上田耕一郎・不破哲三氏の発言を求める
高橋彦博
(注)、これは、高橋彦博法政大学教授『「早稲田50年の会」合評会の記録』の一部です。このHPに転載することについては、高橋氏の了解を頂いてあります。私(宮地)のほうで、数カ所のリンクをしました。
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『武装闘争責任論の盲点』朝鮮戦争の38度線突破者
『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕不破哲三への2つの査問事件
(高橋彦博論文の掲載ファイル6編リンク)
『論争無用の「科学的社会主義」』高橋除籍問題
『逸見重雄教授と「沈黙」』(宮地添付文)逸見教授政治的殺人事件の同時発生
『左翼知識人とマルクス主義』左翼無答責・民衆無答責という結果責任認識
『「三文オペラ総選挙」と東京の共産党』2005年総選挙と東京の結果
『白鳥事件の消去と再生』『白鳥事件』(新風文庫)刊行の機会に
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はやくも半世紀が経った1950年の「レッド・パージ反対闘争」であった。早稲田の関係者は「早稲田50年の会」に集まり、「史料と証言」を6冊」の冊子としてまとめ、刊行した。この6冊の要旨の紹介を、私は《研究ノート》の体裁で、ある学会誌に発表することにした。旧臘15日、この私の《研究ノート》の草稿について関係者の合評がなされた。私の小報告「東大ポポロ事件と第二次早大事件」を含んだ《合評会の記録》は、「早稲田50年の会」関係者に配布された。
《合評会の記録》は、《研究ノート》の草稿とともに、私の年来の友人、宮地健一氏にも届けられた。《合評会の記録》の末尾の一節は、先日、宮地氏のホーム・ページに記載された石堂清倫さんの発言に啓発されたものであったからである。さっそく、宮地氏から連絡があり、《合評会の記録》の末尾の一節を宮地氏のホーム・ページに載せたいとのことであった。ご要望に応えてお送りするのが以下の一文である。私の《研究ノート》新憲法定着過程における大衆的学生運動−『早稲田・一九五○年・史料と証言』(全6冊)刊行の意義−」(『社会志林第47巻4号』の抜き刷りと、《合評会記録》「東大ポポロ事件と第二次早大事件Jのコピーの送付を希望される方は、Fax・03−3696−0822あてに申し込んでください。抜き刷りの送付は3月になる予定です。
《合評会の記録》
「早稲田の場合と同じく、東大の場合も、『レッド・パージ反対闘争』に参加した関係者の会『一九会』があって、文集を第四集まで発行している。年明け(2001年)の1月9日に関係者の集まりがあるようなので、今日、話題になった『ポポロ事件』にいついて詳しく聞いてみたい。」
5、佐藤経明氏(東大「一九会」)のメモを読んで
合評会の後、東大「一九会」のために用意された佐藤経明氏のメモを見る機会を得ました。以下は私の「佐藤メモ」についての感想であり意見であります。2001年1月9日開催の東大「一九会」に出席する「早稲田50年の会」の有志に託しました。)
(1)
佐藤啓明氏のメモには、1950年の「レッド・パージ反対闘争」に対する二つの接近姿勢が示されている。一つは、社会科学的接近姿勢であり、もう一つは、私小説的接近姿勢である。前者にこだわる立場から、次の点をまず確認したい。
半世紀前の「レッド・パージ反対闘争」は、学生自治活動の域を超えた「学生社会運動」であった。したがって、それは、社会運動史論の問題意識で分析・評価されるべき対象となっている。
ところで、20世紀のほとんどをかけた社会実験「社会主義国家」の結果は、「負」であった。社会運動史論の領域における総体的課題は、これまでこの領域において支配的であった「マルクス・レーニン主義」の理論と運動の批判的分析とならざるをえない。したがって、1950年の「レッド・パージ反対闘争」の分析・評価は、社会運動史論総体の領域における批判的分析の一端を担う作業となる。
(2)
佐藤経明氏が指摘するように、「レッド・パージ反対闘争」は、1950年6月の朝鮮戦争勃発に関する重大な事実誤認を前提に取り組まれていた。38度線突破者についての事実誤認はどのような認識経過と理論枠組みによってもたらされたものであったか。「レッド・パージ反対闘争」参加者一人一人の記憶が検証されるべきである。朝鮮戦争の発端についての事実誤認は、「レッド・パージ反対闘争」が立脚する理論的基盤の不確かさを端的に示す例となっている。
ここで、当時の活動家学生であった上田耕一郎氏の発言を求めたい。共産党指導者となった上田氏は、外国共産党との交流を通じて、朝鮮戦争開戦経過に関する日本の左翼の事実誤認に、かなり早い時点で気付いていたと思われる。しかし、日本共産党が「北側が軍事行動を開始した」とする見解を表明したのは1980年代後半のことであった。実に40年間近く、日本共産党は朝鮮戦争の開戦経過に関する事実誤認を放置していたのである。この間、上田氏は、共産党内部にあって、事実誤認の訂正のためにどのような努力を払ったのか、その経過を明らかにしてほしい。
上田氏は、現在、学生時代の朝鮮戦争開戦経過についての認識を、その後の共産党中枢部分における対応の経過を含め、どのように整理しているのであろうか。
(3)
上田耕一郎氏と不破哲三両氏による著作『戦後革命論争史』は、「スターリン批判」を契機に発表されたが、それは、上田氏も認めているように「戦後日本の分析」研究会における共同研究の成果であった。『戦後革命論争史』は、1950年代に形成された「知的左翼」グループが、戦後日本の左翼運動10年について反省的分析を加えた「知的左翼の共通財産」となっている。
ところで、最近、石堂清倫氏によって、「戦後日本の分析」研究会の構成メンバーが、内野壮児、小野義彦、勝部元、山崎春成氏らであったことが明らかにされた。また、『戦後革命論争史』は、当初、内野壮児氏によってまとめられる予定であったことも明らかにされた(宮地健一氏のホーム・ページによる)。上田氏と不破氏に、「戦後日本の分析」研究会の共同作業の経過と内容について詳しく語るよう求めたい。『戦後革命論争史』においては、1950年当時の「東大細胞・全学連中央グループ」に対する積極的な評価と痛烈な批判がなされていた。ところが、この記念碑的文献は、ある日、突如として、絶版に付された。その経過について、上田氏も不破氏も語ることをしていない。そこには何があったのであろうか。この種の沈黙は、「党人」としては美徳であるかもしれないが、市民的良識において、それは背徳でしかない。
活動家学生として「レッド・パージ反対闘争」に加わっていた上田・不破両氏は、『戦後革命論争史』において、一度は、自己の学生時代に対する総括的評価を示したのであった。ただし、その総括は革命運動史としての総括であった。今、「レッド・パージ反対闘争」から50年が経った時点で、当時の学生たちによって学生大衆運動史としての総括があらためてなされている。上田・不破両氏も、この総括作業に加わるのが当然であろう。
(4)
佐藤経明氏のメモは、「戸塚査問事件」を「最大の痛恨事」としている。この「戸塚査問事件」で口を閉ざしている関係者の一人に不破哲三氏がいる。その不破氏は、目下、レーニンやマルクスの文献の再読作業に沈潜しているかのごとくである。しかし、その場合、「戸塚査問事件」について自己の経験を語り批判的分析を加える作業はどこへ行ってしまうのであろうか。「戸塚査問事件」は、事件関係者の一人である不破氏にとって、マルクス文献学に浸る作業を理由に怠ることを許されない総括課題となっているのではなかろうか。
不破氏には、教義信仰集団の祭司として、35万信徒に安心立命の境地を保証するという役割自覚があり、そこから、レーニンなりマルクスなりの経典解釈が喫緊の課題として設定され取り組まれているように見受けられる。しかし、個人責務との直面を回避した場においてなされる「党人」としてのマルクス主義の「古典」解釈なるものが、方法論として生きた思想を生み出す作業になるとは思えない。
不破氏は、「党人」である前に、一人の批判的理性の追求者であったはずである。不破氏には、個人として関わった「戸塚査問事件」を、「党人」として真相究明に当たったであろう「宮本リンチ査問事件」と併せて分析し、前衛党が持つ秘密結社としての構造実態を公開する批判的知識人個人としての責務を負っていたはずでる。あえて言えば、不破氏には、「戸塚査問事件」や「宮本リンチ査問事件」など前衛党の秘密結社構造の隠微さを経験した立場から、「浅間山荘事件」や「オウム教事件」にとらわれてゆく青年たちに対し、かつての左翼青年と同じ過ちを繰り返さないように忠告する責任があったのである。しかし、不破氏は、その責務を果たしていない。
組織的前衛としての不破氏の責任は解除されることがあるかもしれないが、不破氏が批判的知識人の一人であることを自認する限り、思想的前衛としての責任が免除されることはない。不破氏は、左翼知識人としての理論責任を充分に自覚すべきである。
(5)
社会運動史論が、「戸塚査問事件」の経験者である不破氏に求めているのは、日本の社会運動に「近親憎悪」あるいは「より身近の敵」などという「悪霊」の支配がつきまとってきたのはなぜか、社会運動の場において「自己相対化」「多元主義」「寛容」などのキリスト教文化を摂取することはそもそも不可能なことなのか、などなどの思想史的課題についての解答提示である。たとえ、不破氏が、マルクス主義の「古典」解釈の作業に沈潜するとしても、マルクス主義の文献にそのような思想史的課題についての解答がどのように示されているか、それを明らかにする課題を回避することは許されないであろう。
不破氏には、『レーニン全集』や『マル・エン全集』の世界から足を一歩、踏み出すことを求めたい。日本社会における批判的知性は、たとえば、1910年代におけるマルクス主義導入段階において、世界水準における文献渉猟力を発揮し、導入当初から「初期マルクス」への強い関心を示していた。そこでは、「魔法の園」の呪縛として機能する「後発国マルクス主義」のイデオロギー枠を突破する「先進国マルクス主義」の視点が充分に提示されていた。不破氏には、日本の社会運動史における豊かな知的文脈で、たとえば、櫛田民藏や森戸辰男、三木清や戸坂潤、藤田省三や松下圭一の水準で、マルクス主義理解を展開されるように求めたい。
日本の社会運動史は、日本共産党の歴史を遥かに越える批判的知性展開の歩みの歴史となっている。日本の社会に脈打つ批判的知性展開の歩みを無視した地点でなされるマルクス主義の「古典」の読み直し作業とは、野郎自大の世界の構築作業の意味しかもたない。
東大の「一九会」が、上田氏や不破氏が日本の社会運動史の原点に立ち戻って批判的知性の再構成に取り組む学問的作業の場となるよう、私としては期待している。
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『武装闘争責任論の盲点』朝鮮戦争の38度線突破者
『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕不破哲三への2つの査問事件
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『逸見重雄教授と「沈黙」』(宮地添付文)逸見教授政治的殺人事件の同時発生
『左翼知識人とマルクス主義』左翼無答責・民衆無答責という結果責任認識
『「三文オペラ総選挙」と東京の共産党』2005年総選挙と東京の結果
『白鳥事件の消去と再生』『白鳥事件』(新風文庫)刊行の機会に