勢力である労働者・農民・兵士数十万人にたいする、それ以前の大量殺人犯罪者レーニン・トロツキー・ジェルジンスキーに関する300万人もの直接体験情報は説得力が高かった。それらを直接聞けば、自らの大量殺人犯罪を白衛軍との内戦結果にすり替えたレーニンのウソ詭弁=レーニンによるロシア史の偽造歪曲犯罪もすぐにばれた。
基本テーマに関するレーニンのウソ・詭弁7つを検証
党独裁・党治国家での情報閉鎖・検閲・浄化=鉄のカーテン国家
それにたいし、東方の島国には、東欧・ソ連10カ国の亡命者はまるで来なかった。たとえ日本を経由した者があっても定住しなかった。日本は、党独裁・党治国家の誤り・レーニンの犯罪情報に関し、情報隔絶列島だった。東方の島国の有権者とイタリアの有権者との間において、レーニンの誤り・犯罪やコミンテルン型共産党の犯罪・ウソ詭弁にたいする事実認識レベルは、まるで違った。イタリアのマルクス・レーニン主義堅持政党=日本語言い換えの科学的社会主義政党にたいする有権者の認識と対応も根本的に異なったのは当然と言える。
イタリア共産党は、マルクス・レーニン主義との断絶的刷新を宣言した。フランス共産党は、ソ連崩壊の原因が、マルクス主義にあったとし、党大会でマルクス主義全面放棄を決定した。
それにたいし、日本共産党は、(1)マルクス・レーニン主義を個人名だからとし、科学的社会主義に日本語名称を変え、全面堅持している。しかも、(2)津久井で生きている現代のマルクス・79歳は、毎年6000万円をお手盛り横領し、(3)『マルクスは生きている』著書を1刷目から印税6%額をお手盛り横領し、(4)赤旗でお手盛り宣伝広告を何度も載せ、党員に買わせている。
(表3) 政治将校による不破特権の証言−09年7月
項目 |
概要と根拠−全額党中央財政部持ち |
常幹年収 |
常幹年収1000万円。常幹毎月手取り最低50万円 |
印税収入 |
900〜1500万円。一刷り目の印税からも、全額不破への個人収入=党中央の決まりに違反・党資金横領犯罪 |
自宅使用人・私的秘書 |
運転手・護衛・料理人・ハウスメードなど使用人5人×400万円=2000万円。自宅敷地内設置の社会科学研究所の私的秘書2人人件費800万円。7人とも全員党本部専従 |
自宅他経費 |
車複数台等配置・臨時運転手日当1000万円。千駄ヶ谷の書斎マンション経費数百万円。 |
カンパ総額 |
05年10.8万円。08年16.5万円−政治資金報告書の記載額 |
不破個人に党が払う総額 |
常幹年収、印税収入、自宅使用人5人人件費、臨時運転手日当、自宅内設置の社会科学研究所の私的秘書2人人件費、自宅経費、千駄ヶ谷の書斎マンション経費の合計6000万円 |
これは、政治将校の掲示板証言を(表)にしたものである。全文はリンクにある。彼は、筆坂秀世と親しく、元共産党国会議員秘書と言われている。こう書けば、彼の本名が分かる人も多いと思われる。ただ、彼が明らかにしていないので、本名を書くのは差し控える。その経歴だけに、09年7月時点における最新証言の信憑性は高い。
日本共産党・民青同盟悪魔の辞典『不破哲三の財政特権』政治将校の証言
このような金額・規模で党資金をお手盛り横領するトップは、イタリア・フランスだけでなく、どの資本主義国共産党にも出現したことがない。東方の島国で最後に残存するマルクス・レーニン主義堅持政党=科学的社会主義政党にだけ現れた腐敗現象である。しかも、その腐敗トップ政党の国会議席を全滅させない有権者が440万人〜490万人残存する情報隔絶列島でもある。腐敗トップ政党を支え、推薦名簿に名前を連ねる左翼知識人が、ヨーロッパと比べきわめて多いのも列島の特徴になっている。
もっとも、崩壊した東欧・ソ連10カ国の党独裁・党治国家のトップたちは、党資金・国家資金を、現代のマルクス・79歳よりも、何十倍ものスケールでお手盛り横領をしていた。彼が、何度も理論交流をし、賛美する中国共産党幹部たち数十万人も、党資金・国家資金お手盛り横領で、党独裁・党治国家において腐敗し、汚職をしている。
3、国政選挙における有権者の投票行動の違い
イタリアの有権者は、マルクス・レーニン主義政党・左翼政党にたいし、06年国政選挙で上院得票率11.6%、下院得票率10.2%から、08年総選挙ではいずれも3%台に劇的な惨敗をさせ、国会議席を全滅させた。情報隔絶列島=東方の島国の有権者は、不破綱領の科学的社会主義政党にたいし、07年参院選で得票率7.48%、09年総選挙で7.03%を与えた。この有権者投票行動の違いは何を示しているか。情報隔絶列島の有権者は、10年7月参院選において、どれだけの得票率を与えるのか。
イタリアの有権者は、マルクス・レーニン主義政党・左翼政党が残存し続けることを、08年4月総選挙の投票行動で拒絶した。この2年間における有権者投票行動の激変は、「アメリカ化」や「左から右への保守化」という原因分析や弁明だけでは説明しきれない。
東方の島国の有権者も、情報隔絶列島にいるとはいえ、1991年ソ連崩壊後に東欧・ソ連10カ国情報を知る機会・手段が増えた。2009年は、東欧革命20周年だった。20年前、宮本顕治は、科学的社会主義政党のドミノ的崩壊を怖れ、「東欧の出来事は、革命などでなく、資本主義への後退だ」と大宣伝をした。「東欧問題で腰を抜かす党員がいる」と党員12万人の大量離党現象にたいし、必死で歯止めをかけようとした。さらに、「安心立命の境地に立て」と宗教用語まで持ち出した。
20周年にあたり、テレビは当時のベルリンの壁崩壊映像を何度も放映した。新聞も、多数の解説記事を載せた。有権者は、それらの情報によって、マルクス・レーニン主義=科学的社会主義に基づく党独裁・党治国家の犯罪を再認識した。
東方の島国の有権者も、ヨーロッパより遅れたとしても次第に、レーニン・トロツキーによる単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターの真相、レーニンの赤色テロル・大量殺人犯罪データも知ってきた。それにより、この10年間で、不破綱領の科学的社会主義政党にたいし、選挙10連続惨敗結果を与えるように変化してきた。イタリア有権者の投票行動と日本有権者の投票行動には、その面で共通点が生まれている。
東京都議選結果は、国政選挙に連動し、首都の有権者投票行動として、国政選挙並みの位置づけをする必要が生まれている。都議選を合わせた日本共産党の選挙10連続惨敗データは何を示すのか。3つの選挙種類が異なるが、ここでは時系列データにした。種類ごとのデータは、それぞれの別ファイルにある。(表)の増減は同種選挙の比較である。
(表4) 衆院選・参院選・都議選10連続惨敗データ
年 |
種類 |
議席 |
得票数・万 |
得票率・% |
備考 |
|||
増減 |
増減 |
増減 |
得票数増の真相 |
|||||
00年 |
衆院選 |
26→20 |
−6 |
663 |
−47 |
11.23 |
−1.32 |
|
01年 |
都議選 |
26→15 |
−11 |
74.8 |
−5.5 |
15.63 |
−5.7 |
|
01年 |
参院選 |
15→5 |
−10 |
432.9 |
−386.6 |
7.91 |
−6.69 |
|
03年 |
衆院選 |
20→9 |
−11 |
459 |
−204 |
7.76 |
−3.47 |
|
04年 |
参院選 |
5→4 |
−1 |
436.3 |
+3.4 |
7.80 |
−0.11 |
実質数万票減 |
05年 |
都議選 |
15→13 |
−2 |
68.0 |
−6.7 |
15.57 |
−0.06 |
|
05年 |
衆院選 |
9→9 |
±0 |
492 |
+33 |
7.25 |
−0.51 |
実質30.1万票減 |
07年 |
参院選 |
5→3 |
−2 |
440.8 |
+4.5 |
7.48 |
−0.32 |
実質17.7万票減 |
09年 |
都議選 |
13→8 |
−5 |
70.7 |
+2.7 |
12.56 |
−3.01 |
実質13.2万票減 |
09年 |
衆院選 |
9→9 |
±0 |
494.4 |
+2.4 |
7.03 |
−0.22 |
実質15.5万票減 |
10年 |
参院選 |
4→(3?) |
(−1) |
|||||
13以前 |
衆院選 |
9→? |
(−?) |
(定数削減?) |
||||
13年 |
参院選 |
3→(2?) |
(−1) |
(定数削減?) |
得票数・投票率は比例代表。参院選半数改選議席→当選議席
このデータを見ると、2000年以降、東京都議選だけでなく、衆院選、参院選においても、日本共産党は、衆院選2回の±0議席を除いて、議席と、得票率をすべて減らしている。総選挙・参院選・都議選の得票数増加5回は、投票率アップによるもので、実質的には、(表)備考欄のように5回とも得票数を減らしている。実質的得票数減少5回データを合わせれば、得票数も10回連続惨敗をした。
『選挙10連続惨敗と共産党自然死の方向性』大転換・解党か、自然死かの選択
10年7月参院選において、科学的社会主義政党は、10年1月第25回大会決定の「2010年代を党躍進の歴史的時期」の通りに、議席・得票数・得票率すべてで、歴史的躍進をするのか、それとも、選挙11連続惨敗政党に転落し続けるのだろうか。もっとも、東方の島国の有権者が、イタリア有権者のように、マルクス・レーニン主義名称を日本語変更しただけという政党の参議院議席を全滅させるレベルの投票行動をするとはちょっと考えられないが。
3、唯一残存するコミンテルン型共産党=科学的社会主義政党の自然死展望
イタリア共産党は、1976年からソ連崩壊の1991年にかけ、マルクス・レーニン主義を全面批判し、すべて放棄した。共産主義再建党は、マルクス・レーニン主義擁護で分裂した。しかし、そのメンバーは、それ以前のプロレタリアート独裁理論放棄と民主主義的中央集権制放棄時点で、分裂前として放棄に賛成している。分裂後に、それら2つを復活したかどうか分からない。復活させていなければ、コミンテルン型共産党でなくなっている。
フランス共産党は、すでに、(1)プロレタリアート独裁理論・(2)民主主義的中央集権制・(3)マルクス主義の3つをレーニンの誤った理論と実践だったとして、党大会で放棄宣言をしている。ポルトガル共産党は、1974年、ヨーロッパの筆頭で、プロレタリアート独裁理論を放棄した。共産党名称を名乗るこの2党もマルクス・レーニン主義政党と言えない。
(表5) 日本共産党とイタリア共産党との比較
4つの原理 |
欺瞞的な隠蔽・堅持方式 |
イタリア共産党 |
プロレタリア独裁理論 |
綱領において、訳語変更の連続による隠蔽・堅持。(1)プロレタリア独裁→(2)プロレタリアのディクタトゥーラ→(3)プロレタリアートの執権→(4)労働者階級の権力→(5)放棄宣言をしないままで、綱領から権力用語を抹殺し、隠蔽・堅持している |
イタリア共産党は、1976年、明白に放棄宣言をした。ヨーロッパでは、1974年、ポルトガル共産党を筆頭として、100%の共産党が、これは犯罪的な大量殺人をもたらし、誤った理論と放棄宣言をした。資本主義世界で、放棄宣言をしていないのは、日本共産党だけである |
民主主義的中央集権制 |
規約において、訳語変更による隠蔽・堅持。(1)民主主義的中央集権制(Democratic
Centralism)→(2)「民主集中制」という略語に変更→(3)「民主と集中の統一」と解釈変更で堅持→(4) 「民主と集中の統一」は、あらゆる政党が採用している普遍的な組織原則と強弁している |
イタリア共産党は、1989年、それは、「党の統一を守るのには役立ったが、一方で党内民主主義を抑圧した」組織原則だと認定し、放棄宣言をした。この反民主主義的組織原則を堅持しているのは、残存する犯罪的な一党独裁国前衛党4党とポルトガル共産党・日本共産党だけである |
前衛党概念 |
規約において、(1)前衛党→(2)規約前文から綱領部分削除に伴い、その中の「前衛党」用語も事務的に削除→(3)不破哲三の前文削除説明で、「前衛党」概念を支持・擁護 |
イタリア共産党は、1991年、「前衛党」思想を、「政党思想の中で、もっともうぬぼれた、傲慢で、排他的差別的な政党思想だった」と総括し、全面否定した。日本のマスコミは、左(2)を「前衛党」概念の放棄と錯覚し、誤った解説をした |
マルクス・レーニン主義 |
(1)マルクス・レーニン主義→(2)個人名は駄目として、「科学的社会主義」に名称変更し、堅持。不破哲三の『レーニンと資本論』全7巻を見れば、マルクス・レーニン主義そのものの堅持ぶりが分かる。ただ、彼は、さすがにレーニンの暴力革命理論だけを否定した |
イタリア共産党は、1991年、マルクス・レーニン主義と断絶し、左翼民主党に転換した。共産主義再建党は、その擁護で分裂した。フランス共産党も、ソ連崩壊数年後、「ソ連の失敗は、マルクス主義の失敗だった」とし、マルクス主義の立場を取らないと宣言した。 |
日本共産党=科学的社会主義政党は、4項目に関して、隠蔽・訳語変更・主義名日本語変更などをしただけで、ヨーロッパの共産党がしたような明白な放棄宣言を一つもしていない。世界的にも、こういう欺瞞的スタイルを採る共産党は皆無であり、いかにも不可思議な政党ではある。そこから、東方の島国の日本共産党だけが、唯一残存するコミンテルン型共産党となった。
『規約全面改定における放棄と堅持』2000年第22回大会、欺瞞的な隠蔽・堅持の詳細
『「削除・隠蔽」による「堅持」作戦』欺瞞的な隠蔽・堅持方式の4段階の詳細
『綱領全面改定における不破哲三の4面相』綱領改定案と討論・代議員選出
その点で、加藤哲郎一橋大学教授は、日本共産党を「現段階のコミンテルン研究の貴重な、生きた博物館的素材」と指摘した(『コミンテルンの世界像』青木書店、1991年、P.3)。その視点から観れば、日本共産党を21世紀における「貴重な絶滅危惧種」として、このまま生態保存しておく必要があるのかもしれない。ただし、選挙政策面では、天皇制・君が代日の丸・自衛隊テーマなどで、無党派層への支持拡大を狙って、どんどん現実化している。それは、不破・志位・市田らが、(1)レーニン型前衛党の4基準・原理の隠蔽堅持・訳語変更路線と、(2)選挙政策の現実化路線という矛盾した2面作戦を採用していると規定できる。
21世紀の資本主義世界で、いったい、なぜ、日本共産党という一党だけが、レーニン型前衛党の4つの基準・原理を保持しつつ残存しえているのか。もっとも、残存する党独裁・党治国家型の中国・ベトナム・北朝鮮を合わせれば、アジアでは、4つのコミンテルン型前衛党が崩壊しないでいる。
情報隔絶列島で唯一残存し続けるコミンテルン型共産党の自然死展望については、別ファイルで書いてきた。ここでは、そのリンクにとどめる。ただ、自然死展望が具体的に見えてくる時期は、10年7月参院選ではない。7月、コミンテルン型共産党は、選挙10連続惨敗政党→11連続惨敗政党になると、私は予想してはいるが。まだ展望具体化としては早い。
『総選挙比例代表05年→09年結果比較』定数55%に削減→自然死の展望
『選挙10連続惨敗と共産党自然死の方向性』大転換・解党か、自然死かの選択
任期4年で、2013年までにある次期総選挙結果と、2013年7月参院選結果が、その展望を具体化すると考える。そして、共産党第25回大会決定の「2010年代を党躍進の歴史的時期」という2020年までの国政選挙結果で明確になる。その期間、4年任期の総選挙が2回から早期解散による3回、参院選が2013年・16年・19年の3回ある。合わせて、5回から6回ある。
残存するマルクス・レーニン主義型政党=科学的社会主義政党は、イタリアの共産主義・左翼政党のような国会議席全滅にならないとしても、衆参院国政選挙で国会議席各3議席以下、もしくは、衆参院国会議席合計4議席以下に転落し、「法律上の政党」でなくなり、たんなる「政治団体」へと自然死を遂げる。
以上 健一MENUに戻る
〔関連ファイル〕
『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り
『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約
Wikipedia『2008年イタリア総選挙と結果』
Wikipedia『2006年イタリア総選挙と結果』
Wikipedia『イタリア共産主義再建党』
小原耕一『イタリア総選挙の結果を考える』元イタリア駐在赤旗記者